フェンス越しに睨み合う不二と跡部を取り囲むようにそれぞれのレギュラーが陣取っている中、大石に呼ばれた竜崎がようようやってきた。 「何してるんだい、お前さん達は」 呆れたように言い、竜崎は事件の中心となっているらしい不二の元へ足を運んだ。不二は涼しい表情で竜崎に向き直ると、にっこり笑って言った。 「先生、すみませんが、是非この跡部くんと試合したいんです。許可願えませんか」 「あ、ズルい。俺もやりたい」 隣で文句の声を上げるリョーマに、ちらりと不二は視線を落とした。他のメンバーはその視線に、空気が凍るような感覚を覚えたが、リョーマは負けてない。 「越前くん、先輩を差し置くなんてことしないよね」 いつでも差し置くどころか、下手すると蹴倒し踏んづけて前へ行くリョーマに、そんなことを言っても無駄なんでは、と周りは苦笑する。 「なんなら、どっちが試合するか、勝負して決めます?」 不敵に笑うリョーマに、不二の眼が眇められた。 「おいおい、俺様を取り合って喧嘩するんじゃねーよ」 ふふ、と嬉しそうに笑う跡部に、誰が取り合ってるんだよと、無言の視線がそこら中から集まった。勿論、リョーマも胡乱な目で見返す。 「……何がどうなってるんだか、誰か説明しておくれでないかい」 額に手を当て眉を顰めながら竜崎は呟いた。どうしてこの連中はもめ事を起こすのだろう、いや、もめ事の方から寄ってくるのか。 「こいつがさー、おチビの事気に入ったんだか何なんだか、ちょっかい掛けてくるんです」 「そうそう、わざわざ俺たちの合宿場所調べて来たって、マジかよって感じ」 菊丸と桃城が憤慨して告げる。それを聞いた竜崎は、腕を組むと跡部の方へ向き直った。 「あー、その、跡部くん。まさかとは思うが、あんたらの合宿場所はここなのかい」 「そうですよ、竜崎先生。彼らのたっての希望で今回はここにしたんです」 跡部の後ろから渋い声でそう言ったのは、氷帝テニス部顧問榊だった。夏の盛り、暑い日差しの中きっちりとスーツを着て汗もかかずに歩み寄ってくる。 「彼らって、俺らのことかいな」 「約1名なんだけど」 忍足と岳人がぼそぼそと小声で言った。他の氷帝部員も樺地を除いてうんざりした様子である。榊と、偉そうな跡部、それに後ろの部員達を見て、竜崎は大きく溜息を付いた。 「合宿初日からもめ事はごめんだよ。さあ、さっさと練習に戻った戻った」 手を振り、部員達を散らそうとした竜崎は、目の前に立った不二に動きを止めた。顔を伏せていて表情は窺えないが、ただならぬ雰囲気に竜崎は身を退き仰け反らせる。 「な、なんだい」 「試合、出来ないと余計もめ事おこっちゃうかも」 僅かに見える不二の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。散ろうとした部員達は、夏だというのに背筋にひんやりとした冷気を感じて冷や汗を浮かべた。 「うわー、不二ってば本気で怒ってるよ」 「ふ、不二、相手は先生だぞ。暴力はいけないよ」 菊丸が面白そうに言うと、河村が一応止めるよう小さく言葉を掛けた。相手が誰だろうと暴力はいけないよなと思いつつも、ああなった不二を止める術はないと、大石は目を閉じて天を仰ぐ。 「そうっスよ。あっちがやりたいって言ってんだから、いいじゃない」 火に油を注ぐような事を言うリョーマに、周囲はげんなりして見詰めた。こんな時、手塚が居れば決まり文句の一つも出て丸く収まるのに……いや、不二は収まらないかもしれないが、少なくともリョーマは手塚の言葉を聞くだろう……とみんなは遠い異国に居る部長を思い浮かべた。 「練習に戻れ、と言ったんだ」 竜崎はリョーマの頬を掴み上げる。痛みに呻くリョーマを離すと、竜崎は次の試練に向かった。流石に不二に同じ事は出来ないだろう。 「試合がしたいなら、最後の日にしておくれ。こっちにも予定とかメニューとか色々あるんだよ。後であちらさんと交渉しておくから」 「あ、おばさん、日和ったな」 思わず呟いた桃城に、竜崎はじろりと視線を投げかける。不二は顔を上げると、笑みを浮かべ竜崎に頷いた。その笑みとは裏腹の冷ややかな目に、竜崎は重い溜息を付く。 「まったく。という訳で、申し訳ないが明後日練習試合受けて貰えないかね」 「いいですよ。こちらも合宿に張り合いが出来るでしょう。前回の雪辱戦にもなりますし」 ふっと笑みを浮かべる榊に、忍足、岳人の背筋がぴんと伸びる。遠くに居た2年生日吉も、顔色を変えた。 「今度こそこてんぱんにしたるわ」 「二度も負けるのヤバイんじゃねーの、ヤバイよな」 「そういや、氷帝って負けたら即レギュラー落ちじゃなかったっけ」 忍足が拳を握り締め言うと、桃城が混ぜっ返すように茶々を入れる。菊丸の言葉に、青学に負けた者達はぎくりと身を強張らせた。 何も言わず、そそくさと跡部、樺地以外のメンバーは練習へと散っていく。跡部は未だ未練がましく見ているリョーマに向けて、ウインクをし去っていった。 「明後日までお預けか、楽しみに待ってろよ、子猫ちゃん」 去っていく跡部に、青学の面々はうんざりしたような表情を浮かべた。一人不二だけはリョーマをじっと見詰めている。 「ねえ、越前くん」 「やだ」 不二の言葉を最後まで聞かず、リョーマは否定する。ひくりと不二の眉が動き、笑みが深くなった。 「まだ何も言ってないよ」 「試合は俺の方が先」 リョーマは不二の凄みのある笑みに怯みながらも、負けずに言う。その様子に、頑張れ、と周囲は密かに固唾をのんで見守っていた。しかし、頑張ったら頑張ったで、リョーマが跡部と試合するのは嫌だったりするみんなだった。接触は出来るだけ避けさせたい。 「まあいいけど。後でじっくり話し合おうね。ここじゃ人目が有りすぎる」 不二はそう言って練習に戻った。リョーマは同情の視線が集まる中、やれやれと肩を竦めると溜息を付いて歩き始めた。 ここは都会の学校よりも涼しく、練習も捗った。とりわけレギュラー陣は最終日に目標が出来たお陰で張り切っている。 「そろそろ1年は夕食の支度にかかれ。荒井、池田、指導はお前達に任せる」 夕方近くになって大石が言うと、荒井は嫌そうな顔をしたが練習を切り上げてコートから出た。出口を潜ろうとした荒井は、ちらりと後ろを振り返ると眉を顰める。 「おい、お前も1年だろーが、さっさと来いよ」 例えレギュラーだとしても、こういう事はきっちりと、が青学テニス部のモットーである。リョーマは気のない返事をしてコートから出た。 全くのキャンプという訳でもない合宿では、夕食の支度は一番大きなロッジでするという。広く清潔なキッチンには一通りの道具が揃っており、荒井は慣れた様子で一年達に指示し始めた。 「リョーマくん、料理出来る?」 「出来るわけないだろ、こいつラケットより重い物持ったことないとか言うんじゃねーの」 「そう言う堀尾くんは出来るの?」 カツオがリョーマにエプロンを渡しながら聞くと、堀尾は鼻を鳴らして嗤った。が、カチローに突っ込まれてもごもごと口ごもる。 「ご飯とみそ汁くらいなら出来る」 ぼそりと呟いたリョーマに、三人は飛び上がって驚いた。その様に、リョーマは眉を顰めると、さっさと材料を置いてある籠の前に歩いていった。 荒井に言われたものの、どうしたらいいか分からないであたふたしている他の一年を後目に、リョーマは大きなボウルに米を量って入れ、シンクに向かう。 「取り敢えず、1升分やるから」 「え、越前…お前できるのか」 驚いたように荒井はリョーマを見た。ちらりと見上げ、リョーマは無言で水を出すと米を研ぎ始めた。 「もう一つ釜あるから、やった方がいいんじゃない」 「あ、ああ。ほら、そこの、ぼーっとしてないで米研げよ」 呆然としていた荒井はリョーマに言われ、慌てて同じく呆然と見ていたカツオに怒鳴った。カツオはリョーマの見よう見真似で恐る恐る研ぎ始める。 「リョーマくん、ほんとに出来るんだ」 「あっちで和食だと、自分でやるしかなかったから」 手際よく水を切り、ザルにあけて手を拭いたリョーマは小さく肩を竦めて言った。母親は日本に戻ってすら和食をあまり作らない。菜々子が気を利かせて最近は作ってくれるようになったけれど、アメリカでは食べたかったら自分でやるしかなかった。 もっとも、自動炊飯器で作るご飯とダシの元で作ったみそ汁くらいだったが。みそ汁の具には困ったよな、と思い返していたリョーマは、ジャガイモ片手に悪戦苦闘している堀尾達にやれやれと溜息を付いた。 「越前、お前料理できるなら、これ手伝えよ」 上手く向けずにヒスを起こしている堀尾の隣では、カチローがひたすらにんじんの皮を剥いている。他の一年部員も慣れない手つきで包丁を使っていた。 「いーっ、もうめんどいっ、これ以外なら何でもやるぞ、俺は」 「ふーん、じゃ代わるから、あっちね」 じたばたしている堀尾の手から包丁を取ると、リョーマはにやりと笑って別の方を指さした。堀尾は嬉しそうに笑うとリョーマが指さした方を見る。そこには山と積まれたタマネギがあった。 「……なんか、堀尾くん、泣いてるよ」 「嬉し泣きじゃない」 冷や汗を浮かべながらカチローが横目で堀尾の方を見て呟くと、リョーマはもう興味が無さそうに言った。ご飯を炊くのとみそ汁は経験があるが、野菜の皮むきは、やる時はピーラーを使ってやるので、包丁を上手く使えない。大分厚くなってしまった皮を、リョーマは眉を顰めて見た。 「おっと、危ない」 やるからにはもっと綺麗に剥きたい、とつい力が入ってしまったリョーマは、包丁を落としそうになる。それを掴み、くるくると器用に指先で回したのは菊丸だった。 「へー、おチビが料理できるなんて意外だにゃ。この前の合宿じゃ何もしなかったのに」 それは菊丸が率先してキッチンに入り、全部やったからだろうとリョーマは心の中で呟く。面倒だというのが一番の理由だったが。 「確かピーラーあったよね」 「はっ、はい」 菊丸と一緒に入ってきたらしい不二が言うと、池田は蒼くなって棚に向かった。不二はそれを受け取ると、他の者に渡し、包丁は池田に渡す。 「怪我させない内で良かったね」 びくんと池田と荒井の身体が強張る。意趣返しという訳でもないが、ピーラーを使わせずわざわざ包丁を使わせていたのがばれたと知って、二人は背中に汗が伝うのを感じた。 これでもしリョーマが怪我でもしたら、命は無かっただろう。 「それにしても越前くん。似合うね、エプロン」 二人から視線を外し、不二はリョーマを上から下まで眺めた。Tシャツに短パンに、普通の無地のエプロンを掛けただけなのだが、不二の眼にはどう映っているのだろうか。 「うんうん、凄く可愛い」 不二と菊丸の舐めるような視線に晒されて、リョーマは居心地悪そうに俯いた。 「もういいっすか。早くしないと」 そう言うと、リョーマは作業台に向かう。だが、既に野菜は綺麗に剥かれ、切られていた。隣では息を荒げて一年生達が突っ伏している。 「出来たみたいだね。あ、荒井、池田、あっちがまだだよ。手伝ってあげなよ」 ふふ、と笑って不二は堀尾の方を指さして言った。荒井達はげっそりとした顔を見合わせ、力無い足取りでタマネギの方に向かった。 「練習は終わったんスか」 後は材料を全部炒めて煮込み、ルーを入れれば合宿の定番カレーのできあがりだ。溜息を付きながら聞くリョーマに、菊丸は指先を振って言った。 「終わってなくても、おチビのエプロン姿見られるチャンスじゃん。どうせなら、違うエプロンのがいいけどにゃー」 にゃはは、と笑う菊丸の顔は少し赤くなっている。違うエプロンって、ここにはこのエプロンしか無かったけどな、とリョーマは自分がしている薄青色のエプロンの裾を摘んだ。 「そうだよなあ、せめてこれくらいじゃないと」 ふわりとリョーマの頭上から何かが降ってくる。驚いて動きを止めたリョーマは、恐る恐る自分の身体を見た。 「純白、レース、フリル……そして、中身は美味しく頂かれる事を待つ裸体だったら完璧だ、なあ樺地」 「ウス」 ウス、じゃないだろっ、とリョーマは目を見張って声のした方を睨んだ。何時の間に来たのか、跡部が満足そうにリョーマを眺めている。その後ろには金魚の糞のごとく樺地が付き従い、更に後方には人生を諦めたような氷帝メンバーが居た。 「下品なオヤジだね、その発想」 不二の辛辣な言葉に反応したのは菊丸で、跡部は涼しい顔で受け流す。二人の間に再び火花が散った。拙い事にここには凶器になるような物が沢山置いてある。 「ほんま、俺ら可哀想やな。よりにもよって裸エプロンて……」 「まさかあんなもんまで用意してるとは思わなかったぜ」 呆れたように額を押さえる忍足に、宍戸も苦笑いをして言った。 「ねえ、どうでもいいけど、あんた達もメシの支度?」 苦虫噛み殺したような表情でリョーマはエプロンを取り、ついでに前からしていたエプロンも取って訊ねた。 「いや、俺達は違うよ。ケータリングで用意してる」 だからここに来る必要はないんだけどね、と頭を掻きながら鳳は説明した。流石氷帝と一年生達は思ったが、目を眇めて向こうを見据える不二に、そそくさとその場を離れた。 「まあ、どうしても愛する俺に手作り料理を食べさせたいって言うなら、一緒に食べてやらないでもないぜ」 目の前の不二を無視し、跡部はリョーマに軽い笑みを向けた。 「人数分しかないよ」 そっけなく言うと、リョーマは炊飯器の方に向かった。そろそろご飯が炊ける時間である。ここであれこれ言っている暇はない。 「僕の分を上げてもいいけど」 含み笑いを浮かべて不二が言った。跡部以外の人間は、不二が渡す食事には絶対手を付けないと心に誓う。特にカレーなんて、何か入っていても気が付きにくいじゃないか。 「俺の作った物は食べられないんスか」 さらりと言うリョーマに、不二はぎょっとして振り返った。今までの不二が嘘のように動揺し、焦っている。 「とんでもない! あんな奴にはもったいなくて分けられないよ。さ、早く支度して食べよう」 ほらほら手伝って、と不二は菊丸に言い、自ら率先して出来上がった鍋を食堂に運んでいった。唖然としていたカチロー達は、薄く笑みを浮かべているリョーマに苦笑いした。 「リョーマくん、凄いね」 「うん。何か、扱い方を心得てるって言うか」 「でも、あの不二先輩だから後でどうなるかわかんないぞ」 珍しく的を射た堀尾の言葉に、余裕の笑みでいたリョーマは僅かに眉を顰めた。怖い考えを振り払うように、三人は顔を見合わせ引きつって笑うと、あたふたとその場を後にした。 「これ」 リョーマは溜息を付き、手に持っていたフリフリのエプロンを跡部に差し出した。跡部は片手を突き出すようにして振った。 「プレゼントした物を突っ返すなんて、野暮は止めときな。いつかそれを付けて俺のために料理してくれ。そしてめくるめく一夜を……」 「あ、そ」 まだ妄想を垂れ流している跡部を無視して、仕方なくエプロンを持ったままリョーマは踵を返した。あまり遅れると、せっかく機嫌が良くなった不二が暴れ出す。テニス以外ではなるべく面倒くさいいざこざには巻き込まれたくなかった。 食堂の一角では既にカレーが配られ、みんな行儀良く座って待っていた。どこへ座ろうかと見回したリョーマは、立ち上がって手を振る菊丸に小さく溜息を付いた。 「ここ、ここー、おチビっ」 菊丸と不二の間の席にリョーマは座る。やれやれというように竜崎が頂きますと号令を掛けると、みんなお預けをくらった犬のように勢い良く食べ始めた。 「んまいっ、流石おチビの作ったカレー」 「米研いだだけっスよ」 「美味しいよ。もう少し辛い方が好みだけど」 確かに激辛好きの不二には物足りないだろう。しかし、不二の好みに合わせたら殆どの者が食べられないに違いない。 「ふむ、今回は普通の市販カレールーを使ったようだが、次には俺の特製スパイスを使ってみるか」 乾は眼鏡を光らせ、一口食べると呟いた。途端にあちこちから咳き込む音がする。カレーは今日限りだな、とリョーマは心の中で思い、スプーンで掬うと口に入れた。 片付けを終えた後、自由時間となった。テレビはこのロッジの食堂にしかなく、大多数の者はこの場に残っている。リョーマはみんなが見ている番組に興味が無かったので、取り敢えず自分のコテージに戻ることにした。 「越前くん、ちょっと散歩しない」 ロッジから出ると、灯りから外れた小道から不二に声を掛けられた。リョーマは吐息を付き、頷いて不二の方に歩き出した。 「どうしたの、きょろきょろして」 「他の人は?」 「さあ、みんなテレビ見てるか勉強でもしてるんじゃない」 不二以外にも普段から煩く纏わりついてくる菊丸だの、遊び相手である桃城だの、ストーカーのようにどこからともなく現れる乾他レギュラー陣が全て居ないとは考えにくい。 何かしたんだろうかと横目で見上げるリョーマに、不二は軽い笑みを投げかけた。 「そうスか」 ほんとかどうか訊いた所で、ちゃんと答えてくれる訳はないと、リョーマはさっさと諦めて肩を竦めた。暫く無言のまま二人は薄暗い道を歩いていく。 周りの木立が途切れ、目の前が急に開けた。緩やかな丘の頂上に出たリョーマは、頭上に輝く星の海に目を瞠る。 「凄い……」 「見せたかったんだ。都内ではこんな空見られないからね」 同じように空を見上げながら不二は呟いた。降るような星を茫然と見詰めるリョーマの肩を、不二はそっと抱き寄せる。 「ねえ、リョーマくん……いいよね」 「やだ」 ひくりと不二の片眉が上がり、口元の笑みが引きつった。甘く耳元に囁く不二に、ぞくりと身を強張らせながらもリョーマは拒否した。 「リョーマくん」 「俺があいつと試合する」 不二は一瞬目を見開くと、掌を額に当て大きく溜息を付いた。リョーマは強い意志を持った瞳で不二を見据えている。 「じゃなくて、こんな雰囲気で、他にすることあるだろ」 「ここ、夜間ライト無いみたいだから、試合は無理っス」 跡部の相手を決める試合をしたいのは山々だけど、とリョーマは腕を組んで丘の下を見た。ぼんやりと森に切り取られたかのようなコートの一角が見える。 不二は肩を力無く落とし、苦笑いを浮かべた。そんな不二をリョーマは多少気まずい思いで、横目でそっと見ていた。 リョーマだとてなんとなく不二が何をしたいかは解っている。が、それに応える事が出来ないのだ。素直に受けたら負けた気がするし、とリョーマは再び空を見上げた。 「……ん…ぁっ」 目の前に広がっていたのは星空ではなく、不二の真摯な顔だった。びっくりして開いた口に口付けられ、リョーマは硬直した。 瞬きもせず見開かれたリョーマの目に、ピントの合わない不二の顔が写っている。それが徐々にはっきり写り、笑顔の不二の表情が見えた。 「…い…きなり……」 顔が赤くなっているのが判るだろうかと、リョーマは狼狽えながら不二を押し退けようとした。不二はリョーマの頬に手を当て、自分の方を向かせると微笑んだ。 「だって、せっかくだし」 何がせっかくなんだ、理由になってない、とリョーマは口をぱくぱくさせて反論しようとする。その時、不二はリョーマから視線を外し、後方を見た。 「うにゃぁ、やっと来られた」 「なんなんっすか、あれは。危ねーな、危ねーよ」 大きな声で怒鳴りながら現れたのは、菊丸と桃城だった。リョーマは慌てて不二から離れ、二人の方を見た。 「なかなか良い出来だったな、あれは」 「……死ぬかと思った……」 再び声がして、草むらから乾が姿を現し、息も絶え絶えというように海堂も転がり出てくる。四人に増えた彼らの姿は、どこのジャングルを突っ切ってきましたか、というようなぼろぼろの格好だった。 唖然とするリョーマの横で、不二は顎に手を当て小首を傾げた。 「あれ、変だな。もう少し時間がかかると思ってたのに」 「何、したんスか」 恐る恐るリョーマが訊くと、不二は笑みを深くする。やっぱ訊かない方がいいかも、とリョーマは冷や汗を浮かべながら不二から顔を背けた。 「越前っ、無事だったか」 「おチビ〜」 桃城と菊丸が突進してリョーマに抱きつき、確認するように触りまくる。暫く好きにさせていたが、いい加減鬱陶しくなって、リョーマは両手で二人を突き放した。 「無事って何。別になんともないから」 「そうだよ、僕が越前くんにそんな酷い事する訳ないだろ」 しゃあしゃあと言う不二に、その酷いことをされた四人は鋭い目を向けた。リョーマは睨まれても平然としてる不二と、対峙している四人に溜息を付き、三度空を見上げた。 「何か…良い匂い」 上に向けた鼻先に、香しい匂いが漂ってくる。リョーマは鼻をひくつかせると、その元を確かめようと歩き始めた。 「あ、越前くん、一人で戻っちゃ危ないよ」 不二が焦ってリョーマの元に歩み寄り、道を案内する。その後ろを四人もぞろぞろと着いていった。 「こっち側にも罠仕掛けてんの。ほんと容赦ないよね」 「酷いっすよ、落とし穴やら仕掛け網やら」 「まあ、自分たちの身体能力なら避けられない程ではなかったな」 「ふしゅー…体力も、あんなもんじゃおちねー」 ぶつぶつと口々に文句を言ってはいるが、決して四人は不二の後ろから道筋を離れようとはしなかった。さりげなくリョーマを危険から離し、他の者を捲こうとしている不二から目を離さず着いていく。 「こっちって何だっけ」 「戻ろう、越前くん」 匂いの元を探りながら歩いているリョーマを、不二は何とか止めようとしていたが叶わず、丘を降りた道の行き止まりに出た。 「あ」 広いその場所は別のコテージの広場で、大きなテントにテーブルを出し、その席には見覚えのあるメンバーが着いている。 「ようこそ、我が晩餐会へ」 両手を広げにこやかに笑う跡部に、リョーマは目を瞠った。続いて広場に出た不二や他のみんなも、驚いたように見ている。 「晩餐会って、これのことかねえ」 パイプ椅子に座って肘を突き、呆れたように岳人が呟く。隣では両腕を上げ、肩を竦めた忍足が首を力無く振っていた。 「まさか本当に釣れるとは」 口を半分開けて現れた青学メンバーを見ていた宍戸は、顔を蹙めた。鳳は引きつった笑みで頷き、ちらりとテーブルの脇を見た。 「釣れるって、何だ?」 桃城が鳳の視線の先を見ると、そこには七輪で魚を焼いている樺地の姿があった。そして、その前に座り込み、リョーマはじっと良い感じに焼けている魚を見詰めている。 「え、越前くん」 「猫にマタタビ、リョーマに焼き魚ってな。リサーチばっちり済んでるんだよ」 嘲笑するように言う跡部に、不二は刺すような目を向けた。 「誰の名前、呼んでるの」 「ああん? リョーマは和食党で茶碗蒸しも好物なんだよな。当然、それも用意してあるぜ、なあ樺地。出してみせろ」 樺地は頷くと、お盆に乗せた容器を取り出し、テーブルの上に載せた。中から良い匂いがして、リョーマはそれに釣られ近づいていく。待ちかまえていた跡部の腕の中に入ろうとしたリョーマを、不二が引っさらった。 「卑怯な手を使うね」 卑怯なのはお互い様では、とどちらのメンバーも思ったが懸命にも口には出さなかった。リョーマは二人の間に挟まれ、暫く藻掻いていたがやがて諦め、力を抜いた。 明日の食事は絶対和食にしようと心に決める。七輪は無いけどガスでもまあ上手く焼けるんじゃないかな、などとこの場に相応しくないことを考えながら、リョーマは恨めしげに焼き魚と茶碗蒸しを見詰めていた。 |