Someday 6
ぼんやり目を開いた炎は、二、三度瞬くとはっきりと目を開き周囲を見回した。両腕は後ろ手に縛られているが、それ以外には拘束されていない。勢い付けて起きあがろうとすると頭がずきりと痛む。他にもどこか怪我をしているようであちこちが悲鳴を上げているが、炎はゆっくりと起きあがった。「…ここは…」 狭い部屋の一角にあるソファに転がされていたらしい。床でなかっただけましなのかと思ったが、床は殆ど歩くだけのスペースしか無いからここに放られていたのだろう。 何となく、ふわりふわりと揺れているような気がして、炎は近くにある窓から外を見た。すると目の前には青い海と青い空が広がっている。一瞬目を見開き、まじまじと顔を近づけて見た炎は、これが大きめのクルーザーであると理解して眉を顰めた。 「見ての通り、周りは海だ。逃げられはしない」 ぎくりと炎は振り返った。扉から入ってきたのは長身の男で鋭利な気を放っている。炎はその冷たい氷のような視線にぞくりと悪寒を走らせ、はっと思い出した。 「お前は…」 祖父の墓前で両親に話しかけていた男、そいつによく似ている。雰囲気も、このぞっとするような感じも。 「勇者に手荒な真似をして済まんな。ヒド一には遊びすぎないよう言っておいたのだが、思いの外お前たちに歯ごたえがあったんで手加減しきれなかったんだろう」 酷薄な笑みを浮かべマドーはゆっくり近づいてくる。後ろに引きそうになる身を押しとどめ、炎は力一杯睨み返した。 「俺をどうしようってんだ」 「そんなに怖い顔をせずとも、勇者には大事な使命がある。その時になれば、私の気持ちも理解できるし、我々の顔となって世界に君臨できるだろう」 マドーはぐいと炎の身体を片手で引き寄せ、もう片方の手で顎を取ると言い聞かせるような甘い声で話し出した。 「ばっかじゃねーのっ! 今時世界征服だなんてアナクロもいいとこだぜ。おまけに勇者だ使命だってゲームじゃねーんだ。そんなもん、簡単にはいそーですかって納得できるわきゃねーだろ」 頭を振り、自由な足でマドーを蹴り付けて身を離す。マドーは喉の奥で笑うと、再び炎の身体を掴み引き寄せた。 「確かに表向き世界征服なぞ、子供の夢物語にしかならんな…だが、真の世界、情報の世界ではすでに我々は半分以上手にしている。後は真なる勇者の仕事ということだ」 「情報?」 「世界に張り巡らされている情報ネットワークを全て手にしたらどうなると思う。我々にはそれができる。世界を一つに、我々の下に置くのだ」 自分の言葉に酔いしれているマドーに、炎は嫌悪の視線を向け身を離そうと振った。だが、今度は蹴りも躱されソファに押しつけられてしまう。 「はなせっ!この大勘違い野郎っ!」 「今に解る。お前の中に眠る勇者の血が、封印が解かれるとき、世界は一つになるのだ」 狂信的な光を帯びて熱く語るマド一に、炎は嫌悪を込めて睨み付けた。 「マドー兄貴、もうすぐ着くぜ。用意はできてるってゲドー兄貴からも連絡入ってる」 「そうか、いよいよだな。後は証さえ手に入れば。だが、それもすぐだ」 証と聞いて炎は視線をヒドーに向けた。確か、あの時海が受け止めていたはず。では、取りあえず今のところはまだ海たちは無事なのだ。 「では行きましょうか、勇者どの」 ソファから離れていくマドーの横を擦り抜け、炎は脱兎の勢いで扉に向かった。待ちかまえていたヒドーの腕を擦り抜け、外に走り出る。目の前には船着き場が見えるのだが、両手を縛られている状態で海に入り泳げるだろうか。 「こんのくそガキっ!」 どかっと背中を蹴られ、炎は甲板に転がった。したたかに頭を打って、炎は呻き声を上げる。その両脇を二人の男に抱え上げられ、正面を向かされた炎は、ヒドーの拳を腹に受けてがくりと頭を下げた。 「ヒドー、いい加減にしておけ。壊れては何もならない」 「解ってるよ。ふん、でなきゃ今頃魚の餌にしてやったのにな」 唾を吐き捨て、ヒドーはまだ殴り足りないというように炎を見ていたが、踵を返すと桟橋に飛び降りた。力の抜けた炎を抱え、男二人も船から下りる。最後に降りたマドーは、ちらりとビルの間に視線を向けうっすら笑うと歩き始めた。 「どうだ?判ったか?」 「はい。やはりこの付近の、地下ですね」 証を握りしめ、じっと意識を凝らしていた雷は、目を開けて周囲を見回した。山海市とは違い、同じ海の側でもここは周りはビルとコンクリート、アスファルトで舗装された道路ばかりで人工的な臭いがぶんぷんする。おしゃれで洗練された都市なのだろうが、地下では暗黒のどろどろとしたものが渦巻いているような気配がすると、竜は呟いた。 「お前まで来なくても良かったんじゃないのか」 「行かなければならないと言われた…気がした…」 ぼそりと言う竜に、森は苦笑を浮かべてため息を付いた。炎が勇者の血筋だとか、超能力だとか、どうにも現実感からは遠くかけ離れている世界が自分の身近に起こるとは思いも寄らなかったのだが、竜にとっては別世界のことでもなく、しっくりと合っているらしい。 「地下へ…」 他のピルにはショッピング客や一般サラリーマンなどが溢れているというのに、雷が指差したビルには人気がなかった。ガラス張りの綺麗で清潔な外見とは裏腹に死んだように静まり返るビルの入り口で、森は眉を顰め見上げる。 「なーんか、嫌な感じだな」 「罠…か」 「だとしても、行かないと」 雷の言葉に二人は頷き、扉をくぐり中へ入っていった。非常階段から地下へと下りていく。人気はやはり無く、機械的な音が振動を伴って微かに聞こえてくるだけだ。 地下は駐車場になっているが車は止まっていない。階段を下りきった出口から広い駐車場に入ると、雷はきょろきょろと辺りを見回した。すっと竜が向かい側の扉を指差す。 「あそこは、違うのか」 「行ってみましょう」 管理事務所と書かれた扉を開き、中に入る。ごく普通の守衛所のような中の作りに、ここじゃないのかと息を付いた森は壁に寄りかかった。 「うわっ」 ピッと小さな電子音がして、壁が横にスライドする。バランスを崩してその中に倒れ込んだ森は、打ち付けた腰をさすりながら立ち上がり、続いて入ってきた竜と雷を睨み付けた。 「いきなりやんなよ」 「済みません。これか…」 どうやら雷が隠し扉のスイッチを見つけたらしい。再び音もなく閉まった扉の横を探していた雷は、何かのボタンを押した。するとがくんと地面が揺れ、どうやらさらに地下へと降りて行っているようだ。まるで秘密基地だなあと感心したような呆れたような思いで終点にたどり着くのを待つ。程なく止まった感覚がして、扉が開いた。 「気を付けて」 扉の横に張り付き、外の様子をうかがう。本当に映画かアニメにでも出てきそうな秘密基地のように硬質な輝きを持つ廊下が延び、その先に扉が見えた。 「こう上手くいくのって、なんか信用できないって気がねえ」 「のこのこと証を持ってやってくると思っているんだろう」 ぼそぼそと喋りながら廊下に出た二人を残し、雷はすたすたと向こう側の扉に向かっていく。慌てて二人が後を追い、雷の腕を掴んだ。 「ちょっと待てよ。いきなりご対面〜ってなことになるかもしれないぜ。もっと他に道はないのか調べてからの方が良いと思うけど」 「では、ここで待っていてください。僕一人で行きます」 にっこり笑って森の腕を外し、雷は扉を開く。呆然と見ていた森は雷が中に入るとすぐに閉められてしまった扉に手を掛けた。 「あ、開かないぞっ、こいつ、ライっ!お前また一人で何するつもりだっ」 竜も手を貸して開こうとするが、吸い付いたようにぴったりと扉は閉ざされている。どんどんと扉を叩き、森は叫んだ。 「済みません。こうするしか、ない」 後ろ手に閉めた扉の向こうから聞こえてくる森の怒声にぽつりと呟き、雷は顔を上げて前を見つめた。 そこは円形の広場のようになっており、今居る場所はそこを取り巻くテラス状態になって真ん中の施設を見下ろす格好となっている。その中央に、たくさんの機械に囲まれ、全身にコードを着けられた炎が横たわっていた。周りにはコードの束とチップの結線で魔法陣のようなものが描かれている。「勇者の証を持ってきてくれて礼を言わねばならんな」 眉を曇らせ炎を見つめていた雷は、その声にはっと顔を上げた。自分が居る場所の丁度反対側にマドーとヒドーが同じようにコードを着け立っている。 「お前達は、自分が何をしようとしているか解っているのか!」 「くく…無論、封印されしジェノサイドを解き放ち、我らの力とするのだ。ジェノサイドの力はこの端末で完壁に制御され、我々の力となる」 「馬鹿なっ!そんなもので制御できる訳がないんだっ。アレはそんな生優しい物じゃない」 雷は首を振り、叫んだ。確かに、ジェノサイドの力の一端を引き出し、自分たちの超能力として使えていたのだろうが、本当に解き放ってしまえばどうなるのか。 「大人しくそこで見ていろ。我々が全てを超越し、支配する神となるところを。さあ、証を差し出せ」 雷の周りに空気の渦巻きが現れ、火花が散る。小さく苦痛の声を上げ、雷は大きくジャンプしてその場から逃れた。だが、空中でヒドーの投げつけるコードに身を絡め取られてしまう。それを通し、以前の何倍にも増幅された電撃が雷を襲い、そのまま落下した。 「……エン」 「強情な奴だな。ならばもうよい、勇者を傀儡として使い私自身が表に出ることはしたくなかったが、この装置さえあれば、証などなくとも充分操れる。ヒドー」 「おうっ」 ヒドーは炎の側に降り、片手を剣のように構え振り下ろした。途端に炎の身体に赤い筋が走り、温かい血が溢れ出す。二度、三度振り下ろされる度に筋は増え、着ていたシャツはぼろぼろになり赤く染まっていく。 「や、やめろっ!」 「ジェノサイドよ、勇者の血に封じられし全ての意識を統べ、全ての物質を束ねるものよ…今こそ我の前に姿を現し、我に力を与えよ…」 炎の周りに血が流れ落ちると、機械が鈍い昔を立てて動き始める。部屋全体が振動しあちこちで輝き始め、マドーは流れ込む力の強さに恍惚とした表情を浮かべた。 「証が無くとも、勇者の血をもって封印を解く。安心しろ、死んでも俺達が代わりに勇者になってやるからよ」 けけけと笑ってヒドーは炎の心臓めがけ、とどめを刺そうと手を振り下ろした。だが、その手は炎の身体から発せられる光に阻まれてしまった。驚いて見ていたヒドーはますます強まる光に弾き飛ばされ壁に激突した。 「エンっ」 炎は白く光を発したまま立ち上がり、無表情な顔をマドーの方に向けた。途端にマドーは苦痛の表情を浮かべ胸をかきむしり悶え始める。繋がれたコードがうねり波打っていた。建物の振動はますます大きくなり、あちこちで火花が散り始めた。 「だ…駄目だ…」 よろよろと炎に近づこうとする雷だったが、重力波のようなものに弾かれ壁に叩き付けられる。コードと端末が光を放ち、天井を突き破る勢いで爆発した。 「このままじゃ、エンが。やっぱり無理です…ルナ先輩、僕には見てられません…」 懐から勇者の証を取り出すと、雷はそれを握り締め光の中へ飛び込んでいく。今度は弾かれず、炎の元まで近づけるかと思ったが、足を何かに取られ床に転がってしまった。 「…畜生…っ…何でこうなるんだ」 「離せっ、ヒドー」 雷の足を握り引っ張ったのは息も絶え絶えのヒドーだった。片手で腕を振り払おうとする雷にしがみつき、ヒドーは離そうとしない。 「時間がっ、エンっ」 その時、突然別の場所から爆発音が聞こえ、機械が徐々に停止していく。壁の一部が破壊され、そこから森と海が飛び込んできた。 「ルナ…先輩…」 「動力部を破壊したから、これ以上は発動しないわ」 ヒドーを引き離し、竜と翼は雷を介抱しているルナの側に近づいていった。森と海は、コードだらけで血塗れの炎をそっと抱え運び下ろす。 「済みません。僕はやっばり、あのまま見てることはできませんでした」 「どういう意味だ?始めからこうなると判っていたのか」 森の冷たい声の問いに、雷は俯き頷いた。 「血の封印は薄れ、マドーのこんなちゃちな装置ですらジェノサイドの力を受ける事ができるようになってしまった。だから、私たちはエンを再び封印のために使おうと思っていたの」 雷の代わりにルナが応える。あのまま続ければ炎はその肉体の器の消滅をもってジェノサイドの封印となったはずだ。 「でも、できなかった。僕は、僕が代わりに」 「あなたがその身を投げ捨てても、証の力をもってしても、封印はもう長くは持たないわ。もっとも、私も甘いわね、この子達に会って、どれだけエンを想っているか解ったら、ここまで来て止めてしまったもの」 海が気付いた後、翼はこっそり森に付けていた発信器を頼りにここまでやってきたのだった。どうやってここに侵入しようかと画策していたとき、ルナと出会いこの部屋に入れなくてイライラしていた森たちと破壊活動に動いた。 「結構あっさり壊れましたねえ。ほんのちょっといじっただけだったのに」 にっこり笑って言う翼に、森と竜は呆れたような目を向ける。嬉々として翼はどこから取り出したのか化学薬品やら訳の分からない機械やらで動力部を止めたのだ。 「エン、しっかりしろ、エンっ」 血は止まっているが目を閉じたまま動かない炎に海は必死に呼びかける。だが反応は無かった。 「すぐに病院へ…」 言いかけた翼の言葉は、地響きによってかき消された。驚いて見回すとヒドーの身体が魔法陣の中心にあり、コードが絡みついている。表情は人間のものではないように醜く歪んでいた。 『…ワレコソハジェノサイド…ワレトヒトツニナリ、スベテワレトトモニナル…』 「ふ、ははははっ! ヒドー、よくやったぞ。さあ、ジェノサイドの力、私にも与えるのだ」 よろよろと立ち上がったマドーが両手を差し伸べヒド一に向かって叫んだ。だが、ヒドーが一瞥するとマドーの身体が硬直し目は見開かれたまま光を無くしていく。 「…ワレコソハジェノサイド…ワレトヒトツニナレ……」 「喰われたか。だから言ったのに」 苦いものを吐き出すように雷は言った。唖然としてヒドーとマドーを見ていた森たちは、音を立てて崩れ出した壁や天井を避けるために壁際に寄ると、どうしたらいいのかとルナたちを見た。 「封印が、解けてしまったわ。まだ完全ではないけれど、そのうちここを中心に全世界がジェノサイドに喰われ、取り込まれて無くなってしまうでしょう」 「人も、動物も、生きているものだけでなく原子の一粒まで、全てがジェノサイドと同化する」 苦しげに眉を寄せ、呟くルナと雷にみんなは項垂れる。ふと、自分の腕の中の炎が動いたような気がして海は顔を上げ見つめた。 「…諦めちまうのか……ライ…」 「エンっ、気が付いたのか」 掠れた声で呟く炎に、海は嬉しそうに覗き込んだ。焦って雷は炎の側に寄り、じっとその顔を覗き込む。 「済みません。僕はあなたを守るなんて言ってたくせに、こんな」 「守られてばかりの勇者はごめんだって言っただろ。俺は…俺にできることは…」 雷の手を掴み、その手から勇者の証を取り上げると炎は自分の手首にそれをはめた。途端に、以前に感じた痛みと熱さが全身を貫いて、歯を食いしばってそれに耐える。ぎゅっと手を握りしめてくる海に笑い掛け、炎は立ち上がった。 「エン…」 「カイ、ずっと聞こえてた。お前の呼びかけ…だから、大丈夫だ」 にっこり笑うと海の手を解き、炎はゆっくりヒドーの方に向かっていく。誰も止められず、ただ見ているしかない。 「お前が欲しいのは俺だろう…さあ、来い!」 『ヌオオォ…ユウシャ……チヲ…イマコソ…ワレノモノトスル…』 ヒドーの身体から真っ黒な影のようなものが飛び出し、炎の身体に吸い込まれていく。途端に再び見ていられないほどに輝きだした炎を、目を眇めながらもみんなは凝視していた。 我こそはジェノサイド…我に全てを捧げよ… 嫌だ…… 全てが一つになり、苦しみも、悲しみも感じない、お前が世界の頂点となる 苦しみも、悲しみも、感じる痛みも俺の心は俺のものだ… 心を解き放ち、我に全てを捧げよ… い…や…だ………! 何故、苦しむ…何故悲しみを求める…人は弱いもの、他人に縋らねば生きて いることもままならぬのに それが人間だからだ… 止せ…我を拒否してはならぬ…お前も消滅するぞ… 望むところだ!…お前を封印し消滅させられるなら…それが勇者として 俺のできることなら… 止せっ!…やめろーっ…おおおおお…… ……み…んな……カ…イ……俺は…… 白熱した光を発し、炎の姿は徐々に薄らいでいく。 「エーンっ!」 海は炎の名を呼ぶと光に向かって走り出した。このまま消えさせるわけにはいかないと、考える前に身体が動いたのだ。 「カイっ! くそっ…エンっ」 後に続いて森も走り出す。いつのまにか竜も翼も、光の中へ走り込んでいた。 「あなたたちっ、消えてしまうわよっ」 「ルナ先輩、後頼みます」 「ライ、あなたまで…」 にこりと笑って雷はルナに敬礼すると駆け出した。呆然とルナが見守る中、光は彼ら全てを包み込んで大きく広がっていく。地鳴りは酷くなり、建物は崩壊寸前にひび割れてもルナはその場を動こうとせずじっと庁んでいた。 |