Someday 7
エン… 薄らいでいく意識の中、声が聞こえる。懐かしい声、強い声… 戻っておいで…エン…… ああ…そうだ…還らないと… こっちだ……エン… 誰…?どこ… エン…エ…ン……… 今いくから…… 「エン!」 うっすら目を開くと、海の泣きそうに歪んだ顔が見えてきた。自分と目が合うと、信じられないというような表情で海は炎を抱き締めた。 「…つっ…お…俺…」 「気が付いたっ、おいっ、エンが気付いたぞ」 海を押しのけるようにして森が炎の顔に触れる。震えるその手に、炎は自分から頬を押しつけ、微笑んだ。 「どうなったんだ?俺…ジェノサイドは?」 海と森の間から様子を窺うと、ここはさっきのビルではなく別の場所らしい。どこかの公園らしく、緑が多く遠くにはビル街が見えていた。 「僕たちにもよく解らないんですが。いつのまにかここに居たんです。多分、あそこがさっきのビルだと思いますけど」 翼の言葉に指差す方を見ると、黒い煙が上がっている。炎は暫くそれを見ていたが、やがて気付いたように辺りを見た。 「…ライは?」 「判らん。気付いたときにはもう居なかった。ルナもだ」 海の手に助けられて立ち上がった炎は、自分の腕にはまったままの勇者の証を見つめた。もう痛みも熱さも感じない。黒い石は鈍い輝きを放ち静かに光っている。 「ジェノサイドは…消えたんだろうか…」 「お前が勝ったんだ。ただの封印じゃなく、消え去った…」 多分初めて見る竜の笑顔に炎は見とれていたが、ぐいと顔を引き戻されて痛みに眉を顰めた。 「エン、痛む所はないか?すぐに病院へ行かないと」 痛いのはお前の掴んでいる顎だ、と言いたかったが海の表情があまりに真剣で、炎は溜息を付き笑い掛けた。 「へーき。ちょっと疲れてるだけだ……ほんとに…消えたのか…」 「ああ、お前は勝った。戻ってきてくれた」 ぎゅっと抱き締められ、炎は安堵して漸く力を抜き海に凭れ掛かる。後ろから軽い咳払いが聞こえ、炎ははっとして振り返った。 「シン」 「まったく、俺を無視すんなよ。それにしても、いつのまにそんなにらぶらぶになっちまったのかねえ…お兄ちゃんとしては、ちょーっと寂しいぞ」 「だっ、誰がらぶらぶなんだよっ。俺は別にそんなんじゃ…なくて……」 反論してはいても、片手を海に握り締められたままでは論調が弱くなる。やれやれと肩を疎め、森は踵を返し、翼と竜を片手ずつ掴むと歩き始めた。 「お、おい…」 「何ですかあ、シン」 「いいから。あー、カイ、エンを頼むな。俺達最終のヒカリで帰るから。お前達はそこらのホテルに一泊してゆっくりしてから戻ってこいよ。どうせ明日は土曜日だしな」 振り返らずにずんずん二人を引っ張って歩いていく森を炎は追いかけようと一歩踏み出した。しかし、握られていた手を引かれ、引き留められてしまう。 「行くな…行かないでくれ」 「カイ…」 真面目な表情で頼み込む海に、どうしていいか判らず炎は頷くしかなかった。 荷物もない二人を怪しむでもなく、近くの割と高級とされているホテルはツインの部屋を取ってくれた。多分、海が持っていたゴールドカードが利いたのだろう…何故学生なのにそんな高級カードを持っているんだと訊いた炎は、こともなげに使ったことはないが親が持っていろと言うので、と答えられがっくりと肩を落とした。 海の家はあんなに広くて大きいのだし、きっと金持ちなのだろう。まあ、炎の家にしたって結構中の上くらいはいってると思うのだが、ゴールドカードまでは持っていない。 「うわあっ、すげーいい眺め!」 ツインといってもセミスイートの部屋しか空いて無く、上の方の階で窓の外には港の夜景が一望できる。ぺったりと窓に張り付いて外を眺めている炎を背中から抱き締め、海は耳元に囁いた。 「あの街を、この世界を守ったのはお前だ……」 「実感ねえなあ。俺はただ、自分の心を絶対明け渡さないって思ってただけだし」 こつんと窓に額を当て、炎は目を閉じる。海は炎の身体を反転させると、頬に口付けた。 「普通の弱い人間にはできない。お前だから、きっと跳ね除けられたんだ」 「………勇者…か…」 「そう、お前は勇者だ……エン…」 熱く囁いて海は炎の唇に口付けた。次第に深くなっていく口付けに、炎の身体から力が抜けていく。がくりと膝から崩れ落ちようとした炎を抱え上げ、海はベッドに運んでいった。 「ちょっ…待て」 再びのし掛かり口付けようとする海の顔を押し戻し、炎は荒くなった息を押さえて言った。 「腹減ってんだけど…飯喰わせて」 一瞬むっとした海だったが、自分も朝から何も食べていないことに気付き、不承不承起きあがってルームサービスを頼むべく電話を取った。炎は微かに息を吐き、どきどきする胸を押さえて海の方を見ないようにテレビを付けた。 テレビでは原因不明の爆発事故と火災のあったビルを報道している。あれはさっきのビルだろうが休業日だったために誰も怪我人は出なかったと報じているのを見て、炎は愁眉を開いた。 マドーやヒドーも助かったというのだろうか。またいつか、自分を狙ってやってくるだろうか。 「大丈夫だ。もう二度とお前を渡さない」 「ああ……」 肩に手を置かれ、海の力強い言葉に炎は頷いた。また現れたとしても、またやっつければいい。自分の心も身体も自分の意志以外で誰に渡すものか。 「食事が来たぞ。食べよう」 「おおっ!」 ワゴンに乗せられた沢山の食べ物に、炎の目が輝く。何せほぼ丸二日食べていないのだから。勢い込んで喉に詰まらせそうになる炎の背中を叩きながら、海も食べていく。デザートを食べコーヒーを飲み、漸く人心地の着いた二人はぼんやりと付けっぱなしのテレビを見ていた。 「風呂に湯が溜まったから、入っていいぞ」 「あ…うん…じゃ、お先」 大きくて綺麗なバスルームに入ると、炎は海の家の風呂に入ったときのことを思い出して苦笑した。ほんの二日前のことなのに随分前のような気がする。あの時初めてキスをして、今日はもしかしてもしかすると、と考えて炎は真っ赤になってしまった。 逆上せそうになりながら炎はバスルームから出ると、用意されていたホテルのパジャマに着替えた。テレビは消えていて海はソファの上に正座している。そういや自分の家でもそうだったなと、これが癖なのかと炎は思わず吹き出していた。 「何だ?」 「いや…上がったから、入れば」 「うむ…」 くすくすと笑う炎に訝しげな視線を向け、海はバスルームに入っていく。炎は笑ったことで緊張が解れ、ベッドにごろりと横になった。 「なるようになるって…か…」 自分は海が好きだとはっきり認識してしまった今、じたばたしても仕方がない。なるようになる、と心を決めた炎はお腹が一杯になったのと、暖まったせいか開けようと努力していた目を閉じて眠り込んでしまった。 「エン…?……寝てしまったのか…」 バスルームから出てきた海は、ベッドの上ですやすやと寝息を立てている炎を見て溜息を付いた。隣に腰を下ろし、そっとその頭を撫でる。ちょっと癖のある髪の感触を楽しむように撫でていた海は、炎の寝顔に顔を寄せ柔らかな頬に口付けた。 「…愛している……」 「俺も、好きだぜ…」 「え、エン。起きていたのか……」 すっと炎の腕が伸び、海の首に巻き付いた。ぐっと引き寄せると、炎は自分から海に触れるだけのキスを贈った。 起きる気配のない二人のベッドサイドに置かれた勇者の証が、朝日を受けて鈍い輝きを見せている。 まるでそれは雷の微笑みのように二人の上に注がれていた。 |