Someday 3


 そう、今の自分たちは誰よりも人目に付いているようだ。隣を歩いているのはここらで知らぬ者は居ない、天下の山海高校風紀委員長だし、隣のバイクを転がしているのも、知らぬ者は居ない、柔道大会優勝数知れず、の猛者でナンパ摩だし、間に挟まれている自分はどう見られているのだろうと、炎は溜息を付いた。
「あれ、珍しいですね、こんな朝早く三人で登校なんて」
 校門のところでばったり翼と会い、不思議そうに見られて炎は苦笑した。いつもより三十分は早く着いてしまったのだ。
「髪が濡れてますよ、カイ」
「えっ?あ、ああ、そうだな…」
 あの後冷たいシャワーを頭から浴びてどうにか身体の火照りを収めたものの、いつまた復帰するかも判らない。何故身体が反応するのか、しかも炎に、と海は悩みながらずっと浴びていたのだ。
「俺んちで朝シャワー浴びたからな。髪乾かす暇もなく出てきたから」
「へええ…炎のうちで朝シャワーですか」
 含みのある言い方に、海はぎくりとして翼を見る。無邪気な何も判らないという表情で笑い掛け、翼は科学準備室に用事があるからと走っていってしまった。
「そんじゃ、エン、また帰りな」
「もういいって。一人で帰れるよ」
 自転車置き場にそれぞれ置いて、教室へ向かい別れる。森の言葉に炎は首を振って断った。だが、いきなりがばっと抱きつかれて炎は驚いて目を白黒させてしまう。
「お兄ちやんは悲しいぞっ!そんな冷たいことを言うなんて」
「ちょ、ちょっとシン…」
「シン、エンから離れろ!公道で何をしているっ」
 ぐりぐりと頭を擦り付けてくるシンを何とか退かそうと手を掛けて力を込めても、びくともしない。さすが、柔道部、人の動きを封じるのは得意らしい。
 だが、海に竹刀で思い切り頭を叩かれ、森は仰け反って炎から離れた。
「いってえなあ…、兄弟のスキンシップ邪魔しないでくれる」
「貴様のは下心が見え見えなのだ!スキンシップなどと言って」
「ほおお〜、下心ってなんでしょうねえ、エンは男の子なのに。そういう下心が判るってのは、凄いやねえ、委員長」
 ぐっと言葉を詰まらせて海は森のにやにや笑いを見返した。炎の不思議そうな表情に、かーっと顔が熱くなり、赤くなっていくのが判る。
「わ、私は、下心などではなく……エンが…好きだから…」
 はっと気付いて口を押さえたが、遅かった。驚いて目を見開く炎を見て、海はごくりと唾を飲み込み強く拳を握りしめる。
「私は、エンが好きだ。もう判らないなどとごまかすつもりはない。だから、私がエンを守る」
 きっぱりと言って真剣な目で見つめる海を、炎は呆然と見返した。嫌われていると思いこそすれ、まさか好きだなどと言われるとは思ってもみなかったのだ。
「ムードも何もないなあ、こんなとこで告白なんて。まあ、しようがないか。取り敢えず、始業ベルが鳴りそうだから、放課後までじっくり考えてみろや、エン」
 黙ったまま見つめ合っている二人に水を差すように森は炎の肩を叩き、校舎に入るよう促した。炎が姿を消すと、詰めていた息を大きく吐き出し、海はがっくりと頭を項垂れさせる。
「……私は…」
「よく言えました…とはあんまり誉められないな。まあ、これからぼちぼち判ってけばいいか、俺たちも遅刻しないうちに教室に入ろうぜ」
「ああ」
 確かに、こんなその場の勢いで告白するなど嘗められたものではない。だが、海は自分の中に熱い想いがより強くはっきりと存在しているのが理解できたのだ。今までぐるぐると渦巻いていたものの正体がはっきりと掴め、それだけでも進歩はある。
 教室に入る頃には海は頭を持ち上げ、すっきりとした表情で歩き出し、森はそれを見て苦笑を浮かべた。
「どうか、したんですか?」
「へ?いや、別に」
 ぼーっと席に座っている炎に顔を寄せ、雷は心配そうに訊いた。
「変ですよ…顔が」
「変で悪かったなあ」
 雷の言葉にむっとして炎は睨み付けた。こんなキレイに顔の整った奴にそんなことを言われたくはない。
「あ、違いました。顔が赤いって言おうと、エンの顔はちっとも変じゃないです。凄く可愛くて綺麗です」
 にっこり微笑んで言う雷に、炎は呆れたような視線を向けた。本気で言っているのか、冗談なのか、今いちこいつの言葉は解らない。
「あそ、ありがとよ」
 がっくりとして炎は再び黒板を見つめる。だが、その目は黒板を見てない。さっきの海の顔が目に焼き付いて離れないのだ。
 そんな炎の横顔をじっと見つめながら、雷は僅かに目を眇めた。
 昼休み、学食に行けは海に会うかもしれないと炎はそれを避けて購買でパンを買い裏山へ向かった。いつもの場所で袋を開けると、小さな鳥や獣たちが寄ってくる。竜と一緒の時でなければ、寄ってこないと思っていたのに、そんなに餓えてるのか?と訝しみながら炎はパンくずを投げてやった。
「どーしよーかな…」
 パンを食べ終わり、ごろりと横になった炎は、さっきの海の告白を思い出して溜息を付いた。好きだと初めて言われて頭が真っ白になり、森に肩を叩かれなければそのままずっとああしていただろう。可愛い女の子の告白ならともかく、あの、風紀委員長が何故自分を好きだなどと言ったのだろうか。冗談など言うタイプじやないことは解っているから、本気なのだろうけど…。
 森は放課後まで考えてみろと言ったけれど、何を考えろというのか。好きという言葉を受け入れるのは簡単だけど、それだけで済まない気もする。
 自分は海が好きだろうか、口煩くて、何かと構ってくる、でもあの時、自分のことより炎のことを心配して奴らに銃を突きつけられても怯まなかった。
 好きじゃなければ、突っぱねればいい。そしたら、海は自分を構わなくなり、煩い小言も言われなくなる。けれど、それは嫌いじやないからややこしい。父親が死んで、母親が働いていて一人で居ることが多かった炎は、あんな風に構われるのが煩わしいけれどちょっとだけ嬉しくもあったのだ。
 森は兄貴ぶって色々言うけれど、あんな風に構ってくることはない。マイペースで口出しもあまりしてはこない。
「俺、結構カイのこと…好きだったりするのか……」
「カイが好きなのか?」
 ぽつりと言った独り言を返されて、炎ははっと目を開き、起きあがった。
「リュウ…」
 すました顔でリュウは指先に小鳥を止まらせ、炎を見下ろしていた。
 黙りこんで膝を抱えてしまった炎の隣に竜も腰を下ろす。手に止まっていた鳥は空に飛び立ち、一陣の風が二人の脇を通り過ぎていった。ぴくりと、竜は後ろを振り向く。
「あれえ、こんなとこに居たんですか?」
「ライ?」
 いつの間に来たのか、雪がひょっこりと顔を覗かせた。
「何だ?何か用か?」
「ええ、午後の授業、二つとも自習になったそうです。昼休みが終わって慌てて戻ることもないって言おうと思って」
 にこにこと笑顔で告げる雷に、炎はほんとか、と叫んで立ち上がった。
「ラッキー。じゃ帰るか」
「カイ先輩と一緒に帰るの約束してるんじゃないんですか」
 雷がそう言うと、上機嫌で居た炎は驚いたように見返した。
「何でカイとのこと知ってるんだ?」
「えっ、ぼ、僕何か変なこと言いました?それじゃ、僕も帰ろうかな…あはははは…」
 笑って雷は手を振り、校舎の方へ去っていく。眉を顰め、首を傾げていた炎は、ふと隣にいた竜の姿が見えないことに気付き、ぽりぽりと頬を掻いた。
「何なんだ? ま、いいか、帰ろ」
 教室に戻ると、自習をしようという根性のある学生ははとんど居ず、みんな帰り支度を始めている。雷の姿ももう見えなかった。
 炎は鞄を持つと、自転車置き場へ向かった。一瞬海や森に言ってからの方がいいかと思ったが、それでは本当に守られてる女の子扱いみたいで癪に障る。
 それでも、本当ならこんな時の暇つぶしにはゲーセンが一番なのだが、それはパスして家に戻るかと自転車に跨り走り始めた。
「あれ、エンのクラスは自習なんですね」
 窓際に席を取っていた翼は、ちらりと外を見ると呟いた。それを耳ざとく聞いた海と森は実に小声で訊ねる。
「何故、そう判る」
「さっき自転車でエンが出ていきましたから。エスケープでもないようなのは、他の子たちもぞろぞろ出ていくからですよ。二時間も自習になるなんて、珍しい……カイ?」
 がたん、と席を立った海に、クラス全体と先生が注目する。一瞬間をおき、海は教科書類を鞄に仕舞うと、ぺこりと一礼した。
「広瀬海、所用により早退します!」
「あ、俺も、早退します」
 つかつかと誰にも止められない雰囲気で海が出ていくと、手を挙げて森も立ち上がり、その後に続いていく。二人の姿が消え、教室には沈黙が漂った。森はともかく、あの広瀬が早退するとは、よほどのことに違いない。
「二人とも、エンのことになると理性がなくなるようですね」
 くすりと面白そうに笑い、実は頬杖を付いて事の成り行きを想像した。

 がたんと揺れる振動に炎はぼんやりと目を開いた。
「つっ……ここ…」
 ずきんと後頭部に痛みが走る。自転車で家に戻る途中、人通りの少ない路地に差し掛かったとき、何かが当たったのだ。二度目を避けようとして電柱にぶつかり、放り出された所までは覚えているが、後の記憶はない。
「暴れても無駄ですよ、おとなしくしていてくださいね」
 聞き覚えのある声が隣から聞こえ、炎はぎょっとして振り向いた。すぐ近くにあの男が座り、笑みを浮かべて見ている。
 後ずさろうとして炎は、後ろ手に縛られていることに気付き、唇を噛み締め男を睨み付けた。
「これをはずせ!」
「そうはいきません、暴れられたら困りますからね。あなたは大事な勇者さまだ、丁重に我らの元へお迎えしたいのですよ」
「けっ、何が丁重にだ。こんなことしやがって、てめーらただじゃおかないぞ」
 そう言うと炎は、縛られているのをものともせずに、男に体当たりをし、運転席の方に身体を乗り込ませた。
「くっ…なんて奴だっ…」
「止めろ!こらっ、止めろってんだ」
 運転している男の肩に噛みつき、押さえようとする後ろの男を足で蹴り飛ばす。腕だけが自由にならないからといって他の部分を野放しにしていたのは、ラッキーだと炎は力一杯暴れた。
「う、うわっ」
 急ブレーキを掛けて車は止まった。足蹴にされた男はいつものにやにや笑いを引っ込め、怒りの表情で炎の後頭部を掴み、後ろに引き戻す。
「おとなしくしろ、ぶっ殺すぞ」
「へっ、やっと本音が出たな、殺せるもんなら殺しやがれっ」
 頭を捕まれ、その痛みに顔をしかめながらも炎は不敵に挑発する。男はかっとして炎を殴りつけた。音がするはど炎は車の壁に頭をぶつけ、意識が遠くなる。
「車を出せ」
 大きく息を荒がせ、男は命じた。車は走り出し、後ろの男は炎の足も縛ろうとロープを取り出す。その時、何かがぶつかるような音がして、車が僅かに揺らめいた。
「な、何だ?」
「エン!今助けますっ、こっちを見て!」
 はっとして炎は窓の外を見た。サイドカーに乗った雷が腕を伸ばし、車の扉に手を掛けている。まさか、扉を開けようというつもりじゃ、と炎は身を離した。
「なっ、何っ」
 普通の力でロックされた扉が開くわけは無い。まして、向こうは片手、両方とも時速八十キロは出ているのである。だが男が呆然とする中、めりめりと音を立てて扉は外れてしまった。
「サポートします。飛び移ってください」
 走っている車からサイドカーへ飛び乗れだと?と目を剥くが、このままこうしている訳にもいかず、炎は思い切って外に飛び出した。
 ふわりと雷の腕が炎を抱き留め、そのままサイドカー部分にゆっくり下ろされる。まるで力の籠もってない腕だったが、空気に抱かれるように炎は座席に収まった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。今の、お前…?」
「取り敢えず、今は逃げます」
 炎の無事を確認すると、雷は僅かにブレーキをかけ、ぐるりとサイドカーを回し車から離れた。車はいきなり開けられた扉と炎が脱出したときの反動でバランスを崩し、ガードレールに激突する。それを後ろに見ながら炎は、ほっと息を吐いて改めて雷を見上げた。
「お前、どうしてあんなとこに?」
「いつもあなたを見てますよ、僕は」
 にっこり笑い掛け、雷はそのまま炎を家まで連れていった。サイドカーを止め、漸く炎の腕を拘束していたロープを解くと、雷はそのまま去ろうとした。
「待てよ、ライ。どういうことか説明しろ」
「あなたを、勇者を守るのが僕の使命だから。気にしないでください」
 じゃ、と言ってエンジンをかけ直す雷をポカンと見ていた炎は、逃がすかとサイドカーの部分へ飛び乗った。
「ライ!何でそれ知ってるんだっ」
「困ったなあ。ホントは内緒なんですよ」
 本当に困ったように頭を掻き、ごまかすような笑みを浮かべる雷の胸ぐらを掴んで炎は睨み付ける。その時、何かが飛んできて、炎は手を離しそれを受け止めた。
「投げ文なんて、ずいぶん昔風ですねえ」
「変なこと知ってるな」
「時代劇好きなんですよ」
 あはは、と脳天気に笑う雷を放り出し、炎は小石に結わえ付けられた紙を解いて見た。
「カイとシンが、捕まった。畜生っ、だから嫌だったんだ!関わるなって」
「行く気……ですよね、もちろん。送って行きます」
 止めようとしても無駄だ、というようにじろりと睨み付ける炎に、苦笑して雷は乗るように言い、サイドカーをスタートさせた。
 学校を飛び出した森のバイクの後ろに海は無理矢理乗り…普段ならバイクの二人乗りなぞ絶対に許さないだろう…炎が帰った方向へ走らせた。
 途中、倒れている炎の自転車を見つけ、二人は青ざめた。辺りを見ても、何もない。取り敢えず家まで戻ってみるかと行ってみたが、やはり戻ってはいず、再び探しに出ようかという時に、電話が掛かってきた。
 もし炎を助けたいのなら、彼が持っている筈の『勇者の証』を持って北の岸壁まで来い、といってすぐに切れたそれに、二人は顔を見合わせ炎の部屋に入った。
「これか…」
 机の引き出しの奥から黒い箱を取り出した森は、その中身を見てこれだと直感した。
「昨日の奴らか。何故、エンを狙うのだ。勇者とは何だ?ゲームでもあるまいし」
「ほんとにな。ゲーム…ゲームでこんなもの使わねえよな」
 同じように引き出しからハンカチに包まれた銃を取り出し、森は厳しい表情で言った。確かに、と頷いて海も表情を引き締めた。
 それを持ち、ついでに銃も懐に忍ばせて北の海岸へ再び二人乗りのバイクで向かう。その間に、海は昨日の出来事を手短に森に話していた。
 そのすぐ後で炎たちが家に辿り着いたのである。二つのバイクの影が来たの海岸へ移動するのを、それが見渡せる山の上から見ながら、一人の若い男が酷薄な笑みを浮かべた。まるで、自分が操る筋書き通りにことが運んでいくのを楽しんでいるように、くくくと喉の奥で笑う。
「勇者だか何だかしらねーが、たかがガキ一人、ものにしちまえばいいことじやねえか、兄貴の奴何もたもたしてやがんのか」
 額に傷を持つその男は、手を掛けていた木の枝を握りしめ、力を込めた様子もないのにそれは簡単に折れてしまう。
 その音に驚いたのか、近くに居た鳥たちが一斉に飛び立った。
「……なんだ、てめーは」
 ふん、とその様子を見ていた男は、ふっと影のように木の下に庁んでいる竜を見て眉を潜めた。竜はじっと探るように男を見ている。
「見てんじゃねーよっ!お前、まさか、エンの仲間とかってんじゃないだろうな」
 炎という名前にぴくりと反応する竜に、男の表情が険しいものになる。男が折った枝を素早く投げつけた時には、竜は姿を消していた。
「ちっ…急いだ方がいいか」
 男は苦々しげに呟くと、スッと姿を消した。
 先に海岸に辿り着いた森と海は、バイクから降りると油断無く辺りを窺った。ここは、海辺の方が急な断崖になっていて、人の気配はない。
「おーい、持ってきたぞ!エンはどこだっ」
 森が大声で叫ぶと、どこからか姿を見せずに声だけが聞こえて二人に指示する。
「その岩の上にそれを置いて、離れろ」
「その前にエンを出せ。じゃなきやこれは渡せないね」
「くくく…お前たちに怪我させたくないって親切で言ってんのに、しょうがないな」
 どこに居たのか、さっき山の上から見下ろしていた男が口端をゆがめるような笑いを浮かべて姿を現した。さっと緊張して身構える二人に、余裕で男は近付いてくる。
「おっと、それ以上近寄るな!エンはどこだ」
「もうすぐ来るだろうぜ。お前たちを心配してな」
「なんだって」
 唖然とする森の手から、勇者の証が入った小箱がふわりと浮かび、男の手の中に滑り込んだ。驚いて見る二人に、男は片手を向け得体の知れない気を放つ。
「ぐっ…」
「うあ」
 まるで感電したような痛みに、二人は膝を突いた。
「おとなしくそこに寝てろ、もうそのうち来るだろうさ」
 地面を掻きむしり、草を握りしめて二人は痛みと悔しさに呻いた。バイクの音が遠くから微かに聞こえてくる。それに気を取られた男が視線を外し道路の方を見たとき、海は気力を振り絞って立ち上がると、竹刀で打ち掛かっていった。
「何っ」
 不意を突かれた男の手から小箱が放り出される。それをやはり立ち上がった森がキャッチして、走り始めた。
「くそっ」
 後を追おうとする男の前に海が立ちふさがり、息を荒がせながら一歩も引かぬ形相で竹刀を向ける。男は舌打ちをすると、再び片手を上げて海に向けた。
「カイーっ!」
「エン!」
 どちらも引かぬ状態で対峙している時、雷のサイドカーが二人の間に割って入った。放たれた電撃を雷は両手で受け止めると、海と炎に逃げるよう怒鳴った。
「早くっ、ここは僕が押さえます」
「てめえ…ガーディアンかっ」
「ヒドーだな。ここは通さない」
 いつものぼや〜という様子は微塵も感じさせぬ厳しい表情で雷はヒドーに対峙した。そんな雷の様子を驚いて見ていた炎は、腕を捕まれサイドカーに乗せられた。
「ちょっ、カイ、運転できんのか?」
「やったことはないが、さっきシンの運転を見た」
 それで運転しようって、無茶じゃないか?と冷や汗を流した炎は、後に残った雷を心配して振り返った。
「ライを置いてくつもりかよっ、戻れ、カイ」
「しかし…」
 確かに雷を置いたまま逃げるのは酷いことだが、それより炎の安全を優先したいと思うのも心情的に無理ないではないかと海は思った。
「戻さないなら飛び降りるぞ」
 炎の叫びに海はサイドカーを反転させた。勝手が解らず止まったかと思うと急に動いて、雷とヒドーの方に突っ込んでいく。
「うわあっ」
 ヒドーを弾き飛ばし、サイドカーはそのまま崖の方へ走り続けた。止め方が解らず、海はままよと炎の身体を引っ掴んでサイドカーから飛び降りた。
「く、くっそおおっ!」
 怒り心頭に発したヒドーは全身から電撃を放ち、辺りの木々や草を燃やしていく。電撃に弾かれ、崖から転げ落ちた雷は、途中の岩にしがみつき、落ちていった海と炎が無事に海上に顔を出すのを見るとほっとしたように微笑んで手を離した。
「どこだあっ!出てきやがれっ」
 ヒドーは岸壁から身を乗り出し、波間に向かって電撃を放つ。それを避けるために一旦顔を出した海と炎は深く潜って見つからない岸辺まで泳ぐことにした。
「はあ…はあ……だ、大丈夫か?カイ」
「ああ、怪我は無いか」
 漸く別の岩場まで泳ぎ着いた二人は、炎で赤く染まったさっきの岸壁を見ながら大きく息を吐いた。あれは、ただの人間では無い。あんな力を持っているとは、どうなっているのだろう。
「ライも……あの力…」
 ヒドーと互角に戦っていた雷の姿を思いだし、炎は今まで見知っていると思っていた同級生の別の一面に吐息を付いた。
「もう大丈夫のようだな。消防車が出てきた。人目に付くような真似はすまい」
 サイレンの音が遠くから聞こえてくる。いつしか、夕日が火より赤く岸壁を照らし出していた。
「ここからなら、私の家の方が近い。このままでは風邪を引いてしまいそうだ、家に行こう」
 海の言葉に炎は頷いて立ち上がった。同じように海に飛び込んだ雷のことや、小箱を持って逃げた森のことも気になるが、へたに連絡を取れば再びあいつが来るかもしれない。
 びしょ濡れの二人だったが、夕闇がその不審さを隠してくれた。海の家に辿り着き、玄関先で軽く拭くと、そのまま風呂場に通される。自分たちの家とは違って和風のどっしりとした家に、他の人の気配はしなかった。
「ここに着替えを置いておく」
 前回と反対の立場になった炎は、そのまま行こうとする海に声を掛けた。
「カイ、お前も一緒に入れよ、まだ着替えて無いんだろ、風邪引くぞ。お前んちの風呂場ってでかいから、一緒でも窮屈じゃなさそうだし」
 炎の言葉に海は絶句した。仮にも好きだと言っている者と一緒に風呂にはいると言っている意味が解っているのだろうか。いや、解っていないな、と海は大きく溜息を付いて肩を落とす。
「先に入れ。私はここで着替えるからいい」
「遠慮すんなよ、お前んちだろ、ほら」
「わっ、こら、エン!」
 ぱっぱっと自分の服を脱ぎ捨て、炎は海の服に手を掛けた。慌てて海は炎の腕を退け、くるりと背を向けた。
「判った。入るから、先に入れ」
「おう」
 良い子の返事をして入る炎に力を抜き、海は必死に平常心を取り戻そうと頭の中で数を数え続け、服を脱ぐと中に入っていく。
 大きな風呂桶はでっかい高校生男子が二人入っても僅かに余裕を残せるようだ。海はぎくしゃくしながらも備え付けのシャワーを捻り、海水を落とし始めた。
「家の人は居ないのか?」
「父母は旅行中だ。妹は友人の家に遊びに行っているんだろう」
「ふーん……シン、家に戻ったかな…」
 妹、と聞いて炎は呟いた。もしかしたら、必死にあの辺を探しているかもしれない。だが、連絡して、ここに自分が居ると森だけでなく奴らも知ったらどうなるか。それでなくとも、海には大迷惑を掛けているのだ。
「ライがあんな力を持ってるなんてな…」
「エン。話してもらえないか、何故お前が狙われているのか。あの小箱はなんなのか」
 シャワーで身を清めた海が湯船に入ってくると、一気に増えたお湯に炎は慌てて身体を伸ばし首を上げた。
「………」
「話せば迷惑を掛けるなどと思っているなら、もうとっくに関わっている。今更聞いていないと言っても、奴らは聞かないだろう」
 真剣な表情で訊いてくる海に、炎は大きく溜息を付いた。
「俺って勇者の血筋なんだと。いつか世界を救う勇者で、あれが勇者の証。だけど、今の世の中には勇者は飾りにしかならない。勇者を頭に据えて、世界を力の元に支配しようとする馬鹿なやつが居るらしくて、それがあいつら…」
 黙って聞いている海に苦笑を浮かべ、炎は肩を竦めた。
「信じらんないだろ?俺だって実際信じてなかったけど…いつかじいさんがそのために殺されたって知って半分は信じるようになった」
 炎が肩を竦めた拍子に、項を湯の滴がするりと落ちていく。それを見た海は、ぞくりと身体を駆け抜ける衝動を必死に押し殺した。理性を保つためにこんな湯船でその話をも持ち出したのだが、炎のほのかにピンク色に染まった肌や、ゆらゆらと揺れる湯の中の肢体に頭がくらくらしてくる。
「そうか、勇者か……信じられるような気がするな」
 にっこり笑って頷く海に、炎は漸く今の状況がマズイんじやないかと気付いて赤くなった。好きだと言われて、二人きりで風呂に入るなんて、OKと言っているようなもんではないか。
 ざばっと音を立てて炎は湯船から上がった。
「家に、戻らなきゃ」
「駄目だ!また奴らが来るかもしれない」
 ぽつりと呟く炎に、慌てて海も湯船から上がり引き留める。濡れた二の腕を掴み、その滑らかさに海は思わず引き寄せ抱きしめていた。
「か、カイ……」
「行かせない…エン」
 海は何か言おうとする炎の唇を自分のそれで塞ぎ、口付けた。


「そう…ヒドーが動き出したの…」
 海の家が見える路地にひっそり庁んでいた雷は、隣に立つ美女に小さく肯いた。
「ルナ先輩、僕はてっきり奴らは頭を据えようとしてるんだと思ってました…けど…もしかして、エンは…」
「どうかしら?まだ判らない。勇者を必要とする時なのかしら」
 ルナと呼ばれた美女は天を仰ぎ、ゆっくりとその場を離れていった。

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