Rouge Feu 3

 

 冷たい物が額に当たる感触に、大地はぼんやりと目を開いた。手を額に当てると濡れたタオルが乗っている。一体何がどうなったんだっけ、と暫く思い出すようにしていた大地は、次の瞬間全部思い出して起きあがろうとした。
「あっ、痛っ…」
「ああ、まだ駄目ですよ。寝ていなくては」
 肩に走った激痛に、身を縮めて痛みを堪えていた大地は、かけられた声の方を窺った。そこには自分と同じくらいの少年がにこにこ笑いながら水の入っている木の桶を持って立っていた。
「あ…俺は…」
「驚きました。いきなり空から降ってくるんですから。でも、大した怪我をして無くて良かったですね」
 見かけの割に、実に丁寧な言葉を発する少年に、大地はつられて笑みを返す。きょろきょろと周りを見回すと、どうやら小さい小屋の中のようで、自分は粗末なベッドに寝かされていた。それにしても、こんな小屋がαベースにあるんだろうかと、大地は首を捻った。
「ありがとう、怪我の手当してくれて。えっと、所でここはどこかな?」
「ラビルーナの第一階層、樹の界です」
「ラビルーナ? 樹の界? αじゃないのか」
「あるふぁ?…ああ、ここは上じゃありません。そうか、貴方は上から降りてこられたんですね」
 相変わらずにこにこしながら言う彼に、大地は困惑する。上とか降りてくるとかって、どういう意味だろう。
「申し遅れました。私はガスと言います。ちょっとした事情で上からここへ降りてきて、修行をしています」
「俺は遙 大地。αにはどうしたら行ける?」
「遙さん、お気の毒ですが、上に戻るにはレーベの道を通すことが必要です。今はそれは出来ません。邪動族によってことごとくレーベの道は破壊されました」
 大地は余計に訳がわからなくなってきた。これ以上にこにこ話を続けているガスを見ていると、もっと解らなくなりそうで、大地は起きあがり外に駆け出していく。
「あっ、駄目ですよ。お怪我に響きます」
 確かに痛みは酷かったが、それも外に出た途端忘れてしまった。
 月のベースには絶対にありえない森また森が広がっている。ずっと先には天馬で届くかというような巨大な樹が霞がかって見えてるし、鳥や獣の声があちこちから聞こえてくる。
「こ、これって、良くできたホログラム…だよな。はは、は…凄い」
 力無く笑った大地の頬に、風で散った葉っぱが触れながら落ちていく。木の香りも髪をなびかせる風も、まるで本物のようだ。
「ホログラムじゃねえよ。本物だ。ここはラビルーナだからな」
「ラビ?!」
「ラビくん」
 いつの間にか後ろで腕組みしていたラビがきっぱりと宣言した。
「魔動力が相乗効果になって、奴らが仕掛けた道に落ちちまった」
 苦々しく言ったラビは、ちらりと大地を見ると大きく溜息を付く。
「それで、もう一人の戦士は見つかったんですか?」
 ガスが訊ねると、ラビは更に大きく溜息を付いて両手を広げて見せた。
「なーんにも、こんな役にもたたねえ奴を引っ張り込んだだけだ」
 ラビの言葉が自分を指していると理解した大地は、かちんときてじろりと睨み付けた。
「おい、ラビルーナってなんなんだよ。お前が仕組んだ事なのか? だったら直ぐにαに戻せ」
「そりゃあ、出来ないな」
「なんでっ」
「あれで道は吹っ飛ばされちまった。レーベの道もないし、奴らは俺を追って上に来た訳だから、もう道を造らないだろう。つまり、戻れないってことだ」
 しゃあしゃあと言ってのけるラビに、大地は飛びかかっていく。だが、痛みに足がもつれ、よろけてラビに倒れ込む形になってしまった。
「道を通るにはただでさえ体力気力がいるんだ。大地みたいに基礎体力が少ない奴は怪我もする。暫く大人しくしてろ」
 ひょいと横抱きに抱え上げられ、大地は驚いて赤面した。ラビは軽々と大地を小屋の中に運び入れると、ベッドの上に乱暴に放り投げた。
「いってーな、もう少し優しく出来ないのかよ」
「ヤローに優しくしてどうするんだ。ベッドに運ぶのは女の子に限る。まったく…」
 上には可愛い子が沢山居たのに、とぶつぶつ言いながらラビは外に出ていってしまう。後から着いてきたガスが、困ったような笑みを浮かべながら大地に近付くと、再びタオルを額の上に乗せた。
「ラビくんは悪気は無いんですよ」
 あったら殴ってやる、と思いつつ大地は溜息を付く。どうやらガスやラビが言ったことは本当らしい。ここがラビルーナという世界でレーベだか何だか道を通さなかったら戻れない、らしい。
「なあ…ここは一体なんなんだ? ラビルーナってなんなんだ」
「始めは私も信じられませんでした。ここは所謂パラレルワールドというものらしいです。月の内側にある別の世界。剣と魔法が実際にある場所です」
 月の内側…大地は首を振った。
「信じられないなあ」
「そのうち慣れますよ。遙さん」
「大地でいいよ。しっかし、慣れるってもなあ。講義が始まる前に戻りたいよ、ほんと」
 ふと、大地は以前ラビが言った『もう一つの宇宙』のことを思い出した。あれはここのことを言っていたのか。でも、随分苦いように言っていたけど。
「なあ、その邪動族ってのは、なんなんだ」
「ラビルーナは元々ナガミミ族の土地でした。けれど、どこからか邪動族と言われる人々がやってきてねナガミミ族を攻撃し始めたんです。ナガミミ族は光の魔動と呼ばれる力を持つ魔動戦士を呼びだして彼らと戦っています。
 でも、彼らの力は強大でナガミミ族は殆ど闇の魔法陣の力に支配されてしまい、今では魔動戦士となれる者も残っていません」
「はあ…」
 何だか物語の世界を聞いているようだ。大地はそれで、と続きを促した。
「そういう状態がここ十数年続いていましたが、ラビルーナの中心、聖地から逃れた大魔法使いが伝説の呪器を使える光の魔動戦士を捜し出したんです」
「まさか、それがラビってんじゃ」
 聞いてるうちにそんな気がして大地は訊ねた。ガスはにっこり笑って肯定する。
「ええ、おばばさまに見いだされて、始めのうちは嫌がっていたみたいなんてすけど、邪動族のシャマンが現れてからは、積極的にラビルーナを救おうと戦ってます」
 だとすると、所謂正義の戦士というやつなのだろうか、ラビは。それにしては随分口も柄も悪いけど。
「それで、その呪器を使える戦士は3人居る筈で、そのうち2人は上の人間だということです。私がその1人として、まだ良く魔動力を使えないのですが、ここに来ました。後もう1人を探すためにラビくんは彼らの道を利用して上に行っていたんです」
 それが、連れてきたのは魔動戦士とやらではなく自分だった訳だ。そりゃあがっかりもするだろうと大地は納得した。
「ふーん」
「3人が揃わなくても、私たちは精一杯戦うつもりです。ですが、彼らを倒さないことには大地くんを戻すことが…私もですが、出来ないのです」
 気の毒そうにガスはそう言って深々と頭を下げた。
「いいよ。ガスのせいじゃない。奴らをやっつけなきゃ戻れないってんなら、俺も手伝うよ」
「え、大地くんがですか?」
「魔動力とかなんとかがなくたって、メカさえ作れればあんな奴ら」
 大地は鼻息も荒く勇んで言った。当然賛成してくれると思ったガスは、黙ったまま考え込んでいる。
「駄目、かな」
「…私もここに来た当時は戸惑ったものですが、上での機械類というものは動かないのです。電気や融合炉もありません。人力で動かせるものなら出来ますけれど」
 電気がないと聞いて大地はびっくりした。それではまるで大昔の地球のようだ。それで人々はどうやって暮らしているのだろう。
「大地くんのお気持ちはありがたいのですが、どうぞおばば様やグリグリちゃんとここで待っていて下さい」
 ぺこっとお辞儀をしてガスは食事の支度をしてくると出ていってしまった。残された大地は深く溜息を付く。電気も科学もない場所では、自分は何の役にも立たない。せめて体力あってスポーツ万能だったりしたら、戦いだって負けないと思うのに。
「どうしたグリ? 元気ないグリ」
 いつの間に来たのか、5,6歳くらいの女の子がベッドの端に両手をかけて覗き込んでいた。大地はぎょっとしたが、直ぐに笑顔を作ると挨拶をした。
「こんにちは、君は誰?」
「グリグリだグリ。これ上げるグリ」
 にぱっと笑った少女の手には、1本のにんじんが握られていた。げっとなった大地は、焦ってそれを辞退した。
「あ、いや、俺にんじん嫌い、だから…あれ、君可愛いカチューシャ付けてるね」
 グリグリと名乗った少女の頭には白いウサギの耳が付いていた。だが、その耳は飾りにしては随分肉感があって、おまけにぴょこぴょこ動いて…
「これ耳だグリ。ほんとににんじんいらないグリか」
 耳、という単語に恐る恐る大地はそれに触れてみる。ぴくっと動いたそれは、暖かくほんとに耳のようだった。
「ま、まさか」
 思い切ってぎゅっとつかみ引っ張ってみる。ひょいとそれごとグリグリはベッドの上に乗っかってきてしまった。
「み、耳〜?!」
 ぎゃっと叫んで下がろうとするが、ベッドの上ではどうしようもない。何を騒いでいるんだろうというふうに、ぐりぐりはきょとんと大地を見つめていた。
「何を騒いでるんだい。グリグリ、病人の上に乗っかるんじゃないよ」
「どうかしましたか? 大地くん」
 ガスが食器を持って現れ、続いて可愛いおばあさんという感じの人がふわふわ歩いてくる。
ふわふわ…?
「わーっ、浮いてるっ。あっうさぎの耳っ」
 そのおばあさんの頭にも白くて長いうさぎ耳が動いていた。
「うさぎの耳? ああ、何だまだそこまで説明してなかったのかい、ガス」
 大地の驚きように眉を顰めて彼女はガスを見た。ガスは、はあ、と答えて頭を掻いた。
「あたしたちナガミミ族はこんな耳を持てるんだよ。それに、統治者達は殆ど魔動力を使う魔法使いなんだ。あたしV−メイ、もその一人だったんだけどね。奴らがこのラビルーナを破壊して支配し始めて…逃げてきたんだよ。ラビルーナを、ひいてはあんた達の世界を救うためにね」
「俺達の世界?」
 元々好奇心旺盛で順応力は人一倍の大地である。それがナガミミ族の特徴だと言われてしまえば、気味悪いことはない。あれで音を聞いているのか知りたいところではあるが。
「そう、このラビルーナと月、地球は表裏一体。もしここが滅びれば次には月が、地球が邪動族の目標となるよ。それをさせないために、呪器と魔動戦士を捜していたんだけどねえ」
 V−メイは大きく溜息を付いた。大地はしゅんとなってガスから受け取った器を見つめるまま口を付けられない。
「ああ、大丈夫だよ、別に気にしちゃいないさ。それに…あたしの勘だけどね。多分そうだよ。あの子は気付いちゃいないけどね」
 不思議な言い方をしてV−メイはにっこり笑った。
「そうですよ、大地くん。さあ食べて元気を出して下さい」
 ガスもにっこり笑って食事を勧める。大地はそれに救われるように微笑むと食事を採った。


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