Rouge Feu 2

 

 次の日は一日バイト探しに明け暮れた。流石にまだ十五ではあまり良いところは見つからない。でも、出来る限り学業に支障のない程度で稼がないと、地球の家族に迷惑がかかる。仕送りだってぎりぎりの線なのだ。好きな本や部品も買えないなんて辛すぎる。
 ということで、うっちこっちを探してみたが、機械いじりの好きな大地の趣味に合う仕事はなかなか無かった。
 この際、笑顔が売り物のファーストフード関係でもいいか、と投げやりになって歩いていた大地は、途中にある古びたボードの募集広告を見て、駄目で元々だと行くことにした。
 そこはαでも外れに近い場所にある旧式ビルの中のオフィスだった。恐る恐る入っていった大地は、中の雑然とした様子に、こりゃ駄目かもと思いつつ入っていく。
「あの、すみません。俺、募集を見て来たんですけど」
「えっ、ああ、エンダープログラムが出来る奴って書いてあったと思うんだが」
 中でもモニターに向かっていた一人が大地を見て驚いたように言う。大地は 頷いて、それは出来ると告げた。
「ほんとに出来るなら採用するけど…君まだ中等科じゃないの?」
「いえ、来月からカレッジに入ります。駄目ですか?」
 躊躇っている様子のその人の所まで行き、モニターを覗き込むと大地は、ひょいと指を伸ばして次に打ち込む予定だろうコードをさっさと打ち込んでしまった。
「うーん…採用しよう。人手が足りなくて困ってたんだ。うちみたいな弱小にはなかなか来なくてねえ。えっと、名前は?」
「遙 大地です」
 にっこり笑って挨拶し、採用が決まった大地は色々説明を受け、給料の話をしてからすぐに働くことになった。
「すいませーん、遅れて…」
 説明を受けていた大地は、飛び込んできた知っている顔に絶句して見てしまった。その相手でもあるラビも目を見開いて大地を見ていたが、直ぐに表情をきつくする。
「お前…なんで」
「おや、知り合いか? 今度からここでバイトをしてくれることになったんだ」
 ふーん、と見下すラビに、大地は一瞬ここを辞めてしまおうかと思った。けれど、これ以上条件の良いバイトは無いかもしれない。この仕事は自宅にパソコンがあればそこでも出来る物だ。顔を見合わせなくてもなんとかなるだろう。
「まあ、足をひっぱんなよ」
 鼻先で笑ってラビは自分のモニターの前に座る。何故そこまで言われなければならないのか、大地は怒る前に疑問と不思議な感情を覚えぼーっとしていたが、視線を感じて振り返った。
 ラビの碧の瞳が見つめている。その瞳にふと、苛立ちや焦燥を感じて大地は驚いて見つめ返した。
 だが、それも一瞬のことで、ラビはすぐに目を逸らしてしまう。大地もそれ以上追求するのは憚られて、仕事に向かっていった。

「なんで着いて来るんだよ」
「方向が同じだからな、嫌なら住処を替えろ」
 気まずい時間が過ぎ、帰ろうという時になって同じ方向にラビが着いてくる。同じ方と聞いてげんなりしつつ、大地は殊更に無視して歩道を早歩きで歩いていた。
 だが、ラビの方も負けまいとでもいうように、大地を追い抜いていく。かちんときた大地は、ますます速度を速め、追い抜き返した。
 そんなことをやっている間に、いつの間にか駆けっこの競争になってしまい、アパートの前も通り過ぎる。いつしか、二人は町外れの人気のない場所へたどり着いていた。
 それにふと気付いて大地は足を止め、ここはどこだと辺りを見回した。まだ建設途中の建物が放置されている。ドームの中にしては珍しく、月の地表がほんの僅かに覗いていた。
「へえ、ベースの中でも地面が剥き出しになっているところがあるなんて」
「そこに近付くな!」
 いきなり襟首を掴まれ、引き戻される。大地はびっくりしてラビの手を振り払った。
「なんだよっ、地表が出てるからってこんな僅かじゃ空気だって逃げやしないぜ」
 むっとして言う大地に、無言のまま緊張感を纏ってラビは別の場所を睨んでいる。何を見ているんだと、視線を巡らそうとした大地は、再び襟首を掴まれ、建築資材の後ろに放り投げられた。
 あまりのことに怒るのも忘れて、呆然と倒れ込んでいた大地は、資材の向こうで大勢の人の気配が動いていることに気付き、そっとそこから窺った。
 さっきまで人っ子一人居なかったのに、三人の男がラビに対峙している。それぞれ長い剣のような物を持っている所を見ると、穏やかな状況ではないらしい。
「あれ…本物…かな」
 疑問を呟いた途端、男の一人がラビに向かって突き進み、持っていた剣は空気を切り裂いた。
 鋭い音にしっかりあれは本物なのだということを理解して、大地は青ざめる。どういう訳があるのか知らないが、相手三人に対してラビは素手である。かないっこない。
 だが、ラビは緊張してはいるものの、全く怯えも見せずに飛びかかってくる相手をひょいひょいと避け、一人の男の腕を掴むと、勢い良く自分の膝にうち下ろした。
 ぼきっという音と共に絶叫が響く。男は剣を取り落とし、多分折れたであろう腕を押さえて転げ回っている。残りの男達は、一瞬怯んだようだったが、ますます攻撃を激しくさせていった。
 ラビがその男達を相手にしている間、腕を折られた男は剣を再び左手に持ち替えて、脂汗を浮かべながらそっと後方から近付いていく。
 それに気付かないラビに大地ははらはらしてたが、男が剣を振り上げた時、近くにあった鉄の棒でもってその男を殴り倒していた。
「危ない!」
「おっ…?!」
 伸びている男と大地を交互に見つめ、驚いたように口を開きかけたラビに、残りの男達が飛びかかってくる。ラビは咄嗟に落ちていた剣を拾い上げると、二人を打ち払った。
 男達は悲鳴を上げ、かき消すようにいなくなった。びっくりして大地が足下を見ると、伸びていた筈の男も煙のように消えている。
「大丈夫か?」
「あ、ああ…今のは何だったんだ」
「お前には関係ない」
「そんな言い方無いだろ。お前もう少しで殺される所だったんだぞ」
「んな、へまするか」
 可愛くない、と大地が思いつつふと見ると、ラビの左腕から血が流れている。さっきので怪我をしたらしい。僅かに躊躇した大地だったが、ラビの腕を取ると歩き始めた。
「な、なんだよ」
「手当しないと。黴菌が入ったら危ないだろ」
「そんな必要…」
「俺のアパート直ぐ近くだから」
 有無を言わせぬ口調で歩いていく大地に引っ張られるようにして着いてきたラビは、軽く溜息を付いた。
 アパートに着くと、大地は手慣れた様子で怪我の治療をしていく。手当された腕をラビがぼーっと見ている間に、大地はお茶を入れて持ってきた。
「…もう聞かないのか」
「何が? 知りたいって言ったら教えてくれるのか」
「いや、…お前治療手慣れてるな」
「弟の世話をさんざんやったから」
 お茶を飲んで一息ついた大地はにっこり笑って答えた。途端にラビは視線を外して考え込む。
「お前…」
「お前じゃなくて、遙 大地。はるか、でも、だいち、でもどっちでもいいけど、坊やとお前だけはやめろよ」
「ああ…大地…」
 名前を呼んだ後が続かない。一体何を考えているのだろうと、大地はラビを覗き込むように顔を寄せた。
「帰る!」
 大地の瞳と視線が合ったラビは、いきなり立ち上がって宣言した。止める暇もなく、出ていってしまったラビを呆然と見送り、口も付けられずに冷めてしまったお茶を眺める。
 なんだか無性に腹が立って、大地はキッチンにそれを持っていき、中身をシンクにぶちまけた

 次の日、バイト先にラビは来ていなかった。聞けばあれきり辞めると言ってきたという。それは自分がこのバイトに付いたせいなのか、それともあの訳の分からない奴らのせいなのか、どっちにしても、もうラビのことで考えるのは止めた、と思いつついつしか思考はきつい碧の瞳に戻ってしまう。
 大地はバイトを終えると、昨日の現場へ行ってみた。こうしてみると何の変哲もない工事現場である。あの小さな表面もよく見ればほんとの月の地表ではなく、単に外から砂を運んできただけの物だ。
「なんだったんだろう」
 ぽつりと呟いた大地は、指先でそれに触れてみた。軽いさらさらとした感触が指先を嬲っていく。考えるでもなく指先を彷徨わせていた大地は、はっと指先が描きだした不思議な丸い円形模様を見てびっくりする。
 趣味と実益で機械系統の図面は沢山描いたけど、こんな円形模様は初めて見た。初めて見た物をどうして描けたのか。
 丸い二重の縁のドーナッツ部分には大地の知らない文字が記されている。内側の縁の中には星が描かれ、さらに星の中にも文字らしきものが描かれている。
 無意識のうちにこんなに詳しい模様が描けるだろうか。でも本当に初めて見たのだ。
「ジャハ・ラ・ド・クシード…」
 突然低い声が聞こえ、大地は慌てて立ち上がり辺りを見回した。だが、姿は見えない。
「暗黒の空間よりいずる邪の気よ、我に従い我の力となれ」
「だ、誰だ?!」
 禍々しい気配を下から感じ、大地は飛び退いた。さっき描いた模様から赤い光が放たれ、模様が変化していく。すっかり変わったと思ったら、それは三倍ほどの大きさに広がり、中央から冷たい容貌を持った男が浮き上がってきた。
「不完全ながらも光の魔法陣を描く者よ。今の内に始末してやろう」
 口端を上げ、冷酷に言って男は大地の方にゆっくりと歩いてくる。訳が分からないなりに、大地は危険を察して逃げようと足を動かそうとした。
 だが、呪縛にかかったように一歩も動けない。近付いてきた男は、大地の首に両手をかけようとする。大地はその男を睨み付け、なんとかして逃げなければと唇を噛み締めた。
『せめて…助けを呼べれば』
「無駄だ。たとえ大声を上げたとしても結界を張ってある。他の人間に気付かれることはない」
 酷薄な笑みを浮かべ近付いてくる男の手が首に触れた瞬間、まるで火傷でもしたように男は手を引っ込めた。実際男の手は赤くなっている。今までは半ば揶揄うように対していた男の瞳が残忍に光り出す。
「どうやらのんびりしてられないようだな」
 スッと差し出した手には、抜き身の剣が握られていた。黒っぽく光るそれに、大地はもう駄目かと観念する。だが、それは何かに弾かれ男の手を離れて落ちた。
「誰だっ!」
「シャマンっ、相手が違うだろーが。そんな子供相手に暗黒剣とは穏やかじゃねえな。俺様が相手になってやるぜ」
 大地の前に立ったのは、ラビだった。手には一本の棒を持っている。よく見るとその両端に槍の穂先のような物が付いていた。それを目前に翳し、ラビはシャマンと呼んだ男を睨み付けている。
「水の魔動戦士か…良かろう、お前を倒してからゆっくりとそいつを殺してやる」
 シャマンが手を伸ばすと、まるで生きている物のように剣は飛んで手の中に戻った。目に見えない殺気だった気配が二人を包み、大地は目を見張る。
「下がってろ! こいつを倒すかどうかしなけりゃ結界は解けない。巻き込まれるぞ」
 鋭くラビが言った言葉に、大地は素直に頷いて行ける場所まで離れた。この場合、自分には何もできないことが解っていたからだ。だけど、こんな命がけの戦いを間近でやられても、大地にはまだ実感が湧かない。これは夢なんじゃないだろうかと思ってしまう。この最先端の科学ベースである月で、剣で戦うなんておかしすぎる。
「くっ…」
 ラビの動きが鈍くなってくる。昨日の怪我のせいか腕が痛むようだった。それを見逃す相手ではなく、じりじりとラビは追いつめられていく。大地は自分に何か出来ることは無いだろうかと、辺りを見回しここで使われているらしい建築機械を見つけ駆け出した。
 飛び乗って動くかどうかアクセスしてみる。この手の機械には慣れている大地は、ロックを素早く解除すると動かした。
「ラビーっ」
 呼ばれて振り向いたラビは、突進してくるメカにぎょっと驚き、飛び退いた。勝てると思って油断していたシャマンにそのまま大地は突っ込んでいく。
「何っ!」
 避ける暇もなくシャマンはメカの腕に叩き弾かれ、宙を飛んだ。
「お前…」
「ふん、俺だってやればこれくらい」
 びっくりして見ているラビににやりと笑って片目を瞑ってみせる。
「おのれ」
 地面に叩き付けられたシャマンは、頭から血を流しながら立ち上がり、剣を目の前に寄せてぶつぶつと何事かを唱え始めた。
「いけないっ」
 大地はラビの腕でメカから引きずり降ろされる。途端にメカは木っ端微塵になった。うひゃ〜と口を開けて見ていた大地とラビに、再び呪文が投げかけられる。ラビはそれに対抗するように自分も呪文を唱えた。
 二つの力がぶつかりあい、凄まじいエネルギーの場が発生する。大地はそれに吹き飛ばれ意識を失った。


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