Rouge Feu 1

 

 必要な物だけを入れたショルダーバッグを肩に担ぎ、今年の秋、晴れて中等科を卒業した遙 大地はステーションペースへ足を踏み入れた。
 本来ならもう2ヶ月程度は中等科の講義が残っているけれど、卒業試験を楽々通ってしまった大地はさっさと卒業免除を取り、かねてから憧れていたムーンベースのカレッジスクールに入学するためにやってきたのだ。
 勿論、地球上にも優れたカレッジはたくさんある。けれど、大地は小さい頃からいつか月で暮らすのだと思い続けてきた。両親を説得するためにつまらない勉強もしたし、有利な条件で月に来るために運動もこなした。
 そして今、まだカレッジの開校には期間があったけれど矢も楯もたまらず、さっさとシャトルに乗って来てしまったのだ。
「えっと…中央センター駅からリニアに乗って…ムーンαの駅で降りて」
 案内モニターを眺めつつ、行き先を確認する。チケットを改札に入れ、リニアカーゴに乗り込むと、それは僅かな人数だけを乗せて直ぐ出発した。
 月には中央センターとαからπまでのベースが点在しており、それぞれ地下通路をリニアカーゴが繋いでいる。月の地球より軽い重力による実験設備や、重量無干渉地帯へのシャトル基地など、それぞれベースによって役割が決められていたが、大地が向かっているαは一番最初に出来た民間人居住区であり、文教地区にもなっていた。
 大地はそこで降りると整備された住居表示を確認しながら歩いていく。中有道路の両脇にはそれぞれオートロード(いわゆる動く歩道の速い物)があり、真ん中はエアカーがそれほど速くない速度で走っている。
 だが、オートロードを利用する人も、車の影も少なく、人々は普通に歩ける歩道ばかりを利用しているようだった。
 程なく大地はこれから自分が住むアパートの名前を見つけ、ほっとして中へ入っていく。IDカードと指紋ろっくで施錠された玄関を開け、がらんとした室内に入り、大地はバッグを投げ出して床に寝転がった。
 「来たぞー!」
 思い切り声を上げる。重力も風景もほとんど地球と変わりないが、ここは月なのだ。ベースのドーム外は荒涼とした空気のない世界が広がり、そのまた外には広大な星々の世界が広がっている。
「よーっし、やるぞ」
 勢いを付けて起きあがり、拳を握り締めて決意を新たにする。大地の夢は月に来ることだけじゃなく、ここを起点にしていつかあの宇宙に飛び出していくことなのだ。
 部屋の整理は明日にして、今日はカレッジに見学に行ってみようと、大地は部屋の外に出ていった。

 ここから歩いて10分ほどの場所にカレッジはある。基本的に10歳以上から受け入れている総合大学ではあるが、やはり宇宙工学や物理学などが突出していた。
 大地は自分でも認める所のメカオタクで、自分の気に入るようになんでも改造してしまったりするほどだったりする。だからここでも主に理科系の講義を取るつもりでいた。
 ゲートを潜りカレッジの中にはいると、流石に若者の姿が多く目に付いてくる。案内モニターでゲスト講義を受けさせてくれる部屋を検索すると、その内の一つに大地は向かっていった。
 講義を聴き終え、中にあるカフェテラスでお茶を飲んでいた大地はいきなり聞こえてきた派手な声に、びっくりして顔をそっちに向けた。
 2人の女の子を両脇に従えた男が笑いながらこっちに向かってくる。きつめの碧の瞳にちょっとワイルドな金髪を背中に流したその男は、女の子に色々話しながら歩いていた。
 大地は僅かに顔を蹙め、手に持っていたカレッジのパンフに目を戻そうとした。けれど、どういう訳かその男から目が離せない。一度も会ったことは無いはずなのに、どこかで懐かしいような不思議なざわめきが沸き起こってくる。
 次第に近付いてきた彼と一瞬目があって、大地は慌てて漸く目を逸らした。
「随分お子様が入ってくるようになったな、ここも」
「いやだ、ラビったら、そんな言い方酷いわよ」
「環境が悪くなるからお子様には遠慮して欲しいってことさ」
大地の脇をすり抜けるとき、ラビと呼ばれた男が皮肉っぽく連れの女の子に言う。彼女の方は咎めるような言い方をしているが、目元に嘲笑とも取れる笑みを浮かべてちらりと大地を見た。
 しっかり自分に言っている言葉に、大地は微かに頬を引きつらせる。売られた喧嘩を買うには吝かではないが、まだ自分はここの学生ではないし、この程度の挑発で突っかかって行くほど子供でもない。
 これは無視するに限ると、大地はパンフを見始めた。
「案内してやろーか、坊や」
 とん、とテーブルに手を突かれ、大地は目を上げた。
 碧の瞳が大地を見据え、嘲るように輝いている。大地は一瞬驚いたが、しっかりとその目を睨み返した。
「いりません。それと、俺は坊やじゃありません」
 一応、年上だろうと礼儀を持って接するが、相手がそれに応えない場合は別だ。
「坊やじゃなきゃなんだって?」
 あくまで揶揄うような調子に、大地は思い切りかちんときてパンフをポケットにしまい込むと立ち上がった。
 「俺は遙 大地、来月からここの学生になる。あんたが何様だか知らないけど、喧嘩売ってんなら遠慮しとくよ」
 きっぱり言ってさっさと歩き始めた大地を、半分びっくりしたような面白がるような目でラビは追った。
「待てよ、悪かったな。俺はラビ、第2課の講義を取ってる」
 早足で歩いていく大地に追いついたラビは、にまっと笑うと自己紹介をした。大地はそれでも気に入らなくてむっすりとしたまま、それで?と続きを促すように黙っていた。
「ほんとに良かったら案内するぜ」
「…それじゃ、ホーマット博士に会いたいんだけど」
 月の大学で講義を受けたいと思ったのは、その博士が居るためもあったのだ。ラビは一瞬眉を顰めたが、わかったと頷いて歩き始める。
「ラビ、次の講義はどうするの」
「後でディスク見せてくれ」
 後ろから声を掛ける女の子にウインクを返して、ラビは大地を促した。
 さっきまで殆ど喧嘩を売ってるんじゃないかというような言動をしていたというのに、今横で歩いているラビはそんなこと微塵も感じさせないような顔をしている。
 一体なんだって自分をお子様だとか、いちゃもんつけたのだろうと大地は不思議に思った。
「ここだ」
 このカレッジの作りは地球のそれよりずっと懐古趣味で近代的なビル形式ではなく、蔦の絡まる煉瓦造りの校舎といったような建物が点在している。勿論最新式のデザインビルもあったが、今入ってきたのはそん昔風の建物だった。
「じーさん、邪魔するぜ」
 ノックもしないで(この建物は信じられないことに、オートドアではないのだ。当然鍵も旧式の物だったりする)ドアを開けたラビは、中から飛んできたスリッパをひょいと避け、大地を中に招き入れた。
「こりゃ、じーさんと気安く呼ぶな。これでもわしはこの大学で一番の教授じゃぞ」
「一番古いだろ、それより会いたいって奴連れてきたぜ」
 くいっと自分を指さされ、大地はどぎまぎしながらも一歩前へ出た。
「あ、あの、地球から来た遙 大地と言います。貴方の講義を受けたくてこのカレッジに来ました。貴方のもう一つの宇宙っていう論文が素晴らしくて、感激で…」
「ほう…あれをな…」
 驚いたように大地を見て、ホーマットはにこりと笑った。まあ、座れと近くの椅子を示され、大地は緊張しながらも腰を下ろす。ラビは言われる前に別の本の山に腰掛けていた。
「あれのどこが気に入ったのかな」
「この世界は自分たちだけのものじゃなくて、もっともっと広い宇宙には別の世界があるという所です。俺、いつか自分の力で宇宙に飛びたいから」
 目を輝かせて話す大地に、嬉しそうにホーマットは頷く。だが、ラビは再び馬鹿にしたような嘲笑を浮かべ大地を見た。
「広い宇宙か…どうして誰も彼も宇宙に飛び出そうなんて考えるのかねえ、あほらしい」
 馬鹿にされた大地は怒りに顔を赤く染めて、ラビの方に向き直った。
「何があほらしいんだよっ! 何故宇宙に飛び立つことがいけないんだ」
 大地の怒りなど柳に風のごとくラビは受け流すと、皮肉っぽい口調で言った。
「もう一つの宇宙って意味を考えてみろ。ガキの憧れだけじゃ考えてもわかんねーだろうがな」
 何っ、といきり立つ大地を後に、ラビは肩を竦めて部屋を出ていってしまう。はぐらかされたような大地は、口を引き結んで暫くラビの言った事を考え込んだ。
「遙君と言ったね。まあ座りなさい」
 勢い余って立ち上がっていた大地に、ホーマットは柔らかく言葉を掛けた。大地は頷いて再び腰を下ろすとホーマットにさっきの言葉の意味を質した。
「ラビが言ったもう一つの宇宙って…別の意味でもあるんですか?」
「…そうさな、あいつは当事者だから傍観者のあこがれで何か言われるのは腹立たしいんじゃろうて。あまり気にすることはないよ」
「でも…」
 当事者とか傍観者とか、一体何のことだろうと大地は訝しむような視線をのほほんとしているホーマットに向ける。けれど、彼はそれ以上説明してはくれなかった。
 少し講義のことなど話した後大地は部屋を辞去し、外へ出た。既に大部分の講義は終わっているのか、学生達の姿はあまり見えない。
 課外活動より、アルバイトや実習に力を入れている学生が多いと聞いていた大地は、これ以上ここにいても情報は得られないと判断して歩き始めた。
「やれやれ、ホーマット教授に会えたのはラッキーだったけど、あんな奴に会ったのはついてないよな」
 ぶつぶつと呟きながら大地はゲートの方に向かう。広い構内でもう一度会うこともないだろう、忘れてしまおうと、大地は嫌な記憶を振り払い外へ出て、そのまま新しい生活に必要な物を買いにショッピングゾーンへ向かっていった。
 必要な物は何でも揃うとコマーシャルされているショッピングセンターで、食べ物や食器などを選んでいると、焼きたてパンをある店の前に出た。
 良い匂いにつられて、ふらふら中へ入っていく。美味しそうなパンが並べてあり、大地はうきうきしながら選んではトレイに載せていった。
「あっ!」
「おっ」
 レジにそれを持っていくと、絶対もう会いたくないと思っていた顔に会ってしまった。向こうでもそう思っているのか、きつい碧の目をさらにつり上げて大地を見ている。
「300万クレジットになります」
「げ、おい」
 5桁も増しで言われ、大地は怒鳴ろうとした。だがその矢先に袋を突き付けられる。
「冗談だ」
 ぐっとつまりながら代金を支払い、大地は店を出た。ここのパンは美味しそうなのに、これでは買いにこれないじゃないか。ネット販売は嫌いなのに。
 暗い気分に更に輪を掛けられ、どんよりとした気分で大地はてくてくと歩道を歩いていく。初日からこうでは先が思いやられるというものだ。
「ま、がんばろ」
 自分自身にハッパをかけて、大地は足取りを早めた。


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