weird science-2-

 マンションに戻ってきた我夢は、黒い感情と自己嫌悪にどっぷりと浸かってベッドに身を投げ出した。漸く気付いたのだ、この感情が嫉妬であることに。当然のように藤宮の隣で笑う彼女に、研究者として肩を並べて共に居られる彼女に。そして追いつめられていた藤宮を助け、生きる気力を取り戻させた玲子にも。
 自分でも気付かなかった、否、気付いていたのに無視していた。あの時と同じだ。自分の影が現れて告げたこと、あの闇の部分を持った我夢も自分自身のもう一つの姿であると。
「今度は…どう戦ったらいいんだ」
 あんな風に姿を持って対峙してくれれば、戦うのも容易い。けれど、自分自身の心の中で目に見えないものと戦うことができるのだろうか。
 我夢は胸を締め付ける苦しさに眠ることもできず一夜を明かしてしまった。
 夜明け近く、うとうとしていた我夢は、メールの着信する音にはっと目を覚まし飛び起きた。あれから着替えもせずにごろごろしていたのだ。今日は研究所に行くのが躊躇われ、我夢は取りあえず頭をしゃっきりさせようとシャワーを浴びた。
 メールの相手は今イギリスに居るダニエルで、現在開発中のジャンプワームホールについて簡単に書かれていた。以前破滅招来体に利用され、コッヴ達の星を滅ぼすためにミサイルを打ち込む所だったのだが、今回の利用はそれとは違い宇宙へ飛び立つためのものとして開発されている。
 何故今頃こんなメールを送ってきたのか不思議に思ったが、ダニエルも頑張ってるんだなと納得して我夢は自分が情けなくなった。
 たとえ小さくても自分用の研究室を与えられているのだから、とろとろやってないでなるべく早く完成させよう、結局藤宮の手伝いなどできないのだから。
 と、更に情けなくなりそうな自分を叱咤するために頬を叩き、我夢は逆立ちをした。これで少しでも頭に血が入って理論的思考ができるようになればいいんだけど。
 そう思っている我夢の目に、再びモニター上のアクセスランプが付き、今度は映像が現れた。
「我夢、何してるんだい?」
「ダニエル…っわっ…」
 いきなりで驚いた我夢は、どさりと身体を床に倒してしまった。腰をさすりながらモニターの前に座り、照れくさそうに笑って我夢はダニエルに挨拶を返した。
「あ、メール見たよ、頑張ってるみたいだね」
「ああ、そのことについてなんだが…我夢、イギリスに来ないか?」
 突然のダニエルの言葉に我夢は面食らってモニターを見つめた。
「何?何で」
「メールについてって言っただろ。ジャンプワームホールの開発を手伝って欲しいんだ、君に」
 くすりと笑ってダニエルは言った。我夢はびっくりして目を見張り、自分を指さす。
「僕に…?」
「そう、君に、だ。君の力を是非貸して欲しい」 「でも、僕はこっちで…」
「そこに居ないとできない研究かい?藤宮が君を手放さないのも心情的には解るが、少しくらい僕の方の手伝いに貸してくれてもいいと思うよ」
 苦笑して言うダニエルに、我夢は慌てて頭を横に振った。
「違うよ、僕がここに居たいって無理言ってるだけだ。手伝いなんて…全然役に立ってないし…」
「そうなのか?とにかく、考えてくれ。期待してるよ、我夢」
「解った…一週間待ってて。返事するから」
「ああ」
 ダニエルは軽く頷くとモニターから消えた。我夢はベッドにどさりと腰を下ろし、頭を抱えて考え込んだ。どうしたらいいのだろう。理論的に言えば、ここでなければできないことは何もないのだから、切実に望まれている方に行くのが良いことなのだと解っているのだけれど。
 藤宮は自分が行くと言ったらどう反応するだろう。行くなと引き留めるだろうか、それとも止めずにいるだろうか。
 時間が来て我夢は暫く思案した後、藤宮の着替えを持ってやはり研究所に行くことにした。研究室では既に藤宮は他の三人と共に忙しく働いている。我夢は控え室の方に着替えを置くと、部屋の中には入らず自分の研究室へ向かった。
 藤宮に聞くのが躊躇われる。多分、自分のことは自分で決めろと言うに違いない。我夢がここに残ることを選んでも、行くことを選んでも藤宮は何も言わないだろう。
「ばっかみたいだ」
 我夢は今朝から堂々巡りを繰り返す自分の思考に苦笑して、ぱちんと掌で頬を叩いた。
「しっかりしろよ、我夢。…自分のできることをするために、僕は居るんだろ」
 自分で自分を叱咤して大きく息を吐き、我夢はダニエルに承諾のメールを出した。ただ、ここでの研究の区切りをつけるために、イギリスに行くのは一週間後になると付け足しておく。
 あらためて部屋の中を見回して我夢は溜息を付いた。ここに来てからちょっとしか経ってないのに、論文の写しやフロッピーやその他細々としたものが、雑然とばらまかれている。これもちゃんと片づけておかないと、飛ぶ鳥跡を濁さずって言うしと我夢は思ったが、ばらまくのは得意でも片づけるのはちょっと苦手なのだ。
 でも、やるっきゃないよな、と我夢は重い腰を上げ、取りあえず手に届く範囲から片づけ始めた。

「なんか変よね」
 差し入れの夜食を食べながら、入間はぽつりと呟いた。食べ終わってお茶を飲んでいる藤宮は、何が?というように彼女をちらりと見る。
「高山くん、この間から沈んでるように見えるんだけど…何かあったの?」
 彼女の問いに藤宮は眉を寄せて思い出そうとした。が、別に思い当たることはない。いつもと変わらないように見える。
「別に、思い当たることはないが」
「そう…」
 そういえば、このところ何か言いたげな視線に合うことは何度かある。昔から我夢の目はいつも何か語りかけてくるような光があって、対立していた時はそれが眩しすぎて視線を合わせられない時もあった。今はそんなことはないが、忙しさのあまり、聞く間もなく時間は過ぎていってしまう。
 この新クリシスが再び以前のようなことにならぬよう、神経をぴりぴりと張り詰めているためか、我夢の視線を無視してしまうこともあった。
「帰ってちゃんと話した方がいいと思う」
「そうだな」
 そうは言ったものの、研究の方は大詰めに入っている。明後日になれば一段落付くからその時ゆっくり聞いてやろうと藤宮は入間に頷いてみせた。

 我夢は、ちゃんと話さないとと決心して何度か話そうとしたのだが、その度に忙しい姿を見てこんなことで煩わせちゃいけないよなと言い損なってしまう。いや、ただ言うのが怖いだけの自分は臆病者なのだ。
 そんなこんなで明後日出発という日まで言うのを伸ばしてきた。部屋はなんとか片付き、研究用の資料はもう送ってある。マンションの方も私物を送ってしまうと、がらんとした殺風景な部屋になってしまった。
 ここに来た時もそんなだったなあと、我夢は荷物一つで押し掛けて来た時を思い出した。生活感の無いモノトーンの部屋に、いろんな物を持ち込んで藤宮に怒られた。そのうち呆れて諦めて何も言わなくなったけれど。
「ああもう、湿っぽいのはなしなし!決心付けた筈なのに、情けないなあ…」
 さあ今日こそ話さないと、と我夢は隣の部屋に決意を込めて歩いていった。扉を開くと、慌ただしい空気が流れている。夕べもそろそろ大詰めだからとろくに会話もせず、藤宮は夜食も食べずに没頭していた。
「藤宮、話があるんだけど、今晩はマンションに戻れる?」
 我夢の問いに、藤宮は手を休めず、頷いた。
「ああ、なんとかなると思う」
「そ、じゃ待ってるから」
 これで話すことができると我夢はほっとして部屋に戻った。だが、資料やデータなど必要なものが何もないためにすることもない。なんとなく気が抜けて我夢は早々に研究所を後にしてマンションに帰った。

 漸く一段落付いた藤宮は、髪を掻き上げると白衣を脱いで久々にマンションに帰る支度を始めた。本当はもう少し様子を見ていたいのだが、そうするとまたずるずる引きずって戻れなくなるだろう。実のところ、もう自分でも限界に近づいてはいるのだ。我夢の顔が見たくて、話がしたくて、抱きしめたくて。
 でも、そうしようと思うとあの悪夢が蘇ってくる。乗っ取られていたクリシスの結論を信じ、人類を滅ぼそうとまで考えてしまった自分の姿を。それが怖くて確かめずにはいられない。ゼロが何個並ぼうと、最後の1が消えない限り、再び悪夢は訪れるかもしれない。
「藤宮くん、面会人よ」
 入間の言葉に藤宮は驚いて玄関に向かった。
「玲子…」
「元気そう…でもないか」
 待っていたのはKCBアナウンサーの玲子だった。笑顔で出迎えたものの、玲子は藤宮をじっくりと眺め、眉を寄せて首を振り、その腕を取ると歩き始める。
「お、おい」
「まったく、いくら研究が大事だからって、ちゃんと食べて寝なきゃ駄目でしょ。そんな痩せて酷い顔色して。とにかく、きちんと食事採れる所へ行くわよ」
 玲子は藤宮を強引に車に乗せ、スタートさせた。反抗できずに乗ってしまった藤宮は、溜息を付き仕方ないと付き合うことにする。夜までに帰れば我夢と話はできるだろう。
 藤宮は携帯を借りると自宅の番号を押して我夢を呼びだし、食事してから帰ると告げた。

 玲子が来ていて、一緒に食事してから帰ると電話で言われ、我夢は明るくいいよと返事をして切ってから大きく溜息を付いた。せっかく決心して今か今かと待っていたのにはぐらかされた気分である。けれど、藤宮の身体のことを心配して食事に連れていってくれた玲子に怒りは浮かんでこない。
 自分が言うよりもっと早く玲子に来て貰って言ってもらえば良かったのだろうか。そうすれば、藤宮も無理をせずにいられたかもしれない。彼女の言うことなら藤宮は迷惑そうにしながらもちゃんと聞くのだ。
 我夢はちょっと落ち込みながら、一つ残しておいたクッションを胸に抱きかかえるようにして、ソファに座り藤宮を待つことにした。
 うとうとしていた我夢は、目覚まし代わりのFMラジオのスイッチが入って流れた音楽にはっと飛び起きた。ごしごしと目を擦り、何時なのか確かめる。いつも合わせている時間の朝7時という液晶の表示に、我夢は慌てて辺りを見回した。
 いつのまに眠っていたのか、窓からは朝日が射し込んでいる。部屋の中はしんとしていて、自分以外の気配はない。もしかして、帰ってきた藤宮が寝ているかもとベッドルームを見ても、メイクされた綺麗なままだった。
「帰って来なかった…?」
 持っていたクッションをぱたりと落とし、我夢は愕然として暫く立ちつくしていた。まさかもしやそんなこと、でも、とかなりパニックに陥りながらリビングに戻り電話に飛びつこうとした我夢は、側にあるモニターにメール着信のメッセージを見つけて、慌てて開いてみた。
「なんだ…」
 それは、夜中に新クリシスに新たなバグが見つかったから研究所に戻るといった内容で、最後に一言すまない、という謝りの言葉が添えられていた。
 がっくりと気が抜けて、我夢はフローリングの床にへたり込んだ。ぼーっとしていた我夢は、再び聞こえてきたアラームの音に、はっと我に返ると立ち上がった。そろそろ支度をしないと、飛行機の時間に間に合わなくなる。結局面と向かって話ができなかったなあと思いながら、我夢はのろのろと着替え始めた。
 バッグ一つを持ってマンションを出る前に、取りあえず電話を掛けてみる。新たなバグとはどの程度のものなのか、電話に出る暇もないかもしれない。
「もしもし…」
「はい…あ、もしかして、高山くん?」
 携帯に出たのは玲子だった。ずきりと胸が痛み、どくどくと鼓動が走り始める。
「はい、あの…夕べは…」
「食事してる時に連絡があって、また研究所に戻ったの。それからもう大騒ぎで原因究明よ。なんとか解ったらしいけど、それ潰すのに暫く掛かって夕べは戻れずじまい。ほんとに、こんな生活してたからあんな不健康な感じになっちゃってるのよね」
 玲子は結構腹を立ててるらしい。それが自分と食事してる時に戻されたからという訳ではなく、藤宮の身を心配して不摂生な生活に対してのものであることに、我夢は彼女らしいと笑みを浮かべて聞いていた。
「もうっ、暫くこっちにいて生活態度改めさせてやるわ。高山くんは無茶してない?」
「ええ、僕は普通に…それじゃ、暫くこちらに居るんですか?」
「休暇をばっちりもぎ取って来てるから、一週間くらいは居られるわ」
 嬉しそうに話す玲子に、我夢は一呼吸置いて話し始めた。
「そうですか…。じゃあ藤宮に伝えておいてもらえますか、ずっと忙しくて話ができなかったんで。今度ダニエルに頼まれてイギリス行くことになったからって」
「えっ、イギリス?いつから」
「これから出る所です。じゃ、藤宮をよろしく」
「ちょっと待って、今代わるから」
 玲子の声を無視して我夢は受話器を置いた。自分が居なくても玲子が居れば食事や健康のことなど、自分以上に管理してくれるだろう。
 結局、自分は藤宮に何もできなかったなと我夢は部屋をぐるっと見回して、扉を開け出ていった。

ガイアトップへ 前ページへ 次ページへ