パスカルの群−fujimiya-4

 次の日、ジオベースの中ではあまり判らなかったが、外は不穏な雲が低くたれ込めていた。太陽の光は弱く、地上では何人もの人が不安そうに空を見上げている。
 朝早くからジオベースのラボで我夢と共に現在の地上と地下の様子を調査していた藤宮は、慌ただしく入ってきた樋口に眉を顰めた。
「どうかしたんですか、樋口チーフ」
「空が真っ黒になっている。何かが空を覆っているんだ」
 普段からは考えられない焦った口調に、我夢は驚いて立ち上がった。樋口は側にあるモニターを切り替え、現在の空の様子を映し出した。確かに雷雲とも違う黒い雲が空を覆っている。いや、覆っているだけでなく、それはよく見ると細かく動いているようだった。
「何なんだ…」
 藤宮も自分の前のモニターにそれを映し出すと、その一角に焦点を合わせ詳しく調査していく。我夢もそれをフォローし、出てきたデータを分析し始めた。
「これは、鳥じゃない…なんだ? 虫?」
「イナゴの大群にも似てますね」
 樋口が呟いた。そう言えば、テレビでイナゴが大発生して緑を食い尽くすという光景を見た覚えがある。あれも空を黒く覆い尽くすほどのイナゴが飛んでいた。
「映像からじゃ限度があるな。一匹捕まえてくるか」
 藤宮は映像から得られたデータを一通り見ると、立ち上がった。アグルとなればそれは容易いことだ。逡巡している我夢をちらりと眺め、やはり組織に居るものはこういう点で柔軟性がないなと考え、藤宮は自分だけで行くかとアグレイターを構える。
「待って藤宮。もうちょっと様子を見よう」
「そんなことを言って手遅れになったらどうする」
「…そうやってまた先にアグルが相手と戦って、戦略を知る引き替えに君が傷つくのが嫌なんだ」
 拳を握り締め、真剣に自分を見る我夢に、藤宮は視線を逸らした。
「この前もそうだった。僕はもう君が倒れるのを見たくない。戦うなら一緒に」
「そうですよ。君は今まで一人で戦ってきたかもしれないが、今は違う」
 にこりと樋口は藤宮に笑い掛ける。藤宮はどうしていいか判らず、立ち竦んでいた。
 その時、何人かの荒い足音が遠くからこちらへ向かってくるのが聞こえ、乱暴に扉が開けられる。
「樋口チーフ、民間の方からこれがサンプルとして運び込まれました」
 声と共に中に運び込まれたそれは、透明な箱の中に保管されていた。大きさは子犬ほどもあろうか、黒っぽい身体と羽を持つ不気味な姿をしている。
「すぐに解剖班へ回してくれ。それでは私はこれを調べます。高山さんと藤宮さんは、これがやってきた経路を調べて下さい。いきなり空から現れたのは、多分」
「ワームホール、ですね。日本だけじゃない、世界各地に現れている」
 我夢は樋口の言葉に続けると、先ほどから点滅しているモニターを睨んだ。今までは一度に一ヶ所開き、どこかの星から怪獣を送り込んできた破滅将来体は、今度は数で勝負しようとしているのか。
「藤宮、手分けしてメインの穴がどこか調べよう」
 我夢の言葉に藤宮は頷き、再びモニターの前に座ってキーボードに指を走らせた。その間に樋口は研究員に指示して奥の隔離された部屋でイナゴを調べ始める。メインルームからは調査の結果を即時報告してくれと、石室からの要請があった。
「我夢、結果が出たぞ。この上だ」
 藤宮はデータを纏めたものをディスクに取り、我夢に渡した。上という言葉に怪訝な顔をして我夢は見つめる。
「日本、てこと?」
「日本の東京、まさしくこの上だ」
 一番大きな元のワームホールは東京の真上に出来ていた。そこから世界各地に小さなワームホールを広げ、あのイナゴを送り込んでいるらしい。我夢はごくりと唾を飲み込み、ディスクを握り締めメインルームに行こうと藤宮を促した。
「あれだけの数だ。全世界の戦闘機を動員しても一掃は出来ないだろう」
「元から絶たなきゃ駄目ってことか」
 藤宮は廊下を走るようにして行く我夢に言うと、難しい表情を浮かべ黙り込んだ。おそらくXIGの戦闘機を使っても、ワームホールに到達する前に落とされてしまうだろう。自分たちがウルトラマンとなって殲滅する以外方法は無い。
 その場合、ワームホールに突っ込むことになるだろうから、生きて戻れるかどうか判らなかった。多分、今度の戦いが最後の戦いになる。
 藤宮はメインルームへの扉を開く我夢の後ろ姿を見ながら、たとえそうなっても我夢だけは守ろうと決心していた。
「何故俺達を戦力として扱わないのですか。XIGの能力が疑われるからですか」
「よせ、藤宮」
 XIGファイターだけでは奴らを一掃することが出来ないことは明白なのに、石室は藤宮と我夢をウルトラマンとして戦力に組み込むことをしなかった。それが藤宮には不可解で、つい皮肉な口調になってしまう。止める我夢の視線を無視して、藤宮は石室を見据えた。
 柊ならば、真っ先にウルトラマンを戦闘に使うだろう。勝つためには、手段や自分たちの気持ちなど考えもしないのが軍隊というものだ。
「君たちは兵器ではない。共に戦う仲間だ」
 きっぱりと石室は藤宮と我夢を見て言った。目を瞠り、藤宮はまじまじと石室の顔を見つめる。石室が本気で言っていることが解った藤宮は、居たたまれなくなって外へ出た。
 石室だけではなく、ここに居るみんなが本気で自分のことを仲間だと思っていることに、藤宮は戸惑いながらも胸が僅かに熱くなる。自分には我夢だけ側に居てくれればいいと思っていた。けれど、あの言葉がこんなにも胸に響いている。
 藤宮はふらりと入り込んだ通路の手摺りに寄りかかり、見るともなく下で忙しげに働いているメカニック達の動きを追った。アルケミースターズの一員となり、共同でクリシスの開発をしていた頃、藤宮にも仲間がいてあんな風に忙しくも楽しげに仕事をしていたと、ふいに思い出す。
 随分遠い昔のことのようだと、藤宮は微かに笑みを浮かべた。
「ちょっとよろしいですか」
 軽く肩を叩かれ、藤宮は物思いから我に返って振り向いた。藤宮は神山に会ったことはなかったが、神山の方は資料などで藤宮のことを良く知っている。
「これをどうぞ、差し入れです」
 神山は紙袋を藤宮に手渡した。何だろうと不審な表情をする藤宮に、神山は微笑んで説明する。
「朝から食事をしていないようでしたから。手軽に食べられるものは、ここにはこんなものしか無いんですけれど、朝食抜きでは力が入りませんよ。特に、高山さんはあれで結構大食漢ですからね、お腹空かせると機嫌が悪くなるんです」
 唖然としている藤宮を置き、神山はそれじゃ高山さんによろしくと言って去っていった。袋の中を覗くと、紙に包まれたハンバーガーらしきものが二つ入っている。我夢の食欲がどんなものかは知らないが、藤宮は可笑しくなって小さく声を立て笑った。
 多分、ファイターだけではやっつけられないだろう。遅かれ早かれ、ウルトラマンとして自分たちが出なければならない筈だ。仲間だと思われているのなら余計に。
 藤宮はそう考えて外へ出る通路へ向かって我夢を待った。暫くすると、悲痛な表情の我夢がゆっくりと歩いてくるのが見え、藤宮は袋からハンバーガーを一つ取ると、放り投げた。
「藤宮?!」
「食えよ」
 驚きながらも受け取った我夢は、藤宮を見て眉を顰めた。
「そんな気分じゃないよ」
「腹が減ってると、暴れるんだろ」
 にやりと笑って言う藤宮に、我夢はびっくりして目を見開いた。
「なんだよ、それ」
「これをくれた奴がそう言ってたぞ。腹が減ってると力が出ないからな」
 脱力している我夢に、藤宮は笑みを引っ込め真剣な表情になると話し出した。
「我夢、ウルトラマンが何故二人居るか考えたことがあるか。いや、幸い二人居ると言った方が良いな。どちらか一人が倒れても、もう一人居る」
 藤宮は自分が我夢を守り、盾になろうと決心していた。心配する仲間が沢山居る我夢よりは、自分の方が悲しむ者は少ないだろう。
「藤宮、まだ君は解ってない。確かに僕は君に守られて助けられて来たけど、君を犠牲にしたい訳じゃない」
 我夢の黒目がちの目が潤んでいく。藤宮は思わず抱き寄せようとした。が、目の端に人影が映って動きを止める。それに気が付いた我夢が振り返ると、藤宮は少し離れて立った。
 敦子との会話を終え、再び歩き出した我夢に藤宮は歩調を合わせる。律儀にまだハンバーガーを持っている我夢に、藤宮は微かな胸の痛みを覚えながら言った。
「最後かもしれない。よく味わえよ」
「嫌だよ、こんなのが最後の食事だなんて」
「そうだな…さっきの女と食事の約束でもしたか」
 この痛みは嫉妬なのかと、藤宮は自嘲しながら我夢に訊ねる。我夢はまじめな顔で藤宮を見上げ、告げた。
「君と、食べたい。戦いの後に、これよりずっと美味しいもの」
 がぶりとハンバーガーに囓り付き、我夢はにっこりと藤宮に笑い掛けた。不意を打たれて藤宮は僅かに顔を赤く染め、それをごまかすために自分もハンバーガーを食べ始めた。
 空は思った以上に暗く翳っている。地球の空を全て覆い、太陽からの光を奪って疲弊させようというのか。空を飛ぶだけで地上を攻撃してこない破滅将来体の、じわじわと真綿で首を絞めるような苦しめ方は、クリシスに偽りの答えを出させ藤宮を苦しめた陰険なやり方とそっくりだ。
 それとも、二人がウルトラマンとなって現れるのを待っているのだろうか。藤宮と我夢は途中田端達を助けた後、人影のない道路で立ち止まった。
「地球の光が弱ってる…」
 エスプレンダーを見つめ呟く我夢に、藤宮はここまで来る途中考えていた言葉を、今話さなければきっと後悔するだろうと話しだした。
「我夢、お前が居なければ、俺はここには居なかった。悪い意味じゃない…感謝している」
「僕だってそうさ。…君が居なければ、ここに来ることもなくきっと途中で潰れてた」
 我夢、と言いかけた藤宮は、まだ一番大事な事を告げていないが、強い視線に合って口を閉じた。
「今は言わない。絶対勝って戻るから」
 にこりと笑う我夢に、藤宮も笑顔を向けた。
「行こう!」
 地球の光が二人を取り巻き、包み込む。二人は変身すると黒い群に向かっていった。

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