Little Hope 3-2

「小さなことからこつこつと、だそうだ」
「え?」
「地球規模の環境改善や人間の意識革命は自分の力では無理だから、せめて足下の場所から変えていきたいと、玲子は言っていた」
 テレビレポーターとしての自分の力には限度がある。調査して世間に知らしめて、人の力で変えていく。それが自分の仕事だと玲子は藤宮に笑って告げた。それを聞いて我夢は、恥ずかしさに顔を赤く染め、ますます落ち込んでいった。
「すまない」
「何?」
 突然藤宮に謝られて、我夢は驚いて見つめた。
「今日はこんなことに付き合わせた」
「そんな、いいんだ。別にどうしてもって用事があった訳じゃないし。ただ、君と一緒に居られれば嬉しいんだから」
 ぽろりと出てしまった本音に、一瞬後我夢は顔を真っ赤にして唇を噛み締めた。藤宮がどんな反応をしているのか気になって、我夢はちらりと覗くと、片手であごと口元を押さえ外を眺めている。そんな藤宮に、溜息を付き我夢は車を進めていった。
「わっ!」
 突然大きな地鳴りと共に、崖の上から大きな岩が木をなぎ倒しながら転がり落ちてきた。慌てて我夢はハンドルを切る。だが岩は避けたものの、大きく道を外れ車の前半分は崖にせり出した様な形で停まった。
 ハンドルに顔を伏せていた我夢は、そっと顔を上げ状況を確認する。
「ゆっくりドアを開けて降りろ」
 藤宮の言葉に我夢は身体を動かした。すると車は助手席の方へ傾き、このまま我夢が言うとおりに降りれば藤宮を乗せたまま車は崖下に落ちてしまうだろう。
「駄目だ。君の方が先に降りて。後ろに回れば大丈夫だから」
 怖い表情をしていた藤宮も、二人で後方の座席に移れば落ちることはないと理解して、シートベルトを外そうとした。
「壊れているらしいな」
 藤宮はシートベルトに手を掛け、暫く動かしていたが、そう言うと先に出ろと我夢を促す。我夢はシートベルトを外し、後部座席に用意してあったカッターを取ろうと手を伸ばした。
 ゆっくりと動いたのに、車は揺らめき更に前へせり出す。藤宮は我夢の手を取り、押し止めた。
「さっさと出ろ。俺のことは放っておけ」
「出来るわけ無いだろ」
 きっぱりと言う我夢に、藤宮はそれ以上押し問答をせず、じっと見つめた。我夢はカッターを取ると、藤宮の身体を拘束しているシートベルトを慎重に切っていった。漸く切れて、ほっと息を付き我夢が藤宮に笑いかけた途端、車はぐらりと揺れた。
「飛び出すぞ!」
 藤宮は我夢を抱え、ドアを開けると一気に外に出た。車は崖を滑るように下へと落ちていく。丁度側にあった木を掴んだ我夢は、藤宮の姿を探した。
「藤宮っ」
 藤宮も木の根を掴んでいたが、それを手がかりに登ろうとした時に再び大きく地面が揺れ、手放してしまう。落ちていく藤宮に我夢は手を伸ばし、飛び出した。
 藤宮の腕を掴み、崖を転がり落ちる。藤宮の身体を抱え込んだまま下に落ちた我夢は、身体を強く岩にぶつけ気を失ってしまった。
「我夢っ、しっかりしろ」
 藤宮のせっぱ詰まった声に漸く意識を取り戻した我夢は、ぼんやりと目を開いた。怒ったような苦しげな藤宮の表情が我夢の目に飛び込んでくる。目を開いた我夢を見て、藤宮はほっとしたように息を吐いた。
「藤宮…怪我してない?」
「俺は大丈夫だ。それよりお前の方だ、手首が折れてる」
 言われて我夢は左手首が熱を持っている事に気付いた。痛みはあまり感じないが、びりびりとして燃えるように熱い。気を失っている間に応急処置がされ、藤宮の上着でぐるぐる巻きにされていた。
「そういえば、痛い…かな」
「俺を庇ったりするからだ。何故あんな馬鹿な真似を」
「馬鹿な真似じゃないよ。いつも、助けて貰ってるのは僕の方だから。それに、咄嗟に手が出ちゃったんだからしょうがないだろ」
 吐き捨てるように呟く藤宮に、悲しくなって我夢は起きあがろうとした。途端に痛みが身体を走り抜け、半身を折り曲げる。
「君を助けることが出来て良かった」
 慌てて背中に手を掛ける藤宮に、我夢は痛みを堪えて微笑んだ。藤宮は拳を握り締め、それを開くとそっと我夢の背中を撫でた。
「まだ、完全に助かった訳じゃないぞ。ここからどうやって抜け出すか」
 藤宮の言葉に、改めて我夢は辺りを見回した。崖の上の方がさっきまで走っていた道だろうが、深い木々に阻まれてまったく見えない。今居る場所は僅かに開けていて、その先は森になっていた。よくよく見ると、その森の木の向こうに、青い車体が見える。
 取り敢えず、車の状態を見ようと、我夢は藤宮に助けられてゆっくり歩き出した。  車は見るも無惨に前の部分がひしゃげている。あのまま乗っていたら、死んでいただろう。これくらいの怪我で助かったのは不幸中の幸いだ。
 買ったばかりの愛車の酷い姿に、我夢は重く溜息を付いた。
「湖は、これか」
 車に気を取られていた我夢は、藤宮の声に足を進めた。木々に遮られていて判らなかったが、直ぐ向こうは湖となっている。
 湖水は神秘的な碧に煌めき、静けさが満ちていた。感嘆して見ていた我夢は、眉を顰めている藤宮の視線の先を見た。
「うわ、酷い…」
 我夢たちが居る場所から直ぐの場所は、明らかに自然現象ではなく、土砂で埋められている。多分、リゾート開発のために掘られた土や岩を上から落としたのだろう。その端に、かつて祠だったと思える小さな建物が半分潰れるように埋もれていた。
 これじゃ祠の主も怒るだろうなと、我夢は納得する。その時、また大きな揺れが起こり我夢は藤宮に縋り付いた。
 まるで祠に乗っている土砂を振り落とそうと言うように、地面が震える。しかし、崖の上からそのために新たな岩や土が落ちてきて、我夢達に降りかかった。
「やめろ! そんなことをしても、元には戻らないぞ。言いたいことがあるなら、出てきて話せ」
 藤宮は我夢を庇うように抱えながら、湖に向かって怒鳴った。神様に喧嘩を売るつもりかと、我夢は目を見開いて藤宮を見つめた。
 それに応えるように轟音と共に、湖が泡立ち壬の龍に似た姿の怪獣が現れる。だが、それは実体ではなく半透明で向こう側が透けて見えた。赤く怒りに燃える目を、藤宮は負けずに睨み返す。
「お前の怒りは解った。だがこのままでは、この山は噴火して吹き飛ぶだろう。お前の住む場も無くなるぞ」
 カッと怪獣の目が煌めき、山全体が轟くように揺れる。このまま人間もろとも山を吹き飛ばし、滅んでしまうのもじさないと、怪獣の怒りの気が渦巻いた。
「うっ」
 怒りの波動が藤宮を弾き飛ばそうとする。我夢はその前に立ち、両腕を広げた。驚いて我夢を退けようとする間もなく、二人とも波動によって飛ばされ、地面に叩き付けられた。
「我夢っ」
 上に覆い被さるようにして波動から守る我夢を、藤宮は焦って押し退けようとする。苦しさに顔を歪める我夢を見て、藤宮は怪獣に怒りを向けた。
「駄目だ…藤宮、怒っちゃ…」
「我夢…」
 我夢の言葉に、藤宮は怒りを収め両腕を回し強く抱き締めた。そのまま身を返し、自分が波動の矢面に立とうと動いた時、ぴたりと波動は止まった。
 息を荒げ、苦しそうな我夢を抱きかかえるようにして身を起こし、藤宮は怪獣の方を見る。その目はさっきまでの怒りに燃える赤ではなく、湖水と同じ涼やかな碧となっていた。
「…ごめん、君の住む場所をこんな風にして。元と同じには戻せないかもしれないけど、きっと戻すから…だから…」
 苦しい息の下から我夢が訴えるように言うと、怪獣は姿を消し、再び辺りに静けさが満ちた。ほっとした途端に、今まで張り詰めていた気が抜け我夢は地面に崩れてしまう。
「聞いてくれたみたい…」
「まったく、無茶をするな」
 嬉しそうに微笑む我夢に、藤宮は軽く吐息を付きその頭をそっと撫でた。このまま静かな湖の畔で藤宮に抱き締められて頭を撫でられているのも悪くはないが、身体中が痛み腕も痺れてきているようだ。
 樋口に連絡してから数十分しか経ってないから、まだ来るには後何時間かかかるだろう。それでもここを見つけてくれるだろうか。
 ふと手を止め顔を上げた藤宮に、自分を置いて助けを呼びに行ってくれと言いかけた我夢は、聞き慣れた飛行音に目を向けた。
 上空にシーガルが浮いている。シーガルは我夢達を確認すると、直ぐ側に静かに舞い降りた。
「神山さん?」
 扉が開き、中から神山が走り出て近付いてくる。びっくりして見ている二人の側に来ると、安心させるような笑顔で頷いた。
「遅くなりました。直ぐに病院へ行きましょう」
 遅いどころか何でこの場所が判ったのかと驚いている我夢を、ひょいと抱え上げ神山はシーガルに向かう。慌てて藤宮も後に続き乗り込んだ。
「応急手当は…完璧ですね。これなら大丈夫だ」
「何故、あの場所が判った」
 我夢の手首を診て言う神山に、苦虫を噛み潰したような表情で藤宮は訊ねた。車が落ちたことなど判るはずもないのに、樋口ではなく神山がやってきたことも不思議だと、我夢も開けているのが辛い目で見つめる。
「高山さんが危ない時には、判るんですよ」
 にっこり追求をさせない笑顔で神山は答え、操縦席に戻るとシーガルを発進させた。納得出来ない様子で藤宮は神山を睨んでいる。
 我夢はそんな二人を見ていたが、次第に闇の中へ落ちていった。
 目覚めた時には病院のベッドの上で、我夢は脇の椅子に腕を組んで目を閉じている藤宮を見つめ、いつもと逆だなあと笑みを浮かべた。
 ギブスの填った腕を上げ、左手で良かったと我夢はほっと息を付いた。薬が効いているのか、痛みは感じない。あちこちがぎしぎしするのは、打ち身があるからだろう。
「目が覚めたのか」
「うん…藤宮は、怪我無かったの」
「ああ」
 ぽんと手を我夢の頭に乗せ、藤宮はゆっくり髪を掻き上げるよう撫でた。
「いつもと逆だ」
 くすりと笑って言う我夢に、藤宮は渋面を作る。
「…もう、俺を庇ったりするな」
「嫌だ」
 即答する我夢に、藤宮は目を見開いて手を止めた。我夢はその手に怪我をしていない方の手を重ね、真剣な目で言った。
「僕は嬉しいんだ。いつも庇われて、君が倒れている所を見てるだけしかできなくて、悔しかった。僕だって君を守りたい。藤宮が好きだから、当たり前の気持ちだろ」
 藤宮は僅かに目を眇めると、ゆっくり顔を我夢に近付けた。冷たい唇が触れ、我夢は目を閉じてそれを受け止める。
「解った…でも、もうあんな無茶はするな。俺の心臓が止まってしまう」
 唇が僅かに離れ、藤宮は囁くように言った。小さく頷く我夢に再び深く口付け、藤宮は頭を撫で続けた。
 退院するまでの二週間、ずっと藤宮は我夢の側に付いていた。途中いろんな人間がお見舞いに来たが、藤宮の眼光に睨まれて早々に辞していく。そんな中、樋口は調査の結果を伝え、リゾート開発会社はあの山から手を引き、土砂も綺麗に取り除くことを約束したと告げた。
 XIGからの通達だけでなく、玲子達の働きもあって会社は手を引くことになったらしい。もっとも、あのまま地震が続き噴火の可能性があると判ってる場所にリゾート施設を作る気にはなれなかったのだろうが。
 まだ完全に直っては居ないが自宅療養で大丈夫と退院する日、我夢は病院の玄関の前で驚いて立ち止まった。


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