Little Hope 3-1

 街中の大きなショーウィンドーのガラスに、顔を貼り付けるようにして中を覗き込む我夢に、北田は苦笑を浮かべながら呼びかけた。
「中に入ってじっくりみればいいだろ」
「あ、はい」
 子供のように頬を上気させ嬉しそうに返事をした我夢は、北田の後から店内に入っていった。途端に店員が飛んできて、北田に満面の笑みを浮かべ挨拶した。
 こういうシチュエーションは良く経験することだが、北田にとって今隣に居る相手が我夢であることは、ある意味楽しくもあり、危険でもある。場所が宝石店でないことだけは救いな気がする。
「今日はどちらをお求めですか」
「俺じゃないんだ、こっちの方。えーと、安くて安全でかっこよくて居住性もあり使い勝手がいい車、が欲しいってことなんだが」
 我夢は北田の言葉に、慌てて目を見開く。確かにそれは希望だけど、北田にだから言ったことであって、普通の人に言ったら呆れられるだろう。
「それでしたら、こちらの新製品はいかがでしょうか」
 だが、店員もプロである。にっこり笑うとショールームの一番目立つ場所に置かれている車の方に、彼らを連れて行きどう性能がいいか、優れていてこの値段ならコストパフォーマンスも充分にとれる等流れるように説明し始める。
 北田は余裕で頷きながら聞いているけれど、我夢はなんとなく解ったような解らないような感じで聞いていた。パソコンやもっと特殊なメカニックのことなら、スペックだけでも解るのに、こういうファミリー向けの車に関しての知識はほんの僅かでしかない。
「と言う訳ですが、ご質問はございますか」
「…え、と…あれでいいです」
 我夢は新製品の向こうにある車を指さした。今までの説明は新製品の物であって、あの車は仕様が違う。店員は一瞬呆気にとられていたが、すぐさまその車の仕様を説明しようとした。
「あ、説明はいいです。あれに決めました」
「おい、我夢、何でそんな簡単に決めるんだ」
「あの車じゃまずいですか?」
 逆に訊かれ、北田は首を捻りつつそんなことはないがと応えた。事実、新製品でないというだけで、スペック的にも我夢が選んだものとあまり変わりはない。値段もたいした違いはないし。
 店員は慌てて我夢が言った方の車のパンフレットを取りに奥に走っていく。それを見ながら北田は訊ねた。
「でも、どうしてあれを選んだんだ」
 訝しげな北田の視線に、我夢は答えるのを躊躇った。
「お待たせいたしました。はい、こちらの商品ですね。お色の方は他にこのような」
「あ、あれがいいです!」
 パンフレットを持って見せようとした店員の声に被せるように、我夢はきっぱり言った。大きな声に辺りが一瞬静まる。我夢は微かに赤くなって、俯いた。
「は、はい。こちらのお色ですね、オプションも色々ございますが」
「取り敢えず、全部付けておけばいいさ」
 さっきの態度で何故我夢があの車を選んだのか、北田は納得する。車の色は深い海の底のような青い色だったのだ。まあ、理由はどうあれ本人が気に入った物を買うのが一番だと、北田は吐息を付いて我夢に言った。
「ありがとうございます。お支払いはいかがいたしましょうか」
「これ、使えると思うんだけど」
 我夢はポケットから無造作に誰でも知っているカード会社のゴールドカードを取り出した。店員は笑みを浮かべながらも僅かに頬を引きつらせそれを受け取ると、少々お待ち下さいと奥に引っ込んだ。
「お前なあ、新車をカードで買うなよ。まさか一括払いとかじゃないだろうな」
「駄目なんですか? XIGの給料で生活は充分できるけど、何か高い物を買うようならこれ使えってダニエルに言われて作ったんですけど」
 貯金で車を買おうと思うとダニエルに連絡した時に、彼は微笑みを浮かべて、我夢がすっかり忘れていたそのカードの存在を思い出させてくれたのだ。
 そういえば、個々で持っている特許はあるが、その一部をアルケミースターズ全体で運用し、莫大な資金を創り出していると北田は聞いたことがあった。我夢は自分の特許やらなんやら面倒だからと、全部ダニエルに任せっきりにしていたので、それがどの程度の金額になっているかは知らない。
 そう我夢に聞いて、北田は頭痛がしてきた。つまり我夢のバックには、とてつもない金持ちのパトロンが付いているのと同じだということか。
 頭を抱える北田の隣で、我夢は嬉しそうに今買おうとしている車を見つめた。これで藤宮に迷惑を掛けず出歩くことが出来る。
 車は後で届けてもらうこともできたが、今すぐお持ち帰りも出来るということだったので、我夢は乗って帰ることにした。
 まだ新しいシートの匂いや、マコトにいつも借りている車とは違う感覚に、我夢は嬉しくなって北田を隣に載せたままわざと遠回りをして街中を走った。
「はしゃいで事故るなよ」
「大丈夫ですよ。勘は良い方なんです」
 確かに、シミュレーションだけでファイターを危うかったとはいえ操縦できたのだ。あまり運転してなかったとはいえ、勘を取り戻すのは早いだろう。
 北田は苦笑を浮かべて我夢を見つめた。途端に、窓の外から殺気のような視線を感じて、背筋がぞくりとそそけだつ。なんとなく嫌な予感を覚えつつ、北田は窓の外を見ると丁度信号待ちで停まっている車の運転席に、今は見たくなかった人物を見つけてしまった。
「おわっ…。あー、我夢、なるべく早い目に戻った方がいいな」
「え? もう少し慣らしておきたいんですけど」
 青に代わった信号に、車をスタートさせた我夢は北田の焦った様子にも気付かず、高速に入ろうとする。
「いいっ、いいから、それじゃ、俺はここで降りる。頼むから降ろしてくれ」
「僕の運転そんなに不安ですか?」
 そうじゃなくて、後ろから付いてくる車からの殺気が徐々に強くなっている気がするからだと、北田は言うわけにもいかず、とにかく降ろせと言って我夢に車を停めさせた。
「我夢の運転が不安なんじゃないんだ。ちょっと用事を思い出したんだよ」
 北田の言葉に納得したのか、我夢は寄り道せずに帰れよという言葉に頷いて、車を再びスタートさせた。我夢の車の後を追うように走り出す車には、さっきまでの冷たさはない。むしろ守るような暖かい気配を感じて北田は肩を竦め、地下鉄の駅へ向かって歩き出した。
 暫くの間我夢は車の慣らし運転と称して、マコト達を隣に乗せいろんな場所を走って廻った。だが、毎回途中で誰もが車を降りたがり、結局一人で戻ることになると我夢は次第に自分の運転に自信がなくなってくる。
「そんなに酷いかなあ…」
 今回は誘う前からマコトに断られ、我夢は意気消沈して車を走らせる気にもなれず、ラボに戻って呟いた。マコト達は、そんな我夢をちらちらと眺め、肘を突き合う。
「あー、あのさ、我夢。俺たちより誘う相手が居るんと違う」
「そ、そうそう。一番乗って欲しい人を誘わないでどーするよ」
 ナカジとサトウの二人が落ち込んでいる我夢に、話しかけた。
「だって…運転下手だと、乗せたら恥ずかしいし」
 自分たちを乗せても恥ずかしくはないのかと、突っ込みそうになったがそれを押しとどめ、マコトは言った。
「大丈夫だって。それに我夢だって、俺たち乗せるよりずっと張り切れるだろ。その方が運転だって上手くなるさ、あ、今も下手じゃないよ」
 フォローを入れるのを忘れずに、マコトは必死に訴えた。そうかな、と我夢は小首を傾げて呟いた。車を買ってからというもの、藤宮の姿を見ていない。まだ買ったと話してはいないが、当然知っているだろうから、もう送り迎えをする必要がないとせいせいしているのかもしれない。
 この前、海の上で『側に居させて欲しい』と言われ、『側に居たい』と応えたのが、随分昔のような気がしてくる。あれ以来、仕事で顔は合わせるけど藤宮はさっさと居なくなってしまう。
「後悔してるとか…」
 ぼそりと呟き、ますます落ち込んでいく我夢に、マコトは指先で額を押さえとにかく誘いの電話を掛けてみろと言った。  我夢はしつこい程マコト達にそう言われ、ジオベースに戻るとモニターの前に座り心を決めてアクセスした。
「あ…藤宮。あのさ、明日暇?」
『暇じゃないが、お前の用事の方が優先だ』
 藤宮にそう言われ、我夢の頬が僅かに朱を帯びる。そんなたいした用事じゃないから、いいやとアクセスを切ろうとする我夢を止め、藤宮は続きを促した。
「ほんとに、用事じゃなくて…車、買ったから、いつものお礼も含めてドライブに行かないかなって。あ、忙しいならほんとのほんとにいいんだ。ごめん、また今度連絡するから」
『返事も聞かないうちに切るな。お前の用事の方が優先だと言っただろう、それがどんな内容でも同じだ』
「うん…でも」
『明日だな。それじゃ10時に王子研究所で待っている』
 我夢が躊躇している間に、藤宮はそう告げるとさっさとアクセスを切ってしまった。呆然としていた我夢は、何も考えられずに車のキーを持ち自分の部屋から出た。取り敢えず、心を落ち着かせようとラウンジに行ってコーヒーを取る。
 ぼんやり立ち上る湯気を見ていた我夢は、肩を叩かれてびくりと振り向いた。
「がーむ、車買ったんだって?」
 稲城がにこやかに問いかけてくる。我夢は引きつった表情で頷いた。
「みんなを実験台にして乗せてるってことじゃない。明日、私も乗ってみたいな」
「明日は駄目です。休暇取るんで」
「へえ、いよいよデートなんだ」
 稲城の言葉に我夢は硬直してしまった。我夢だけではなく、何故かラウンジにいた沢山の他の人間も、ぴたりと動きを止め二人の様子を窺っているようだ。
「で、デートだなんて、そんなんじゃないです」
「そう、まあ、頑張ってね」
 にっこり笑顔で、まるで我夢の言い訳などないもののように稲城は言い、去っていく。もっとも真っ赤に染まった顔を見れば、我夢の言い訳が偽りであることなど誰の目にも明白だろう。
 我夢は車のキーをテーブルの上に置き、両手の腕にあごを乗せてそれをしみじみ見つめた。稲城が言ったようにデートなのだろうか。我夢は藤宮の事が好きで側に居たいと思っているし、いきつくところまでいってしまったのも事実だ。
 最初は強姦で、次は優しくしてもらったけど普通は男同士でそんなことしないし、好きだと我夢が一方的に告白してる状態で、藤宮は単に友情の延長にしか感じてないだろうに。いや、罪悪感か。でも、側に居て欲しいって言ってたし。
 我夢の頭の中で、藤宮のことばかりがぐるぐると回っている。こんな想いをしないために車を買った筈なのに、本末転倒ではないか。
「明日はお出かけですか?」
「神山さん」
 ラウンジに居たみんながびくりとするほど大きな溜息を付き、我夢は目の前のキーを握り締めた。そこへやってきた神山は、我夢の隣に座ると我夢の指からキーを抜き取り、笑顔で訊ねた。
「なら、体調を整えて事故の無いように。みんなが心配してますよ」
 ちらりと神山は周囲を見回した。慌てて新聞や雑誌を読み始める周りの白々しさに、初めて自分の行動が注目されていたと気付いた我夢は、僅かに頬を赤らめて顔を伏せた。
「すみません」
「謝ることはないです。もし何かあったら直ぐに連絡してくださいね。そのためのレスキューですから」
 再び笑顔を浮かべ、神山は我夢の手にキーを返し、別のテーブルに付いていた松尾たちの所へ戻っていく。このままここに居ても心配掛けるだけだと理解した我夢は、立ち上がると部屋へ戻っていった。
 とにかく、明日に備えようと我夢はネットに繋ぎ、道順を調べ美味しい店をピックアップしてメモし、天気予報もチェックと準備万端整えて早めに寝ようとベッドに潜り込んだ。が、子供が遠足の前の日にそうなるように、明日のことが気になって眠れない。
 何度も寝返りを打ち、漸くうとうとしかけた時には白々と夜が明け始めていた。
「最悪…」
 顔を洗って鏡の中の自分を見ると、我夢は呟いた。顔は腫れぼったく、目は赤く充血している。後2時間で治まるだろうかと、我夢は目薬を差し朝食を食べて慎重に出発した。
 ぴったり10時10分前に王子研究所の門を潜った我夢は、車から降りて一つ深呼吸をした。普段から会ってる筈なのに、自分の方からデートに誘うという…我夢はそうは思ってないが、周りの見識がそうなら、そうなのかもしれない…シチュエーションに胸がどきどきする。
 よし、と気合いを入れて歩き出した我夢は、突然玄関から飛び出してきた玲子に驚き、足を止めた。玲子は我夢を驚いて見ていたが、ほっとしたように笑顔を浮かべ走り寄ってくる。
「ああ、丁度良かった。高山君お願い、乗せて!」
「え?」
 目を見開いて驚く我夢に、玲子はもどかしげに手を取ると車の方に引っ張り始めた。何が何だか解らず、振り解く訳にもいかなくて我夢は目を白黒させる。
「我夢っ、玲子、駄目だ」
「藤宮」
 続いて現れた藤宮に、我夢はほっとして声を掛けた。藤宮の表情は硬く、怒っているような感じで我夢と玲子を見つめている。
「だって、一刻も早く行かないと、状況が掴めないわ」
「他に方法があるだろう」
「タクシーは出払ってるって。田端さんたちはもう先に出てるし、足がないのよ」  緊迫した空気に、我夢は訳が解らず二人を見た。
「何がどうしたんだ? 解るように説明してよ」
「ここから海の近くへ1時間くらい下ったところに小さな山があって、そこから低周波が出ているの。少し前から問題になっていて、私たちが取材してたんだけど、この研究所で調べて貰っている最中に小さな地震が何度も起こって、田端さん達が先に現地に向かってるの」
 低周波と地震という組み合わせなら、火山の噴火という事が考えられるけれど、確かこの辺は日本でも有数の火山地帯であるし。
「ただの噴火の前触れじゃないわ。前に…そうギールが現れた時に現象が似てるから、藤宮くんにも来て貰って一緒に調べてたの。さっき、突然もっと大きな局地的な地震があったって連絡が入って、そこにどうしても今すぐ行きたいの。だから、お願い」
 両手を合わせて言う玲子に、我夢はそう言うことならと頷いた。しかし、藤宮は難しい表情を崩さずじっと我夢を見ている。
「藤宮、緊急事態みたいだから行こう。僕たちの力も必要になるかもしれない」
「…ああ」
 渋々という感じで藤宮は車の後ろに乗り込んだ。玲子も隣に乗り込み、我夢は場所を聞くと車をスタートさせた。
「ごめんなさい。何か用があって来たんでしょう」
「あ、いえ、それよりほんとに噴火の前触れとかじゃなくて、別の原因があるんですか」
 玲子がすまなそうに言うのに、我夢は訊ねた。玲子はここ一週間の動きをさっきの王子研究所に調べて貰っていたこと、それが普通ではないので藤宮に意見を聞こうと昨日から呼び出していたことを我夢に話した。
「この前の海といい、このところまた地球がおかしいのかも…」
「あれはミサイルの誤爆が原因です。地球のせいじゃないですよ」
「そうね。人間のせいよね…今度のこともそうなのかも」
 今問題が起きている場所はリゾート開発を行うため、あちこち掘り返し山を切り崩している。なかなか温泉が出ないからと、地中深くまでボーリングを行い環境破壊が問題になっている所だった。
 山へ入る道には工事中のロープが張ってあり、警備員が我夢の車を停めた。
「ここへは関係者以外入れません。引き返してください」
「取材で先に来てる筈だけど」
「ああ、あの車か。さっき来たけど引き返したよ。あんた達もいったいった」
 警備員は面倒くさそうに手を振り、我夢達の車を追い返そうとした。我夢がXIGのライセンスを取り出して見せると、眉を顰め苦い顔をする。
「やめた方がいいですよ。ここは道も危なくなってるし。まったく、噴火か怪獣かわからんけど、迷惑なんだよねー」
「山の神が怒ってなさるのじゃ」
 突然横から声がして、老婆が近付いてきた。驚いて見ている我夢たちの前で、警備員は溜息を付きその老婆に向かっていく。
「婆さん。ここの工事はちゃんと地主に許可貰ってやってるんだからね。そういうこと言いふらしちゃ駄目だよ」
「これ以上山を汚せば天罰が下るぞ」
 やれやれと言うように警備員は肩を竦める。その様子から見て、何度もこの老婆は言いに来ているのだろう。
「あのお婆さん、他の道知ってるんじゃないかしら。聞いてくるわ」
 玲子はそう言うと老婆を追って走っていく。我夢は吐息を付いてちらりとバックミラーを見た。眉間に皺を寄せ、藤宮は窓からじっと山を眺めている。こんな時に誘ったのを怒っているのだろうかと、我夢は再び溜息を付いてハンドルに頭を乗せた。
「この先の四つ辻を左にいって、突き当たりを右にですって。きっと田端さんたちもその道を行ったんだと思うわ」
 戻ってきた玲子はそう言いながら車に乗り込んだ。あの老婆には玲子も何度か会ったことがあり、山の神のことも聞いていたと言う。小さいながらも山の中腹には湖があり、その畔に祠があったのを工事の際に取り壊した、そのせいで山の神が怒っているのだと老婆は語った。
 よくホラー小説や映画に使われる話だなと思いながら、我夢は細い道を走らせる。そういえば、炎山の時もこんな感じで車を走らせていたっけ。
「あ、あれ」
 僅かに道が広くなっている場所に、見慣れたKCBの車が停まっていた。その脇に我夢は車を停め降りる。驚いたように降りてきた三人を見た田端は、僅かに笑顔を浮かべて出迎えた。
「田端さん、どうしたんですか、こんな所で」
「車がエンコしちゃったんだよ。こんな大事な時にまったく」
 苛立ったように田端は車を蹴飛ばした。その途端、山鳴りがして上の方から細かい土や石が転げ落ちてくる。
「田端さん、やめて下さいよ。ほら、山の神様が怒ってますよ」
 情けなさい表情で、車の修理をしていたらしい倫文が周りを見回した。馬鹿なことをと言いかけた田端は、再び地鳴りと共に揺れた地面に、びくりと肩を竦めた。
「ここから先は僕が調べてきます。あなた方は危険ですから車が直ったら、直ぐここから離れてください」
 我夢はそう言うと、車に戻りジオベースに連絡した。直ぐに樋口達が調査に向かうとの応えがあったが、我夢は取り敢えず自分ももっと奥に入り調べてみようとハンドルを取る。その隣に、するりと藤宮が乗り込んできた。
「藤宮、玲子さんと一緒に居てあげなくていいの」 「今日誘ったのはお前だろ。優先すると言った筈だ」
 それはそうだけど、これは仕事になっちゃうしと思いながらも、我夢は少し嬉しく思いアクセルを踏み込んだ。  道は益々狭まり、所々に岩や木が落ちている。それを避けながらゆっくり登っていった我夢は、途中二手に分かれた道の手前で停まった。
「どっちかな。取り敢えず、その祠があったって場所に行ってみたいんだけど」
「聞こえるか」
 じっと腕を組み目を閉じていた藤宮は、目を開くと我夢に訊ねた。海の時と同じように、何かの声が聞こえるだろうかと、我夢は目を閉じて耳を澄ませる。低周波は人間の耳に聞こえることはない。聞こえたとしても頭の中に響くような不快なものとして認識できるだけだ。
 その唸るような音と一緒に、別の声ではない怒りの波動のようなものを感じて我夢は目を開いた。本当に神様が怒っているのかと、驚いて藤宮を見る。
「神かどうかはわからんが、何かが居るのは確かなようだな」
 左手の道を見て呟く藤宮に、我夢は頷いてそっちへハンドルを向けた。道は相変わらず狭いが、さっきよりは楽に車を動かせる。そのせいで、今まで車を走らせるのに夢中で考えられなかった余計なことが頭の中にぽつりと浮かんできてしまった。
「玲子さんに頼まれて、調べてたんだ…」
 また、この間と同じに、という部分は声に出さずに我夢は呟く。玲子の頼みなら面倒なことでも、小さなことでも聞くのかと、我夢は胸が痛んだ。優先するのはお前だときっぱり言われても、何となく素直に喜べない。
 嫉妬は醜いと理性で解っていても、どうしようもない感情ってのはあるもんだなと、我夢は自嘲した。


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