10月の休日 2

  「なんで俺がこんな格好をしなきゃならんのだ」
「仕方ないですよ、くじで決まっちゃったんだから」
「お前はいい、それならまだ笑われないからな」
 棘だらけの梶尾の言葉に、北田は苦笑を浮かべた。これで、似合っているなどと言ったら、絶対殴られると解っているので北田はすみませんと頭を下げる。
「梶尾さん〜まって下さい」
 ずるずると白い裾を引きずりながら後ろから追いかけてくるオバQに、梶尾は長く伸ばした付け眉を上げようとして失敗した。重すぎるのだ。
「最初にどこ行きますか? やっぱりコマンダーの所ですか」
 息を切らせてオバQ姿の大河原が言う。ぴたりと足を止めて梶尾は振り返った。
「これでコマンダーの前に出ろって言うのか、お前は」
「え、でも似合いますよ、なんでしたっけ、ドロロン閻魔くん、格好いいじゃないですか」
 大河原は言った途端に梶尾に殴られ、頭を押さえて廊下に蹲った。ふるふると梶尾の拳が震えている。まあまあと、ドラキュラ姿の北田が梶尾を押さえた。
「殴るぞ」
 殴ってから言われても、と大河原は涙目で梶尾を見上げた。梶尾は拳を引っ込め、踵を返すと大股で歩いていった。
 居住区を過ぎようとした時、後ろから悲鳴のような声が聞こえ、梶尾は足を止める。ジオベースには常駐の者が住む区域と、宿泊だけの施設があるのだ。悲鳴が聞こえてきた方は確か、と梶尾は戦機を変更してそっちへ足を向けた。
「やだやだー、こんなの変だよっ、絶対やだ」
「何騒いでるんだ」
 梶尾の思ったとおりそこは我夢の部屋で、扉付近で敦子とジョジーが必死の形相で腕を引っ張っている。腕だけしか見えず、何の仮装なんだと梶尾は扉の中を覗き込んだ。
「あ、梶尾さん。手伝ってください」
「モウ、着替えちゃったんダカラ、早く出てオイデヨ」
 我夢も男だけあって女二人の力では無理に引っぱり出すことは出来ないらしい。梶尾はどれだけ恥ずかしい格好なのかと訝りながらも、自分がこんなに恥ずかしい思いをしてるのに我が儘な奴だと、敦子に代わって腕を取った。
「我夢、出てこい」
「え、梶尾さん? わあっ」
 一瞬力が抜けた我夢を引っぱり出す。我夢の姿をやれやれと確認した梶尾は、一瞬息を止めた。
「う〜」
「カワイイって。お化けのカッコよりずっといいでしょ」
 唸りながら俯いている我夢の格好は、白いミニ丈の着物にピンクの帯、ゲタというものだった。一体何の仮装なのかさっぱり解らなかったが、着物から伸びるすんなりとした素足に梶尾の目が釘付けになる。
「それ、お化けなんですか?」
 大河原と北田が固まってしまった梶尾に代わって訊ねた。
「梶尾さんの格好見れば判るでしょ。閻魔くんといえば雪子姫じゃない。せっかくペアで衣装作ったんだから、一緒に行ってね」
 一体敦子の年齢はいくつなのだろう。閻魔くんなんて古いアニメ良く知ってたものだ。オバQもだけど。
「梶尾さん…僕、変じゃないですか」
 漸く上げた我夢の顔は薄化粧が施してあり、うるうるしている目と相まって梶尾の胸を撃ち抜く。赤くなったままじっと見つめるだけの梶尾に、我夢は首を傾げた。
「変じゃないよ、ダイジョーブ。さ、いこ、最初はコマンダーのとこ」
 動こうとしない、否、動いたら最後我夢を抱き締めさらってしまうんじゃないかと恐れたジョジーがさりげなく我夢の手を取り歩き始める。北田と大河原は溜息を付き、梶尾の背を押してその後を着いていった。
 周りのみんなが仮装していて変な格好だと思うと、我夢も段々自分の格好に慣れてきて普段の態度に戻ってきた。梶尾だけはまだぎくしゃくしているようだが、他のみんなはすっかりその姿が気に入ったようで、すれ違う人たちに手を振ったりしている。
 コマンダーの部屋の前まで来ると流石にはしゃいだ様子を改め、扉をノックして中に入った。  静けさが満ちて落ち着いた部屋は、エリアルベースの時より僅かに広めで部屋の隅には畳も三畳ほど敷かれている。その上にコマンダーは正座してお茶を点てていた。
 難しい顔をしているコマンダーに、自分たちの姿を怒っているのだろうかと中に入った面々は顔を見合わせた。
「Trick or Treat、と言わないのか」
 そう言ってコマンダーはにやりと笑う。戸惑っていたみんなの中で一番にジョジーが立ち直り、鮮やかな発音で(当たり前だ)その言葉を言った。
「用意はしてある。座りたまえ…といっても、人数が多すぎるな。取り敢えず、これをやろう」
 コマンダーは自分の後ろから大きな袋を取り出すと、中から小さな袋を人数分出し渡した。開けてみると中には可愛くて繊細な干菓子がたくさん入っている。もしやこれをコマンダーが作ったのかとはみんな怖くて聞けなかった。
「おいしーです、これ」
 さっそく我夢は一つ摘んでぽりぽりと食べ始めている。その頭をはたいて梶尾は失礼しました、と部屋を後にした。
 次はどこへと歩いていくと、各部署の扉にカボチャのお化けシールが貼ってある場所とない場所がある。貼ってあるのがお菓子をくれる所だと言われ、我夢は率先して梶尾を引っ張り次々に訪問していった。
「やっぱ、我夢ってお菓子とか食べ物のことになると夢中だわ」
「子供ダネ」
 こそこそと敦子とジョジーが囁き合う。でもどうやら元気は回復したようで、とても楽しそうだと二人は満足げに頷いた。
 次はどこへ行こうかと迷っていた我夢は、研究室へ行ってみようかと廊下を曲がろうとした。すると突然側にあった扉が開き、中からこの世のものとも思えぬほどのおどろしい声を上げ、怪物が飛び出してきた。
「キャーっ」
 悲鳴を上げ蹲る敦子とジョジーは、大きな物音に閉じていた目を恐る恐る開いた。廊下には人の固まりが団子状になっている。
「あったたっ、おい梶尾、マジで殴ったな、お前」
「当たり前です。常に戦士として非常時には活動できるようにしてますから」
 ひとかたまりの中からようよう這い出してきたのは、梶尾とフランケンシュタインだった。よく見ると、白い包帯を巻き付けただけのミイラ男もどきも転がっている。その下敷きになってもがいていた我夢は、息を荒げながら抜け出した。
「よ、吉田さんも志摩さんも脅かさないで下さい」
「お菓子をくれないと脅かしちゃうぞ」
「それは僕らじゃなくて、ちゃんと部屋の人に言って下さい。通りすがりの人驚かせてどーすんですかっ」
「いやあ、ちょっと手抜きの仮装だからさ、ちゃんと怖がってくれるかどうか試してみようってことになっちゃって」
 我夢の剣幕に、志摩は謝ると立ち上がった。その姿は本当に単に包帯を巻いただけのもので、手が加わっているようには見えない。それでも、充分怖いとは我夢には言えなかった。吉田のフランケンシュタインは顔にギザギザメイクをして大きな耳栓のようなものを付けているだけだ。
「ジューブン、怖いよネ」
「しぃっ」
 ジョジーが呟くと敦子は慌てて口に指を当て制した。だが、聞こえていたらしく、吉田と志摩は両腕を前に伸ばし、二人に迫っていく。悲鳴を上げ逃げ出す二人を嬉しそうに吉田達は追っかけて行ってしまった。
「あれじゃセクハラだ」
「あははは、どこに行くんだろ」
 ぼそりと呟く梶尾にまだ座り込んだままの我夢が力無く笑って言う。何でまだ座ってるんだと梶尾は我夢を見下ろした。
「腰でも抜けたか」
「違いますよ、ちょっと足捻っちゃったみたいで」
 慣れないゲタを履いていたせいか、転んだ拍子に痛めたらしい。歩けないことはないけど、と我夢はゆっくり立ち上がった。
 顔を蹙める我夢に、梶尾は暫く考えていたが背を向けると負ぶさるように促す。
「い、いいですよ。歩けます」
「ちゃんと治療するまでは駄目だ。腫れて酷くなったらどうする。この先は神山さんの詰めてる部屋だから、ちょっとした薬はあるだろう」
 そこまでだからと梶尾は我夢に言って、無理矢理背負った。しがみついて恥ずかしさに肩口に顔を埋める我夢の吐息が首筋にかかり、梶尾はちょっと動揺する。それを押し込め、梶尾は歩き出した。

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