10月の休日

   破滅将来体との戦いが一段落した後、我夢は大学に復学し通いながらジオベースでの仕事も続けていた。石室は学業の方を優先しろと言って、我夢がジオベースでアナライザーとして働くことに渋い顔を見せたが、他の人間はほとんど喜んでいた。
 千葉参謀などは単純に我夢が居た方が活気があってよろしいと喜んでいるのだが、他の一部の人間はもっと別なことで燃え上がっている。戦いの間に培った信頼と友情と、それ以上の感情を持っている者は、今がチャンスとばかりに手ぐすねを引いているのだ。
 ジオベースは未だに地下にあり、地上には地味な出入り口しかない。そのためか一般人の興味はエリアルベースがあった時より直ぐに薄れ、我夢がジオベースから通うようになった頃には誰も注目しなくなっていた。
 それをいいことに、我夢はアパートを借り直すこともせずジオベースに与えられた部屋を未だに使っている。通学はたまに非番になった梶尾や神山に送ってもらうこともあったが、もっぱら日に数回出る街中へのシャトルバスを利用していた。
「はあ…」
 ジオベースには窓がない。地下にあるから当然なのだが、閉所恐怖症の者には勤まらない環境だ。我夢は何もない廊下の壁を見つめて溜息を付いた。
「何壁に向かって溜息付いてんだ」
「いえ、窓がないから仕方なくです」
 梶尾は答えになってない我夢の言葉に眉を潜めて見つめた。最近我夢の元気がないことに気付いているのは自分だけではないだろう。梶尾以外にも、あちこちから我夢に向けられる視線を感じる。
  その視線は不安と心配と、多分梶尾と同じ感情も含まれているに違いない。
「窓がないのが溜息の原因か。変わったやつだな、窓フェチか」
 梶尾の言葉に、我夢は恨めしげな視線で上目遣いに見た。
「僕はマックも好きですけど」
「俺はファーストフードはどうも好かん」
「…今日はノッてますね、梶尾さん」
 漸く笑顔を見せて我夢は身体ごと梶尾に向き直った。我夢の頭に手を乗せ、いささか乱暴に梶尾は髪を掻き回す。
「窓はウィンドウズでマックはマッキントッシュだろ。パソコンはあんまり詳しくないが、それくらいは俺だって判るぞ」
「いたた、梶尾さん離して下さいよ」
 凄いというように目を見開く我夢に、梶尾はむっとして頭を抱え込み締め付ける。悲鳴を上げる我夢を離し、梶尾は真剣な顔で再び向き直った。
「で、何だ」
「迷惑なのは判ってるのに、居てもいいって言葉に甘えて側に居てもいいんでしょうか」
 梶尾は我夢の問いに眉を顰めた。我夢が側に居たいと思う相手とは、つい最近までここに居候していた藤宮のことだろう。確かに地球の恩人には違いないが、テロリストまがいのことをしたり、無愛想で無遠慮で傲慢な藤宮のどこがいいのか解らない。
「自分で甘えてる自覚があるなら、判るはずだ」
「そう、ですよね」
 我夢は項垂れて持っていたファイルを額に押し当てた。泣いているのではないかと、梶尾はそっと肩を抱き寄せる。
「あー、梶尾さん、何泣かしてるんですか」
「我夢、大丈夫か」
 大河原と北田の声にはっと我に返った梶尾は、あたふたと抱き寄せようとしていた両手を上げ、二人を睨み付けた。
「ば、馬鹿っ、俺は別に何もしてないぞ」
「そうやって狼狽えまくって言い訳するから怪しまれるんじゃないですか」
 反対側から冷静な突っ込みが返ってくる。ぎょっとして梶尾が振り向くと、頬を引きつらせた敦子が仁王立ちしていた。
 呆然と立っている梶尾に構わず、敦子は足音も荒く近付くと我夢の手からファイルを取った。我夢は泣いてはいなかったが、ばつの悪そうな顔で俯いている。
「何だよ」
「何よ。たかだか藤宮…さんに冷たくされたくらいで落ち込まないでよね、鬱陶しいから。あんたがそんなじゃ仕事もはかどんないし、私たちも困るの」
 敦子なりの慰めなのかと、最初は驚いていた我夢は顔を上げてにこりと微笑んだ。敦子は微かに頬を赤く染め、我夢のファイルを持ったまま、もう一方の手で手首を掴み引っ張るようにして歩いていってしまった。
「鳶に油揚げって感じですね」
 何も出来ず見ているだけだった梶尾に、笑いを含んだ声で北田が呟く。大河原は哀しそうに首を横に振っていた。
「行くぞ」
 口元を引き締め、梶尾は二人に言うと不機嫌も露わに歩き出した。
 一方暫く引っ張られていた我夢は、研究室の前まで来ると漸く足を止めた敦子に手を離された。はい、とファイルを渡されて我夢は小さくありがとうと呟く。自分でも鬱陶しいのは判っているから、心配されると心苦しくもありがたい。
「あのね、ほんとーに嫌なら徹底的に無視するとか、嫌み言うとかするでしょ、あの人。それしないんだから少しは気に掛けてるってこと。自分にもう少し自信持った方がいいよ」
 敦子は自分が藤宮にされた意地悪…ではないと思うが、風当たりの強さを思い出して言った。どうも、我夢に構う度に冷たい視線を向けられるのは自分にだけでは無いようだけれど。
「アッコ」
 じゃね、と踵を返し足早に去っていく敦子に、我夢は薄く微笑んだ。自分に元気がないとみんなが心配してくれる。藤宮に好かれてないのは切ないけれど、心配してくれる人のためにも仕事頑張らないと、と我夢は拳を握りしめ活を入れて研究室の扉を開けた。
 腕を組み考えながらメインルームに入った敦子は、丁度出て来ようとしていたジョジーにぶつかり小さく悲鳴を上げた。
「ワオ、アッコ考え事しながらじゃアブナイよ」
「ごめん。なんかねー、気にいらなくって」
 唇を噛み締めて言う敦子に、ジョジーは首を捻ると部屋の中へ戻った。どこか行く途中じゃなかったのかというように見る敦子に、ジョジーは大したことじゃないしと笑いかけて椅子に座る。興味津々な風に見つめてくるジョジーに、敦子は自分も椅子に座ると話し出した。
「我夢が最近元気ないでしょ」
「疲れてるんジャない? 大学とこことカケモチだもんね」
「若いんだからそれくらいどってことないでしょ。バイトしながら大学行ってる子だっているんだから」
 ジオベースでの研究や仕事が学生アルバイトと同列だとは思えなかったが、ジョジーは口には出さずに敦子に続きを促した。
「元気付ける方法ないかなと思って。だいぶここでの生活も慣れてきたし、後始末も整理されてきたし、ぱーっと何かしてもいいわよね」
「パーティでもする? えーと、ナントカ記念って好きだよね、ニホンの人たち」
 それはちょっと誤った日本感だと敦子は僅かに顔を引きつらせた。
「もうすぐハロウィンだから、それ頂こうかと思ってるの」
「ハロウィン? ああ、お菓子ダイスキ我夢なら喜びソウ」
 パチンと両手を合わせ、ジョジーはなるほどというように頷いた。お菓子を求めてお化けの仮装をし、家々を廻るのは子供たちなのだが、我夢ならそれも似合うだろう。…もう二十歳をとっくに過ぎているというのに。
「じゃ、さっそく回覧回さなきゃ」
 にっこり笑って敦子はメールによる回覧板を作るため、いそいそとモニター画面に向かった。
 瞬く間にそれはジオベース中に伝わり、普段なら苦い顔をする上層部も、敦子のこっそり言った「我夢を励ますため」という言葉に了承した。仮装側に参加する者と、お菓子づくりをメインにする者とに分かれ票で順位を決めるということに至って、ノリはまるで文化祭のそれである。
 我夢は大学から戻った途端、お祭りムードになっているジオベースの様子に目を白黒させていたが、敦子から内容を聞くと面白そうに目を輝かせた。
「今回はぼくら大学祭の方参加しないんで丁度いいや。でも、ハロウィンって子供がメインなんじゃない」
「だから、いいのよ」
 敦子のにんまりとした顔に、我夢は首を傾げる。以前にやったように子供を招待しようとでもいうのだろうか。前にそれでさんざんな結果になったから、二度と子供相手はごめんだと堤は言っていたような気がしたが。
「…まさか、僕が子供っぽいから思いついたってんじゃ」
「ぽい、じゃなくて子供でしょ。仮装側の主役よ、あ、ガイアになるのはナシよ」
「そんなことする訳ないじゃないか」
 ずばりと言われて我夢は口を尖らせた。その様が子供だと周りで窺っていたメインルームのメンバーは苦笑を浮かべている。
「一応出撃メンバーが仮装チーム、待機メンバーがお菓子チームなんだけど、どっちも手作りがキホンダッテ。一週間しか時間ないから、仮装作るのタイヘンかも」
 ジョジーの言葉に我夢は天井を見上げて考え込んだ。ハロウィンの仮装といえば魔女とかカボチャのお化けとかがメジャーだろう。でも、メジャーなものは誰かがやるだろうから、自分は別のものにしないと。
 考え込んでいる我夢の姿に、取り敢えず、落ち込みの原因から目を逸らして楽しんでくれればオッケーだと敦子とジョジーは顔を合わせて小さくガッツポーズを取った。
「あ、我夢の仮装、私たちが考えてあげるからね」
「ソウソウ、ちゃんと衣装も作ってアゲル。我夢忙しいモンネ」
 にっこり笑うオペレーターズに僅かに不安が渦巻くが、今の状況では忙しくて衣装どころではないだろうから、仕方なく我夢はお願いしますと頭を下げた。
 瞬く間にハロウィンの日がやってきて、前日から大騒ぎだったジオベースはすっかりお祭り気分になっている。あちこちで得体の知れない物体が動き回り、いい匂いが立ちこめ、外部から何も知らずにアクセスしてきた人間はオペレーターの姿に絶句した。
「二人とも良くお似合いです」
 真剣に言ってるのか今いち判らない口調で言う彩香に、敦子とジョジーはお互い顔を見合わせた。敦子は魔女の定番、黒いとんがり帽子に黒マント、杖を持ってはいるがミニスカートである。ジョジーの方は妖精の女王タイタニアの姿をしている。
「じゃ、あとよろしく」
 通常勤務の彩香に後のことを頼むと、二人は我夢の部屋に向かった。返事をして出てきた我夢は、夕べも遅かったのか眠そうに目を擦っていたが、二人の姿を見ると大きく目を見開いた。
「目、醒めたよ…その格好、凄いね」
「あんたに言われたくないわ」
 パジャマも着ずにタンクトップと短パンで現れた我夢の、ぼさぼさ頭に目を向け敦子は言うと部屋の中に入っていった。
「さ、早く着替えて」
「え、ええーっ! 何これっ」
 通りすがりの隊員が我夢の悲鳴に驚いたように見た時には、ジョジーがぴったりとドアを閉めていた。

NEXT HOME