10月の休日 3

  「どうしたんですか」
 神山が居た部屋は普段はレスキュー関係の詰め所になっている。が、今は甘い匂いが部屋一杯に香り、テーブルの上には大きなケーキが三台置かれていた。それを見て、目を見張っているみんなに、エプロンを外しながら神山は訊ねた。
「我夢が足を捻ったんだ」
「ここに座らせてください」
 椅子に座らせるよう言うと、神山は戸棚から湿布薬を取り出して我夢の前に跪いた。神山が足首を取り僅かに力を入れると、我夢は痛みに顔を僅かに歪める。どこからか氷を取り出して、神山は我夢の足首を冷やし始めた。
「それほど酷い怪我ではないようですから、暫く冷やして後は湿布で大丈夫でしょう。その間ケーキでもいかがですか」
 その言葉を待っていました、と言うように我夢の表情がぱっと輝く。神山は手を洗い、ケーキを大きめにカットすると三種類纏めて皿に載せ我夢に手渡した。嬉しそうに食べ始める我夢に、安心したように梶尾は息を吐いた。
「まだまだたくさんありますから、どんどん食べて下さいね」
「凄く美味しいです! 神山さんがこれ全部作ったんですか」
「そうですよ。貴方のために」
 にっこり笑って答える神山に、我夢も嬉しそうに頷いた。それをなんとなく面白くない気持ちで眺めていた梶尾に、くるりと神山は振り返って微笑む。
「みなさんもどうぞ」
 言われて梶尾たちは遠慮がちに一皿ケーキを取り分けてもらった。ふと見ると、我夢はすでにお代わりの皿をもらっている。
「あんまりここで食ってると、次に行けないぞ」
「そう言えば、樋口チーフが何か蒸かしてましたね」
 神山は再び空になった我夢の皿を取りながら、思い出したように言った。梶尾は三皿目に突入している我夢にげんなりとした視線を送り、立ち上がった。樋口の蒸しものが何かは判らないが、生クリームやカスタード系統のものよりはいいだろう。
「我夢、俺達は樋口チーフの所に行ってるから、暫くここで大人しくしてろ」
「えー、僕も行きます。蒸しものってなんだろう、肉まんとかかな」
「どこに入るんだ、そんなに食ってて」
「そういうのは別腹です」
 普通別腹といえば、メインを食べた後のデザートを食べるときに使う言葉ではないだろうか。我夢の別腹は一体いくつあるんだと、梶尾は呆れて何も言わず神山に礼を言って出ていった。
「あ、行っちゃった」
「もう良いでしょう。拭いて湿布を貼りましょう」
 神山は我夢の足首から水気を丁寧に拭き取り、湿布を手際よく貼って包帯を巻いた。立てますかと聞く神山に頷いて我夢は立ち上がる。神山の手当は適切で、痛みは薄れ歩いても感じない。礼を言って見上げる我夢の顎を取ると、神山はじっとその顔を見つめた。
「何です?」
 神山の手が顎から唇に触れる。ぎょっとして目を閉じた我夢の唇の端を軽く拭うと、神山はその指を舐めた。
「クリームが付いてました。もういいですよ」
 どきどきしながら我夢は再びぺこりとお辞儀をして部屋を出ていく。ごしごしと唇を拳で拭い、深呼吸をして動悸を落ち着かせ、我夢は梶尾達の後を追った。
 樋口は多分研究室に居るだろうと見当を付けて我夢はそこへ向かっていく。途中、シールが貼ってある別の部屋の前も通り過ぎたのだが、一人でこの姿で入る勇気はない。あのメンバーの中だから恥ずかしさも忘れて楽しめるのだ。
「あれ…」
 ラボの扉にはシールが貼ってなかった。不思議に思いつつ扉を開くと静かで人気がない。ここではなく、別の部屋で待っているのかと我夢は扉を閉めようとして微かな香りに気が付いた。
 我夢は良く知っている香りに惹かれるように中に入り扉を閉めた。ラボはいくつかの仕切で区切られ、奥には白衣や簡単な着替えのための大きな衝立で囲まれたスペースがある。研究で徹夜しなければならなかった時など、ここで仮眠することもあった。
 そこを覗き込んだ我夢は、驚いて息を飲んだ。パイプ椅子に藤宮が腰を掛け目を閉じている。眠っているのか目を閉じているだけなのか判らなかったが、我夢は静かに近付いていった。
「何だ」
「び、びっくりした。起きてたんだ」
「寝ていた訳じゃない」
 藤宮は目を開けると我夢の姿を上から下までじっと眺めた。その時になって我夢は自分がどんな格好をしているか思い出し、顔を赤く染めてその場から去ろうとした。
 藤宮は椅子から立ち上がると我夢の手首を掴み、引き寄せる。後ろから軽く捕獲するように藤宮は我夢に腕を回した。
「その格好は、今日の馬鹿騒ぎのためか」
 耳元で囁かれ、我夢は首を竦めた。鼻先にさっき感じた香りが漂う。これは藤宮がいつも使ってるものだったかと納得して、我夢はちらりと後ろを見た。
「これはアッコが作ってくれたんで、僕が選んでした訳じゃないから。ちょっと息抜きにハロウィンだって」
 馬鹿にしたように鼻で笑う藤宮に、我夢はむっとして腕を引き剥がそうとした。
「いいじゃないか、藤宮が興味ないなら帰れば。今日は君の嫌いな馬鹿騒ぎばかりだと思うよ」
 藤宮は腕に力を込めている様子もなく、我夢を拘束している。我夢の引き剥がそうとする力と同じ程度の力を加えているらしい。
「これは何の格好だ」
 諦めて力を抜いた我夢に、藤宮は訊きながら片手を膝の方に滑らせた。
「えっと…雪子姫だっけ、アッコが言って…あ…」
 藤宮は膝に置いた手を上に滑らせ、我夢の露わになっている太股を撫で始めた。時折マッサージするように筋肉を揉み、ゆっくり上下に手のひらを滑らせる。
「やめてよ、くすぐったいよ」
 我夢が身を捩り手を振り払っても、藤宮は意に介さぬように撫で続けた。腿で遊んでいる手とは別の手を、藤宮は我夢の首筋から襟刳りへと滑り込ませる。
 我夢は身を縮ませて藤宮の腕から逃れようとした。が、俯いたことで晒された項に唇を寄せられ、情けない悲鳴を上げる。
「やっ、からかうなってば」
 猫がネズミを弄ぶように藤宮に追いつめられた我夢は、目尻に涙を浮かべて振り返り睨み付けた。いくら嫌いでも、こんなじりじりと追いつめるような事をされるのは、我夢にとって一番嫌な事だ。からかわれるより殴られたりする方がマシだと、我夢は藤宮の腕を力一杯振り払った。
 怯んだように腕を外し、藤宮は息を荒げている我夢を見つめた。
「からかった訳じゃない…」
「え」
 冷たい蔑みの視線を予期していた我夢は、藤宮の微妙に揺れる目に惹き付けられ動きを止めた。滑るように近付いた藤宮は、我夢の頬に手を当て顔を近づけていく。
「んっ」
 唇が触れ合って、我夢は目を二三度瞬かせると閉じた。藤宮の腕が腰に回り抱き寄せる。胸と胸が合わさり、藤宮の鼓動が自分と同じくらい速いことを我夢は知った。
「…甘い」
 唇が離れると開口一番藤宮が嫌そうに呟く。漸く魔法が解けたように我に返った我夢は、ぱっと顔を離し藤宮に背中を向けた。
「あ、それはケーキ食べたから…って今の…なんで、あれ…」
 混乱して唇を押さえ言う我夢を、再び藤宮は背中から抱き締めた。
「我夢…」
 後ろから手を顎に添え、振り向かせて藤宮はまた我夢に口付けようとする。だがそれは荒々しく開けられた扉の音で阻止された。
「我夢っ」
「梶尾さん」
 衝立を蹴飛ばし、怒りの形相で現れた梶尾は藤宮を睨み付けた。
「我夢を離せ」
「XIGのパイロットが変わった格好だな」
 冷静に見返す藤宮に、梶尾は言葉を詰まらせる。後からそっと駆けつけた北田と大河原は、梶尾の血管が切れるのではないかと、はらはらしながら見守っていた。
「今日は俺達の祭りだからな。関係ない奴は手を出すな」
「手を出すとは、こういうことか」
 藤宮は背後から我夢の身体に回している手を、また腿の方に伸ばす。思わず梶尾が藤宮に飛びかかろうとした時、それを止める大きな声が後ろから掛けられた。
「スゥトーップ! せっかくのハロウィンにケンカはナシね」
「我夢、なんてかっこしてんの、あんたは」
 硬直してしまった梶尾を押しのけて、ジョジーと敦子は我夢を救出する。藤宮も毒気を抜かれたのか、抗いもせず我夢をすんなり二人に渡した。
「あーあ、せっかく綺麗にしたのに、でろでろじゃない」
 涙と冷や汗で化粧は剥がれ落ち、暴れたせいで着物はすっかり着崩れている。敦子とジョジーは倒れていた衝立を直すよう大河原と北田に言うと、その影で気付けを直そうと我夢を促した。
「梶尾さん、すみません。藤宮はただふざけてただけなんです」
「ふざけただけだと」
 我夢の言い訳に梶尾はきりきりと眉を釣り上げる。藤宮は平然としていたが、不機嫌そうな表情でそっぽを向いていた。
「とにかく、続けましょう、梶尾さん。後は堤チーフの所だけですから」
「それまでは我夢は俺達と一緒ですし」
 北田と大河原に言われ、梶尾は漸く拳を引っ込め腕を組んだ。
「そうだな、我夢はこれから俺と一緒に回るんだし、藤宮にはここで大人しく研究でもしていてもらおうか」
 大人げないと思いつつも、北田と大河原は頷く。藤宮は眉を上げ、一歩我夢の方に近付いた。なんとなくこのまま我夢を誘拐されそうな気配に、敦子はごくりと唾を飲み込む。
「あ、ソウだ。今のカンジだと、藤宮さんはオオカミ男でいいかも」
「お、狼男?」
 みんなの声がハモる。ジョジーは明るく悪気もなさそうに言い放った。
「ダッテ、我夢襲ってたジャナイ。それって日本ではオクリオオカミって言うんデショ。オオカミって藤宮さんのイメージピッタリ」
 がくりと全員の力が抜けた。送り狼と狼男ではまるっきり違うと思うのだが、ジョジーに説明する係りの梶尾が一番脱力していて否定する気力もないようだった。
「…狼男かあ、じゃ月が出てないうちは普通の人間だし、そのままでいいかも」
「駄目よ、仮装にならないじゃない。しっぽくらい付けなきゃ」
 汗を浮かべつつ、我夢が提案する。それに反論した敦子に藤宮はじろりと睨み付けるが、負けずに見つめ返され彼女が持っていた箒を手渡された。
「はい、しっぽの代わり。送り狼よりは狼男の方がいいでしょ」
 嫌そうに箒を見ていた藤宮だったが、それを放り出すこともせず反論もしなかった。それを肯定と受け止めて敦子は我夢の着物を直し始める。あの藤宮に言い聞かせるなんて、やっぱりここで一番強いのは敦子だろうかと、我夢は直されながらこっそり思った。
「さ、これでいいわ。堤チーフの所へいきましよ」
 元通りになった我夢の隣にすかさず梶尾が並んで立つ。捻った足に負担を掛けないよう腕を持つと、反対側の隣に藤宮がいつのまにか付いていて同じように腕を抱えてた。
 まるで警察に連行される犯人のようだと、我夢はちらりと二人を見るが、お互いの視線が上で火花を散らしていて割り込むことは出来そうもない。
 前を敦子とジョジー、後ろに北田と大河原を従え、我夢は堤の部屋へと向かっていった。
扉を開けるといろんないい匂いが漂ってくる。
「遅かったな、早く入れ」
「うわぁーい」
 まるきり子供の歓声を上げ、我夢は梶尾と藤宮に腕を捕まれたままテーブルの上に並べられたとりどりのお菓子に駆け寄っていった。
「足は大丈夫ですか」
「あ、神山さん」
「私の所へは寄ってくれなかったんですね、ここに持って来てるんでよかったら食べてみてください」
 堤の隣に座っている神山に返事をして、反対側に居た樋口に謝ると我夢は猛然と食べ始めた。まるで今まで何も食べてないような食欲に、梶尾は自分が食べた訳でもないのに胸焼けしそうな気分になって目を逸らした。
「藤宮も梶尾さんも食べないんですか? こんなに美味しいのに」
「いや、俺はもう充分だ」
「…俺は、いい」
 両手にケーキとクッキーを持って二人を見た我夢は、首を捻りながらも嬉しそうに平らげていった。
「ちょっと気の毒」
「暫く甘いモノ食べられないネ」
 そんな三人の様子を傍目に見ながら敦子とジョジー、北田、大河原の四人は樋口に特別に作ってもらったわさび饅頭を食べながらお茶を啜っている。
「ま、我夢が幸せだから、いーんじゃない」
「ソユコト」
 女性二人がにっこり笑うのに、北田と大河原は複雑な想いで梶尾に視線を送っていた。                           ちゃんちゃん

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