Someday


 朝の日差しはリビングを明るく照らし、隣のキッチンではしゅんしゅんと湯気を立ててヤカンが湯を沸かしている。そこに立つふりふりエプロンの後ろ姿を眺めながらリビングのソファで新聞を読むでもなく見ていた森は、あそこに居るのが妙齢の可愛い女の子ならもっと楽しい朝なのに、などと頭の隅で考えていた。
「ほら、いつまでもぐーたら座ってないで、少しは手伝えよ。遅刻するぞ」
 くるりとフライパンを持ったまま振り返ったのは可愛い女の子ではなく、男の子だった。まあ、可愛い顔立ちはしているが、意志の強そうな黒い瞳とくっきり引かれた眉が可愛らしいと言えない少年っぽさを醸し出している。
 森は聞こえないように溜息を付き、新聞を置くとキッチンの方へ向かった。
「エン、また目玉焼きか?たまには違うの作んない?」
「文句言うなら自分で作れ。俺だってこんなことしてる暇ねーんだからな」
 むっとした顔で森の出した皿の上にちょっと端の焦げた目玉焼きを乗せる。ちゃんと両目玉でつぶれていない半熟なだけ、ましかもと考えつつ森は焼けたトーストにバターを塗り始めた。
「げー、もうこんな時間かよ。急がねえと、またあの変な風紀委員長に捕まっちまうぜ」
 エプロンを付けたまま、炎はトーストにかじり付き、目玉焼きを掻き込んだ。喉に詰まったそれらを牛乳で流し込み、ばたばたと二階へ駆け上がろうとして動きを止め、森の方をじっと睨み付ける。
「んなゆっくり食ってると遅刻するぞ」
「だーいじょうぶ。先に行ってていいよ」
 更に睨む炎に手を振り、森はゆっくりと目玉焼きを食べ始めた。
 炎が大慌てで外に走り出、自転車に乗っていくのを見送った森は、彼が初めてこの家へやってきた時のことを思いだしながら、自分も学校へ行く支度を漸くし始めた。
 森の母は早くに亡くなり、それまで兄弟二人と父親とで暮らしていたが、やがて二人の兄が家を出て独立した頃、父親は再婚すると言って女性を連れてきたのだった。
 今更、再婚に反対することもないし、女の人が来るのは家が華やかになって賛成、と森は嬉しがったのだが、彼女には一人息子が居た。それが炎である。
 今まで三人兄弟の末っ子として生きてきた森は、一つ違いの弟ができたことにも素直に喜んだ。これで、留守がちだった父も家に帰るのが早くなり、賑やかになるだろうと思ったのに、彼女と父は結婚式も挙げずに籍を入れるとすぐ父の赴任先の海外へ飛び立ってしまい、驚く間もなく家には炎と二人きりで残されてしまった。
 呆然とする森に、炎はこれからよろしくと悪戯っぼく笑い掛けた。それ以来、この広い家に二人で暮らし始めて半年である。
 森の通っている学校に入学した炎は、さっそくいろいろな事件や喧嘩を起こし、先生たちや風紀委員から目を付けられてる。それでも、悪名より人気の方が高いのは性格と正義感の強さ故だろうか。そんな炎に一番噛みついているのが、森の親友でもある風紀委員長の広瀬海だった。
「さて、そろそろ行きますか」
 おもむろにショルダーバッグを担ぐと、森は車庫から750CCを引き出し、エンジンを掛けてスタートさせた。炎は自転車、自分はバイク通学なので、このくらいの時差出勤で丁度同じ頃着く。それに、鬼の風紀委員長とあだ名される海は、先に校門を通過する筈の炎に目を付け追っかけていってしまうので、自分は安全だったりするのだ。
「いつになったら気付くんかねえ」
 風を感じながらバイクを走らせ、森はくすりと笑った。学校は坂の上にある。これを自転車で苦もなく駆け抜けていく炎の脚力に感心しながら後ろを走っていた森は、坂の途中に停められていた黒い外車にちらりと目を向けた。この辺にこういう車とは珍しい…が、この車種は以前にも見たような気がすると思いかけた時、案の定、校門の向こうから海の怒鳴り声が聞こえてくる。森は時間ぎりぎりに門に滑り込み、バイクを自転車置き場に持っていった。
「シン、お前も遅刻か」
「ベル鳴る前に門を通ったから、遅刻じゃないよん。エンを追っかけてって見てなかったんだろ」
「う……」
 炎に逃げられたのか、眉を顰めた様子で言葉を掛けた海は、森の言葉にぐっと詰まった。にやにやと笑う森に、僅かに顔を赤く染め、早く教室に入れと言い捨てて足早に校舎の方に向かっていく。森はへいへいと頷きながら海の後に続いて歩いていった。
「まったく、ど一にかなんねえのかな、あいつ」
「もっと早く学校にくればいいんじゃないでしょうか?」
 席に着いた途端、ぶつぶつと文句を言う炎に、隣の席の雷がにこやかに言う。同級生だというのに敬語を使うのは、帰国子女で日本語を教えてくれたのがそれはしつけに厳しいおばあさまだったからだと言うことだ。
「朝飯作ったり色々してるうちに、時間経っちまうんだよ。そりや、起きるのがぎりぎりってのもあるけどさ」
「シン先輩は、ご飯作らないんですか?」
 首を傾げて聞く雷の姿に、あちこちの席から憧れの溜息が聞こえてくる。すっきり可愛い顔立ちと無邪気なところが雷の人気らしい。女子たちの間では、一年上の海とこの雷が人気を二分しているのだ。確かに可愛いんだけれど、どうも炎は雷が苦手だった。
「作れば作れるらしいけど…朝練無いときくらい、作って欲しいよなあ」
「なんなら、今度僕が朝御飯作りに行きましょうか」
 すっと近付いて炎の間近に顔を寄せ、微笑みを浮かべながら言う雷に、女子たちの間から奇妙な悲鳴が発せられた。これこれ、これが苦手なんだ、と思いつつ炎は顔を後ろに引き、眉根を寄せる。
「…遠慮しとく……殺されそうだ…女子に」
 むっすりと表情を歪め、炎は前方を向いた。一瞬悲しげな表情を浮かべた雷は、再びにっこりと笑うとじっと炎の横顔を見つめた。
「僕が守ってあげます」
 小さく呟いたその声は、丁度教師が入ってきた戸の音にかき消され、炎の耳には届かなかった。
 昼休みの学食はとりどりの学生たちで混んでいる。大盛りのうどんとカレーライスをトレイに乗せ、席を探してうろついていた炎は、手を振って合図する森の姿に気付くとその席へ向かっていった。
「また豚カツか、よく飽きねえな」
「エンちやんが毎日お弁当でも作ってくれたら、それ食べて栄養付けるんだけどな」
 向かい側に腰を下ろした炎がそう言うと、すかさず森はにこやかに言い返す。んな暇あるかい、とぼそりと呟き、炎はうどんを食べ始めた。
「ここに座ってもいいか?」
 思わずうどんを吹き出しそうになった炎は、慌ててそれを飲み込み、ごほこぼと咳き込んで声の主を見上げた。頷く森に、海はトレイをテーブルの上に置くと、隣に座ってくる。丁寧に手を合わせ戴きますと言って食べ始めた海は、未だ咳き込んでいる炎をちらりと眺めた。
「風邪でも引いたのか?」
「………」
 にやりと笑って言う森を睨み付け、炎はがつがつと食事を採り始めた。呆れるほどの早さでうどんとカレーライスを平らげ、水を飲んでから席を立とうとする。
「そんなにがっついて食べては、消化に悪い。もっときちんとよく噛んで食べねば、栄養は身に付かないぞ」
「食事の仕方までお偉い委員長さんは指図するんかよ。どう食べたって人の勝手だろ」
「見ている方が気分悪くなる」
「この席に後から来たのはお前の方じゃないかっ」
「上級生をお前呼ばわりするな」
 ああ言えばこう言う状況はいつものことだが、場所が人目に付く所なだけに、大きな声を上げた炎はあちこちから注目を集めてしまった。多少の人目など気にしない炎ではあったが、ここは分が悪すぎる。むっとした表情のままトレイを持つと、さっさとテーブルから離れてそれを返し、食堂から出ていった。
「あーあ、せっかくの兄弟の語らいを邪魔してくれちゃってえ」
「済まない」
 森の言葉に本当に済まないと思っているのか?というような口調で海は呟いた。ひょいと顔を覗くと、苦い表情で手は止まったままだ。
「もっと違う話し方もあるのだろうが、私にはこうしかできない」
「やれやれ」
 海がただの責務からだけであんなに炎に絡むのだとはもう森には思えなかった。暫く観察していたら、どうやらもしかしてまさか…と思えてきたのだ。海自身もはっきりと気付いてないらしいから、自分から言う気は無いし、実のところ応援する気もない。
 男同士だからという訳ではなく、単に海にちょっとだけ苦労してもらおうと思っているのだ。いつも、自分のナンパを口煩く咎める海に、恋には苦労が付き物ということを解ってもらうには良いチャンスだろう。
 だが、炎の方があんなにイライラして、海を避けるようになると、こっちにとばっちりが来そうで困る。最近は森にも冷たいのだ、炎は。
「今更性格変えろったって無理だよな。そんなら当たって砕けろ方式がいいかも、気付けばだけど」 ぼそぼそと独り言ちる森に、海は訝しげな視線を向けると、漸く再び箸を動かし始めた。
 食堂を出た炎は、大急ぎで掻き込んだ食事と、今の出来事に胸がむかむかしてきたのを落ち着かせるために、裏山に上っていった。
 自分たちが通っている山海高校の裏には、これが学校の敷地かと驚くはど広大な山や森が広がっている。奥の方まで探検した者が生きて戻れなかったとかどうとか、いろんな噂があるくらいだ。だが、炎はここに入ってから自分だけの道を開拓し、森の一角に自分の隠れ場を見つけていた。
 木々の風に揺れる音や近くを流れる川のせせらぎ、鳥の声を聞きながら木陰で昼寝をするのが日課となっている。
「リュウ」
 その場所には先客が居た。自分と同じように森や山の中に自分の居場所を持っている同級生、竜は昼だけでなく、夜もここで生活することがあるらしい。
「何を怒っている」
「だってカイのやろーが」
 訊ねる竜に応えながら、炎はその隣に腰を下ろした。静かに座っている竜に、怒りもむかつきも収まってきて、だんだんどうでも良くなってくる。
 炎はごろりとそこに横になると、目を閉じた。
 寝息を立て始めた炎をじっと竜は見つめ、指先でそろりと頬を辿る。まだ幼さの残る線はつるりとした感触を指先にもたらし、竜は指を離すと一瞬目を抄めてから同じように横になって目を閉じた。
 放課後、炎はそーっと自転車を押しながら校門へと向かった。校門前の木の陰できょろきょろと辺りを伺い、海の姿が無いことを確認すると、一気に駆け抜けようとサドルに跨りペダルをこぎ始める。
「今日は真っ直ぐ帰るのだろうな」
「わっ!」
 校門を抜けたところでほっと一息吐いた炎は、びしりと竹刀を目の前に突きつけられて急プレーキを掛けた。
「い、いきなり危ねえじゃないか」
「これくらい、避けられなくはないだろう」
 竹刀を突きつけたまま角から出てきた海は、そう言うと竹刀を引き炎を見つめた。
「で、なんか用?俺、急いでんだけど」
「どこへ急ぐのだ。ゲームセンターか?」
 詰問するように言う海に、やれやれと肩を辣めて炎は頷いた。ここで否定したとて状況は変わらない。
「放課後何をしようと、勝手だろ。どうせ家に戻ったってシンも居ないんだし、一人じゃつまんないじゃないか」
 森は一応放課後は真面目に柔道部に出ている。ナンパ癖はあるが、一応主将だったりして、人は見かけによらないものだ。
 炎は部活動は何もしていない。一人で家に居るのが嫌な時は、街のゲームセンターで暇を潰し、買い物をして帰るのだ。夕食を作っている所へ大抵森が帰ってくる。
「家に戻り、することがたくさんあるだろう。宿題や予習、本を読んだりすれば時間などすぐに経つ」
「お前の指図は受けねーよっ」
 炎はまだ何か言いたそうな海の横を自転車で駆け抜けた。後ろから待て、と言う声が追ってくるが気にしない。ぐるりと街を回って海を巻いてからいつものゲーセンへ寄り、好きな対戦ゲームが空いているのを見ると、百円玉を入れて気合い一発始めようかとした時だった。
 カチャンという音と共に、入れた筈の百円玉は戻ってきた。唖然として見つめる炎の視線は、返却ボタンを押している者へと向けられる。
「カイ!」
「私をあれくらいで捲けると思うな。さあ、戻るぞ」
 怒りに青筋を立てて海の襟ぐりを掴んだ炎は、その後方に目を向けると、ぱっと手を離した。いきなり間近に炎の真っ直ぐな目を見て、どきりと鼓動を跳ねさせた海は、すぐにそれが離れていったことに微かにちくりと胸が痛む。もっと側で、あの瞳を見ていたいと、離れた炎の腕を無意識のうちに海は取っていた。
「解ったから離せって」
 ぐいと引き戻され、驚いた表情で炎は海を見つめた。炎以上に自分の行動に驚いた海は、慌てて手を離し僅かに頬を紅潮させる。
「あ、ああ…解ってくれたのか」
「何だって俺ばっか付け回すんだか」
 ぼそりと言う炎に、海の顔は紅潮をさらに増して狼狽えた。だが、炎は海を見てはいず、その後ろに視線を向けたまま、微かに眉を顰めた。
「カイ、俺も観念して家に戻るから、お前もさっさとここから離れろ」
「上級生を呼び捨てにするな。それに、私がここを離れれば、お前はまたゲームを続けるだろう。そうはいかん」
 腕を組んで言う海に、聞こえないように舌打ちをすると、炎はにっこり笑って言った。
「まったく疑り深いな。んじゃ、トイレに行ってくるから、ちょっと待ってて」
 頷く海を残し、炎は店の奥にあるトイレに入っていった。一番奥の個室に入り、小さな窓を目一杯開けてそこから外へ飛び出す。外は薄暗い路地が続き、ビルとビルの間を走った炎は大通りへの出口まで来ると、そっと顔を覗かせてゲーセンの入り口の方を見た。
「逃げられると思ったのか」
 ぎっく!と飛び上がって後ろを振り向くと、勝ち誇ったような顔の海が炎を見つめている。トイレに行きたいと言うのは怪しいと睨んだ海は、外に回って伺っていたのだ。やはり、首根っこを掴んで家に戻さなければと思った時、海は炎に腕を掴まれて路地に引き込まれてしまった。
「この馬鹿っ。あそこに居るか、帰れば良かったのに、お前まで巻き込んじまうだろ」
「な、何を言っている?」
 ぐいぐい引っ張られ、路地から別の道路に出た海は、足を止めた炎に訝しげな目を向けた。
「あちゃあ…」
「エン?」
 腕を離し頭を抱える炎に、ますます訳が判らない海は、前方を塞ぐようにして立つ二人の男を見出して首を捻った。
 「大堂寺炎だな。おとなしく私たちと来ていただきましょうか」
 男の一人が低い声で恫喝すると、炎は頭から手を離しきつく男たちを睨み付けた。
「行かねえよ」
「!」
 言葉を発した男の後ろにいたもう一人が、炎の応えを聞いて一歩踏み出した。だが、それを止め、男はにやりと笑って続けた。
「それは困りますね。あなたに来て頂かないと、我らの組織が成り立たない」
「そんなの俺の知ったことか」
「エン、これは、どういう事なのだ?」
 息を呑んで見ていた海が漸く声を出すと、炎はちらりと困ったように見上げ、じりっと後退さった。
「逃げるぞ、カイ」
 囁くような声で言い、炎は脱兎のごとく駆け出した。つられて海も訳が判らないながら駆け出す。後ろから男たちの足音が着いてきて、海は後ろを振り返ろうとした。
「次の角で左右に分かれるぞ」
「ああ」
 言った時には角に来ていて、炎は右方向に曲がり駆けていった。道を曲がり店の中を通り抜けて、漸く息を整えるために立ち止まった炎は、すっと前に差す影に目を上げた。
「駄目ですよ…お友達には用はありませんからね、あなただけを追いかけるのは簡単です」
「いんだよ、それで。カイには関係ないんだから」
 大きく息を荒げて男を睨み付けた炎は、それでも辺りに気を配りどうにか逃げられぬものかと神経を尖らせる。だが、男はそんな炎をせせら笑うようにゆっくり近付いて行った。
「くっ!」
 後ろに飛び退こうとした炎を、いつの間に来たのかもう一人の男が羽交い締めにする。完全に押さえ込まれた炎は、歯がみをして男を睨み付けた。
「手荒な真似はしたくないんですよ。残念なことに、あなたの祖父は我々にさんざん逆らったので、早死にしてしまいましたからねえ。簡単なことを手伝って欲しいだけなのに、何故あなた方は嫌がるんでしょうか」
「離せっ!てめーらの手伝いなんか誰がするかよっ」
「やれやれ、元気の良い」
 くい、と男が顎をしゃくると、羽交い締めしていた男は炎の首まで腕を持っていき、力を込めて締め付けてくる。徐々に気が遠くなってきた炎は、いきなり突き飛ばされるように離され、そのまま地面を転がってその場を離れた。
「大丈夫か?エン」
 竹刀を正眼に構え、炎を庇うように立っていたのは左右に分かれた筈の海だった。頭を振り、意識をはっきりさせた炎は、自分を羽交い締めしていた男が頭を押さえて地面に蹲っているのを見て目を見開いた。
「カイ…何で…」
「お前のことだ、こんなことだろうと思ったのだ。やはり正解だったな。お前たち、何故このエンを付け狙うのかは知らぬが、絶対に連れて行かせはせん!私が相手だ」
 きりりとした立ち姿の美しさに、炎は一瞬どきりとして海を見つめた。だが、男が苦笑いをして懐に手を入れ中から銃を取り出すと、咄嵯に立ち上がって海の前に立った。
「やめろっ、こいつは関係ない、手を出すな」
「そうは行かなくなりました。これを見られてしまってますし、どうやらあなたを扱うのには有効な手札なようです。一緒に来てもらいましょう」
 ぴたりと狙いを頭一つ出ている海に向け、男は冷徹な声で炎を脅した。喉の奥で悪態を噛み殺し炎は拳を握りしめる。
「私のことなど気にするな」
「馬鹿野郎、だから行けって言ったんだ」
「…済まない……」
 さすがに拳銃に竹刀で歯が立つ訳はない。海は深々と項垂れ、竹刀を持つ手をだらりと下げた。男はにやりと笑い、漸く立ち上がったもう一人の男に炎を捕まえるよう指示する。
「エン、伏せろ!」
 戦意喪失と見て僅かに油断した男の手元に神経が行かなくなった瞬間、海は身を屈めると竹刀を男に向かって投げつけた。
 それは正確に男の手元に当たり、拳銃を弾き飛ばす。海に言われたとおり身を屈めた炎は、それを見ると一気に飛び出し拳銃を手に取った。
「形勢逆転だな。さあ、さっさと行け!俺は絶対にお前たちの元には行かない。勇者の証はそんなことのために使われるんじゃねえんだ」
「残念です。あなたには本物の勇者として我々の頂点に立つだけの力が潜在している。それを使えば、世界はあなたの思いのままでしょうに」
 男が笑みを浮かべて言うと、炎は眉をぎりっと上げ、その足下に向けて銃を撃った。アスファルトが男の足下で弾ける。男は苦笑を浮かべたまま、一礼するともう一人の男と共に姿を消した。
「これ、どうすっか」
 手に持った銃に溜息を付き、炎は肩を竦めた。
「これで包んで、私が預かろう」
 真っ白なハンカチを取り出し、海は炎から銃を受け取ると包む。律儀に持っていた鞄の中にそれを入れると、海は投げた竹刀を持ち炎に対峠した。
「さあ、家まで送ろう。ずいぶん寄り道時間が長くなってしまった」
「訊かないんか?」
「話すことがあるなら話せば良い。とにかく今はお前を無事に家まで送り届けることが先決のようだ」
 にっこり笑って言う海に、炎は戸惑ったような表情を向け、頷いて元のゲームセンターまで自転車を取りに歩き始めた。

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