合宿は順調に進み、残すところ後二日になっていた。三つ部員が揃っているのだから、騒がしさも又格別で、夜は連日花火大会、怪談話し等で盛り上がる。
さすがに酒盛りまでは行かなかったが、それなりに充実した合宿であった。
秋亜人達はその日の鍛錬を終えて、戻ろうと山道を辿り始めた。この道は細い一本道で訓練場となっている寺から真っ直ぐ別荘に続いている。
寺を出た時には快晴だった空が、半分程も下った頃、いきなり暗くなり、遠くの方では稲光が見えてくる。山で雷にやられる確率はかなり高いものなので、日向連は皆の足を速めさせた。
だが、雲の方がそれより早く、ぽつりぽつりと大粒の雨まで振り始める。
「皆、もう直ぐだ。駆け抜けろ!」
龍馬が叫ぶと皆一斉に駆け始めた。ばらばらと降る雨と風、それに雷が部員達にパニックを引き起こす。一番後ろを走っていた秋亜人は凱に手を引かれるまま、殆ど風雨で目が見えない状況で居た。
「秋亜人、秋亜人、大丈夫か」
机の声に頷くのが精一杯である。
「皆は…」
「どうやら道を違えてしまったらしい。ここからじゃあっちの別荘は遠いから、近くの僕の別荘へ行こう。良いね」
反論を許さない凱の口調に、秋亜人は頷いた。ほんの数分もしない内に目の前に今まで居た別荘とは比べ者にならないくらい立派な別荘が立っている。唖然ととして立っていた秋亜人は凱に促されてその中へ入って行った。
真っ暗だった屋敷の中に、明るい光が溢れ、秋亜人は詰めていた息を吐いた。入った時に感じたおどろおどろしい、いわゆるお化け屋敷のような感じはなくなり、広い洋風の居間が広がっている。凱は手早く階段を駆け上がると、手にタオルを持って降りてきた。
「これで身体を拭いて。今シャワー点けるから」
そう言いざま再び奥へ姿を消す。自分だって濡れているのに秋亜人の事しか考えていない様だ。秋亜人は戻ってきた凱にタオルを渡すと、言った。
「先に入れよ。俺は平気だから」
「駄目だよ。秋亜人はお客様だからね。さあさ、そこの扉開けた先だから」
追い出されるように部屋を後にし、秋亜人はぺたぺたと滴を滴らせながらシャワー室へ入っていった。さっと流して少し暖まったかな、といったぐらいで出ると、用意されていたバスタオルで拭い、これまた用意されていたパジャマを着る。
「用意の良い奴。ここ使ってなかったんじゃないのか。なのにこんなもの常備してるんだろうか」
ぽつりと疑問を口にしたが、自分の考え過ぎかもしれないと、秋亜人は居間に戻った。
「上がったぜ」
「ちゃんと暖まった? まだ冷たいみたい」
すっと首元に手を当てられ、秋亜人はびくっと身を引いた。凱はふっと笑うと、シャワー室へと向かう。秋亜人は凱が火を付けた本物の薪を使った暖炉の前にべたんと座り込んだ。
「合宿所には連絡しておいたから、心配しなくても良いよ。それから、お腹空いてるだろうけど、食べ物は去年の残りの缶結くらいしか無いんだ」
髪を拭きながら、ぼーっと炎を見ていた秋亜人にそう言うと、サイドボードから高価そうな酒瓶を取り出して、栓を抜きグラスに注いで床の上に置いた。
「空きっ腹に飲むと効くから、少し待ってて。今何か持ってくる」
「うん…」
床に置かれたグラスの中の液体が、炎を照り返して淡いピンク色に揺らめいている。当然のように出されたが、これは酒で自分達は未成年だ。
「…これって…」
拙いんじゃない、と顔の前まで持っていき透かしてみると、炎の色を融かしたように更に色が濃く見えてくる。その中から何かが浮かんでくるような気がして目が離せない。
何時…ま…で
そんな言葉がふっと浮かんできた。しかし、何がどう何時までなのだろう。
「秋亜人……泣いているのか」
「え…」
すっと頬に凱の白い指が這わされる。涙を拭ったそれに、秋亜人は自分が泣いている事を知った。
「はい。あんまりお腹が減ってるからって、泣く事は無いだろう。焼き鳥と、牛肉の大和煮、それにスイートコーンの缶結開けて温めてきたからこれで我慢して」
湯気を立てている皿を差し出す凱に、慌て目尻を拳で擦り、秋亜人はいただきますとかぶりついていった。
「美味いよ。あ、でもこれは拙いんじゃね」
「暖まるためだから、少しは許されるだろう。それとも怖い?」
怖いなどと言われては飲まない訳にいかない。ぐっと杯を空けると、嬉しそうに凱は微笑んだ。
一応お腹が一杯になり、酒のせいもあってか二人は御機嫌の体である。そろそろ寝ようかと寝室に案内された秋亜人は、大きなベッドにちょっとたじろいでしまった。
「他の寝室を掃除する暇が無かったんだ。二人くらいならここで寝られるから。それとも嫌なら僕は下のソファに寝るよ」
「いいっ、そんなら俺が」
言葉を遮るように雷の音が轟く。下の階では気が付かなかったが、嵐は一向に治まってなどいなかったのだ。
明りが揺れ、二、三度瞬いたかと思うと、ぷつりと切れてしまった。真っ暗な中に、凱と対峙する。稲光が時折部屋の中を照らし、二人の影を写し出していた。
理由も無く足が震える。稲妻に照らされた凱の顔は、白く暗闇に浮かび上がり、張り付いたような笑みで見詰める瞳は…血の赤。
「秋亜人…どうした?」
その優しげな声にすら、びくりと反応してしまい、秋亜人は自分を叱咤して平静に戻ろうと試みた。
「なんでもない」
震える声に、心の中で舌打ちをする。動こうとするのだが、あの時のように指先の一つも動かせない。凱は一歩一歩秋亜人に近付いていった。
「昔語りをしてあげようか。昔、幼い頃から友としてあった二人の天界人がいた。何時までも一緒に居ようと誓ったのに、一人は宿命として、地に落ちた。残された一人は気が狂い、やがて悪鬼となって地に降りた。失われた一人を求め、見付けた鬼は、もう二度と離れる事が出来ぬようにと、その一人を骨まで食らってしまった……」
凱の手が秋亜人の頬に掛かる。息が耳元を掠め、最後の部分を囁くと共に、凱は秋亜人の首筋に唇を当てた。
「が…い……」
「やっと見付けた。僕の秋亜人……シュラト…」
バリパリと雷が近くの木に落ちて、それを引き裂く。その凄まじい音と光に、凱の言葉で呪縛されていた秋亜人は我に返ってその腕から逃れた。
「何、言ってんだよ。それは昔話だろ? 俺達は現代に生きる明るい青少年だぞ。正気になれよ」
凱はくすりと笑いを漏らした。隙を窺う秋亜人にじりっと殺気すら潜ませて相対する。
「そうだ、何度それを言われたかな。正気に…と。僕は何時だってお前が欲しかった、狂うほどに…。正気を叫ぶお前が僕をどんどん狂気に追いやっていく」
「凱…」
「それ程言うなら、お前にこの狂気を贖って貰うぞ」
凱は素早く秋亜人の胸倉を掴むと、一気に下まで引裂いた。シャツ形式のパジャマはボタンが千切れ跳び、脱が露になる。愕然としていた秋亜人だったが、防衛本能が凱に対して構えを取らせた。
轟音と稲妻、そして雨が叩き付ける音の合間に、二人の拳を繰り出す音が混じる。状況は秋亜人にとって不利であった。凱は暗闇でもまるで物が見えるように動き、秋亜人の方はあちこち障害にぶつかりながらそれを躱している。
あっと思った時には何かに足を取られ、そこを掬われてベッドに沈み込んでしまった。一見細身に見える凱の身体が、がっちりと秋亜人をベッドに押さえ付ける。片手で秋亜人の両腕を背中に持っていって押さえると、凱はズボンの上から、秋亜人自身を強く振り締めた。じたばたと暴れていた秋亜人だったが、あまりの痛みに身体を竦ませる。
そこをすかさず凱は秋亜人の身体をひっくり返して、未だ纏わり書いていたパジャマで両腕を縛り上げ、下着ごとズボンを引き抜くと再び仰向けにした。
自由な両足で凱を蹴り上げようとしたが、その足を取られ大きく広げられてしまう。暗闇なのに、凱の視線が上から下まで這い回るのを感じ、秋亜人は顔を朱に染めた。
「よせっ! 凱っ、お前がこんな事する訳無い」
「優しくて、穏やかで、静かな凱…か。そう、僕はお前が望む通りに親友を演じてきた。それでもお前は行ってしまった。……行かせて…しまった」
ぽとり、と秋亜人の顔に温かい滴が一粒落ちた。秋亜人は目を瞠り、凱を見つめる。凱は伏せていた目をカッと開くと、秋亜人に覆い被さって行った。
あまりの眩しさに、秋亜人は浅い眠りから引き戻された。夢を見ていたのだが、それがどんな夢だったのか良く覚えてない。ただ、切ない感情だけが残っている。
ぱちぱちと瞬きをして、目を開くとカーテンの掛かっていない窓から明るい陽射しが差し込んでいる。ここはどこだっけか、と振り返って見ると、凱の寝顔が隣にあった。
気が付けば、その両腕はしっかり自分の身体に回されている。まるで逃げるのを心配でもするように。
薄く笑って秋亜人は凱の頬に掛かっていた銀の髪を掻き上げた。
「シュラト」
「ああ、お早う。早く戻ろう、昔が心配してる」
起き上がろうとした秋亜人を抱き寄せ、自分の身体の下へ引き込み、凱は口付けた。
「帰さない。どこへもやらない」
ぎらりと凱の赤い目が光り、秋亜人を見据える。秋亜人は溜め息を付くと、目を閉じた。
「俺の苦労を無にしやがって。いいか、ガイ、お前はここに居ちゃいけないんだ。直ぐ天空界に帰れ!」
目を開くときっばりと凱に向かっていう。凱はにこりと笑い掛けた。
「記憶が戻ったのか。元々僕はこっちの人間だ。戻ってきても不思議じゃないだろ」
「駄目だ。お前は天空界になくちゃならないんだから。俺とは違う。ずっとその為に修行だってしてただろ。どうしてそれを放ってこっちへ来た」
食って掛かる秋亜人に再び鮮やかな笑みを投げ掛けると、凱は強く秋亜人の身体を抱き締めた。
「無くてはならないのは、お前だ。お前が居ない天空界など、意味は無い」
「馬鹿野郎。俺は……俺の側に居ると黒の気が」
凱を押し退け、秋亜人はベッドの上に起き上がった。ずきりと痛みが下半身から頭まで走り抜ける。それを堪え、秋亜人はベッドから降り、歩き出そうとする。追うようにゆっくり降りた凱が後ろから抱き留めた。
「黒の気に侵され、再びお前を裏切ると?」
「そうだ。俺はもう、あんなお前を見るのは沢山なんだ。お前に、もう…あんな顔させたくない」
前に回された腕に手を乗せ、俯いて途切れがちに言う秋亜人に、凱は熱い想いが込み上げて腕に力を込めた。
「例え、もう一度天空界に戻った刻に、お前と戦う事になろうとも、失いたくはない」
「わからずやっ!もう、埒があかないぜ、離せよっ!」
「離さない。何があろうとも、お前の居る所が僕の在る所。それに変わりはない」
「ガイ……」
後ろを振り返り、秋亜人は凱に抱き着くと泣きそうな顔で微笑んだ。
「シュラト」
恐れていたのは…怯えていたのは、この暖かさを失うこと。求めて、手に入れても……いつかは失うから。けれど
「あーらま、秋亜人ちゃん、随分大胆な格好ねぇ」
目も眩むようなロマンチックな空気をお玉で掻き回すように、声が乱入する。驚いて声の方に視線を向けてみれば、開け放たれた扉の向こうには、麗牙のにやにや顔と、日向、龍馬ペアの赤い顔が覗いている。はっと気付いて自分達の格好を振り返ってみれば、真っ裸でしかも点々と跡を残している。
「れ、れ、レイガっ!」
「とにかく、シャワー浴びてらっしやい。その間にあたし達はきっちり話しつけとくから」
「でも…」
ばさりと大きなバスタオルで覆い、龍馬は秋亜人をひったくるように小脇に抱え上げ、そのまま部屋を出ていった。残された、これ又全裸の凱ではあるが、威風堂々臆すこと無く立っている。もっともこれであたふたと服を身に着けたら、却ってみっともないだろうが。
シャワー室へ放り込まれた秋亜人は、外で龍馬が見張っているため凱の事が気になっても出ていけない。仕方なくシャワーを浴び始める。
「リョウマ、どうしてお前達までこっちに来たんだ? 天空界の命令でガイを連れ戻しに来たのか」
「否…、ガイは自分でここへ降りてきた。それを無理に転生させる事は誰にも出来なかった。それをしても直ぐ又降りるだろうからな」
「じゃ、何故」
「俺達はお前に謝りたかった。済まない…と一言」
出てきた秋亜人に真面目な顔で龍馬は言った。驚いてて目を見開き秋亜人は焦って服を着ると、居間へと入っていく。
「ヒュウガ、レイガ」
「お前の気持ちに、気が付かなくて本当に済まなかった」
深々と頭を垂れる日向に、秋亜人は食って掛かる。
「んな事より、天空界をほっぽって来ちまっていいのかよ。今が大変な時だって言ったのは、ヒュウガだぞ」
「判ってる。だが、ヴィシュヌ様は最後の力を振り絞って我々をここへ送ってくれた。せめても、お前にして上げられる事だと言って」
麗牙はそう言うと、秋亜人の未だ濡れている頭をくしゃりと撫でた。秋亜人は、拳を握り締め、その手を避ける。ぽたりとカーペットに作られた染みは、秋亜人の目から零れ落ちた物だった。
「ど……して…皆…俺の…為に」
「いらないなんて言って悪かった。私達は皆お前が大好きだよ。凱に負けないくらいね。黒の気は、あたしの迦楼羅炎で焼き尽くす。誰も影響なんか受けやしないから、安心なさい」
秋亜人を抱き寄せ言った麗牙の後半の言葉は、部屋に入ってきた凱に向けて聞かせているようだった。
迦楼羅の炎にも勝るかのように、凱の瞳に炎が揺らめく。それを目に留めると、麗牙はあっさりと秋亜人を離し、凱に向けてその背を押した。
「リョウマとヒュウガはこの生が終わったら、天空界に戻る。だが、私はずっとシュラトの側に居る。ガイが浮気したら、直ぐ私に報告しろよ」
麗牙は一つウィンクして、日向達を連れ外へ出ていった。残された秋亜人は、じっと凱を見つめ続ける。
「シュラト」
「俺は、お前には縛られない。お前だけを愛してるなんて台詞、一万年経っても言わないぞ」
捕まれば戦えなくなるから
言葉にならない想いを受け、凱はにっこりと笑った。
「修羅王は闘い続ける者。僕はその隣に在る。例え再びお前に殺される事になっても」
「お前、ばか……ほんとーに、馬鹿野郎だっ」
自分の胸に拳を打ち、叫ぶ秋亜人を凱はそっと抱き締めた。