正義の味方は当てにならない 1-2


 「遅い」
 正門前に立ち、腕を組んで周りを睨み付けるように立っていたカイに近付いて小くと、開口一番そう言われてしまった。
 「シンにとっつかまってたんだよ、別に何時にって約束した訳じゃねえから、怒るこたないだろ」
 むっとしながら言うとカイは腕を解き、足早に歩き始めた。慌ててエンもその後を自転車を引きずりながら付いていく。
 「どこ行くんだ?」
 「家だ」
 「おまえんち?遠いんなら自転車乗ってこーぜ」
 「二人乗りは道路交通法で規制されている」
 へえへえ、そうですか、とぶーたれながらもカイに付いていったエンは辿り着いた家…というよりお屋敷を見て僅かに目を見開いた。
 「随分とご立派なお屋敷で」
 「こっちだ」
 正面玄関ではなく、広い庭を通り抜けて離れ風の部屋の裏玄関まで案内し、カイは扉を開けてエンを招き入れる。離れといっても立派に一軒家で通用するような作りで、ちょっと見たところでは風呂場やトイレも付いているらしい。
 流石に台所はないみたいだな、ときょろきょろ観察していたエンはカイに促されて部屋に通された。 八畳ほどのフローリングに、事務机のような機能優先の机と壁一面の本棚、その他の家具はローテーブルとその下のカーペットだけというシンプルな構成の部屋に、エンはちょっと意外な気がして立ったまま辺りを見回した。
 「立ってないで座れ」
 「ああ」
 取りあえずテーブルの近くに腰を下ろし胡座をかく。カイはその真向かいに正座してじっとエンを見つめた。
 「で、話って何だ。また説教か」
 投げやりにエンが言うと、いつものような即答が返ってこない。おや、と思って外していた緯線をカイに向けて見ると、何故か僅かに視線を逸らせている。顔も心持ち赤いような感じで、エンは首を捻って眉根を寄せた。
 「カイ?」
 「説教じゃない」
 じゃあ何なんだ、と思って続きを聞こうとするが、カイはなかなか話し出そうとはしない。しびれを切らせてエンはテーブルに両手を付き身をカイの方に乗り出した。
 「はっきりしろよ!何が言いてえんだ」
 「エン!」
 キッと顔を上げ、思い切り真剣な表情で睨み付けられ、エンも負けずにそのままの体勢で睨み返す。一瞬緊迫した時間が流れた。
 「付き合って欲しい」
 「……はあ?……」
 ぽおっと赤くなったカイに、益々訳が判らずエンは再び首を捻った。
 「付き合って…って、付き合ってんじゃねーか。ここまで」
 「それは了承と受け止めていいんだな」
 「…だから、付き合ってやってんだろ。ああっまったくもう、何言ってんだよお前」
 完全に判らなくなったエンは、しようがないと言うように頭を掻きむしり、乗り出していた身体を元に戻して溜息を付いた。両足を伸ばして両手を後ろに回し身体を支えながら、エンはまだ真剣な表情をしているカイを呆れたように見つめている。
 そのうち他人の部屋だというのに頭の後ろに両手を回してごろりと横になってしまった。そのまま目を後ろの方に向けると、逆さまの壁に横開きの扉が見える。この離れにはもうーつ部屋があるのだろうかと思って手を伸ばしかけたエンは、差し込んできた影に目を戻した。
 「カイ?」
 カイは横に座り、両手をエンの両脇に付いた。丁度覆い被さられるような格好で近付いてくるカイに、エンは何だか嫌な予感を感じて抜け出そうとするが、ぴったり両脇をガードされ足でずり上がるしか手が無い。
 「な、な、何だよ」
 今度も虫か?などとあり得ない事を考えつつずり上がっていたエンは、とうとう頭が扉にごつんと音がするほど突き当たってしまった。
 「ってーっ、え、お、おい」
 からりと扉を開け、カイは再びエンを追いつめていく。隣の部屋は畳で六畳くらい、タンスが一つしか無いもっとシンプルな部屋だった。
 部屋の真ん中くらいまで来ると、いきなりカイは両腕でエンの両肩を掴み、それ以上ずり上がれないようにする。
 「本当にいいんだな」
 「い、いいって…」
 何の事だ、と続けようとしたエンの唇は、カイの唇によって塞がれてしまった。驚きのあまり抵抗も出来ずにそれを受け止めていたエンは、ついで強く抱きしめられて身体を疎ませてしまった。
 「だ、駄目だ」
 耳元でカイの苦しそうな声が聞こえる。堪えきれずに吐き出されたような言葉に、エンは漸く自分の身に降りかかった出来事を察して真っ青になった。
 「離せよっ、何しやがんだっ」
 じたばたともがいても、しっかりとホールドされていて頭と両足を動かせるだけでカイを引き離すことは出来ない。それどころか益々力を込めて抱きしめられ、エンは荒く息を付いた。
 ちょっと疲れてもがくのを小休止した途端、再びカイに口付けられる。息が上がっていたために微かに開いていた唇の聞から熱く滑るものが入ってくるのを感じて、エンはぎょっとして目を見開いた。
 それは驚いて疎んでいるエンの舌に絡みつき、吸い上げてくる。上顎や口腔の敏感な部分を轟き回るそれに、背筋がぞくりとする感覚を覚え、エンは叩こうとしていた両腕で思わずカイにしがみついてしまった。
 「…ふっ…う……」
 濡れた音をたて唇が離れる。痺れた自分の唇を、エンは混濁する意識のうちに舌先で舐め吐息を付いた。エンの半開きの潤んだ目と滞れた唇に、僅かに顔を離したカイはごくりと唾を飲み込んで、額や耳元、顎にキスの雨を降らせる。また唇に戻ったカイは、今度は大人しく受け止めているエンの唇を心ゆくまで食っていった。
 「…次は……」
 名残惜しそうに唇を離すと、掠れた声で呟き、カイはエンの上着を脱がせてその下のシャツにも手を掛けた。
 「お…い、何すんだ…」
 生まれて初めて受けた本格的な口付けにぼんやりとしていたエンも、素肌が外気に触れるとやっと意識をはっきりさせてカイを睨み付ける。カイはそんな視線に頓着せず、淡々と今度はズボンに手を掛け引き下ろした。
 「げっ!何すんだよっ!冗談やめろつ、カイ」
 「Don't say four or five」
 「なに言ってんだよっ! んな時にっ」
 「問答無用」
 「わーっ!」
 手荒く全て引き剥がされて、素っ裸になってしまったエンは、仕方なく両手で自分の大事な所を隠した。カイは手にした衣服を手早くたたむときっちりと部屋の隅に重ね、自分もトレードマークの白い学ランを脱いでいく。
 一体何がどーなっていくのか想像も出来ないエンは、同じく裸になってくるりと振り向いたカイの大まじめな顔にひきつってじりじりと後ずさりし始めた。
 「逃げるな、付き合うと言っただろう」
 「は、裸のお付き合いなら銭湯か温泉でしようぜ」
 な、とひきつった顔で言うエンに、ふっと笑みを浮かべ、カイは立ち上がり別の方向に向かった。ほっとしたのもつかの間、カイは襖を開けてそこから布団を取り出し、さっさと畳の上に敷き始める。
 呆然として見ていたエンの両腕を掴み、カイはひょいと持ち上げて布団の上に放り投げた。
 油断していたエンはひとたまりもなく布団の上に転がってしまう。わたわたとシーツの上で動くうちにエンはしっかりとカイに押さえつけられてしまった。
 「ほんと、冗談はよしなさいって。お前、仮にも風紀委員長ならんなことすんなよ」
 「冗談ではない、許可も取った。それに我が学園のモットーは責任ある自由闊達。きちんと責任はとる」
 「そーいう問題じゃないっしょー! 不純異性交遊反対っ」
 「それをいうなら不純同性交遊だが、不純じゃないぞ。私は純粋にお前が好きだ」
 「えっ」
 驚いて動きを止めたエンににこりと笑い掛け、すかさずキスをする。さっきからこの口付けには抵抗できず、ついうっとりと流されてしまうのが自分でも不思議なエンだった。
 「や…やめろ……」
 「止められない…止められないんだ…エン」
 見た目は冷静でいつも通りに感じたのに、実は暴走しているらしいカイに、エンは愕然としてしまった。普段冷静な奴が切れるとどうなるかの見本みたいに、カイはどんどん事を進めていく。
 きっちりマニュアルどおりに行為を続けるカイに、エンの理性は麻痺したまま流されていたが、最後の最後になって漸く反撃しなければ身が危ういと気が付いた。
 「こんなことして、気持ち悪くないのかよ」
 「このくらい、愛が在れば何でもない」
 「…本気か……」
 真摯にはっきり答えるカイに、エンは反撃する意志をうっかり奪われてしまった。カイは微笑むと、エンの両足を抱え上げた。
 だが、いくら愛があっても女性ではないエンのその部分が、そのままでは男を受け入れる訳が無く、侵入を拒んで悲鳴を上げた。
 「ぎゃああーっ、いってえっ、いてえってばっ!やめろっ」
 「……はっ…そうか」
 何かを思い出したのか、一旦身を離すとカイは隣の部屋へ戻っていった。
 ほっとして布団の上で力を抜いたエンは、未だに何故こんなことになったのか理解出来ないでいた。カイの告白は本気なのかもしれないが、それにしてもいきなりこんな行為に走るなんて、常識と秩序が服を着て生活しているような奴なのに、何がそうさせたのだろうか。
 もしかして、誰かがそそのかしたか、と考えてエンはシンのあの時の様子を思い出した。
 「まさか…シンの野郎…」
 カイに女性と付き合った経験が在るとは思えないし、ならばこんなアドバイスをしたのはきっとシンだ。エンの頭には、自分が口付けを拒まずにしがみついた結果が更にその行為を煽ったのだとは露ほどにも浮かんでは来ないようだ。
 本気の本気で拒んでいれば、カイだとてここまでエスカレートはすまい。
 ぶつぶつ考えていたエンは戻ってきたカイに気付かないでいた。早くに気付いていれば、さっさと服を着て逃げ出せば良かったと後悔しただろう。
 「ひゃっ、冷て…おい、何してんだ」
 「ローションで濡らしている」
 いちいちしっかり応えるあたり、流石委員長などと感心している場合ではない。気付いた時にはまた両足を抱え込まれていた。
 「うわあっ…って…え……あ?」
 「く…」
 荒く息を吐いて倒れ込んだカイは、満足そうな笑みを浮かべると、涙の渉んだエンの目元に唇を落とした。
 「これで、いいんだな」
 何がこれでいいんだか、と疲れ切った頭では考えることも出来ずにただ目を閉じているエンに、そっと口付け、カイは起きあがると部屋の外へ出ていった。
 その後、風呂場から戻ってきたカイによって身を清められ、新しい下着とパジャマを与えられてエンは元の部屋にようよう戻った。目の前には暖かいコーヒーが湯気を立ててエンを出迎えてくれている。
 「今晩は泊まっていけ。私の方から家には連絡入れておく」
 「その必要はねえよ。俺一人暮らしだもん」
 ほお、と驚いたように見るカイに、エンは事の真意をただそうと、ひたと目を据えた。
 「で、一体これは何の真似だ」
 「言っただろう」
 「言わねえよ!」
 涼しい顔で茶を畷るカイに、思わず怒鳴ってしまい腰の痛みに眉を窄める。これで身体がまともなら一発お見舞いしてやる所だ。
 「好きだから、付き合ってくれと言った。了解したんじゃなかったのか」
 「してねえよ、いつ俺がそんなこと頷いたってんだ」
 「口付けは拒まなかった」
 「うっ…」
 それを突っ込まれると何も言い返せなくなる。暫く無言でコーヒーを啜って気持ちを静めていたエンは、漸く落ち着かせるとやや乱暴にカップを置いた。
 「とにかく、もうこんなことはごめんだからな。俺は健全な青春をまっとうに過ごしたいんだ。正義の味方やってるだけでも大変だってのに、変態に付き合ってられるか」
 「そうはいかない。もうお前と私は婚約したのだから」
 「ちょっと待て…いつ、俺がお前と婚約したってんだ」
 「責任は取ると言っただろう」
 きっぱりと言われ、エンは顎が外れるかと思うくらいあんぐりと口を開けて見つめてしまった。
 「今度の日曜日、指輪を買いに行く。未だお互い学生だから、結婚は勿論社会人になってからということになるが、取りあえず形としては必要だろう」
 誰かこいつの暴走を止めてくれ、とむなしい願いを抱きつつ、エンはがっくりとテーブルに頭を乗せて大きな溜息を付いた。

カレイドトップへ