正義の味方は当てにならない 1


 陽射しがさんさんと降るその日の朝は、春にしてはかなり暑く、へたをすれば汗までかいてしまいそうな陽気だ。
 こんな日には布団を干して、洗濯をして掃除をして、一汗かいたら昼飯喰って昼寝したいぜ、などと考えながら山海高校一年生大堂寺 炎は一生懸命自転車をこいでいた。
 信号待ちで焦って時計を見たエンは、やばいと眉を潜めてイライラとハンドルを指で叩き始めた。これで遅刻をしたら、また教頭に捕まってしまう。停学くらいならへでもないけど、この前みたいに便所掃除で出撃不可能なんてことになったら目も当てられない。
 そんなことにならないように早起きすればいいようなものだが、家事雑用が溜まっているのを夜片づけているとどうしても遅くなってしまうのだ。
 「こんな時に出てくるなよ、宇宙人」
 ぼそっと呟いて青信号をダッシュで渡る。隣で呟きが聞こえたのか小学生が不思議そうな顔をしていたけれど、そんなものに気を留めるエンではない。
 予鈴一分前に漸く滑り込んだエンは、玄関口入った所でいつものように竹刀を持ち睨みを利かせている真面目一本槍、鬼の風紀委員長二年生の広瀬 海に、にっと笑い掛け手を振って通り過ぎようとした。
 「よっ、いつも大変だねえ、風紀委員長殿」
 「待て」
 「え?」
 走りすぎようとするエンの目の前に竹刀が突き出され進路を塞ぐ。立ち止まったエンはむっとしてカイを睨み付けた。
 「何だよ、今日は遅刻してねえぞ」
 他の不良と目されている連中とも違い、エンはたばこなども持ってはいない。風紀関係で注意されるいわれはない筈だ。
 「今日帰りは暇か?」
 ちらりと横目で訊ねられ、エンは再び不思議そうにカイを見つめた。そのうちに予鈴が鳴り、このまま本鈴までに教室に入らなければ完壁遅刻である。
 「ああ、宇宙人が現れなきゃあな。何だよ、作戦会議でもすんのか」
 「いや」
 「…何だよ、はっきりしねー奴だな。もうほんとに遅刻しちまうぜ。俺は行くからな」
 「帰りに正門前で待っている」
 それだけ言い捨ててカイはすたすたとその場から去っていった。訳が判らないという顔でカイの後ろ姿を見ていたエンもはっと気付いて慌てて教室へ走っていく。入ったぎりぎりに本鈴が鳴り、遅刻だけは免れたものの、カイの用事がなんなのか気になって普段でもあまり身の入っていない授業をかなりぼーっと過ごしてしまうエンだった。
 四時限目の終わりのチャイムに我に返ったエンは、教室から走り出て購買部まで駆け込んでいく。今月は持ち金がピンチなので学食での豪勢なランチは望めない。
 せめて購買部で好きな極辛カレーパンを食べたいのだが、これは超人気商品でエンの足で駆けていっても売り切れていることもあるという代物だ。
 今回は出遅れてしまったので、エンが辿り着いた時には購買部は学生で溢れ返っていた。
 「ちくしょー」
 気合いを込めて人混みの中へ乗り込み、やっぱり売り切れていたカレーパンは泣く泣く諦めて仕方なく他のパンを確保し、中庭へと繰り出した。
 「やっぱ天気がいい日は外で食べるのが一番だな……にしても、惜しかったぜ、カレーパン」
 くくぅー、と片腕で顔を覆い悔しがるエンの頭の上に、ばらばらと何枚か葉っぱが落ちてきた。その感触に気付いて顔を上げたエンの上に、葉っぱでなく別の何かが落ちてくる。慌ててそれを受け止めると、それは極辛カレーパンの袋だった。
 「何でこんなもんが落ちてくんだ」
 不思議に思って再び上を見上げると、木々の間に靴と足が見える。
 「…リュウか?そこに居るのは」
 確かめるように声をかけると、音もなくリュウが長い髪を靡かせて降り立った。腕に抱えているのは、他にも希少なパンである。
 リュウは今降りてきた木の根元に座り込み、持っていたパンの袋を一つ破ると食べながら、びっくりして見ていたエンに向かって言った。
 「食べないのか」
 「……ああ、食べるけど。これ、いいのか」
 リュウの隣に腰を下ろし、エンも袋からパンを取り出して食べ始める。ちらりと隣を窺うと、リュウはただ黙々とパンを平らげていた。返事が無いのはOKということだな、と勝手に解釈をしてエンも袋をびりびりと破き食べていく。
 「喰った喰った、ごちそーさま。悪かったな、お前のカレーパン喰っちまって」
 全部食べ終え、大きく伸びをしたエンはリュウに笑って礼を言った。それに応えるようにリュウは微かに笑ってエンを見つめた。
 リュウのそんな笑顔など間近で見たことが無かったエンは、まじまじとその顔を見つめてしまい視線が外せなくなってしまう。リュウの方から外すだろうと思っていたエンだったが、そのままずっと見つめ合う形になってしまい、どうしたらいいんだろうかと焦ってしまった。
 すっとリュウの手がエンの肩に掛かる。どきっとして離れようとしたエンに、リュウは指先のものを見せて笑った。
 「虫が付いてた」
 「むし…?…あ、ああ、そっか」
 確かにリュウの指先には緑色の小さな芋虫がくねくねと身を揺らしている。その動きに目を奪われていたエンは、微かに頬を掠めた感触にはっとして視線を戻した。
 「…え……」
 鼻先が付くかと思うほど近くにあるリュウの顔にぎょっとして身を引いたエンは、背中を木に阻まれてそれ以上後ろに下がれなかった。それなのにどんどんリュウの顔は近付いてくる。
 「あれえ、こんなとこでお昼ですか?確かにいい天気だから外の方が美味しいかもしれませんね」
 天の助けか神の意地悪か、いきなり掛けられた声にエンは金縛り状態が解け、するりとリュウの脇から抜け出して立ち上がった。
 「ヨク」
 「あ、その虫は、ふーん……」
 にこにこ笑って立っていたのはエン達より一級上の風祭 翼だった。リュウがまだ持っていた虫に顔を近づけて興味深げに観察し、指を出して乗り移らせてから再びしみじみと眺め始める。その嬉しそうな横顔に溜息を付き、エンは場所を代えてどこかで昼寝でもしようと歩き始めた。
 「あ、待って、エン」
 「何だよ」
 エンを呼び止めたヨクはにっこり笑って訊ねた。
 「今日帰り、暇ですか?」
 「……何で?」
 この質問は二度目でなと思いながら、不思議に思ってヨクに訊ね返す。
 「今日でなくてもいいんですけど、暇ならちょっと僕に付き合って欲しいと思って」
 「どこへ?」
 益々不思議に思って首を捻りながら訊くエンに、ヨクは虫を近くの茂みに置いてから向き直った。
 「この前から一人で結構ハードに活躍しているでしょう。身体的に無理が起きてないか、調べたいんです」
 「俺は全然平気だぜ。別にどこも悪くなんかなってねえよ」
 「本人がそう思っていても、身体にがたがきている可能性もあります。ダグオンとしては平気でも、生身の身体がどうなっているか」
 腕を振り回して見せるエンに、真面目な顔をしてヨクは話し続ける。むっと口を尖らせて、エンはヨクの言葉を遮った。
 「平気だって。俺のことより自分のことを心配しろよ。ヨクだってカイやシンと合体して戦うようになってから、結構大変なんじやないの。俺は医者とかだいっ嫌いなんだよ」
 「エン…」
 呼び止めようとするヨクに背中を向けて手を振り、エンは足早にそこを離れて歩き始めた。微かに眉を潜めてヨクは溜息を付き、振り向いてリュウに話しかけようとした。
 「…あれ……」
 いつの間にかリュウは姿を消しており、そこには誰もいない。やれやれともう一度溜息を付きながらヨクは自分の教室へ戻っていった。
 今日は変なことばっかりだ、と珍しく朝から考え事をしていたエンは終鈴の頃にはすっかり疲れてしまい、さっさと帰ろうと鞄を持って教室を出ようとした。
 「よ、終わったか」
 「今度はお前か」
 「何だよ、今度はってのは」
 軽く挨拶をする二年生、沢邑 森はエンの言葉にむっと眉を潜めた。やれやれというように無視して歩き始めるエンに、慌ててシンは手を掛け振り向かせる。
 「待てって、な、お前暇か?」
 またか、と言うようにエンはシンを呆れて見た。一体今日は何があるというのだろう。揃いも揃って同じ事を言うとは。
 「暇じゃねーよ、カイと約束してる」
 取りあえず、一番最初に言ってたカイに問いただすのが良いのかも知れないとエンはそう応えた。するとシンの顔が僅かに青くなって、頬がひきつっている。
 「カイ…と?」
 「何だか一方的に言って行っちまったからな、別に行かなくても良いんだけど」
 でも、あのお堅い委員長はきっと言ったとおり正門前で待ちかまえているに違いない。それをかわして裏から出てもいいのだが、それをすると明日何を言われるか判らない。卑怯者呼ばわりされるのだけは嫌だ。
 「そうか。まさか…」
 「何か知ってんのか」
 「い、いや。うーん、でも、まさか、なあ……」
 うんうん唸って自分を引き留めたことも忘れ去っていくシンに首を捻りつつ、エンは自転車を駐輪場から引き出して正門へと向かった。

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