Rouge Feu 3−2

 
 胸にかかる重圧に苦しくなって、大地は漸く目を開いた。薄暗いどこかに寝かされている背中は、堅く冷たい岩の感触を伝えてくる。
 「気が付いたか」
 「シ、シャマンっ」
 ふいに目の前直ぐに現れた敵の顔に、大地は身体を強張らせる。胸に掛かっていた重圧は、伸し掛かっている彼の体重のせいだった。
 「お前は地上人だというのに、不思議なことに強い魔動力を持っている。それを邪動力に換え我が邪動士として仕えるのだ」
 酷薄な笑みを浮かべ、低く言うシャマンに大地はぞっとしながらも強く否定した。
 「嫌だ!俺はそんなものにはならない。ここに魔動戦士として呼ばれたからには、邪動族を倒して平和を取り戻す」
 「くくく、ご立派なことだ。自分の事でもないのによくもそこまで言えるものよ。……だが、その強がりがいつまで続くかな」
 シャマンは嘲るように笑うと、大地の胸に当てていた手を引き、服を引き裂いた。
 驚いて起きあがろうとした大地は、何か目に見えない力に両手両足を押さえつけられ動くことが出来ない。
 上に着ていた服がぼろぼろになり、上半身が晒される。そのわななく胸に指先を当て、シャマンはゆっくりと円を描いていく。
 その円はやがて複雑な紋様と文字を取り巻き、次第に闇の魔法陣の形を成していった。
 「くそっ、離せ!」
 「これが完成して我が邪動力を注ぎ込めば、お前は立派な邪動士だ」
 完成が近付くにつれ、大地の身体から力が抜けていくような気がする。そんなものに負けやしない、と大地は唇を噛みシャマンを睨み付けた。
 「何故そこまで抵抗する?そうまでナガミミ族に荷担するのだ。お前は地上の人間なのに」
 闇の魔法陣が完成し、力を注ぎ込む前にシャマンは不思議そうに訊ねた。青ざめた顔ながらも、大地の強い瞳は屈服する意思など毛頭無いのだ。
 「俺はXメイやグリグリや……ラビや、この世界で会った人達が好きだ。苦しんでるのに放っておけない。俺が出来るなら」
 苦しげに息を継ぎ、大地はきっぱりとシャマンを見て言った。
 「俺に出来るなら、やってみる」
 「その強さ…欲しいな」
 シャマンの目が今までとは違った輝きを見せ始め、大地の胸に当てていた手がするりと移動して首筋から項へと這っていく。
 ぞくりとする感触に目を閉じた大地は、後頭部を持ち上げられ、冷たい感触を唇に受けて驚いた。
 「な……」
 それがシャマンの唇で、口付けされているのだと知って大地は首を横に振り逃れようとした。
 だが、執拗にシャマンの唇は大地を求め、唇を割ってさらに中まで舌が入ってくる。
 「…っ……」
 突然シャマンは唇を離し、噛まれて血が滲むそこを拳で拭った。
 「面白い。ならば邪動力を注ぎ込み、お前の全てを私のものにしてくれる……ジャハ・ラド・ク・シード」
 はっとする大地の身体から身を離し、シャマンは指を組み合わせ呪文を唱え始める。シャマンの身体から青白い気が渦巻き、すっと伸ばした指先が胸に描かれた魔法陣に向けられると、冷たい何かがそこから身体の中に凍みいるように入ってきた。
 「あぁ……嫌だ。負けない…ぞ…」
 首を振り、必死に耐える大地にシャマンは冷笑を浮かべたまま邪動力を注いでいった。一度それを身に受けていた大地が必死に抵抗しても、徐々に闇の気は浸透していく。
 シャマンはゆっくりと頭を垂れると大地の胸、闇の魔法陣の中心に口付け印を残した。
 ぴくりと大地の瞳が揺れ、ゆっくりと閉じられる。
 「……いや…だ…ラ…ビっ」
 脳裏にいつも憎まれロを叩き、喧嘩ばかりしているラビの顔が浮かぶ。その表情は必死に何かを訴え掛けていた。
 「ラビっ…!」
 「何っ!」
 ぱああっと大地の身体から光が溢れ、胸に描かれていた闇の魔法陣はかき消えた。あまりの眩しい光に腕で顔を覆っていたシャマンは、驚いて大地を見る。
 「な、何故だ」
 ゆっくりと起きあがった大地は、両手を前に突き出し、力を込め叫ぶ。
 「ドーマ・キサ・ラ・ムーン……!」
 眩い光球が大地から放たれ、シャマンにぶつかって弾き飛ばした。
 「う…っ…」
 地面に蹲るシャマンを見て、大地は呆然として自分の手を見つめた。今発した力は魔動力だけれど、いつもグランゾートを纏って発せられる力とは違うようだ。まるでXメイやラビが使う魔法のような。
 「大地ーっ!」
 「ラビ」
 自分の名を叫ぶ声に大地ははっとして振り返って見た。息を荒げてラビがこちらに向かい駆けてくる。後ろからはガスもやってきて、大地はよろけながらも立ち上がろうとした。
 「そうはさせん」
 がしっと腕を掴まれ、大地はシャマンの胸に抱き込まれてしまう。もがく大地を押さえつけ、シャマンは鋭く口笛を吹いた。
 それに呼応するように親ドラゴンの轟く咆哮が聞こえ、大きな姿を入り口に現した。
 「くそうっ、離せ」
 「せっかくの獲物を逃がす訳にはいかない」
 「シャマンっ、大地を離せっ!」
 ぼろぼろになっている大地を見ると、ラビは全身の毛を逆立てて怒りを露にする。
 「ちくしょーっ」
 「ラビくん、危ない」
 怒りに周りが見えなくなったラビを必死に引き留め、ガスは横に飛び退く。今まで居た所には親ドラゴンの尻尾が飛んできて突き出ていた岩を砕け散らせた。
 「邪魔するなっ」
 指を組み合わせ、ラビは魔動力で作り出した光球を親ドラゴンに向け放つ。それは頭に命中し、親ドラゴンは痛みに叫んだ。
 「あたしがあの闇の魔法陣を光の魔法陣に換えてみるから、その間くいとめておいておくれ」
 漸く追いついたXメイがそう言うと、両手を差し伸べて親ドラゴンに向け光りを放つ。
 親ドラゴンの首に描かれた闇の魔法陣は、それを受けて明滅し徐々に光の魔法陣へと変化していった。
 「そうはさせない」
 大地を抱えたまま、シャマンは片手で邪動力をXメイに向けて放つ。それを防ぐために、ラビは楯になり、ガスはシャマンにタックルしていった。
 「もう少しだよ」
 ここが踏ん張りどころ、とXメイは力を増した。
 『…ここを通す訳にはいかぬ……』
 「えっ?」
 どこからか聞こえてきた低い声にはっとしてXメイは目を見開いた。途端、親ドラゴンの魔法陣からとてつもなく強い闇の気が放たれ、Xメイは崖っぷちまで吹き飛ばされてしまう。
 「おばばさまっ」
 「ばーさん!」
 慌ててラビが駆け寄り、助け起こす。Xメイは腰をさすりながら厳しい表情で親ドラゴンの方を睨み据えた。
 「誰かが、向こうに居る。強い邪動力を持った……けれど、あれは……」
 「何ぶつくさ言ってるんだよ、頭でも打ったのか?さっさとあいつを元に戻してやってくれよ」
 「判ってるさね。でも、あの力はあたしで防ぎきれるかどうか」
 さっきまでは殆ど光に戻りかけていた魔法陣が再び闇のそれに変わっていて、ますます親ドラゴンは凶暴になり暴れている。
 ラビは親ドラゴンを見て、次に大地の方を見た。ガスが何度か打ち掛かっているが、シャマンは軽くそれを避けていく。
 「ちっくしょう」
 「はっはっは、さすがアグラマント様、素晴らしい邪動力だ」
 高笑いするシャマンの腕から逃れようともがいていた大地は、突然突き飛ばされるように放り出され地面に転がった。
 「何っ」
 「クウワゥー!」
 「お前っ」
 びっくりして見ると、ドラゴンがシャマンに飛びついて腕に噛みついている。シャマンは片手でドラゴンを打ち払うとひらりと親ドラゴンの頭に飛び乗った。
 「おのれ、食い殺してしまえ!」
 親ドラゴンは一声叫ぶと子供に向かってカッと大きな口を開いた。
 「駄目だっ!」
 親の前から逃げようとしないドラゴンの前に、大地が庇うように立ち、両腕を広げて真っ直ぐに睨み付けた。
 「思い出せっ、これはお前の子供なんだっ!」
 「馬鹿っ、大地っ」
 熱い息が直ぐ側まで迫るのと、ラビが飛びつくのは同時だった。
 ラビの身体から閃光が放たれ、大地とドラゴンを包み込む。その光は爆発するように大きくなり、親ドラゴンも飲み込んでいった。
 「グウアァー!」
 親ドラゴンは大きく身悶えて、身体を震わせる。光は真っ直ぐに闇の魔法陣を貫き、向こうに居るだろう者を弾き飛ばして光の魔法陣に換えていった。
 「クゥーン、クウォーン……」
 「大丈夫か、大地」
 「うん、何とか…ありがとう、ラビ。助けられるのは二度目だね」
 事が治まったことを確認すると、ラビは下に敷き込んでいた大地の腕を軋り、起きあがらせる。にこりと笑って礼を言う大地に、ラビは顔を赤くして後ろを向いた。
 『ありがとう。魔動戦士達よ……おかげで私は元の姿に戻ることが出来ました』
 光に包まれた親ドラゴンの姿は、いつしか大きな美しい鳥になっていた。子供の方も親より小さいけれど同じ姿で空に浮かんでいる。
 「…フェニックス?」
 「そう、この階層を支える柱はフェニックスの光の柱だったんだよ」
 やれやれと安心した表情でXメイがやってきてそう言った。
 二羽のフェニックスは嬉しそうに山の周りを飛び、その身体から放たれた光がやがて空に一本の柱を作り出していく。
 やがて一行の前に降りてくると親フェニックスは語りかけてきた。
 『第三階層は元の美しい緑と山々の世界に戻りました。さあ、この光の柱を昇って第二階層へお向かいなさい』
 みんなはこの美しい鳥達を眺め、領いて光の柱へと向かう。途中でラビは振り返った。
 「……良かったな、母さんに会えて」
 「ラビ…」
 子供に向かいそう呟くラビに、大地は首を傾げて見る。そんな大地に気付くと、ラビは照れたように微笑んで親指を上に指し示した。
 「行くぜ、大地」
 「ああ」
 光の柱は暖かく彼らを包み込み、次なる階層へと導いていく。煌めく光の中で大地はじっと自分を見つめるラビの視線に、何となく戸惑いを覚え見返した。
 「うわわっ」
 「どひゃーっ」
 いきなり宙空に放り出され、ラビと大地は泡喰って足をばたつかせ地面に尻餅を着いた。Xメイは元々ふわふわ浮かんでいるのが常であるから、別に放り出されても平気だしグリグリは軽い。ガスも鍛えた肉体でしっかりと降り立っている。
 「さ、さぶい〜!」
 「氷だぁ」
 「真っ白グリ、雪だるま作るグリ」
 さっきまで居た第三階層は焼け付く炎の場所だったのに、今度の階層は凍てつく氷の国のようだ。見渡す限りの氷原で他には何にも無い。
 「今度は氷の国か、まともな所は無いんかよ」
 「ここは氷の女王が氷の柱を治めている国の筈だよ。その柱まで行けば、次の第一階層、ラビルーナまでもう少しだ」
 やれやれとXメイが告げる。しかし、一体どこに氷の柱があると言うのだろう。ぐるりと見渡してみてもそれらしき物は見あたらない。
 「とにかく、真っ直ぐ歩いていってみようかね」
 「えー、こんな格好じゃ風邪引いちゃうよ」
 上着の殆どを破られたままの格好の大地が、肩を抱き締めながらぶるぶる震えてXメイに訴える。そうだったね、とXメイは笑って呪文を唱え、元の服装に戻してくれた。
 「その便利な魔法で、俺にもコートか何か出してくれないかなあ」
 「甘えるんじゃないよ。さあ、とにかく誰か見つかるまで行こうさね。ソリくらいは出してあげるよ」
 へらへらと笑いながら言うラビに、ぽかりと拳骨をくれXメイはさっさと籠の中に入ってしまう。歩いていくって言ったって、結局Xメイやグリグリは籠の中でのんびり到着するのを待つだけじゃないか。
 大地はラビやガスと顔を見合わせ溜息を付くと、マジカルゴの脇を歩き始めた。
 途中からソリに乗り、氷の道を滑りながら近くの山へと向かっていく。人間……ナガミミ族だが……はおろか、動物の姿さえ見えない。
 「ラビ、ちょっと聞いていいかな」
 「何だよ」
 マジカルゴの背にはガスとグリグリが乗って大騒ぎしている。その後ろのソリに乗っていた大地は、隣のラビに声を掛けた。
 「第三階層で、ドラゴンに話しかけてただろ?お母さんに会えて良かったって。だから、もしかしたらと思って」
 「もしかしたら何だってんだ」
 大地の言葉に僅かに苛立ったようにラビは脱み付けた。怯まず大地は続けて話す。
 「ラビもお母さん…探してるんじゃないか」
 「………」
 ラビは応えず黙ったまま大地の顔を見つめた。大地の薄茶色の瞳は真剣にラビの碧の瞳を見つめている。
 「ああ、そうだ」
 ごまかすともはぐらかすことも出来ないと悟り、ラビは溜息を付いて応えた。
 「俺は、物心付いた時には月の上、人間界に一人で放り出されていた。この耳を隠し、人間として生きて行かなきゃならなかった」
 初めて聞くラビの過去に、大地は目を丸くして聞き入る。
 「ラビルーナが嫌になって人間界に出てきたというイマックってじーさんが俺を見つけて育ててくれた。魔動力のことや、ラビルーナのことを教わって、邪動族がラビルーナを襲った時に、多分母親とはぐれて流されたんだろうってことを知った」
 「それで…」
 「Xメイがやってきて、漸くラビルーナの中に入れたけれど、地上から戦士をもう二人見つけて来なければ、到底奴等には勝てないって聞いてさ、地上に出て探してたら……」
 にやりと笑って大地を見る。大地はその時のことを思い出して僅かに眉を顰めた。
 「それが俺で、がっかりしたんだっけね」
 皮肉を込めて大地が言うと、ラビは笑みを引っ込めまじめな顔で覗き込んできた。
 「大地で良かった。大地でなけりゃ駄目だ」
 「ラビ」
 徐々にラビの顔が近付いてくる。
 「好きだ…大地」
 唇が触れあい、しっとりと深く重なり合う。大地は呆然とそれを受けていたが、ラビの手が背中にまわり強く抱き締めてくると、焦って突き飛ばした。
 「わあっ」
 「あっ、ご、ごめんっ」
 勢い余ってラビはソリから落ち、離れていってしまう。大地は慌ててソリから降りるとラビに向かって走り出した。
 「大丈夫?」
 「大丈夫、じゃねーよっ」
 いてて、と腰をさすりながら胡座をかいてふてくされるラビに、大地は側に脆いて訊いた。
 「でも、急にびっくりしちゃって……俺」
 「キスくらいで驚く程子供じゃないだろーが。それとも、俺が嫌い…か?」
 俯いて深刻な表情をするラビに、大地はずきりと胸が痛んでしまう。
 「嫌いな訳ないだろ。俺達は仲間だし、友達だ」
 「友達? 笑わせるぜ」
 キッと顔を上げ、ラビは恐いほどの真剣な表情で吐き捨てるように言った。
 「ラビ」
 「友達なんかじゃない……仲間、なんて言葉もいらない。俺は…大地が好きなんだ、それ以上に」
 輝く碧の瞳に捕らわれ、大地は動くことも出来ずに見つめていた。
 「キスしたい、もっとそれ以上もしたい……シャマンにあんな風に触れさせたくない」
 すっとラビの腕が伸びて大地の後頭部を掴み、ぐっと引きつける。
 自然に目が閉じ、大地はラビの唇が熱く自分のそれに重なり、中にまで侵入してくるのを感じて身体が熱くなってきた。
 「…ラビ……」
 唇が離れると、大地は喘ぐように息を継いだ。
 「大地くん、ラビくん、こんな所で何をやっているんですか?」
 「何してるグリ〜?」
 「うわあっ」
 再びラビを突き飛ばし、大地は真っ赤になって後ろを振り返った。不思議そうな顔をしたガスとグリグリが覗き込んでいる。
 「あ、あれ…?」
 「後ろを見たら居なくなっていたので、戻ってきたんです。落ちたなら早くそう言って下さればよかったのに」
 「ご、ごめん、さ、さあ行こうか」
 すくっと立ち上がり、赤い顔をしたまま大地はぎくしゃくと歩き始める。
 「くそぉー」
 三人が歩き始めると、その後ろで唖然としていたラビが額に青筋立てて仁王立ちした。
 「ラビくん、いつまでもそんな所に居ると、氷の彫像になってしまいますよ」
 「わかってるよ!」
 ぷんぷんしながらラビは三人を追い抜いていく。大地はそんなラビにほっとしたような気分で後から歩いていった。  


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