Rain



 梅雨に入ってから毎日毎日強くも弱くもなく雨が降り続いている。バスケットは屋内のスポーツだから、泥だらけになってグラウンドを走り回るということはしなくても済むのが良いところなのだが、こう毎日雨が続くと外でいつもは練習している他のスポーツクラブが、体育館を交代で使いたいと申し入れてくるのは当然のことだった。
 いくらインターハイ出場が確実と思われているバスケット部でも、そう言われればたまには明け渡さなければならない。ここはバスケット部専用の体育館ではないのだから。
 いつものようにのんびりと、借りた赤い女物の傘をさして体育館にやってきた仙道は、その入り口で憤然と立っていた越野に叩き付けられるように説明され、僅かに肩を疎めた。
 「だーかーらー、ちゃんと時間に来いってんだよ。今までお前を待ってたんだぞ。せっかく練習が休みになったってのに、こんな無駄な時間使ってらんねーんだ」
 「そうか、悪かったな。で、そんな急いでんのはガールフレンドとでもデート?」
 あんまり悪くも思っていなさそうに笑い、続けて言う仙道に越野はふるふると拳を震わせた。
 「ほっとけ。明日は朝からびっしり練習あるそうだから、絶対遅れるなよ!」
 「はいはい」
 「返事は一回でいいっ」
 一瞬殴ってやろうかと思った越野だったが、さっきから体育館の中で練習しているバレー部の視線が背中に痛い。ここで仙道を殴ったとしても、悪者にされるのは自分の方だろう。
 我慢我慢とロの中で呟きながら、越野はさっさとその場を離れていった。何をそんなに怒っているのかと、不思議そうに見送りながら仙道はばりばりと頬を指先で掻く。それにしても、突然に練習が休みになってもこれといってすることもないし、どうしようかと考えていた仙道は、取りあえず体育館に背を向けて歩き出した。
 同じように湖北バスケット部も今日は練習できずに解散となっていた。インターハイ予選も残りは決勝リーグのみでこれからが大切な時期だというのに、一日でも練習できないのは辛い。漸くバスケに慣れてきて、楽しくなってきていた花道はいつまでも文句を言っていたが、赤城に一喝されて渋々帰り道を歩いていた。
 「ゴリの奴、力一杯殴りやがって…ん?」
 眉を寄せて歩いていた花道は、道端に置かれている段ボール箱から聞こえてきたか細い鳴き声にふと足を止めた。恐る恐る覗いて見ると、まだ目が開いたばかりのような茶色い短い毛の子犬が震えている。
 慌てて傘を肩口で押さえつけるとそっと両手で抱き上げた。甘えるように鼻を鳴らし、擦り寄ってくる子犬を暖めるように両腕で抱え、じっと丸い目を見つめた。
 「うーん……」
 考えもせずに抱き上げてしまったものの、自分が住んでいるのは古いアパートでとても犬など飼える環境ではない。といって、また、この雨の中に放り出すのも嫌だ。子犬は、鼻先に皺を寄せ考え込む花道の頬を舐め、嬉しそうに囓り付いてくる。
 「わっ、よせって、くすぐってえ」
 子犬にじゃれつかれている内に、傘は地面に落ちてしまった。雨はそれほど強く降ってはいなかったが、暫くするとせっかくリーゼントにセットしていた髪が額に落ち掛かってくる。
 「…風邪引くぞ。何してんの」
 いきなり後ろから声を掛けられ、花道はびっくりして振り返った。赤い傘をさしかけて、笑顔で見ている敵の姿に花道は驚いて目を見張り、ついで不審げに眉を寄せて睨み付けた。
 「て、てめー、何でここに」
 「今日は練習休みになっちゃったから、部屋に帰るところだよ。桜木の家もこの近くなのか?」
 「そうか、そっちも休みなんか…」
 へえ、と言うように見ている花道を見て、仙道はくすくすと小さく笑った。花道とその腕の中にいる子犬が、まるで同じような表情をして、同じように丸く無邪気な目で自分を見ているのが何だかとても可愛い。
 笑われたことで馬鹿にされたと思ったのか、むっとする花道の表情に合わせて子犬も鼻先に雛を寄せている。
 「何がおかしーんだよ」
 「その子犬、桜木の?」
 「いや……」
 途端に戸惑ったように表情を曇らせ、視線を落とす花道に、仙道は再びこのでかい男にはふさわしくない形容詞でも、可愛いと心の中で呟いた。
 「捨て犬?」
 「ああ……らしいな。まったく、飼えないんなら最初から飼うなってんだ。こんな風に捨てるなんて…」
 「取りあえず、俺の部屋に行かない?いつまでもこんな所で濡れてたら風邪引くし、その子犬もお腹空かせてそうだし」
 えっ、と驚いたように花道は仙道を見た。
 「さ、行こう」
 ひょいと身をかがめると地面に転がされていた花道の傘を拾い、畳んで小脇に抱え仙道はゆっくりと歩き始めた。慌てて花道も子犬を抱えたまま隣を歩き始める。小さな女物の傘で大きな男二人をカバーするのは無理があったが、仙道は殆ど花道の方に傘をさしかけ、自分は悠々と濡れながら歩いていた。
 「おい、濡れるから、もっと自分の方にさせよ」
 「それは無理だよ。これ借り物の女傘だから、小さいんだ」
 「だからお前の方にさせって言ったんだ。俺は平気だから」
 「俺も平気だよ。これくらいの雨に濡れるのは結構好きなんだ」
 にこにこと笑って言う仙通が本気なのかどうか今一つ判らなかったが、自分はともかくすっかり濡れている子犬がこれ以上雨に当たらないで済むのは嬉しい。暫く黙ったまま歩いていた花道は、沈黙に耐えきれず、ちらちらと隣の仙道に視線を投げかける。
 「何?」
 「あ…何で…そんな親切なんだ、敵なのに」
 視線を感じてこっちを見る仙道に、花道は訊ねた。
 「あはは、敵ったって、試合中はそうだけど、今はそうじゃないだろ。バスケ以外で桜木の敵になるようなことしてないと思うけど」
 言われてみればそうかもしれない。流川はバスケ部の味方という以前に恋敵なのだから、仙道の立場とはちょっと違うだろう。
 仙道の足が止まった場所で目の前の建物を降り仰いだ花道は、それが大きなマンションであることに唖然としてしまった。
 「どうした?早く入って」
 「ば、馬鹿野郎っ、マンションじゃ犬猫は飼えねえだろうが」
 あんな風に言うからてっきり一軒家だと思っていたのに、これでは自分のアパートと……大きさや豪華さなどは別として……変わらないではないか。
 「大丈夫、すぐに飼い主が見つかるさ。一人二人当てがあるんだ」
 怒鳴る花道を促して仙道はマンションの中に入ってしまった。しばし佇んでいた花道は、しようがなく後に続いて入っていく。エレベーターで5階まで上がり、突き当たりの一室に入ると外見に違わず立派な造りの内部に目を見張り、その割に家具は僅かしか無く人の気配もしない室内を見回した。
 「気にしなくていいよ、一人暮らしだから」
 深めの皿に牛乳を注ぎ、きょろきょろ見回す花道に笑って言うと子犬の方にそれを差し出す。床に下ろされた子犬は嬉しそうにそれを飲んだ。
 「一人?」
 「俺、実家は東京だから。こっちへは一人で乗てる」
 「ふーん」
 一人でこんな良い部屋に住んでるのか、と何となく腹立たしく見回していた花道は、タオルを手渡されきょとんとしてそれを見た。
 「シャワー、使って。その間に乾燥機掛けておくから、ああ、腹が減ってるようなら何か取るか」
 「い、いらねえよ、そんな」
 「俺も腹減ってんだ。一つじゃなかなか出前してくれないから」
 あれよあれよという間にバスルームに押しやられ、花道はちょっと躊躇ってから服を脱いだ。
 「変な奴だな、お前」
 ケータリングのピザを食べながら花道はじっと目の前でにこにこしている仙道を見つめた。そういえば、こいつは試合中でもへらへらと余裕かまして笑っていたような気がする、と花道は負けたあの試合のことを思い出して僅かに眉を顰める。
 「ピザ、嫌いだった?」
 「え?いや、うめーよ、これ」
 「そりゃあよかった」
 もっと食べろと勧められ、花道は切れ端を尻尾を振って待っている子犬に分けてやりながら食べ続ける。その間も仙道はにこにこしながらバスケの話や学校の話など、取り留めなく喋っていた。
 子犬の引き取り手を探すために電話を掛けて戻ってきた仙道は、床に丸くなって寝ている花道と子犬の姿を見て微笑んだ。試合の中で怒鳴り、騒ぎ、走っている能動的な花道の姿しか知らない仙道には、静かに寝息をたて子犬と寄り添うようにして寝ている姿は新鮮だった。
 初めて出会った時から挑戦的な目で見つめられ、堂々と自分を倒すと宣言されても不快感は湧かず、逆に興味が湧いてきて試合が終わるのが残念だったくらいだ。確かに流川との戦いの方が自分にとってもプラスになるだろうけれど、花道と対峙する方がわくわくする。
 そっと手を伸ばして濡れて額に落ち掛かっている赤い前髪に触れると、しっとりとそれは絡み付き指先をくすぐる。
 仙道は今まで感じたことのない不思議な気持ちで花道を見つめ、もっと彼のことを見ていたい、知りたいと思い始めていた。
 再び降り出した雨の土曜日の午後、通りかかった公園の中に花道の姿を見出して、仙道は近付いていった。だが、声を掛けようとしたロを閉じてしまう。傘もささずにボールを持ち、真剣にゴールを狙っている花道の額に流れるのは、今降り出した雨かそれとも汗だろうか。
 何度か外したボールがゴールに入った瞬間、今まで真剣に寄せられていた眉根が緩み満面の笑顔に変わる。
 「よっしゃー!これでリバウンドだけじゃねえってハルコさんにも誉めて貰えるぞ」
 「ハルコって誰?」
 「うわっ!せ、センドーっ、てめえいつの間に」
 にこにこと傘を差し掛け声を掛けてきた仙道に、花道はぎょっとして身を引き睨み付けた。
 「熱心なのはいいけど、濡れたら身体に毒だよ」
 「え?ああ、雨か…」
 今気付いたと言うように空を見上げ、眉を顰める。せっかくシュートの特訓をしていたというのに、これではまた流川に遅れを取ってしまうではないか。花道はぶつぶつとそんな事を考え、はっとしたように頭をぶんぶんと横に振った。
 「練習するなら、市民体育館に行かないか?予約してあるから直ぐに練習できるぞ」
 「いや、別に流川に遅れを取るからって特訓していた訳では…」
 「流川?」
 「天才だから練習が人より多くても平気で…」
 訊かれもしないことを口に出してしまってから、はっとして慌てて花道は否定し、更にぼろを出してしまう。あたふたと言葉を探してうろたえる花道に、仙道は不思議そうな表情を浮かべながらもその手を取り、歩き始めた。
 「じゃあ、行こうか」
 「ま、待て、センドー、どうして敵同士なのに連れてくんだ。さては、この天才の実力をスパイしようってのか」
 「そうだな、あれから少しは上達したのか、見てみたい気はするね」
 「ふぬっ」
 にやりと笑って言う仙道に、花道は唇を尖らせてぎろりと脱み付ける。練習試合で負けた後、死ぬほど練習してこいと言った仙道を思い出して、花道は更にむっと眉根を寄せた。
 「俺を倒すんだろ?だったら雨の中で練習するより、ちゃんとした屋内で練習した方がいい。それとも、俺に見られて練習するのはまずいか?」
 「んなことある訳ねーだろっ!よーし、てめーに俺がどれだけ成長したか、見せてやるぜ」
 ずんずんと歩き始める花道に、仙道も傘を差し掛けながら着いていく。その傘がこの前と同じ赤い女物なのに目を止めて花道は胡散臭そうにじろりと見上げた。
 「どうして女物なんか使ってんだ、てめーの図体じゃ足りねえだろうが」
 「ああ、この間から借りっぱなしだったんだ。そうそう、あの子犬の飼い主になってくれたんだよ」
 え、と眉根を開き無防備な子供の顔を見せる花道に、視線を捕らえられ、仙道は目が離せなくなる。
 「そっか、良かった。……サンキュ」
 嬉しそうに、多少複雑な……ほんとは自分が飼いたかったというような……笑みを見せ、ついで照れたように俯いて礼を言う。さっきの真っ直ぐ心臓まで届きそうなきつい瞳も、柔らかな微笑を浮かべるときの瞳もどちらも鮮やかに仙道の心に刻まれた。もっと別の表情を、瞳を見たいと欲求はどんどん高まってくる。
 「うかうかしてられないな」
 「おおよ、絶対てめーを倒してやる」
 「期待してる」
 再び強い視線を浴びて仙道はにっこりと頷いた。
 それから雨の日になると公園で会うようになった。時間があれば仙道が予約してあるという体育館に行って練習をし、なければ何やかやと理由を付ける仙道の部屋へ行き夕食まで作って一緒に食べる。敵同士なのにこんな事でいいのだろうかと時折花道は考えるのだが、一緒に居る時間は案外退屈もしないで、楽しいものだったりするので行こうと言う仙道を拒みきれないのだ。
 嫌なら雨の日に公園には行かず、部屋に閉じこもるか洋平達とゲーセンにでも行けばいい、けれどそれをせずにいつのまにか心待ちにしてしまっている。
 「おめえ、いつまでその傘借りてるつもりだ」
 「いつでも良いって言うからつい面倒で」
 まるで待ち合わせの目印のようにずっと借りっぱなしの赤い傘をさし続ける仙道に、いい加減呆れて花道が言うと、ひょいと肩を竦めて応える。
 「彼女だって困るだろうが」
 「彼女?」
 「その傘、てめーの…彼女のだろ」
 僅かに頼を染めて言う花道を、仙道はびっくりしたように見た。
 「ただのクラスメイトだよ。彼女じゃない。俺、そーいうの居ないんだ」
 「ほんとか?」
 今度は花道が驚いたように仙道を見た。流川と同じように女にもてそうな容姿だから絶対居ると思っていたのに、それとも今は居ないということだろうか。
 「ほんとほんと、今は桜木だけで手一杯」
 「なんだよそりゃ」
 からかうように言われ、ますます頬を染めて花道は仙道を睨み付ける。仙道はにっこり笑うと、すっと顔を花道の方に近づけ、その唇をかすめ取った。
 「好きだよ」
 さらりと言われて花道は何が起こったのか理解出来ず、目を白黒させる。好きだ、と言った事は五十回もあったが、言われたのはこれが初めてだ。というか、今されたことは何だ?
 「ば、馬鹿言って…」
 「ほんとだよ、好きだ、桜木が」
 笑みを深くさせ仙道ははっきり分かるよう一言ずつ言う。花道は真っ赤になって仙道を睨み付けた。初めて好きだと言ってくれたのが、男でしかも敵だということに愕然としてしまうけれど、言われた言葉に免疫が無いせいでそれ以上どうしようもなくただ突っ立ってる。
 「練習行く?」
 「お、おう…」
 仙道の方は困惑しきった花道のことなど意識もせずに、いつもと同じように体育館へと誘いかけた。花道は頷いた赤い傘の後を追っていく。仙道の飄々とした様子は、まるで今の告白など無かったことのようだ。
 自分が告白した時は、心臓がどきどき波打って相手の顔などまともに見られず、返事がくるまで一瞬の事なのに何時間にも感じられたものだったのに、仙道はそんなこと無いんだろうか、と花道はこっそり隣の仙道の顔を覗き見る。
 「何?」
 「な、何でもねーっ」
 問われて慌てて首を振り、花道はそっぽを向いた。


 「なあ、……好きだって言う時どんな気持ちがする?」
 「何だあ?そんなの花道が一番良く知ってんじゃねーのか、何たって告白回数五十回、振られた数も同じっつー強者だからな」
 「ふんぬーっ、今はそんな話してんじゃねー!」
 昼休みの屋上でいつものメンバーと話している時、唐突に問う花道に大桶が茶々を入れる。訊いた相手の洋平はにやりと口元に笑みを浮かべて顔を赤く染めている花道を見返した。
 「そうだな、やっぱどきどきするかな」
 「え…洋平言った事ねーんか?」
 「言われた事は山ほどありそーだよな、洋平ってば結構いい男で通ってるし」
 高宮がちょんちょんと肘で寝転がっている洋平の脇腹をつつく。そうそう、と他のメンバーも首を縦に振って同意した。
 「今時、頬を染めて裏庭で『好きです』もねーよな。もっとドライだぜ。『付き合ってみない、取りあえず』 ってな感じだし」
 ドスの利いた声で野間が女の子の口調を真似するのに、花道以外はうんうんと頷く。がーん、とショックを受けた花道はそれ以上ロを閉ざして考え込んでしまった。
 「花道、他の誰かがどう思おうといいじゃねえ? お前はいつだってどきどきしてんだろ。そのどきどきがいつか変わるかもしれねーけど、そん時はそん時だ」
 いつになく考え込んでいるような花道に洋平がぽんと肩を叩いてそう諭す。
 多分、本当の憧れでない恋愛をしたら、変わらざるをえないだろう。心臓の音など考えられないくらい苦しい気持ちや、世界と引き替えにしても惜しくない相手への気持ちは、どきどきではすまされないことを、いつか花道も知るかもしれない。
 そんなことを洋平は考えつつ、今はまだ花道がただの憧れだけの恋を卒業して欲しくないと、我が儘とは知りつつ思っていた。
 「そうじゃねえんだ……」
 ぽつりと言って花道はごろりと横になる。自分の気持ちじゃない。知りたいのはそう言った相手の気持ちだ。いっそ冗談だと言ってくれた方がましなのだが、そう言うときっと仙道は本気だと言うだろうと思った。何故かは判らなかったけれど。
 「花道も結構最近人気出てきたからなあ、でも女どもの、好きと、可愛い、は当てにするもんじゃねーぞ」
 「何で」
 したり顔で言う野間に、花道はむっすりとした顔で訊く。そりゃあ、と野間は人差し指を振りながら応えた。
 「たとえ相手が犬だろーが猫だろーが、イグアナでもおじさんでも、カワイー、だし、好きか嫌いか訊かれりゃ、スキ、だからさ」
 「あ、ひでーな、花道はイグアナかよ」
 げらげら笑い転げる高宮と大桶に頭突をくれ、言った野間にもついでにぶつける。コンクリートの床に沈んだみんなを後にして、花道は屋上から教室へと戻っていった。

 今日も雨が降っているが、流石に毎日他の部に体育館を取られては、インターハイ予選決勝リーグの練習が出来ないと安西が掛け合い、今日からは決勝リーグが終わるまで体育館での練習が続けられることになった。
 久しぶりの熱の入った練習に息を切らせていた一同は、花道の大きな声にびっくりして顔を向けた。いつものように流川に喧嘩をふっかけて食って掛かっているのかと思えば、そうではなく、壁に掛けられた時計を見てロを手で塞いでいる。自分でも今の声には驚いたらしい。
 「どした、花道?」
 「な、何でもねー」
 代表して宮城が訊くと、ぶんぶんと首を横に振って花道はぎこちなく練習に戻っていく。だが、意識が時計に向かっているのは確かだ。
 時折ちらりと時計を見ては、迷ったような表情を見せる。みんなに不思議に思われながら練習を終えると、花道は脱兎のごとく走り出して更衣室に向かった。
 「何なんだ、あいつ」
 「さあ…」
 首を捻る一同を残して、花道は挨拶もそこそこに外に飛び出していった。
 居る訳ない、理由が無い、とぐるぐる考えながら花道は走っていく。薄暗い公園の中にぼんやりと赤い傘が見え、花道は呆然として立ち止まった。
 「ば、馬鹿か、てめーは!何でこんなとこで待ってんだよ」
 「雨だったから、桜木が来ると思って」
 「今日から雨でもずっと体育館使えるようになったんだ。だから…別にてめーと練習する必要もなくなったんだ。判ったらさっさと帰れ、おめーだってクラブの練習あんだろ」
 一気に言って花道は仙道を見た。その表情には、がっかりした色も残念がっている様子も無い。それが何だか無性に腹が立つ。
 「そうか、良かったな、練習出来て」
 「あ、ああ…てめーはこの天才の雄姿が見られなくなってちっとは残念かもしれねーけどな」
 「ちょっとじゃなくて、凄く残念だよ」
 嘘付け、と心の中で呟く。だったら、少しはそんなそぶりを見せたらどうなんだ、と。いつものように微笑みを口端に浮かべ、見ているだけではとても信用など出来ない。
 「じゃあな」
 じろりともう一度睨み付け、花道は踵を返そうとする。だが、その手を掴まれ引き留められた。
 「今度の日曜、空いてる?」
 何だ、と振り返った花道に仙道は問いかけた。
 「何で」
 「いつかの子犬、見に行かないか?」
 それを聞いて花道は、振り払おうとした腕を止めにこにこ誘う仙道を見つめた。
 「じゃ、次の日曜日、二時にここで待ってる」
 「お、おい、俺は行くなんて…」
 「行かないの?」
 不思議そうに見つめられて花道は否定しようとした口を閉じた。確かに子犬のことは気になるし、その飼い主のことも気になる。
 「行く」
 こっくりと頷きながら応える花道に、仙道はゆっくりと捕らえていた腕を放し、ひらひらと振って去っていった。


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