Nova Luna−1−

 うだるような日差しがじりじりと地面を焦がし、道行く人々を熱している昼下がり、人間、動物問わずうんざりしてくるような街中を、長い髪を二つに分け、なびかせながら一人の少女が急ぎ足で歩いていた。
「あー、もうまた遅刻しちゃったよぉ、レイちゃんに怒られちゃう」
 恨めしそうに天中に昇った太陽を睨み、ぶつぶつと呟きながら処女、月野うさぎは足を早め駆け始めた。階段を駆け上がり、辿り着いた場所は火野レイが住まう神社の境内だ。
「おっそーいっ! また遅刻して、こんな暑い中よく昼日中までぐーぐー寝てられるわねっ」
「あははは、ごめんごめん。でもほら、寝る子は育つってゆーじゃない」
「まだ身体が本調子じゃないんじゃない? 大丈夫、うさぎちゃん」
「うん、もう平気。ごめんね、心配かけて、亜美ちゃん」
 境内に立っていた巫女姿のレイは、いつものように本を抱えた亜美の、うさぎを気遣う言葉にふと顔を曇らせた。
 前回の闘いは、またもやセーラームーンであるうさぎに負担を掛けてしまい、結果オーライとはいえ、渦巻く暗黒の大地に聖杯と共に身を投げた彼女を他のセーラー戦士達は見守ることしかできなかったのだ。
 あれでセーラーサターンが覚醒しなければ、セーラームーンは地球を救うために滅していたかもしれない。
 いつもいつも、どうしてこの少女一人に世界の全てが任されてしまうのだろう、自分たちがいくらかでも力になっているのだろうかと、レイは亜美と会話しているうさぎをじっと見詰めていた。
「どしたの? レイちゃん、ぼーっとして」
「え……なんでもないわ。それより、うさぎはともかく、後の二人も遅いわね」
「え、まだ来てないの、まこちゃんと美奈子ちゃん」
 きょろきょろと、今気付いたのか、うさぎが辺りを見回す。
「大事な話なんだから、ちゃんと時間通りに来てって言ったのに」
「ね、大事な話って何?」
「みんな揃ってから言うわよ」
 好奇心に目をきらきらさせて訊ねるうさぎに、そっけなくレイは答える。僅かに頬を膨らませて、うさぎはレイの肩を掴んだ。
「もったいぶんなくたっていーじゃない。ねーレイちゃん」
「だーめ」
「レイちゃ〜ん」
 今度はごろごろと懐き始めるうさぎに、レイは困ったような表情でそっとすり寄ってくる細い肩に手を伸ばした。
「あ、来たわ」
 びくっと手を止め離し、レイは亜美を見る。にっこりと微笑んで階段の方を指さす亜美に、レイもぎこちなく微笑み返し、階段の方を見た。
「ごめーん、遅くなった」
「ごめんねー、途中でアルテミスに捕まっちゃって」
 手を振りながら駆け寄ってくる二人に、レイにすり寄っていたうさぎはぱっと身を離し、嬉しそうに笑って出迎える。その笑顔に微かに苛立ちながら、レイは漸く揃った仲間達をぐるりと見回した。
「で、何なんだ、話って」
「今のところ、敵も現れてないようだけど」
 息を整えるとさっそくというように聞いてくる。難しい表情で黙っているレイに、また何か不吉な夢でも見たのかと、みんなは息を潜めて注目した。
「実は……夏休みの宿題のことなんだけど、うちの別荘でみんなでやらない?」
 途中であまりに暗い声になったから、一体何事かとみんなは固唾を飲んで見守った。が、急にレイは明るい口調になると続けて言った。レイはがたがたと崩れるみんなを笑顔で眺め、どーかしらと聞いてくる。
「何だ、てっきり新たな敵の予知夢かなんかの話かと思った。宿題? 別荘?」
「別荘って、レイちゃんちそんなの持ってるのー?」
「うん、両親のなんだけど、忙しくて使ってないのよ。で、久しぶりに行こうかなーと思って。行くならみんなで行った方が楽しいでしょ」
 まことが呆れて言うのに頷き、レイは続いて美奈子の問いに答える。
「すごーい、別荘かあ、行こ行こ!」
「宿題を別荘でやらなくても良いと思うのだけれど」
 手を叩いてはしゃぐうさぎの横で、亜美が真面目な顔で考えながら言うと、レイは指先を振ってそれを否定した。
「ここでやってる勉強会の続きみたいなもんよ。それに、せっかくの夏休み、勉強だけじゃつまらないでしょ」
「そうだよ、亜美ちゃん。勉強も大事だけど、遊びも大事だよ。私亜美ちゃんやみんなと遊びたい」
 考え込む亜美の手を取り、うさぎは説得するように顔を近付けてそう言うと、亜美もにっこり笑って頷き返した。
「そうね、お勉強はどこでも出来るけれど、うさぎちゃんと楽しく過ごせるなら行きたいわ」
「亜美ちゃん?」
 取られた手を握り締め、亜美はそっとその手に唇を押し当てる。柔らかくて暖かい唇の感触に、うさぎは驚いたように亜美を見詰めた。
「う、うさぎちゃんっ、ちびうさちゃんは?」
「え? 今日は学校のお友達とプールに行くって言ってたけど」
 二人の世界を作りかけている亜美とうさぎに、慌てて美奈子が言葉を掛ける。はっと我に返って振り返ったうさぎは、美奈子の言葉に、ちびうさも一緒に行くと言い出すだろうなと考えた。
「あ、あとさ、行くのは良いとして、足はどーすんだい? どこにあるか知らないけど、別荘ってくらいだから山奥か海岸にあるんだろ」
「そうねえ、場所は山なんだけど、電車とバスを乗り継いでそこから歩いて結構あるし」
 歩くと聞いてみんな一様に顔を蹙める。その時、ぽんと手を叩いてうさぎがにっこりと笑った。
「まもちゃんの車に乗っけてって貰おうよ。で、一緒にお泊まりするの」
「あのねーうさぎちゃん。いくらなんでもぴちぴち女の子の居る中に、男一人で来るなんてこと出来やしないでしょうが」
「え、何で」
 眉間に皺を寄せて美奈子が却下する。訳が分からず、首を捻っているうさぎに、みんなは一斉に溜息を付いた。
「そりゃあ私たちの信頼関係は、一晩や二晩で崩れやしないってのは解ってるけど、世間の目ってのがあるでしょ」
「マズい?」
「そりゃーもうっ」
 まことが言い聞かせるように言うと、うさぎもやっと気付いたように聞き返す。レイが大きく頷き、他のみんなもうんうんと頷き返した。
「でも他に方法がないじゃない」
 うさぎの言葉に、みんなは揃って考え始めた。素直に歩いていくべきか、それとも……
「こんな所で考え事なんて、どうかしたのお嬢さんたち」
「は、はるかさんっ」
 境内の一本杉の側からひょっこり顔を覗かせたのは、あの日以来姿を消したはずの天王はるかと海王みちるの二人だった。びっくりして目を見開き、二人を見詰めるうさぎに微笑みかけ、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「あらあら、こんな日差しのきつい場所で立ち話なんて、いくら若いお肌といってもシミ、そばかすだらけになってしまうわよ」
 くい、と顎を人差し指で持ち上げ見詰めるみちるに、うさぎは頬を赤く染める。先を越されたはるかは溜息を付き、くるりとレイの方を振り向いた。
「ところで話は聞いた。僕でよければ足になってもいいよ」
「え、ええ、でも、はるかさんたち今までどうしていたんですか」
 何時の間に来ていやがったんだ、と心の中で思いつつレイは訊ねる。相変わらずもったいぶった様子ではるかはにやりと笑い、答えた。
「ほたるを育ててたよ」
「ほたるちゃん……」
 あの時、先の戦いで生まれ変わったほたるを、はるかとみちる、そしてせつなの三人は育てると言って姿を消したのだ。幸薄い少女だったほたるを今度こそ幸せにするために。
「だいぶ大きくなった。普通と成長速度が違うみたいでね。で、どうする?」
 ん? と聞くはるかに、みんなは顔を見合わせた。
「はるかさんの車じゃ、みんなは乗せていけないんじゃないですか」
「そうだね、だったらあの王子様にもう一台出して貰えばいいじゃないか」
「大丈夫、私たちも一緒ということなら、親御さん達説得できるわよ」
 はるか、みちる両名の笑顔の言葉にみんなは再び考え込んだが、暫くすると揃って二人にぺこりとお辞儀をし、よろしくとお願いした。
「嬉しいな、私ずっとはるかさんやみちるさんと仲良くしたいと思ってたんですよ」
「僕たちもさ、お姫様」
「さっ、うさぎ、早いとこ衛さんへ頼みに行ってらっしゃい。はるかさん達には私からご案内しておくから」
「えー、でも」
 じっと見詰めるはるかの視線から奪うようにうさぎの手を引っ張り、レイはそう言う。
「ちゃんと説明しろよ。いちゃついてばっかりじゃ話になんないぞ」
 続けてまことも言い、ぽんと肩を押し出すようにして行くよう促した。いくらか不満そうなうさぎも、分かったと頷き、階段を駆け下りていく。姿がすっかり見えなくなると辺りの空気は一変し、内惑星四人は外惑星の二人と対峙した。
「今頃出てくるなんて、どういうおつもりでしょうか」
 普段と変わらぬ口調ながら、端に辛辣さが窺える言葉で亜美が訊ねると、はるかはにやりと笑って腕組みをし、四人を見詰めた。
「僕の大切なプリンセスと過ごせる平和な時間が欲しいだけさ」
 僕の、という所有格にみんなの神経がピンと張り詰める。ただでさえ、このはるかは先の戦いの時にうさぎに色々ちょっかいを出していた要注意人物である。
「まあ、はるかったら、すっかりその気なんだから。だめよ、私にもプリンセスは大切なお方なんですからね」
「分かってるよ、みちる。僕たちだけじゃない、セーラー戦士達はみな、彼女を慕っている……だから、今回は良いチャンスだと思うんだ」
「チャンスって……」
「そういうつもりだったんじゃないのかい」
 驚いて呟くレイに、片目を閉じてウィンクをし、はるかは確かめるように訊ねた。ぐっと詰まるレイに、笑いかけるとはるかは言った。
「みんなプリンセスの愛が欲しいのさ。車は用意していくよ。詳しい行程が組めたら連絡してくれ」
 自宅の電話とFAXナンバーを書いたメモをレイに手渡し、二人は姿を消した。
「レイちゃん、あんたはほんとにそんなつもりで」
「そうよ、いけない? もちろんプリンセスには王子様が居るわ、だけど、あたしはうさぎが好きだもの」
「私もよ」
「亜美ちゃん」
「私に初めて親友という言葉の本当の意味を教えてくれたうさぎちゃんを、それ以上に好きになってしまったの」
「ズルイ、私だって前世は一番近くに居たのに、今はほとんど一緒に居られなくて寂しいわ」
「おいおい」
 二人のやりとりに横から憤慨して、拳を握り締め美奈子が力説するのを、戸惑うようにまことが諫めようとした。
「まこちゃんは、違うの」
「あたしは……あたしだってそうだけど、でもうさぎちゃんにはれっきとした衛さんていう恋人が居るんだから」
「分かってる。あの二人は引き離そうったって、離せない強い絆で結ばれているのは。でも、私の気持ちも変えられない」
 きっぱりとレイは言い、他の二人も頷く。恋人の好きではない、もっともっと違う物。うさぎとの間に求めているのが何なのか、実はまだ良く解らないけれど、このもどかしい想いを何とかしたいと、レイや亜美は考えているのだ。
「そうだね、別に一人だけしか好きになっちゃいけないって決まりがあるわけじゃない、あたしも頑張ってみよっかな」
「みちるさんはどうか分からないけど、はるかさんは結構本気らしいし、まこちゃん頼りにしてるわよ」
「まかしといて」
 どんと胸を叩き笑うまことに、みんなは良い妬く明るい笑い声を境内に響かせた。

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