The night when it noyiced love -4-

 


 次の日曜日、リョーマは母親に頼まれた菜々子と街へ買い物に出ていた。
 元々買い物などに興味も無いのに、用が済んだ後も菜々子に引っ張り回されてリョーマはかなり疲れ気味でいた。
「あれ、どうしたの、こんな所で」
 店の前の沿道に座り込んでいたリョーマは、上から声を掛けられて振り仰いだ。一瞬逆光になって見えなかったが、この声には聞き覚えがある。
「不二先輩」
「買い物?」
「付き合いで」
 短いリョーマの答えに不二は店の中を覗き込んだ。その店は割と知られた女性向けブランドの商品ばかり取り扱っているため、中は女の子ばかりで賑わっている。
「なるほど。でも君が着ても似合うのがありそうだね」
 にっこり笑ってそう言う不二に、リョーマはげっそりとした表情を浮かべた。
 女の子が欲しかったという母親は、どうにかするとリョーマに可愛い格好をさせたがる。漸く菜々子という別の標的が出来てそれをしなくなったのに、付き合いでもこんな店の中に入るのは嫌だ。
「不二先輩こそ、似合うんじゃないですか」
 不二の表情が僅かに曇り、苦笑を浮かべて首を横に振った。
「小さい頃は姉さんに遊ばれたからねえ。ちょっと勘弁だな」
「何だ、同じか」
 小さく笑うリョーマを、不二はじっと見下ろしている。その視線に居心地が悪くなった頃、扉が開いて菜々子が袋を両手に姿を現した。
「ごめんね、遅くなって」
 立ち上がるリョーマに謝って不思議そうな表情で自分を見ている菜々子に、不二は頭を軽く下げた。
「こんにちは、不二といいます」
「あ、こんにちは」
 どなた、と小声で菜々子はリョーマに訊ねる。同じ学校のテニス部の先輩、と答えるリョーマに漸く納得した菜々子は微かに頬を赤らめて頭を下げた。
「越前君にこんな綺麗なお姉さんが居るとは知らなかったな」
「私従姉妹です。今リョーマ君の家に居候してるだけなの。あ、良かったらそこの喫茶店でお茶でもしませんか」
 綺麗と誉められたのが嬉しかったのか、菜々子はそう言うと近くの喫茶店へ歩き出した。慌ててリョーマは菜々子の手を引き、止めようとする。
「リョーマ君に付き合って貰ったお礼、しなきゃね。チョコパフェでもプリンアラモードでも好きなもの頼んでいいわよ」
 にっこり笑って言われ、リョーマは止めようとした手を引いた。不二と一緒に喫茶店に入るのは嫌だが、パフェの誘惑には勝てない。
「先輩、忙しいんじゃ」
「そんなことないよ。こういう所なら喜んでお付き合いしましょ」
 微笑んでそう言うと不二は菜々子の手から荷物を取り、隣に並んで歩き出した。二人の後ろ姿に、何となく虫が好かない気分でリョーマは付いていく。
 喫茶店に入ると今日の気分の代価にと、リョーマはフルーツパフェにブルーベリーワッフルを頼む。不二はカモミールティーを頼み、菜々子はロイヤルミルクティーを頼んだ。
 テニス部での話など不二と菜々子は和気藹々としている横で、リョーマは不機嫌そうに店の外を眺めていた。
 せめて頼んだ物がくれば間が持てるのにと思うのだが、不二や菜々子の注文した品は直ぐに来たのにパフェは来ない。
 漸く二つの品が来た時、菜々子は腕時計を見て焦ったように立ち上がった。
「大変、時間忘れてた。もう行かないと間に合わないわ」
「これ、どーすんの」
 せっかく来たのに残して出ていかなければならないのかと、更に不機嫌な顔でリョーマは菜々子に問いかける。
「リョーマ君まだ道良く覚えてないよね。ここに置いていく訳にはいかないし…」
「僕が送ってってあげるよ」
 え、と菜々子とリョーマは不二を見た。
「でも、荷物」
「タクシーで戻るから大丈夫。それより、お願いしていいかしら」
 本当にごめんなさいと両手を合わせ、菜々子は荷物とレシートを持って席を離れていった。慌ただしい空気が一段落し、リョーマは目の前の不二を睨むように見詰めた。
「溶けちゃうよ」
「先輩、俺んち知ってるんですか」
 溶け始めているクリームをスプーンで掬い、口に運びながらリョーマは不二に尋ねた。
 勿論、と頷く不二に警戒心を解かないままリョーマは黙々と目の前の物を平らげていく。
 とにかく早くこれを食べ終えて不二の視線から解放されたいと、味も良く解らぬまま食べ終えたリョーマは口を拭うと立ち上がった。
「そんなに慌てなくても良かったのに。ほら、まだ口の廻りに付いてるよ」
 不二は手をリョーマの口端に伸ばすと、指先で僅かに残っていたクリームを拭い取った。ぎょっとして身を引くリョーマに構わず、不二は指に付いたクリームを舐めた。
「あ、意外と美味しい。ここのレシピ姉さん知ってるかな」
「甘い物、平気なんだ」
「辛い物の方が好きだけど、最近甘いのもいけるようになったんだ」
 動揺しているのを知られまいと、虚勢を張ってリョーマが言うと、さらりと不二は返す。嫌な汗を掻きながら、リョーマはさっさと店を出て帰ろうとした。が、ドアを潜った所で手首を掴まれてしまった。
「道わかんないでしょ」
「判るよ」
「じゃ、君の家へ行くバスは何番だ」
 にこにこと訊かれてリョーマは詰まった。ここへ来るのは大抵父親の運転する車でバスにはあまり乗ったことがない。しかも菜々子の付き合いということで、後から付いてきただけなのでバス停まで覚えていなかった。
「子供じゃないんだから、迷子になんてなったら恥ずかしいよ。それに、さっきのお姉さんに頼まれた以上責任があるからね」
 一つ溜息を付いてリョーマは頷いた。大人しくしていれば、早く家に戻れるだろう。そう諦めがつくと不二に握り締められている手が気になる。
「判ったから離して。子供じゃないんだから」
 不二はくすりと笑うと手を離し、そのままゆっくり歩き始めた。人混みを抜け、小道を通り公園に入った不二の歩みはどんどん遅くなっていく。
 リョーマは、こんな場所通ったっけと訝しみながらも、不二の横を歩いていた。
「あの、不二先輩」
「ん?」
「バス乗り場から離れてく気がするんですけど」
「よく気が付いたね」
 普通気付くだろうとリョーマは不二を見上げた。どう見てもこの辺りはバス乗り場などがある商店街ではなく、住宅地だ。それも割と高級な屋敷ばかりが建ち並んでいる。
 人通りは少なく、道はかなり入り組んで高い建物もない周囲は方向感覚が掴めない。既にリョーマは自分がどっちから来てどの方向へ向かっているのか、全く判らなくなっていた。
「大丈夫、ちゃんと送り届けるから」
 にっこり笑って変わらず歩いていく不二に、リョーマは一瞬彼を振りきって一人で帰ろうかと思案した。が、良く考えてみたら財布は菜々子が持っていて自分はバス代すら持ってない。
 仕方なくリョーマは不二に着いていく。決心が付けば肝が据わるのはいつものことだ。
 まあ堀尾が言っていたようにリンチだの苛めだのだったら、例え先輩だろうが何だろうが報復するつもりでいる。
「さ、着いたよ。上がって」
 立派な家の門を潜り、不二はリョーマを手招いた。リョーマは眉を上げ、足を止めたがこのままでは埒があかないかと溜息を付き、不二の後に続いて玄関に入っていった。
「おじゃまします」
「今日誰も居ないから、遠慮しないでいいよ」
 不二はリョーマを自分の部屋まで案内すると、座っててと言って階下へ降りていった。
 すっきりとした部屋の壁には綺麗な写真が飾ってある。リョーマは興味深げに辺りをきょろきょろと見回した。
「ふーん」
 窓辺のサボテンを突いてみたり、レコードの山を珍しげに見たりして暇を潰していたリョーマは、何で自分がこんな所に居るんだろうと改めて吐息を付いた。
 およそテニス以外に興味がある物といえばゲームくらいしか無かったリョーマだったが、不二の掴めない性格と行動には僅かに好奇心を覚える。
 いつも感じる視線の意味も良い機会だから訊いてみようかと、リョーマは考えた。
 そのころ不二はキッチンでお湯を沸かしながら、紅茶を淹れる用意をしていた。
 今日街へ出たのは姉の付き合いだったが、それが終わり戻る途中だったのだ。偶然リョーマの姿を道端に見いだした時は、余り信じてもいない神様に感謝したくなった。
 せっかくのチャンスを逃すまいと、強引に家まで連れてきてしまったが、このまま告げてみようか、それとも様子を見ようか不二は迷っていた。
 お友達から始めて徐々に深いお付き合いへというのが理想だけど、男同士だとお友達以上にはならない気がする。
 自分の気持ちはもうお友達では済まない所まで来ているのに、そこから先へ進ませたらきっとリョーマは逃げるだろう。
 床に落ちたスプーンの冷たい音に、不二ははっと自分の手を見た。微かに震える指を握り締め、スプーンを拾う。
「焦ったら駄目だ。落ち着いて」
 自分に言い聞かせるように不二は呟き、紅茶缶からポットへ葉を入れる。こんなに気合いを込めて紅茶を淹れるのも初めてだなと、不二は自嘲するように笑った。
 そういえば、リョーマは甘いもの好きらしい。いつもファンタを飲んでいるし、今日の食べっぷりを見てもストレートティーでは苦すぎるだろう。あいにく牛乳を切らしていてミルクティーにも出来ない。
 不二は暫く何か無いかと戸棚を探していたが、スティックシュガーとコアントローを出してお盆の上に載せた。
「お待たせ、越前君。君の好きなファンタはないけど、これでいいかな」
 不二はお盆を机の上に置き、紅茶をカップに注ぎ入れた。それを渡し、スティックシュガーとスプーンをそれに添える。
 受け取ったリョーマはシュガーの袋を三つ破いて入れると、スプーンで掻き回した。
「やっぱり甘いのが好きなんだね。あ、これ、オレンジの良い香りがするから入れてみて」
 コアントローの小さな可愛い瓶をリョーマに渡す。リョーマは鼻を近付けて匂いを嗅ぐと、蓋を取って一気に中身を注ぎ入れた。
「あ、そんなに入れたら」
「まずい?」
「え、いや、どうだろう」
 姉がお菓子を作る時に入れているのを見ただけなので、どれくらい入れればいいのか不二にも見当が付かなかった。
「うん、いい匂い」
 リョーマは口を近付け、息を吹きかけて冷ますと大きく息を吸った。隣に座る不二にも判るほど、オレンジの強烈な香りが漂ってくる。
 弱くても酒だからあまり入れるのは拙いのではないかと言いかけた時、リョーマはカップに口を付け、一口啜った。
「熱い」
 顔を蹙めるリョーマに、不二はそれほど強い酒じゃないのかと安心して、自分はストレートで紅茶を淹れ口を付けた。
 リョーマは更に息を吹きかけている。その尖らせた口元に目が行き、不二は可愛いと微笑んだ。思わず不二はリョーマの手からカップを取ると、驚いて見上げるその口元に軽くキスする。
「あまり、驚かないんだね」
「向こうじゃ挨拶だし」
 驚いて引かれると思っていた不二は、リョーマがただ自分を見詰めるだけでそう言うのを聞いて、ほっとするようなむっとするような複雑な気分で見詰めた。
「でも、口にはしないな」
 ふと目を伏せ、視線を逸らしたリョーマの頬が微かに赤みを帯びている。それを見た不二も自分の頬が熱くなるのを感じて、目を見開いた。
「もっと、していいかな」
 え?と問いかけるように目を向けたリョーマの頬を掌で覆い、不二はゆっくり口付ける。何度も繰り返し口付けると、リョーマは腕を伸ばし不二を押し戻そうとした。
「も、やめろ」
 不二の手を外し、リョーマは赤くした顔を背けると、冷めた紅茶を一息に飲み干した。途端に、リョーマは喉を押さえ咳き込んだ。
 苦しそうなリョーマの様子に、不二は焦ってその小さな背中を撫でる。床に付いたリョーマの腕が震えているのに気付いた不二は、驚いて抱きかかえた。
「…喉が、熱い」
「あ、もしかしてさっきの」
 お菓子用のものはいえ、酒は酒だからあれだけ入れたのはやっぱりまずかったのだ。慣れない者には焼け付くような感じがするに違いない。
「水持って来るから、待ってて」
 不二は取り敢えずリョーマをラグの上に横たえると、キッチンへ降りていった。
 まさか急性アルコール中毒にはならないと思うが、水を飲ませて胃の中の濃度を薄められれば少しはましかもしれない。
 コップに冷水を汲み、不二は急いで二階へ駆け上がる。横たわるリョーマの半身を起こすと、不二はその唇にコップを付けた。
 リョーマは自分でコップを取ると、勢いよく水を飲む。はあ、と大きく息を吐いてリョーマは漸く落ち着いたのか、コップを不二に返した。
「びっくりした」
「ごめん。そんなに強い酒だと思わなかったんだ」
「チガウ」
 リョーマは零れた水を拳で拭うと不二を見上げた。その瞳も濡れたように艶めていてる。吸い込まれるように不二はリョーマに顔を近付け、唇を合わせた。
「何で…」
 不二が僅かに唇を離すと、リョーマの口から吐息のような言葉が漏れる。不二の熱が一気に身体を駆け昇り、頭を白くさせていく。
 不二は再びリョーマに口付け、貪るように唇を吸った。
 逃れようと身を引くリョーマを床に押し倒し、腕を取ると縫いつけるように押さえる。何度も唇を合わせ、歯の合わせを割って舌を中に差し入れると、不二は夢中で口腔を辿った。
「んっ…」
「…っ痛」
 不二は鋭い痛みに顔を上げた。口の中に錆びた鉄の味が広がる。指で唇に触れると、ぬるりとした感触が指先に伝わってきた。
「何でこんなことする」
「君が好きだから」
 じっと見上げてくるリョーマに、不二は真剣な表情で言った。さっきまで迷っていた気持ちはどこかへ飛んでいき、考えるより先に口が動いて言葉が出てしまう。
 戸惑うようにリョーマの瞳は揺れ、不二の真摯な目と合わせずに視線を外した。
「好き? 俺、男なんすけど」
「関係ないよ。僕は越前リョーマが好きなんだ。こんなことまでしたくなるくらい。君は僕のことどう思ってるの」
「変な人」
 不二はあっさり答えるリョーマに、がっくりと力が抜け彼の上に覆い被さるように倒れ込んだ。小さなリョーマの身体は、不二の身体に完全に覆われてしまう。



 不二は熱に浮かれたように抵抗の少ないリョーマをその手に抱いた。



 大きく息を吐いて不二は身体を倒し、リョーマを抱き締めた。ぐったりと反応のないリョーマにそっと口付け、額にかかる汗で湿った髪を払うと額にも口付ける。
 まさか一気にここまでしてしまうとは自分でも思わなかった。以前菊丸にも言ったように、しちゃったら犯罪であるが、した方も十五才以下だった場合どうなるのだろうか。
 とりとめないことを考えながら、リョーマの顔中にキスの雨を降らせる。瞼にうっすらと残る傷跡に唇を寄せた時、いきなり不二は顎を手で押し上げられた。
「気が付いた?」
 微笑む不二を、リョーマは憔悴した表情で見上げた。かろうじて腕は動かせるものの、身体の他の部分は鉛でも流し込んだように重くて動かせない。
 疼くような痛みが尻から腰へ走り、冷凍マグロになった気分で、リョーマは目だけで不二に退いてくれと訴えた。
「越前君の身体、触れてると気持ちいいのに」
 残念な様子で不二はリョーマから離れ、床に放ってあった衣服を身につけると、部屋を出ていった。
 ほっとすると同時に、熱い身体が離れた反動か寒気がする。
 出ていく時に不二はリョーマの下半身だけ布団を掛けていってくれたが、汗が引き始めた上半身も鳥肌が立ちそうだ。
 不二は両手に洗面器と救急箱、脇にタオルを抱えて戻ると、それらを置いて掛け布団を剥いだ。びくっとするリョーマを宥めるように頭を撫で、不二はお湯で湿らせたタオルで身体を清めていく。
 不二は傷ついた秘処と下半身を丁寧に拭くと、救急箱から塗り薬を指に取って塗り込め始めた。
 痛みと気持ち悪さに身を捩ろうとしても、リョーマの身体は微かに引きつるだけで動かない。そうこうするうちに手当を終えた不二は、新しい下着とTシャツをリョーマに着せた。
「君のシャツ、よれよれになっちゃったし、汗で汚れてるからうちで洗濯しておくよ。下着も」
 にこりと笑い、そう言うと不二はベッドに腰を下ろしてリョーマを見詰めた。リョーマはもうどうでもいい気分になって目を閉じる。
「眠い? 寝てていいよ。姉さんが戻ってきたら、車で送ってもらうから」
 優しい手で撫でられ、優しげな声で囁かれても、今ではリョーマはその裏に激情があることを知ってしまった。目を開くと、不二の真剣で熱い瞳が真っ直ぐ飛び込んでくる。
「何で…」
 こんなことになったんだ、とリョーマは口の中で呟いた。不二の視線の意味を知りたかっただけなのに。自分がテニス以外で他人に興味を持つことの意味を、解りたかった。
 溜息を一つ付いて再び目を閉じたリョーマを、不二は見詰めた。
 身体は手に入れたけど、心はまだまだだね。リョーマの口癖を心の中で呟いて、不二は口元にうっすら笑みを浮かべる。
「好きだよ、越前君」
 目元に口付け、不二は囁くと飽きずにリョーマを眺め続けた。

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