翌日、一護はふらつく身体をなんとか起こした。身体中が熱っぽくだるい。風邪など何年も引いたことがないが、こんな感じだったなと一護は額に自分の手を当てた。 「今日は無理だな」 「ごめんね。私の力不足で」 「いや、井上さんのせいじゃない。怪我は治っているんだ。この馬鹿が夜中にふらふら出歩くから」 「馬鹿ってなんだよ」 馬鹿だから馬鹿と言った、と雨竜に冷たく言われ、一護は布団の中で唸った。そこへ白い煙を上げる器を持った清音がやってきた。 「これ飲めば治りますよ。門外不出の秘薬です」 どす黒い色と臭いに一護は顔を顰め、そんなものを飲まなくても直ぐ良くなるとその器を押しやった。雨竜は茶渡に目配せをする。小さく頷いた茶渡は一護を羽交い締めした。「何しやがるっ」 「ほら、飲むんだ」 雨竜は一護の鼻を摘み、開いた口に器の中身を流し入れた。吹き出そうとする一護の口を雨竜は両手で押さえ、飲み込むまで離さなかった。一護は盛大に咳き込み、涙目で雨竜を睨み付ける。 「て、てめえっ」 「良薬は口に苦し。今日は大人しくしていたまえ」 掴みかかろうとする一護を抱えていた茶渡が布団に引き倒し、そのまま布団を被せた。じたばた暴れても茶渡の力は緩まない。そのうち被せられた布団が苦しくて、一護はぐったりと大人しくなった。 「今日は私と茶渡くんでお見舞い行ってくるよ。朽木さん昨日元気そうだったから大丈夫だと思うけど、茶渡くん会ってないし」 ちらりと雨竜の方を見て、織姫は困惑したように見詰めた。雨竜も誘ったのだが、頑なに拒まれてしまったのだ。 「僕はちょっとやることがある」 織姫の視線を躱して雨竜はそう告げ、奥の部屋へ入っていく。一護はようやく緩んだ布団から顔を出すと、織姫と茶渡に手をひらひらさせて行って来いと言った。 あの一連の出来事が終わるまで、気を張り詰め振り絞っていたから気付かなかっが、思ったより身体にダメージがあったのかと、一護はぼんやりと天井を見た。 「一週間くらい大人しくしてれば元通り良くなるって」 「一週間? 夏休み終わっちまう」 あっけらかんと言う清音の言葉に一護は指を折って日にちを数え始めた。尸魂界と現世の時間の流れはかなり違うようで、今が何日かはっきりとは分からない。おまけに、ルキアの処刑日が途中で二転三転したものだから余計にこんがらがっている。 けれど流石にここで一週間も過ごしていたら現世でも予定の日を過ぎてしまうだろう。やれやれと吐息を付いた一護は、薬が効いてきたのかうとうとと眠りに落ちていった。 目を開けた一護はいい匂いに誘われ横に目を動かした。一人用お膳の上に小さな土鍋が載っている。ゆっくり起きた一護はその蓋を取ってみた。ほかほかと湯気の立つ雑炊に喉を鳴らし、一護は添えられていたレンゲで一気にかき込む。 「あっちー、ちっ」 「大丈夫? 熱いよ、それ」 そう言うことは食べる前に言え、と口を押さえながら心配そうに見ている織姫に無言で抗議する。織姫はにこりと笑い、自分たちはもう食べたからと見当違いの答えを言った。「見舞い、行ってきたのか」 「うん。朽木さん、もうこっちに戻れるって」 「そっか。あー、あの、で」 言いにくそうに言葉を捻る一護に、織姫は首を傾げる。一護は、やっぱりいいと手を振り、残りの雑炊を食べ始めた。 白哉の具合はどうなのか訊きたかった一護だが、唐突に訊くのも怪訝に思われるだろうし、ルキアが戻るというならそれなりに良くはなったのだろうと推理する。 織姫は食べ終えた一護の食器を持ち、下げてくると告げ立ち上がった。それくらい自分ですると一護も立ち上がる。身体がふらつくこともなく、熱もすっかり下がっているようだった。 「いいから、病み上がりは大人しくしてて」 「怪我だから病み上がりってのはちがくね」 「えー、じゃ、じゃあ、怪我上がり?」 そんな日本語は無いだろうと一護は織姫の言葉に呆れる。そんな言葉を交わしながら隊舎の中にある厨房へと食器を戻しに行った一護は、そこで薪を割っている茶渡を見出して驚愕した。 「目が覚めたのか」 「お前何やってんの」 「無理にさせた訳じゃないけど、ほんと助かるわ」 清音が慌てたように説明する。何もしない居候でいるよりはと手伝っているのだと茶渡は言って次から次へと薪を積み上げていた。そうすると姿の見えない雨竜も何かしているのかと織姫に訊くと、死覇装の修繕をしているのだという。 みんなお客様だし、下位の死神がやる仕事だから必要ないんだけどね、と苦笑する清音に織姫は真剣な顔で首を横に振った。 「駄目ですよー。こういうのちゃんとしないと、ね、黒崎くん」 あ、ああと頷いた一護は、自分も何かするべきかと思案する。だが、病人は寝てること、と厳命され元の部屋に戻ってきた。 ただ寝ているだけというのも結構辛い。結局起きた一護はうろうろと隊舎の中を歩き回り、その度に頼むことはないし邪魔だからと追い返され、すっかり落ち込んで布団の中に潜り込んだ。 いつしかまた寝込んでいたらしい。目を開けると部屋の中は真っ暗だった。茶渡と雨竜は別の部屋で寝ているらしく気配はない。一護はそっと寝床を抜け出すと、廊下を歩きだした。 門の外へ出ると昨夜に増して人気は無く、念のためと霊圧を探ってみたが道には誰もいないようだった。騒ぎがようやく落ち着いて、普段の姿を取り戻し始めているのかもしれない。一護は急ぎ足で綜合救護詰所に向かった。 昨夜は花太郎が開けてくれたが今夜はどうしようと扉の外で考えていた一護は、いきなり開かれたそれに目を見開く。扉の向こうに居たのは不機嫌そうな顔の冬獅郎だった。 「昼間来いと言った筈だ」 「何で俺が居るって分かった」 「お前の霊圧は特殊だと言っただろう。取り敢えずそんなとこでうだうだ悩んでないで入れ」 身を引いて通してもらい、一護は不思議そうに冬獅郎を見た。昨日会った感じではもっと規則に厳しいかと思っていたのに。 「ありがとう」 「気持ちは解る、が、用が済んだらさっさと帰れ」 むっつりと腕を組んで言う冬獅郎に礼を言い、一護は三階へと向かった。扉に手を掛け、一旦深呼吸を繰り返して心を落ち着け開く。 昨夜と同じように窓は開かれ、月明かりが差し込んでいた。ベッドの上には白い貌の白哉が横たわって……て 「何用だ」 「うおっ、め、目覚めて」 てっきり閉じられていると思った白哉の目は一護を不審そうに見詰めていた。狼狽えまくって一護は後ろ手で扉を開こうとしたが、かりかりと音がするばかりで取っ手に手が届かない。 「騒ぐな。ここは救護詰所だ」 「あ、ああ。えっと、その、げ、元気か?」 言ってから自分が馬鹿なことを訊いたと、一護は誤魔化し笑いをする。白哉はそんな一護をしばらく見詰めていたが、軽く息を吐くと目を閉じた。 「そんな所に立ってないで座れ」 直ぐに出て行けと怒鳴られるかと思っていた一護は拍子抜けして肩から力を抜いた。そろそろと近付きベッドの側に立つ。見下ろす白哉の表情は対峙した時の鋭さは微塵もなく、穏やかなものだった。 「わりぃな、こんな夜中に」 「わざわざこんな滑稽な姿を見にきたのか」 白哉の言葉に一護は一瞬驚き、憤然として近くにあった椅子を引き乱暴に座った。 「んな訳ねーだろ。俺は、ただ……気になって」 言葉を濁し、一護はそっぽを向く。 そんな一護に白哉は目を開き怪訝そうな視線を向けた。最初から最後に闘った時まで、二人は仇敵といっても良いほどの間柄だった。どちらも手加減せず、死力を尽くして闘った。結果、白哉は一護に負けたことを認め藍染に謀られていた事を知り、こういう事になった。 そんな自分を何故気に掛けるのだろうと、白哉は一護を見詰める。 一護は沈黙の問いに耐えられなくなって、頭を両手で掻きむしると白哉に目を合わせた。「ただ気になっただけじゃ理由になんねえのか。ちょっとだけ見えた顔が、死んでるみたいに白かったから」 「死んでいなくてがっかりさせたか」 「馬鹿なこと言うなっ! 俺は、もう」 声を荒げる一護に、白哉は目を瞠る。一護は大きな声を出しすぎたと、口を押さえしばらく黙っていたが、大きく吐息を付いて指を組んだ。 「すまなかった」 「俺の母親は虚に殺された。真っ赤な血を流して倒れている姿と、白いシーツを掛けられた紙みたいな白い貌を思い出した。だから居ても立ってもいられなくて」 「解った。もういい」 俯いた頭に触れるものがある。一護は顔を上げ白哉を見た。静かな目が一護を見詰め、筋張った腕が伸ばされ頭を撫でている。まるで子供にするような優しい行為に、一護は驚き微かに顔を赤らめた。 「何だよ、子供じゃねえっての」 「何故だろうな。お前が私の良く知っている者に見えた。同じように私も見ていたのかもしれぬ」 誰の事だろうと思ったが、白哉の目が柔らかい彩を浮かべ見詰めてくるのに、一護は更に顔が熱くなるような気がして立ち上がった。 「もう戻る。じゃあ……またな、白哉」 思いがけなく名前を呼ばれ、白哉は僅かに目を瞠った。一護は素早く扉を開き、外へ出ていく。扉を見詰めていた白哉は一護の足音が遠くなっていくと、今度は自分の手を眺めた。 何故あんなことをしてしまったのだろう。他人にあんな風に触れるなど、もう二度と無いと思っていたのにと、白哉は深い溜息を付き目を閉じた。 一護は走るようにして白哉の部屋から離れると、廊下の端でようやく止まり胸を押さえた。今のやりとりを思い出すと気恥ずかしさに顔から火が出そうだ。まさかあんなことを言ったり言われたりするとは思わなかった。 「随分面白い顔をしてるな」 「な、何だよ、何か言いたいことでもあるのか、冬獅郎」 「日番谷隊長だ。朽木隊長に何かされたか」 「さ、さ、されてなんかいねーよ。ていうか、何されるってんだよ」 声がでかいと注意され、一護は焦って口を引き結んだ。パニくっているとこれ以上何を言うか自分でも分からない。 呆れたように見る冬獅郎にこれ以上追求されまいと、一護は挨拶もそこそこに救護詰所を後にした。 翌日どうやらみんなには夜中に抜け出したことがばれなかったと安堵した一護は、手伝いと称して十三番隊の鍛錬場に同行した。十三番隊の死神達は隊長の気質もあるのか、一護達を変な目で見ず進んで受け入れてくれた。 最初は鍛錬など駄目だと目を三角にしていた雨竜も、身体を動かすことも療養の一つと浮竹に言われ渋々納得した。浮竹自身身体が弱く、説得力があったからだ。かといって羽目は外すなよときつく言われ、一護は不満を顔に出したまま頷いた。 「随分良くなったようだな」 「おお、もう全然へーきだ」 ひょっこり顔を出したルキアに、一護は楽しそうに言って腕を振り回す。だが、僅かに顰められた顔に、ルキアは厳しい表情を浮かべた。 「調子に乗っていると現世に戻るのが伸びるぞ。少し身体を動かした方が良いのは同感だが」 「そうなんだ。良くなったとか言ってふらふら出歩くのも困りもので」 雨竜がやれやれと肩を竦め言うと、ルキアは驚いたように目を瞠った。一護は、まさか昨夜抜け出したのがばれたのかと冷や汗をかいたが、それなら雨竜がもっと嫌味を言うだろう。 「そんな力が残らないくらいには鍛錬していた方がよいな。無茶をするなと言ってもするのだから」 揶揄するように言うルキアに、一護は文句の一つでも言おうと口を開こうとした。けれど、雨竜と二人、いや茶渡も無言で見てくるから三人から威圧され、黙り込んで視線を外す。 織姫の取りなしも焼け石に水で余計こじれそうになる。一護は多勢に無勢と諦め、苦笑する浮竹の元修行に励んだ。 「よお」 扉を開き手を上げて挨拶をすると、ベッドに半身起こしていた白哉は一瞬意外そうな顔を一護に向けた。 ベッドの横には灯明が灯され、少ないながら本を読む程度の光をもたらしている。日中渡された報告書を読んでいた白哉は、近付いてくる一護を不思議そうに見た。 「来るとは思わなかった」 「また来るって言ったろ。それよりまだ良くなってねえのにそんなん読んでていいのか」「さほど難しい書類ではない。眠れないので暇つぶしだ」 ぱさりと書類をベッド横の棚に置き、白哉は一護に対峙した。昨夜より大分良くなっているように見え、一護はほっとして笑みを浮かべた。 「俺も、眠れなくて」 「怪我のせいか」 いや、と一護は首を振った。昼間寝ているからという訳でもない。今日はずっと鍛錬していたから身体は疲れている筈だが、横になると気になってここに来てしまった。 座っていいかと訊いた一護に、白哉は頷く。椅子に腰を下ろした一護の目に、白哉の腕が飛び込んできて昨夜のことを思い出した。あんな風に頭を撫でられたのは久しぶりだ。「なあ、白哉、昨夜同じ目で見てたかもしれないって言ってたの、何のことだ」 「そんなことを言ったか」 言ったじゃねえかと眉を顰める一護を無視し、白哉は薄く笑った。そんな白哉の笑みに一護は胸の鼓動を跳ねさせる。なんでどきどきするんだと、一護は狼狽えて自分の胸を押さえた。 「痛むのか? 誰か」 「いいっ、大丈夫。そんなんじゃない。それより死神の仕事のこと話してくれ」 「私より適任者は居ると思うが」 「暇なんだろ。話してるうちに眠くなるさ」 にやりと笑って言う一護に軽く溜息を付き、白哉はぽつりぽつりと話し始めた。 翌日も、その次の日も一護は夜中に白哉の元へ訪れた。毎晩訪れる一護に白哉はそれを咎めることもなく、請われるまま色々な話を語って聞かせた。 時には突っ込みを入れ、質問をしながら一護は白哉の話を飽きることなく聞いていた。今まで思っていたような冷徹で非情な性格ではなく、真面目過ぎるゆえに掟を選んでそれにがんじがらめになっていただけだと、毎夜会話しているうちに理解する。 感情を表に出すのが下手なだけで無い訳じゃないんだと、一護は白哉のあまり変わらない表情の中から感情を読みとって心の中で微笑んだ。 「……起きろ、黒崎…一護」 いつのまに眠っていたのか、ベッドに半身突っ伏していた一護は肩を揺すられて目を覚ました。間近にある白哉の顔に驚いて一護は思いきり仰け反る。状況が理解できずおたおたしている一護に、白哉は眉を顰め言った。 「疲れているようだな。寝るなら帰ってからの方がいい」 「ご、ごめん」 慌てて謝る一護に、白哉は重く溜息を付いた。 「何故、夜に来る。昼間皆とくればいい」 「人が居ると、なんか恥ずかしいんだよ」 寝てしまうなんて失態だと一護は内心舌打ちをする。流石に毎晩遅くまでここにいて、昼間しっかり修行していたら寝不足になるのは否めない。 ルキアの見舞いならともかく、白哉へ会いに来るのは他のみんなは不思議に思うだろう。理由を聞かれても自分でも分からないのだから答えようが無い。みんなで来たら、白哉は多分今見せているような表情はしないに違いない。 「恥ずかしい? 私と会っていることを知られるのが」 「違うって…違わないけど」 「母親に出来なかったことの替わりにしているのか」 白哉の言葉に驚愕して一護は目を見開いた。そんなこと考えたことも無かった。最初に顔を見たいと思ったのはそのせいもあるけど、それから後はただ白哉に会いたくて。 一護はその自分の考えに更に狼狽して顔を腕で覆う。 「そんなんじゃない。あんたこそ俺を誰かに重ねて辛かったんじゃないのか。ほんとは迷惑してて、もう来るなってんなら」 振り絞るように言う一護の顔を覆っている腕を取り、白哉は引き寄せた。もう片方の腕を一護を抱き締めるように回し、耳元に囁く。 「余計なことを言った。すまない…一護」 びくりと一護は身を引きつらせた。白哉の低い声が耳朶をくすぐり、頭の奥底にまで届いて響く。全身に血が回り、一護の心臓は走り出しそうな鼓動を刻み始めた。 何で、何故とそればかりがぐるぐると一護の頭に渦巻き、思考を麻痺させていく。白哉が宥めるように頭を撫でると、一護はようやく自分たちがどういう姿をしているか思い至ってぎこちなく手を動かし身を離そうとした。 顔が離れた時、頬を白哉の口が掠めたのは偶然かそれとも故意かと考え、あまりの勘違いっぷりに一護は強く頭を振る。 「も、もう帰るわ」 くらくらする頭を抱え、一護は部屋を出た。 何故自分は、来るなと言わないのだろうと、白哉は一護が出ていった扉をじっと見詰めながら考えていた。 最初は単なる邪魔な路肩の石ころのようなものでしかなかった。ついで自分の信じる道を真っ向から否定する敵となった。 全力で闘ったが、負けたのは自分が歩んできた道が違うのではないかと気付かされたせいかもしれない。一護の、信じる心の強さの方が勝っていたのかと、今なら納得できる。そんな一護が何故毎夜訪れるのか解らないが、嫌では無かった。 否、むしろ待っていたのだと、白哉は自嘲の溜息を付いた。 一護に触れた腕を見詰める。暖かい身体と熱い心と、闘っていた時には知らなかった様々な表情は、忘れかけていた白哉の情を揺り起こした。 扉口に気配を感じ、白哉は顔を向ける。小柄な影が音もなく入ってくると、白哉に対峙した。 「一護は戻ったのか」 何用だと僅かに眉を顰める白哉に、冬獅郎は確認するように言った。一護、という単語に白哉の眉が上がる。 「規則違反だが、問題はあるまい」 「ああ、別に文句付けたい訳じゃない。霊圧も最初の晩に来た時よりは落ち着いてきたしな」 冬獅郎の言葉から、一護が毎晩ここに来ていることを最初から知っているようだと分かり、白哉は微かに苛立ちを覚えて目を眇めた。 「それで」 「さっきは今までになく乱れてたから、どうしたのかと思っただけだ」 「他人事なのに随分と詮索する」 冷たく、言外に興味本位で詮索無用と告げ、白哉は冬獅郎から話は終わりだと顔を背けた。冬獅郎は興味深そうに白哉を眺めていたが、ふっと笑うと踵を返す。 「そうだな。お節介だった。……何時、現世に戻るか聞いているか」 途中で足を止め訊いてくる冬獅郎の言葉に、白哉は目を見開いた。答えを返さない白哉に、冬獅郎は聞いてないかと独り言ち部屋を出ていく。 呆然としていた白哉は暫くたってから、じわりと忍び寄る喪失感と焦燥を握り潰すように拳を握り締めた。 走って戻った一護は荒い息を静めると、そっと真っ暗な部屋の中へ入っていった。ごそごそと布団に中に潜り込んで丸くなる。 息は平常に戻ったが神経はぴりぴりとした昂揚感で張り詰めていた。考えないようにしても、さっきの白哉の腕の感触が思い出される。 多分、子供のように癇癪を起こした自分を宥めるため咄嗟にしたことだろう。そうに違いない。他に意味なんか無いと必死に言い聞かせても落ち着くことは出来なかった。 ごろりと寝返りを打ち、大の字になって一護は眉根を寄せ暗い天井を睨んだ。 「くそ、何だってんだ、俺は」 吐き捨てるように呟き、一護は腕で目を覆った。そうしていても白哉の静かな貌が脳裏に浮かんで消えてくれない。 悶々と思考をループさせていた一護は、うっすら明るくなった部屋に気付き重い溜息を付いて身を起こした。 「うわ、酷い隈だよ黒崎くん。痛くて寝られなかった?」 「いや、そーじゃねえ」 朝一番に会った織姫がびっくりした顔で訊ねるのにだるそうに答え、一護は冷たい水で顔を洗った。無言のまま茶渡や雨竜も一護を見ている。いっそ質問攻めにされた方がと一瞬思ったが、それもうざいと一護は朝食もそこそこに隊舎を飛び出した。 「おや、何だか酷い顔で歩いてる子が居るね」 行く当てもなく歩いていた一護は、そう声を掛けられむっとして振り向いた。変な眉をした優男が胡乱げに一護を眺めている。 どこかで見たようなと考え込んむ一護を、不快そうに見詰め弓親はつかつかと近付いてきた。 「信じられないっ、この美しい僕を見忘れるなんて。そんな顔してるからおつむの方もぼやんとするんだ」 「人の顔や頭のことなんざほっとけ」 やっと岩鷲の顔と共に思い出した一護は、眉を顰め顔を背けた。そんな一護の腕を掴み、弓親は引きずるようにして歩き出す。抵抗する一護をものともせず、弓親がやってきたのは十一番隊隊舎だった。 一癖も二癖もあるような死神たちが一護に注目する。じたばたと暴れていた一護は、鍛錬場に放り出されしたたかに腰を打った。 「少しやってけばすっきりするんじゃない」 「勝手なこと言ってんな、うあ」 弓親は言い捨てて外へ出ていってしまった。残された一護が文句を言おうと声を上げると、周りの死神たちがやにわに斬りかかってくる。 それを何とか避け、一護は体勢を立て直した。 にやにやと笑いながら次々に向かってくる死神を、身体を躱すことで避けていた一護は、とうとう壁際に追い詰められてしまった。 「後がないよ。反撃しなきゃ」 「うるせー」 庭に面した縁側のような場所で座っていた弓親がからかうように声を掛ける。話し合いで済まないことは、以前この隊の隊長剣八と死闘を演じた一護には分かり切っていた。 眉を顰め舌打ちをして、一護はしょうがねーなと呟くと近くに立てかけられていた木刀を手に取った。 体力霊力がまだ充分回復していないとはいえ、一度は剣八に勝った相手だということは対する死神たちにも知られている筈だが、そんなことはお構いなしに飛びかかってくる。ただ、一対一のルールはあるようで、一人が退けられるまで他の者ははやし立てるだけで掛かっては来なかった。 次第に一護の息が上がってくる。けれど、それと同時に心のもやもやも軽くなっていき、一護は知らず口許に不敵な笑みを浮かべていた。 「あーあ、楽しそうだね。やっぱりこっちの方がらしくていい」 満足そうに笑み、弓親はうんうんと頷く。剣八や一角がまだ本調子じゃない十一番隊は活気が無かったが、一護という活きのいい餌を与えられて浮き立っていた。 「お前、何やってんだ」 半数を倒した一護は、掛けられた声に息を荒げながら視線を向けた。 「よお、恋次」 恋次は鍛錬場をぐるっと眺め、中央に木刀を握り締め立っている一護に目を戻すと眉を顰める。見知った、だが居るはずのない霊圧がここから感じるとやってきたらこんな状況で、恋次は呆れたように溜息を付いた。 「よお、じゃねえよ。お前まだ怪我治った訳じゃねえだろ」 「治ってるよ」 「嘘付け、息上がってるぞ」 それは今こんだけ戦ったから、と言い訳しようとした一護はくらりと眩暈がしてかろうじて踏みこたえた。汗がどっと噴き出し、腕で顎を伝うそれを拭う。 「君もやってけば。久しぶりだろ」 愉快げに言う弓親に、恋次はぎょっとしてたじろいだ。一護に負けず劣らず恋次もかなりの大怪我をして、ようやく救護詰所から出てきたばかりなのだ。一護の治療をした織姫の能力は四番隊のそれとは大分違うようで、かなりの割で元の身体に戻せる。しかし、恋次は普通の治療だったので未だ霊力は回復していない。 「遠慮しときます。つーか、一護、お前十三番隊預かりじゃなかったか」 「フン、十三番隊なんて甘い所にいたんじゃ彼の能力が錆びてしまうよ。現に酷い顔で歩いてたし」 弓親の言葉に頬を引きつらせ、恋次は一護に近寄った。ぼんやり見ていた一護は、恋次に腕を捕まれ我に返る。 「連れて行きますよ」 「また来なよ、いつでも歓迎」 笑って言う弓親に同意するように一同から歓声が上がる。一護は片手を上げてそれに応えると恋次に引きずられるようにして十一番隊を後にした。 隊舎に戻る途中、道端にあった茶店のような場所で恋次は一護の腕を離した。座るよう促すと自分も乱暴に腰を掛ける。 「何考えてんだ、あいつら」 「んな怒んなって。そりゃ最初は無理矢理だったけど、面白かったぜ」 出されたお茶を啜り、一護は恋次に笑いかけた。面食らったように一護の顔を見ていた恋次は、舌打ちをして横を向く。 「お気楽なこった。こっちは隊長がまだ療養中で、俺がやらなきゃならないことばかり。まったく面倒くせえ」 吐き捨てるように言う恋次の言葉に、一護はびくりと反応して手を止めた。湯飲みを置いて一つ息を吐き、恋次に窺うような目を向ける。 「あー、あの……白哉、どう?」 「どうって、今言ったろ、療養中。酷い怪我だったからな。俺たちの中じゃ一番大変だったみたいだな」 「そうじゃなくて、何か変わった様子は無いか?」 はあ? と恋次は一護を不審そうに見た。一護はそんな恋次に、やっぱいいとぽつりと告げ、手の中のお茶を見詰めた。 こんなに動揺しているのは自分だけなのか。訳の解らない感情に振り回される子供を、ただ宥めただけなのか。 知らず胸を押さえていた一護を、恋次は思案げに見詰め、一つ溜息を付くと立ち上がった。 「そんなに気になるなら今から行くか」 「えっ、いや、いいっ。帰る!」 慌てて言うと、一護はごちそうさまと湯飲みを置いてその場から脱兎のごとく駆け出した。後ろから恋次の怒鳴る声が聞こえるけれど、振り返りもせず走り続ける。 隊舎に辿り着いた一護は、ぜいぜいと肩で息をして門に縋り付いた。昨夜の今日では顔を合わせにくい。白哉は平気かもしれないが、自分が平静でいられる自信がなかった。 「随分疲れてるようだが、どこで遊んで来たんだ」 「遊んでなんかねーよ」 皮肉っぽい口調に眉を顰め、一護は雨竜を睨んだ。何故こうも自分を構うのだろうと不思議に思う。確かに体力霊力は戻ってないが、ここまで心配される覚えはない。 一護の考えが伝わったのか、雨竜はそれ以上何も言わず口を引き結ぶと踵を返して中へ入っていった。 「黒崎くん、どこ行ってたの」 「十一番隊。なんだっけ、にやけた男が無理に引っ張っていって」 「ああ、やちるちゃんのところだ。元気だった?」 やちるって誰だと一護は首を捻った。ほら、ピンクの髪の小さい子という説明に、一護は剣八にくっついていた子供を思い出した。 そういや見なかったなと答えると、織姫はがっかりしたように肩を落とした。一護は逆にあの場にやちるが居なかったことにほっとする。やちるが居ればもれなく剣八も居るだろう。あのきつかった戦いをあんまり思い出したくなかった。 でも同じように、いや、更にきつかった白哉との戦いは目を閉じれば直ぐに思い出せる。もう二度と戦うことは無いと思うが、あの自分の全てを出して向き合った瞬間を再び感じられたら。 「一護君、十一番隊に行ったんだって」 「あ…はい、すみません、勝手して」 ぞくりとあの時の感覚を思い出し拳を握り締めた一護は、突然目の前に現れた浮竹に驚いて一歩下がった。 「いやいいんだよ。そうだな、君には向こうの方の気質が合うのかもしれないね。気にしないで鍛錬したい時は行ってくればいい」 にこにこと爽やかに言う浮竹に、一護はぺこりと頭を下げた。 陽が落ちて隊舎が静まり返ると、一護は布団を抜け出す。もう慣れたもので足音を殺し門まで出た一護は、月明かりに浮かぶ影にはっと身を固くした。 「夜遊びが過ぎるんじゃないか」 「かんけーねーだろ」 「自分が何をしているか、解っているのか」 雨竜の激しい言葉に、一護はぐっと奥歯を噛み締める。確かに夜中訪れるのは非常識かもしれないが、そんな風に激昂される覚えはなかった。 「何でそんな怒るんだよ。っていうか、別に悪さしに夜出歩いてる訳じゃねーし」 「朽木白哉のところへ行ってるんだろ」 一護は愕然として雨竜を見た。何で知ってるのかと、一護の頭の中に疑問符が浮かんで一杯になる。雨竜は大きく溜息を付いた。 「ここは霊子で溢れかえっているし、霊力の大きな者も数え切れないくらいだ。だが、君の霊圧は誰とも違う。何処に行ってるか少し探ればすぐに分かるさ」 それは救護詰所に行ってるというのが分かるだけで、白哉の所へ行ってるとは分からない筈だと、一護は雨竜を睨んだ。 「鎌かけたな」 「引っかかる方が悪い。君が朽木白哉を何故気に掛けるのか知らないが、所詮生まれた時から生粋の死神と現世の人間じゃ住む世界が違う。あまり深入りしない方がいい」 「ほっとけ。解ってるさ、そんなこと。でも、仕方ねーだろ」 一護は雨竜にきっぱり言うと、夜の道を走り出した。引き留めるかと思ったが、雨竜はただ立っているだけで一護の邪魔はしなかった。 扉を開けて入ってきた一護を、白哉はいつものように静かに迎えた。その変わりない貌を見ると、一護の頭に渦巻いていた雨竜の言葉が潮が引くように消えていく。 一護は白哉の側に腰を下ろし、黙ってその静かな顔を見詰めた。普段とは違う一護の様子に気付いていたが、白哉も黙ったまま手元の本に視線を落としている。 「何時、現世に戻るのだ」 「えっ、何?」 視線を向けずぽつりと発せられた言葉に、一護は一瞬何を言われているのか分からずきょとんとして白哉を見た。白哉は本を閉じ、改めて一護に目を向け同じ問いを繰り返す。一護はぎゅっと両手を握り締め、顔を俯けた。 「そろそろ頃合いではないのか。身体も治り、こちらの状況も以前と同じではないが、落ち着いてきたのだから」 「そ、そうだな。多分、もうすぐ……もうすぐ、戻る」 戻るんだと、一護はぼうっとしながら呟いた。元々連れ去られたルキアを助けに来ただけだし、目的を達したのだから戻るのは当たり前だ。夏休みも終わって新学期が始まり、クラスメイト達と他愛もない馬鹿騒ぎをして、日常が戻る。 でも、戻ったら会えなくなる。 何故、それを考えると頭と胸が痛むのだろう。 一護は頭に何かが触れる感覚に、顔を上げた。手を伸ばし、白哉が一護の頭を宥めるようにゆっくりと撫でている。前は子供をあやすような行為に腹を立てたが、今は余計胸が痛くなるだけだった。 「戻るといい。本来お前はここに居るべき者ではない」 「俺が居ると迷惑か?」 一瞬白哉の手が止まり、離れていく。一護から視線を外し、白哉は冷たい声で告げた。「迷惑だ。夜中に来て眠りと療養の邪魔をされるのは。お前が来なくなれば治りも早いだろう。今までルキアを助けてもらった負い目で相手をしていたが、そろそろ疲れた」 一護は目を見開き、白哉の何者も拒絶している怜悧な横顔を凝視した。本気で言ってるのなら、あの僅かに見せていた優しさはなんなのだろう。あの抱擁はどういうつもりだったのだろう。 全部、負い目からきたことなのかと、一護は唇を噛み締めた。 立ち上がり、何も言わず一護が出ていくと、白哉は閉じていた目を開き長い吐息を付く。もうこれで一護はこの部屋を訪れることはあるまい。その方がいいのだと、白哉は自分に言い聞かせじっと掌を見詰めた。 見た目固そうな一護の髪の存外柔らかな感触が残っている。抱き寄せた時も、自分と互角に戦った男とは思えないくらい、まだ成長期の未熟な体躯だった。言葉も乱暴で、まるで白哉を尊敬などしていない対等の相手として話しかけてきた。 殺そうとしたのに、あっけらかんと笑いかけ、白哉の目を真っ向から見返す目が脳裏から消えない。 白哉はいつまでも掌を見詰めていたが、やがてそれを握り締め膝上に置いた本に打ち付けると目を閉じた。 悄然と戻ってきた一護に、雨竜は何も言わなかった。一護は布団に潜り込み、白哉の言葉を思い出さないようにとあらゆることを考えながら必死で眠ろうとする。けれど、冷たい表情と言葉はちくちくと一護の感覚を突き回し、結局一睡も出来なかった。 昨日より酷い顔だという自覚はある。そんな一護に織姫は棒を飲み込んだような表情をしたが、何も言わなかった。 茶渡や雨竜もあまりに酷い様の一護に何も言えず、腫れ物を触るように扱う。一護はそんな周囲に辟易して早々に隊舎を後にし、十一番隊へと向かった。 何かに取り憑かれたように次々に隊員を倒し、やっと白哉のことを振りきった一護は、少し休憩するために外へ出た。そこには昨日と同じく弓親がのんびりとお茶を啜っている。「てめーは鍛錬しないのか」 「何で僕があんな汗くさいことを? しなくても充分強いからね」 あー、はいはいそうですかと呆れたように頷く一護を、弓親はちらりと見上げる。にやりと笑う弓親に、一護は不快そうに眉を顰めた。 何で笑ってんだと言いかけた一護は、中から聞こえてきた怒声と物の壊れる音に、何が起こってるんだと戻った。 中を覗き込むと傷だらけの一角が次々に他の者を叩き伏せていた。流石の十一番隊隊員たちも一護の相手をしたうえに一角までは無理らしく、挑発にも応える声が挙がらない。一護はそれならと名乗りを上げた。 だが、剣八が現れたことでそれは中断され、一護は隊舎を逃げ出した。途中斬月を置いて来たことに気付いたが、引き返せば剣八と顔を合わせることになる。それだけはごめんだと歩いていた一護は、息せき切ってやってきた織姫に呼び止められた。 ルキアの姿が瀞霊廷中探しても居ないと聞いて、一護は眉を顰める。一緒に探してと頼む織姫に、一護は頷いた。 「訊ける人には大体聞いたんだけど、もしかしたら白哉さん知ってるかも」 「え……、白哉に」 大きく頷く織姫に行きたくないと言う訳にもいかず、一護は走り出す。あんなことを言われた後、どんな顔をして会えばいいのか思案に暮れていた一護は、遠くから見える窓の中に赤い髪を見出してほっとした。 中から入らず、飛び上がって直接窓に向かう。やっぱり居たと安堵して口を開きかけた一護は、いきなり頭突きを食らって目を白黒させた。怒りに青筋立てている恋次にルキアのことを尋ねる。 「ルキア? 知らねーな。ルキアがどうかしたのか」 「いや、いいんだ」 恋次にだけ目を向ていた一護はすぐさまそこから飛び降りる。側にあった白哉の霊圧に心の底に閉じこめた物が溢れ出しそうだったが、ルキアのことだけ考えてまた無理矢理押し込めた。 「どこか知ってるの」 「ああ、多分、あそこだ」 瀞霊廷に居ないのなら行く場所は一つしかない。一護はそう答えると門へ向けて走り出した。ふと気付いて走りながら少し後方を走っている織姫に、一護は顔だけ向ける。 「ところで何でルキア探してんだ。それにその格好」 「石田くんが服をね。あっ、そうだもういっこ重要なことがあったんだ。浮竹さんが明日にはなんとか門を開いてくれるって」 一護は僅かに目を見開いた。尸魂界にやってくる時浦原が作った門と同じものを開いてくれるということは、明日には戻らなければならない。 嬉しそうに言う織姫に、一護は複雑な思いで無理に笑顔を作った。 空鶴の所に居たルキアを見つけると、一護は門の事を話した。ルキアの尸魂界に残るという言葉に一護は一瞬驚いたが、晴れ晴れとしたその表情に安心して笑みを浮かべると頷いた。 「そうか、良かったな。目的達成とは言えないが、朽木さんの気持ちが決まっているなら異論は無い」 「む…」 ルキアの言葉を隊舎に残っていた二人に告げると、一様にほっとした表情で納得した。何故か織姫は雨竜のことを同情するような目つきで見ていたが、一護の視線に気付くと焦って手に持っていたワンピースを隠した。 「えとえと、明日のために早めに休んだ方がいいかなっ。ということで、じゃっ」 「何だあいつ」 織姫の挙動不審はいつもの事だったのであまり追求せず、一護たちも休むことにする。それぞれの部屋に戻ろうというとき、雨竜が足を止め一護を振り返った。 「見ていられないね。君はいいのか、このまま戻っても」 「何のことだ」 雨竜の問いにぎくりとしながらも、一護は聞き返した。雨竜は暫く何も言わず一護の顔を見詰めていたが、溜息を付くと首を振り出ていく。途中で放り出された一護は眉を顰め、憮然として部屋の中央に胡座を掻いた。 このままで良いなんて思えない。こんな中途半端な気持ちのまま戻れない。昨夜は何も言えず逃げ出したけれど、もっと何か伝えたいことがあった筈だ。それが何か、まだ自分の中でもはっきりしてないが、このままじゃきっと後悔する。 一護は決心して立ち上がり救護詰所に向かった。 扉を開こうと手を伸ばす先にそれは開かれる。中から出てきたのは冬獅郎だった。びっくりして身を引く一護に僅かに眉を上げ、身体を脇に寄せる。 「何驚いてる。毎回誰が扉の鍵を開けていたと思っていたんだ」 「えっ、花太郎かと」 「ったく。今日は遅かったな。必ず来ると思っていたが」 呆れたように吐き捨てた後、感慨深げに言う冬獅郎に一護は拳を握り締めた。 「今日で最後だから、安心しろよ。もう邪魔はしない」 「邪魔? んなこと思ってたらわざわざこんな面倒なことしない。誰が邪魔なんて言ってんだ」 不快そうに冬獅郎は一護に訊ねた。 「……負い目があるから、追い返さないでいたんだとさ」 誰がそんなことをと言いかけた冬獅郎は、ハッと目を瞠って一護の腕を掴んだ。一護の苦しげな表情に、冬獅郎は吐息を付く。 「あの朽木白哉が、そんな自分を貶めるようなこと言うわけがない。お前も解ってる筈だ、黒崎」 一護は唖然として冬獅郎を見下ろした。冬獅郎はふっと笑みを浮かべると一護の腕を離し、突き飛ばすようにして中に入れる。振り返り見る間も無く、扉は閉められ冬獅郎の姿は見えなくなった。 一護は意を決すると白哉の部屋へ向かった。静かに扉を開くと、白哉は窓の方を見詰めている。自分が入ってきたことはとっくに分かっているのに、顔すら向けない白哉に一護は胸が詰まった。 それは次第に怒りに変化し、足音も荒くベッドに近付くと、白哉の襟の合わせを掴んで一護は自分の方へ向けた。静かな表に微かに眉を寄せ、白哉は一護の顔を見返す。 「来るな、と言った筈だ」 「そんなの俺の勝手だ。話がある」 僅かに目を揺らめかせ、白哉は合わせを掴んでいる一護の腕を握り締めた。白哉が力を込める前に、一護は大きく息を吐くと口を開いた。 「あんたが好きだ」 白哉は動きを止め、呆然と一護を見た。 「いろいろ考えて、考えてもわかんねーけど、会いたいって思うのは多分そうなんだろって。こんなの変だし可笑しいと思う。だけど止めらんなくて、胸いてーし」 一護は言葉を発するごとに自分の顔が熱くなっていくのが分かった。顔だけでなく全身に熱が回って火を噴きそうだった。 取り敢えず言うだけ言うと、一護は肩の荷が下りたような気分ですっきりし、手を離した。これで現世に戻っても後悔はしない。白哉に嫌悪されると思うとちょっと寂しいが、告げずに後悔するよりマシだ。 離れようとする一護の腕を掴んだままだった白哉の手に力が入る。 「随分身勝手な。お前は最初からいつも私の選択を否定する」 俯いていた白哉の顔が上がり、苦渋に満ちた表情が現れると、一護は息を飲んで見詰めた。身体が強張り身じろぎも出来ない。 次の瞬間腕が引かれ、一護は白哉に抱き締められていた。唖然とする一護を強く抱き、白哉はその首元に顔を埋めた。 「び、白哉……」 「もう二度と誰の手を取ることも無いと、思っていた」 白哉は顔を上げ、一護を見詰めると、戦慄く口許に唇を寄せる。一護は白哉の唇が自分のそれを覆った瞬間、ぎゅっと目を閉じた。 一度目の口付けは僅かな時間触れただけ、離れたそれは再び一護の唇を塞ぎ深く合わされる。 心臓が爆発しそうに早鐘を打ち、息をするのも忘れて白哉の口付けを受けていた一護は、漸く離され息も絶え絶えに空気を貪った。 「はぁ……は、あ…と、その…なん、で」 気付くと一護は白哉と身を反転してベッドに横になっていた。さらりと白哉の黒髪が一護の頬を掠める。 真上から覗き込む白哉の表情は真摯で、熱の籠もった瞳は一護の目を射抜くようだ。腕を使って身を起こそうにもしっかり押さえ込まれている。 「一護……私もお前が好きなようだ」 衝撃に思考も何もかも吹っ飛び、一護はただ白哉を見詰めていた。 白哉は愛おしむように目を細めて一護の顔を掌で覆い、三度口付ける。唇が口から喉元へ移動し、死覇装をはだけられていると悟った一護は、告白した時より更に熱が上がるのを感じ、やっとの思いで手を動かした。 「ま、まてま…て、いきなり何、で」 「時間が惜しい。今夜限りなのだから」 そりゃそうだけど、と一護はパニックに陥る。知ってはいるが経験は無い。それに、白哉は怪我人だ。こんなことしていいのかと、言おうとした一護は胸を愛撫され微かな悲鳴を上げた。 いつのまにかすっかり死覇装は脱がされて全身を白哉の前に露わにしている。一護は振り上げた手を自分の口に持っていき、止められない声を抑えようと塞いだ。 白哉の手は丁寧に、的確に一護を煽り昂ぶらせていく。何も考えられず、ただ白哉の愛撫に身を任せていた一護は、自身を吐き出すとぐったりと全身から力を抜いた。 僅かに逡巡して身を引こうとする白哉の腕を取り、一護は笑いかける。 「最後まで……、白哉」 一護の言葉に白哉は微笑むと、一度抱き締め身を進めていった。 翌日、用意された穿界門の前に来た一護は、集まった隊長たちの中に白哉の姿を見出して微かに笑んだ。胸はまだ少し痛むが、気分は晴れている。 「一護君、これ持っていきたまえ」 ちょいちょいと呼ばれ、浮竹の元に行った一護は、変な形の紋章を受け取った。浮竹の説明によると、現世での死神代行証ということらしい。 「まだ、終わってはいないということだ」 感心したように見ていた一護は、そう声を掛けられて顔を向けた。白哉の落ち着いた表情に一護にまだ少し残っていた焦燥が溶けていく。 「そうだな。まだ終わっちゃいない。また……」 同じ敵を相手とするなら、再び会える。 それが何時かは分からないが、そんなに遠くないだろう、きっと。 一護は白哉に晴れやかな笑顔を向けると、踵を返し門に向かって歩き出した。 |