風 誘


 風が奇妙な音を立てて窓枠を揺らし、向こう側の暗い木々の陰を揺らしていく。昼間だというのに薄暗い景色に何となく引きつけられる物を感じてマルスは目を離せなかった。
 時折光るのは稲妻か、なのに相変わらず風の音だけしか聞こえず他になくて妙に静かだ。普段はそれなりにざわめいているはずの城内に人気が無いような気がして、マルスは読んでいた本を閉じ窓際に近付いていった。
 空はどんよりと低く雲が垂れ込め、風が人気のない城の外を吹き抜けていく。ここから街の様子は窺えないが、きっと門や扉を堅く閉ざして皆家の中に引きこもっていることだろう。
「マルス様、お勉強は終わりましたか?」
「ジュイガン……何かあったのか」
「は?何故そう思われます」
 ノックの音と共に部屋に入ってきた老騎士を見てマルスは訊ねた。だが、ジェイガンは何のことかと言うようにマルスを見ている。
「妙に静かだと思って」
「……風が強いので、他の音が消されてしまっているのでしょう」
 ジェイガンから再び窓の外に目を移したマルスは、間を持って言われた応えに僅かに目を眇めた。
「剣の稽古の時間だよね」
「それが…今日は中止とします。マルス様にはすぐに西の塔へ来ていただきたいと、陛下がおっしゃっていますので」
 ジェイガンの言葉に、更にマルスの眉が顰められた。西の塔は普段は開かれていず、年に一度父国王と母が二人だけで入り祈りを捧げる場所となっている。自分もシスターである姉のエリスも入ったことは無い。
「あそこは…入ってはいけないんじゃないのか」
「今日は特別とかで、お急ぎ下さい」
 ジェイガンの言葉にマルスは振り向きじっと見つめた。だが、それ以上のことは言おうとしない彼に、仕方なく疑問を抱えたまま部屋を出た。
 アリティアは大国アカネイアやマケドニア、グルニアといった国よりずっと小さい、だが豊かで美しい国である。百年前、この地に生まれた英雄アンリはアカネイア大陸を暗黒に覆うとしていたメディウスを倒し、初代アリティア王となった。アンリの血筋であるアリティア王家はそれから代々神剣ファルシオンを守りこの地を治めている。
 西の塔にはそのファルシオンが封印されているのだ。
 普段堅く閉ざされている大きな扉が重い音を立てて開き、マルスは一人でその中へ入っていった。ジェイガンも一緒に来るのかと思っていたが、彼は扉の向こうからこっちへ入ろうとはしない。
 振り向く前に扉は閉ざされ、マルスはごくりと小さく喉を鳴らして塔の狭い階段を上へと昇っていった。一番上にある小部屋の扉を開くと、両親が真剣な表情で佇み待っている。母の隣にはエリスの姿もあり、彼女ににこりと微笑まれてマルスは僅かに緊張を解いた。
「参りました、父上、母上」
「マルス、こちらへ」
 父王に招かれてマルスは近付いていく。部屋の奥には台座があり、ファルシオンがそれに突き刺さるようにして置かれている。マルスが本物を見るのはこれが初めてだった。
「ドルーアが再びアカネイアを制覇しようとしている。私は明日、ドルーアを討つためにこの神剣ファルシオンを持ってアカネイアへ向かう」
 父王の言葉にマルスは驚いて目を見張った。確かにその話は聞いていたけれど、こんなにすぐだとは思っていなかった。
「もしも私に万が一の時があったなら、お前がこれの主となるのだ。さあ、手を」
「でも…僕、いえ私はまだ…」
「十四では確かに若すぎる。だが、奴らは待ってくれない」
 躊躇するマルスに、父王は厳しい表情で再び促した。おそるおそる手を伸ばし、ファルシオンの柄にはめ込まれている紅い石に触れると、マルスの身体中に強烈な意思の力が走り抜けた。
 『我の力……我の一部…そなたに託す』
 『あなたは誰……』
 マルスはその力に押し流されないように必死に足を踏ん張って、微かなその声の持ち主に訊ねた。声は消えたが白い大きな物体のイメージが浮かび、紅い澄んだ目が自分を見つめている感覚に、マルスもそれを見つめ返す。
 『運命の子よ…そなたに我を託す……』
 ふっとイメージは消え、マルスはよろめいて誰かに支えられた。
「マルス、大丈夫?」
「エリス姉様……何かいました。……大きな白いものが」
 マルスの言葉に、父王の目が驚愕に見開かれる。母も驚いて小さな叫び声を上げマルスを見た。
「見えたのか?」
「そんな……」
「マルスが何か見たのが、どうかしたのですか」
 エリスはマルスを気遣いながらも二人に訊く。二人は複雑な表情を見せて領いた。
「私がこれを継承したときは見えなかった、何も感じなかった。"それ"を見たのはアンリ以来居ない…マルスは選ばれたのかもしれん」
 「選ばれた?」
 漸くしっかりと意識を取り戻してマルスは驚いて父王を見た。深く領き、慈愛の表情でマルスを見た父王は溜息を付くと腕を伸ばして抱きしめた。
「お前に、アンリの加護があるように…」
「父上…」
 マルスは大きくなる不安を打ち消すように父の身体に精一杯腕を伸ばし、抱きしめ返した。
 その不安は的中し同盟国であったグラの裏切りによって父は殺され、城は落とされてしまった。何とか僅かの兵士と共にマルスは遠くクリスまで逃げ延び、それから二年の時が経つ。
 ドルーアはアカネイアを滅ぼし、グルニアやマケドニアなどを併合して一大大国を作り上げていた。国々は恐怖に脅え、荒れ果てた大地に暮らしている。しかし、未だこの辺境の小国クリスにはその脅威は届いていない。
 真っ青な空を眺めていたマルスはふいに何かの気配を感じて振り向いた。タリスの城からも離れた砦に、逃れた宮廷騎士団と共に暮らしていたマルスは毎日剣の稽古や武術の修行を続けていて今も外の原でアベル、カインと共に修行している最中だった。
「何だ?」
 『見つけたぞ、正当なる神剣の主……』
 木の陰に揺る黒い影は低くくぐもった笑い声を上げ、じっとマルスを窺っている。ぞっとする冷気を感じてマルスは剣を握りしめた。
「何者だ!」
「マルス様?どうされました」
「何か…いるのですか?」
 どうやらアベルやカインには見えないらしい。不思議そうにマルスと木の方を交互に見て首を捻っている。
 『…そなたを我が主の元に……』
 急に突風が吹き荒れ、アベルとカインは腕で目を覆った。
「マルス様っ」
 腕の隙間から二人がマルスを窺うと、真っ黒な煙の様な物が風と共にマルスの身体を取り巻き、影の中に引き込もうとしているのが見えた。
 慌てて近付こうとする二人に、更に風が襲いかかる。
「うわっ」
「マルス…様」
 マルスは何とかそれから逃れようと必死に身体を動かそうとした。けれど、指一本も動かすことが出来ない。
「くっ…」
 『そなたさえ手に入れば、この世の支配は我が主のもの…』
 影は益々勢いを帯びてマルスを苦しめる。
「そうは、いくかっ」
 闇の中に引き込まれようとした瞬間、マルスの身体を覆うように白い影が浮かび闇を蹴散らした。影の中に居た者は悲鳴を上げて消え去り、後には何も残らず普段と同じ景色が広がっている。がくりと崩折れたマルスに漸くアベルとカインの二人は走り寄り、その身を支えた。
「大丈夫ですか」
「ああ…大丈夫だ」
 影が消えた場所を見つめながらマルスは何かが始まり掛けていることを感じ、ふと空を見上げた。青い空に一点の白い物体が浮かび、徐々に大きくなっていく。
「シーダ?」
「マルス様っ……城がっ、父様が……」
 息を切らせ、今にも泣きそうな表情で天馬から降り立ったタリスのシーダ姫は、驚くマルスの側に駆け寄っていった。
「どうしたの?」
「ガルダの海賊に襲われて…」
 海賊という言葉にカインとアベルは緊張する。いわゆる一般の海賊と違い、最近この辺りに出没している海賊はドルーアの息が掛かった者達だったのだ。
「判った、すぐに助けに行く」
 マルスの力強い言葉にほっとシーダは安心した顔を見せた。
 ここで海賊達を倒せば、ひっそりと隠れ住んでいる自分たちのことを知られてしまうだろう。二年の時を待ち、姉と母を救い、祖国を取り戻すために戦う時が来たのだ。
「カイン、アベル、すぐにみんなに連絡を」
「はい!」
 不安もある。恐怖もある。けれどマルスを信じ、守り、戦うしかない。まだ経験の少ない二人は高揚感と不安を同時に抱えながらもマルスに深々と礼を取った。

 満天の星の下、遥か彼方にある祖国の方を眺めていたマリクは、背後に気配を感じて振り返った。「エルレーン……何か用か?」
「アリティアのマルス王子がドルーアに対し反乱行為を起こしたそうだ」
 金色の髪にグレイの瞳の魔道士エルレーンは、にやりと笑ってマリクの隣に移動し、バルコニーに凭れ続けて言った。
「お前はアリティアの出身だろ。一緒に行かなくていいのか」
「……まだ修行は終わっていない」
「ふーん…律儀だな…、ま、たかがファイアーやブリザー程度じゃ軍に入ったとて知れていようが。それに戦争には基本的にここの魔道士は関わり合うなとの法もある」
 エルレーンの言葉にマリクはっとエルレーンを見た。ここカダインでは魔道士の国であり、色々な国々から魔道の力を持つ者が修行や研究にとやってくる国である。敵対している国同士の者も机を並べて勉強しており、国と国との争いごとはここには持ち込まないことが原則であった。
「そう、だな」
「お陰でゆっくり魔道の修行が出来るってもんだ。ここを攻めようなんて命知らずは居ないだろうし、邪魔されこともない。何せ上級魔法……いや、超魔法オーラやエクスカリバーを習得するのが俺の目標だ。お前もだろ」
 ぐっと拳を握りしめてエルレーンは強く言った。カダインで誰もが憧れいつかは身につけたいと願う上級魔法以上に魅力ある超魔法。だが、それらは封印されており、師達ですら使える者は居ないという。
「それにしても、ガーネフ様、いや、もう様は付けられないか、闇の魔道に落ちるとは今でも信じられん。ガトー様の一番弟子だったのにな」
 マリクはぶつぶつと言うエルレーンを横目に見ながら、今言われたことを考えていた。自分の力が無いからといって、ここで安穏と修行していていいものだろうか。マルス達は毎日命を賭けて戦っているというのに。
「マルス様…」
 既にエルレーンに聞かされる前からマルスが立ったことは知っていた。けれど、まだまだ未熟者の自分では行っても足手まといになるばかりになってしまう。今の自分はファイアーやブリザーの魔法すら扱いかねているのだ。
 マルスに初めて会ったのは、父親に連れられてアリティア城へ行った時だった。騎士である父はマリクを自分と同じ騎士にしたかったらしい。しかし、気弱で優しいマリクは剣の稽古より自然の中で鳥や小さな獣を見ていたりする方が好きだった。
 子供にとっては広い城の中で迷子になったマリクは、いつの間にか中庭に出ていた。辺りを見回しても人影は無く、木立が風に揺れるばかりで心細くなったマリクは走りだし途中小さな他に出た。
 見たこともない魚が泳ぐ池にじっと見入っていたマリクは、その水面に自分と同じくらいの少年の姿が映ったのを見てはっと顔を上げた。
「誰っ…」
「僕はマルス。きれーな魚でしょ、ずっと向こうのクリスから持ってきたんだよ」
「…マルス?」
 名前を呼ぶとにっこりと笑う少年に、マリクも知らず笑みが浮かぶ。
「僕はマリク。ほんとに綺麗な魚だね、初めて見たよ」
「クリスは遠いんだけど、綺麗なものがいっぱいあるんだ。見せてあげる」
 笑って感想を言うマリクに、マルスはもっと嬉しそうな表情になり、その手を取ると他のも見せて上げると言ってあちこち引っ張り回した。
 確かにここでは見られない花だとか木だとかがあって、そのたびにマリクは目を見張り驚きと喜びを見せる。いろいろと見せて貰ったお礼にと、マリクは自分が今までに見てきた鳥や動物の話を木陰に腰を下ろしてマルスに話し出した。
 どの話にも興味を持って聞き、喜ぶマルスに、マリクは自分が騎士の子であること、でも騎士ではなく自然を友とする魔道士になりたいこと、などを話していた。
「魔道士って魔法を使うんだよね」
「うん、でもどんな魔法も自然の精霊と契約して、その力を借りているだけなんだ。炎や水や」
「ねえ、風は?風の精霊と契約すると何の魔法が使えるの?」
 炎はファイアー、水はブリザーと知っている魔法の名前を挙げていったマリクは、マルスに聞かれてはたと考え込んだ。
 こっそり父に隠れて読んでいた本では一般的な魔法のことしか書かれていなく、比較的扱いやすいファイアー系の魔法くらいしか載っていなかったのだ。
「風っていろんな所へ自由に行けるから…好きなんだ」
「今度、調べておくよ」
 憧れるように空を見上げて呟くマルスに、マリクの胸が絞られるように高鳴る。藍色の髪が風になぶられ、透き通る瞳は空の色そのままを引き映したような青。
「マリク?顔が赤いよ、暑いの」
「えっ…いや、別に…」
 差し出された手が額に当てられるとマリクの胸は意思を無視して暴走し始め、熱はますます上がってくる。マリクは自分は一体どうしたのだろう、ほんとに病気なんだろうかと胸を押さえ目を閉じた。
「誰か、連れてくる」
「あ、だ、大丈…夫」
 心配そうに見ていたマルスは立ち上がり、マリクが止めようとしたときには駆け出していた。マルスの姿が見えなくなると、胸の動悸は収まり、熟も下がっていく。この症状は一体…とマルスが来るまで考えに考えて、はたと思いついた答えは。
「もしかして……でも…」
 聡明と評判のマリクは、その考えを肯定するしかなかった。…つまり、齢十歳にしての初恋が彼であると。
「お、男の子なのに……」
 がっくりとマリクは項垂れて頭を抱えた。初恋は実らぬものと相場が決まっている。これがまだ相手が女の子なら少しは希望も持てるのだが。
「マリク?連れてきたよ」
「どうしたの?」
 がさがさと音がして顔を上げると、マルスと一緒に自分たちより少し年上の少女が不思議そうな表情で立っていた。マルスに良く似た面差しから、姉弟なのかと想像できる。
「大丈夫です。あの…」
「そう? 熱があるってマルスは言っていたけれど、なさそうね。私はシスターの修行をしているから、もしどこか悪いところがあるなら言ってね。直してあげられるから」
 にっこりと笑う少女に、マリクも笑みを返しながら、この病はシスターの魔法の杖でも直らないと心の中で溜息を付いていた。
「僕はマリクと言います」
「私はエリス。それじゃ、あなたはさっき挨拶に来た騎士様の子供ね」
 挨拶に来た、と聞いてマリクははっと気が付いた。そういえば、国王には自分と同じ年頃の姉弟が居ると父は話していたではないか。では、この二人は。
「本当に大丈夫?マリク」
「だ、大丈夫です」
 まだ心配そうに見ているマルスを見ると、自分の頬が赤くなるのが判る。
「じゃ、今度は僕の部屋で話そうよ。本もいっばあるよ」
 やっと安心したのかマルスはそう言い、エリスもにっこり笑って賛同する。連れてこられた場所はやっぱり想像通り王族の部屋であった。
 父は始め王子や王女と付き合っていることに驚いたが、国王や王妃から歳の近い子供が居ないので丁度良いと理解を示され、渋々マリクが城に来ることを許した。
 王族ということなど全く感じさせず、マルスやエリスはマリクを友人として扱い、一緒に遊び学んだ。僅かな時間だったけれど、それが短い今までの人生の中で一番楽しい時だった。
 だが、父を亡くし、騎士としてではなく魔道士として勉強する決心を付けたマリクは二人に別れを告げここカダインに三年前やってきたのだ。いつか風の魔法を見せて上げるというマルスへの約束を果たすために。
 それなのに、未だ風と契約どころか下位魔法でさえ扱い切れないのが情けない。アリティアが立った今、一番の親友だと思っている自分が役に立たないのが辛い。
「俺の方が先だ」
「え?」
 ぽんやりと昔を思い起こしていたマリクはエルレーンの言葉に意識を現在に戻した。ふとエルレーンの方を見ると、力を求める者特有のぎらつく瞳をして自分を睨み付けている。
「お前より先に、エクスカリバーを手に入れるってことだ。ウエンデル先生も俺のことを認めて下さっている筈だからな」
 くくくと笑ってエルレーンは去っていった。風の精霊と契約し魔道書さえあれば風の超魔法エクスカリバーは手に入れることが出来る。だが、契約は下位の魔法より修行を積めばなんとかなるというものではないらしい。そうならば、とっくに師達がものにしているはずだから。エルレーンには判っているのだろうか。
 マリクは深く溜息を付くと、部屋に戻り決心を固めて師の元へ行った。
「ウエンデル先生、いらっしゃらないのですか」
 ノックをしても返事が無く、仕方なく戻ろうとしたマリクは中から聞こえてきた呻き声にはっとして扉を開けた。
「先生?」
 部屋の中にウエンデルの姿は無く、続き間の方から低い声が漏れ聞こえてくる。マリクはまずいだろうかと思いつつもその扉に手を掛けた。
「…では、マルス王子が…」
 マルスの名を聞いてマリクは扉を開ける。薄暗い部屋の中央に魔法陣が描かれ、その中には真っ白な竜が陽炎のように浮かび上がってじっとこちらを見ていた。
「マリク!」
「…今、マルス様の名前が…」
 普段穏やかな表情を強張らせ、ウエンデルは慌ててマリクの名を呼んだ。
 『よい…そなたはマルスの元へ行かねばならぬ』
 白い竜は頭に直接働きかけるような声で言い、マリクをじっと見つめた。
「何故、マルス様のことを…」
 『闇の魔道士に剣を渡してはならぬ……力を与えてはならぬ……』
 剣とは神剣ファルシオンのことだろうが、既にガーネフの手に渡っていると聞く。それに力とは何のことだろうか。マリクは疑問に思いつつじっと白い竜を見つめた。
「力とは何です? マルス様に関係あるんですか」
 『マルスの力…マルス自信………守護るのだ』
「でも…僕はまだ上級魔法もろくに扱えないんです」
 悔しげに言うマリクに、竜は僅かに目を細めた。それは笑っているようにも見えマリクは悔しさに唇を噛みしめる。
 『そなたは理解している…幼き魂よ。自分を信じよ……守護するのだ』
「自分を…信じる?」
 目を見張るマリクに微かに領き、竜はふっと姿を消した。ほっと息を吐くマリクに、近付いてきたウエンデルがぽんと肩を叩き複雑な表情と笑顔を見せ、隣の部屋に行こうと促した。
 椅子に腰掛け、ウエンデルが入れてくれたお茶を啜っていると、漸く今起きたことの実感が湧いてくる。この世に竜族はいるものの、言葉を喋り人の姿を取れる者は既に滅び去って久しいはずだ。只一人、闇の地竜メディウスのみ知られている。
「先生、今のは」
「意識体だけが残っている大昔の神竜族の一人だ。別の精霊を呼び出そうと思っておったのだが、向こうから出てきおった」
「……何故、僕にあんなことを言ったのでしょう」
「アンリの血筋は唯一神剣ファルシオンを扱える者だ。メディウスが恐れる唯一の…むし、メディウス以外がこの世界を獲ろうと考えていたとしたら、神剣をどうすると思うかな」
 ウエンデルの言葉にマリクは考え、はっと気付いた。今神剣を持っているのはメディウスと結託した闇の魔道士ガーネフである。メディウスを押さえるためにファルシオンを獲ったのだとしたら、次に狙うのは……
「先生、僕はマルス様の元へ行きます。…まだ上級魔法は使えなくとも、ここにじっとしてはいられません」
 魔道士として役に立たなくとも、せめてこのことだけは伝えなくてはとマリクはぺこりとお辞儀をして部屋を出ていこうとした。
「そんなに急ぐこともあるまい。落ち着きなさい、マリクや」
 溜息を付いてウエンデルはマリクを引き留めた。
「急ぎます!相手は闇の魔道士、いくら剣の腕が立つ者がマルス様の側に付いていても、魔法では負けてしまうかも」
 キッとウエンデルを見つめ、何故引き留めるのかとマリクは問いただす。ウエンデルはやれやれというように肩を疎め、鍵の掛かった本棚の一番奥から古そうな書物を一冊取り出し、マリクに手渡した。
「これは?」
「西の塔に行きなさい。一番上の階は鍵が掛かっているが壊してもかまわない」
 それだけ言うと、さあ行きなさいとマリクを促し、ウエンデルは扉を閉めた。普通の魔道書とは違う色形のそれに、一体何なのだろうかと訝しみながらも、マリクは言われたとおりに西の塔へ向かった。
「マリク、こんな時間にどこへ行くんだ」
「エルレーン、僕はアリティア軍に行くよ」
「なっ…」
 驚いて息を飲むエルレーンに、にこりと微笑み掛け、マリクは踵を返した。
 塔の一番上の階に入ると、そこは広い屋上階となっていて周りには昇ってきた場所に小さな扉を持つ建物があるばかりだった。
 ウエンデルの持たせてくれた書を開き中の言葉を辿り始める。徐々に驚きがマリクに満ち、最後の文句まで来た時には小さく震える程だった。
「これは、エクスカリバーの」
 そう、それは風の超魔法エクスカリバーの魔道書だったのだ。マリクはごくりと唾を飲み込み気持ちを落ち着かせると床面に魔法陣を描き真ん中にその魔道書を持ってゆっくりと意識を集中し始めた。
 『自分の力を信じよ……』
 あの竜の言葉が廼る。
 マルスを守護り、アリティアの地を取り戻し……再び平和な国を作る。マルスを信じ、自分を信じて願い、祈る。
「…マルス様……っ!」
 次第に轟音をたてて逆巻く風にゆったりと身を任せ、マリクは強く強くマルスのことだけを思っていた。

カレイドトップへ