Heaven Knows -4-

 
 席に着いた不二は溜息を付いてぼんやり窓の外を眺めた。桃城はまだはっきりと解っていないようだが、かなりリョーマに惹かれている。それを気付かせてやるつもりはさらさらない。それこそ、余計なお世話だ。
 リョーマも桃城にはいろんな話をするのだろうか。相談事や悩み事など、リョーマにあるとは思えないが、気軽に訊ける良い関係のようだ。それがいつか、恋愛関係になるかもしれない。そう思うと、自然に拳を握り締めてしまう。
「不二、不二ってば」
 頭を突かれて漸く不二は視線を前に向けた。菊丸が訝しげに不二の顔を覗き込み、手を目の前でひらひらと振っている。
「起きてる? どっか飛んじゃってんのか」
「起きてるよ、何?先生に注意されるよ」
「やっぱ寝てたんじゃないか。次自習だってよ。6時間目も自習って試験前だってのにフザケンナ!って感じだにゃー。どうする?ちょっとだけやってくか」
 菊丸がラケットを振る動作をする。不二は暫く考えていたが、今のこの気分を吹き払うには良いかもしれないと立ち上がった。
 辺りを見回すと、既に半分以上の生徒達は居なくなっている。家に帰って試験勉強をするのか、図書室でするのか、不二達のように部活をする者は少ないようだ。
 部活がなくともラケットだけは毎日持ってきているレギュラーは、昼休みなどちょっとした時間を使って少しでも練習している。部活が禁止なので制服のまま、コートに入って軽く打ち込みをするレギュラーを、顧問の竜崎は目をつぶって見逃していた。
 二人がコートに入ろうとすると、部室から乾が現れた。
「やあ、君たちも自習かい。試験前なのに余裕だな」
 ちらりと自分を見て言う乾に、菊丸はむっとして口を尖らせた。
「少し運動した方が勉強も頭に入るんだ。それよりお前だって、こんな所で何してんだよ」
「試験の結果は日常の積み重ねだからね。今から急いで詰め込む必要はない。それより、次の試合のためにデータを整理した方が良いだろう」
 乾の言葉に、菊丸はそっぽを向き、不二に早くやろうと声を掛ける。
「ああ、不二、さっきのやりとりをうっかり聞いてしまったんだけど」
 不二は足を止め、乾に向き直った。さっきのやりとりとは、桃城との事だろうか。うっかりと言っているが、しっかり立ち聞きしていたのだろう、気が付かなかったのは迂闊だった。
「うっかりね…、で?」
「実は俺も越前にお前のことを訊かれたよ。ただ、何が知りたいのかきちんと理解出来ていないで、戸惑っているようだった」
 不二はグリップを強く握り締め、乾を見た。一体全体リョーマは自分の何を訊きたいのだろう。自分から逃げ回っているくせに、他の人間に不二のことを訊いて廻るとは。
「お前のプレイに影響は出ないと思うが、越前の場合少し浮き沈みが出てきている。試合前には決着を付けておいてくれ」
 言われなくても、と不二は乾を一睨みするとコートへ入っていった。
 軽く打ち合いをするつもりが、乾に知らされたことで力が入る。受けて立つ菊丸は、そんな不二の気持ちを知ってか知らずか合わせて真面目にボールを返していた。
「ストーップ! もう5時限目終わりだし、次はちゃんと自習すっか」
 不二が打ってきたボールを手で受け止め、菊丸は息を切らせながら言った。見逃して貰っているとはいえ、二時間もコートに居ては他の生徒の手前迷惑が掛かる。
 コートから出ると、タオルで汗を拭き、菊丸はベンチにぐったりと腰を下ろした。
「今の気合い入ってたねえ。制服でやると汗びっしょりで気持ち悪りぃ。早引けして家帰ってシャワー浴びよ」
「付き合わせて悪かったね」
「んにゃ、いいよ。先に誘ったのは俺だし。それより乾に何か言われたん?」
 菊丸の問いを無言で流し、不二は先に行くと言ってコートから出た。汗はさほどかいていないが、家に戻って頭の中を整理したい。
「たいしたことじゃない」
「おチビのこと?」
 相変わらずの菊丸の勘の良さに、不二は動きを止める。菊丸はタオルを首に巻き、空を見上げて溜息を付いた。
「まーったく、驚いちゃうよな。手塚と並んでポーカーフェイス、柔らかいけど鉄壁のガード、それをそこまで崩してめろめろになるなんて」
「崩れてる?」
「ガラガラと。お前のファンが今の顔見たら、卒倒しちゃうね」
 不二は苦笑を浮かべてベンチに腰を下ろした。確かに自分は割と幼い頃から外側の顔を作って生きてきた。何故そうなったか覚えていないが、煩わしい人間を禍根を残さぬよう排除するのに一番有効だった。
 誰も自分の内側には踏み込ませない。本当の自分を見られるのが怖いのかもしれない。だから、素直に感情を露わにして、傷付けられてもたくましく立ち直れる弟が羨ましかった。両親や姉に末っ子だからと簡単に甘えられる弟を妬ましく思う時もあった。
 良い子でいるうちに壁は段々厚くなり、自分でも壁だと気付かぬほどに自然に身に付いていたのをリョーマは易々と飛び越えてきた。
 否、リョーマが飛び込んで来た訳ではない。不二があの瞳に魅入られて、自ら壁を崩してしまったのだ。
「めろめろでガラガラか。みっともないな」
と不二が吐息を付いた時、5時限目終了を告げる鐘が鳴った。
「いんじゃない。そんな不二も好きだけどにゃ。それに、あの王子様も…」
 菊丸は後半の言葉を小さく呟くと、伸びをして立ち上がり早く教室へ行こうと不二を促す。不二も頷いて立ち上がった。
 休憩時間で生徒達が行き交う廊下を歩いていた菊丸は、前方に黄金ペアの片割れを見つけて大きく手を振った。
「あ、大石! 久しぶりー」
「昨日会ったじゃないか」
 菊丸に気付いた大石は、その言葉に苦笑すると立ち止まった。笑いながら近付いた菊丸は、教室の中を覗き込むと首を傾げた。
「あれ、手塚が居ない」
「ああ、さっき越前が来て、面倒な話らしく屋上へ連れていったぞ」
「屋上?」
 菊丸が問い返した時、不二は廊下を走り出していた。普段見られぬ不二の様子に、周りにいた生徒達がぎょっと身を引いている。
「あーあ、行っちゃった」
「な、何だ、どうしたんだ、不二のやつ」
「いいからいいから、ちょっと待ってようよ」
 驚き焦る大石を宥め、菊丸は屋上へ上がる階段の所まで引っ張って行った。
 不二は大石の言葉を聞いた途端、我を忘れて駆け出していた。階段を駆け上がり、屋上への扉を開けようとして不二は手を止めた。
 荒い息を整え、震える手を一度握り締めゆっくり扉を開ける。昼休みならともかく、普通の休み時間屋上には生徒の姿はなく閑散としていた。
 見える場所に二人が居ない事を確認すると、不二は足音を立てぬよう建物の影からそっと向こう側を覗いた。
 リョーマはこちらに背中を向け、手塚は金網に背を預け対峙している。話し声は聞こえなかったが、内容は推測できた。
 手塚の目が一瞬不二の姿を認め、僅かに眇められる。その視線に不二は、身体の奥から暗い感情が炎のように吹き出すのを感じた。
 手塚は組んでいた腕を解き、ポケットに手を突っ込むと、何かリョーマに呟いて入り口に向かい歩いてくる。不二は動けずにそのまま立ち竦んでいた。
「やれやれ、茶番だな」
 不二の隣まで来た手塚は、指で眼鏡を直すと呟いた。びくりと不二は目を見開き、手塚を睨む。手塚は視線を前に向けたまま、微かに笑みを浮かべた。
「俺は振り回されないよう気を付けるか。いや、もう遅いかもしれんな」
 目を閉じ、そう言うと手塚は再び足を動かし、扉を開けて校舎の中に戻っていった。不二は自分の中に沸き起こる感情のまま、リョーマの元に歩き始める。
 何か考え込んでいるのか動かないリョーマの背に、不二は声を掛けた。驚いたように振り向くリョーマに、不二は近付いていく。
「僕も訊きたいことがあるんだけど」
「不二先輩…何でここに」
 なるべく声を抑え、不二はリョーマに訊ねた。最初リョーマはいきなり不二が現れたことに戸惑っていたが、直ぐにいつもの不敵な表情で見返した。
「手塚と何を話していた」
「別に、何も」
「他にも色々聞き回ってるようだけど、何故?」
 リョーマはふと視線を揺らめかせ、目を伏せた。普段はこの上なく挑戦的なリョーマの気配が、弱くなっている。
 手塚と何を話したのか、それがこんなにリョーマを弱くさせているのか、不二の頭の中でぐるぐるとそんな考えが回り出した。
 冷静に落ち着いてという声は遠くなり、理性のリミットゲージが外れようとしていた。
「…告白でもされた」
 不二の言葉に、リョーマは驚愕して目を見開いた。その表情を見た途端、不二は腕を伸ばしリョーマの脇に手を付いた。金網が金属的な音を立てて揺れる。
「せんぱっ…」
「駄目だよ、誰にも君を渡さない」
 益々リョーマは目を瞠り、不二を知らない者のように見詰めた。
 不二はリョーマの肩を掴み、抱き寄せようとした。が、リョーマは漸く我に返ったのか、身を捩り抵抗し始める。
 睨み付けてくるリョーマの瞳に、不二は吸い寄せられるように顔を近付けていった。
 他人にどう思われようが、見られようが構わない。こんなに苦しくても、どんなにみっともない姿を曝してもこの瞳が欲しい。
「好きだ…君が」
 不二はリョーマの震える唇に口付けた。リョーマの肩を掴んでいる不二の手も僅かに震えている。見開かれたままだったリョーマの目が気付いたように閉じられると、不二は更に深く唇を合わせた。
 暫く強張っていたリョーマの身体は、激しく唇を貪られるうちに徐々に力が抜け、ぐったりと不二に預けるようになった。
 何度か角度を変えリョーマに口付けていた不二は、力の抜けた身体をしっかり支え抱き締める。
潤んだ瞳で睨んでくるリョーマの目元に口付けると、不二は支えたまま歩き出した。
「大丈夫? 歩けるかい」
 赤く染まったリョーマに囁くように言うと、力のない腕で押し返そうとする。
「送っていくよ」
「いい」
 そっぽを向いたまま短く言うリョーマに、一瞬不二は胸に痛みが走ったが、もし本気で自分が嫌ならもう少し抵抗するだろうと考えた。
 それに、触れたリョーマの身体が酷く熱いのは自分の思い過ごしだろうか。不二の身体が熱くなっているから分からないだけなのか。
 微かな希望が不二の内に湧き起こる。それに押されるように歩みを進め、不二は屋上からリョーマを連れだした。
「あれ、おチビ、どうしたん?」
 三年の教室へ続く階段の下に菊丸が立ち、二人を見上げて首を傾げた。既に次の授業が始まっているので、姿の見えない大石は教室に戻ったのだろう。
「具合が悪そうだから、家まで送っていく。僕の鞄持ってきてくれ」
「…不二…」
「頼むよ、英二」
 何か言おうとした菊丸を鋭く睨むことで制し、不二はそのまま降り続けて昇降口へ向かった。途中で駆け下りてきた菊丸が不二に鞄を渡す。
「無茶すんなよ」
「ありがと」
 にこりと笑って不二は校門から出ると、タクシーを拾って走り去った。その様子を呆れたように眺め、菊丸は両肩を竦めて校舎の中に戻っていく。これからどうなるのか、多少リョーマに同情しながら複雑な想いで菊丸は吐息を付いた。
 タクシーの中でもリョーマは俯きっぱなしで、不二に凭れている。時々思い出したように離れようとするのを許さず、不二はしっかり肩を抱き締めていた。
 タクシーは目的地に到着し、不二はリョーマを抱えるようにして降りた。視線を上げたリョーマは、そこが自分の家ではなく不二の家だと知って驚愕する。
「どうしてこっちに」
「まだ訊いてないから」
 リョーマの腕を掴み、不二は強引に自宅へ引っ張り込んだ。母親はカルチャースクール、姉は仕事に出ていて今の時間不二の家は誰も居ない。
 自分の部屋にリョーマを上げると、不二はその前に正座した。不二を見ずに視線を外し、リョーマはむっすりと座っている。
 暫く黙ったまま見ている不二に、耐えきれなくなったのか覚悟を決めたのか、リョーマはちらりと見上げ、顔を真っ直ぐ向けて訊ねた。
「訊いてないって何すか」
「この前のこと…嫌だったかな」
 その問いに、リョーマの顔は赤く染まった。不二はリョーマの反応に、心が浮き立つような感じを覚える。不安も希望も自分の中でオーバーフローして、今は全て表に出てしまっているようだ。
「あれから、怖くて訊けなくて…」
「怖い?」
 驚いたようにリョーマは不二を見返した。多分、今自分はほんとに情けない顔をしているのだろう。リョーマの瞳がそんな自分を映しだし、信じられないように瞬かれる。
「嫌われてはいないと思ったけどね」
 不二が自嘲の笑みを浮かべると、リョーマは呆れたように言った。
「先輩って自信家なんだか、違うんだか」
 自信なんて、この数日間でどんどん無くなっていっている。手塚の言葉に怒りを覚えたのも、焦って身体を繋いだのも、自信がないからだ。
 でも、リョーマが欲しい。たとえ嫌われても、手に入れたいと思う。リョーマは脱力したように肩の力を抜いた。組んでいた腕を解き、ラグの上に着いて足を崩す。
「あれは…痛かったし、疲れるし。それに何でしたいんだよ、男なのに変じゃん」
 ぼそぼそと納得出来ないように話すリョーマに、不二は身を乗り出して迫っていった。屋上から今まで懸命に抑えてきた衝動が、堰を切って流れようとしている。
「慣れるよ、何度かすれば」
「やっぱり、自信家」
「君が欲しいんだ、とても」
 呆れたように言うリョーマに、不二は更に近付いていく。リョーマは手を背後に着いて、身体を仰け反らせるように後ろに逃げたが、やがて体重を支えきれず倒れ込んだ。
 そんなリョーマの背中を間一髪で支え、不二はゆっくりカーペットの上に横たえた。
「好きだ。…君は僕のこと、どう思ってる?」
「別に、どうとも」
 上から覗き込む不二に、まだ負けぬ挑発的な瞳が睨み返してくる。不二はそっと指先をリョーマの頬に這わせ、次第に下へ降ろし胸に当てた。
「ここがどきどきしてる。僕の気のせいかな」
 シャツの上からリョーマの胸に当てた手は、微かだけれど早鐘のように打つ鼓動を確実に不二に伝えていた。
 自分の胸も同じくらい、いや、もっと早く強く打ってるに違いないと不二は淡く微笑む。その顔を見たリョーマは、ふいと顔を背け目を閉じた。
「…わかんない。何でこうなるのか、解らないんだ」
 困惑する子供らしいリョーマの声に、微かに不二は心を痛めた。
「僕を想って…リョーマ」
 手を再びリョーマの頬に当て、自分の方を向けさせると不二は唇を合わせた。思いの丈を込めた口付けを何度も繰り返し、リョーマの髪を撫でる。
 リョーマは腕で不二を押し返そうとしたが、いつしかシャツを握り締めるだけで、口付けを受け止めていた。
 不二は深くリョーマの口腔を辿りながら、片手で学生服を脱がしていく。シャツのボタンを外し、直に胸に触れると、リョーマは小さく反応を見せた
 突起を探り当て、指先で転がすと反応は大きくなり、リョーマは嫌がるように身を捩った。その動きを利用して、不二は器用にリョーマの衣服を剥いでいく。
 全てを取り去ったリョーマの身体を抱え上げベッドに降ろすと、不二も服を脱いでその上に重なった。
 コートの上では大きく見えるリョーマの身体は、すっぽりと不二の腕の中に収まり微かに熱を帯びている。その全身に不二は手を這わし、口付けていった。
「…ぅ…っ」
 前の時は逸るばかりで、手に入れることだけ考えていた。好きだと言って身体を奪ってしまえば、心も手に入ると傲慢にも思っていた。
 今はリョーマの反応一つ取ってもこれでいいのかと恐れている。慎重に指先で辿り、唇を滑らせてリョーマが感じる全てを知りたいと願った。
 けれど元々切れそうになっていた理性の糸は、リョーマが反応する度上げる声に、ぷつりと切れる。


 その身体に自身を埋め込みたいという強烈な欲情が起きるが、何とかそれを押し留めて、不二は手を伸ばし汗で張り付いたリョーマの額の髪を掻き上げた。
「痛くしないよ…今日は」
 ぼんやり目を開くリョーマに笑いかけ、不二はその手を取り自分自身に導いた。既にはち切れそうな程熱くなっている不二自身に、リョーマは驚いて手を離そうとする。
 それを許さず、自分の手で上から押さえ、不二は自慰するようにリョーマの手を動かした。リョーマの呆然とした顔を見詰めながら、不二は手を動かし続け、やがて熱い物を吐き出した。
「信じらんない…こんなことするか、普通」
「僕も、こんなこと出来るなんて思わなかったよ」
 不二はまだ握り締めていたリョーマの手を口元へ運び、キスをする。赤くなって手の自由を取り戻そうと引っ張るリョーマに合わせ、不二はその横に身を並べた。
「好きだよ…」
「……わかんない」
 リョーマに口付け囁いた不二は、その言葉に深く吐息を付いた。こんなに近くにいて、ここまで受け入れて、それでも解らないふりをするのか。
 それとも、本当に自分の気持ちに関わらず、ただ不二の行為に流されているだけなんてことはあるのか。
 不安が再び不二の内に起こる。抱き締めている筈なのに、その心は不二の腕を擦り抜けていくようだ。
 不二は目を閉じ、今だけはリョーマの体温と鼓動だけでもしっかり感じようと、抱き締める腕に力を込めた。

         テニプリトップへ 前ページへ