everyday -2-
 
 不二はリョーマを見ると安心したように笑みを浮かべ近付いてくる。途中道に落ちていたナイフを見て微かに口元を引き締め、不二はリョーマの側まで来た。
「いきなり居なくなるから心配したよ。何かあったの」
「別に」
「よお、青学の天才さん。ちゃんと保護しとかなきゃ駄目じゃん。危ないぜえ」
 切原のからかうような言葉に不二は鋭い視線で睨み付けた。その視線に怯むことなく、返って挑発するように切原はぺろりと唇を舐める。
「本当だね、この辺柄悪い連中が居るみたいだ」
「不二、何をしに来た」
 二人の遣り取りが激化しないうちにと真田が訊ねた。不二は漸く他の者達に気付いたように目を向ける。
「デートだよ」
「そうか。デートか…」
 ふむ、と頷いた真田は言葉の意味を把握すると驚いたように目を見開き不二を見詰めた。切原も柳も驚きに硬直している。二、三度目を瞬かせると、真田は意を決して不二に訊ねた。
「誰とだ」
「もちろん、越前と」
 にっこり笑って答える不二に、周囲に衝撃が走った。ポーカーフェイスな柳までうっかり目を開きそうである。
「……否定、しないのか」
「まあ、ね」
 恐る恐る訊ねる切原にリョーマは肯定した。げっと仰け反る切原に溜息を付き、リョーマは不二の元に歩み寄る。
「離れちゃってスミマセン」
「ううん、僕の方こそ。何か気になることでもあったの」
 謝るリョーマに不二は首を振り、顔を覗き込んで訊いた。別に、と口を濁すリョーマに片眉を上げ見るが、不二は追求せず姿勢を直した。
「二人で来たんですか」
「デートだからね。当然二人きりでしょ。まあグループ交際ってのもあるけど、君たちはそれ?」
 言い切る不二に柳は顔を引きつらせ、切原は胸を押さえる。真田は眉を顰め拳に力を込めた。
「グループ交際だとしても、五人じゃ一人余るな」
 今まで傍観していた丸井がチューインガムを膨らませながら呟く。鋭い視線で真田に睨まれ、丸井は舌を出し切原の後ろに隠れた。
「ジャッカル、先に帰ってろ」
「えっ、俺? 何で俺が」
 真田の怒りの矛先が向けられ、丸井の隣にいたジャッカルが自分を指差し戦く。丸井は素早くジャッカルの腕を取ると、脱兎のごとくその場から去っていった。
 それを呆気に取られて見ていたリョーマは、不二が無言で真田を見ていることに気付いて二人を見た。真田の眉間の皺は深くなるばかりだし、不二の笑顔は変わらずただ対峙している。
「決勝前にふざけたことを」
「僕たちは真剣だ。愛し合ってるんだから」
 糸が張りつめたような緊張感が漂い、リョーマはごくりと唾を飲み込む。真田の額に青筋が浮かび、握り締められた拳は細かく震えていた。
「ヤバイ、ヤバイっス」
「ああ。真田…世間の感覚はどうあれ、日本では恋愛は自由だから」
 宥めるように言う柳の言葉など耳に入らないのか、真田は不二の方に近付いていった。思わず不二はリョーマを庇うように前へ出て身構える。
「ならば目を離すな。愛する者に何かあったらどうするつもりだ」
「……気を付けるよ」
 切原はがくりとこけ、柳はかろうじて体勢を保ったものの、額に手を当て眉根を寄せている。リョーマは呆然と二人を見ていた。
 うむ、と強く頷く真田に汗を一筋浮かべ、不二は力無く笑った。
「あーっ、居た!」
「お、山勘当たったな」
「勘じゃない、騒ぎのある所に居るに違いないって俺が推理したんじゃんよ」
 頬を膨らませながら菊丸と嬉しそうな桃城が路地から姿を現した。逃げ出したそうな大石と、バンダナ無しの海堂がその後ろで気まずそうに佇んでいた。
 不二の眉がぴくりと上がり、僅かに開いた目が一同を睨め付けると、先頭にいた菊丸と桃城は青ざめた顔で引きつった。
「な、なんだ。やっぱデートなんて冗談だったんか」
 引きつりながら言う切原に気付いた桃城は、その後方で仁王立ちしている真田の姿に、再びぎょっとして飛び退いた。
「冗談じゃない。みんな、何故ここに居るのかな」
 菊丸にひたっと目を留め、不二は訊ねた。菊丸はびびりながらも気合いを入れるように拳を握り、不二の前に出ていく。
「た、たまたまだよ。なんか騒いでるなと思って来てみたんだ。偶然だにゃー」
 ころりと態度を変え笑顔で言う菊丸に、不二は呆れたように吐息を付いた。リョーマはどうしたもんかと不二と桃城達を交互に眺める。こうして見つかってしまった以上、纏わりつかれるのは目に見えているし、撒くにしてもここの土地勘があまりないから難しいだろう。
「ところで、ここであまり騒いでいると迷惑になるかと」
 もっともな意見に常識人の大石は頷き、菊丸と桃城に帰ろうと促した。何故立海大の面々がリョーマ達と一緒に居るのか不思議だが、他校生と問題を起こす訳にはいかない。今は決勝前の大事な時だというのに。
「何で立海大のレギュラーがここに居るんすか。まさか、デート?」
「何で俺らがデートなんだよっ。ここいらは俺たちの地元だぜ。居ても不思議じゃないだろうが」
「そうですね。それにデートだと一人余ってしまいます」
 激昂した切原の言葉と対照的な柳の丸井をパクった冷静な否定に、桃城は危うく納得しかけ、首を捻った。
「余るって誰が余りなんだ」
「柳と切原と……」
 ふと視線を感じて桃城と菊丸は切原の後方を見る。すっかり忘れていたが真田が怒りのオーラを発し、自分たちを睨んでいた。
「ねえ、喉乾いたんだけど」
 周囲のやりとりに取り残されたリョーマは疲れてしまい、不二の手をそっと突いて言った。不二は冷たい表情を崩し、にこやかな笑みを浮かべリョーマを見た。
「そうだね。こんな連中ほっといて、どこか店に入ろうか」
 手を取り歩き出そうする不二の前に、別の人間が立ち塞がる。尊大に腕を組み口端に笑みを浮かべ立っていたのは。
「こんな所で会うとは、運命って奴だな。越前リョーマ」
「何か用?」
 リョーマの前に出た不二は、目を眇め跡部を見詰めた。いつものように後ろに樺地を従えた跡部の私服姿に、リョーマは僅かに目を瞠る。自分はあまり服装に拘らない方だが、その薄紫のフリルが付いた服はどうだろう。
「こっちの方から下品な声が聞こえたんでな、見に来たらこれだ。やっぱ運命だろ」
「いつから運命論者になったんやろ」
 ぼそりと聞こえてきた関西弁に、リョーマは目を向けた。浮かない表情の忍足が、眼鏡を押し上げながら溜息を付いている。リョーマと目が合うと、気の毒そうに見返した。
「さっき人数が余りとか、どうとか言っていたが、丁度良い。この人数で入れる店がある。付いて来い」
 返事を待たず、跡部は踵を返し歩き始めた。何で付いて行くと決めつけているんだと、リョーマは唖然としていたが、後ろから桃城に肩を押され強引に歩かせられる。不二の後ろには菊丸が付いて同じように背中を押していた。
「何で」
「この場は一致団結した方が得策だってこと。この人数で喫茶店とか入れないしな」
 何もこのメンバーが揃って店に入る必要は無いんじゃないかと、リョーマはちらりと不二を見た。二人ならどこでも、何なら道ばたでファンタでも良い。そう思って問いかけるように見たリョーマは、不二の苦笑に眉を顰める。大人しく跡部に付いていくとは、何を考えているのか、良く理解できないリョーマだった。
「真田、用事があったんじゃないのか」
「もう終わった」
 なら何故一緒に来るのかと、大石は汗を浮かべ顔を強張らせた。まさか真田までと考え、大石はその考えの不吉さに首を振る。
 ぞろぞろと集団で移動する男達の姿に、休日の親子連れなどは慌てて道を空け、観光客は物珍しげに眺めていた。そんな中、更に人が混み合う中華街へやってきた跡部は一軒の店の前に立った。
 外見は大変に派手な中華料理店、というよりビルで、入り口の両脇には龍が踊っている。ここに入るのかと一同が目を瞠る中、ドアが中側へとゆっくり開いた。
「これはこれは跡部様。ようこそいらっしゃいました」
「ああ、部屋空いてるな」
「それはもう、跡部様のお部屋はいつでも使えるようになっております」
 中華料理店なのに何故か黒服執事のような初老の男性が現れ、一同を中へ導き入れる。中もきらきらと眩しい程に派手やかだったが、人の気配はあまり無かった。
「部屋って」
「跡部専用の部屋があるんやと。今日は飲茶食べ放題やって」
 呟いたリョーマの言葉に忍足が答える。ヤムチャ? とリョーマは首を傾げた。
「ほら、あれ、昔やってた漫画に出てきた、主人公の友達」
「ああ、確か敵がどんどん強くなるに反比例して弱くなってく奴な。最初は強かったのにデフレで情けなくなるって」
「それってお前らが関東大会で苦戦した相手みてーだな。俺らの出番で端役に落ちてんの」
 菊丸と桃城がリョーマの疑問にネタとして掛け合い漫才のごとく言うと、脇から切原が揶揄するように笑った。
 途端に跡部と忍足の目が鋭さを増す。切原は口端を上げたまま、二人を見返した。一触即発か、と思われた時、真田が間に入り跡部に対峙する。
「すまんな。礼儀がなってなくて」
「野良犬じゃねえんだから、ちゃんと躾とけよ」
 野良犬だと、と切原が身を乗り出すのを柳が制し、座が緊迫感で満ちる。最初に冗談でネタを振った菊丸と桃城は事の成り行きに驚きながらも、興味津々で見守っていた。
「で、ヤムチャって何?」
「来れば分かる」
 呆れたように腰に手を当て、リョーマが訊ねる。絶妙のタイミングに空気は一挙に弛緩し、跡部は苦笑いを浮かべると歩き始めた。
「はあ、もうお前たち会話禁止」
「ええー、何でだよ」
「そうっすよ、大石先輩。俺たち、場を和ませようとしただけなのに」
「それが余計な世話だってんだ」
「何だと、お前もその仏頂面なんとかして冗談の一つや二つ言ってみろっての」
 大石が頭を抱え菊丸と桃城に命令すると、二人は反論した。今までの流れに付いていけなかった海堂が文句を言い、桃城がそれに突っかかっていく。
「いつもああなのか」
「君たちの方こそ、いつもこうなの」
 唖然として真田が傍観している不二に訊ねると、逆に訊ね返され眉を顰めた。否定しない所をみると、どうやらそうらしい、とリョーマは納得する。まあ、氷帝はアレがいつものことだから。今更立海があんなでも気にしない。
 広い部屋の真ん中に大きな丸いテーブルが設えてあり、席がちゃんと人数分用意されていた。跡部と不二に挟まれる席に座ったリョーマは、目の前に置いてある白磁の小さな茶碗をしげしげと見詰めた。
「飲茶って中国式のおやつタイムみたいなもんだよ。お茶と点心で軽い食事をするんだ。朝食や昼食がわりにする人もいるけどね」
「この店の点心は本場の職人が一つずつきっちり作ってる。そこらの店とは違うぜ、なあ樺地」
 不二の説明の後、まるで自分が作ってるかのように偉そうに説明する跡部に、リョーマは素直に感心した。
 香りの高いお茶と次から次へ出てくる珍しい点心類を味わいながら、リョーマは隣で同じように楽しそうに食べている不二を見た。普段なら二人で居る所を邪魔されようものなら、本気で離脱もしくは排除しようと仕掛けるのに、今日は未だにその気配がない。
 諦めたのか、それとも何か考えがあるのか。このままでは済まない筈だ。
 じっと見詰める目に気付いた不二はにっこり笑うと、リョーマにだけ聞こえるような小声で囁いた。「せっかくだから楽しく食べようよ。たまにはみんなでこういうのも、良いよね」
 おかしい、絶対嘘だ、とリョーマは眉を顰めた。けれど不二は笑顔を崩さず、お茶のお代わりをリョーマの茶碗に注ぎ入れる。
 リョーマは疑惑を抱えながらも、美味しいお茶と点心の魅力の方に意識を向け、満足するまで食べていった。
 一時間もするとみな腹一杯になったのか、表情も軟らかく椅子の背もたれに満足そうに身を預けていた。リョーマは後もうちょいいけるかなというところで、肘を突かれ横目で隣を見る。何だろうと目で問うと、テーブルの下で手を取られ、掌に文字を指で書かれた。
「ちょっと、トイレ」
「樺地、案内してやれ」
 リョーマが席を立つと、跡部は樺地を付けさせた。暫くして樺地一人で部屋に戻ってくるのを見つけ、跡部は片眉を上げる。
「越前はどうした」
「あっ、不二が居ない!」
 いつの間にか消えている不二に、一同は樺地を見やる。樺地は項垂れぺこりと頭を下げた。
「お前が付いててここから逃げ出せる訳が……まさか」
 跡部は勢いよく立ち上がると部屋から駆けだした。

 気持ちいい風に吹かれ目を細めているリョーマの肩を不二は抱き寄せた。目の前はほの暗い海が広がり、時折波が光を反射してちらちらと光る。遠くに視線を移すと、街の煌びやかな明かりが埋め尽くしていた。
「もうすぐ始まるよ」
 ほら、と不二は暗い空を指差す。良く見れば星の一つ二つ見えるが、街の灯りを反射しているのか真っ暗とは言えない空にリョーマは目を向けた。
 あの時、トイレに入って待っていると不二がやってきた。樺地も一緒に居たのだが、不二は彼の注意を逸らすといきなり窓からリョーマの手を取り飛び出したのだ。小さな窓では樺地が追跡することも出来ず、二階の窓の外、張り出した僅かの足場を抜け裏道に降りてそのまま港まで走ってきた。
 何が何だか分からぬ内に豪華な客船に乗せられて海へ出てきたのだ。デッキには人が溢れていたが、席を予約してあったのかすんなりと一番見やすい場所へ不二はリョーマを案内し現在に至る。
「夕食代浮いたし、お腹が一杯だと頭になかなか血が回らないから咄嗟の対処が出来ないだろ。あれだけ居ればお互い牽制にもなるし、リーダー格が二人だと協力し合うのも難しい」
 くすくすと笑って不二は説明する。なるほど、そういう考えだった訳か、とリョーマは大きく溜息を付いた。まあ、飲茶は美味しかったし、今は二人なのだからいいけど。
 鮮やかな色彩が暗い空に弾ける。その後で轟音が聞こえ、リョーマは目を見開いた。周りから歓声が上がり、次々と夜空に華が咲く。
「綺麗……」
「君がね」
 うっとりと耳元に囁かれ、リョーマは首を竦めた。背筋がぞくぞくする。耳元から項に回りかけた不二の唇を制しようと藻掻いた時、リョーマは次の花火で映し出されたものにぎょっとした。
 硬直したリョーマを不審に思った不二は顔を上げ、波間を見詰める。この客船以外にも花火見物の屋形船が沢山出ていたが、一席の小型クルーザーがまっしぐらにこちらに向かっている。
 その舳先に腕組みをして立っているのは、そう、跡部だった。
「乗り移れはしないだろうけど……甘かったか」
「まだまだっスね」
 そうでもないよ、と不二は笑いリョーマに口付ける。彼方から怒声が聞こえたが、花火の音で掻き消され何を言ってるのか分からない。否、多分、解るけど。
 リョーマは吐息を付き、不二に抱き締められながら天空の華を楽しんだ。

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