海を見ていた午後


 持ってきた弁当は二時限日の休み時間に早食いしてしまったため、昼休みに激戦の中購買部から買ってきた焼きそばパンを屋上の特等席で頬張っていた炎は、突然目の前に突き出された手に動きを止めた。
 その手はピンク色の可愛い封筒を持っている。炎は口にパンをくわえたまま視線を手元から徐々に
上げてその手の持ち主を見つめた。
 「何だ…マリア…果たし状か?」
 暫く口をもごもごとさせて飲み込んだ炎は、マリアの怒ったような表情を見つめながら話しかけた。
途端にさらにマリアの眉が吊り上がり、手に持った手紙を押しつけるように炎の胸元に孝を伸ばす。
 「んな訳ないでしょ!こういうのはラブレターつて言うの」
 「ら、ラブレタあー?」
 げほげほと咳き込んだ炎は、驚いて目を見開き声をひっくり返して叫んだ。手紙と自分の顔を何度も見返して驚きの表情を浮かべている炎に、マリアは顔をわずかに赤く染めて言った。
 「ば、馬鹿っ、なに勘違いしてんのよっ、私があんたにラブレターなんか出すわけないでしょ。これは頼まれたの、カイに渡してくれって」
 「カイに?んじゃ、何で俺に渡そうとすんだよ」
 疑問は氷解したが、さらに別の疑問が起きて炎は眉を上げマリアに訊ねた。
 「二年生の教室に行くのは面倒なの。それに今日は放課後ちょっと用事があるから部室にも行けないし。どうせあんたたちまたあそこでたむろするんでしょ。私の部室を勝手に使ってるんだから、これくらいの用事こなしなさい」
 はい、とマリアは無理に炎の手に手紙を押しっけ、さっ.さと扉から入っていってしまう。呆然と渡された手紙を見ていた炎は、ひとつため息を付くとそれをポケットの中にし£った。残ったパンを食ベながら、炎はマリアが海にねえ、と首を捻りつつも二人の姿を思い浮かべてみる。そのうちに、なんだかむかむかしたものが胸にこみ上げてきて、炎は半分ほど食べかけたパンを全部口の中に入れると立ち上がって屋上から降りていった。
 次の二時間はいつもの倍に感じられ、炎はむっすりとした表情のまま寝ることも出来ずに授業を受け、放課後になるとさっそく超常現象研究会の部室へ足を向けた。
 そこにはいつから居たのか、激が買ってきたらしいお菓子をぼりぼりと食べながら雑誌を眺めている。勢いよく扉を閃ける音に驚いたように激は炎の方を見た。
 「なんじゃ、エンか。そんなに乱暴にドアを開けたら壊れるぞい」
 無言のままイスを引き寄せて座る炎の様子に、さすがの鈍い激もどこか変だと気づいたらしい。窺うような浜で炎の方に菓子を押しやる。
 「食べるか?」
 「いい」
 「腹でも壊したのか?ずいぶん機嫌が悪そうじやな」
 激に言われて炎はわずかに眉根を寄せた。機嫌が悪い?何故そう見えるのだろうか、自分は別に機嫌悪くするようなことにはあってないはずなのに、と考えた炎は、ポケットの中のラブレターを握りしめる。
 「別に…機嫌悪い訳じゃねーよ」
 ふっと笑って炎は菓子に手を伸ばした。一掴み掴んで口に放り込みばりばり食べ始める炎に、漸く激は安心したように表情を和らげ菓子の袋を自分の方に引き寄せた。
 「そんなにばりばり食うな、これはわしが持ってきたんだぞ」
 「な一に堅いこと言ってんだよ、仲間だろ?俺たち。仲間の物は俺の物」
 笑って再び手を伸ばそうとした炎は、扉の開く音にそっちの方を振り向いた。
 「あれ、早いですね、二人とも」
 「また授業をさぼって、ここで休んでいたのではあるまいな」
 翼の後ろから現れた海の姿に、炎の胸がどきりと鳴った。何で鳴るのか判らず、顔を蹙めて海をじっと睨み付けてしまう。
 「何か、言いたいことがあるのか?」
 普通なら、否定の言葉の一つや二つ、すぐに炎の口から飛び出してさらに小言が始まるところであるが、なにも言わずにただ睨んでいる様子に海は僅かに眉を潜めた。
 「……受け取れ」
 ポケットの中で握りしめていたせいで、少しよれよれになってしまったピンク色の封筒を海に乱暴に差し出す。眉を潜めたままそれをみていた海は、受け取ると裏を見返した。
 「何だ何だぁ?ラブレターか?」
 丁度その場面に現れた森が茶化すように言葉を掛ける。だが、その場に掛けられたもう一つの声のせいで場面は険悪な雰囲気に突入した。
 「確か、昼休みにマリアがエンに渡していたものだな」
 「リュウっ」
 いつの間に入っていたのか、壁に凭れて腕を組んでいた竜がぼそりと告げる。途端に激は拳を握りしめて炎に飛びかかっていった。
 「なんじゃと〜っ、ま、マリアさんからエンにラブレターとはっ!許せんっ許せんぞっエンっ!」
 「でも、受取人はカイですから、カイ宛の物なんじゃないですか」
 「こ、こらよせっ、苦しい」
 ぐいぐいと腕で炎の首を絞めていた激は、翼の冷静な言葉にはっと力を緩めると、今度は海に向かって飛びかかっていこうとした。
 「カイーっ!」
 だが、寸前で向けられた竹刀の先に、激は動きを止められた。
 「マリアからではない。…私も知らない女子からだ」
 へ?と激は振り上げた拳を下ろし、赤い顔をしてすごすごと引き下がった。代わりにしゃしゃり出てきたのは森である。
 「へ〜、誰誰?…えーっ、うそっ、かおりちゃんじゃない」
 海の手許を覗き込み、森は名前を読みとる。人宛に来た手紙を勝手に読むな、という海の小言も無視して驚きの声を上げ、後ろにのけぞった。
 「かおり…どこかで聞いたような」
 「おいおい、ミス山海の織田かおりだよ。いくらおまえでも名前と顔くらい知ってんだろ」
 呆れたように森が言うと、翼は鼻眼鏡を指先で押し上げ、暫し記憶を探っていたようだったが、やがてぽんと手を打つとにっこりと笑って言った。
 「ああ、そういえば、この前の文化祭でミスコンの投票用紙を押しっけられたんでしたっけ。興味ないって言ったら、この人に入れておけば間違いないとかいって、写真見たんです」
 織田かおりの名前は炎にも覚えがあった。あいにくクラスの催し物やらサルガッソの宇宙人の襲来やらでミスコンを見ることが出来なかったが、後で結果だけは同級生から聞いている。
 「何でそのかおりとか言う子がマリアさんに手紙を渡すのを頼むんじゃ?」
 不思議そうに訊く激に、森も首を捻りつつ答える。
 「さあね〜、自分で渡すのが怖かったんじゃない」
 「くだらん」
一言の元に言い捨て、海は手紙を破こうとする。ぎょっとして見守る一同の中、手を伸ばしてそれを炎は阻止した。
 「止めろよ。せっかく書いたのに、読みもしないで破くなんて、可哀想じゃねーか」
 「学生は恋愛、交際などより学業を優先すべきだ。こんな物を、それも人伝えに渡すなど、言語道断。本人の誠意も伺われない」
 「そんなこと…」
 ぎゅっと海を止めている手に力を込め、炎は首を振る。こんな時には真っ先に茶化す役所になるような炎の真剣な表情に、中に居る一同は固唾を飲んで見守っていた。
 「せめて読むだけでもしてやれば?そんで断りの返事書くとかさ。断られ方なら俺、得意だしレクチャーできるかもよ」
 緊張した空気を和らげるように森が歩みでで炎の手の上から自分の手も被せる。二人の行動に、溜息を付き、海は手を下ろして二人の手を外させ手紙を懐にしまった。
 「仕方ない、読むだけは読もう。しかし、返事は決まっている」
 「もったいないよなぁ、かおりちゃんなんて全校生徒の憧れの子なのにさあ」
 やれやれと肩を竦める森に、海は眉を顰めソファに腰を下ろした。暫く気まずい沈黙が流れたが、それを打開するように翼が前回の敵の特徴と攻撃パターンをレポートし始める。以前はばらばらな攻撃方法で地球を攻めてきたサルガッソの宇宙人は、最近統制のとれた動きをしてくるようになったのだ。
 それにつれて、こちらの被害も段々大きくなってきている。今一歩で破れそうになったことも数を重ねると、今までのように行き当たりばったりで戦っていく訳にもいかない。
 などということを翼のレポートが終わった後、真剣な表情で海は炎の方を見ながら言った。
 「なんか、俺に言ってるみたいに見えんのは、気のせいか?」
 「おまえに言っているのだ」
 「あっやっぱり、…って何で俺に言うんだよっ」
 ソファにふんぞり返っている海に食ってかかった炎は、びしりと竹刀を突きつけられて僅かに身を引いた。
 「何の考えもなく敵に向かっていくな、ということだ。心当たりがあるだろう」
 そりゃまあ…と炎は口の中でごにょごにょと呟く。
 「最近のおまえは特にそうだ。ジャンボといい、ストラトスといい、粗末に扱いすぎる」
 この前アーク星人に地球を氷付けされかけたとき、最後の最後でファイヤージャンボを特攻させそれを阻止した。あの時はあれ以外に方法を考えることが出来なかったけれど、失ったものの重さは単に自分の乗り物がなくなったというだけの感覚ではない。
 「カイ、言い過ぎですよ」
 「確かに、あの時はあれ以外に方法がなかったのかもしれん。だが、その後のストラトスの扱いを見ても、おまえの浅慮さが現れている」
 次々に掛けられる海の言葉に、炎はただ黙ってそれを聞いていた。翼は心配そうに炎を見つめ、海を止めようとする。けれど海の小言は止まらない。
 普通ならこんなに大人しく聞いている炎ではないのに黙ったままなのを、反省しているのだと考えて、海はこの時とばかりに言葉を重ねていった。
 「今はまだいい。だが、この先もっと手強い相手が現れ、おまえが戦えないなどという状況に陥ったら地球はどうなるのだ。何度も偶然が味方をしてくれるとは限らん。少しは物を考えて行動することだ」
 海の口が漸く閉じ、沈黙が落ちる。さすがにここまで言ってしまうと、炎の反論もなにもないことがおかしいと感じ、海はじっと見つめた。
 「だが、炎のとった行動で地球は救われ、炎は大事な物を失った。それだけで充分じゃないのか」
 今まで無言で様子を窺っていた竜がぼそりと呟くように言う。
 「リュウ?」
 「わーったよ。確かに俺は短気で単純で、何にでも突っ込んでく馬鹿だもんな。馬鹿は死ななきゃなおらない〜って言うし、そのうち海の言ってることも出来るようになるかもな」
 にへら、と笑って炎はポケットに手を突っ込み、くるりと海に背を向けてしまう。拒絶しているような炎の背に、海は掛ける言葉が見つからず、以上で解散、とだけ告げて部室から出ていった。
 「っとにあいつは頭が固いよな。ま、この前はさ、おまえまであいつに突っ込んでいっちまったのかって一瞬ひやっとしたから…心配してんだろ」
 「そ、そうですよ」
 「だーいじょうぶっ。ヒーローは必ず勝つ。死んだりしねーよ」
 取りなすように言う森と翼の言葉に、振り返った炎はにっこり笑ってそう言い、部室を出ていった。ほっとしたように笑みを浮かべ後に続いて出ていく森と翼の後ろで、竜だけは僅かに眉を潜めて炎の笑顔を見つめていた。
 あれから数日、サルガッソの宇宙人も現れず平和な日常が過ぎていく。普通ならそんな日常をのんびりと高校生して過ごしていくダグオン達だったのだが、炎と海だけは僅かに違っていた。
 毎日、炎の遅刻早退脱走その他を追っかけ回して取り締まっていた海だったのに、あの時からそれがぴたりとなくなったのだ。単に自分が見つけられないだけかと他の風紀委員に聞いてみても、そういえばこのところ悪さをしてないですねという返事が返ってくる。
 もしや、やっと更正したのかと喜んでいた海だったが、一週間もすると生徒指導室の机でぼんやり炎のことを考えている自分に気付きはっとする。
 「何を考えているのだ、私は。エンが更正したのは喜ばしいことなのに、物足りないなどと思うなど…」
 ふるふると首を振ってその考えを追い出し、竹刀を手にして校内の巡回へと向かう。以前はかなり不良どもが幅を利かせていたのだが、炎の問題児ぶりに圧倒されたのか、それとも喧嘩等で負けてばかりいるからか、最近は大人しい。そのせいもあって海はますます炎にかまっていたのだが。
 かさりという音に海はふと立ち止まり胸ポケットを探った。中から出てきたのはまだ未開封のピンク色の封筒だった。
 「…困ったものだ」
 実は海はその容姿もあってか、中学高校を通じてこの事の手紙、告白を受けたことは星の数ほどもある。たいていは容姿だけに惹かれて告白してくるので、海に一喝されると驚いて去っていく。
 この手紙の差出人も多分そのたぐいの人間だろう。風紀委員長になってからは、すべて読まずに破り捨ててきた。学生はまず勉学に励むべきだというのが持論であるからだ。
 だが、炎にああまで言われたからには読まなければならないだろう。人のことを無視した都合のいい風に自分のことを解釈してくるこの手の手紙は大嫌いなのだが仕方がない。
 海は周りに人の気配がないことを確かめて封を破った。

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