パスカルの群−gamu2-1

  いつものようにいつもの時間、我夢は欠伸を堪えながらコマンドルームへ入っていった。途端に敦子と目が合って、慌てて涙目になった顔を隠すように俯いて席に着くとパソコンを開いた。
「随分眠そうね。また何か研究でもしてたの」
「え、あ、うん」
 歯切れの悪い我夢の応えに、敦子の眉がぴくりと上がる。もっと深く問いただそうとした敦子だったが、後から入ってきた石室の姿を見て慌ててモニターに向き直った。
「…最近我夢ナンカ変だよネ」
 小さい声でジョジーが敦子に身を近付け囁いた。敦子も小さく頷いて、ちらりと我夢の方を見る。目が赤かったり、眠そうだったりは研究や調査が押すといつも徹夜になるとかで毎度のことだったが、今回は輪を掛けて憔悴しきっているように見えた。
 敦子達の心配そうな視線を心の中で謝りながら無視して我夢は、昨夜ドイツで採取してきた文字と資料の分析を進めていった。
 ドイツの藤宮の屋敷で一夜を過ごした後、元のルーン文字が円形に書かれていた場所へ戻り、付近を調べてみた。あの時精神寄生体に乗っ取られていた人々の姿は見えず、寒々とした風が吹いているだけの空間に我夢はぼんやりと立ち尽くしていたが、藤宮に促されエリアルベースについさっき戻ってきたのだ。
 当然寝不足で、ものすごく疲れている。油断すると頭がモニターにくっつきそうだ。我夢は頭を自分で叩き、目を覚ますためにコーヒーでも飲もうかと立ち上がった。
「我夢、ラウンジで少し休んでこい」
 タイミング良く石室が声を掛ける。驚いたように振り返る我夢に、石室はいいから行けと顎をしゃくった。
「そんな覇気のない顔でここにいられても気になるだけだ。少し休んで目を覚ませ」
「はい」
 我夢は頷くとコマンドルームから出た。
 石室の気遣いがありがたい。本当は部屋に戻って一眠りしたいところだけど、そんな訳にはいかないだろう。無断出動を咎められないだけマシだ。
 ラウンジへ行くと、普段ならミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲むところだが、我夢はブラックのままカップを持ち、窓際の席へ座った。
 熱くて苦いコーヒーに顔を蹙めて舌を出す。我慢我慢と、もう一口飲もうとした我夢の目の前に砂糖とミルクのパックが降ってきた。
 小山のようになったそれに目を見張り、恐る恐るその目を横上に向ける。眉を顰め、腰に手を当てて見下ろす梶尾に、我夢は引きつった笑顔を向けた。
「ブラックとは珍しいな」
「梶尾さん」
「疲れてる時は甘いもんの方がいいぞ。何だその隈は」
 梶尾に顎を取られ、我夢は慌てて立ち上がった。顔を近付ける梶尾に、我夢は顎を取っている手を退けようと手を掛ける。
「痛いです、梶尾さん」
「酷い顔色だな」
 やっと手を離され、我夢は勢い余って椅子にどすんと腰を下ろした。顎をさすりながら、我夢は再びコーヒーを飲もうとする。そのカップを取って梶尾は砂糖とミルクを溢れそうになるくらい入れ、スプーンで掻き回した。
「あ、あーっ」
「ほら」
 乱暴に置かれたカップからコーヒーが飛び散り、テーブルを汚す。情けない悲鳴を上げて我夢は仰け反り、その被害から逃れた。
「せっかく眠気覚ましに飲もうとブラックにしたのに」
「馬鹿、頭の働きには糖分が必要なんだ。ミルクや砂糖入れたってカフェインの量が変わる訳じゃないだろうが」
 そういえばそうだと、我夢は素人に反論され悔しく思いながらも素直にカップに口を付けた。丁度温くなって飲み頃になったそれを一口ずつ飲んでいく。
「ところで、お前最近一人で飛ぶ事が多いらしいな」
 梶尾は我夢の隣に座り、低い声で訊いた。ぎくりと身を竦めた我夢は、一旦は白を切ろうとしたが、出動ではなく飛ぶと言った梶尾に、誤魔化しは効かないだろうと頷いた。
「理由は…俺達には話せないのか」
「……すみません」
 調査だの何だのと言い訳は出来るだろうけれど、梶尾にそれはしたくなかった。先日も、顔つきが鋭くなっただの何か言うことはないのかだの心配させて申し訳ないと思いながらも、我夢はこの心の重みを梶尾にも、誰にも打ち明けることが出来ない。
 石室は知っているが、同じ力を持っている訳ではないから、本当の意味で唯一受け止めてくれるのは藤宮だけだ。
 でも、藤宮とは連絡先も聞かないままあれきり別れてしまった。心のどこかで繋がっているような感じだから、ほんとに危ないときにはアドバイスもしてくれるし、助けに来てくれるけど、甘えさせてはくれない。
 自分の心の闇には、自分自身で対峙する以外にないのだ。  声無く溜息を付く我夢を、梶尾は苦い思いで見つめていた。梶尾の視線を感じて我夢は顔を上げ、微かに笑みを浮かべた。
「大丈夫です。心配掛けてすみません」
「我夢」
 きっぱり言う我夢に、梶尾は腕を組み背もたれに身体を預けて目を閉じた。こうなったら何をどうしようと我夢が話すことはないだろう。
「頑固だな、お前」
「梶尾さん程じゃないです」
「なんだと、こら」
 拳を握り、殴る真似をする梶尾を避けて、我夢は立ち上がった。途端に警報が鳴り、梶尾も表情を変えて立ち上がる。
 我夢は久しぶりに堤と共にピースキャリーに乗り込み、ワームホールが開いた場所へ向かった。そこから現れたのは破滅招来体の怪獣だったのだが、我夢の分析では地球の生き物であるとの結果が出た。
 最初のうちは訳も分からず、破滅招来体が寄越したワームホールからの怪獣であろうと、地中から現れた地球怪獣だろうと倒してきた我夢だったが、今ではできれば地球の怪獣は殺したくないと思っている。
 同じ地球の生き物を、何の権利があって自分は殺せるだろう。だが攻撃許可を出す堤に、待ってくれと言いかけた我夢は現実に破壊されていく街を見て、口を閉じるしかなかった。
「青いウルトラマン!」
 みんなの驚きの声に我夢は、はっと前方に目を向けた。梶尾達の攻撃を受け止め、怪獣を庇ったアグルは今度は怪獣の攻撃を反撃もせずにただひたすら受け止めている。
 避けようともせず炎を受け、がっくりと膝を突いたアグルの姿に、我夢は目を背けてしまった。怪獣を倒したくない気持ちは解るけれど、追い返そうともせずやられっぱなしなのは何故なのか。
 アグルの姿が消え怪獣も逃げた後、我夢は調査と称してピースキャリーから地上に降り立った。アグルが消えた場所へ行って倒れている藤宮を見つけた我夢は、慌てて駆け寄った。
「藤宮っ」
 上半身を抱え上げると、意識を失った藤宮の頭が後ろへがくりと仰け反る。我夢はその頭を自分の胸に抱え、シグナビで救急車を呼び出した。
「何故、攻撃を避けなかったんだ」
「…イザク…」
 微かに聞こえた声に、我夢は藤宮の顔を覗き込んだ。苦悶の表情を浮かべ、藤宮は苦しげな息を吐いている。そのうちに救急車が到着し、我夢は藤宮をそれに託すとジオベースに向かった。
 調査の結果あの怪獣は、元は銀の目のイザクと呼ばれたアルテスタイガーの最後の一頭の遺伝子からもう一度クローンを作り出そうと岩倉財団の研究施設で生まれたものだということが解った。
 その結果を聞いた我夢は、藤宮の呟きを思い出し、知っていたから昨夜は攻撃を受け止めるだけだったのかと拳を握り締めた。
 病室へ入ると、昨夜の青ざめた顔色が少し快復している藤宮の寝顔が我夢の目に飛び込んでくる。ほっとしながら我夢はベッドの脇に腰を下ろして、藤宮の顔をじっと眺めた。
 もし、イザクに藤宮を殺されたら、それでも自分は倒すことを躊躇うだろうか。イザクの仲間であるアルテスタイガーを絶滅させた償いに、彼の怒りと憎悪を受け止めるべきだろうか。
 以前梶尾に、同じ様な問いを投げかけたことを我夢は思い返した。ただ、地中から出てきただけで人間の迷惑になるからと怪獣を殺していいものかと。
 その時梶尾の答えに納得した筈なのに、今また考えてしまう自分が優柔不断なようで、我夢は自己嫌悪に陥った。
「どうしたらいい」
 ぽつりと我夢は眠っている藤宮に呟いた。それに応えるように藤宮の瞼がぴくりと動き、開かれる。今の泣き言を聞かれていたかと我夢は狼狽えたが、藤宮は今自分がどんな状況に居るのか把握するように、ゆっくりと周囲を見回した。
「我夢」
「良かった、気分はどう? 先生の話じゃ軽い火傷と疲労だって」
「奴は?」
「逃げたよ。…君はあいつがイザクだって知ってたんだね。だから彼の怒りと憎悪を受け止めるためにわざと攻撃を避けなかったんだろ」
 我夢の言葉に藤宮は一つ息を吐き、ゆっくり頷いた。
「ああそうだ。だが、俺は思い上がっていた」
「え?」
 藤宮は半身を起こすと、自分自身に聞かせるように話し出した。
「戦っている時に奴の声が聞こえた。…生きたいと、それだけなんだ、奴が考えているのは」
 藤宮の言葉に、我夢は針を刺されたように心が痛んだ。死にたくない、生きたいというのは、生物である以上最優先の欲求だろう。それを自分に絶つ権利があるだろうか。
 顔を強張らせ俯く我夢に目を向けた藤宮は、ベッドから降りると外へ出ようと促した。屋上へ出ると既に日が落ちようとしている。アルテスタイガーの習性として夜行性だから、多分また今夜イザクは現れて街を人々の生活を壊していくだろう。
「イザクは自分が最後の一頭だと何故解る? 奴は今も森の中でハンター達と戦っているんだ。生きるために。決して仲間の復讐だとか人間への憎悪で暴れてる訳じゃない」
 復讐や憎悪なら昇華できる。だが、生きたい、死にたくないという思いを受け止めることができると思うのは思い上がりだと、藤宮は自嘲ぎみに呟いた。
「次に奴が現れた時は、全力で戦え。でなければ死ぬのはお前だ」
 きっぱりと言う藤宮に、我夢は顔を俯けた。今まで地球のため、人々のためと夢中で戦ってきた時には、生きたいと願うものの命を絶つことに鈍感になっていた。というより、目をつぶっていたという方が当たっているかもしれない。
 今、それを目の前に突き付けられて、我夢は頭が混乱している。自分の影に言われたように、殺すことに対しての嫌悪も憎悪もない闇の部分が、むくむくと湧き起こって全てを覆っていく恐怖に囚われ、足下が崩れそうな感覚に我夢は目を閉じた。
 それを引き戻すように強く抱き締められ、我夢は驚いて目を開いた。
「我夢」
「…僕は戦う。それしかない、から」
 暖かい腕が唯一自分を引き上げてくれる。言葉での慰めよりもっと強くて確かな藤宮の身体に、我夢は腕を回し抱き締め返した。
 藤宮は僅かに顔を離し、我夢の顎を持ち上げると顔を近付けた。藤宮の口付けを受け、我夢の身体が熱く火照り出す。二度、三度口付けられてぼうっとしていた我夢は、シグナビのコールに我に返って藤宮から離れた。

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