パスカルの群−fujimiya-


 空気が湿り気を帯びて身体に纏わり付く。それが気温はまださほど高くなってはいないのに、体感温度を押し上げているようで不快感が高まった。
今年は地球のあちこちで異常気象、火山の噴火、大地震などの現象が例年より多く現れている。破滅将来体騒ぎのせいでさほど注目されてないものの、明らかに地球が弱っている証拠だ。
 藤宮はじりじり照りつける太陽を見上げ、不愉快そうに眉を顰めた。玲子から連絡があってここまで来たものの、中にはいるのを躊躇して藤宮は暫く店先を眺めていた。
 目立たないからという理由なのだろうが、場末のラーメン屋ではかえって藤宮の姿は悪目立ちしてしまう。ここに一応人気キャスターである玲子が来れば、もっと変に目立ってしまうのではないだろうか。
 藤宮はそう思ったが、中に玲子が居るかもしれないと扉を開けて入った。このような店は情報としては知ってるが入ったことはない。付けっぱなしの古いテレビ、積まれた漫画雑誌と新聞。黄ばんだメニューにはラーメンの他にカレーなども書かれている。
 藤宮はいらっしゃいという店員の投げやりな声に踵を返すことも出来ず、カウンターに腰を下ろした。玲子が来るまでの辛抱だと、ラーメンを注文する。出てきたものに一応箸を付けたが、受け付けられないその匂いに、やはり外で待とうと藤宮は代金を置くと席を立った。
 その時、ぐらりと視界が揺れ、耳に自分の名を呼ぶ鮮明な声が飛び込んでくる。どこから話しかけているのかと藤宮は素早く辺りを見回し、テレビに目を留めた。
「アグル…貴方の大事な方は今どこにいるのでしょうね」
 テレビに映ったニュースキャスターの顔が悲痛な表情の玲子に変わる。驚いて見ていると、次にそれは再びキャスターの顔に変わり、ついで得体の知れない化け物のような顔に変わった。
「お前は、誰だ」
「おやおや、随分冷静ですね。貴方の恋人がどこにいるか心配ではないのですか。では、こちらではどうでしょう」
 藤宮は次の瞬間変わった姿にはっとしてテレビに詰め寄った。化け物の顔は苦しんでいる我夢の姿を取り、手を藤宮に向けて伸ばしている。
「…助けて…ふじみや…」
「ふざけるな! こんなまやかしに乗るとでも思っているのか」
 拳で強くテレビの上を叩くと、画面は揺れ砂嵐になってしまった。藤宮はもう一度テレビを叩き、店から飛び出して玲子のマンションへ走り出した。
 一度来たことのあるマンションの扉の鍵はかかっていず、藤宮は乱暴に扉を開けて部屋へ入っていく。玲子の名前を呼びながら寝室に入った藤宮は、そこが異空間へ繋がっていることに気付いたが、既に遅く扉は閉まり外界への出口は見えなくなってしまった。
 そこは岩ばかりの山という感じの場所で、空は一面に星が瞬いている。まるで小惑星の一つに立ったような空間を、暫く藤宮は探るように見た。
 ぐるっと見回した時目の端に映った見覚えのある姿に、藤宮は走り寄り抱き起こした。
「玲子!」
「……藤宮…くん?」
 玲子は目を開き、藤宮に縋り付く。何か危害を加えられていないかと、藤宮は玲子を離し見つめた。
「大丈夫か」
「ええ、びっくりしたけど、大丈夫。それに、私解ったの…何故破滅将来体が現れたのか」
「何だって」
 玲子は鮮やかに笑みを浮かべて藤宮の目を覗き込んだ。
「貴方の言うとおり、地球は人間によって汚され、疲弊しきっている。美しい地球を人間というガン細胞が蝕んで、もう死にかけてるんだわ…ほら、あの人みたいに」
 玲子が示した場所には、天使のような美しい女性が宙に横たわって浮かんでいた。その女性は安らかな表情をしていたが、次第に苦悶を浮かべ胸を掻きむしり、やがて身体が黒く浸食され骨になって消えてしまった。
「あんな風にならないように、破滅将来体と呼ばれている彼らは地球を救おうとしてくれているの。それがやっと私も解ったの。藤宮くんの言った通りよ、人間は滅ぶべきなんだわ」
 藤宮は玲子を突き放し、冷ややかに睨み付けた。
「お前は誰だ」
「私は私よ。貴方のたった一人の理解者なのに、何故認めてくれないの」
 悲しそうに見る玲子に、藤宮は指を突き付けた。
「違う。お前は俺を理解してはいない」
 玲子は艶然と微笑んだ。その姿がぶれ、やがて違う人間の形になっていく。
「せっかくお前達を新しい人類の祖、アダムとイブにしてやろうと思ったのに。なら、こちらの方がお前の本当の理解者だと言うのか」
 それは我夢の姿を取り、藤宮に真剣な表情で語りかける。藤宮は僅かに狼狽え、拳を握りしめた。
「藤宮、僕らは地球の意志でウルトラマンになったんだ。地球は今救いを求めている。僕は間違っていたんだ。最初に君が言ったことが本当で僕がやらなきゃならないことは、君を手伝って人間を消去すること」
「違う! それは…違う」
「君は正しかった。宇宙が人間というウィルスに犯される前に、僕らが力を合わせてこの星を浄化しよう」
 我夢は笑顔を浮かべて藤宮に手を差し伸べた。その姿は、最初にウルトラマンとして出会ったあの海岸の時のものになっている。あの時、藤宮の言葉を真っ向から否定した我夢は、唇を噛み締め強い視線で見つめていた。揺るぎない光に満ちた我夢の拒否に、藤宮は自分では知らず傷ついていた。
 あの瞳は今ここに無い。この笑顔は違うものだ。
「あそこからまた始めよう。僕は君と一緒に行くよ」
 ずっと聞きたかった言葉に、藤宮は目を閉じ、強く唇を噛み締めた。我夢は顔を伏せてしまった藤宮に、ゆっくり近付いていく。
「触るな!」
 藤宮は我夢の手が触れる間近まで来ると、叫んだ。その声に押しとどめられたように我夢は足を止める。
「どうして? 僕たちはただ二人きりの存在だ。それでも僕を否定するの。僕は君が好きだ…好きだよ、藤宮。愛してる…」
 カッと目を開き、藤宮はアグルの力を使って我夢を弾き飛ばした。悲鳴を上げ地面に転がる我夢に、冷たく燃える青い炎を纏い、藤宮は更に攻撃を加えた。
「な、何故」
「お前は我夢を汚した。我夢がそんなことを言うわけがない。たとえ同じ姿をしていても、俺はお前を消すことを躊躇わない」
 藤宮は言葉通りにアグルの力を自分の拳に乗せ、我夢を粉々に打ち砕いた。我夢の姿をしたものは砂のような細かい粒子となって宙に消えていく。
 息を荒げ宙を睨んでいた藤宮は、側から聞こえる微かな呻き声に視線を移した。
「ここ…どこ。藤宮くん?」
 頭を振りながら半身を起こした玲子は、周りを見回し驚いたように藤宮を見つめた。藤宮は一瞬躊躇ったが手を貸して立ち上がらせる。
「何でこんなとこに…私、確か部屋で…」
 記憶を呼び戻そうと額に手を当て考え込む玲子を見て、今度は本物かと藤宮は軽く吐息を付いた。突然宙の一部がスクリーンのようになり、そこに攻撃を受けているエリアルベースが映し出された。その猛烈な攻撃の様子に、二人は目を見開いて凝視する。
「しかたありません。せっかくチャンスを与えたのに、棒に振るとは。そこで見ていなさい、人間が滅ぶ様を。人間は進化しすぎたのです。このままでは宇宙は滅ぼされてしまう、私たちは滅ぼされたくない」
「お前が…宇宙の全てだというのか」
「勝手な言い分ね。もしあなたが宇宙の全てだとしたら、人間もあなたの一部でしょう。同じ命を持って同じ命で生きている」
 始め訳が分からないで戸惑っていた玲子は、蕩々と述べる破滅将来体の手先に向けて言った。くるりと振り返り、玲子は真剣な眼差しで藤宮を見つめ、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいく。
「私はあなたが好き。苦しみながら私や多くの人を救ってくれたあなたの優しさが好き。それはどんな人の心の中にもある優しさ。それがある限り人間も宇宙も、きっと救うことができるわ」
 そっと抱きついてくる玲子に腕を回しながら、藤宮は同じような事を我夢に言われたのを思い出した。自分がアグルの光を求めて手を伸ばした時、そこに我夢の笑顔と言葉があった。
「優しさと、戦う誇り…」
「藤宮くん」
 破滅将来体の手先は微かに顔を蹙めると、二人を嘲り笑い消え去った。スクリーンにはぼろぼろになったエリアルベースが最後の力でここに突っ込んでくる様子が映されている。藤宮は玲子を抱き締めるとアグルとなってその場から逃れた。
 地上に戻った藤宮は変身を解くと空を見上げた。エリアルベースはあのまま突っ込んで自爆したのだろうか。我夢はどうなったのか。
「局に連絡して聞いてみるから、待ってて」
 ずっと空を見上げ続けている藤宮に玲子はそう言うと、近くの公衆電話に駆けていった。意識を集中させて我夢の気配を探ると、微かに地上に光を感じる。藤宮はほっとして玲子の方へ歩き出した。
「やっぱりエリアルベースは墜ちたそうよ。でも全員退去して無事だったみたい。ジオベースに本拠地を移したって」
 電話をかけ終わった玲子に藤宮は頷いた。自分たちが取り込まれた怪獣はエリアルベースと一緒に墜ちたようだが、あの手先はまだ生き残っているだろう。次はどんな手で来るだろうか。
「またあいつは何か仕掛けてくるだろう。俺と一緒にいると危険だ」
「もうすっかり巻き込まれてるわ。貴方と出会った時からね、だから気にしないで。私は好きで貴方の側に居るの」
 藤宮は玲子の言葉に表情を曇らせて視線を外した。さっきの告白は本気だろう。人の窺知には疎い藤宮にも、今までの出来事やあれだけはっきりした告白なら解ってしまう。
 藤宮が無言で視線を外したことに、玲子は軽く溜息を付いてその腕を取った。驚いて見る藤宮に笑いかけ、玲子は取り敢えず食事に行こうと誘った。
「腹が減っては戦は出来ないって言うし」
「ラーメン以外なら」
「藤宮くんとラーメン? 似合わないなあ」
 くすくすと笑う玲子の目尻にうっすらと透明な滴が浮かんでいるのを、藤宮は罪悪感を抱きながら見なかったことにして歩き始めた。

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