温泉へ行こう!−3−


 「どこ行ってたんだよ、食事の時間だって」
「ごめん、ちょっと川まで行って来たんだ。ご飯?どこどこ?」
 マコトの言葉に我夢は片手を顔の前に持ってきて謝ると、部屋の中を見回した。だが、テーブルの上には何も乗っていない。あれ?という顔の我夢に、苦笑してマコトは母屋の方を指さした。
「本館で食べるんだってさ。ナカジとサトウはもう行ってるから、早く行こう」
「お風呂、どうだった?」
「サイテー…」
 うん、と頷いた我夢は小声で訊ねた。同じく小声でマコトがぼそりと応える。我夢は、引きつるように笑うと慌てて母屋の方に向かった。
 夕食は広間が連なる食事場でとるらしく、襖で仕切られた入り口にサトウ様と書かれてある。そこから入ろうとした梶尾は、隣に書かれているハーキュリーズ様という文字を見て、ひくりと顔を引きつらせた。
「遅いぞ我夢、先喰っちまおうかと思った」
「ごめん。わあ、凄い美味そう!」
 サトウとナカジにぺこりと謝ると、我夢は空いている席に座った。当然のように梶尾は我夢の隣に座り、後から入ってきたマコトの渋面ににやりと笑って見せる。
「ま、とにかく、乾杯しよーぜ。俺達と地球の未来のために」
「おおー」
 コップに並々とビールが注がれ、みんなで杯を合わせた。いける口のサトウは一気に飲み干すと、ビールを注いで再び空にする。マコトとナカジは普通に飲み、我夢はちょっと口を付けただけで苦そうな顔をすると、さっさと食事に手を付けた。
「梶尾さん、もっと飲めますよね。どんどん飲んでください、僕の分まで」
 美味しそうな料理に手を付けながらも我夢は調子よく梶尾のコップが空になる度にビールを注ぐ。ビール程度なら何杯飲もうと酔っぱらったことのない梶尾は、料理を摘みながら我夢のお酌に気分良く飲んでいた。
 我夢の前だけ料理が倍のスピードで消化されていく。よくこんなに食えるもんだと感心していた梶尾の耳に、うおーという雄叫びのようなものが聞こえ、思わず口に含んだビールを吹いてしまうところだった。
「な、何だ?」
 どすんという音と共に襖が振動し、歓声が高まっていく。ぎょっとして後ろを見ていた一同の前に、その襖がからりと開いて済まなさそうな顔が現れた。
「お騒がせしてすみません」
「大河原…お前らいったい何やってんだよ」
 咎める梶尾の言葉に、しゅんとしっぽを丸めた犬のような表情で大河原は肩を竦めた。だが、その姿は後ろに引っ張られるように消え、次にひょっこり顔を出したのは真っ赤な顔をした志摩だった。
「何だ梶尾ちゃん、こんなとこにいたのか。そんなしんみり飲んでないで、こっち合流しない?チューインガムも」
「遠慮しときます。俺達は彼らと…」
「いいからいいから、ささ、君たちも一緒に。アトラクションも充実してるんだよお、こっちは」
 ばっと襖を大きく開き、志摩は梶尾ではなく我夢を抱え上げると隣の大広間へ運んでいった。うわわ〜と叫ぶ我夢に、梶尾も慌てて隣に行く。
「見かけに寄らず、知能犯だな…」
「どうする?」
「……行くっきゃないでしょ」
 マコトが感心したような呆れたような口調で我夢を拉致していった志摩への感想を呟くと、サトウとナカジも顔を見合わせ溜息を付いて梶尾と我夢の膳と自分たちのそれを持って隣に向かった。確かに、我夢を連れていかれては、みんなで行くしかない。
 隣の大広間はまさにどんちゃん騒ぎの真っ最中だった。一升瓶は転がってるし、座布団は散乱している。既に酔いつぶれているものも居て、我夢はその真ん中にすとんと降ろされた。
「く、桑原さん…あの…」
「はい、これ持って」
 ぽんと渡されたのはビールを注ぐ普通のコップだった。それに桑原は酒のなみなみ入った一升瓶の蓋を開け、とくとくとくと注いでいく。表面張力ぎりぎりまで注がれた酒と桑原を交互に見た我夢は、にっこり笑って飲むよう促され、覚悟を決めてそれに口を付けた。
 元来酒のあまり飲めない我夢は、かーっと熱くなる喉に、げほげほと咳き込んでしまう。涙目で上目遣いに桑原を見ると、苦笑を浮かべて見ていた。
「僕お酒はあんまり…」
「甘いこと言うんじゃないの、ほらほら飲んだ」
 桑原から一升瓶を奪うと、志摩はちょっとだけ減った我夢のコップに再びなみなみ酒を注ぐ。これを飲まなければ無理矢理飲ませるぞ、というような雰囲気に我夢は青ざめた。
「寄越せ!」
 横から手が伸び、我夢の手からコップをひったくると、梶尾はそれをごくごくと飲み干した。ぷはっ、と拳で口を拭い、ぎろりと志摩を睨め付ける。
「飲めない奴に無理に勧めるのは感心しないな。それがハーキュリーズのやり方か」
「おお、言ってくれるね、梶尾ちゃん。じゃあライトニングの力を見せてもらおうか」
 梶尾の言葉にむっときて、志摩は空になったコップに酒を注ぐ。いつの間にか志摩の手にもコップが握り締められ、二人は競うように酒を飲み始めた。
「だ、大丈夫なんですか…」
「どっちか潰れたら終わりだから、大丈夫だろ。それより、何か飲むか?」
 おろおろと二人の様子を心配そうに見ている我夢に、のんびり桑原が応える。吉田は技術の人間とマイペースで楽しく飲んでいるようだった。
「おい、桑原、あれやってみせろ」
「え、またですか。判りました」
 吉田のかけ声に、桑原が立ち上がると、周りから待ってましたの声が掛かる。一体何事が起きるのかと、我夢やマコト達は前方にしつらえられた舞台に目を向けた。
 桑原ともう一人、体格の良い隊員が舞台に立ち身構えた。その構えに我夢ははっとする。それはまるでガイアとアグルのようで…
「桑原孝信、ガイアの型真似いきます!」
 大声で宣言すると、桑原はガイアの戦いをそっくりに再現し始めた。相手は怪獣役なのか、それともアグル役なのか、慣れたように桑原のチョップやキックを受け止めている。
 どしーんと言う音が響き、びくりと我夢は肩を竦めた。さっきの音もこれだったのかと納得して舞台を見つめる。自分はこんな風に戦っているのだろうか。ガイアが桑原だったなら、もっと強く滑らかに動いて戦えるのではないか。
「どうした?我夢」
 ぎゅっと拳を握り締めていた我夢は、肩を叩かれてはっと振り返った。と、間近に寄せられた顔にぎくりとして身を引いてしまう。息が酒臭い。
「か、梶尾さん…顔、真っ赤…大丈夫ですか」
 口調はそれほどでもないが、顔は真っ赤だし、目はとろんとしている。何より肩に掛けられた手がものすごく熱い。
「あ?ぜんっぜんへーきへーき…あんな…くらい、へでもない…」
 口調が変わってないかと思ったが、かなり怪しい。ちらりと後ろを見ると、志摩は大の字になって鼾を掻いていた。
「リーダー、次はライトニングの番です」
 北田の言葉にいつそんな順番決まったんだと突っ込みそうになった我夢だったが、おおそうかと素直に返事をする梶尾に驚いて見つめた。
 ふらりと立ち上がり、舞台の上に立つ。そこにはマイクがいつの間にか設置されていて、梶尾はそれを手に取った。
「二番、ライトニング梶尾克美、歌います!」
 ぴゅーぴゅーと口笛と歓声が飛ぶ。両隣に北田と大河原を従えた梶尾は、もしかしなくても酔っているのだろう。
 突然大音響のカラオケに合わせて梶尾は踊るように身体を揺らしながら歌い始めた。世情に疎い我夢は聞いたことがなかったが、今世間で流行っている歌らしい。梶尾だってテレビとか見なそうだし、歌番組など聞く感じでもないのに、どうして振り付きで歌えるのだろう。
 感心しながら見ていた我夢は、歌と動きが微妙に合ってないのに気付いて首を傾げた。同じようにマイクを持ち合わせるように歌っていた北田と大河原がちらりちらりと梶尾の方を伺っている。
「もしかして…」
 あれは踊っているんではなく、単に酔っぱらって身体を真っ直ぐ立たせてられないなんてこと、まさか梶尾に限ってないよな…と我夢は焦って首を振った。
 突然聞こえたばたーんという大きな音に、我夢ははっとして舞台を見た。マイクを握り締めたまま梶尾が舞台に倒れている。
 我夢は慌てて手近にあったおしぼりに水を含ませ、コップに冷水を入れて舞台で北田に抱き起こされている梶尾に向かった。
「梶尾さん、大丈夫ですか」
「…完全に潰れてる…あ、すみません」
 さっきまで真っ赤だった顔色は青くなっている。北田は我夢に礼を言っておしぼりを受け取ると額に乗せ、コップを口元に持っていった。
「水、飲めますか」
 大河原の問いに、梶尾は口の中でもごもごと声にならない言葉を返した。
「……じゃあ、我夢に口移しで飲ませてもらいますか?」
 ぼそりと呟いた北田の言葉に、えっと驚いて我夢は見返した。今の言葉は聞き間違いかと聞こうとした時、梶尾はがばっと身を起こし、北田の手からコップを取り上げるとごくごくと一気に飲み干した。
「ふ、ざ、け、る、な……寝る!」
 半眼で北田を見据え、よろりと立ち上がった梶尾は部屋の外へ出ようとして大の字になっていた志摩に躓き、再び大きな音を立てて畳の上に転がると、そのまま動かなくなってしまった。
「だ、大丈夫なんですか…あれ」
「いつもなら起きられないんだが…あの一言でちょっとでも起きるとはさすがリーダー」
 感心したように言う北田と、頷いている大河原に顔中はてなマークで訳わからんと我夢は思った。でも、北田と大河原は平然として梶尾を仰向けにすると、手慣れたように座布団で枕を作り再びおしぼりを額にのっけて、ぱたぱたと掌で風を送っている。
「このままじゃいつまでかかるか判らないぞ。もういいから戻れ」
「は、はい…」
 桑原の言葉に我夢はほっとしてサトウ達の姿を探した。が、歴戦の勇士達にかなうわけもなく…無謀にも戦いを挑んだらしい…三人ともすっかり潰れてしまっていた。
 見回せば、半数は死屍累々という感じで転がっている。はあ、と溜息を付くと我夢は一人でこっそり大広間を後にした。

「お風呂、今なら空いてますよ」
 部屋に戻ろうと歩き出した我夢に、後ろから女将が声を掛ける。にっこり笑った彼女は、今日はハーキュリーズ一行と我夢たちだけしか泊まっていないと告げ、大広間へ追加の酒を運んでいった。
 なるほど、みんなあそこに居るなら、風呂場には誰も居ない筈だ。自分と同じように抜け出してくる人がいるかもしれないが、芋の子洗い状態よりはいいか、と我夢は部屋へ戻り浴衣に着替えるといそいそ大浴場へ向かっていった。
 脱衣所には誰も居ない。入り口には自分のスリッパしかないし、これは貸し切りだあと我夢は浴衣を脱ぎ、浴場へ入っていった。さすがサトウが勧めるだけあって、広くて綺麗で檜の良い香りが漂っている。
 手早く身体を洗い、お湯の中に入ると、ゆったりと身体を伸ばして大きく息を吐いた。誰も居ないという開放感からか、子供のようにお湯を跳ね散らかしたり、犬かきや平泳ぎまでしてしまう。
 のぼせそうになった我夢は立ち上がると大きなガラス窓の外を眺めた。深い森の手前に道があり、風呂場から続いている。
「あ、露天風呂〜」
 外に出るとひやりとした空気が気持ちいい。ぴたぴたと濡れた音を立てて石で作られた道を辿り、崖に作られた露天風呂に辿り着く。後ろは木々が揺れ、目の前の崖の向こうには山と渓流が覗けるようになっている。右の方には小さな滝まであって、情緒たっぷりだ。
「うーん、また朝に来ようっと」
 今は夜なので、水の音で下に渓流があると判るがよく見えない。その代わり、見上げた空には驚くほど数多く煌めく星々があった。
 我夢は岩に背中と頭を預け、空を眺めながらぼーっと湯に浸かっていたが、いつしか瞼が重くなり目を閉じた。
 ぴちゃん…と何かがお湯に入ったような音に、我夢ははっと目を開いた。もしかして、誰か入ってきたのかときょろきょろ辺りを見回すが、誰も居ない。
 はて?と首を捻った我夢は、その物音が竹垣で隔たれた隣から聞こえてくると知って、どきりとした。今晩は自分たち以外には人が居ないはず、ということは、女性は泊まっていない筈なのに何故隣の女風呂から音がするのだろう。もしや、女将さんが…などと不埒な青少年らしい考えを思い浮かべた我夢は口元を手で覆ってそーっと竹垣に近づいていった。
 もちろん、サトウのように覗こうなどと思った訳ではない。ただ、ほんとに人が居るのか音を聞いて確かめようと思っただけだ。
 確かに人がお湯を使っている音が聞こえる。うわあ、と我夢は声にならない声を上げ、そろりとそこから離れようとした。
「我夢」
「うわああっーー!」
 ぽん、と肩を叩かれて我夢は思いきり悲鳴をあげてしまった。が、肩に置かれた手が口に回り、ぴったりと塞いでしまう。
「……騒ぐな」
「………ふ、藤宮…?」
 両手で口から手を引き剥がし、恐る恐る振り返った我夢は、頭に手ぬぐいを姉さんかぶりした藤宮を見て絶句した。
「なんだなんだーーっ!」
「我夢っ、無事かっ?」
 ばたばたと大勢の人間が駆けてくる音と扉を開ける音が聞こえてくる。我夢が振り返ると、露天風呂の脇に腕まくりして形相浮かべたハーキュリーズとマコト達が立っていた。
「あ…あの…」
 我夢が藤宮のことを説明しようとおろおろしていると、ハーキュリーズは途端に相好を崩してにやにや笑いを浮かべた。
「なーんだ、嬉しい悲鳴って奴だったのか」
「まだまだ子供だと思っていたがなあ」
「ずるいぞ、我夢!」
 えっ?え?と訳が解らず後ろを見た我夢は、再び絶句して見つめた。
 姉さんかぶりをしている藤宮は背中を向けていて、それはまるで女性が恥ずかしそうに顔を伏せているようにも見える。
「よし、おじゃま虫は消えるぞ。我夢がんばれよ、あ、でもお湯ん中でやるのはよしとけよ。後で俺達も入るんだからな」
 にやりと笑って吉田はそう言うと、集まってきたみんなを急き立てて歩き始めた。やるって、何をやるんだよーと心の中で叫んでいた我夢は、慌てて湯から上がるとその後を追いかけた。
「ま、待って下さい。僕もう上がりますから」
「ん、彼女残してきていいのか」
「……いいんです。のぼせそうです」
 我夢の答えに、吉田はやっぱりまだまだ子供だなと大声で笑い飛ばし、脱衣所から出ていった。漸くみんなが出ていき、静けさが戻る。バスタオルを腰に捲き、我夢はお湯と恥ずかしさでほてった身体を扇風機で少し冷ますと浴衣に着替え始めた。
「我夢っ…大丈夫か…」
「梶尾さん」
 藤宮はどうしたのかなあと、浴場の方を覗いていた我夢は、がらりと扉が開く音に振り返った。青い顔をした梶尾が息を荒げてずかずかと入ってくる。
「お前の悲鳴が…聞こえた気がしたんだが…」
「あっ、いえその…ちょっと虫が顔にぶつかって、驚いちゃって」
 我夢の言い訳に、梶尾は目を見開き、がっくりと膝を付いた。慌てて我夢は駆け寄り、梶尾を支えようとする。  ふと上げた梶尾の目に、湯上がりでほんのりピンク色がかった我夢の首筋と鎖骨が浴衣の襟刳りから見えた。片膝を付いているために、膝からちょっと上の方まで捲れて太股も見える。
「う…」
「気持ち悪いんですか?トイレ行きます?」
 赤くなって口元を押さえる梶尾に、勘違いした我夢は背中をさすろうと更に身を乗り出して接近していく。ふわりと香る石鹸の匂いと襟刳りから覗くピンク色の乳首に、梶尾はただでさえ酔って切れかかっている理性がぷつりと切れたような音を聞いた気がした。
「我夢っ!」
 ぐわばっ、と梶尾は我夢に抱きついて強く抱きしめた。いきなりのことで支えきれず、我夢は床に転がってしまう。
「梶尾さん〜、しっかりして下さいよー」
 ぎゅっと抱きつかれて息が苦しいが、我夢は自由な手を伸ばし、梶尾の背中を労るようにさすり叩いた。すりすりと頬を擦り寄せてくる梶尾に、我夢は天井を見上げて暫く放っておこうかと力を抜いた。それが梶尾の次の行動を呼び起こすことになることにも気付かずに。
 そろそろと動き始めた梶尾の手に、我夢はくすぐったくて身を縮めた。
「梶尾さん、くすぐったい…」
「我夢、俺はお前が…」
 突然身体を離し、梶尾は真剣な表情で我夢に対峙した。思わず我夢も床に正座してしまう。何を言い出すのかと固唾を呑んで待っていた我夢は、梶尾の後ろにぬっと立つ人影に、あっと小さく叫んだ。
 途端に梶尾の頭から水が掛けられる。ぎょっとして立ち上がった梶尾は、後ろで偉そうに腕を組んでいる藤宮の襟首を掴もうとして果たせなかった。なぜなら藤宮は全裸だったからである。
「酔いは醒めたか。我夢、酔っぱらいの戯言に付き合うな」
「何っ」
「わー、梶尾さん、丁度いいから、このままお風呂入りましょう!濡れた服はクリーニング出して、そこの内線電話で旅館の人に浴衣持ってきてもらいますから。藤宮もそーゆーことしないで、一緒にお風呂入ろう。梶尾さんっしっかりして〜」
 一緒にお風呂…つまり真っ裸な我夢、を想像して梶尾はくらりとよろめいた。我夢は梶尾を支え、藤宮を恨めしく睨みながら、これから先どうなるのだろうと深く深く嘆息したのだった。

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