温泉へ行こう!−2−


 ダヴライナーでぼんやり窓の外を眺めていた我夢は、ついで隣に座っている梶尾を眺めた。時間ぎりぎりに乗り込んできた梶尾の姿は、いつもよりは多少ラフな格好だが、とても温泉に行くようには見えない。制服でないだけましなのかもしれないが。
「何だ」
「温泉行くのにスーツですか?」
「これでもカジュアルなのを選んだつもりだが?ネクタイもしてないし」
 憮然として言う梶尾に、まあいいかと我夢はにこりと笑った。
「そうですね…梶尾さん、何着ても格好いいですもんね。ほんとなら田舎の温泉とかじゃなくて、六本木とか渋谷とか行ったら、女の子にもてもてなんだろうなあ」
「俺は別に女にもてなくてもいい…」
 憧れるように梶尾を見つめる我夢に、多少照れたように梶尾はぼそりと呟いた。今の心境としては、女にもてるより、ただ一人の人にもててらぶらぶになりたいだけなのだ。だがきっとそう思っているのは自分だけではないだろう。
 あの要注意人物が今度も現れるかもしれないと、梶尾は表情を引き締めた。
「梶尾ちゃ〜ん、何、ぶすくれてるの〜。楽しい旅行だよ、さあ、呑みなさい」
 ぬっと前の席から身を乗り出し、ワンカップを突き出されて梶尾は目を丸くしてそれを見つめた。
「…し、志摩さん」
「志摩さん、このスルメ美味しいですよ、いかがですか?」
「き、北田…大河原も…お前ら何で…」
 既に酔っているのか赤い顔で梶尾に迫る志摩の腕を引き、隣に座っていた北田がスルメを差し出した。おお、と嬉しそうにそれを手に取った志摩は、再び前を向いて座席に座る。びっくりして見る梶尾に、その反対隣に座っていた大河原が、ひょいと顔を覗かせ、ぺこりと頭を下げた。
「梶尾さん…なんか、見た顔がたくさん居るような気が…しません?」
 我夢につんつんとつつかれて、梶尾は改めて回りを見回した。あまりダヴライナーで地上に降りたことはないが、確かにいつもより人が多い気がする。
「多分…気のせいだ…」
 そうでも思わないことには心臓に良くない。梶尾はそう言うと、まだ首を捻っている我夢を後目に目を閉じて狸寝入りを決め込んだ。
 我夢も、ま、いいかとノートパソコンを開いてメールを打ち込み到着時刻と待ち合わせのことをサトウに発信した。
 ジオベース近くの飛行場でダヴライナーを降りた我夢は、出迎えたサトウ達に大きく手を振って梶尾の手を取ると駆け出した。
「よう、我夢、久しぶり」
「元気そうだな」
「うん、元気だよ。あ、この人がチームライトニングのリーダー梶尾さん。えっと、大学の仲間でサトウとナカジ、マコトは一度会ってますよね」
「今回は自分の我が儘で参加させてもらって済まない。よろしく頼む」
 まだ握られていた手を焦って離し、梶尾は軽く頭を下げた。サトウ達も慌てて背筋をしゃっきり伸ばし、梶尾に一礼する。あまりこういう形式張った言葉に慣れてないからか、表情が引きつっているようだ。
「もう、そんな畏まらないで下さいよ。梶尾さんもせっかくの温泉旅行なんだから、リラックスして、ね」
 にっこり笑い梶尾の背中をパンと叩いて我夢は車の方に歩き出す。それを見送ってマコトがやれやれと苦笑いを浮かべながら梶尾の方を振り返った。
「まさか、いらっしゃるとは思いませんでしたよ」
「嫌な予感がしたもんでね」
「予感…ですか?地球を守るエースパイロットにしては随分迷信深いですね」
「今までの経験からみれば、嫌な予感ほど当たるもんだ。確率の問題だな」
 なるほどそれも一理あると、マコトはちょっと感心したように梶尾を見た。梶尾はふっと笑うと手を振って自分を呼んでいる我夢の方に歩き始めた。
「それも我夢に関してだけ凄く当たる…なのかもな…」
 マコトはぽつりと呟くと大きく溜息を付いて梶尾の後に続いた。そう考えてるのは梶尾だけじゃなかったりするし。
「これで行くのか?」
 我夢が助手席でにこにこと梶尾を手招きしている車は、普通の国産のレンタカーらしいが、どう見ても大の男が5人乗れるような物ではない。
「マコト達は自分の車で先行するそうですから」
 我夢は前の車を指さして説明した。その様子に気付いたのか、サトウが親指を立ててウインクしてきた。納得して梶尾は運転席に乗り込み、エンジンを掛ける。前の車がスタートするのにぴったりくっつき、国道を走りだした。
「なんかこうしてると思い出しますね」
「ん?何を」
 暫くすると我夢は突然話し出した。前の車を見失わないよう、梶尾はちらりとだけ我夢を見てすぐ前方に視線を戻す。
「藤宮を追っかけてた時ですよ。神出鬼没だから、大変だったなあ」
「……ああ」
 そういえば、あの時は藤宮にさんざん振り回されたっけと梶尾は苦く思い出した。今でもかなり振り回されてると思うのだが、楽しげな表情でその時を思い出しているような我夢に、ますます苦い思いが沸き起こってくる。
「梶尾さん…楽しくないですか…」
 すまなそうに聞いてくる我夢に、梶尾ははっとして隣を見た。
「いや、そんなことはないぞ」
「でも、さっきからずっと眉間に皺寄ってるし…わっ、前、危ない!」
 サトウ達の車は脇道に入るために、一旦止まってウインカーを出している。その後ろに突き当たりそうになって梶尾は慌ててブレーキを踏んだ。
「ここから山に入ってくんですね。城岩町って都心に近いのに随分ひなびた場所なんですよ。一回メザードが襲った時に調査に来ただけですけど」
「あまり聞かない名前だな」
 道を一本曲がる度にどんどん狭い道へ入っていく。車同士がやっとすれ違える程の細い道を走らせていた梶尾は、ふと後ろに違和感を感じてバックミラーを見た。
「………我夢…後ろから来るのは…」
「えっ?」
 梶尾の言葉に我夢は後ろを振り返ってみた。ちょっと離れて一台のバスが道を走っている。小型の観光バスのようだ。
「観光バスですよ。きっとどっかの農協で温泉ツアーでもしてるんじゃないですか?」
 身を乗り出してみても、バスの前面に付けられてる何何様ご一行という文字は見えない。身体を元に戻して言う我夢に、梶尾はひくりと眉を上げて再びバックミラーを見た。
 嫌な予感がする…これも確率的に言えば我夢が側にいるだけに当たりが多い。だが、バスを振り切ろうにも前にはサトウ達の車があって、思うようにスピードは出せない。
 梶尾はじりじりしながらも城岩町に向けて速度遵守で走らせる他無かった。

 そうこうして一時間ほど経った頃、漸く歓迎城岩町へ、という看板が見えてきた。町中は土産物屋が軒を並べ、綺麗な清流が流れている典型的な温泉町のようだ。サトウ達の車は清流に沿って山の方へ向かい、町並みを抜けていく。旅館や民家が少なくなって森が多くなって来た道をまた脇へ入った突き当たりに目指す旅館はあった。
 駐車場でサトウ達の車に並んで停め、二人は車を降りた。大きく伸びをして我夢はぐるりと辺りを見回し嬉しそうに目を見開いた。
「すっげー良い所。緑は多いし、静かだし、のんびりできそうですね」
 最後の言葉は梶尾に向け、我夢はにっこりと笑った。梶尾も辺りを見回して頷いた。しかし、自分はともかく…いや、自分だってまだまだ若いが…若者がこういう場所に来て楽しいのだろうか。静かでのんびりなんて、一日も持たないような気もするが。
 梶尾はそう思いながら荷物を降ろしてきた我夢の手から自分の分を取り、既に門の中に入っているサトウ達の後に続いた。
「お邪魔しまーす」
「いらっしゃいませ」
 挨拶に応えて現れた若女将の姿に、我夢を含めた若者四人はほう〜と溜息を付いた。テレビ番組やCMに出てきそうなほんとの美人女将がたおやかな笑顔で出迎えてくれるとは、幸先良いなあとサトウなどはすっかり浮かれている。
「…ねえ、サトウってもしかして、ここあの女将さんが居るからってんで選んだんじゃ」
「それアタリかも…」
「全く悪い癖だよなあ」
 我夢の問いにマコトとナカジはやれやれと首を振った。
「サトウ様とご一行四名さまですね。離れの紅葉の間をご用意しております。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ…」
 女将に言われ、歩き出そうとした我夢達は、後ろから津波のように襲ってきた歓声に一瞬足を止めた。だが、梶尾だけは顔を引きつらせ、汗を浮かべてさっさと行けと我夢の背中を押す。
「おおー、すっばらしく良い所じゃないかー」
「本当ですね。予算内で収まるんですか」
「馬鹿言うな。俺たちゃ命はってんだぞ。これくらい息抜きできなきゃどーするってもんよ」
「食事楽しみだな」
「温泉温泉、露天風呂〜」
「ああっ、女将さんもぉ神さんてくらい美人さんじゃない」
 最後の親父ギャグで誰だか判ってしまった我夢は、梶尾が懸命に背中を押して行くようせっつくのにも係わらず、振り返ってしまった。
「志摩さん?……吉田さんに桑原さんに、北田さん、大河原さんまで…一体何事ですか?」
「よお、チューインガム、奇遇だねえ」
「奇遇じゃないだろ。後を着けてきたくせに」
 志摩の言葉に梶尾はぼそりと呟いた。それを聞きとがめたのか、吉田の眉がぴくりと上がり、ふっと笑い掛ける。
「梶尾、そういう決めつけは良くないぞ。俺達はちゃんとハーキュリーズ主催合同慰安旅行会として選びに選んだ末にここを決めたんだからな」
「ご、合同慰安旅行会…」
 梶尾は絶句して吉田を見つめた。我夢達も呆然として次から次へと入ってくる一行を見つめている。
「あの…彼らの部屋は?」
「ハーキュリーズ様ですか?離れと言っても、団体様専用の三軒続きのものが二棟ありますので、そちらにご案内しますが」
 どやどやと通り過ぎたのを見送って梶尾は恐る恐る女将に訊ねた。その棟が自分たちの離れとはこの母屋を挟んで反対側だと聞いてほっと胸をなで下ろした。
「なんか…迫力あったな、今の人たち」
「うん、多分XIGで一番押しと迫力あると思うよ。さ、僕たちも部屋へ行こうよ。お風呂入りたいし、散歩もしたいし」
 ナカジの言葉に応え、我夢はさっさと気を取り直して歩き始めた。静かでのんびり、を期待していたのに、ちょっと無理かも知れない。
 我夢が、それはあまりに無理過ぎるということに気付くのは、夕食の時までかかるのだった。

 案内された離れは二間ある広い物だった。荷物を置いてさっそく風呂へ入りに行こうと言うサトウ達に、我夢はちょっとこの周りを散歩してくると言って外へ出た。
「どうして風呂へ行かなかったんだ」
 旅館の玄関を出て、森の方へ歩いていた我夢は、後ろから追いついてきた梶尾に聞かれ困ったように苦笑した。
「だって梶尾さん…団体様と一緒なんですよ。どうなるか」
「あ…なるほど」
 いくら広い風呂場でも、今一斉に着いた人間全てが風呂に入れば芋の子を洗う状態だろう。せっかくの温泉にのんびり浸かれないのでは来た甲斐がない。
「それに…サトウが一緒だと、結構ヤバイことがあったりするんですよ」
 何かを思いだしたのか、くすくすと笑い出す我夢に梶尾は訝しげに眉を上げ見つめた。ヤバイとは…まさか、あいつ我夢に何かしたっていうのか、と梶尾の思考が暴走しかけた時、我夢は笑いながら話し始めた。
「露天風呂とかだと、絶対隣見ようって頑張るから…関係ない僕らまで巻き添えになったことがあるんですよ。でも、悲鳴上げたのは自分の母親より年取った人ばっかりだったですけど」
 なんだ、と梶尾は安心して息を吐いた。我夢は森を抜け、川岸に降りる道を見つけて降りていった。ぱしゃぱしゃと水に手を入れて戯れる我夢の姿に、梶尾は僅かに見とれていたが、手で招くのに促されて川岸に降りていった。
「魚が一杯泳いでる…綺麗ですね」
「ああ…」
 我夢が指し示す清流の中には、確かに魚が流れに逆らうように泳いでいる。
「鮭が生まれた川に戻って来るのは、自分たちの子孫を残すため…だけど、それを僕らは子供ごと捕って食べてしまう…ここの魚も、今晩の料理に出てくるかもしれない」
 我夢はぽつりと呟くように言った。
「命を奪ってそれを自分の糧にする、それが生きている全ての者の業だ。だから、生き残ろうと子供を産む数を増やし、戦っている。生きることは戦うことだ」
 きっぱり言われて我夢は清流から視線を梶尾に向けた。じっと見つめ、何かを言いかけるが、我夢は口を閉じてしまう。
「だが、生き続けるには優しさと労りも必要だ。戦うだけじゃ坂道を駆け上がってそのまま崖下に落ちてしまうだろう。…今、人間はそのターニングポイントに居るのかもな」
「梶尾さん…」
 らしくないことを言った、というように梶尾は我夢の視線を避け、立ち上がった。歩き出す梶尾の後を我夢も慌てて追いかける。夕日が森の中に落ち、辺りが薄暗くなりかけた頃、戻るかと踵を返した我夢は、川の中に真っ黒い影を見いだしてぎょっと足を止めた。
「く…熊?」
 その黒い影は清流の真ん中で水を叩き、魚を捕っているように見える。一瞬熊かと思ったが、良く見るとそれにしては細いようだ。
「…あれ…まさか…」
「行くぞ、我夢!」
「えっ、あ、でもあの、あれ」
 ぐいと梶尾に手を引かれ、我夢はずるずると引っ張られて別の道から川を離れ森の中へ入っていく。何も言わず、手を引いたままずんずん歩いていく不機嫌そうな梶尾に、我夢は言葉を掛けることもできず旅館まで戻ってきてしまった。

NEXT