温泉へ行こう!−1−
いつものようにいつもの場所で、我夢は前回戦った敵のデータをつらつらと纏め上げていた。だが、時折モニタの文字が掠れるように見えて、片手でごしごしと瞼の上から擦っている。 「がーむ、どうしたの?」 「…え?…疲れてるのかな…ちょっと目が霞んで…」 「ここでも自分の部屋でもパソコン見てばっかりいるからでしょ。眼精疲労になってるんじゃない。少し休んだ方がいいよ」 ジョジーの言葉に我夢はそうかな、と首を捻った。途端にぼきっと我夢の首が鳴る。 「あたっ…」 その音にびっくりして我夢は動きを止めたが、もう一度今度はそろりと首を回し両腕を上に上げて伸びをする。 ばきばき、こき、ぐき 「何ソレ…凄い音」 眉を顰めて見るジョジーに苦笑いを返し、我夢は軽くストレッチを始めた。 「ちょっと、こんなとこでやらないでよ。…もしかして、我夢肩こりも酷いんじゃない?あーなんか若いくせに年寄りってカンジ」 敦子に怒ったように言われ、我夢は慌てて身体を元の位置に戻した。片手で肩をちょっと押してみる。…結構堅くて押すと気持ちいい…ってことは肩が凝っているということか。 「運動不足って訳じゃないし…モニタと睨めっこは前からだし…何でかなあ、もう年なのかな」 二十歳の若者にそんなこと言われたら、上司3人組はどう反応したらいいのだろう。幸い、今ここにはその手の言葉で一番傷つくだろう千葉参謀は居なかった。 「精神的なものから来ることもあるぞ」 真面目な表情で石室が言うと、思い当たることのある我夢はなるほど、と眉間に皺を寄せた。漸く戦いには慣れてきたものの、いろんなことで重圧を感じ、考えの暗闇にはまり込んで寝られなくなることもしばしばなのだ。 弱音は吐きたくないが、苦しくないといえば嘘になる。自分では何でもないつもりでも、身体の方が正直ということなのだろう。 「休暇はまだたっぷり残っていたな…温泉にでも行ってきたらどうだ?」 「お、温泉…ですか?」 石室の言葉に我夢はびっくりして聞き返した。休暇を貰っても自室にいて研究の続きをするか、実家に帰る程度で旅行なぞしようとすら思わなかった。東京はジオベースがあるし、何故か怪獣が頻繁に現れるので(笑)しょっちゅう行っているのだが。 「ええー、いいなあ、温泉。私も行きたい〜」 「温泉?ってお医者様でもクサッたお湯でもってヤツ?」 羨ましげに声を上げる敦子に、ジョジーは首を傾げて問いかけた。一瞬コマンドルームにはてなマークが飛び回る。 「腐ったお湯って…それ、草津の湯じゃないか?」 「そうなの?」 我夢が引きつったように言うとジョジーは、きょとんとしたように敦子を見た。またか、と首を振り、我夢はやれやれと肩を竦める。敦子はしらばっくれてモニターをチェックしていた。 「まあ、一日行ったくらいじゃ効果はないだろうが、精神的なものだとしたらリフレッシュも必要だろう。適当な温泉を見つけて行ってこい」 にやりと笑って言うコマンダーに、我夢は多少困惑しながらも、頷いた。そういえば、親友のサトウの実家が確かペンションをやっていたはずである。そこが温泉だったかは覚えていないが、聞いてみようかと我夢はメール画面を呼び出した。 実家にはあいにく温泉は引かれていなかったが、その町自体は温泉宿があり、一番良い宿を紹介してやるとサトウは勢い込んだメールを直ちに返信してきた。ついでに、他の仲間も誘って久しぶりに大騒ぎしようとも書いてあるメールに、我夢の顔が綻ぶ。 「何にやついてるんだ?」 メールチェックをラウンジでしていた我夢は、後ろから声を掛けられて振り返った。 「梶尾さん」 なんとなくいつもと同じ波乱の始まりのような気がちらりとしたが、いつもそんなことが起きる訳ないと、我夢はにっこり笑って応えた。 「大学の友達と温泉に行こうって話になって」 「温泉だあ?また随分年寄り臭いなあ、お前」 梶尾は呆れながら言うと我夢の前に座った。北田と大河原は既に諦め顔で隣のテーブルに腰を下ろした。 「年寄りって…今は若者も楽しめる温泉が沢山あるんですよ。といっても、あんまり煩いのは嫌なんで、今度行くのは料理とお酒の美味しい離れのある宿を選んでくれたみたいです」 「離れ…」 考え込む梶尾に、我夢は小首を傾げて顔を覗き込んだ。周りを気にせず騒げると、サトウが選んでくれたのだが、何かまずいことでもあるのだろうか。 「何日だ?」 「え?」 「温泉行く日は」 梶尾に聞かれて我夢は一瞬躊躇した。もしかして、この非常時に温泉など脳天気過ぎるということなんだろうか。できるだけ勤務に差し障りのない日を選んで、もし何かあってもすぐ行けるようにナビや制服持ってくつもりだけど。 「あの…ダメですか…やっぱりダメですよね、こんな時に…。コマンダーが言ってくれたからって、ほいほい乗っかっちゃった僕がいけないんです。休暇申請断って…」 「馬鹿、誰がダメだと言った」 がたりと立ち上がった我夢の肩を押さえて、梶尾は再び腰を掛けさせた。こほんと咳払いを一つして、梶尾は腕を組み目を閉じると重々しく言った。 「お前らだけじゃ心配だ。俺が付いてってやる」 「ええっ、梶尾さんが!?」 驚いて仰け反る我夢に、梶尾は目を開きずいと身を寄せた。 「それとも、お目付役なんぞ居ないところで、羽目を外してみたいか?コンパニオン呼んで、どんちゃん騒ぎ、挙げ句の果てに酒の上での暴行…」 「だ、誰がそんなどんちゃん騒ぎって…暴行って?」 ぐぐっと拳を握り締め、何かを想像して怒っているらしい梶尾に、我夢は身を引いて冷や汗を浮かべた。 「そんな危ない所へお前を行かせられるか!絶対着いていくからな」 梶尾の想像はどこまで行っているのだろう…怖い考えが浮かんで慌てて我夢は、こくこくと頷いた。確かにサトウは女の子好きだが、だからといって嫌がる子を無理矢理なんてしないだろう、いくら酒の上でも。 実のところ梶尾が想像していたのは、みんなの餌食は我夢だったりするのだが、そんなこと普通考えつく訳がない。 「休暇申請…出しておきます」 はああ、と疲れて我夢はよろよろ立ち上がり、ラウンジを出ていく。自分の親友達は良い奴ばかりだが、生真面目トップガンの梶尾と一緒に温泉なんて、どうなることやら。 コマンドルームへ行く途中、向こうからのっしのっしとやってくる一団に、我夢は慌てて踵を返そうとした。 「が〜む〜、どこへ行くんだ」 「え…えーと」 が、時既に遅く、がっしりと腕を掴まれてにやりと笑い掛けられては逃げられない。 「今度の休暇のことなんだがな」 志摩に押さえられて動けない我夢に、吉田が話しかけた。このところ、休暇を取って部屋でゆっくりしようとしていると、やれトレーニングだなんだと引っぱり出されて結局疲れてしまう場合が多い。普段頭を使っているのだから、逆に身体を使えば休むことになる…という理屈は確かに解るが、といって、毎度毎度では身体が持たない。 「あっ、ダメ、駄目です!今度の休みは温泉に行く…っ…」 はっと気付いて口に手を当てたが、その言葉はしっかりハーキュリーズの面々に聞こえたらしい。志摩の目が蒲鉾型になり、腕を締め付ける力が強くなった。 「温泉だってえ?いつどこでだれと?さあ、ちゃきちゃき答えなさい」 「痛っ、いたた、志摩さん〜腕離して下さい〜」 「彼女と二人っきりで、らぶらぶデートか?それとも混浴露天風呂でおっぱいどーんでうはうはか?いやいや、しっぽり若女将とうふふんか」 まるで夜中のTV番組のサブタイトルのような志摩の表現に、我夢はがっくりと肩を落とした。 「そんな訳ないでしょ。大学の友達、あ、全員男ですよ、と梶尾さんです」 「なんだ、つまらん」 漸く志摩に腕を解かれ、我夢は痺れてきていた手をゆっくりと回した。大学の友達とだけなら、女も混ざってるんだろうと言い出しただろうけど、梶尾の一言で納得したらしい。 「ああでも、温泉、俺も久しく行ってないなあ」 顎に手をやり、後ろで二人のスキンシップ?を穏やかに見守っていた桑原が羨ましげに呟いた。吉田も同じく腕を組み、確かに、と頷いている。 ま、まさか…と我夢が嫌な予感に襲われた時、吉田がぽんと手を打ち、にっこりと笑い掛けた。 「ハーキュリーズ慰安旅行計画でも立てるか。非番の連中誘い合って」 「お、いいですねえ。空にばっかり居ると、地面の暖かさ忘れちゃいますからね」 吉田の案に桑原も乗り気で応える。志摩は既に混浴露天風呂でうはうは、を想像しているのか、どこか遠くを見つめてにんまりと笑っていた。 「そ、そうですか。吉田さんたちも温泉ですか。いい場所見つかるといいですね。じゃ、僕は失礼します」 これ以上ここに居てはまずいと何かに促されるように我夢はそそくさと歩き出した。何か言われるかと思ったが、吉田達は三人でこそこそと話し合っている。 我夢はほっとしてコマンドルームに辿り着き、梶尾の分まで休暇申請を出した。敦子の額がぴくりと痙攣したような気がしたが、我夢は見ないふりをしてさっさと済ませてしまうと、仕事に戻った。 我夢が仕事を済ませてコマンドルームを出ていくと、それまで言葉を発しなかった敦子は溜息を付いて持っていたペンでモニター画面をコツコツと叩いた。 「どうしたの、アッコ」 「休暇申請がね…多いのよ」 「へえ、でもちゃんと非番なんでしょ、今まで取ってない人もいたんだし、いいんじゃない別に」 「いいけどね、別に。休暇でも一応行く先提示することになってるじゃない、もしもの時のために。で、もちろん梶尾さんも我夢もちゃんと書いてるんだけど、城岩温泉って」 低く地の底から響くような声で敦子は淡々と言った。 「うん。いいねー、私も我夢と一緒に温泉って行ってみたかったな」 暢気に笑うジョジーに、敦子のこめかみがぴくりと引きつった。 「ハーキュリーズ、ライトニング、整備士、技術、その他で約二十人、全員が同じ場所ってどーゆーこと!」 とうとう爆発した敦子に、ジョジーはびっくりして目を見開いた。敦子が手に持っていたペンは見事にまっぷたつに折れている。 「ハーキュリーズ主催合同慰安旅行会…だそうだ。まあ、全員が同じ場所なら把握しやすくていいだろうと許可した」 「堤チーフ…」 のほほんとした堤の言葉に、敦子とジョジーは顔を見合わせ吐息を付いた。相変わらず掴めない人間である。 「それにしても、酷い、みんな。私も休暇取ればよかった…」 「そうだねー、また何かありそうだし、面白そうだもんね」 敦子がしみじみ呟くのに、ジョジーも同感と頷いた。そしてはっと気付いたように敦子を見た。もしかして、怒っていたのはみんなが休んで温泉に行くということじゃなく、こんな面白そうな場面を見るチャンスを逃してしまったことなのだろうか。 ま、そのキモチも良く解るなあとジョジーは再び深く頷いたのだった。 |