無垢なる大地


  洞窟の中にはゆらゆらと揺れる松明の細い明かりしかない。その松明も油の炎ではなく、何か別の力で燃やされているようだった。入り口の狭さに反して中は普通の部屋よりも少し広く、薄暗い。漸く歩ける程度の明かりしかないそこを大地はそろそろと進んでいた。
 部屋の中程に来ると、そこに呼び出した者の名を呼ぶ。だが応えは無い。もう少し時に入り周囲を見回した。
 「よく来たな、魔動戦士よ」
 「約東通り一人で来たぞ! ラビを返せっ」
 姿の見えない相手に怒鳴り付ける。相手が低く笑ったかと思うと、一瞬真っ暗になり、次にはぼうっと松明が燃え上がった。部屋の中が明るくなるとともに、部屋の一番奥にシャマンが姿を現す。
 「本当に一人で来るとは、愚かな…」
 「うるさい、早くラビを戻せっ」
 大地はシャマンを睨み付けた。楽しそうにそんな大地を見ていたシャマンは、すっと指で地面を指し示した。そこは洞窟の剥き出しの地面ではなく、大理石の床のようになっている。そして丁度大地が立っている場所を囲むように円が描かれてあった。
 「これは!?」
 「魔動戦士の光の魔動力を中和、吸収する闇の魔法陣だ。そこに居るかぎり光の魔動力は使えない」
 シャマンの言葉に、大地は愕然とした。シャマンの事だから何か良からぬ企みを持って自分を迎えるだろうとは予想していたけれど、こんなのだとは。
 咄嵯にそこを飛びだそうとした大地だったが、円の縁まで来ると見えない壁に弾き返される。拳で叩いてもまるで歯がたたなかった。怒りに炎を燃やして睨む大地を、シャマンはほくそ笑みながら続けて言った。
 「更に、暫くそこに居れば、たとえどんな強力な光の魔動力を持った者でも、闇に浸食される。そして闇の邪動戦士として蘇るのだ」
 「な、何!」
 よろよろと大地はよろけ、床に膝を付いた。確かに何となく力が抜けていくような気がする。それに、とっても寒い。肩を抱いて噂った大地は、それでもなお、シャマンを睨み付ける事をやめなかった。
 「ふふん、いつまで持つか楽しみだな」
 「僕は絶対閤になんか屈し無いぞ」
 声を掠れさせながらも必死に寒気と戦っている。肩から手が落ち、床にどさりと倒れ込んだ大地は、心の中でラビやガス達の事を一生懸命想っていた。そうする事でこの闇の気から自分を失わずにいられるように。
 『ラビ……』
 「なかなかしぶといな。だが、すぐに…おおっ!!」
 がっくりと俯せた大地の身体を光が包み込む。光は大地から床の魔法陣へと移り、闇のそれを光のそれへと転じてしまった。
 「おのれっ、誰かが邪魔をしたかっ!だが方法はこれだけではない」
 指を組み、呪文を唱えると、松明の炎が再び燃え上がる。火が飛び跳ね、床に散ると魔法陣をなぞり又闇へと転じさせた。
 「さっきのものより効果は低くなっている。だが、もう一つと組み合わせれば邪魔はできんぞ。どうあってもお前を闇に従わせてみせる」
 未だ床に臥せっている大地にゆっくりとシャマンは近付いていった。大地の上半身を膝の上に寄り掛からせ、低く呪文を唱える。受けとめるように差し出された掌の上に、蒼い火が燃え、それをシャマンは口に含むと大地に口移しで与えた。
 普通だったら飛び上がるほど熱いだろうそれは、氷のように冷たく大地の喉を焼く。冷たさは喉から胃ヘと広がっていった。ぶるっと身を震わし、意識を取り戻しかけた大地の上着を取るとシャマンは再び口付ける。
 今度のそれは、さっきのように合わせるだけのものではない。僅かに動いている唇は呪文を唱え続け、その振動が大地の唇から頭へと響いていく。唇はその場から徐々に移勤し、大地はくすぐったさと悪寒に身を振った。
 「……んっ」
 途端に胃からひやりとした冷気が指先まで届き、シャマンの身体を退けようとした指を凍らせる。くくっと嘲笑ってシャマンは行為を続けた。
 耳元にシャマンの唇が寄せられ、低く囁かれた呪文は大地の意識を闇に塗り込めてしまう。
 おとなしくなった大地の服を全部取り去ると、身体の隅々まで呪文を唱えていった。全部を呪文で覆いつくすと、シャマンは立ち上がり、今まで囁くような声であった呪文を高らかに唱え上げる。取り巻く炎が一斉に渦を巻き始めた。
 『……い…やだ、誰か……こんなの…』
 最初は上半身だけであったものが、足の先まで凍り付いたように冷たい。芯の芯まで近付いてきた闇に、塗り込められなかったほんの一部の意識が僅かに悲鳴を上げる。それに応じるように、冷たかった身体の中に炎の息吹が盛り上がった。
 「ほお、未だ抵抗できるのか。ならば、最後の仕上げだ」
 驚いたシャマンはにやりと笑うと、大地に覆い被さっていった。
 大地の動かない筈の口から悲鳴が漏れる。血の気の失われた顔が苦痛に歪み、がくがくと揺さぶられる度に、涙が滲み出た。
 「力こそ正義だ。これがその力、お前など組み敷くのにほんの少しばかりいるだけのものだ。覚えろ、覚えて我が僕と成り下がれ!」
 勝ち誇ったように笑うシャマンに貫かれ、大地はどんどん力が抜けていくのを感じていた。さっきまであった炎も小さくなってしまっている。痛みだけに心を奪われ、恐怖と暗黒に支配された大地はシャマンが身を離した時、その意識を手放してしまった。
 「……くくっ、魔動戦士、これからはお前は我が僕の邪動士となるのだ。…ジャハラド・ク・シード……」
 両手に炎を持ち、シャマンが最後の呪文を唱えようとした時、ばたばたと足音が聞こえ、邪魔をするように石が投げつけられた。
 「大地ーっ!」
 「大丈夫ですか!!」
 あちこち擦りむいたラビとガスが駆け入り、様子を見てとると猛烈な勢いでシャマンに飛びかかっていく。ひょいとラビを避けたシャマンも、ガスが自分の身体より大きい岩を投げつけた時には、舌打ちして後退った。その隙にラビはシャマンに体当たりをかまし、よろけさせることに成功する。
 「くっ、邪魔が入ったか。だがもう遅い。奴は私の僕、邪動士となったのだ。再び光の魔動力を得ることは出来まい。はっはっは」
 高笑い、ちらりと横たわる大地に目を向けると、シャマンは姿を消した。
 「ちっ、何言ってやがる。大地はそんな柔じゃねーや。…大地、そうだ大地は!」
 悔しそうにシャマンの消えた壁を睨んでいたラビは、慌てて大地の方へ近付いた。先に大地を抱き起こしていたガスが首を横に振る。青ざめたラビにガスは慌てて手を振った。
 「あっ、大丈夫生きてます。けれど…これは」
 蒼くまるで表情の無い大地の顔を見下ろし、ガスは溜息を付く。ラビは近寄ると大地の頬にそっと手を触れた。氷のように冷たい頬をぴたぴたと二、三回はたく。けれど何の反応もない。焦れたラビは肩を掴んでやや乱暴に揺さぶった。
 「駄目ですよ、そんな乱暴な。私はおばばさまを呼んできます。時間がかかると思いますので、ラビくんは大地くんを出来るだけ暖めて上げて下さい」
 そう言うと、ガスは大地をラビに預け走り去った。
 「大地…」
 それを見送り、ラビは改めて大地を見た。下半身からかなり出血している。それが何によるものかラビには判らなかったが、シャマンに対する怒りだけは猛然と湧き起こってきた。口の中で悪態を付きながら、頭の飾り布を取って傷口を探す。
 どこが傷ついているか判ったラピは、悔しさに出てくる涙を拳で擦りながらせめて出血を止めようと、布で押さえた。
 「ちっくしょーっ!あいつ、あいつめっ!」
 じわりと赤く滲む血に、ラビはたまらなくなって大地を抱き締めた。もしも、このまま本当に意識が戻らなかったら、もしも邪勤戦士になってしまったら、俺はどうしたらいいんだろう、とラビは悲痛な想いで抱き締め続ける。せめて自分の体温が伝わるようにと。
 「俺の、俺のせいだ。俺が勝手な行勤したばっかりに…」
 ぽとりと涙が大地の頬に雫れ落ちる。すると不思議なことに、その涙の粒が光り始め、大地を覆いつくした。
 驚いて目を見張るラビの腕の中で、大地はほんのりと暖かさを取り戻す。青ざめた頬にも血色が戻り、瞼がぴくりと痙攣した。
 「……ん…」
 「だ、大地…?」
 ふわりと目が開く。視線がラビを捕らえると、はっと起きあがってその首根っこを掴んだ。
 「ラビっ、無事だったのか! 心配したんだぞ、シャマンがお前を捕まえたって言って…あっ…」
 シャマンの名前を出した所で、今までの事が蘇ったのだろう。ぱっと手を離すと、大地は自分の身体を見回した。
 「あんな嘘に引っかかるとは、ほんとにお子様だぜ。さあ、早く服を着ろよ」
 泣いた目を隠すようにふいと顔を背け、わざと乱暴にラビは言う。出血はすっかり止まり、驚いたことに傷口さえ直っていた。服を着替え終わるとさっさと歩き出したラビに大地も後を追う。一瞬走った鈍痛に、足どりが遅くなったが、ラビの声にそれを無視して歩き出した。
 洞窟を出る間際、ふと立ち止まったラビの隣に歩いてきた大地は、ぼそりと聞こえてきた声ににこりと笑った。
 「その……悪かったな」
 「ラビ…」
 照れたように赤くなったラビは、ばつが悪そうに俯いている。大地も小さく、もういいよ、と呟いた。
 「大地くん、大丈夫なんですか」
 「大地、闇の魔法陣に人ったって?」
 ガスの後からV−メイとグリグリがやってくる。もう大丈夫という風に頷いた大地は、芯に残る痛みを忘れようとした。そしてラビは、決して忘れないと誓った。
 「あまり無理をしないで下さい。やっぱり大地くんが元気ないと私達も困ってしまいます」
 「うん、サンキュー」
 ぽんとガスの肩を叩いて大地は笑う。その笑顔には闇の影など形も無かった。

 『一度取り込まれた闇の気は、もっと強い光を送り込まない限り消えはしない。いつか、それがお前を私に脆かせることになる』

 シャマンはゆったりと椅子に座り、にやりと口元を歪めた。

 氷の柱を目指して旅を続けていた一行は、ダイアモンドダストを頼りに大地の作ったそりで走っていたが、ある時それがぴたりと止まってしまった。暫く様子を見ようと食事にする。こんな所ではろくなものがない為、どうしてもグリグリの出すにんじんが主な食べ物になってしまうので、大地はげんなりと皿を見詰めた。
 「大地くん、しっかり食べないといざという時に力が出ませんよ」
 「にんじんが食べられないなんて、ほんっとマザコン坊やはワガママだよな」
 いつもの如くニ人に言われる。けれど、嫌いなものは嫌いである。しょうがなく水だけ飲んで横になった。それにしても、この所そのせいだけでなく食欲が沸かない。何かが胸に引っ掛かっているようで物が通らないのだ。
 「どうしたんだよ、大地。この頃お前おかしいぜ」
 頭の上でラビが言う。言葉はきついけれど、それでもせいいっぱい心配してるのが判るので、大地は軽く笑って何でもないと答えた。その答えに満足してはいない証拠に、ラビは腰を降ろして手を大地の頭に延ばす。
 堅そうに見える髪だけど、実は案外柔らかく指に絡み付いてくる。指が額に触れた時、大地は電流が走ったような痛みに飛び起きた。びっくりして見ているラビを、額を押さえながら自分も驚いて見詰める。
 「な、なんだよっ!」
 「えっ…今の…」
 そーっと手を降ろして開いてみる。けれど、血の跡も何もない。痛みも全く感じられない。一体なんであの時痛かったんだろう。
 「あ、ごめん。ちょっとびっくりしただけだよ」
 「変な奴」
 ぼそりと言ってラビは再びマジカルゴの殼によじ登り横になった。胸がドキドキしている。あの時大地が飛び起きなかったら、もしかしたら自分はあらぬ事をしていたかもしれない。以前に触れた大地の唇を思い出して、ラビは頬を赤く染めた。
 「どうやら、今日はもう降らないみたいだねぇ。仕方ない、今晩はあそこで野宿しようかね」
 V−メイが壷から顔を覗かせてそういうと、右手の方を指し示した。そこには小高い山の裾野に自然にできた洞窟がある。表面は氷に覆われているけれど、奥の方は地面が覗いている。ハピに邪勤族の気配が無いかどうか確かめさせてから中に入っていった。
 ガスとグリグりが丸くなって寝ている。ラビは火の側で横になり、大地は膝を抱えて壁に寄り掛かって目を閉じていた。ふっと一瞬焚火の炎が暗くなる。大地はふと誰かに呼ばれたような気がして目を開いた。
 途端に視線が凍り付く。瞳孔が開き、正気の目が失われた。ふらりと立ち上がった大地の隣に、目覚めたハピが毛を逆立てて鳴く。けれど、皆は死んだように眠りこけ、気付くものは居なかった。ゆっくり何かに導かれるように歩き始めた大地の足が、横になっていたラビの足に僅かに引っ掛かる。
 「ん……ったく、寝相悪……!だ、大地っ」
 眠い目を擦りながら起きたラビは、洞窟の外へ出ていく大地を見付け、慌てて立上がり追いかけた。ラビの声に反応せずに大地は歩き続ける。入り口から少し離れた所で止まった大地にほっとして、ラビは駆け寄ろうとした。
 「さあ…来るのだ。大地……」
 ラビは大地の前の闇の魔法陣から現れた人影にぎょっとして立ち止まった。差し出された腕に、大地もまた腕を前に上げて進み始める。
 「あれは…シャマン?何故こんな所に。はっ、大地っ!」
 ラビは今にもシャマンの手を取りそうになっている大地に飛び付いた。背中から腕を回し、抱え込んでずるずると後ろへ下がらせる。大地はそうされながらも、前に進もうとしていた。
 「大地っ、こら!目ぇ覚ませ。どうしちまったんだよっ」
 「無駄だ。私の邪動力が身体の奥深くに入っている。それを取り去る事はV−メイですらできん。さあ、怪我をしたくなかったら、おとなしくそいつを渡せ」
 「誰が渡すかっー。くっそう、大地、大地っ!」
 ラビはシャマンを睨み付け、大地の前に回り首根を付かんで揺さぶる。大地はまるで邪魔者を払うように、腕を振った。信じられない力にラビは地面に叩き付けられる。
 「ちっ!こうなったら…」
 腰に付けた鞭を振るい、ラビは大地を拘束した。大地は自由を奪われ地面に転がっても前に進もうとする。ラビは前進を止めるようにシャマンに対峙した。シャマンは嘲笑を浮かべ、ラビを見下ろすす。そして、指を組んで呪文を唱えた。
 「ジャハ・ラド・クシード…闇の吐息を受けし者よ。我の元へ…」
 はっとラビは後ろを振り向いた。大地の身体がふわりと宙に浮き、ぱらりと鞭が解ける。そのまま大地はラビの上を通り越して、シャマンの腕の中に収まってしまった。高笑いをしてシャマンは闇の魔法陣の中に消える。ラビは一瞬ためらったが、直ぐに魔法陣の中に飛び込んだ。
 「うわーっ!!」
 闇の魔法陣は耳長族にとっては命をも奪うほどの反発力を持っている。全身を駆け巡る痛みに気を失い、ラビは闇の中へ落ち込んでいった。

HOME NEXT