「お邪魔してます」
「何か必要なデータがあるんですか」
「いえ、もう破滅将来体の影響はだいぶ薄れてきたんですが、南房総沖にちょっと気になる状況があるんです」
南房総といえば、自分の実家があるところで何度か破滅将来体が現れたことがある。そういえば、ボグラムは破滅将来体が寄越した怪獣だったのか、それとも地球本来の怪獣だったのか。まだ検証していなかったなと、我夢はふと思い出した。
あの時、藤宮と出会った。 「君が二人目だったんだ」と冷たく見下すような視線で言った藤宮に我夢は戦慄して、彼の言う理屈を真っ向から否定した。
あれから、対立は深まってとうとう完全に嫌われてしまった。藤宮の理論や行動は理解出来たけれど、それを肯定する訳にはいかなかった。たとえ、嫌われようと憎まれようと、自分が感じた地球の意志は藤宮のそれとは違う物だと信じていたから。
「どうかしましたか? 」
黙ったまま立っている我夢を怪訝に思ったのか、心配そうに神山が声を掛けてくる。我夢は、我に返ると顔を上げ、何でもありませんと首を横に振った。
「調査したんですか」
「いえ、これからです。その前にこちらにデータが何か無いかと思って来たんです」
「破滅将来体に関しては、決定的な物はありません。強いて言えばアブラナ山に眠っていた炎山くらいですが、あれも破滅将来体の物ではありませんし」
樋口の言葉に我夢は頷いた。陸地での調査は行ったが、海への調査はそういえばまだしていなかったのではないか。
「沖の海域を調査した方がいいですね。海の中はチームマーリンが、空からは私が行きます」
「僕も行きます。ちょっと気になるし」
樋口に告げる神山に、我夢は言った。
「でも、大学の方も忙しいんではないですか」
「何日もかかるとは思えませんし、それにたまには実家に顔見せたいなんて、公私混同ですけど」
笑顔で言う我夢に、神山も笑みを浮かべ頷いた。
チームマーリンとは南房総にあるマリーナで落ち合うこととし、我夢は神山と一緒にシーガルフローターに乗った。シーガルフローターはマリーナ上空に待機していたが、連絡が入ると現場へ向かう。
「おや、あれは…」
現場付近は船の航路から外れているし、漁場でもないので船は無いはずだったのだが、一隻のクルーザーが停泊していた。調査中に何が起こるか判らないからと、神山はそのクルーザーに通信を入れる。だが、返ってきた応えは二人を驚かせた。
『ここを離れる訳にはいかないな』
「藤宮!? 何でここに」
我夢は神山に頼んでシーガルをクルーザーのすぐ側まで降ろしてもらう。船上に現れたのは、シーガルがもたらす風に目を細めて見ている藤宮と、寄り添うように側にいる吉井玲子だった。
藤宮が居たことにも驚いたが、玲子が側に居ることにもっとショックを受け、我夢は目を見開いて固まってしまう。
神山は少し高度を上げ、クルーザーから離れてセイレーンからの連絡を待った。
「藤宮さんが来ているということは、やっぱり何か異常があるんでしょうね。彼は確か海洋学が本当は専門だったと聞きましたが」
「…そう、ですね。専門というか、やりたかったって言ってました」
神山の声に漸く気を取り直し、我夢は計器に視線を戻した。遊びに来ていた藤宮と玲子が、偶然異常がある海域に居たとは考えにくい。ということは、やはり調査に来たのだろう。何故玲子が一緒なのかという疑問は残ったが、我夢はそれを振り払って意識を仕事に振り向けた。
調査の結果、異常な高温と泡が観測され海底火山の前触れではないかと思われた。しかし、それ以外にも不思議な海底の亀裂や煙など、続けて調査しなければ結論は出ない。ただの自然現象ならば
XIGの出る幕はないが、その方が良い。
セイレーンは残って調査を続けることになり、我夢はシーガルからマリーナに降り立った。ここから出るバスで時間はかかるが実家まで帰る事が出来る。久しく帰っていないから、連絡もせずに行ったら驚くだろうか。
我夢は空に上がっていく神山に手を振ると、荷物を持ってバス停へ向かって歩いていった。ふとマリーナの方を見ると、藤宮が乗っていたクルーザーが入港している。出来れば会いたくないと、我夢は足を早めた。
「我夢」
目の前を塞ぐように現れた藤宮に、我夢は驚いて立ち止まった。
「脅かさないでよ。何? 調査の結果なら後で纏めて出すから、君の方も何かあったら提出してくれると嬉しいんだけど」
ぎこちなく笑みを浮かべて我夢はそう言い、急いでいるからと藤宮の脇を擦り抜けようとした。だが、腕を捕まれ引き留められる。
「どこへ行くんだ」
「実家だよ。久しぶりに顔を見にね。ここからバスですぐだから」
いつもと同じような状況に、我夢は肩を落としたが引きつった笑みを浮かべて言った。やんわりと腕を解こうとした我夢は、先に手を離されて僅かに目を開いた。
「高山君、久しぶり」
駆けてきたのか息を弾ませて玲子が近付いてくる。我夢は軽く会釈をした。
「やっぱりあの海域には何かあるのね」
玲子も軽く頭を下げると、嬉しそうに言って藤宮を見た。
「あの、どうして貴女が」
「この近所を取材してたら、海が変だっていう地元の人の話があったの。ほら、この辺って怪獣なんかよく出たところでしょ。もしかしたらと思って」
XIGに通報する前に藤宮に話したという玲子の言葉に、我夢は二人の親密さを感じ取って愕然とした。気軽に調査を頼めて、そんな危ない場所でも一緒に付いていく程の間柄なのか。
「調査は…XIGの方で続けますから、危ないですし、あの海域には近付かないでください。結果は広報を通してKCBにも伝えます」
我夢の固い声に、玲子の眉が一瞬顰められる。反論しようとした玲子は、腕を上げて止める藤宮に非難の眼差しを向けた。
「海底火山のある地脈じゃないんだが、出方は似ている。自然現象かどうかは調査次第だが、セイレーンの能力なら直ぐに判るだろう。あの島の取材はその後にまたすればいい」
島という言葉に、我夢は問うように二人を見つめた。
「あの沖にある小さな島よ。無人島なんだけど変わった生態系を持っている生物が居て、その付近の海も豊かで荒らされていないの。藤宮君も興味持ってくれて調査しようってことだったのに。やっと少し時間が取れて来たらこれだもの。今度はいつ時間が取れるのかしら」
溜息を付きながら言う玲子を、我夢は驚いて見つめた。ジオベースに詰める時間は、やっぱり海洋研究の方を犠牲にしていたのだ。
「だから…来なくていいって言ってるんだ。どうして、他人のために自分の研究ほっとけるんだよ」
「我夢」
我夢は拳を握りしめ、藤宮に視線を移した。藤宮は眉根を寄せ、我夢を見つめている。
「もう来るな! 僕は君がいなくたって平気だ。君を必要となんかしてない! 」
大声で怒鳴る我夢を、目を見開いて玲子は見ていたが、藤宮は僅かに目を眇めただけだった。歯を食いしばって泣きそうになる気力を振り絞り、我夢は二人から逃げるように走り出した。
丁度来たバスに乗り込み、我夢は座席に座ると両腕に顔を埋めて外を見ないようにする。どちらも追いかけては来なかった。これでもう、二度と藤宮は自分に会ってはくれないだろう。藤宮は怒鳴られて不快だったろうけど、清々しているかもしれない。
「藤宮…」
それでも、嫌いだとは言えなかった。「好きだ」という自分の言葉が藤宮を縛っているのは解っていたけれど、取り消せない。こんなに好きでなければよかったのに。
我夢はバス停が目的地に着くまで、顔を上げることは出来なかった。
呆けたような表情で現れた我夢を、重美はいつもと同じように迎えた。休日が重なったために久しぶりに父親の顔も見て、我夢はともすれば暗くなっていく気持ちを切り替えるようにふざけたりはしゃいだりした。
休暇は二日取ってあったが、我夢はジオベースに戻るのを出来るだけ遅くしようと、家でぐずぐずしていた。
「我夢、迎えが来てるわよ」
荷物を抱えたまま居間でぼんやりしていた我夢は、重美の声に飛び上がった。迎えなど頼んだ覚えはない。まさか藤宮が、と慌てて飛び出した我夢は、笑顔で重美と会話している神山の姿に力が抜けてしまった。
「神山さん、どうしたんですか」
「済みません、連絡もしないで。実はあの海域での調査なんですが、もう一度行ってくれとのことなので、迎えに来ました」
あれからセイレーンでの調査は進んだものの、結果はまだ出ていないとのことだった。今度は空からだけでなくもっと近くで見て、我夢の勘と経験を生かして欲しいとの樋口の言葉を伝え、神山は踵を返し歩き始める。
「ほら、何ぐずぐずしてるの。さっさと行きなさい」
「う、うん。じゃ、また」
ジオベースではなく、藤宮とあんな別れ方をした場所へ戻らなければならないかと思うと、我夢は憂鬱で顔を曇らせた。
「あの…」
「何です? 」
ベルマンを運転している神山に、我夢は恐る恐る訊ねた。
「藤宮…来てました? 」
「いいえ、あれから姿は見ていません」
神山の答えに、我夢は吐息を付いた。
「そうですか」
「喧嘩でもしましたか」
神山にそう聞かれるのは二度目だ。今度も喧嘩じゃなくて、我夢が一方的に宣言したことである。我夢が微かに首を振り、そのまま黙っている様子をちらりと横目で見ると、神山はそれ以上問うことはせず車を走らせた。
マリーナに着くと、我夢は神山に付いて歩いていった。我夢は俯いたまま付いていったので、その船に近付くまでそれが藤宮のクルーザーだとは気付かなかった。
「高山さん、逃げてばかりはいけませんよ」
足を止めてしまった我夢に、神山は笑みを浮かべてそう言うと、促すように手を差し出す。我夢は唾を飲み込むと、意を決してタラップを上がっていった。
「それでは、私は空からフォローします」
我夢を見送ると神山は去っていく。一瞬我夢は、その後を追って行こうとしたが、後方からの強烈な視線に動きを止めた。
「海上から調査する。場合によっては潜ることになる」
淡々とした藤宮の言葉に、我夢は小さく頷いて船室へ向かった。これは仕事なのだ。個人の我が儘でやめるわけにはいかない。藤宮はそのことを良く解っている。解って無くて子供っぽい感情に振り回されているのは自分なのだ。
藤宮は我夢の横を擦り抜けて操舵室に入り、エンジンを掛ける。船の中なのに、ゆったりと造られたキャビンはほのかに木の香りがした。
自分と同じように玲子もここに居て、操縦する藤宮の背中を見ていたのかなと我夢がぼんやり考えていると、船はゆっくり停止した。