我夢は立ち上がり、甲板に出て海の中を窺う。マーリンがセイレーンで調べて判らないものを、どう調べればいいのだろう。勘も知識も経験も、今の我夢には自分のことで精一杯で役に立つとは思えなかった。
「潜ってみる。ここで待ってろ」
暫く波間を見つめていたが何も感じ取れないでいた我夢は、藤宮の言葉にはっと振り向いた。ウエットスーツを着けすでに潜る準備をしていた藤宮の姿に、突然不安が沸き起こって我夢はその腕を握りしめた。
「気を付けて」
「…ああ」
微かに藤宮の視線が揺れ腕に力が入ったが、頷いただけで海に飛び込んでいく。姿が見えなくなり泡も消えると、我夢の不安は一層強まった。
手摺りを握りしめていた腕のシグナビがいきなり鳴り、我夢はびくりと手を離す。目を瞬かせ、我夢は詰めていた息を吐くと応答した。
「はい、我夢です」
『亀裂が広がっている。温度の上昇は観測できないが、近付かない方がいい』
画面に現れたのはマーリンのリーダーである横谷で、冷静に状況を告げてきた。
「藤宮が潜っているんです。そちらから補足できませんか」
『濁りが酷くてそれは困難だ。通信はできないのか? 探してみるが』
「お願いします」
頷く横谷との通信を切ると、我夢は手摺りから身を乗り出して海の中を見つめた。上の方は透明な青い水面が広がっているが、底の方は人の姿も判らないほど濁っているらしい。亀裂から何か吹き上がっているのだろうか。
突然何かの唸り声が聞こえたような気がして、我夢はあたりを見回した。あの最終決戦から今まで地球怪獣達は姿を現していないが、居ることだけは確かだ。もしかしたら海に未知の怪獣が居るのではないかと、我夢はやきもきしながらじっと海を見つめていた。
海の水が徐々に濁っていく。大きな泡が立て続けに海面に現れ、船は大きく揺れた。我夢は振り落とされないように手摺りにしがみつき、藤宮が上がってこないかと呼びかけてみる。だが、大小沢山の泡が吹き上がってくるばかりで姿は見えない。
「藤宮っ!」
少し離れた場所にウエットスーツの影らしきものを見いだして、我夢は叫びダイビングの経験もなかったが、そのまま海に飛び込んだ。水面が吹き出す泡で先が良く見えない。一旦立ち泳ぎで辺りを見回した我夢は、ゆっくり近付いてくる影に慌てて泳いでいった。
「藤宮」
ぐったりと仰向けで浮かんでいる藤宮の背中側に回り、我夢は身体を抱えると船に向かって泳ぎ始める。船に辿り着いた我夢は、上から声を掛けられ船上を見上げた。
「ロープを下ろします。それに彼を」
船の上にはシーガルが浮かんでいて、神山の言葉どおりに救命用ロープが下ろされる。我夢が藤宮をそれに括ると、シーガルは徐々に上昇し、その間に我夢は船上に上がって助け降ろした。
「セイレーンが浮上するまで、もたせてください」
今回神山は一人でシーガルに乗っている。自動操縦に任せ揺れる船に乗り移るよりは、チームマーリンに託した方が良いと、神山は我夢に伝えた。
我夢は震える手で藤宮のウエットスーツを半分脱がし、息を確かめる。呼吸してないと判ると、以前習った救急方法を思い出して、マウストゥマウスで息を吹き込み、心臓マッサージを行った。
落ち着け、と言い聞かせながら確実に実践していく。だが、藤宮の目は開かれない。
「…藤宮……僕には君が必要なんだ…生きてる君が。藤宮…」
零れる涙を拳で拭いながら、なおも心臓の上を押し続けていた我夢は、その拳に触れられて硬直した。藤宮の目が薄く開かれ、我夢の顔を凝視している。
「…簡単に死なすな…我夢」
「ふ、藤宮っ」
拳から手を滑らせるようにして藤宮は我夢の目尻を指先で拭った。我夢は藤宮の口端に浮かんだ微笑みに、硬直が解け抱きついた。
嗚咽を漏らし、強く抱きついてくる我夢を柔らかく抱き締め返し、藤宮はその耳元に囁いた。
「さっきの言葉は、本当か」
意味も掴めず、ただ生きていたことが嬉しくて、我夢は何度も頷く。それに満足したように藤宮は笑みを深くすると我夢の髪を撫でた。
「…全然大丈夫みたいだな」
「それじゃ、報告してもらわないと」
冷静な声と、面白がっているような声が聞こえ、我夢は慌てて藤宮から離れて振り向いた。セイレーンは船の隣に横付けされており、横谷と今井の二人が腕を組んでこちらを見つめている。おろおろする我夢を後目に、藤宮はゆっくり起きあがると脱げかかっていたウエットスーツを全部脱ぎ、海面に目を向けた。
「亀裂は怪獣のせいだが、起こしたのは人間だ。この辺りを最近どっかの国が魚雷実験場にしたらしい」
「それは我々の調査でも判った。俺達の目と鼻の先でやるとは嘗められたもんだ」
顔を蹙め横谷が言うと、全くというように今井も頷く。
「本来はもっと沖の海溝付近でやるつもりだったんでしょうね。それで、怪獣は起きてしまったんですか?」
今井の問いに藤宮は答えず、ただ海を見つめている。起きてしまえばそれが人間に害をなす前に戦わなければならない。人間のせいで起こされて暴れたとしても、怪獣の罪ではないのだろうけど。
「我夢、声は聞こえるか」
藤宮の言葉に、我夢はその隣に足を進め海を見つめた。泡は徐々に小さくなり波の揺れも収まってきている。
「聞こえない。怪獣の声も、地球の声も。きっとまた眠りについたんだ…」
「そういうことだ。また同じ過ちを人間がしない限り、いつまでも寝ているだろうさ」
藤宮はそう言うと、話は終わったと言うようにキャビンの中へ入っていく。横谷は不服そうに鼻を鳴らすとさっさとセイレーンの中へ戻っていった。
「彼の力でしょうか」
「え」
「怪獣を眠りに戻したのは」
自分たちにはもうウルトラの力は宿っていない。ただの人間なのだが、今井はそう言うとにこりと笑って横谷の後に続いた。
そうかもしれないと我夢は再び海を見つめる。アグルは地球の海の光を受けた戦士だった。海に愛され、深く澄んだ海の青い戦士。ジオベースやエリアルベースよりここの方がずっと彼に相応しい。
「我夢、戻るぞ、入れ」
藤宮に促され、我夢はキャビンに戻った。けれど藤宮は船のエンジンを掛けようとはせず、我夢の前に立った。
「早く戻って一応医者に行った方がいいよ」
「大丈夫だ。それより…」
口を閉じてじっと見つめる藤宮に、我夢は先ほどの醜態を思い出して顔を赤く染め、目を逸らした。
「な、何」
「単刀直入に言う。俺もお前が必要だ。気に入らないところがあれば出来るだけ気を付ける…だから側に居させてくれ」
我夢は呆然として藤宮を見つめた。自分のことを思いやってそう言ってるのだろうと、口を開き掛けたが、藤宮の瞳に切なく揺らぐ光を見た気がして、我夢は口を閉じた。
その光を湛えたまま、藤宮は真っ直ぐ我夢に近付いてくる。肩を抱かれ、胸の中に抱き締められ、我夢は身じろぎも出来ずその中に収まった。
「触れられたくなければ、触れない。見ているだけでいい。いや…嘘だな、こう、したくて身が焦がされる。腕の中に閉じこめてどこにも、誰にも渡したくない」
藤宮の告白を我夢は遠くで聞いていた。今までの出来事や想いが頭の中でぐるぐると渦巻いている。いくら計算しても答えが出てこない。
「さっきのお前の言葉は、俺を別の死の淵から呼び戻した。我夢…居てくれるな」
我夢は藤宮の懇願に頬が熱くなり、くらくらしてきた。僅かに身を離し藤宮の瞳を見つめると、我夢は今までの葛藤や計算を切り捨て、素直に言葉を出せた。
「僕は君が好きだ。側に居たい…ずっと」
我夢はそう告げると、自分から口付けた。
たとえ藤宮が自分を嫌いだとしても、側に居て欲しいと願うなら…いや、側に居たいのは我夢の方の願い。それだけが本当の自分の想いだ。
離れようとした我夢の唇を追って、藤宮は深く激しく口付けた。
そのままキャビンに設えられたソファに藤宮は我夢の身体を横たえる。貪るような口付けに翻弄されていた我夢は、藤宮の手がシャツを潜り胸を撫で始めると、びくりと身体を竦めた。
傷つけられたトラウマより欲する気持ちの方が強いと、我夢は強張る腕を伸ばして動きを止めてしまった藤宮の身体に回し、強く抱きついた。
藤宮の腕は、我夢の強張りを解すようにゆっくりと動いていく。安心させるよう、宥めるような愛撫に我夢は、徐々に力が抜け身体の奥から熱が湧き出てくるような感覚を覚えた。
「あぁ…っ…」
藤宮の手で自身を吐き出された我夢は、その奥に触れられて無意識に身を捩って逃れようとした。
「やだ…平気だから」
自分の恐怖する様に身を引こうとした藤宮を、我夢は引き留めて続けるよう促した。
藤宮は暫く躊躇していたが、脇の棚からオイルを取り出すと指に付けて我夢の秘められた部分に塗り込めた。
藤宮が入ってくると、痛みと苦しさが怒濤のように我夢を襲う。だが、それは身体には苦痛かもしれなかったが、心には甘美な喜びを与えてくれた。
「我夢………だ…」
藤宮の声を微かに聞きながら、我夢は眠りに落ちていった。
「どうやら心配はいらないようですね」
波に漂うまま動こうとしないクルーザーを見下ろしながら、神山は目の前のモニターに映っている横谷に告げた。今まで事後処理をしていたのだが、その間クルーザーは今居る位置から動いてはない。中で何が起こっているか、横谷は理解できなかったが神山の様子からすると大丈夫らしい。
神山は横谷に帰還するよう告げると、自分ももう一度眼下を見下ろし、機種をジオベースに向けた。