Little Hope 2

   我夢はジオベースの食堂で黙々と食事を採っていた。大学とジオベースを往復するのは大変だったが、やり始めると夢中になるタイプの我夢は若いだけあってそれが苦にならない。今もカレーを掻き込みながらノートパソコンの画面を目で追っている。
「そんなことしてるとケンコーにヨクないよ」
 休憩に入ったらしいジョジーが眉を潜めて我夢の隣に座りながら言った。この手のことは何度も言われ慣れてしまっている我夢は、相手がジョジーだと判るとちらりと見ただけで再び液晶画面に目を移す。
 これが梶尾や稲城あたりのうるさ型なら…性質的には正反対の煩さだが…ノートを閉じて避難するところだけれど。
 呆れたように我夢を見たジョジーは、処置なしというように肩を竦めて自分も食事を採り始めた。
「あ」
 短い驚きの声を上げ、ジョジーの手が止まる。気にせずにいた我夢は、つんつん脇腹をつつかれて煩そうにジョジーを見た。
「なんだよ」
「食事をするならノートは閉じた方がいいな」
 いきなり後ろから声をかけられ、我夢は驚きのあまり椅子から飛び上がってしまった。だから教えたのにというようにジョジーはちらりと我夢を見たが、自業自得と二人を無視して食事を続けた。
「な…どうしてこんなとこに」
「俺がここで食事をしたらいけないか」
 不機嫌な表情でそう言うと、藤宮は手に持っていたトレイを乱暴にテーブルの上に置きジョジーと反対側の我夢の隣に座った。
「いけなくないけど」
 藤宮はあまり組織というものに馴染まない人間なのは、少し付き合ったことのある者なら誰でも判ることだ。それなのに何故かこのところ頻繁にジオベースにやってきて、破滅将来体の後始末や研究を手伝ってくれている。
 藤宮が手伝ってくれるのは自分がしたことへの償いなんだろうと我夢は思っているが、それももう充分に尽くしてくれただろうし、実際一度はここを離れた筈だ。
 好きな海洋研究も今のような状況では満足にできてないんじゃないかと、我夢はちらりと藤宮を見た。
 不味そうにサンドイッチを食べている藤宮と視線が合って、我夢は焦って水の入っているコップに手を伸ばした。
「ああっ」
 手が滑ってコップは倒れ、水がノートパソコンのキーボードに降りかかる。ジョジーは慌ててハンカチを取り出し我夢に渡した。それを受け取りキーボードを拭こうとした我夢の手を藤宮の手が止める。
「このまま電源を落とせば一発でアウトだぞ。少し落ち着け」
「う、うん」
 そんなこと言われなくても解っているが、藤宮の手に捕まれたことで更に我夢は動揺し、半分腰を浮かしたまま硬直してしまった。
「ガム、それ貸して」
 見かねたジョジーがハンカチを取り戻し、キーボードを不用意に押さないよう周りを拭いていく。このまま乾くまでほっといたほうが安全だろう。
 我夢は腰を下ろすと息を吐いた。取り敢えずパソコンは無事だったようで、画面に変化はない。だがまだ藤宮は我夢の手を離そうとしなかった。
「藤宮、あの、手」
 藤宮は困ったように言う我夢を無視して、空いているもう片方の手でサンドイッチを黙々と頬張っている。
「おサキね」
 ジョジーは助けを求めるように視線を向けてきた我夢ににっこり笑うと、席を立って行ってしまった。他に誰か居ないのかと見回しても、二人を遠目で窺っている普通の作業員くらいしかいない。
 諦めて我夢は椅子に深く座り直した。残っているカレーを食べる気にはなれず、ノートパソコンは触れない。とすると意識は捕まれている手に集中してしまい、藤宮の手の温かさがじんわりと伝わってきて、我夢の手の方が更に熱を帯びてくるような気がした。
 藤宮はサンドイッチを食べ終わると、そのまま片手でトレイを持ち立ち上がった。当然捕まれたままの手も引っ張られ、我夢は引きずられるようにして立ち上がった。
「ま、待って、僕まだこれ」
「後で取りにくればいい」
 そう言う藤宮に、我夢は仕方なくまだ残っているカレーの皿を持ち、洗い場に下げた。食堂を出て二人は研究室へ向かう。すれ違う人々の視線は繋がれたままの手に集まっているようで、我夢は恥ずかしくて顔を僅かに伏せたまま歩いていった。
「ずいぶん早いですね。もう食事は終わったんですか」
 研究室に入ると、樋口に僅かに驚きの混じった穏やかな声を掛けられた。藤宮は軽く頷くとモニターの前に移動する。いつのまにか外されていた手に、我夢は目を瞬かせ自分も別のモニター前に座った。
「高山さん、今日は大学の方はいいんですか」
 相変わらず敬語口調を崩さない樋口にモニターの陰から顔を覗かせ、我夢は答えた。
「後ちょっとしたら出ます。すみません、こっちの方中途半端で」
「いえ、もう普通の学生である貴方に本来なら手伝ってもらう訳にはいかないんですけどね。それに、藤宮さんが最近は積極的に手伝ってくれますから、大学の方優先していただいていいんですよ」
 にこりと笑って言う樋口に恐縮しながら、我夢は隣のモニター前に座っている藤宮を複雑な思いで見つめた。
 半年ほど前、漸く世間の噂が収まってGUARDやジオベースの機能も回復し、後始末がだいぶついた頃、藤宮は隠っていたここから誰にも告げずに出ていった。
 組織に縛られることなく、好きな海洋研究をするために出ていこうとする藤宮を我夢は引き留める術がなかった。だから、もう会えなくなるかもしれないという恐怖に押されて我夢は「藤宮が好きだ」と告白したのだった。
 引き留めようと思った訳でも、同情を引こうと思った訳でもない。ただ告げたかっただけなのに、藤宮はどう思ったのか我夢に自分の居場所を教えた。
 受け入れられたんじゃないと解っていても、嬉しくて時間があると我夢は訪ねていった。藤宮が居ても居なくても、その場所があるというだけで安心できた。
 それが藤宮にとって迷惑なだけだと心の隅で解っていたのに、我夢は決定的なことが起きるまで気づかないふりをしていた。それが起きてしまって、離れようと決心したのに。
「何だ」
「な、何でもない」
 見つめていたのに気づいた藤宮が、不審そうに我夢を見返す。我夢は慌てて目を逸らすとデータを打ち込み始めた。まだ注がれている藤宮の視線が痛い。できるだけ藤宮に会わないようにと思って今日も一人で食事をしながらデータの整理をしていたのに、ここに連行されてしまった。
 そう、あの手を捕まれて引っ張ってこられたのはまさに連行だろう。早く仕事を終わらせたいからって、そんなことするくらいなら藤宮もジオベースに来なければいいのにと我夢は吐息をついた。
 一段落つけてデータを保存すると、我夢はそっと立ち上がった。リュックを取り素早く出口に移動する。樋口に黙礼して外に出た我夢は、駆け出そうとして腕を捕まれた。
「送っていく」
「いいよ。シャトルバスで行くから」
 いつの間に席を離れたのか、見下ろしてくる藤宮に一応断ってみたが、そのまま腕を引かれて駐車場に来てしまった。ここのところ毎回同じことが繰り返されている。断っても聞き入れられたことはない。諦めて藤宮の車に我夢は大人しく乗り込んだ。
 早く車を買って自分でどこへでも行けるようになれば、こんなことにはならないだろうと我夢は何度も考えたことを改めて思った。車を買うくらいの貯金はあるが、なんだかんだで見に行ってる暇がなく結局いつも誰かのを借りるかこうして送ってもらうばかりになってしまうのだ。
 会話もなく、何度目かの溜息を我夢が付いた時、藤宮の車は滑らかに大学構内に入り駐車スペースに停車した。
「藤宮、何度も言ったけどさ、もう送ってくれなくてもいいよ。ほんと悪いしさ」
 ドアに手を掛けながら我夢はそう告げた。いつだってそう言うと藤宮は、気にするなと応えて終わるのだが、今回は我夢を見たまま口を開かない。
 新展開だと思って我夢はドアを開かずに藤宮の方を見返した。
「ならどうやって通うつもりだ」
「えっ、いつも言ってるだろ。バス使うとか別の人に送ってもらうとか」
 我夢の答えに藤宮の目が眇められる。と、その目が近づいてきて我夢の鼻先数センチ前で止まった。ぎょっとして瞬きもせず目の前の端正な顔を見つめていた我夢は、シートベルトこそ外していたものの、藤宮の両腕でがっちり拘束されていることに気付き青ざめた。
「ふ、藤宮?」
 藤宮が何に怒っているのか…怒っている訳でもないようだが…解らず、我夢はどこにも逃げ場がないまま身を縮ませる。  
  その時、窓を軽くノックする音がして藤宮は我夢の身体から離れた。我夢はぎこちない手つきでドアを開け、藤宮に礼を言うと即閉めてしまう。緊張した空気がそれによって遮断されたかのように、我夢はほっと息を付き力を抜いた。藤宮は暫く窓越しに我夢を見つめていたが、車をスタートさせた。なんとなく溜息を付いていたように見えたのは、我夢の気のせいだろうか。
「こんな真っ昼間の駐車場でアレはまずいっしょ」
 にやにやと笑みを浮かべながら立っていた救い主はサトウだった。
「別に喧嘩してた訳じゃないよ。なんか、藤宮が怒っちゃって…面倒なのに送ってやって感謝が足りないってことなのかな」  
  首を傾げる我夢に、サトウの方も首を捻る。喧嘩しているように見えた訳ではないが、といって我夢が言ってるように見えたのでもない。どちらかというと、あのままシートを倒して襲いかかる、ような場面に見えたのだがいくら何でも男同士でそれは無いだろうと、サトウは考えを振り払って歩き出した。
 ラボの中でデータに付いてあれこれナカジと話している我夢を横目で見ながら、サトウは先ほどの出来事をマコトに面白そうに話した。
「なー、あいつでもふざけてそんなことすんのかと思ったら、ちょっと親近感沸いたよ」
「…ふざけてね」
 藤宮の話はあの戦いの最中にも何度か我夢から聞いていて、会ったことがなくても随分いろんな知識をマコトは得ていた。どれも我夢の目を通しての藤宮だったので、紹介された時には印象がかなり違っていて驚いたものだ。
 我夢は藤宮が自分を嫌っていて、同じウルトラマンだったから仕方なく付き合ってくれているんだと、初めてここに迎えに来て会った時に寂しそうにマコトに言った。
 マコトの目には、藤宮は嫌々ながら我夢に付き合っているようには見えず、むしろ監視しているというかなんというか、自分の目の届かぬ所に置いておきたくないというように見えたのだけれど、違うのだろうか。
 普通そういうのは独占欲とか所有欲とか、取り敢えず恋人や愛人に対して抱くもので、男同士にそれはあったとしても、それほど激しいものにはならない筈だ。マコトは、自分だって他のラボの連中に我夢を手伝いと称して引っ張っていかれたらむっとするもんなあと、しみじみ頷いた。
「何さぼってんだ。そっちのデータ早くスキャンしてこっち渡してくれよ」
 我夢が両手を腰に当て怒ったように言うと、サトウはいつも手にしている扇子で自分の頭をポンと叩き、にこにこしながら近づいていった。
「いやあ、マコトにね、今朝の一件を報告してたんだよ。あの藤宮センセがふざけるなんて可愛いじゃんってね」
 我夢は眉を潜めサトウを見ると軽く溜息を付いて両手を伸ばした。
「ふざけたりしないよ、藤宮は。あれは…やっぱ怒ってたんだ」
「何を怒るのよ。マズイ事でも言ったんかい」
「僕が好きだって言った後から、変なんだ」
 我夢の言葉に、それまで茶化しムードだった空気が一瞬止まる。我夢以外の三人は目配せし合い、暫く誰が次の質問を発するか言葉に出さずに協議していたが、咳払いを一つしてマコトが訊ねた。
「我夢、好きだってのは、何を、なんだ」
「藤宮のことをだよ。始めから嫌われてるの解ってたけど、せめて僕は好きなんだって伝えたかった。嫌いな奴に好きって言われても迷惑なだけなのにね」
 大きく吐息を付いて項垂れる我夢に、三人は再び目で語り合った。
「その、聞いてもいいか、我夢」
 恐る恐るマコトが言うと、我夢は顔を上げて三人を見た。その黒目がちの大きな瞳は微かに潤んでいる。
「なに」
「好きってのは、チョコパフェが好きとかケーキが好きとか、そういう意味のか?」
「何でそこで食べ物が出てくるんだよ。チョコパフェ見たってどきどきしないだろ」
 口を尖らせて反論する我夢に、マコトは指先で自分の眉間を摘んだ。
「そうか…解った。で、何で嫌われてるって思うワケ」
「だって…僕たち最初から対立してて、その頃決定的に嫌われちゃったんだ」
 我夢の低い声にサトウはマコトの後ろから身を乗り出して言った。
「そうは見えなかったけどなあ。嫌いな奴を送り迎えとかしないし、一緒に働いてんだろ、あいつと」
「藤宮は大人だから、きっと償いのつもりでいるんだよ。もう必要ないって言ってるのに、僕があんまり頼りないから」
 今度は瞳ばかりでなく声までうるうるしてきた我夢に、マコトはサトウの脇腹をつついた。サトウは口を手で押さえ、ナカジの肩を強く押す。
 転がり出たナカジは我夢の側で暫く二人とおろおろ視線を交えていたが、眼鏡を取ると拭きながら言った。
「えーと、取り敢えず送り迎えがイヤなら車買えば。そんで、好きならもっと積極的にアタックしてみるとか、ドライブにでも誘って。ほら、そういうのサトウが詳しいじゃないか」
 ナカジの言葉に、二人は焦って手を振った。それは答えとしてはだいぶずれているような。
「そうだ、やっぱり車買えばいいんだ。よし、絶対今週中に買おう」
 拳を握りしめ、我夢は決心したように言うと、くるりと踵を返して再び実験モニターの前に向かった。
「なんか、納得したみたいだぞ」
「いいのか、あれで」
「二人の問題は二人にしか解けない。俺たちが口を挟むとややこしくなる…と思うな」
 最後のマコトの言葉に、二人は深く頷いた。話があまり見えないが、我夢はすでにかなり曲がりくねった道に入り込んでいるようだ。これ以上突っ込むとメビウスの輪状態になるかもしれない。
「早くデータくれってば。先に進まないじゃないか」
 我夢の苛立った声に、三人は飛び上がるとそれぞれの持ち場に戻っていった。



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