君を想うとき

 科警研建物から出た一条は時刻を確認すると眉を僅かに顰めて吐息を付いた。ゴウラムと言うらしい古代からの出土品が、トライチェイサーに及ぼした影響などの調査経過を蕩々と榎田が語るものだから予定よりすっかり遅くなってしまったのだ。
「送っていく」
「はい、ありがとうございます」
 自分の足であるトライチェイサーを預けている五代は、行きも帰りも素直に一条の車に乗り込んだ。初めて未確認生命体が現れてから暫くは、隣に警察関係者ではない一般人が乗ってることに対して多少気を張り詰めたものだったが、五代の性格に慣れ親しむうちにすっかりこうしているのが当たり前のような感覚になってしまっている。
 どれだけ緊張していても、絶体絶命の場面であっても、五代の屈託のない笑顔に一条も釣られて笑みを浮かべてしまう。その笑みで余分な力が抜け、相手に立ち向かう気力が湧いてくる。
「すまんな、すっかり遅くなってしまった」
「いいえ、榎田さんのお陰で助かってるんだし、いいですよ」
 榎田のはしゃぎっぷりを思い出したのか、にこにこと笑って五代は手を横に振った。
「どこかで飯を喰っていくか」
「あ、俺良い店知ってます」
「…俺の知ってる良い店じゃ駄目か」
 五代の言う良い店とは、もちろん自分が世話になっているおやっさんの店である。一条は苦笑を浮かべて五代にそう言った。
 五代は一瞬きょとんとしていたが、すぐに頷いて笑い掛けた。
 車は夜のひっそりした道を走り、暫くするとビルの地下に滑り込んでいく。駐車場からエレベーターで一階上がるとそこはホテルのロビーだった。
 フロントを通り過ぎ一条は奥のレストランに入っていく。五代も後に続くと、案内された席に座った。
「ホテルのレストランなんて、高いんじゃないですか」
「心配するな、奢りだ」
「そんな訳にはいきませんよ」
「未確認のせいで夜営業している店が少なくなっているからな。まあ、奴らには夜も昼も関係ないようだが。この辺じゃファミリーレストランも閉まってる」
 はあ、そうなんですかと五代は納得したように頷くとメニューを開いた。昼も夜もないといえば、未確認の担当である一条もではないだろうか。一体現れてはまた一体と、一度に出てこないのが救いといえば救いなのだけれど、夜じゅう本部に詰めていることも多いだろうに。
「だから夜やってないって知ってるのか」
「ん、何だ」
「いえ、一条さんもほんと大変だなあって」
「君の方が大変だろう」
 苦笑を浮かべながら言う一条に、五代は頬を指で掻きながらそうかなあと天井を見上げた。
 一番安いコースのディナーを注文すると、グラスワインがセットなのかテーブルに置かれた。どうしようかと見ている五代に勧め、車だからと自分の分も飲んでいいと一条は告げる。
 五代はグラスを傾けて暫く色を透かして見ると、一息に飲み干した。驚いて僅かに目を見開く一条に、大丈夫と親指を立てて見せ、もう一つも空にしてしまう。
「空きっ腹だと酔うぞ」
「ワインは久しぶりだから、そうかも。でも、一条さんが送ってくれるから安心です」
 にっこり笑う五代に、一条は顔が熱くなるのを感じて慌てて水を飲んだ。その様子に五代は訝しげに一条を覗き込む。
「ワインじゃないですよね、それ。顔赤いですよ」
「ん、ああ。いや、暑いな」
 掌で自分の顔を扇ぐ一条に首を捻りながらも五代は乗り出していた身を引っ込めると、運ばれた料理を美味しそうに食べ始めた。
 ちらりと五代を見て無心に食べている姿を確認すると、一条も食事に手を着けた。
 最近、一条は五代の笑顔に安心するのと同時に胸が熱くなることが多くなった。ほとんど毎日見ているというのに、その笑顔に胸の鼓動が早くなり高くなる時もある。
 杉田に長野に彼女が居るんだろうと突っ込まれて、瞬間五代の顔を思い浮かべるに至って一条はそういう意味で意識しているのだと理解してしまった。
 それなりに女性と付き合ったこともある。その手の趣味は生まれて一度も感じたことはない。なのに五代と居ると幸福感に包まれる。それに友情と名を付けていられたのは少し前までだった。
 一度短い眠りの間に五代を翻弄する夢を見た後は、自分がおかしくなってしまったのかと戦慄した。けれど、自分が五代に感じているものが友情とは形を変えつつ在ることも今では自覚している。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
 手を合わせて言う五代に、一条は我に返って残りの食事を片づけた。普段ならばもう少し入っているだろうレストランの中は既に自分たちしか居ない。いつになったら夜でも昼でも安心して街を歩けるようになるのだろうか。
「どうしたんですか」
「いつになったら…いや、よそう」
 思わず出そうになった愚痴を引っ込め、一条は伝票を取ると立ち上がった。
「大丈夫です。必ず終わりは来ます。いえ、来させますよね、俺達で」
 一条の言葉を察したのか、五代は一瞬真剣な表情をするといつものようににっこり笑って言った。ああ、と頷いて一条も笑みを返す。先に車に乗っていてくれと言うと一条はレジに向かった。
 車に戻った一条は、シートに身を預けて目を閉じている五代に声を掛けようとして思いとどまった。すーすーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。どうやら疲れとお腹が一杯になったことと、ワインのお陰で待つ内に眠ってしまったようだ。
 一条は時間を確かめるとエンジンを掛けずに暫く考えていた。既に時計は11時近くなっている。このまま帰ると夜中を過ぎるだろう。また明日は科警研にトライチェイサーを取りに来なければならないのだ。
「五代、五代」
 一条は軽く五代の身体を揺すった。鼻に抜けるような吐息が五代からこぼれ落ち、一条は手を離した。が、起きる様子は無い。
 指を五代の鼻筋に沿わせ、ちょっと厚めの唇に触れる。恐る恐る顔を近づけ、薄く開かれた唇に一条は自分のそれをそっと押し当てた。
 すぐに離し、一条は自分のした事に自分で驚いて口を片手で覆った。
「…んっ…あれ、俺眠ってました? 」
 大きな欠伸をして腕を伸ばす五代に、一条は平静さを装って頷いた。
「じゃ、あいこですね」
 五代の言葉に何のことを言ってるか解らず、一条は眉を顰める。
「俺、何度も一条さんの寝顔見てるから、これであいこって言うのには足りないかもしれないけど。見てたでしょ、俺の寝顔」
 にっこりと言う五代に、不意打ちを食らって一条は顔を赤く染め狼狽えた。シートに深く身を沈め、勝てないなと顔を掌で覆って低く笑う。
 そんな一条を不思議そうに、だが嬉しそうに五代も笑顔で見つめていた。
「明日もこっちへ来なければならないから、ここに泊まった方がいいんじゃないか。大変だろう、電車だと」
「でも、一条さんは戻るんでしょ。あ、でも最近ちゃんと自分の家に帰ってます? 待ってる人とか居るんじゃないんですか」
 一条の言葉に五代は逆に聞き返した。
「別に気ままな一人暮らしだ。確かに最近は本部に詰めている方が多くて戻ってないな」
 一人暮らしという所で五代がほっとしたように見えたのは気のせいかと、一条は横目で隣を窺った。「一条さんが戻るなら、俺もこのまま送って貰った方がいいです。もし何かあったとき連絡着かないじゃないですか。俺携帯持ってないし。明日も科警研まで送ってくれるでしょ」
 ね、と笑って訊ねる五代に漸く落ち着きを取り戻した一条は顔を向けて頷いた。エンジンを掛け、車をスタートさせる。暫く走っていると、五代の身体がゆらゆらと一定のリズムで揺れ始めたのに気付き、一条は小声で言った。
「着くまで寝ていて構わないぞ」
「…いえ、助手席で寝てちゃいけないって」
「大丈夫だ、釣られて眠くなるようなことはない」
 小さく欠伸を噛み殺して応える五代に、苦笑しながら一条は告げる。丁度その時信号待ちで車を止めた一条の顔を、五代は覗き込むように近づけた。
「一条さんが、眠りそうになったら叩き起こしてくださいね。あと、俺の寝顔一杯見てていいですよ」
 欠伸のせいか涙で潤んだ瞳でそんなことを言われ、一条は思わず目を見開いて胸を押さえた。そんな一条の動揺も知らず、寝顔見てたら運転できないか、と五代は暢気に呟いている。
「一条さん、信号青ですよ」
「あ、ああ」
 呆然としていた一条は、脇をつつかれて我に返り慌てて車をスタートさせた。五代は既に目を閉じて眠りに入っている。こんな状況で眠れるもんかと思いながら、一条はなるべく隣を見ない、意識しないように運転に集中していった。
 五代の下宿先に着くと一条はすぐに揺り起こした。なかなか目覚めない五代に、ほんの少し悪戯心が湧いて一条は鼻を摘んでみる。静まり返った一瞬の後、大きく口から息を吐いて五代は音を立てるような勢いで起きあがった。
「く、くるしー」
「着いたぞ」
 手を離し何でもないように一条は告げた。五代は目を瞬かせ、フロントガラスから外を仰ぎ見た。とっくに夜中を過ぎているせいか、灯りは全く点いていず静まり返っている。
 五代は一条に礼を言って車の外に出ると、ポケットから鍵を取り出そうと手を突っ込んだ。家にはいるのを見届けてからと思って車を止めていた一条は、首を捻りながらあちこち服を叩いている五代を訝しげに見つめた。
「どうした? 」
「いえ、鍵どっか置いてきちゃったみたいで。あ、でも大丈夫です。非常口から入りますから」
 車から降りてきた一条にそう言うと、五代はいつものようにベランダへ向かい上ろうとした。それを引き留めるように一条は五代の腕を掴んだ。
「待て、そんな所から入るのか」
 城南大学の時もそうだったように、あっけらかんと首を縦に振る五代に一条は呆れたように頭を抱えた。昼間ならともかく、いや、それも問題だと思うが、夜中にそれでは警察官としての自分の心が疼いてしまう。
「俺の家に来るか。どうせ明日も一緒だし」
「いいんですか。怒られません? 彼女に」
「一人暮らしだと言っただろ。何も無いが、それでもいいなら」
 咄嗟に誘ってしまった一条は今更引っ込みも付かず、肯いた。
「大オッケーですよ。明日も迎えに来て貰うの悪いと思ってたんです」
 にこにこと五代は踵を返し車に戻った。一条も戻り、再び車を走らせた。数十分も走らせると小さなマンションの駐車場に車を入れ、一条は五代に降りるよう言った。
 部屋の中は何日か戻っていなかったせいで、空気が籠もっているような感じがする。一条は窓を開け換気を取ると、所在なげに立っていた五代に座るよう言ってキッチンへ向かった。
「綺麗に片付いてますね」
「あまり物が無くて散らかりようもないからな」
 冷蔵庫に一応買い置きしてあったウーロン茶を取り出してコップに注ぎ、五代の前に置く。フローリングに小さなテーブル、テレビとオーディオセット以外には何もない部屋。隣の部屋は寝室だろうが、きっとこっちと同じようにベッドくらいしか置いてないに違いない。
 自分のごちゃごちゃとした部屋との違いにもの珍しげに見ていた五代は、ウーロン茶を飲むと立ち上がり、キッチンの隣のバスルームに人影を見つけて、覗き込んだ。
「買い置きの下着を置いておくから、シャワーを先に浴びてくれ。歯ブラシも確かあった筈なんだが」
 ごそごそと洗面台の下を探している一条に、普段は感じられない生活感を見出して五代はこっそり笑いを噛み殺した。
 言われるままにシャワーを浴びて出てきた五代は、真っ白な下着とパジャマ替わりに出してくれたTシャツを着た。ズボンがないので下半身が頼りない感じはするが、ただ寝るだけならどんな格好でもどんな場所でも平気で寝られる五代には、天井があるだけでも良い。
「ベッドは隣の部屋だ」
 そう言って入れ違いに一条がバスルームに入っていった。隣に入ると予想通りにセミダブルのベッドが部屋のほとんどを占め、隅の方に申し訳なさそうに小さな洋服ダンスが置かれている。作りつけのクローゼットを開けてみても、衣替え用の服が入った段ボールと仕事用の資料が入っているだけで客用布団など無い。
 五代は暫し考え、ベッドの上から二枚あった上掛けの薄い方を一枚取ると、元の部屋へ戻った。フローリングの床に敷かれた一畳ほどのカーペットの上に横になり、五代は引っ張ってきた上掛けを掛けると目を閉じるた。
「何でベッドで寝ないんだ。それじゃ寝た気にならないだろう」
 バスルームから出てきた一条はごろ寝をしている五代に驚いて揺り起こした。既に半分寝ていた五代は、薄目を開けて首を横に振った。
「俺、ここでいいです。…一条さんはちゃんとベッドで寝て下さい。おやすみなさい…」
「あ、こら、寝るな。おい」
 再び強く揺り動かし、一条は上掛けを引っ張って五代の身を起こそうとした。五代は嫌がって身体を捩り取られそうになった上掛けを引っ張り返す。
「わっ」
 力の加減でバランスを崩し、一条は五代の上に被さるように倒れてしまった。突然のアップに、五代も目を見開いて間近にある一条の顔をまじまじと見つめてしまう。
「解った、俺もこっちで寝よう」
「えっ、何で」
「客を床で寝させる訳にはいかない」
「客じゃないですよお、荷物だとでも思えばいいです」
 一条は眉を顰め微笑む五代を見ていたが、腕をその首に回し力一杯引き上げた。そのまま上掛けで五代を包み肩に担ぎ上げる。唖然としていた五代はベッドに落とされて目を瞬かせた。
「荷物なら文句を言わずに運ばれた所で大人しくしていろ」
「一条さんて思ったより力持ちさんなんですね」
 息を荒げて見下ろしている一条に、どこかずれた感想を伝え、五代は溜息を付いて乱れた布団を直した。今度は大人しく寝るなと釘を差し、一条は隣の部屋へ行こうとする。が、その腕を掴まれ引っ張られた。
 当然のようにベッドの上に倒れ込んだ一条を抱き留め、五代はにっこり笑った。
「一緒に寝ましょう。ちょっと狭いけど、へーきへーき」
「五代」
「ストップ! これ以上はループになりますよ。ってことで、さ、寝ましょう」
 文句を言いかけた口に手を当てられ、一条は目を見開いた。身体を脇に寄せ、一条が入れるほどの隙間を作り、五代はそこを軽く叩いて寝るように促した。
 敵わないなと一条は吐息と共に横になる。満足したように五代はにっこり笑うと目を閉じた。セミダブルとはいえ、男二人ではやはり離れていることは出来ない。なるべく身体を離そうとするのだが、どうしても触れてしまう。
 一条は僅かにここに誘ったことを後悔しながら目を閉じたが、寝息が耳について眠るどころではない。五代がすっかり眠ってしまって起きないうちにベッドから出ようと、一条は隣を窺った。
 どうやらすっかり眠り込んでいるらしかったが、念のために目の前で手を振ってみる。全く反応がない様子に安堵して一条はそっと布団を抜け出そうとした。
「!」
 突然腕が巻き付いてきて一条は声にならない声を上げ、身体を硬直させた。寝返りを打った五代の腕が抱き枕よろしく一条の胴体に回って、しがみついてくる。
 心臓の鼓動が速まるのを落ち着かせ、一条は五代の腕を取り除こうとした。しかし、何と勘違いしているのか力の入った腕は多少の力では動かせず、といって無理に解こうとすれば起こしてしまうかもしれない。
 悩んだあげくに一条は溜息を付いて腕を外すのは諦めた。すると逃がすまいとでもいうように強くしがみついていた腕の力が抜け、一条は身を返して五代の方に顔を向けることが出来た。
 ほんとに起きてないのかと、じっと寝顔を見つめるが幸せそうに五代は眠っている。思いの外長い睫とぽっちゃりとした唇に視線を奪われ、一条は手を伸ばし触れたい衝動に駆られた。
 なんとかその衝動を抑制しても手を引っ込めるのはもったいないなと、一条は五代の頭を撫でた。くしゃりと五代の顔が笑みに歪み、近付いて丁度一条の胸の位置に納まった。一瞬起きたのかと固まった一条は、子供のように胸に頭を擦りつけ寝ている五代にほっとして微笑んだ。
 再び撫でていると満足しきったような吐息を漏らし、五代は回していた腕を解いて一条の襟元辺りのパジャマを掴んだ。
 今の状況を客観的に見れば、それはまるで恋人同士が情事の後抱擁をしているようでかなり恥ずかしい。素直に母親と子供と考えればまだいいのに、うっかりそんなことを考えてしまい、一条は顔を赤く染めた。
「まったく…どうかしている」
 一条は小さく呟くと目を閉じた。

 いつも同じ時間に目を覚ますよう身体が出来ている一条は、寝不足で痛む頭を片手で押さえながら明るい室内に目を瞬かせ開いた。カーテンはいつも閉めているからこんな風に直射日光が当たるはずは無いのに、開けた目に光が飛び込んでくる。
 身を起こした一条は、暫くぼんやりしていたが、はっと気が付いて隣を見た。一緒に眠っていた筈の五代の姿は見えない。
 ベッドから起きて部屋を出ると、小さな鼻歌がキッチンから聞こえいい匂いが漂ってくる。
「あ、お早うございます。俺、すっごく良く眠れたんですけど、一条さん苦しかったんじゃないですか」
 いきなりの言葉に一条は、まさか自分の態度に気付かれていたのかと青ざめた。だが五代はそんな一条の様子に気付くこともなく、鍋の中味を味見している。
「早いな…」
「ええ、おかげさまでゆっくり休めたんで、お礼に五代雄介特性朝ご飯作ってます。腕痺れてませんか? 朝起きたらしっかり一条さんの腕、枕にして寝てたんでもうびっくりしちゃって」
 苦しかったでしょ、と聞かれて一条は安堵した。そういう意味だったのかと曖昧に肯いて洗面所に向かう。一通り支度を済ませて戻ると、テーブルの上には暫く見たことの無かった和朝食ができあがっていた。
「材料は無かったと思うが」
「朝早く起きたんで近くの市場に行って買ってきました。俺の特技の一つです、これも」
 さあ、食べてみて下さいと勧められ、一条は頂きますと箸を付けた。一口食べて一条は目を瞠った。動きを止めた一条の様子に、五代は慌てて自分も口を付ける。別に変な味はしないよなと首を捻って見つめる五代に、一条は笑って食事を続けた。
「美味いよ。さすが二千の特技の一つだな」
「良かったあ、変なのかと思いました」
「いや、あんまり美味いんで驚いたんだ。これなら毎日食べても飽きないな」
「じゃ、毎日作りに来ましょうか」
 さらりと言われて一条はご飯を咽につかえさせ、噎せてしまった。咳き込む一条を驚いたように見つめ、五代はお茶を差し出す。
「ありがとう。気持ちだけで充分だ」
 本気ではないと思ったが、取りあえず一条はそう礼を言った。嬉しそうに食事を続ける五代に、一条も久しぶりの家庭の味を堪能していった。
 洗い物を手早く済ませ、本部に連絡すると科警研へ向かう。今のところはまだ未確認生命体の事件は起こっていないようだ。未確認生命体は一体どういうつもりで人間を殺し続けるのか、五代が変身する戦士クウガはどういう理由で彼らと戦うことになったのか、全く解らず未だお手上げ状態のままである。
 五代が戦うことを認めた一条だったが、まだどこかで僅かに後悔を残していた。特に五代の妹に会った時など、苦い思いが心の中に広がってしまう。
「何考えてるんですか」
「え、別に…」
「ゴウラムもそのうちちゃんと使いこなせるようになりますよ。ほら、色がいろいろ変わるのも大分慣れてきたし」
 想いが表情に現れたのか一条を見てそう語る五代に、複雑な気持ちでハンドルを握り締める。
「戦うことに、慣れてきた、か」
 ぽつりと呟く一条に、五代は不思議そうな表情で見返した。
「一条さん? 」
「君は怖くないのか。戦うことが当たり前になって、何も感じなくなって」
「大丈夫。きっとそうならないから」
 にっこり笑って五代は親指を立てて見せた。一条も、そうだなと頷いて笑顔を浮かべたが、心の底に澱のような物が僅かに沈殿しているのを感じていた。

 科警研に着くと真っ直ぐトライチェイサーとゴウラムがある場所へ向かう。まだ訝しげに一般人である五代を研究所員は眺めているが、そんなことは全く気にせず五代は嬉しそうにトライチェイサーに目を向け、ゴウラムの甲羅を撫でた。
「あ、おはよー、早いね」
「お早うございます。これ、もう持ってってもいいですよね」
 研究所に泊まり込んだらしい榎田が欠伸をしながら現れると、五代は挨拶を返しさっそく訊いた。榎田は肩を叩き背を伸ばしながら軽く頷く。
「うん、いいよ。こっちはこれさえくっつかなきゃ変にならないみたいだし。この子は君が呼ばなければ動かないみたいだしね」
 まるで自分の子供のようにゴウラムの方を見て言う榎田に、五代は笑みを浮かべて再び甲羅を撫でた。もうあの破片に戻る事は無いようだが、自分が危機になったり必要にならない限りは動かないのは事実なようだ。
「あーあと、この間からびりびりしてるって、どうした」
「なんか良く分かんないんですけど、身体もおかしくないし」
「んー、まさかその石が電気で動いてるなんてことはないだろうし」
 腕を組み、五代の何もない腹の辺りをしみじみ眺める榎田に、一条は話しかけた。
「それは別の角度から調べてます。取りあえず、ゴウラムのこと、よろしくお願いします」
「はいはい。上からも正式に言われてるし、まあ前代未聞の大事件だから頭堅くちゃやってけないからこんな変な要請でも通っちゃうんだろうけど、君の頑張りもあったんじゃない」
 にやりと笑って榎田は一条に言った。事件の始まりから第四号とされる五代を庇い、本部長を説得し続けた努力を言っているのだろう。
「そんなことはないでしょうけど」
 再び、そこまでして五代を事件に関わらせたのは自分なのだと認識して、一条は苦い想いを噛み殺した。その表情を汲み取ったのか、榎田は僅かに眉を上げた。
「この子のことはまかしといて。って言っても何か食べたりする訳じゃないし、整備するにしても中味が理解できないんじゃしようがないか。せめて雨露しのげる小屋代わりにはなるからね、ここ」
 榎田の物言いに、周りで窺っていた所員達から失笑が漏れた。ついこの間もいきなり飛び出し屋根をぶち破る勢いでここから飛んでいったのだ。それでも幸い開いていた窓から出ていったから被害は無かったが、毎回それでは補修費だけでもたまらない。
 その後、猫用出入り口のような物が必要ねと大まじめに榎田が言い、所員総出で天井近くの窓を一つゴウラム専用出入り口に改造したのだった。
「じゃ、そろそろバイトの時間だから、俺行きます」
「ああ、何かあったら連絡する」
 複雑な表情を浮かべている一条をちらりと見て五代は何か言いかけたが、そのままヘルメットを被るとトライチェイサーに跨り外に走り出していった。
「何、心配事でもあるの」
 自分も本部に戻ろうかと挨拶をして踵を返そうとした一条は、榎田の言葉に足を止めた。笑みを浮かべたまま榎田は腕を組み、一条を見つめている。
「それはたくさんありますよ。次の未確認生命体はどんな奴なのか、何処にいるのかとか」
「五代君のこととか? 」
 確信を突かれて一条は息を呑んだ。はっと榎田を見て、一条は拳を握り締める。
「類は友を呼ぶってほんとね。私も貴方も目の前のことに無我夢中になって他のことが見えなくなる。だけど、ほんのちょっとした瞬間に我に返ると、どうしようもなく不安になって足下掬われちゃう」 我に返りたくなくて、ますます仕事にのめり込むからまたいけないんだよね、と榎田は自分の事も含めて苦笑した。
「五代君も今は見ない振りしてるんじゃないかな。だから、君も取りあえず見ない振りしときなさいよ」
 見ない振りと言われ、一条は五代もそんな風に思うことがあるのだろうかと首を傾げた。いつもいつも、大丈夫が口癖で決して泣き言も愚痴も言わず、自分がクウガなのだから戦うのが当たり前だと命を投げ出す。
 何度かの出会いで自分に似ていると確信した。なら、きっとこの不安も同じように抱えているのかもしれない。
「で、もし、それを見ちゃった時に、きっと必要になると思うんだ」
 うん、と自分だけ納得したように頷いた榎田は、一条の肩を叩くとゴウラムの方へ歩いていった。何が必要になるのかと一条は榎田に聞き返そうとしたが、既に仕事に夢中態勢に入っている後ろ姿を見て止めてしまった。
 本部に戻り、さまざまな雑務をこなしていく。事件を整理するうちに再び蘇ってきた想いに、一条は思わず五代に連絡を取ろうかと携帯を手に取ったが、思い直して首を振りそれを元の場所に戻した。
 今日は一日未確認生命体の動きは無かった。都内で目撃された人間体の情報も、彼らが日常で日本語を使うようになってから減ってきている。元を絶たなければいつまでたってもこの騒動は収まらないと解ってはいるが、一条は二度も司令官と思えるバラのタトゥの女に出会っていながら逃げられてしまった。あの場で自分を殺さなかったのも、ゲームということに関わりが在るのだろうか。
「おい、一条、今日朝飯ちゃんと喰ってきたんだって」
「え、ええまあ」
 会議室を出る時杉田に突然言われ、一条は面食らいながらも頷いた。杉田は意味深な笑みを浮かべると一条の背中を強く叩く。
「やるじゃないか、とうとう彼女をこっちに呼び寄せたのか」
「違いますよ、彼女じゃないです」
 勘違いを否定すると、杉田は解っているというように頷いた。
「今晩もちゃんと帰って彼女に精の付く食事でも作ってもらえ」
 そう言うと杉田は一条が何か言う前に、さっさと出ていってしまった。戻ったところで彼女が居る訳はないしと考えた所で、朝食を作っていた五代の姿を一条は思い出す。
 馬鹿だなと自分の考えに苦笑して、一条は部屋を後にした。

 車を駐車場に入れると自分の部屋に向かう。普段よりは早いが、一般的な帰宅時間から言えば遅いだろう。習慣で時計を確認し、通路を歩いていた一条は自分の部屋の前に蹲っている人影を見出して驚き駆けだした。
「五代、こんな所で何してるんだ」
「お帰りなさい、一条さん」
 膝を抱え、その上に顔を埋めていた五代は顔を上げると微笑んで一条を見た。何があったのかと膝を付き五代の顔を覗き込んだ一条は、目の前にスーパーのビニール袋を突き出されて目を見開いた。「この間ごちそうして貰ったお礼に夕食一緒に食べようと思って、材料買って待ってたんです」
 何があった訳でも無いと知って一条はほっと息を吐いた。にこりと笑って立ち上がる五代から袋を受け取り、玄関の鍵を開けて招き入れる。
「おどかさないでくれ」
「すみません。連絡入れようかと思ったんですけど、緊急事態でもないのにどうかなって」
 頭を掻き、五代はそれほどすまなさそうでもなく部屋に入り、一条がテーブルの上に置いた材料を袋から取り出し始めた。
「好き嫌いないですよね。すぐ出来ますから風呂にでも入っててください」
「あ、ああ」
 これではほんとに杉田の言うとおり、恋人に夕食作ってもらう彼氏の姿ではないか。だが、嬉しそうに作り始めている五代を追い返すのも気が引けるし、何より本心では嬉しがっている自分が居る。 一条は素直に好意を受け取ることにして、バスルームに入った。暫くして上がるとテーブルの上には豪華とは言えないがそれなりに手の込んだメニューが並んでいる。
「美味しそうだ。いただきます」
「はい、どうぞ」
 食事の合間には未確認生命体のことではなく、五代が冒険の話を、一条も学生時代の椿とのやりとりなど取り留めないことを語り合った。
 食事が終わり洗い物を二人で片づけてコーヒーを淹れ、居間に移ると一条は改めて五代をじっと見つめた。
「何か、あったのか」
「何でそう思うんですか」
「勘だな…」
 わざと軽く言って一条は自分の額を指先でつついた。五代は笑みを浮かべようとして失敗し、泣き笑いのような表情を浮かべると顔を伏せた。
「身近な人の死には免疫あった筈なんですけどね…」
 一条は促す訳でもなく、黙ったまま五代を見つめている。ぽつりぽつりと五代は苦みを吐き出すように話し始めた。
「俺がクウガなのに…止められなくて。もっと強くなれば、泣く人が少しでも減るだろうけど、でもあいつらももっと強くなって。まるでゴールの無い競争みたいで」
 一条はそれきり黙ってしまった五代に、腰を上げ隣に座った。肩に腕を回し、抱き締める。されるがまま一条の胸に五代は顔を埋めた。
「ゴールはあるさ。前にも言っただろう、終わらせると。大丈夫だ、必ず終わる」
「ですよね。すみません中途半端はしないって言ったのに、こんなぐらぐらしちゃって」
 顔を上げ、五代は薄く微笑んで言った。一条も笑みを返す。
「不安なのは俺も同じだ。お前の『大丈夫』でどれだけ救われてるか」
「俺には一条さんの『大丈夫』が効きますよ。…安心できます、いろいろ助けて貰って」
 一条は手で五代の髪を撫でるとそれを頬に移した。くすぐったそうに顔を顰める五代の顎を取り、口付ける。
 きょとんと目を見開き硬直している五代に、一旦唇を離した一条は再び今度は深く口付けた。ぎゅっと五代が一条の背中に回した手でシャツを握り締める。だが、抵抗はない。
「君が好きだ」
「俺も一条さんが好きです」
 抑えきれずに口から出た一条の告白に、五代は驚く様子もなく即答した。驚いたのは一条の方で、呆然と目の前で満面に笑顔を浮かべた青年を見つめていた。
 五代は子供のように一条に頭を擦り付け抱きついた。漸く凍り付いた身体を動かし、一条は五代を強く抱き締め、幸福感に包まれながらその背中と頭をなで続けた。

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