幕間 −2−
 

 いきなり人間界に現れ、一護の拒否も虚しく家に滞在することになった白哉は、義骸を抜け窓から外へと出て見えなくなった。
 残された死体のような白哉の義骸を放っておく訳にもいかず、一護はベッドに寝かせると布団を掛けた。
 自分は椅子に腰掛け、机に肘を突いて眼を閉じた白哉の義骸を眺める。さっき顔を覗かせた遊子は変な誤解をしたようだが、今更それを否定しても返って拙いだろう。
 それにしても、と一護は吐息を付いて考え込んだ。
 義魂丸がなければ義骸から抜けることはできないんじゃなかったか。自分はよくルキアから強制的に悟魂手甲で魂を抜き取られていたけれど、さっきそういうたぐいの物を使ったのかは気付かなかった。
 白哉が義骸から抜ける前のことを思い出して、一護は僅かに顔を赤く染めた。あれは偶然唇が触れたとか、悪戯でした、とか。
「……な訳ねーよな」
 白哉の性格からしてそんな悪ふざけをする筈がない。それに確か、その前段階で白哉は一護のことを好きだと言った。
 わーっと叫んで一護は目の前の何かを払うようにばたばたと手を振った。
「なーに顔赤くしてんだ」
 その声に顔を上げると、目の前にはぬいぐるみのコンが腕を組み、不審げに一護を見ていた。
「なってねーよ、絶対赤くなんてなってねーっ! てゆーか見てた? 見た?」
 身体を掴み上げ強く揺さぶる一護に、コンは苦しそうに藻掻き、やっとの思いで脱出する。狼狽え焦りまくる一護を益々不気味そうに見詰め、コンはやれやれと肩を竦めた。
「なんも見ちゃいねえよ。あんな怖い兄さんが居たら全力で逃げるさ」
 コンの言葉に漸く安心した一護は胸を撫で下ろし、机に力無く俯せた。とにかく決定的瞬間は誰にも見られなかった訳だ。夜一が見ていた可能性もないじゃないけど、だったら白哉が気付いて止めるだろう。
 またもやさっきの白哉の行為に思考が向こうとした時、突然代行証が大きな声を上げ始める。一護は跳ね上がるように椅子から立つと、代行証を掴んだ。
 これがあれば自由に死神になれる。もしやさっき白哉はこれを使って抜けたのか、と代行証をつらつら見ていた一護だったが、煩く喚き続ける声に考えることを止めて死神となった。
 ぬいぐるみからコンの義魂丸を取り出し、自分の肉体に飲ませる。途端に白目を剥いていた一護の肉体は、大きく伸びをして立ち上がった。
「ちょっと行って来る。白哉の義骸を頼むぞ」
「頼むって、このまま寝かせておきゃいいんだろ」
「ああ。ちゃんと見てろよ、出かけたりすんな。あいつが戻って来た時、これがどうにかなってたら……」
 一護の無言の圧力に、コンはごくりと唾を飲み込んで何度も頷いた。
 ちょっと脅かし過ぎたかなと思いつつ、一護は虚の気配のする方へ駆けていく。多分、この地区を担当する死神が居る筈なのだが、大体一護の方が早く虚に辿り着いて始末してしまうことが多い。
 今回も他の死神の姿はなく、一護は魂魄を襲おうとする虚に対峙した。
「邪魔をするナアァァ」
「うるせーよ」
 面倒そうに斬月を振るい、一護は虚をまっぷたつに切り裂いた。断末魔を上げ消え去る虚を一瞥し、刀を背に戻した途端、強い衝撃を受け一護は地面に転がる。
 驚いて見上げる一護を、二体の虚が嘲笑うように見ていた。一護は素早く立ち上がり身構える。
「新手か」
 大きさはさっきの虚より小さいが、二体ともかなり凶悪な気配を醸し出している。だが、尸魂界で隊長クラスと何度も闘った一護にしてみれば、この程度の虚が二体でも三体でもたいしたことは無いと、勢いを付けて向かっていった。
 意外と素早い動きで虚は一護の斬撃を避け続け、攻撃をしかけてはこない。一体を追い傷を与え、留めを刺そうとした時、もう一体が見計らったように一護の背後から襲いかかってきた。
「来ると思ったぜ」
 にやりと笑い、余裕でその攻撃をはね除ける。返す刀で前の一体を斬り、背後の虚に攻撃しようとした途端、鋭い痛みが一護の肩を襲った。
 二体だと思っていた虚以外にもう一体いたらしい。飛び退き、肩を押さえながら一護は哄笑する虚を睨み付けた。
 がくりと膝を突く一護に、二体の虚は同時に飛びかかっていく。だが、絶叫をあげ宙に四散したのは虚の方だった。
「これくらいでやられるかってんだ」
 ふん、と鼻息も荒く呟いた一護は再び斬月を背に戻そうとして、動きを止め目を見開いた。
 一瞬周りが真っ黒になる程、強大な霊圧を持った虚が隙間無く一護の周りを取り巻いている。その数は十や二十ではきかないかもれない。
 何なんだと驚いて身構える数秒のうちに、それらは跡形もなく消え去った。一護は呆然として今までそれらが居た場所を見詰めた。そこにはもう霊圧の欠片しか残っていない。
「油断するな」
 低い声が直ぐ側で聞こえ、一護は鼓動を跳ね上がらせ飛び退いた。微かに不快そうな表情を浮かべた白哉が一護を見詰め立っている。
「……今の、お前が?」
「余計な事だったか」
「いや、そんなことねえけど」
 まだどきどきする心臓を落ち着かせるように深く呼吸して、一護は白哉に引きつった笑顔を向けた。あれだけの数の虚を一瞬でやっつけるとは、流石…というのも馬鹿にしてるような気がする。大虚の群れならまだしも、あれは多分雑魚虚だし。
 雑魚にしても、あれだけ集まったのは何か理由があるんだろうかと一護は首を捻ったが、思い当たらない。辺りを見回したが、襲われていた魂魄は沢山の虚や白哉の霊圧に戦いてどこかへ逃げ去ってしまったようだ。
 最初の虚はあの魂魄を狙っていたにしても、後の異様な集団は自分や白哉目当てに出てきたのかもしれない。
 だとすると随分命知らずな虚達だと、一護は苦笑を浮かべた。
「まあいいか。戻ろうぜ、白哉」
「一護、お前はまだ」
 何か言いかけた白哉は、走ってきた黒い人影に口を閉ざした。それは自分たちと同じ死覇装を付けた死神で、怒りの形相で二人の前に走り込んでくる。
「待て待てっ! お前また自分の仕事を邪魔するとは。しかも今度は二人に増えてるではないか、どういうことだ」
 自分たちを指差し非難するこの地区担当死神に、一護は片手を上げ謝った。別に仕事を取るつもりはないが、こっちで始末した方が早いんだから仕方ない。
「来るのが遅い。伝令神機に頼らず、気配を察したら直ぐに駆けつけるのが基本であろう」
 白哉の冷たい声に、一護は苦笑いを浮かべ止めようとした。当然のことだと白哉は死神に冷たい視線を向ける。だが、死神は憤怒のあまり白哉の様子に気付かず、その言葉に更に怒りを増して一護に詰め寄ろうとした。
 まあまあ抑えて、と一護は死神を宥めようとする。死神の手が一護に掛かろうとした瞬間、怜悧な殺気が白哉から迸り、死神は凍ったように硬直してしまった。
「その者に触れるな」
「……は、ははは、はぃい」
 強張った身体を必死に動かし、死神は二、三歩下がって膝を突く。瞬間かいま見せた白哉の霊圧に、死神は青ざめひれ伏した。
「白哉、もうそのへんでいいじゃねえか」
 一護の言葉に死神はそろりと顔を上げ白哉を見ると、放心したように口と目をぽっかり開けた。白哉は微かに眉を顰めると、家に戻るぞと一護を促した。
「お、お待ち下さい! あ、ああの、もしや、あなた様は六番隊隊長の朽木白哉様では」
 白哉は足を止めず立ち去ろうとする。いいのか、答えなくてと二人を交互に見ていた一護は、仕方なく歩き始めた。
「す、凄い。まさかこんな所で六番隊隊長にお会いするとは、普通なら一介の死神がこんな近くで顔を合わせることなど出来ないよなー。尸魂界に戻ったらみんなに自慢出来るぞ」
 嬉しそうに高笑いする死神に、白哉は足を止め一瞥を投げかけた。その突き刺すような目に、死神は悲鳴を上げ身を竦ませる。
「私がここに居たことは他言無用。忘れろ」
 いいなと呟く白哉に、死神はこくこくと頷く。腰を抜かしたようにへたり込む死神を気の毒そうに眺めながら、一護は白哉の後を追った。
 瞬歩ではないがかなり早い速度で歩いていく白哉の横に漸く並び、一護は顔を覗き込んだ。
「お前、こっちに来てるのって、ほんとはちゃんと任務なんじゃないか」
 無言のままの白哉に、一護は溜息を付いて頭を掻いた。
 おかしいと思った。一護の側に居たいとか守るとか、考えると白哉の本当の言葉とはとても思えない。きっと何か隠密理にしなければならない特殊な仕事で来てるんだろうと、一護は自分の考えにしっくりきて一人頷いた。
 でも、あの時好きだと言った白哉の目は真剣で、嘘を言ってるようには見えなかった。それにキスまでしてきたし。
 また思い出して顔が赤くなる。どう考えてもその行為の意味が解らない。いや、素直に白哉の言葉を信じればいいのだけど、と頭の中で思考をぐるぐると回していた一護は、立ち止まった白哉の背中に突き当たってしまった。
「何をしている。着いたぞ」
「えらそーに言うなよ。俺んちなんだから」
 まるで自分がこの家の主だとでも言わんばかりに、白哉は一護に告げひらりと二階の窓へ上がっていった。文句を言いながら一護も後に続く。
 入ってきた二人の姿に、一護の身体に入ったコンがびくりと反応して椅子から立ち上がった。ちらりとベッドを窺うと、白哉の義骸はちゃんとそこに寝ている。
「遊子たち見に来なかったか?」
「大丈夫だ。誰も来てねーよ」
 白哉にびくびくしているコンに溜息を付き、一護は代行証を使ってその身体から義魂丸を抜くと、自分の中に戻った。
 白哉も義骸に戻るのかと視線を巡らせると、眉を寄せ何か思案するように見詰めている。普通の青年姿の義骸と死神姿の白哉を見比べ、やっぱり本当の姿の方が合ってるなと、一護はじっと見詰めた。
「何を見ている」
「えっ! いや、別に。ほら、早く中に入れよ」
 視線を感じ、訊ねる白哉に一護は慌てて言うと、コンをぬいぐるみに入れる。コンはそそくさと自ら押入の中に入っていった。
 ふ、と息を付き、白哉は義骸の中に身を沈めた。義骸に生気が蘇り、白哉はベッドから身を起こす。義骸に入ることに慣れてないから嫌なんだろうなと一護は考え、そのうち慣れるさと白哉の肩を軽く叩いた。
「一護、先程の戦いだが、まだ霊圧の制御が上手く出来ぬようだな」
 椅子に腰掛け何を言い出すのかと白哉を見ていた一護は、それを聞いて気まずそうに顔を背けた。
 前に石田にも言われたことがあるが、死神になったばかりの頃は霊圧を見るのも感じることも出来なかった。
 尸魂界に行って色々な戦いを経験し、漸くかなり強い霊圧や知っている者の霊圧を感じ取ることができるようにはなったけれど、未だ自分の霊圧がどのくらいの物なのかすら掴めてない。
 当然、弱めたり隠したりなんか出来ない。石田は霊力を垂れ流してると言っていたが、自分にそんなつもりはないし。
「ルキアを助ける為に夜一さんとこで霊力を高める修行はしたけど、コントロールは教わらなかったからな。空鶴の所で少し教わったけど、未だに良くわかんねえ」
「力を抑えるべきところで抑えなければ、余計なものを引き寄せる。さっきのように」
 一護は白哉の言葉に目を瞠った。あの膨大な数の虚は自分の霊圧に惹かれてやってきたと言うのか。死神の霊力が高い魂は虚にとって格好の餌だと、以前ルキアが言っていたのを思い出し、一護は眉間に皺を寄せた。
「どうしろってんだよ」
「お前の霊力は尸魂界に来る前と比較にならないほど高くなっている。それを制御もせず、扉を開け放っていれば普通の虚以外のものを招くことになるぞ」
 言外に大虚やそれ以上のものの存在をほのめかし、白哉は口を閉じた。
 なら、それを囮にしてどんどん虚を滅していけばいい。もしかしたらそうしているうちに、あの藍染とやらが出てくるかもしれない。何をしようと考えてるのか知らないが、戦いを仕掛けてくるなら受けて立つまで。
 そう考えた一護に、白哉は冷静な口調で告げた。
「甘く見るな。今のお前では……私でも、奴らに勝つことは容易いことではないだろう。雑魚の大虚程度でも大挙してやってくれば、いつかは疲弊して斃れる。虚の大群をこの世に解き放つことになってもいいのか」
 自分たちの街に虚が溢れる場面を想像して、一護はぞくりと悪寒を走らせた。霊力の強い者から狙われるのだから、夏梨などあっという間に屠られてしまうだろう。
「だったらどうすればいいんだよ」
「知らなければ、学び、修行すればよい」
 それは白哉に教えてくれとお願いしなさいってことかと、一護は呆気にとられてその顔を見返した。
 感情を見せない白哉の顔を見詰め、一護は吐息を付く。白哉に『教える』ということが出来るのか、今日は良く喋っているが元来口数少なく、人に物を教えるなんてことしなさそうだと、一護は再び溜息を付いた。
「おにいちゃーん、ご飯だよ」
 扉の向こうから遊子の声が聞こえ、一護はもうそんな時間かと時計を見た。とにかく、今日は疲れたから飯を食ったらゆっくり眠りたい。
「おー、今行く。白哉も……食べる、よな」
 頷く白哉を促し、一護は部屋を出て階下に向かった。
 食事は滞りなく無事に済み、いつもは煩く付きまとう父親もあっさり一護を解放して自室へ戻っていった。妹たちの蔑むような視線にちくちく背中を突かれつつ、一護は自分の部屋へ上がっていく。一応説明してみたが、あまり説得力がなかったようだ。
「飯、どうだった? 尸魂界の貴族ってどんなの食ってるかしらねーけど」
「我が家の味に負けぬな」
 へー、と一護は嬉しそうに白哉を見た。なんだかんだ言っても妹たちに激甘なのは父親に劣らない一護である。褒められて嬉しくない訳がない。一護の笑顔に、白哉は僅かに目を瞠り視線を逸らせた。
 部屋へ入ると改めて一護は白哉に対峙した。さっき言っていた修行とやらをどうするのかと、じっと見詰める。
「で、何をすれば良い?」
 霊圧のコントロールなど、どうすればいいのか皆目見当が付かない。どこかにギアがある訳じゃ無し。ベッドに腰を下ろした一護は、立ったままの白哉を見上げた。
「まずは感情を波立たせず、自分の霊力を知ることだ」
 目を閉じろと言われ、一護は素直に瞼を閉じた。最初は解らなかったが、次第に白哉の身体の形に添って霊圧が感じ取れるようになる。清冽で強く、どこか優しい光の影が、白哉の姿を瞼の裏に映し出していった。
「綺麗だな……」
 思わずぽつりと口に出してしまい、一護は焦った。聞いていたのかいないのか、白哉は何も言わず片手を一護に伸ばす。
 白哉の魄動が触れた指先から一護の周囲を包み、形をなしていった。それに沿うように自分の霊圧の境を感じ、一護は徐々に自分の霊力をその中に収めようと意識する。
 あちこち飛び出した角をならし、漸く肉体の外側にほんの少し纏うような霊力の壁を作り上げた一護は、やり遂げた安堵感にほっとして目を開いた。
「わっ!」
 直ぐ目の前にある白哉の端正な顔に、一護はびっくりして飛び退いた。途端に霊力が乱れ散り散りに飛び出す。
「……心の乱れが直ぐに霊圧に響く。少しは感情のままに暴走するのを抑えろ」
「んなこと言ったって……なあ」
 僅かに顔を赤く染め、一護はそっぽを向いた。まさかあんな近くに白哉の顔があるとは思わないではないか。いや、霊圧で感じてはいたけど、それと目で見るのとはまた違う。
 もう一度、と促す白哉に、一護は再び目を閉じた。大体いくら綺麗だからって男相手に動揺する方が可笑しいのだ。平常心、平常心と心の中で唱え、霊力を象っていく。
 次第に落ち着いてきた一護は、白哉の霊圧が自分の直ぐ側にあり、ぴったりとくっついてきたのを感じた。肉体は触れていないが、霊力は重なり、解け合うように混じっていく。
 個体で反発する訳じゃないんだと、感心していた一護は、抱き締められて鼓動を跳ねさせた。今度は霊力だけでなく身体もぴったりとくっつきあっている。
「び、白哉……」
「霊圧を一定に、形を崩すな」
 えー、こんなん練習でアリ? と一護は突っ込みで心をどうにか落ち着かせた。自分と違い、微動だにしない白哉の霊圧に一護は僅かにむっとして、両腕を回し抱き締め返した。
 白哉の魄動が微かにざわめくのを感じ取って、一護はしてやったりとほくそ笑む。こうして抱きついていると、白哉の霊力は本当に清冽で強いのが解った。そして、大きく暖かいことも。
「お主ら、何をしておる」
 一瞬声にならない悲鳴を上げ、一護は思いきり白哉を突き飛ばした。心臓が口から飛び出しそうになり、嫌な汗がたらたらと額から噴き出す。
「こここ、ここれは、そのあの」
 窓際に座っている夜一に言い訳するのは二度目だが、今回は前より見られては拙い場面な気がした。お前も何とか言えよと、一護は白哉の方を見る。険しい表情で白哉は無言のまま夜一を睨み付けていた。
「霊圧の制御を修行しとるのか。まあ、お主の霊力は形が掴めぬからな。爆発的に強くなるかと思えば、猫の子一匹倒せぬ程……」
「おにーちゃん、お風呂先に」
 突然扉が開き、遊子が声を掛けた。今の修行シーンを見られたら、今度こそ完全に誤解されるだろうから、良いタイミングだと一護はほっとして遊子を見る。
 だが、遊子は目をまん丸に見開き、窓際の夜一を凝視していた。
「今……喋ってなかった? その黒猫」
「な、何言ってんだよ。喋るわけねーだろ、猫が。それより、いきなりドア開けるんじゅねえよ」
 引きつった笑みを浮かべ言う一護に、遊子は小首を傾げまた夜一を見詰めた。夜一は、しれっとした表情で猫らしく鳴いてみせた。たちまち遊子は相好を崩し、嬉しそうに笑って夜一の側に来ると、手を伸ばしてその喉を撫でた。
「かわいー。後でミルク持ってくるね。あ、白哉さん、お風呂入ってください」
 思い出したように告げ、遊子はそのまま部屋を出ていった。大きく溜息を付いて一護は床に座り込む。これが遊子で良かった。夏梨なら誤魔化しきれないだろう、多分。
「牛の乳より酒の方がよいな」
「誰が猫に酒なんか飲ますかよ。あー、驚いた。ったく、あいつノックくらいしろっていつも言ってんのに」
 ぶつくさ言いながら、一護は勢い付けて立ち上がるとチェストからジャージと新品の下着を取り出し、白哉に押しつけた。
「まさか、こっちの風呂の入り方分からないってことはないよな」
 渡されたものをただ見ている白哉に、一護は呆れたように声を掛けた。確か尸魂界でも風呂は普通に風呂だった。古い旅館の大浴場みたいな感じだったから、隊長とかが入るのとは違うのかもしれない。それとも、ジャージがいけないのか? 浴衣なんか無いし。
「共に」
「入るかよ、バカッ! さっさといきやがれ」
 白哉は軽く吐息を付くと部屋から出ていった。
「六番隊隊長に面と向かって馬鹿と言えるとはのう。いや、態度だけは大きくなったもんじゃ」
「だってあいつがほんとに馬鹿なことを…って、夜一さん、何しに来たんだ? 白哉に用だったんじゃないか」
 話の途中で遊子が来てしまったから中断していたが、用もなく夜一がここに来る筈はない。なのに白哉を風呂へ追い払ったのは拙かったかと、一護は夜一に訊ねた。
「確かに。お主らの逢い引きを見に来た訳ではないしな」
 一護はぎょっとして胸を押さえ、夜一を見た。猫の表情だから良くは解らないが、笑みを浮かべているような気配がする。さっき修行だと解ってくれたじゃないかと、一護が恨めしげに見ると、夜一は今度は声を出して笑った。
「……白哉坊も久方ぶりの病ならば、仕方なかろう」
「何? 」
「いや、何でも。それより一護よ、やり方はどうあれ霊圧制御の修行は必須じゃ。強い霊力を垂れ流しておると、いらぬ敵を呼び寄せるしいつかは枯渇する。雑魚相手に消耗しては詰まらぬぞ。それにお主がいくら煽ろうと、藍染は毛筋ほども動かぬだろうよ」
 夜一の言葉に、一護は強く歯を噛み締めた。その通りだと自分でも思う。卍解した一護を一瞬のうちに切り裂いた力。あれでも力の僅かしか使ってなかったに違いない。
 一護の様子に夜一は小さく溜息を付いた。その言葉は夜一自身にもかかっている。あれだけの力があり、大虚を崩玉で作り替え、さらなる力を求める藍染は何を目指しているのか。
「わかってる」
 尸魂界を出る前に聞いた話だと、藍染のことは死神のトップクラスの者達が懸命に捜索しているらしい。追撃や対処なども一護より上手くやれるだろう。
「いい師も付いたことだし、せいぜい修行することじゃ」
 修行ねえ、と一護はベッドに身体を投げ出した。霊圧制御の修行って、あんなやり方じゃないと出来ないものなのだろうか。
 以前空鶴の花鶴射法で瀞霊廷に乗り込む時、霊珠核を作り安定させるための修行をしたが、あんなにくっついたりはしなかった。あの時は岩鷲に馬鹿にされながらも安定させることが出来たのだから、あんの時のやり方でもいいんじゃないのかと、一護は思い出す。 ついでに石田だったら簡単に出来るんだろうなとも考えて、一護は少しばかりむかついた。
「ミルク持ってきたよー。猫ちゃんまだ居る?」
 白哉と共に遊子が入って来て、夜一を見ると嬉しそうに笑って近付いた。白い液体が入った皿を床に起き、夜一を手招きする。
 ぴんと張った尻尾が微かに膨らみ毛羽立っているのを見て、一護は笑いを噛み殺した。ベッドから起きあがり、夜一の両脇を掴んで抱き上げると皿の側に降ろす。
「ほーら、美味いぞ」
「そうだよ。ちゃんと猫用にしてきたミルクだから、大丈夫だって」
 にこにこと勧める遊子の頭をぽんと叩き、一護は風呂へ向かった。
 風呂から上がり、部屋へ戻ると遊子の姿は無く、皿も下げられている。窓は開け放たれ、夜一も見えない。帰ったのかと一護は窓を閉め、床に正座している白哉を見た。
 目を閉じじっと座っている白哉の前にしゃがみ込み、一護は違和感を覚えて目の前で片手を振ってみた。何の反応もない白哉に、一護は眉を顰める。
「これって」
「白哉様はお出かけになりました」
「うお…っ……。え、義魂…か?」
 目を開き抑揚のない言葉を発する白哉に驚いて一護は仰け反った。そういえば、霊圧がまるで違う。違和感の正体はこれかと、一護は大きく息を吐いた。部屋の外からでも判るくらいじゃなきゃ、修行の意味ないなと頭を掻く。
 それにしても、出かけたって、一体どこへ行ったのか。昨夜も何も言わずに出ていったけど、自分に隠しておかなければならないことなのだろか。
「仕方ねえ。取り敢えず布団敷いて、探しに行くか」
 押入を開け、一護は布団を無造作に床に敷くと、白哉の義骸に寝るよう告げる。素直に立ち上がった彼は、いきなり一護にラリアットをくれ、布団の上に押さえ込んだ。
「て、てめー、何しやがるっ、退け」
「白哉様に言いつかっております。決して死神として外に出すなと」
「なんだと! 白哉が何でそんな。とにかく離せっての」
「なりません」
 義骸の力はもの凄く、普通の人間体である一護にははね除けることが出来なかった。それどころか圧迫されて息が詰まりそうだ。
「コンっ、出てこい。あれを俺に」
 喉を詰まらせながら叫ぶ一護に応えるように、そろりと襖が開いてコンが顔を覗かせた。一護の怒鳴り声に首を振り、コンは襖を閉めてしまう。
「悪いな、一護。俺は自分が大事なんだ」
「この、裏切り者っ。離せ」
 あまり大声を出すと遊子達が見に来て、今度こそ取り返しの付かない誤解をされる怖れがあると気付き、一護は無言で白哉の義骸を殴り退けようとした。が、拳が顔を直撃する寸前、止めてしまう。義骸とはいえ、白哉の顔を殴るのは気が引けたのだ。
「……わかったよ。死神にならないから、少し力緩めろ」
 じっと見詰める目に、一護は大きく息を吐いて抵抗を止めた。一護を押さえていた白哉の義骸はゆっくり起きあがると、再び正座をする。
「この義骸と私の性能は、あなたが代行証を取ろうとするのを完全に阻止できます」
 人間ではないから油断もありません、ときっぱり告げるそれに、一護は舌打ちをした。とすると、どれだけコンは粗悪品なんだよと八つ当たり気味に呟く。
 昼間白哉が出かけたのは、この義魂丸を取りに行っていたのかと、一護は納得した。義骸をあつらえた時、魂の方は後回しにしてそれだけ良い物を出したのかも知れない。
「本人以上に堅物っぽいけど」
 やれやれと肩を回して押さえつけられていた身体を解し、一護はベッドに横になった。白哉がこっちに来た本当の目的はまだ判らないが、一人でやりたいこともあるんだろうと、寝ることにする。白哉や地区担当の死神が居るなら、今晩くらいは出なくても平気だろうと思いながら、一護は眠ってしまった。

「ぐっもーにーんっ、いっちごー」
 どたばたと荒っぽい足音と共に扉を開け、一心は挨拶というより怒鳴るような声で部屋に入ってきた。いつものことと、一護は一心の蹴りを躱し床に沈める。
「馬鹿やってんじゃねえよ。客が居るってのに」
「……彼ならもう食事も済ませて下に待機してるぞ」
 絞められ、片手でギブアップとじたばたしてる一心の言葉に驚いて、一護は手を離すと慌てて階下へ行った。
「おにーちゃん遅い」
「おはよ」
 食事を済ませたらしい遊子と夏梨が焦った様子の一護を見て挨拶をする。一護はそれに応えながら、辺りを見回した。
「白哉さんなら出かけたみたい。おにいちゃんも学校初日から遅刻しちゃ駄目だよ」
 はい、とテーブルに茶碗を置く遊子に、一護は頷いて大急ぎで食事を済ませた。こんな朝っぱらからどこへ出かけたのだろう。夜に戻って来たのは気付かなかったと、一護は眉を顰め自分の能力の低さに腹を立てた。
「おはよー、黒崎くん。どーしたの? ここ、皺寄ってる」
「お、おう」
 脳天気に挨拶してくる織姫に、気付かれぬよう返すと一護は薄く笑って見せた。ほんの少し織姫の表情が曇ったが、直ぐに笑顔で隣を歩き始める。
「久しぶりだね、学校。何だかいつもの夏休み以上に久しぶりって気がする」
 そうだな、と織姫に同意し、一護は教室に入った。
 共にルキアを助ける為尸魂界に向かった茶度や石田も、一護に気付くと控えめに手を挙げる。その様を見た啓吾が大騒ぎするのも、それを水色が軽くあしらうのもいつもと変わりない筈だが、一護の中身は大幅に変わってしまった。
 時折訝しむように投げかけてくるたつきの視線を感じながら、一護は一体白哉はどこへ行ったんだろうと授業をそっちのけで考え込んでいた。
 突然、ベルトに付けていた代行証が大きな声を上げる。驚いて立ち上がった一護は、どうしたんだと言うように見る教師に教室を抜け出す言い訳を告げようとして口を開いた。
「ちょ……」
 ぴたりと代行証の声が止まり、一護の周りに静けさが戻る。もっとも、聞こえていたのは一護と共に尸魂界に行った者だけだったが。
「どうした? 黒崎」
 何故いきなり消えたのかと、一護は代行証に目を落とした。後ろから突かれ、一護は僅かに振り向くと、茶度が指し示す方を見る。窓から校庭が見え、その向こう校門の影に白哉の姿があった。
 目を見開いてそれを確認した一護は、再び口を開いて言い訳を告げると教室を飛び出した。
 校舎を出て直ぐに白哉の姿を見つけると、一護は駆け寄っていく。無表情で塀近くの木の下に佇む白哉に、一護は息を荒げ近付いていった。
「白哉……どうしてここに」
「別に、巡回中だ」
「巡回ってお前」
 そんな下っ端がするような事、しかも義骸のままでふらふらしてるなんてと、一護は呆れて白哉を見た。まさか、自分を守ると言ったことを実行してる訳じゃないだろうなと、一護は睨み付ける。白哉はそんな一護に視線を真っ直ぐ合わせ、ほんの少し微笑んだ。
 心臓の鼓動が跳ね上がり、一護は顔面に血流が集まっていくのを感じて目を逸らす。何でそこで笑うかな、とばくばくする胸を押さえ、一護は大きく肩を上下させた。
「白哉さん、こんにちは」
「……」
 何時の間に追って来たのか、織姫と茶度が一護の側に来ると白哉にぺこりとお辞儀をした。白哉も小さく頷き返す。きょろきょろ辺りを見回した織姫は、白哉に訊ねた。
「あれ、朽木さんは?」
「朽木って、こいつも朽木だろ」
「あ、そっか。で、一緒じゃないんですか」
 一護の突っ込みに舌を出しながら、もう一度織姫は白哉に訊ねた。首を横に振り、こちらには来ていないと言う白哉に、がっかりしたように肩を落とす。茶度は口には出さないものの、何故隊長である白哉がここに居るのかと目で一護に訊ねていた。
「俺にも教えてくれねえんだよ。すっげー秘密の任務があるんじゃねーの」
「えー、すっごい秘密の任務だって、すごーい!」
 はしゃぐ織姫に呆れて頭を掻き、一護は白哉を見た。
「俺は大丈夫だから、その任務とやらに行けよ」
 一護は白哉に言うと、織姫と茶度を促して踵を返した。校舎に入る途中、ちらりと後ろを見ると白哉の姿は無い。ほっとするような、がっかりしたような複雑な気分を抱え、一護は教室に戻っていった。
 帰りに啓吾に誘われたが、白哉のことが気になって断り、一護は足早に自宅へ向かった。朝は気付かなかったが、通学路周辺に居た霊たちの気配が無い。虚に喰われた訳じゃないだろうに、どこへ消えたんだろうと一護は眉を曇らせた。
「あ、おにぃちゃん」
 立ち止まって見回していた一護は、遊子の声に振り返った。
「おま……」
「手伝ってもらっちゃった」
 遊子の後ろには沢山の買い物袋を持った白哉が立っていた。そのギャップが有りすぎる姿に、一護は呆然と目を瞠った。
 遊子は楽しそうに笑いながら、一護の脇を通り過ぎて歩き始める。一護はぽっかり開けていた口を閉じると、二人の後に続いて歩き出した。
「客にそんなことさせるなよ」
「だって、持ってくれるって言うんだもん」
 ね、と遊子は上目遣いに白哉を見る。怒ってないのかと、一護は窺うがそんな気配はない。もしかして、義魂の方か?と思ったが、霊圧は白哉のものだ。
 ふと気付くと、電柱の影で揺らめいていた最近事故で死んだばかりの霊魂が、悲鳴を上げて逃げ空へ上っていくのが見えた。どうやら白哉の気に反応して、自ら呪縛を解き尸魂界に向かったようだ。
 脅して魂葬かよと、一護は溜息を付く。なるほど、道が綺麗な訳だ、と感心していいやらなんやら、学校初日から疲れきって一護は家に戻った。
「ただいまー。夏梨ちゃん、お父さん居る?」
 玄関を入った途端遊子は大きな声で夏梨を呼んだ。診察室に居るんじゃないという夏梨の言葉に応えるように、一心は大きく伸びをしながら現れた。
「何だ、遊子」
「これ、当たったの! 温泉一泊旅行」
 嬉しそうに遊子は一心にクーポン券を見せた。驚いて目を見開き、一心はクーポンを受け取る。夏梨もやってきて後ろから覗き込んだ。
「今度の土日なら行けるけど、随分急だな」
「行こうよ。みんなで」
「俺は行かねえぞ」
 ぼそりと言う一護の首に腕を回し、一心は嘆く真似をしながら締め上げた。
「なんということを! せっかく可愛い妹が当ててきた旅行に行かないなんて、お前の家族愛はどこへ行ったんだあぁぁ」
 肘を鳩尾に叩き込み、一心を引き剥がすと一護は咳き込みながら遊子を見た。寂しそうな表情を見て心がずきりと痛むが、白哉を置いたままこの街を離れる訳にはいかない。今日にでも尸魂界に戻るというなら話は別だが。
「ごめんな、遊子。留守番してっから夏梨と親父とで行ってこい」
 何も言わない白哉に、当分戻るつもりはないと判断して一護は遊子の頭を撫でながら謝った。仕方なさそうに遊子は吐息を付き、無理に笑顔を作って一護を見上げた。
「にしても、商店街のくじってアタリが出るもんなんだ」
 三人のやりとりを黙って見ていた夏梨が胡散臭さそうにクーポンを取り上げた。噂では特等は元から出ないようにズルしているとかしないとか。
「この前おにいちゃんのとこに居た黒い猫が目の前通りすぎたの。だから当たったんだよ」
 それは黒猫が前を横切ると良くないことが起きるって迷信を取り違えてないか、と一護は首を捻り遊子を見た。というか、夜一が当たり玉に素早く取り替えたんだろう、多分。
 何でそんなことを夜一さんがするんだ、と考えながら一護は部屋に上がっていった。ドアを開けるとコンが一護に飛びついてくる。
「俺がお前に入って温泉行けばノープロブレムじゃん。結局行けないっての、虚が出るかもしれないからだろ」
 階下の話を聞いていたのか、コンが名案だと得意がって一護に言った。既にコンは温泉での、ナイスバディなお姉さんとのめくるめく出会いを妄想している。涎を流しながらトリップしているコンを蹴り飛ばして押入に入れ、一護は襖を閉めた。
 コンに行かせたら、それこそ犯罪者になってしまう。自分の身体を好き勝手使わせるかと腕を組み、一護は改めて家族旅行に行かないことを決心した。
 温泉旅行で話が弾む夕食時の会話を抜け、一護は白哉と部屋に戻った。
「霊圧制御の修行って、死神になってからでも平気だよな」
「現世での制御ならば、生身のまま修行をした方が良い」
 やっぱりそうか、と一護は溜息を付いた。死神になる前も石田によると結構霊力を垂れ流していたようだし、人間のまま霊圧をコントロール出来なければ、普段安心して暮らせない。
 でも、修行のやり方は本当にあれしかないのか。白哉のサポートがなくても、形を整え力を押さえて自由にコントロールできるよう、イメージする。ベッドの上で胡座をかき、目を閉じて一護は深く息を吸い込んだ。
 自分の周りに溢れる霊力を感じ取る。それを押さえて纏め、しっかり付けた。床の方にある白哉の霊圧は、全く平穏で静かに輝いているように感じ取れた。あんな風に、あれを手本にと練習していた一護は、それがゆっくりと近付いてくるのに気付いて僅かに焦る。
 また触れられるのかと身構えていると、その気配は止まり遠のいていった。
「白哉?」
 不思議に思って薄目を開けると、白哉は布団に横たわり目を閉じている。ふと窓の外にさっきまで側にあった霊圧を感じ、視線を向けた。
「お前、また」
「修行を怠るな」
 一言呟いて白哉は夜の街へ消えていった。毎日毎日出かけるなんて、ほんとに何があるんだと、一護は眉を顰め街の闇を見詰めた。追っていきたいけれど、またあの義骸の馬鹿力で止められてしまうだろう。
 仕方なく修行を続けようとするが、心が乱れ精神統一が出来ない。一護は大きく溜息を付いてベッドにごろりと横になった。
 翌日も白哉は先に起きて既に出かけていた。いつ眠ってるんだと訝りながら、一護は遊子に追いやられるように学校へ向かう。校門前で今日はここへは来ないだろうなと辺りを見回し、気配を感じ取るように目を閉じた。
「おはよ、何? 瞑想中?」
「んなんじゃねーよ」
 面白そうに訊く水色に、一護は目を開いて否定した。
「こんなとこでトリップしてると、踏まれるよ、ほら」
 さっきから一護の気を惹こうとして、無視されっぱなしの啓吾がしゃがみ込んみぐすぐす鼻を鳴らしている背中を、思い切り踏んづけ水色は笑った。
「あ、ああ」
 哀れ、と思いつつ、一護はやっぱり無視して教室へ向かった。

 土曜日の朝、一護を除く家族たちは喜び勇んで温泉へ出発していった。最後までコンも行くと言い張っていたが、諦めたのか姿が見えない。
 この土日で誰にも邪魔されず、ゆっくり修行をするぞと決心していた一護は、後ろに佇む白哉を振り返って見た。
「今日明日はゆっくり修行できるな」
「私は出かける」
「んだよ、また巡回か? てか、その秘密任務とやらはいつになったら終わるんだ」
 何故か一護の心に怒りが沸いて、白哉に険しい口調で訊ねる。微かに目を見開いて驚く白哉に、一護ははっとして目を逸らした。
 何で苛つくんだろうと一護は首を傾げる。白哉が居ようと居まいと関係ない筈なのに。
「修行をするならわしの所へ来たらどうじゃ」
 うわ、と一護は飛び退いた。何時の間に来たのか、夜一が足下に座り込んでいる。一護を見上げ、夜一は意味ありげに笑ってみせた。
「夜一さんの所って、あの地下の?」
「そうじゃ。邪魔は入らぬし、いくら霊圧を上げようと外には出ぬ」
 以前死神の力を取り戻すため、浦原と死ぬ思いの修行をした空間。確かにあそこなら外からの干渉も無く、中の出来事も漏れることは無い。
「お主も来て一護に修行を付けてやればよい」
 一護は夜一の言葉にどきりとして白哉を見た。目を伏せ思案している白哉に、一護は唇を噛み締める。
「私が側に居ると、邪魔になるようだ」
「そんなことねーよっ!」
 思わず口に出してから一護は我に返った。今度ははっきり驚いている白哉に、自分の方がもっと驚きだよ、と頭がぐるぐるしつつ、一護は言葉にならない唸るような声を上げる。
「手本とか、師匠が必要ということじゃろ」
「そ、そーだよ。霊力を引き出す方は浦原さんがやってくれたけど、制御ってまだ良くわかんねーんだよ。白哉のみたいに綺麗な霊圧が側に無いと」
 そうそう、そういうこと、と漸く考えに納得がいって、一護はほっと息を吐いた。白哉が側に居ないとつまらないとか、居てくれた方が嬉しいとか、そんなんじゃないから、多分。
「側に居てもいいのか」
「いいって」
 確かめるように訊く白哉に、一護は大きく頷いた。途端に白哉の表情が僅かに綻んだのを見て、顔がほんのり熱くなる。
 そういえば、好きと告げられたり、口付けされたりしたんだっけと思い出して、一護は狼狽えた。二人きりで修行なんて、OKですとあからさまにいったようなものではないか。側に居て欲しいって自分から身を差し出すようなもの。
「何を考えておる。ちゃんと修行するのだぞ、できなければ、あの仮面がお主を支配する」
 夜一の言葉に、一護ははっと息を飲んだ。じわじわと一護を食い尽くし、外に出ようとするもう一人の自分。あれを制御できれば、もっと強くなれるだろうか。
 一護は頷いて、浦原商店に行くための準備をするため、家の中に戻った。

 荒涼とした風景は、それと知らなければまさか地下とは思えまい。空間を歪める装置とか、錯覚を起こさせる装置があるんだと一護は確信していた。せっかくだから時間も歪めて一日で一年修行ができるという、どこぞの漫画みたいなものにすればいいのに。
 つらつら考えてる一護と共に降りた白哉は、周囲に視線を走らせると歩き始めた。広々とした地に僅かに隆起し、まるで小さな台地のようになった場所で歩みを止め、白哉は一護を振り返る。
「修行をしないのか」
「あ、するする」
 慌てて走り出した一護を眺めていた夜一は、軽く笑むと姿を消した。
 最初はこの前のように、白哉が触れてくるのではと冷や冷やしていた一護だったが、食事も忘れる程修行に熱中していった。
 周りから何も邪魔のない空間は雑念が湧くことも無く、精神統一がしやすい。時折白哉が霊圧を上げ、一護の方にぶつけてきたり、凄まじい勢いで圧力を掛けたり、かと思えば全く感知出来ないほど押さえたりと、色々仕掛けてくる。
 それに翻弄されながらも、次第に一護は霊圧のコントロールを覚えていった。
「そろそろ戻るぞ」
「えっ、何で?」
 修行が面白くなってきたところで言われた白哉の言葉に、一護は驚いて聞き返す。白哉は軽く息を付くと、歩きながら言った。
「飲まず食わずでは、身体に差し支える」
 一日くらい食事抜こうが徹夜しようが平気だと一護は反論するが、白哉は無視して地上への道へ向かった。
 浦原商店から出ると、既に外は真っ暗で途端に一護の腹が音を立てて鳴る。こんなに時間が経っていたんだとびっくりしながら、一護は途中でコンビニ弁当を買い、家へ戻った。
「なんかだいぶ解って来たぜ。付き合ってくれてありがとな、白哉」
 食事を終え、汗を流して自室へ戻った一護は、白哉に改めて礼を言った。一人ではこんなに早く上達しなかっただろう。
「礼には及ばぬ。私も……楽しかった」
 淡く微笑む白哉に、一護の鼓動が跳ね上がる。それを誤魔化すよう咳払いして、一護は目を逸らした。何故、白哉の微笑む顔をまともに見てられないのか、自分の心に疑問を抱きつつベッドに腰を下ろす。
「あー、明日は一人で大丈夫だから、任務の方行っていいぞ」
「……そうか」
 低く呟く白哉の声に、一護は思わず視線を戻した。白哉の表情は普段と変わらないものの、僅かな翳りを落としている。何か拙いことを言ったのかと、一護は狼狽えた。
 ポケットから義魂丸を出し、口許に運ぶ白哉の腕を一護は素早く押さえると、それをもう片方の手で握り締めた。
「今晩くらいはちゃんと寝ろよ。そりゃ、こんなぼろっちい家の布団じゃゆっくり寝られないかもしれないけど」
 今夜もまた死神となって出ていくのかと思ったら狼狽より怒りが湧いて、一護は白哉に強く言い放った。白哉は僅かに目を瞠って一護を見返した。
「一度もそのような事を思ったことは無い」
「じゃあ、何で出ていくんだよ。大体夜居ないならうちに泊まる必要も無いだろ」
 義骸は一人で行動できる。昼間も一緒に居ないなら、何故一護の家に来たのか。自分を守るためとか会いたかったというのも言い訳で、他に理由があるならちゃんと言えばいいのに。
「無防備なお前の側に居ると、己を抑えられなくなる」
 白哉は一護の腕を逆に握り返し、布団の上に押し倒した。一護の手から義魂丸が落ちて扉の側に転がっていく。
 唖然とする一護の頬を白哉の髪が掠め流れ落ち、視界一杯に広がる真摯な顔に焦点が合わなくなった時、唇を押し当てられていた。
 やんわりと吸われ、名残惜しげに離れるそれを、一護は呆然と見詰めた。
 今白哉が言った意味を混乱する頭で考える。だが、考えが追いつく前に、再び唇が合わされた。今度は舌先が一護の歯列を割って中に侵入してくる。抵抗することも思いつかず、口腔で蠢くそれに考えるどころか頭の中が真っ白になってしまった。
「会いたいと、触れたいという想いを抱いたのは何十年ぶりか。理由を作ってここに来る程に、私はお前を……」
 一護は目を二三度瞬かせ、顔を真っ赤に染めて両耳を手で覆った。違う、気のせいだと思いこもうとしていたのがあっさり翻される。これ以上白哉の告白を聞いてしまったら、恥ずかしさの余り死んでまうかも。
 身悶えしている一護の様子に、白哉は微かに悲痛の表情を浮かべ身を引こうとした。今までになく震える白哉の魄動に、一護は戸惑いながらも手を伸ばし引き留める。
「白哉……あの、何で俺? そんな風に想ってもらえる柄じゃないし」
「人を好きになるのに理由など無い」
 真剣な瞳に一護は吸い寄せられるように視線を合わせた。纏う霊力も姿も精神も、一点の曇りもない美しさで鋭い刃のように感じられるけれど、今一護を見詰めてくる瞳には慈愛と不安、そして欲情が入り交じっている。
 初めて出会った時も、ルキアを助ける為に戦った時も、情のない冷たい奴だと思っていた。
 戦ううちに頑迷さに呆れ、終わった時には情が無いのではなく厚すぎるのだと知った。
「ほんとに、俺に会いたくて来たなんて、意外に馬鹿だな。隊長なのに」
 小さく笑って言う一護に、白哉は僅かに眉を顰める。
「でも、そういうとこ、好きだぜ」
「一護」
 はっとして白哉は一護を見詰めた。言った一護は開き直ったように目を閉じて、白哉の身体を引き寄せると背中に腕を回し抱き締めた。
 白哉の腕が一護の身体から衣服を剥ぎ取っていく。
 露わにされた肌に唇を寄せ、白哉は一護の喉元から鎖骨、胸へと這わせていった。時折白哉の動きが止まった場所に微かな痛みを覚え、一護は固く閉じていた目を薄く開いて見た。
 胸に降りていた白哉の頭が見えた途端、今までとは違う刺激に身体がびくりと反応する。胸の突起を弄られているのだと気付いた一護は、ぎょっとして退かそうと手を挙げた。
 が、既の所で思いとどまり、拳を握りこんで自分の顔を覆った。見えない分だけ神経が鋭敏になっているのか、白哉が突起を愛撫すると、ぴりっとした感覚が走り全身がむずむずしてくる。
 それらが下半身に集中し出すと、徐々に頭をもたげる自分自身にやりどころのない羞恥を感じて、一護は身を捩り隠そうとした。
 俯せになった一護を無理に仰向けにはせず、白哉は背中から腰へと愛撫の手を這わせた。どこもかしこも、白哉が触れる場所全てが今度は言いようのない感覚で満たされる。
「な……んだ、これ。変だ…」
「変ではない。素直に感じればよい」
 白哉の呟きは更なる刺激となって、一護はびくりと身体を震わせた。するりと白哉の手が前に回り、一護自身をやんわりと握り締める。
 慌てて押さえようとする一護の手を意に介さず、白哉は煽りたてていった。
 低く呻いて果てた一護のそれを拭い取り、白哉は脚を開かせ奥まった部分に指先で塗り込んでいく。そんな場所を人に触れられることなど考えもしなかった一護は、茫然とされるがまま身体を横たえていた。
「少し、辛いが……」
 白哉の囁きが耳に届いた時、一護は今まで経験したことのない痛みに、布団を握り締め顔を押し当てて悲鳴を噛み殺した。
「……び…ゃく……や」
 永遠に続くかと思われた痛みは、白哉の一護自身を愛撫する手に少し和らいだ。与えられる痛みと快感に、一護の意識は朦朧としてくる。
 何か言われ熱いものが身体を満たした時、ついに一護は意識を手放して闇に落ちていった。


 意識を取り戻した一護は目を開こうとしたが、熱を持ち腫れぼったい瞼は重くてなかなか開かない。何でだとぼんやり考えていた一護は、そうかあんまり痛くて無意識に涙が出たんだなと、思いついて顔が火がついたように熱くなった。
 なんとか薄く目を開けると、目の前に白哉の顔がある。目を閉じた表情は、何となく充足したような感じで、一護は軽く溜息を付いた。
「すげー痛かった。何が少し辛い、だ」
「済まなかった」
 起きてるとは思わず呟いた言葉に返されて、一護は息を詰める。白哉は口では謝ってるものの、嬉しそうに淡い笑みを浮かべて一護を見詰めている。
 仕方ないなと、一護も苦笑して、白哉の腕に包まれたまま再び目を閉じた。

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