幕間
 

 朝靄が街を包み、未だ人々は一部を除いて目覚めていない時間、一護はぽっかりと目を開いた。何度か瞬きをした後、まだ薄暗い室内を顔は天井に向けたまま目だけで確認する。
 見慣れた部屋、殺気の欠片もない穏やかな空間が自分の周りにある事を確認して、一護は小さく吐息をついた。
 尸魂界で何日過ごしただろうか。あの場で敵意と殺気に晒されていたのはつい先日のことだ。本当の解決ではないが、一応終わって気持ちは落ち着いた筈なのに、身体の方が時折ちょっとした霊気にも反応してしまう。
 そんな繊細な性格では無かったよな、と一護はもう一度溜息を付いて半身を起こした。暗さに目が慣れると、隅に身体を投げ出して寝ているコンの姿が見えた。自分があっちに行っている間、かなり放蕩生活を送っていたらしいコンの後始末に昨日も追われていた一護は、一瞬眉を顰める。
 命を賭けてきた後に見たお気楽暢気なコンの姿は、一気に一護を日常に引き戻してくれて、その点ではほっとしたというか、ありがたいとは思っているが、それと居ない間にやらかしてくれた数々の出来事は別の話だ。今後のためにもがっつりと言い聞かせないと、と思いつつもあの性格じゃそれは無理かなとも思う。
 こんな朝というか夜明け前に何ぬいぐるみ凝視してあれこれ考えているんだと、一護は頭を振ってコンから目を逸らし、窓の外を見た。
 雨の音はしていないが、街全体を覆っている靄のせいでそろそろ太陽が昇ってくる筈なのにまだ暗い。街灯の光もぼんやりと丸く映っている。
 今日は夏休み最終日。まだ寝過ごしても夏梨に叱られる心配は無いけれど、一護は眠気がすっかり抜け、二度寝をする気にはなれなかった。
 そっとベッドから抜け出すと、ジャージに着替え部屋を出る。家族を起こさぬよう外に出た一護は、目的もなく走り始めた。
 町内を一周する勢いで走り続け、自宅近くの橋に戻ってきた一護は、漸く足を止め欄干に両腕と顎を預けて一息ついた。
 走れば少しはすっきりするか、眠気が戻るかと思ったが、相変わらず気分は良くないし眠くもない。しっとりとまといつく靄のお陰で近所に居る霊達とは目を合わせずに済んだのだけは幸いだった。
 それにしても、既に陽は昇っているだろうに、靄は消えず視界を狭めている。まさか、何かの前触れか、と眉根を寄せて考え込む一護の目の前に一条の光が射した。
 驚きながらも一護の身体は反射的に戦闘態勢を取る。単に上った陽が差し込んだだけでは無いことは、その光の向こうにある圧倒的な霊気が教えていた。
「な、何だ?」
 相手が虚であれば、尸魂界から戻った時に浮竹から貰った死神代行証が反応する筈だが、何の音沙汰もない。一体何が居るんだと、一護は未だ戦闘態勢を取ったまま、その光を凝視した。
 光が消え、その場に黒い人影が現れると、一護は息を飲んで目を見開く。死覇装の上に薄い絹のような布を巻き、凛と立つその影は先日まで居た場所では見慣れた姿だった。
「び、白哉…!」
 あまりに驚いて声がひっくり返る。一護は目を閉じて大きく首を振ると、恐る恐る目を開いた。もしかしたら眠りが浅かったから夢なんじゃなかろうかと考えたのだが、一護の目の前直ぐに白哉は佇んでいる。
 そっと指を伸ばし、死覇装に触れると、一護はそれを握り締めた。
「何をしている」
「えっ、ああ、わりぃ。本物かなーって思って」
 いつまでも握り締めたりさすったりしている一護に、些か呆れたような声が掛かる。はっとして一護は手を離し、焦ったように頭を掻いた。
 改めて視線を向けた一護は、何も言わずこちらを見ている白哉に訳もなく焦りを感じて目を逸らした。いつしか陽はかなり上っており、靄も消えている。通勤通学路からは外れているせいか、人通りは少ないが、突っ立っているだけに見える一護に不審そうな目を向ける者も居た。
「それにしても、何であんたがここに居るんだ? また誰か追いかけてなんてこと、ねーよな」
 普通隊長クラスが現世にやってくることなど滅多にない。前回は色々と裏事情ありで隊長、副隊長連れだってルキアを捕らえに来たようだが、そんな大物の話は耳に入ってこなかった。
「案内を頼みたいのだが」
 一護の問いに否定も肯定もせず、白哉はそう言うとじっと見詰めた。否定しないということは、やっぱり何か藍染がらみで大きく事が動いているということかと、一護は震撼する。
「な、何が起きてるんだ、白哉」
「何も起きてはいない、今は未だ。それより、私の名を呼び捨てにするのは」
 白哉の答えに一護は安堵の息を漏らし、強張りを解いた。その後に言われた事はあっさり聞き流し、一護はどこへ案内すれば良いのかと聞き返す。
「元十二番隊隊長、浦原の元へ」
 短く吐息を付き言う白哉に頷き、歩きかけた一護はふと気付いたように足を止め、振り返って言った。
「あ、俺のこと、一護でいいぜ。じゃ、いこか」
 笑顔の一護に、白哉は僅かに眉を上げ小さく頷いた。
 朝まだ早い時間だというのに、店先では雨がもう箒で道を掃いている。ジン太の姿は見えないからどこかでさぼっているのだろうか。
「あ、お、おはようございま…す…」
「うーっす。浦原さん、居る?」
 いつものように顔を俯かせ頬を赤く染めている雨だったが、今日は普段の倍くらいもじもじしている。ちらちらと一護の後ろに居る白哉を見ながら雨は、店の戸を開けた。
 まあ、確かに気になるよなと一護は目だけで後ろを見ると、白哉は憮然とした表情で目を閉じていた。何か気に障るような事でもあっただろうかと考えているうちに、店の中からテッサイが現れ、仰天したように口を開けて白哉を見た。
「こ、これはこれは…どうぞお入り下さい」
 漸く声を出し、テッサイは一護達を店に招き入れた。ちゃぶ台の横に座り雨の入れてくれたお茶を飲みながら、しみじみと一護は白哉を眺めた。この空間にまったく異質な雰囲気を醸し出している白哉は、正座してぴくりとも動かない。
「なあ、何でこっち来たんだ? 特別な仕事でもあんのか? そういや怪我はもういいのか」
 矢継ぎ早の質問に、白哉は微かに目を開き、一護を見た。
「怪我はもう完治した。支障ない」
 それだけかよ、と心の中で突っ込みながら、一護は応えが返ってきたことに少しほっとして笑みを浮かべる。白哉は再び眉を寄せ、目を閉じてしまった。
 さっきから何か自分に怒ってないか、と一護は省みるが、心当たりはない。呼び捨ての事が気に障るのか、タメ口が嫌なのか。でも、あの死闘を繰り広げた後、一護の中で白哉は自分と同等という感情があるし、今更白哉さんとは呼びにくい。朽木さんというのも変だし。
 ほんとに嫌ならきちんと言うと思うんだよな、と一護はつらつら考えつつじっと白哉を見詰めていた。鋭く冷たい刃のような気配は抑えられ、今は涼しげに大地に立つ青々とした樹木のようだと感じる。樹木といえば、始解からいって桜かな、いや、もっとすっきりとした立ち姿のような感じの、何かこう違う木とか花とか
「お早うございます。今日は随分と早いっすね、黒崎さん」
 あれこれと思いを巡らしていた一護は、掛けられた声に我に返って白哉から視線を外した。その時一瞬だけ白哉の目が僅かに開き、一護と合った。
「朝早くからすまねえ。えーと、今更紹介するまでもないと思うけど」
 今見えた白哉の瞳の彩は、何を表しているのだろう。怒りでもなく、呆れでもなく、戸惑うよう微妙に揺れていた光は。
「これはまた、大層なお客さん連れて。何かしでかしましたか」
「んな訳ねーだろ。今朝ばったり会ったんだよ」
 そんな通りすがりみたいな言い方って、と苦笑しながら浦原は一護と白哉の両方が見える位置に座った。
 浦原も驚いているのだろうが、相変わらずの帽子と扇子のお陰で表情は窺えない。こほんと咳払いを一つして、浦原は白哉に面を向けた。
「それで、何のご用でしょうか」
「ここでは何でも取り扱っていると、ルキアに聞いたのだが」
「そりゃもう、あめ玉一つから大砲までご用意いたしますよ」
 パチンと扇子を畳み、さっきまでの探りを入れるような態度から一変して商人モードになった浦原に、一護は少し呆れたが、それより白哉がここまで何かを買いに来たという方に驚いた。
「義骸が欲しい」
「はい、義骸一丁入りましたー!」
 明るくぽんと扇子で膝を打った浦原は、そのまま動きを止めて帽子の鍔越しに白哉を見据えた。一護も口と目を見開き、白哉を見詰める。
 義骸が欲しいということは、まさか現世に留まるということなのか。隊長クラスが現世に来ることすら普通は無いと聞いている。
「お、おまっ、何で、義骸って」
 漸く言葉を発する事が出来た一護だったが、きちんとした文章にならない。泡食って自分を指差す一護に、白哉は形のいい眉を顰めた。
「何か、特別仕様が必要ですかねえ。隊長さんが現世で義骸使うなんて滅多にありませんから」
 流石に浦原は一護のようにパニックには陥らず、驚きの表情を直ぐに引っ込め白哉に尋ねた。白哉が口を開こうとした時、襖が僅かに開いて中へ夜一が入ってくる。自分の前に座り、見上げる黒い猫の姿に、白哉は更に眉間の皺を深めた。
「なんじゃ、本当に来ておったのか。砕蜂からの知らせにはまさかと思うたが」
 この猫が夜一の変化であると一瞬で理解したのか、白哉はほんの僅かに眉を上げる。その姿に、このくらいじゃ驚きもしないかと、一護は感心して腕を組んだ。
「あー、義骸ですが、白猫なんかどうっすか。諜報活動には便利ですよ」
 浦原の言葉に、夜一はぴんと尾を硬直させ、一護は絶句する。猫、白い猫って、と想像してみるが猫というより豹の方が、いや鳥っぽいかな、などと一瞬のうちに想像が明後日の方に向かってしまった。優雅な白い猫と敏捷な黒い猫の取り合わせは確かに綺麗だけど、白哉はどう思って、と一護は恐る恐る窺う。
 目を伏せる白哉の額に青筋が立っている。抑えているのだろうが、怒りの霊圧がびりびりと家全体を揺らしていた。
「冗談ですよ、冗談。大体義骸ってのは本人と同じ姿になるもんです。猫になるのはこの人くらいですよ。では、ちょっと見繕ってきますね」
 へらへらと笑い、浦原は素早くその場から逃げていった。不機嫌な白哉と共に残された一護は、呆然と浦原の消えた襖を見やる。浦原の冗談は何だかいつも命がけな気がすると思いつつ、白猫でも面白かったかもしれないと、小さく笑った。
「で、何で義骸に入ってまで、現世に居なきゃならないんだ」
 訊く一護をじっと見詰める白哉の気配は、さっきまでの怒りは無かった。ただ、一護を真っ直ぐに見詰めている。
 白哉の眼差しにいたたまれなくなった一護は、視線を逸らした。何で目を合わせて居られないんだと自分を叱咤してみるが、再び白哉に目を戻す事が出来ない。
「何を照れておる」
「てっ…照れてって何だよ、夜一さん」
 ぼそりと呟く夜一の言葉に、一護は焦って否定した。けれど、何だか頬が熱い。え、何、俺どうしたんだ、と焦ると余計に鼓動が早くなっていくようだった。
「訳は未だ話せぬが、暫く現世に留まることとなった」
 漸く口を開き、それだけ言うと白哉は黙り込む。ほんとに口数少ないよなと感心しているうちに、浦原が襖から顔を覗かせ、白哉を手招きした。
 白哉が部屋から出ていくと、ほっと安堵の息を吐き、一護は強張っていた身体を伸ばした。尸魂界で闘いが終わった後、誰に会っても、勿論白哉と対峙していても、こんなに緊張はしなかった。なのに、今白哉に見詰められているだけで、全身が糊付けしたみたいに神経から張り詰める。
「わしの場合は義骸ではないがな。それにしても、何用で来たのか。始めは阿散井が来ると聞いておったんじゃが」
「へえ、恋次が? それもどうなんだよ。あいつだって副隊長だろ。普通一般死神が担当するんじゃないのか」
 ちょっとしか尸魂界には滞在していなかったが、かなり厳密なピラミッド型の制度があるのは解った。隊長と副隊長の間には大分力の開きがあることも知っている。トップの者が一般人のする仕事に着くとは思えない。
 やっぱり何か裏があるんじゃないかと首を捻る一護に、夜一は溜息を付き、わしに解らぬことがお主に解るものかと呟いた。
「お待たせしましたー」
 バックミュージックにファンファーレが付きそうな口調と態度で浦原が襖を開く。現れた白哉の姿に、一護はあんぐりと口を開いてしまった。
 深い、黒に近い青色のスーツ。真っ白のシャツ。死神姿の時には髪を纏めていた飾りが無く、降ろに流している。
 何度か手を握ったり開いたりしていた白哉は、微かに不快そうな表情を浮かべた。唖然として見てる一護に、鋭い目を向け白哉は一歩前へ進む。
「可笑しいか」
「やっ、全然! すげーな、格好いい」
 素直に感嘆の言葉が出てしまったことに驚き、慌てて一護は自分の手で口を塞いだ。しかし、悔しいけれど、誰もが認める格好良さであろう。巷に多い顔は良いが軟派ちゃらちゃら系男ではなく、芯から現れる強さと真摯さが白哉の容姿を際だたせている。
「霊力はしっかり抑えられているようだな」
「勿論です。こっちに来て力を制限されているとはいっても、膨大な朽木隊長の霊力を微塵も漏らさぬ義骸は、あたしでなきゃ作れません」
 胸を張って得意そうに言う浦原に、一護はルキアの時のことを思い出して苦い表情を浮かべた。仕方なかったんだろうが、ルキアの霊力を分解するための義骸を作り、それが元で一護は死神代行を延々と続けなければならなかった。
 さらには尸魂界やら瀞霊廷やらでいろんな者達を巻き込んで暴れ回り、結果一番の大悪人は逃がしてしまった訳だが。
 あの時はほんとに良くやってたよなあと、しみじみ一護は思い出す。死にかけたことも何度もあった。にしても、あの場で死んだら現世ではどうなるんだろう、肉体にはコンが入っていたけれど、やっぱり死んだことになるのか、それとも生まれ変わるのか。
「……一護、黒崎一護」
「えっ、な、何っ」
 あの時はそんなこと考える間も無かったなと一護が思っていた時、名前を呼ばれて我に返った。不快、というよりは戸惑っているような瞳で白哉が一護を見詰めている。
「ここでの用は済んだ。行くぞ」
 行くって何処へ、と首を捻る一護に有無を言わせず白哉は踵を返して部屋を出ていく。説明なしかよ、と舌打ちしながらも一護は立ち上がり白哉の後を追った。
「毎度、ありがとうございます。またどうぞ」
 にこやかに言って手を振る浦原と、表情では解らないが、多分興味津々なのは尻尾の動きで解る夜一のコンビに苦笑いで手を振り、一護は先に行く白哉の後ろを歩いていく。
「どこ行くんだ。この辺は前ルキアの管轄だったみてーだけど」
 すっかり靄が晴れた街は明るい空気に包まれ、人々が忙しげに行き交っている。だが、誰もが白哉を見ると一瞬目を見張り、男女問わず惚けたように見送っていた。
 その様に、やれやれと思いながら一護は説明する。あちらこちらにルキアや闘った虚との思い出があった。もしかしたら、ルキアの仕事場だった所を見たいのかと思ったのだが、白哉は一護の言葉に何の興味も示さず淡々と歩いていく。
 どういうつもりなんだろうと、溜息を付いた一護は、このまま行くと辿り着く場所を思い浮かべ、ぎょっとして足を止めた。
「ま、まさか」
 慌てて離れてしまった白哉を追いかけ、腕を掴んで引き留める。何だ、と顔だけ振り向き問うように見る白哉に、一護は怒鳴った。
「そっち行くな!」
「何故だ」
「何でもだ」
 一護の言葉に白哉は眉を顰める。暫くそのまま睨み合っていた一護だったが、ふとあちこちから興味深げな視線を注がれていることに気付いて、ぱっと手を離した。何だかこれでは誤解を受けそうな場面ではないか。何の誤解かはあんまり考えたくない。
「だが、私は行かねばならない」
「何でだよ。大体こっちに何しに来たんだよ」
「未だ言えん」
 きっぱりと言い捨て、再び白哉は確固たる足取りで歩き始めた。一護は怒り半分諦め半分で力無く後を着いていく。
 ああ、やっぱりと一護は溜息を付き、白哉が足を止めた先で見上げたのはクロサキ医院の看板だった。
「お帰りなさい、お兄ちゃん。朝からどこ行ってたの」
 取り敢えず玄関前から動かない白哉を置いて、一護は扉を開ける。その音を聞いて中から遊子が出てきた。おう、と愛想無く挨拶する一護の後ろに、見慣れぬ姿を見て遊子は目をまん丸に見開いた。
「……お客さま?」
「あー、うん、まあ…そんなとこだ」
 歯切れ悪く答える一護の後ろを覗き込むようにして遊子は白哉を見ると、顔を赤く染めてぺこりとお辞儀をした。
「どうぞ、いらっしゃいませ」
 普段誰が来てもにこにこと愛想がいい遊子だが、今回の笑顔はちょっと感じが違うのが兄として気に入らない、などと思いつつ白哉に上がるよう促す。
 もしかしたら、ここが目的地ではないのかもという淡い期待も虚しく、白哉は軽く黙礼すると玄関を潜った。
 いつもの倍以上の丁寧さで白哉の前に置かれたお茶と、自分の前に置かれたお茶を眺め、一護は呆れて嘆息する。まだ小学生とはいえ、やっぱり女の子なんだなと思いながら一護は茶を啜った。
「白哉、茶を飲みに来た訳じゃねえんだろ。いい加減何しに来たんだか、言ってほしいね」
 詳しい話は自室で、と腰を上げ掛けた一護を目で制し、白哉は一つ息を吐くと答えた。
「お前の父上に話があるのだが」
「親父に? 何の?」
 びっくりして問うが、白哉はそれ以上答えない。仕方なく遊子に親父を連れてきてくれと頼んだが、今往診に出かけてる最中だということだった。
 滅多にしない往診の時に来るなんて、なんてこったいと思いながら、一護は黙ってお茶を飲む白哉を悟られぬよう横目で眺めた。死覇装姿の白哉にしか見たことがなかったから、今の姿は新鮮というか気恥ずかしい。コスプレを見ているようだ。死神姿の方がコスプレに近いか。
 扉を開く音がして小さな足音が聞こえてきた。これは一心じゃないなとちらりと見た一護は、驚愕の眼差しで白哉を見ている夏梨に溜息を付いた。
「あー、こいつはな」
「い、いい」
 一護が紹介しようとするのを止め、夏梨は小さく頭を下げるとばたばたと廊下を走っていってしまう。呆然として半ば腰を浮かせた一護は、冷や汗を浮かべ、悪い、と白哉に手を合わせた。遊子よりはクールで女の子っぽくない夏梨だが、お客に対しての礼儀作法は普通に出来る子だ。
 あれは照れてるとかびっくりしたというより、もっと違う感じの表情だったなと、一護は夏梨の態度が気に掛かりそのまま立ち上がった。
「ちょっと席外すけど、いいか」
「構わない。ここで待たせてもらう」
 泰然として言う白哉を残し、一護は夏梨と遊子の部屋へ向かった。扉をノックすると、中から遊子の声が聞こえてくる。開いた扉から顔を覗かせた遊子は、一護を見ると困惑した顔で中に入れた。
「どーしたんだ、夏梨」
「さっき急に入ってきたと思ったら、潜っちゃって」
 布団が丸く人の形に膨らんでいる。心配そうな遊子に微笑むと、一護は丸くなった布団に軽く手を掛けた。
「何かあったのか」
 一護の問いかけにぴくりと布団が動く。暫く黙って待っていると、そっと夏梨が布団から顔を出して一護を見上げた。
「……あの人、誰」
「誰? ああ、あれか」
「一兄ぃの友達?」
 夏梨の問いに一護は天を見上げた。友達ではない、取り敢えず未だ。敵ではあったけど、今は違う。友達の兄貴、というのが一番近いか。
「なんだ、夏梨ちゃん。あの人があんまり素敵だから恥ずかしいんだ」
「違うよっ!」
 くすりと笑って言う遊子に、夏梨は布団を放り出して迫った。頬を紅潮させ、怒っている夏梨に、遊子はにこにこと笑顔を向ける。
「遊子、ちょっと俺の代わりに白哉のとこ行っててくれ。直ぐに行くから」
「はーい。夏梨ちゃんも照れないで来ればいいのに」
 一言余計だ、と夏梨は髪を逆立ててしっしと遊子を追いやる。二人の様子に呆れて吐息を付いた一護は、改めて夏梨と対峙した。
「あいつは朽木白哉っていって、友達の兄貴だ。それがどうしたんだ」
「なんだか、あの人…ちょっと怖い」
 夏梨の言葉に驚いて一護は目を瞠った。冗談じゃないことは、僅かに青い顔色からも読みとれる。怖いって、態度や容姿が原因てことはないだろう、遊子は平気なのだから。
 一護はあれこれ考えてやっと夏梨が怖れているものの正体に思い当たった。自分と同じく霊感がかなり強い夏梨には、いくら義骸で抑えているとはいえ、多少白哉の霊圧が解ってしまうのではないだろうか。
 人並み外れたその未知な力に、夏梨が怯えるのも無理はない。
「あいつは…生真面目で頑固者だけど、根は良いやつだよ。強くて、綺麗で、賢くて。冷たい感じがするのは表面だけで、中身は結構熱くてな」
 一護は呆れた視線を感じて話すのを止めた。夏梨の気持ちを和らげようとするうちに、熱弁を振るっていたらしい。
「一兄ぃ……もう解った」
「そ、そうか。まあ、無理に挨拶する必要もないし、誤解が解けたんならいい」
 一護の説得?で気が抜けたのか、夏梨は首を振ると部屋から出ていった。一護も慌てて後を追いかける。
 遊子の楽しげな声しか聞こえないが、一体なんの話をしているのかと、夏梨とともに戻った一護は、テーブルの上に出されたアルバムにぎょっとして固まってしまった。
「これが、お兄ちゃんの小さい頃。可愛いでしょ」
「……笑っているな」
「うん、お母さんが生きてる頃はよく笑ったり泣いたりする子だったって」
 声にならない悲鳴を上げ、一護はダッシュでテーブルの上からアルバムを取り上げ両腕でしっかりと確保する。驚いたように見上げる遊子に、口をぱくぱくさせ一護は非難した。
「な、な、何でこんな物」
「だって白哉さんがお兄ちゃんの話してくれって言うんだもん」
「俺の?」
 そ、と笑顔で頷く遊子に、確認するように一護は白哉を見た。白哉も頷き、遊子に礼を言う。自分の話をするにしても、わざわざ幼少の時のアルバムを出さなくてもいいだろうと、遊子を恨めしげに見ていた一護は、脇を通り抜けた夏梨にはっとした。
「さっきは済みませんでした」
 頭を下げ、夏梨は白哉に一枚の写真を渡す。それを見た白哉の表情が一瞬微かに和らいだ気がして、一護はぼうっと見詰めた。
「あーっ、これいつの? 夏梨ちゃんなんで持ってるの」
 遊子の大声に我に返った一護は白哉の手元を覗き込んだ。その写真には一護一人が映っている。最近のものなのに口許には微かに笑みが浮かんでおり、何かを見詰めているようだった。
「それ差し上げます」
「何勝手なこと言ってんだよ、本人差し置いて」
 夏梨の言葉に焦って一護は白哉からそれを取り上げようとしたが、あっという間にどこかへ無くなってしまう。澄ました顔をしている白哉を睨み付け、それにしてもあの写真はいつの、何を見ている顔だろうと一護は首を捻った。
「お茶換えてきます」
 ひと騒動あった後、遊子がそう言って冷めたお茶を下げようと手を伸ばした。それなら自分が、と夏梨も手を伸ばす。謝って写真を渡したとはいえ、やっぱり白哉の側に居るのは苦手なのかと、一護が苦笑を浮かべた時、ぎくしゃくとした動きの夏梨が湯飲みを落とす。
 更にソファに足を引っかけ転びそうになった夏梨は、遊子の服にしがみついた。
「大丈夫か」
「は…はい」
 一護が手を出す間もなく、二人をしっかりと捉え白哉が尋ねる。間近に白哉の顔を見た遊子の顔は一瞬のうちに真っ赤になった。
 遊子は心配ないとして夏梨は大丈夫かと見ると、惚けた表情で白哉を見詰めている。二人を立たせ、再び座り直した白哉に、遊子は頬を染めたままお辞儀をしてキッチンの片隅に去り、夏梨と何か小さな声で話し始めた。
「大丈夫か、あいつ……あっ、白哉っ、さっきの写真返せよ」
「あれは、私が貰ったものだ」
「だーかーらー、それは夏梨が勝手に…って、何で俺の写真貰ってんだよ」
 そもそも白哉が一護の話を聞きたいということや、写真が見たいとか貰うとか、絶対可笑しい。遊子が勝手にそう思って話を振ったんだろう。でなければ、何の意味があってそんなことをするか。
 一護は憤慨して白哉に手を伸ばしたが、静かな面を見て拳を握り締めソファに乱暴に腰を下ろした。あんな平静な顔を見ていると、こんなことで騒いでいる自分が子供に思えてくる。実際、白哉の方が何歳も、いや、何百歳も年上だ。
「みんな元気か」
 沈黙が耐えられなくなって一護はぽつりと訊いた。恋次やルキアは仕事に復帰しただろう、そのうち現世で合うこともあるかもしれない。剣八は絶対こっちでは会いたくないが、一角にはまあ会ってもいいかな、などと思いを巡らしていると、一護は視線を感じて白哉に目を向けた。
「元気だ、と思う。失っていた霊力を取り戻し高めるために努力している」
 誰がとは訊かなくても解った。きっとこっちにいた時の調子で頑張っているんだろうと思うと、自然に笑みが零れる。
 白哉とルキア、そして恋次の関係も良くなったのだろうか。やっぱり家族は仲良くなきゃなと頷き、一護は白哉を見る。
 さっきまでの穏やかで静かな面に僅かに不機嫌さを表す皺が寄せられ、白哉の鋭い瞳に見据えられて一護は小さく息を飲むと身を引いた。
 何かまた拙い事でも言ったか、と思う一護に、白哉は目を逸らすことを許さずじっと見詰めてくる。その目は怒っているようではなく、何か切々と訴えかけるような力のある目で、一護は魅入られたように白哉から目が離せなかった。
「一護……」
 低く甘やかな声で名を呼ばれ、一護は全身から熱が前頭葉に集まってくるのを覚えた。視線を外さなければヤバイ。何がヤバイのか解らないがとにかく拙い、と頭の隅で思うものの、意志に反して吸い寄せられるように一護は白哉の方に近付いてしまう。
 長くて綺麗な指が一護の頬にかかり、吐息が触れるくらい間近に白哉の顔が近付いて、頭の熱が沸騰点を越え真っ白になった。
「たっだいまーん! なになにっ、誰か来てるんか」
 超明るい声が家中に響き、一護は反射的に飛び上がるように立ち上がった。硬直したまま顔だけでシンクの方を見ると、遊子と夏梨が焦ったような顔で一護から目を逸らした。
 今のを見られていたのかと全身から血の気が引き、青ざめた一護にダブルパンチのように一心のタックルが決まる。
 いつもだったら軽く躱せるそれをもろに受けた一護は、壁際に吹っ飛んだ。だが、予測していた激突のショックは来ず、誰かの腕が一護をしっかりと受け止めた。
「あれ、今日はちょっと元気がないな。あ、君、一護のお友達?」
 腰に手を当て豪快に笑いながら、一心は伸びている一護の後ろにいる白哉に話しかけた。一護は弾かれたように白哉から離れると、一心に逆襲のパンチを浴びせかけた。
「てめーはなんだってそう乱暴なんだよ」
「乱暴ちがーう。愛情表現、スキンシップ」
 軽く一護の拳を躱し、一心は人差し指をたて訂正する。その様に更にむかついて一護は一心に飛びかかろうとした。
「あなたがこの家の主か」
 白哉の静かな声に、一気にヒートアップしていた空気は醒め、きょとんとした顔で一心は頷いた。その機会を逃さず遊子が新しいお茶を入れていそいそとテーブルに置く。
「いかにも、私がこの家の主人。黒崎一心だ」
 一護はさっきのお返しとばかりに、偉そうにふんぞり返る一心の後頭部に蹴りを入れる。ずきずきする頭を気にせず、一心は白哉の対面に座った。
 居住まいを正して白哉も座り、真剣な表情で一心を見据える。さっきまでの騒がしくおちゃらけた雰囲気が微塵も感じられない空気の中、遊子と夏梨、そして一護は白哉が何を言い出すのかと固唾を飲んで見守った。
「訳あってこちらに滞在しなければなりません。よろしければ、この屋敷に泊まる許可をいただきたい」
 屋敷って、この家のことか、と一護は目を瞬かせた。遊子も夏梨も、一瞬言ってる意味が掴めず、ぽかんと白哉を見ている。
「オッケー。いつでもいつまででも泊まってってくれ」
「親父っ、そんな簡単に決めんな」
 一護が慌てて、白哉の願いをあっさりと許す一心に詰め寄った。そっぽを向いて無視する一心に、一護は二人の妹を味方に付けようとした。
「遊子、夏梨も、知らない男が自分ちに泊まり込むなんて嫌だよな」
「別に」
「いーよ、お友達なんでしょ」
 遊子はともかく、さっきまで怖がっていた筈の夏梨まで反対はしない。一護は愕然として三人を見た。理由も訊かず認めるなんて、どういう脳天気さだこの家族は、と一護は頭を抱える。
「な、何でだよ。百歩譲ってこっちに出てきたのはいいけど、うちに泊まるってどういうことだ」
「煩いよ、お兄ちゃん」
「それじゃまたちょっと出かけてくっから。今日はほんと忙しい、あー忙しい」
「諦めなよ、一兄ぃ」
 じゃ、と挨拶して一心は喚く一護を完璧に無視して再び出かけてしまった。遊子は一護をひと睨みすると、夕飯何にしようかなと嬉しそうに呟きながら出ていく。
 呆然と突っ立っていた一護の服を軽く引っ張り、夏梨は同情するように軽く叩く。夏梨だけは自分の気持ちを解ってくれるのかと思ったのも束の間、白哉をちら見する目がいつもの冷静さを感じさせなくて一護はがっくりと肩を落とした。
「しょーがねえな。泊まるったって部屋がねえぞ」
「一兄ぃんとこに布団敷けばいいんじゃない」
 確かにそれしかないだろう。まさかルキアのように押入に寝ろという訳にもいかないし。大きく溜息を付いた一護は、白哉に自分に着いてくるよう言うと歩き出した。
 自室に入った一護は扉を閉めようかどうしようか迷って、結局閉めた。気をしっかり保っていれば、さっきのようなどっかに意識が飛んでしまうようなこともあるまい。どうしてあんな風になったのか謎だが、大丈夫、俺は負けない、と自分に言い聞かせ、一護は何でこんなことを念押ししなきゃならないんだとまたもや溜息を付く。
「済まない。迷惑をかける」
「ほんとだよ」
 床に正座して頭を下げる白哉に、一護はそう言うと自分はベッドに腰を下ろした。せめて訳を言ってくれれば迷惑だなんて思わないかもしれないのに。何の理由もなく現世に来て、自分に接触してあまつさえここに泊まるなんて、白哉の性格上ありえない。
 いや、そこまで深く白哉の性格を知ってる訳じゃないけど。でも命がけで闘ったからこそ、解ることもある。
「本来ならルキアが来る筈だった」
「ええっ!」
 今のは自分の声じゃないと一護はびっくりして辺りを見回す。すっかり忘れていたが、部屋の片隅に居たコンが大声を上げ白哉に近付いていった。
「今のはほんとかっ、なんで姐さんが来ないでこんな格好よくて頭良さげで切れ者、仕事できますってなあんちゃんが来るんだよ」
 それは貶しているようで褒めてるんじゃと思いつつ、一護は泣きながら食ってかかるコンを困惑しきっている白哉から引き剥がした。
「お前、誰に怒鳴ってるのか解ってるのか」
「誰だろうと俺と姐さんの仲を引き裂く者は許さねえ。あーねーさーん!」
 じたばた藻掻くコンを白哉の目の前に突き出し、一護は一言ずつゆっくりと言った。
「朽木白哉、ルキアの兄貴だ。そして、尸魂界護廷十三隊の六番隊隊長」
 一護の説明に、白哉の目が僅かに細められる。ルキアの兄と聞いて驚いたコンは、ついで聞かされた肩書きに青ざめた。いや、ぬいぐるみだからほんとに青ざめたかどうかは解らないが、気配は一気に下降線になっている。
「そそそ、それはどうも、初めまして。いつも妹ぎみにはお世話になってます」
 ぺこりと頭を下げるコンを一護は押入に放り入れると、襖を閉めた。あれだけ脅しておけば、暫く騒いだり出てこようとしたりはしないだろう。
「で、何でルキアの代わりにあんたが来ることになったんだ。あいつじゃ荷が重い事がこっちで起きるのか」
 答えてはくれないだろうとは思ったが、一護は白哉に訊ねる。白哉は一度目を閉じると、漸く重い口を開いた。
「私が代わってくれと頼んだのだ」
「へ?」
「お前にもう一度会いたかった」
「……えええーっ!」
 雷撃を受けたような衝撃が一護の全身を走り抜け、そのまま硬直する。驚く一護を静かに見詰め、白哉は暫くショックが過ぎるのを待った。
 一護は白哉の言葉を反芻し思考回路に載せると、落ち着けと自分を叱咤する。何か尸魂界に居た時に言い忘れたことがあったとか、そういう意味だったら自分の驚きはあまりに大げさすぎて恥ずかしい。
 僅かに顔を赤く染め、一護は姿勢を正して白哉を見詰めた。ルキアに伝言できないような事なのか、それともそれはついででやっぱり現世で何か重大な任務があるのか。
「俺、に? それだけ?」
「そうだ。それだけだ」
 うっすらと笑みを浮かべ、白哉は一護に頷く。一護はその笑みに目を瞠り、再び固まってしまった。いつの間にか白哉は一護の隣に移動して、その手を取っている。
「び、白哉……離せ…」
 今度は二度目だったからか、なんとか一護は意志を総動員して身を引き少し白哉から離れる。白哉は素直に手を離し、何も言わず一護を見詰めていた。
 汗が噴き出し、心臓が爆発しそうに鼓動を打っている。単に手を握られただけで、どうしてこんなに動揺するんだろうと胸を押さえ、息を整えた一護は白哉を睨み付けた。
「そ、そんな訳あるかよっ。一応お前隊長なんだろ、俺だって代行だけど死神だ。ちゃんとこっちに来た理由を話せ」
「嘘ではない、が、任務はある」
 ほーら、やっぱり、と一護は眉を顰めたと同時にほっとする。
「今は話せぬが、暫くはお前の側に居る」
 さっきとは別の意味で一気にまた心拍数が上がった一護は、白哉の言葉に唖然とした。隊長が単なる死神代行の自分に会いに来て、側に居るってどこか可笑しい。
「俺を見張ってなきゃならないってことか」
 苦々しく吐き捨てるように言う一護に、白哉は微かに表情を強張らせた。一護が白哉と戦った時、間近であの虚のようになってしまった姿を見られている。死神とは違う、隊長格より強大な力と禍々しさを持つあれ。
 ひょっとすると、藍染と同じように敵となると思われたのか。
「そうではない。私はお前を守りたいのだ」
「ふざけんなよ。俺は守られる者じゃない」
 一護は息を絞り出すようにして白哉の言葉を否定した。
「確かに、お前はその名の通り、護る者だ。だが、あれからその身を護れるか」
 白哉の言葉に一護はぎくりと身を強張らせた。最後に白哉と闘った時に現れた白い姿の一護。あの時は乗っ取ろうとするそれを気力でねじ伏せたが、完全に消えたわけではない。
「あれは…もう一人の俺、か」
「あやつが現れ、完全に虚になる前に、私がお前を斬ろう」
 それが人間としての一護を守ることだと、白哉は言っているのだろう。虚と化した一護を止められる者はそうはいまい。
「馬鹿言ってんじゃねーよ。俺が虚なんかになる訳ねーだろ。もしそうなったら、自分でケジメ付けるさ」
 きっぱり言い切る一護を、白哉は目を細めて眺めた。口許に微かに笑みを浮かべ、白哉は一護の頬に両手を当てる。咄嗟に身を捩って離れようとする一護だったが、その手には力が入っている感じがしないのに逃げられなかった。
「強いな。一護……私はお前が好きだ」
 一護は目を見開いて目の前の白哉を見詰めた。真摯な瞳で言う白哉の様は、冗談や軽口とは思えない。けれど、その言葉の意味はぐるっと一護の思考からはみ出して頭の上に舞っている。
 白哉の言っている『好き』は、強いヤツに好感が持てるということで、それ以上の意味なんて無いんだろう。生粋の死神にとっての『好き』は、自分たち普通の人間とは違う意味なんだ、きっとそうだ。
 そう無理矢理納得させ、一護は懸命に笑みを浮かべ、白哉の手を離させようと手を掛けた。だが、徐々に白哉の顔が近付き、思わず一護は目を閉じてしまう。
 唇に触れた冷たい感触に、一護はびくりと肩を竦め拳を握り締めた。それは一度触れた後離れ、再びしっとりと一護の唇を押し包んでくる。
 一護の全身が熱くなり、血液が頭に集中して息が詰まる。漸くそれが離れ、一護は大きく息を付くとぐったりと力を抜いた。
 今の、今のはキス…か、と魂を奪われたように放心状態になっていた一護は、頭を白哉の胸に押しつけられ、やんわりと抱き締められて再び頭に血が上っていくのを覚えた。
「取り込み中すまんがの、二人とも」
「うわっ、わっ!」
 窓際から声が聞こえ、一護は狼狽して白哉を突き飛ばし立ち上がった。焦ってその方向を見ると、夜一がちょこんと窓枠に座っている。黒猫の姿だから表情は窺えないが、面白がってるのは尻尾の動き具合で解った。
「よ、夜一さん、何で…いや、今のは別に」
「何用か」
 真っ赤になって弁解しようとする一護とは反対に、平静な中に僅かな怒りを滲ませた白哉が夜一に問う。夜一は銜えて持ってきたらしい何かの書状を前足で差し出すと、踵を返した。
「浦原からじゃ。……まだまだ若いの、白哉坊よ」
 ああ、今夜中に今のことはみんなに知られてしまうだろうと、一護は溜息を付く。白哉は書状をスーツのポケットに仕舞うと立ち上がった。
 一瞬身構えた一護は、いきなり白哉の身体が倒れ込んで来たのを抱え、ベッドに転がってしまう。びっくりして見ると、ベッドに横には死覇装姿の白哉が立っていた。
「少し出てくる。後は頼む」
「えっ、お、おい、これ」
 言い捨て窓から外へ飛び出していく白哉に慌てて声をかけるが、とっくに姿は消えていた。抜け殻となった身体を抱えながら一護は吐息を付いて力を抜いた。
「お兄ちゃん、白哉さんの食事何がいい……」
 ノックの音がして一護が体勢を整える前に遊子が声を掛けながら扉を開く。遊子は声をのみ、目を見開いて一護の方を凝視した。
「お兄ちゃんのバカッ」
「あ、遊子…」
 唖然とする一護に怒鳴り、遊子は足音も荒く駆け去っていく。一体何を怒って、と考えた一護は自分がどういう状態なのか理解して頭を抱えた。
「もう、しらねーよ」
 白哉の義骸をごろりと自分の横に転がし、どうにでもなれと自分もベッドに横になって一護は目を閉じた。

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