花火
 

 ふいに目をこじ開けられ、強い光が入ってくる。何かは解らないが、振り払おうと腕を振り上げた一護は甲高い悲鳴と鈍い音に勢いよく起きあがった。
「……なにやってんだ」
「痛ったいよ、お兄ちゃん」
 ベッドの脇で頭をさすりながら遊子が文句を言って見上げる。手に持っている懐中電灯から、あの光はそれかと解ったが、理由は解らなかった。
 欠伸をしてベッドから足を降ろし、遊子に手を貸して立ち上がらせる。遊子は誤魔化すような笑いを返し、手に持った懐中電灯を隠すように後ろに手を回した。
「で、何だ、それ」
「あ、えーとね、最近叩いても揺すっても起きないことが多くって、ちょっと心配になって。まるで魂が抜けたみたいなんだもん」
 それは尸魂界から戻って死神代行として働くようになってから、ついうっかりコンに後を任せることを忘れることがあって、そのせいだろうか。
「そ、そうか。夏休みのつけが残ってるんだろ」
「夜遅くまで出歩いてたからだよ」
 コンの奴、と一護は額に青筋を立て、密かに拳を握り締めた。自分が尸魂界に行ってる間、一体何してやがったと思わず声に出してしまった一護は、不思議そうに見ている遊子に引きつった笑みを見せ、立ち上がった。
 今日は土曜日で学校は無い。だから遅くまで寝ていたのだが、今更寝直すのもなんだし、と一護は遊子を連れ階段を下りていった。
 いつもならこの辺で父親の強烈アタックが来る筈なのに、家の中は静かだ。食卓には夏梨の姿も見えない。どうしたのかと訝る一護に、遊子が二人とも朝早く出かけて行ったと説明した。
「お兄ちゃんは、今日家に居るの」
「別に用もねえしな」
 そういや昨日啓吾がどこかに遊びに行こうと騒いでいたっけ、と一護は思いだした。水色に断られ、一護も半分以上聞いてなかったが、煩く言ってたから諦めきれずに誘いに来るかも。
 そう思った矢先に電話が鳴り、遊子がそれに出る。お友達からだよ、と言う遊子に、目も合わせず断れと一護は切って捨てた。
「でも、お兄ちゃん」
「今日はいかねーっての。遅れてる分取り戻さなきゃなんねーからな」
 そう、夏中尸魂界に行っていたから当然勉強など全くしていない。この髪と態度をとやかく言われないために、成績だけは上位をキープし続けてきた。それなのに、ここでずどーんと落ちてしまったら、何を言われるか簡単に想像が付いてしまう。
 父親が居ないなら丁度いい、今日は家に籠もって勉強だと、電話のお陰で決心が付いた。まあ、虚が出てきたら中止せざるを得ないが。
 遊子は暫く電話の向こうとやりとりしていたが、にこにこ顔で受話器を置いた。何か可笑しいのかと一護は目を眇めて遊子を見た。
「今の人、変なしゃべり方してたよ。テレビのお笑いの人みたいな」
「何だそりゃ」
 相手は啓吾じゃないのかと、一護は驚いて眉を顰めた。お笑い芸人めいたしゃべり方と聞いて、思い浮かんだのは先日転入してきた平子だが、電話が掛かってくる理由が無い。
 首を捻って考え始めた一護に、遊子は怪訝そうな視線を向けた。
「名前、聞かなかったのか」
「うん。ただ、黒崎一護おるかって、でね、あたしの声可愛いから、さぞかしかあいらし子なんやろなーって」
 嬉しそうにくすくす笑う遊子に一護は、思い切り不審そうな顔を向けた。
 再び電話が鳴り、またさっきの奴だといけないと、遊子が出る前に一護は自分で受話器を取った。すると啓吾の脳天気な声が耳に飛び込んでくる。頭の中を突っ切り、逆の耳から飛び出てしまうような大声に、一護は怒鳴るように返事をすると受話器を叩ききった。
 びっくりして目を見開いている遊子に、何でもないと苦笑いを零し、頭を抱えながら一護は自室へ上がっていく。
 何から始めるかと教科書を出していた一護は、玄関のベルが鳴る音に顔を顰めて、扉から階下を窺った。
「おにーちゃーん、お客さんだよ」
「チッ」
 まさか電話じゃ埒があかないから啓吾が直接来たのかと、一護は舌打ちして玄関へ向かった。一発殴って追い返せば、今日の所は静かになるだろう。それとも、煩いのが続くのを避けるために今日だけ付き合って明日に勉強するかと色々考えて階段を下りていった一護は、玄関の扉を開けて唖然とした。
「おはよーさん。今日はいい天気やね」
「……おまえ…、誰だ」
 どこかで会ったような、無いような。見た目二十代後半といった感じの男が、笑顔で一護に手を上げ挨拶をする。多分、笑っているんだろうが、どこか油断がならない気配に、一護は眉根を寄せ男を睨み付けた。
「えー、誰って酷いなあ。あんな刺激的な出会い方しといて、忘れるなんて許さへんで」
 不満そうに言う男の顔をまじまじと見るが、本当に思い出せない。関西弁っぽいイントネーションと言葉が引っかかるけれど、最近でいうならやっぱり平子くらいしか出てこない。が、目の前の男は完璧平子ではないし。
「そう言われても……どちらさまで」
 一応思い出せなくて済まないと、一護は下手に出て男に聞いた。男はしょうがないなと一つ溜息を付く。
「ほんなら、これで思い出してや」
 一護はその男が一瞬見せた霊圧に総毛立った。身体が硬直し、冷や汗が額を伝って流れる。研ぎ澄まされた刃の切っ先が喉元に当てられているような感触に、一護は視線すら動かせなかった。
「……貴、様……あの時の」
「思い出してくれたん? 黒崎、一護」
 喉の奥で笑いながら名を呼ばれ、一護は身震いした。尸魂界に行って瀞霊門の門番を倒した時、現れた死神の隊長。一瞬で門番の腕を切り、自分を外に押し出した。
「三番隊隊長、市丸ギン」
「元、やけどな」
 にこにこと笑うギンの気配は、既にさっきの力の片鱗も無い。漸く息を吐いた一護は、拳で額の汗を拭った。
 この場で死神になるかとポケットを探ったが、代行証は二階の自室に置いてきてしまった。ここから取りに戻る間にギンに瞬殺されてしまうかもしれないと、一護は逡巡する。
「あ、別に僕は闘うつもりで来たんやないよ。だからそんな気ぃはらんといて」
 そんな胡散臭い笑顔で言われても気なんか抜けるか、と一護は心の中で怒鳴る。するとギンは、とても悲しそうな表情を浮かべた。
「だ、だけど、お前、あいつと一緒に消えて」
 その表情に、一護は僅かに怯んで言った。そんな顔には誤魔化されないぞと思っても、気配には全く殺気が無いためいつまでも緊張していられなかった。
「お前じゃなくて、ギンって呼んで。確かに藍染隊長とは一緒やけど、今日は違うんよ。だから闘いは無し」
 ね、と人差し指で確認するように言い、ギンは笑う。一護は信用すべきか否か未だ迷っていた。ギンはまた溜息を付くと、頬を掻いた。
「本気で殺る気やったら、とっくに死んでると思わへん? 僕、一護よりずっと強いし」
「な、なにおうっ、やってみなきゃわかんねーだろが。てゆーか、何で名前呼び捨てなんだよ」
 一護は反射的に怒鳴ったが、確かに今の自分の力ではギンに勝てない事が解っていた。さっき見せたギンの霊圧ですら、力の一端でしか無い事も理解している。
「何でゆーてもな、呼び捨ていやなら一護ちゃんて言った方がいい?」
「い、一護でいい。じゃなくて黒崎とか」
「そんな他人行儀な」
 他人じゃねーか、という突っ込みを押さえて一護はこれ以上不毛な会話を続けまいとした。とにかく、ギンが何故、何をしにここに現れたのか理由を掴まなければ。
 さっきからご近所の人が二人の会話に興味深げな視線を投げかけて来ている。騒ぎは慣れっことはいえ、見知らぬ男と不穏な話をしているのを見られるのは拙いだろう。
「何の用だ。俺と闘うなら今魂魄になってくる」
「だから、闘いに来たんやないって。一護と逢い引きしに来たんよ」
 ギンの口から出た言葉に、一護はそれこそ魂が抜けたような気がして呆然と目を見開いた。逢い引きってのは、つまり今の言葉にするとデート、か。
 動かない一護に、ギンは少し近付いて目の前で手をひらひらと振る。何度か瞬きをした一護は、思わずギンの胸元を掴み上げた。巫山戯るな、とそのまま何度か揺さぶって一護は我に返る。あれだけの力があるなら、腕を捻りあげるどころか吹っ飛ばされていても不思議ではない。
 一護にされるがまま、頭をがくがくと振っていたギンは、漸く落ち着いて睨んでくる一護に、笑いかけた。
「あまり乱暴にせんといて。義骸に入んの初めてだから、扱い方にまだ慣れてないんや」
「あ、す、済まねえ」
 やんわり言われ、一護は焦って腕を離す。その様に、くすりと笑みを零し、ギンはくるりと一回りして見せた。
「どう、なかなか良い義骸やろ」
 と言われても、一護には魂魄と義骸の外見の違いは良く判らない。ギン自体、まともに見たのは一度だけ、最後に会った時自分は死にかけてたし、ルキアと藍染の方ばかり見ていて周囲に目をやる余裕など無かった。
 今のギンは半袖シャツの上に粗めのニットベスト、デニムパンツにスニーカーっぽい革靴という、多分ごく普通の格好だ。あまり男性ファッションに興味が無いので良くは分からないが。
「とにかく、逢い引きだか何だか知らないが、全てまるっとお断りだ。大体敵同士なのに何でそんなことしなきゃならないんだ」
「理由? 君に興味持ったから。初めて会うた時から、もっとちゃんと話してみたい思ってた」
 一護は目を眇め、相変わらず笑みを浮かべてるギンを見た。
 あの闘いが終わった後、尸魂界でいろんな死神と話した。みな、藍染がそんなことをするなんて今でも信じられないと言う一方で、ギンなら分かるけどと溜息付きつつ話す者も多かった。
 特に乱菊からはさんざんな言われ方をしていた。そのお陰でしっかり会ったことも無いのに、性格やら態度やら知っているような気がする。
 そんなギンが何故一護に興味を持ったと言うのか。一護は眉を顰め、ギンを窺うように睨み据えた。「俺は話すことなんか無いぜ。お前らの目的とか、これから何をするつもりだとか、どうせ喋っちゃくれないんだろ」
「それはなあ、僕もほんとの所はわからへんよ。藍染隊長に付いていってるだけやし」
 薄く笑むギンに、更に一護は眉間の皺を深く寄せる。絶対、ギンは真実を語ってはいないという事だけは解った。
 一護は踵を返し背を向けると、家の中へ戻ろうとした。
「帰れ。お前に付き合ってる暇は……」
「あかんよ、もう決めた」
 ぴったり背中に張り付かれ、一護は身動き出来ず足を止めた。耳元に囁かれる言葉と微かに漏れる笑い声に、背筋がそそけ立つ。
「おにーちゃん、お客さまなら上がって貰ったら」
 玄関先でのやりとりがまだ続いていることに気付いた遊子が顔を出し、二人を見て言った。遊子に危険を知らせようと口を開こうとした一護は、肩に軽く手を置かれ息を詰める。
「お構いなく。ほんま、可愛らし子やね。君が付き合ってくれないんやったら、あの子でも」
「てめ…っ」
 一護は身を返すと、ギンの身体ごと玄関から外に飛び出した。怒りに燃える一護の瞳を嬉しそうに見詰め、ギンは笑みを深くする。
「付き合うてくれるな」
「妹に手を出すな」
 低い声で威嚇するように言うと、一護は玄関の中に戻り靴を履いて再び外に出た。びっくりしている遊子に出かけてくると一言言ってギンの前に立つ。
「代行証、持ってかへんでええの」
「俺が死神になってもいいのか」
「かまへんよ」
 嘲笑するような声に、一護は一瞬頭に血が上りかけ拳を握り締めた。だが、怒れば怒るほどギンの思うツボだと漸く悟って、深く息を吐くと歩き始めた。
「で、何処に行くんだ」
「僕、現世に降りたんはもう大分前なんで、詳しく無いからどうしよう」
 虚と闘う時はそんな暇無いしと言うギンに、一護は額に青筋を浮かべ対峙した。本当にこいつはあの馬鹿っ強かった藍染の部下なのだろうか。何か企んでいるのを分からないよう、油断させているのか。
「俺だってわかんねえよ、そんなもん」
「なんや一護、逢い引きしたこと無いんか。しょーもないなあ、良い若いもんが色気のない」
「大きなお世話だっ! 大体男同士で逢い引きなんてふつーはしねえんだよ」
 大きな声で怒鳴り返してから、一護ははっと気付いて辺りを見回した。ご近所の奥さん達が、一護に視線を合わせないよう知らんふりをして顔を背ける。顔に血が上り今にも湯気を噴きそうな一護を見やり、ギンは軽く吐息を付くとどこから出したのか、一冊の本を広げた。
「最初のデートなら、相手も気軽に楽しめるような場所、遊園地がオススメ。って書いてあるし、そこ行こか」
 もしかして、始めからそのつもりだったんじゃないのかとギンを睨み付け、一護は足音も荒く歩き始めた。
 自宅からなるべく離れた遊園地までやってくる間、ギンは大人しくにこにこしたまま一護に付いてきた。最初ルキアが来た時に、どこに連れて行っても騒がしく聞いてきたり驚いたりした事を考えると、やっぱり今の現世も知っているんじゃないかと一護はギンを横目で見る。
 ギンは一護の視線に気付くと、何かと言うように顔を見合わせた。どうせ訊いても素直に言う筈無いな、と一護は苦り切った表情で溜息を付いた。
 電車に一時間ほど乗って目的地に着く。男二人で遊園地かと思うと嫌になるが、一護が大人しく付き合っていればギンが他に被害を及ぼすことは無さそうだ。もし何かしでかしそうになったら、直ぐに人気のない場所へ行かなければならないが、この遊園地の側にはサッカー場と巨大な駐車場がある。今日は試合がないからそこへ誘導すれば良いだろう。もしくは川の土手とか。
「遊園地ってこういうもんなん。面白い建物があるなあ」
「こっちだ」
 楽しげにきょろきょろ見回すギンを連れ、一護は中へと入っていった。土曜日でそこそこ人出があるお陰で自分たちが意外と目立たないことに、一護はほっと胸を撫で下ろす。ここまで遠出すれば、いくらなんでもクラスメイトに当たる確率は低いだろうし。
「いっちごーーっ」
 遠くの方から聞き覚えのある声と共に、もの凄い勢いで何かが一護の方に突き進んでくる。一護はぎょっとして身を引き、それをやり過ごした。
「ひっどーい。酷いよ酷い、一護ってば何こんなとこ来てるんだよ、ナンパ?」
 一護の足に引っかかり、見事に地面に沈んだそれは、全くめげることなく立ち上がり一護に縋り付いてくる。今一番会いたく無かった者の登場に、一護はげんなりして啓吾を突き放した。
「んな訳ねーだろ」
「あれー、一護来てたんだ」
「たつき、お前何で」
 足に巻き付く啓吾を蹴り飛ばした一護は、続けて聞こえてきた声に驚いて目を瞠った。たつきを先頭にして見覚えのあるクラスメイト達がぞろぞろと集合している。
「明後日ここでぶら霊の撮影があるんだって。その日は来られないから今日みんなで見に来た」
「そうそう、お化け屋敷に本物の霊が出るっての、確かめようということで」
 ね、と顔を見合わせ、クラスメイト達は一斉にドン・観音寺の物まねをし始めた。お前もか、と見る一護に、たつきは両手を上げて首を振る。
「お化け屋敷にほんとの霊ってありがち過ぎだけど、女の子に抱きつくには良いチャンスだよね」
 にっこり邪気のない笑顔で水色は啓吾を見ながら言った。啓吾は鼻の穴を広げながら当然だと、更に一護に抱きついて同意を促した。
 突然、凍り付くような冷たい空気が一護の周りを包み込む。一護は啓吾を突き飛ばし、身構えた。「お友達?」
「……あ、いや」
 何が起きたのか分からず、啓吾はきょとんとした顔で一護を見上げた。今まで見えていなかったギンの姿に、クラスメイト達は誰だと目で会話する。
「あんまりべたべたくっつかんといた方がええよ。誤解、するかもしれんし」
「たつき、もう行った方が良い」
 一瞬の殺気に身構えていたたつきは、一護に言われ僅かに躊躇ったが、啓吾の襟首を掴むとそのままみんなを引き連れて去っていった。
「お前」
「僕もはよ一護とあんな仲良くなりたいな」
 しれっと悪びれずに言うと、ギンはにっこり笑って見せた。ここで怒るには人目が有りすぎる。ともかく二人切りにならなければと、一護はギンの腕を掴んで歩き始めた。
 観覧車を見つけて一護はギンを中に押し入れ、自分も乗り込む。係員が複雑な表情をしているのに少し疑問があったが、構う暇は無かった。
「ふう、やっと話せる」
「面白いなあ、この箱。こんなん乗らないと上にいけへんの」
「これは上に行く為のもんじゃなくて、ここから景色を眺めたり」
「二人でいちゃいちゃしたり?」
 一護は息を詰め、胸を押さえて椅子に蹲った。薄く笑って見ているギンに、やっぱり知ってるんじゃと疑惑が沸き起こる。ここに乗り込んだのは間違いだったかと、どきどきしながら一護は椅子に座り直し、外を眺めた。
 観覧車はかなり巨大で頂上まで行くには時間が掛かりそうだ。
「何で命賭けてまで、あの子助けに来たの」
 ぽつりと呟かれた言葉に、一護はギンを見る。ギンは、一護の答えを待ってる風でもなく外を面白そうに眺めていた。
「借りを、返すためだ」
 もっと複雑でいろんな感情があるけれど、結局の所自分を突き動かしたのは、その想いと意志。馬鹿にするならすれば良いと、一護はギンを見詰めた。
「そっか。……そういうもんかもしれんな」
 拍子抜けしたように見ている一護に顔を向け、ギンはそう言うと立ち上がって隣に席を移した。一護は慌てて壁際に寄り、ギンからなるべく身を離そうとする。
「な、何だよ、解ったような口きくな」
「僕ね、君を初めて見た時、びっくりしたんよ。こんな子供で力も弱い手下を浦原が寄越したのかって。こんなんじゃ、僕たちの計画には使えへんなって思ってた」
 浦原の手下じゃないと、一護は口の中で文句を呟く。計画とは、あの時藍染が滔々と語っていた超自分本位で我が儘なものか。
「でも、見ていくうちに、どんどん強くなって。驚いたわ、完璧予想外」
 隠れて見てたのかよ、と一護は眉を顰める。ギンは指を組み、天井を見上げ嬉しそうに続けて話した。
「この子は何でこんなに強くなってんのやろ、どうして強くならなあかんのやろと思って見てるうちに、もっともっと見たくなった」
 凄く嬉しそうに言うギンに、少し恥ずかしくなって一護は俯いた。ギンは一護の顎に手を当て、顔を上げさせる。困惑した一護の瞳に微笑みかけ、素早くギンは唇を合わせた。
「なっ、何しやがるっ」
 バッと離れ、一護は顔を真っ赤に染めながら拳で強く唇を擦る。あんまり思い切り離れたものだから、観覧車の籠が大きく揺れてしまった。
 籠の中は二人切りといっても、ガラス張りの中は周囲から丸見えで、変な動き方をすると注目されてしまう。一護はギンを警戒しながらゆっくりと反対側の椅子に腰を下ろした。
 籠が下に着き、一護はギンを促して降りた。一度しか乗れないのかと首を捻るギンに、これ以上変な真似されてたまるかと一護はどんどん歩いていく。
 隙を与えない為に、歩いていく途中のアトラクションに次々乗っていった。どんなアトラクションにも楽しそうな顔でギンは一護に付いていき、乗りこなしていく。こんなに真面目に沢山乗ったこと無いなと、次第に息が上がってきた一護はとうとうベンチにへたり込んだ。
「ちょっと、休憩だ」
「もう疲れたん」
 ギンの言葉に言い返せず、一護はただ睨み付け目を閉じた。普段ならこれくらいで疲れたりしない。今日はギンの存在に気を張り、周囲に問題ないかと目を配り、隙を与えまいと乗りまくりだったからちょっと休みたくなっただけだと、一護は心の中で言い訳をする。
 目を手で覆ってぐったりとベンチに凭れ掛かっていた一護は、その手に冷たい物が触れぎょっとして飛び上がった。
「はい」
 目を瞬かせ、目の前に差し出されたそれを見詰める。透明な滴が持ち帰りようのカップを伝い、美味しそうな緑色の液体が中に満ちていた。
 思わず手を伸ばしかけた一護は、ストローが二本差してあることに気付いて眉を上げる。手を伸ばし、一護はカップを取ると蓋とストローを外して一気に中身を飲み干した。
「ああっ、せっかく二人で飲もうと思ってたのに」
「ふざけんなっ……でも、まあ、ありがと」
 怒鳴ってから、後半ぼそりと小さく礼を言う一護に、ギンは満足げな笑みを向ける。空になったカップをゴミ箱に放り込んだ一護は、大きく伸びをして空を見上げた。赤くなり始めた地平線近くの色に、もうこんな時間なのかと驚く。
 あと乗ってないものは、小さい子供向けの乗り物とお化け屋敷だけだ。みんなは興味本位でお化け屋敷に本物の霊が居るかもしれないと行ったようだが、実際居る。ここだって、紛れてはいるが確かに存在する。
 ただ、観音寺が出てくる程の霊ならば、きっと悪霊…虚になりかけの霊なのだろう。今代行証を持っていれば行って魂葬するのにと、一護は溜息を付いた。
「お化け屋敷とかも面白そうやけど」
「行かねえよ」
 何も出来ず見ているしかないなら、行かない方が良い。それとも、ギンは魂葬する気があるのだろうか。一護がふとギンを見ると、にやりと笑って見返してきた。
「なんや、残念。きゃーっとか言って抱きついてくんの楽しそうやのに」
「誰が抱きつくかよ……お前、やっぱり何度かこういう所へ来てんじゃ」
 そういえば、さっきの飲み物もあまりに自然に差し出されたから疑問に感じなかったが、初めて来たのに買える訳がない。
 不審そうに見据える一護の腕を取り、ギンは立たせ急かすように歩き始めた。遊園地を出ようとするギンに、人気のない場所で本当の目的を遂行するつもりかと一護は緊張する。
 サッカー場も駐車場もスルーして、ギンは川岸へと歩いていった。陽が沈むにつれ徐々に辺りが暗くなる中、一護は足を止めた。
「どしたん?」
「何処へ行くんだ」
「もう着いた」
 ギンはにっこり笑うと一護の身体を軽々と抱え上げ、宙に飛んだ。予想もしていなかった出来事に、一護は唖然としてしまう。やっと逃れることに気が回った時には、川の上に降りていた。
 正確には川に浮かんでいた屋形船の上のようだ。ギンが一護を抱えたまま足を着いても、僅かに揺れるだけで船は波音も立てない。
 まだ驚愕している一護を降ろし、ギンは屋根が付いている中へ招き入れた。屋形船の中に入ったのは初めてだったが、テレビや雑誌では何度か見たことがある。畳が敷かれ、今時珍しい丸い卓袱台と座布団が用意されていた。
「ま、座り。お腹空いた頃やと思ってん」
 ギンに言われるまま座った一護の目の前には、焼いたするめとお銚子にお猪口、何故か海苔も巻いてないお握りが二個しか無い。これを食べろと? と目で問う一護に構わず、ギンは座るとするめを裂いてひと欠け口に放り込んだ。手酌で酒を注ぎ、美味しそうに飲む。
「俺はまだ未成年だ。酒は飲めない」
「それは残念」
 くすりと笑い、ギンは一護に勧めた御猪口に再び自分で酒を注ぎ飲む。確かに腹が減ってきていた一護はお握りを一つ手に取ると齧り付いた。ほんの少しの塩味と、米の味が口の中一杯に広がっていく。
「この身体でも、味は変わらへんね」
「そういうもんなのか」
 そういえば尸魂界に行った時、あまり腹は減らなかった。強い霊力を持つ魂魄は腹が空くものだと教わったが、そもそもあの世界で食べ物って何だろうと一護は考えてしまう。
「そんなに白い握り飯が珍しいか」
「いや、お前だったらお握りよりいなり寿司の方が似合うかなって」
 途端に一護は言ったことを後悔した。ギンは凄みのある笑みで一護の方に顔を近付け、聞こえなかったからもう一回言ってみ、と呟く。
 冷や汗を浮かべ視線を外す一護にくすりと笑い、ギンは窓から身を乗り出して空を見上げた。
「もうすぐ華が咲く」
「え? 華って」
 一護が問いかけた時、鮮やかな光が空を彩り、続けて大きく破裂するような音が聞こえた。慌てて外を見ると、川向こうに巨大な花火が次々に打ち上げられていく。花火大会では無いが、この遊園地では土日に限って花火を打ち上げるのだったと、一護は思い出した。
「この華だけは、昔と同じやね。川の流れも変わらない」
 いつもの笑みを無くし、僅かな郷愁を感じさせるギンの言葉に一護は目を瞠った。空鶴が居るくらいだから尸魂界にも花火はあるのだろうが、今の言葉は現世での事に聞こえる。
「お前、こっち生まれなのか」
「死ぬまではね。それより、そろそろギンって呼んで欲しいなぁ」
 腕を取られ、一護は抗う間もなく抱き寄せられた。驚いて目を見開く一護を畳の上に押し倒し、ギンは酷薄な笑みを口端に浮かべる。
「な、何っ」
 一護は突然の出来事に狼狽え反射的にギンを突き放そうとしたが、さほど強い力とも思えないのに腕の一本も上がらなかった。
 ギンの顔が徐々に近付いてきて、一護は心の中で叫びながら顔を背ける。その為露わになった一護の頬から耳にかけての線を、ギンは唇で辿り耳朶をやんわりと噛んだ。
 ぞくりとする感触に避けようと顔を元に戻した時、ギンは一護の唇を捕らえ合わせた。ギンは一護が口付けから逃れようとするのを許さず、手で顎をしっかり押さえ力を込めると、息苦しさに薄く開いた合わせ目から舌を差し入れた。
 一護は自由になった片手でギンの肩を強く押し戻そうとする。びくともしないギンの肩を押したり叩いたりしている内に、侵入してきた舌の動きが一護の思考を麻痺させていった。
「……んっ…は…」
 ギンの舌は縦横に蠢いて、更に一護の感覚を奪っていく。一護の動きが鈍くなり手はギンの肩を掴んでいるだけになってしまった。
 ギンは何回も唇を離しては合わせ、一護の唇を貪るよう犯していく。何度目かの口付けの後、ギンは吸われてほの赤く染まった一護の唇から漸く離れた。
「良い顔してはるわ」
「な……に…」
 一護はギンをぼうっとした目で見た。潤んだ瞳に満足そうに笑み、ギンは一護の目許に軽く唇を寄せた。
 ギンの手がTシャツの裾に伸び、そこから素肌を確かめるように侵入してくる。肌を這う指先の冷たい感触に、一護は我に返って拳を振り上げた。
「いったーい」
「痛いじゃねえっ…何しやがる!」
 一護は拳を震わせ、半身を起こす。殴られた頬をさすり、ギンは不服そうな表情で一護を見詰めた。「やっぱり簡単にはいかんね」
 いってたまるかと一護は油断無くギンを睨み付けながら、この場から逃げる機会を窺った。川の真ん中だから岸まで泳げば何とかなるだろうと、ちらりと障子の向こうを見る。
「逃げられないよ、一護」
 ぺろりと舌で切れた唇に滲む血を舐め、ギンは笑って告げた。一護は目を瞠り、立ち上がって障子から外へ身を乗り出した。
「こ、れは」
「結界、張ってるから騒いでも暴れても誰にも気付かれへんよ。ここは川の上、川はこの世とあの世を繋ぐ境界。ああ、虚の居る世でもないで、そっちの心配はいらんから」
 普通なら頭上に上がっている花火が真横や下で炸裂し、曇りガラスを通したような朧気な光を帯びている。思い切り手を下に伸ばすと、川の冷たい水に触れた。
「戻せっ、お前の悪ふさげに付き合ってる暇はねえ!」
 歯噛みして一護はギンに怒鳴る。ギンは薄く笑いを張り付かせたまま、一護に近付いていった。ギンが伸ばす手を払いのけ、一護は身を翻す。しかし、足を引っかけられて一護は畳の上に転がった。再びしっかり押さえ込まれ、一護は僅かに動けるだけになってしまう。
「悪ふざけじゃない。一護が欲しいだけ」
 何となく意味を理解して、一護は必死に逃れようと身じろぎする。だが、ギンは器用に一護の身体から衣服を剥いていった。
「やめろっ、馬鹿っ、変態キツネ男!」
 身体が動かない分口で抵抗だと、一護はギンを罵る。ギンはそれを聞き流していたが、最後の言葉だけはぴくりと反応し、眉を上げて一護を見据えた。
「煩い口やね。少し黙っといて」
 深い口付けで一護の言葉を封じ、ギンは手を胸や腰に這わせていく。胸の突起を指でまさぐられ、一護は息を詰めた。
 ギンの巧みな愛撫に、一護は徐々に翻弄され意識が快楽に支配される。何でこんなことに、と頭の片隅で最後の抵抗を試みながらも、一護は身体から力が抜け愛撫に身を任せていった。
 全身が淡い桃色に染まり、目許を赤く染め息を荒げる一護を、ギンは酔ったような目で見詰めた。最初に見た時から欲しかった獲物。研ぎ澄まされた感覚と、荒削りな霊力。繊細さと粗暴さが共にある危うげな心と体。
 こんなに欲することになるとは思わなかったと、ギンは僅かな後悔の念を抱いたが、直ぐにそれは消え去った。
 のし掛かるギンを、僅かに開いた一護の目が見詰める。その瞳に宿る強い光に、ギンはぞくぞくする感覚を覚え嬉しさに破顔した。

 船から下りる時によろけた身体を支えようと伸ばされたギンの手を、一護は打ち払い顔も見ずに歩き出した。どうして抵抗仕切れなかったと、自分自身に腹が立ち、一護は痛む身体を庇うこともせず乱暴な足取りで歩いていく。
「今日は楽しかった。一護、また会おうな」
「二度と来るな!」
 しれっと悪びれた様子もなく言うギンに、一護は思わず振り向いて怒鳴る。今度会ったら必ず死神となってめっためたに切り捨ててやる、と一護は固く誓う。
「一護かて、悦んでた……っと」
 殴りかかってきた一護を躱し、ギンは掠めるようにして唇を奪った。顔を真っ赤にして後退さる一護に、ギンは楽しそうに笑いかける。
「てめえっ、ぶっ殺す」
「今度は名前呼んでや、一護」
 ギンは手を振りながら空間に穴を空け、手を振ると中へ消え去った。その場所を悔しげに睨み付けていた一護は、深く溜息を付くと踵を返し歩き出した。

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