Dream Lover



 ドアを開けて外に出ると、冷たい空気が頬を直撃する。コートに手袋、マフラーといった格好でも、顔に当たる風を遮ることは出来なかった。
 とはいえ、十二月も半ばを過ぎてそろそろ冬至という時期では、寒さに文句を付けても仕方がない。一月二月になればもっと寒いだろうし。
 リョーマは漸く太陽が照らし出した道を、学校へ向けて歩き始めた。この季節になると、朝も夕方も日差しが短くなり練習時間が限られてしまう。自宅の隣にあるコートに夜間照明くらい付ければ、家で練習し放題なのだが、そんな贅沢は許されなかった。
 ならば朝練を止めればいいのに、竜崎先生と新部長が許さない。ボールが打てなくてもランニングくらい出来るだろうというのが理由だった。
 三年生がごっそり抜けて、今の二年一年では来年の地区大会に勝てるかどうかさえ覚束ない今の青学テニス部では、冬を乗り切ってなんとかレギュラーを育てたいと考えるのも無理はないのだが。
「やっぱ、寒いし」
 眠い。思わず大きな欠伸が漏れる。ぬくぬくのお布団から出てくるのは元部長とのテニスの試合以上に試練だった。半分寝ぼけて着替えて、さっきの冷たい風で漸く目が覚めた気がするが、また油断すると瞼が半分くらい落ちてしまうそうだ。
「おーっす、越前起きてるか」
 背中を勢いよく叩かれて、リョーマは前につんのめった。危ないなあと、むっとして笑みを浮かべている桃城を睨み付ける。
「うぃーっす」
 一応挨拶すると、桃城は自分の乗っていた自転車の後ろを指さした。
「乗ってけよ」
「遠慮しときます」
「何で」
「風が余計冷たいから」
 ただ歩いているだけでも寒いのに、自転車なんぞに乗ったら余計冷たい風が身に染みる。桃城は不満そうな顔をしていたが、思いついたように手を打ち言った。
「俺の背中にぴったりくっついてれば、風よけになるんじゃねえの。こーんな感じで」
 喉の奥で笑いながら、桃城は想像の手を腰に回す仕草をしてみせた。リョーマは呆れたように溜息を付き、桃城を無視して歩き始める。
「お、おい、越前」
「桃先輩の自転車で、それできないでしょ」
 桃城の自転車は荷台が無いタイプである。後ろに乗るのは立ってないと駄目で、当然桃城の身体が風よけになる筈もない。あっ、と気付いた桃城はがっくりと肩を落とした。
「ちぇっ、付いてねえ、付いてねえよ」
 ぶつくさ言いながら、桃城は自転車を押してリョーマの隣を歩き始める。そのまま学校まで歩いていった二人は、途中でカチロー達と一緒になり、部室へ向かった。
「おはようございます、桃部長。リョーマくんもおはよー」
「さびーよ、もう何とかしてくれって感じ」
「ロードワークすればあったまるんじゃない。あ、ちゃんとストレッチしないと、また足つっちゃうよ。堀尾くん、いつも適当にやるから」
 いっぺんに賑やかになった集団に、リョーマはやれやれと肩を竦めながら部室の扉を開いた。途端に動きを止めたリョーマの背中に、カチローがぶつかってしまう。
「どうしたの、リョーマくん」
「おい、こんな所で固まってねーで、早く入…れ」
 堀尾が無理矢理カチローやカツオの背中を押して、リョーマごと中に押し込んだ。その後ろから桃城と丁度来た海堂も、中に入る。
 一気に入り込んだ所で、何故リョーマが動きを止めたのか、みんなは理解した。
「やあ、お早う」
「不二先輩…、どうしたんですか、こんな早く」
 椅子に腰を掛け、にこやかに手を挙げ挨拶をする不二に、桃城は冷や汗を浮かべながら代表して挨拶を返すと問いかけた。不二はゆっくり立ち上がると、リョーマの方に向き直り白い封筒を差し出す。不審そうにその封筒と不二を、リョーマは交互に見た。
「何」
「招待状」
「何の」
「誕生日とクリスマスパーティ」
「……イエス・キリストのだったら、俺んち仏教だから関係ないし」
「越前リョーマの誕生日を祝って、ついでにクリスチャンでもないけれど、平均的日本人として楽しむのがまるで義務なんじゃないかって感じのクリスマスもしちゃおうよ、パーティ。来てくれるね」
 にっこり笑顔で不二は一息に言った。ごくりと誰かの唾を飲む音が聞こえ、視線がリョーマに集まる。リョーマは吐息を付いて、その封筒を受け取った。
「いいけど」
「いいのかよーっ」
 桃城の叫びにも、誰も反応しない。週に一度聞いていれば慣れてしまうというものだ。今も、みんな両手を耳に当てて保護していた。
「うるっせえな、毎回毎回」
 ぎろりと睨み付ける海堂に、桃城は睨み返した。このやりとりも毎度のことで、一年生トリオはそっちの方は我関せずに、リョーマと不二を見ていた。
「毎週毎週、あれやこれや、良く理由があるね」
「さすが不二先輩」
「進学試験大丈夫なのかよ、この時期」
「それより、そろそろ来るんじゃない」
 ぼそぼそと三人で話していると、大きな音を立てて扉が開き、学生服の一団が乱入してきた。その中の一人がリョーマに脱兎のごとく駆け寄ってきて抱きつく。
「うわーい、おチビ、久しぶりぃ。んー、あったかい」
 背中からのし掛かられ、リョーマは前のめりになった。菊丸はリョーマの手の中にある封筒を目敏く見つけ、それを取り上げようとする。
「いってーっ、いてて、痛いって、不二」
「躾の悪い手は、これくらいしないと駄目でしょ」
 強く手の甲を抓り上げられ、菊丸は手を離して喚いた。赤くなっているそこに息を吹きかけ、涙目で不二に抗議する。
「何すんだよ、不二っ」
「だから、躾。野良猫の方がちゃんとしてるよ」
 不二の辛辣な言い様に、菊丸は後ろに控えていた大石に泣きついた。大石は苦笑しながらも、いつものこととて菊丸を軽く宥めた。
「それより不二、越前に何渡してたんだ。今更ラブレターでもないだろ」
 さらりととんでもないことを言う大石に、桃城と海堂が目を剥いて振り返った。不二とリョーマが公認っぽい仲とはいえ、認めてない、否、認められないと抗議している者は数多くいるのだ。
「確か越前の誕生日は24日だったな。誕生日パーティの招待状か?」
「そうだよ」
 ふむ、と乾はノートに何か書き込む。が、書いている途中で、はたと気付いたように手を止めた。
「普通お誕生日会とかいうものは、誕生日を迎える人間側が開くもんじゃないのか」
「僕が普通なことをするとでも」
 堂々と言う不二に、乾は納得して再びペンを走らせ始めた。
「えーっ、おチビの誕生日会なら、俺も行きたいっ。行くっ」
 漸く立ち直った菊丸は、大石から離れて再びリョーマに懐いた。不二の目が僅かに眇められ、菊丸の背中に悪寒が走る。
「い、行くもん」
「あ、そんなら俺も行きたいですよ」
「……れも」
 菊丸が不二に負けまいと、上目遣いで言うと、周りで呆然と見ていた桃城や海堂も名乗りを上げた。赤信号、みんなで渡れば怖くない、の状態である。
「これ、終わらないと部活始まらないね」
「うん、ほんっとーに、暇なんかな、先輩たちは」
「どーでもいいけど」
 うんざりした様子で一年生トリオは顔を見合わせていた。週に一度はこんなことで貴重な部活の時間が失われてしまう。部活をやめた後、顔も見せないのも寂しいが、こんな騒ぎは鬱陶しい。
「いいっすよ」
 大きく溜息を付いて、リョーマは呟いた。何度かこういう状況になって、対処の仕方も学習してしまったのは、何となく嫌な感じだが、仕方がない。
 リョーマは手に持っていた封筒を開くと、中を見た。日時と場所を読んで、眉を顰めながら不二に顔を向ける。
「俺の誕生日会っていうなら、いいよね、誰を招待しても。面倒だからみんな来れば」
「……まあ、越前くんがそう言うなら」
 不二も軽く溜息を付き、頷いた。外の空気と同じくらい冷たくなっていた部室の温度が、漸く少し上がったような気がする。これでこの話はおしまい、とリョーマは菊丸を引き剥がし、着替えるために棚に荷物を上げた。
「君たちも良かったらおいでよ」
「ええっ、僕たち、ですか」
 ほっとして着替えようとしていた一年トリオは、いきなり不二に言われ飛び上がった。さっきの状況のパワーアップバージョンとなりそうなパーティ会場なんて、一般人の自分たちはあまり行きたくないと思ったのだが、不二の誘いを断ることも怖かった。
「そうそう、みんなでいこーよ。ところで、パーティ会場って、何処? どーせ不二のことだから、おっしゃれーなレストラン借りてるんだろ。入りきんないんじゃ」
 多少やり込めたかと、嬉しそうに笑って訊く菊丸に、不二はにやりと笑うと答えた。
「まあ、少しばかり計画は変更するけど…大丈夫」
 不二の笑みに、菊丸を始めとする全員に嫌な予感が走った。リョーマもそれは例外ではないが、止めても無駄だし、と考えを放棄する。
「ねえ、それよりせっかく来たんなら、相手してってよ。先輩達」
 なんせ、対戦していて楽しいのは、せいぜい桃城と海堂くらいなものである。いつもなら小うるさい竜崎先生が居るのだが、今日は教師の連絡会とやらがあるとかで、部活に姿を見せることはない。
 リョーマの挑戦的な瞳に、不二と菊丸は大きく頷いた。
「やったろーじゃん」
「お、おい、二人とも。その格好でか」
 常識人の大石が慌てて止めようとしたが、理由は格好だけで、引退したからなどということではないのは既にやることが前提になっているようだ。乾は面白そうに眼鏡を上げ、早速秘密ノートを取りだしている。
「余裕だよ。誰かラケット貸してくれる」
「暫くやってないんじゃ、返り討ちなんじゃないっすか」
 面白くなってきた、と桃城は喉の奥で笑った。
「いつも君の相手をしている人間が物足りないなら、いつでも僕が相手してあげるよ」
 含み笑いをして不二はリョーマに告げる。こっくり頷くリョーマに、桃城は冷や汗を浮かべ、眉を顰めた。
「おいおい」
「物足りねーだと」
 海堂は小さく吐き捨てるように舌打ちをし、さっさと着替え始める。バッグの中からラケットを二本取り出し、リョーマは不二と菊丸にそれぞれ渡した。
「待ってるよん」
「なるべく早くね」
「しょうがないな、二人とも。授業が始まるまでだぞ。……桃、お前も部長になったんなら、少しは考えろよ、手塚みたいにやれとは言わないが」
 やれやれと大石は二人の後に続いて出ていった。最後の大石の言葉に、桃城は不二の言葉のダメージを倍にされ、悄然として肩を落とした。
「大石元副部長って、無意識に人の痛い所突くんだね」
「意識して言う不二先輩の方がマシってこと?」
「桃部長が返り討ちにあってちゃ、しょーがないな」
 人ごとのように堀尾は笑って言うが、来年今の二年生がいなくなった場合、誰がリョーマの相手をするのか。へたすると嫌みすら言われない事態にもなりかねない。
 そのことに気付いたのか、一年生トリオは揃って溜息を付き、部室から出ていった。

 まだ昼過ぎなのに、街中はイルミネーションが煌めき、呼び込みの声があちこちで響いている。今日はクリスマスイブ。おもちゃ屋からケーキ屋から、最近は和菓子屋でも和風クリスマスケーキを作ったりして商店街は大騒ぎである。ブティックもアクセサリー宝飾店も、彼女へのプレゼントに是非、というキャッチコピーを飾り立て、通りは人で一杯だった。
「リョーマくん。こっちこっち」
 最新ゲームソフトを店頭に並べているウインドーに足を止め、見ていたリョーマは名前を呼ばれて振り返った。桃城とカチロー、カツオ、堀尾が仲良く並んで手を振っている。
「なんだよ、着替えて来なかったのか」
「面倒だから」
 一応学校は午前中で終わり、部活も無く解散となった。みんな一度家へ戻り、それなりの格好に着替えてから待ち合わせ場所に集合ということだったのだが、リョーマは家に着くと昼食を取り時間まで隣のコートでボールを追っていたのだ。
 もうすぐ時間だと気付いて、そのまま出てきてしまったため、フリースのズボンにカッターシャツ、その上に普通のコートという格好だった。
 別にほんとに大人のようなパーティをする訳はないだろうし、普段は家でクリスマスケーキをバースデーケーキの代わりにし、ローストチキンを食べるくらいで出かけたりもしない。へたをすれば、パジャマのままでいる。
「不二先輩の選んだお店だと、その格好じゃ拙いかも」
「でも、堀尾くんの格好はちょっと…」
 えへん、と首の蝶ネクタイを摘んで威張る堀尾の格好は、まるで時季外れの七五三のようだ。まあ、サンダル履きでアロハでもないから大丈夫だろうと、一同は歩き始めた。
 指定された場所は、高いビルが建ち並ぶ中の一つで、エレベーターに乗り20階以上昇って行く。降りて直ぐに店の入り口があり、店員が笑顔で待ちかまえていた。
 案内されたのは広い個室で、丸いテーブルが中央に設えられている。その真中に巨大なケーキがあった。
「おーっす、おチビ、桃、おっそーい」
 ケーキの裏側から菊丸が顔を覗かせ手を振る。唖然としてケーキを見ていたリョーマは、手を振って自分を呼び寄せる菊丸に、近付いていった。
「ここに座りなよ。反対側だとまるっきり顔見えなくなっちゃうんだにゃ」
 ぽんぽんと自分の隣の椅子を叩く菊丸に、リョーマは改めてケーキを見た。確かに向こう側にいる筈の桃城達の顔は見えない。何というか、まるでウェディングケーキのような。
「ええっ、ズルイっすよ。席は公平に決めましょうよ」
 慌てて桃城はリョーマの側に駆け寄り、肩を組んで自分の方に引き寄せた。菊丸は立ち上がり、リョーマの腕を取ると、桃城から引き剥がそうとする。
「駄目、おチビはここ」
「駄目ってなんなんすか」
「駄目なのは駄目、ダメダメ」
 ぎゃんぎゃんと自分の頭の上で繰り広げられる低レベルの言い争いに、リョーマはうんざりして吐息を付いた。席なんてどこでもいいんじゃないかと思うのだが、二人とも引くつもりはないらしい。誰かこの二人を止めろよ、と周りを見たリョーマだったが、呆れているのか諦めているのか、気の毒そうに見ているだけだった。
「ウルサイ。じゃあ右に菊丸先輩、左に桃先輩でいいよ」
 丸いテーブルなのだから、それでいいだろうと、リョーマは言った。途端に二人は喚き合いを止め、にっこりと笑って頷いた。
「そうだにゃ」
「ま、しゃーねえな。お前がそう言うなら」
 現金な二人に、リョーマは再び溜息を付き、椅子に座ろうとした。が、いきなり何かが目の前に飛んでくる。避ける間もなくそれはリョーマの前でカーブを描き、隣に居た桃城の顔にぶつかった。
「ってーっ、何だこりゃ」
 桃城は顔に張り付いている物体を手に取ってみた。真っ赤な潰れイチゴに少々生クリームが付いている物だと知ると、桃城は眉を上げそれが飛んできた方向を睨み付けた。
「お前か」
「……そこを退け」
 何時の間に来たのか、堀尾の隣に海堂が立っており、どうやらそこからケーキに付いているイチゴを取って投げたらしい。
「ブーメランスネイク?!…って、ラケット無しで、しかもイチゴ!」
「ふむ、角度的には申し分ないな」
 河村の驚いた声と、冷静に分析する乾の声に、カチロー達はぎょっとして身を引いた。
「食べ物を粗末にするな、海堂」
 大きく溜息を付いて、菊丸の隣に居た大石は説教をすると、対抗してケーキを取ろうとしていた桃城に低く呟いた。
「それ、不二が用意した物だろ。拙いんじゃないか」
 ぎくりと手を止め、桃城は恐る恐る大石を見る。海堂もその声が聞こえたのか、顔を青くして拳を握り締めた。
「僕が何? みんな突っ立ってどうしたの」
 一斉に視線が扉口に集まり、そこで小首を傾げている不二を見詰めた。海堂は益々顔色を無くし、両手がぶるぶると震え出す。
「ああ、いや、その…イチゴが」
「イチゴ?」
 河村が口を開いて説明しようとすると、リョーマは桃城の手から潰れたイチゴを取り、口の中に放り込んだ。
「美味しいっすね、これ」
 不二はリョーマを見て、桃城に視線を移し、ついでぐるりと周りを見回して海堂に目を留めた。僅かに眇められた目に空気が緊張するが、不二は笑みを浮かべ視線を再びリョーマに戻した。
「味見してみたんだ」
「そうっす」
 頷くリョーマに、不二はくすくすと笑った。
「行儀悪いなあ。ちゃんとケーキカットしてからだよ、食べるのは」
 しょうがないねと言ってリョーマに近付き、手を取って不二は扉から一番離れた奥の席に座らせた。漸く凍り付いていた空気が溶け、海堂の震えも止まる。
「あれは別に海堂を助けようとしたって訳じゃないだろうな」
「これ以上騒ぎを大きくしたくなかったんだろう、多分」
 ほのかに頬を赤く染めた海堂に、冷たく乾が現実を告げる。追い打ちを掛けるように大石が呟くと、海堂はよろけ歯を食いしばった。
「先輩達、冷静過ぎ」
「不二先輩と三年も付き合ってたんだから、そうなるんじゃないの」
「ああ、胃が痛い。もう、お腹一杯だよ、早く始まってくれ」
 げっそりと堀尾が言うと、それに呼応するように不二が振り返って言った。
「席は自由だけど、越前くんの隣は座らないで」
「ええーっ、何でだよ。俺、おチビの隣がいいっ」
「丸テーブルなんだから、どこからでも顔は見えるだろ。こっちは僕、で向こう側は」
 抗議する菊丸を軽くいなし、不二はリョーマの隣の椅子を引いて言った。もう一つの隣には誰が来るのかと、桃城も抗議しようと口を開きかけた。
「遅くなった」
 その時、扉が開き逆光と共に現れた影に、みんなは目を瞠る。中学生にはとても見えないスーツをびしりと着こなしたその人は、ゆっくりリョーマの方に近付いていった。
「誕生日だそうだな。おめでとう」
「……ありがとうございます」
 一瞬何を言われたのか戸惑ったリョーマだったが、ぺこりとお辞儀をした。手塚はそのまま隣の席に座り、ぼーっと見ている他の者達を一瞥すると言った。
「まだ、始まってなかったのか」
「うん。まだだよ。これで全員だから、始めようか」
 まさか手塚が来るとは思ってもみなかった一同は、慌ててそれぞれ手近な席に着く。もっとも、一般人代表の一年トリオと、できれば関わりたくない河村、充分牽制されまくった海堂は、リョーマとはケーキを挟んで反対側の方に腰を下ろした。
 手塚の隣には桃城が、不二の隣には菊丸が座り、やっと落ち着く。誕生会なのに、料理は真中に置いてあるケーキのみというのはどうなんだろ、とリョーマは訝しげに見た。
「越前くん、誕生日おめでとう。今日は越前くんと僕のパーティに集まってくれたみんなにも、礼を言うよ」
 皮肉を込めて言っているのだろうが、僕の、という言葉に一同はぴくりと反応する。抜け駆けする方が悪いんじゃん、と口の中で菊丸は呟いていたが、いきなり不二が立ち上がったのに息を飲んで身を引いた。
「ひぇっ」
「あ、危ないからちょっとそのままでいてくれ」
 不二は片手でリョーマの手を取り立ち上がらせると、もう一方の手をテーブルの下に伸ばし、何か長く光る物を取り出した。その刃先が、菊丸の鼻先を掠める。引きつる菊丸を軽く笑い、不二は目の前にナイフを翳した。
「はい、じゃこっち持って」
「……なんで」
「ケーキカットしなきゃ、食べられないだろ」
 にっこり笑ってナイフの柄を差し出す不二に、リョーマは眉を顰めた。ご丁寧に束の部分に紅白のリボンまで飾ってある。
 不二は尻込みするリョーマの手を取り、ナイフの柄を握らせると、逃げられないように上から自分の手を重ねて握った。
 誰も突っ込みを入れる余裕がなく呆然と見守る中、BGMに良く聴く音楽が流れ、不二はケーキにナイフを入れた。途端にフラッシュが光り、シャッター音が響く。
「なっ、なんだあっ?」
「結婚式…?」
「うそーん、なんでおチビと不二が結婚するにゃーっ」
「落ち着け、エージ。男同士で結婚はできない」
「でも、不二先輩ならしちゃいそうだよね」
「……しゅーっ」
 低く息を吐き、海堂はゆらりと立ち上がるとパニックしているみんなを後目に、ケーキに手を伸ばした。それを両脇から河村とカチロー達が必死で止める。
「馬鹿、止めろ」
「相手はナイフ持ってるんですよ。落ち着いて、海堂先輩」
「海堂、先に相手に切らせれば正当防衛になるぞ」
 ふふ、と口端を歪めるように笑って言う乾に、必死で止めている一同は煽るなと恨みがましい目を向けた。
「騒ぎすぎだぞ、お前達」
 低く落ち着いてはいるが威嚇するような声が室内に響いた。一年ほど、その声に慣らされた者達は、条件反射で身を固くする。今は部長ではないのでその権限は無いはずだが、身に付いてしまっている習性はなかなか抜けないようだ。
「どういうつもりだ、不二」
「勿論冗談だよ。みんなに楽しんで貰おうと思って」
 にっこり笑顔で不二は手塚にそう言うと、リョーマの手をナイフから離させ、手を閃かせた。高くそびえていたケーキは、不二がナイフをテーブルの上に置いた時には、一人ずつ丁度良い大きさに切られて皿の上に盛られていた。
「写真は焼き増ししてみんなにプレゼントしてあげるね」
 いらんわ、とみんな思ったが、まだナイフが不二の手元近くにあるので口にすることは無かった。口を開けて成り行きを見ていたリョーマは、肩に手を掛けられて漸く我に返る。
「今のワザ、名前教えようか」
「……いいっス」
 テニスに応用できるのだろうかと、一瞬思ったが、リョーマは首を振って椅子に腰を下ろした。それに習うように立ち上がっていたみんなも席に着く。
 大きく溜息を付いて眉間に一本深い皺を刻んだ手塚は、横を向いてリョーマ越しに不二を見た。リョーマは改めて手塚をまじまじ見る。
「相変わらず、おっさんくさいね」
 自分の心を代弁するように後ろから不二に言われ、ぎくりとリョーマは身を竦めた。おっさんくさい、の前にちょっと格好いい、という感想が入るのだが。
「と、越前くんは思ってるんじゃない」
 いきなりそこまで言われ、リョーマは狼狽えて手塚から目を逸らし俯いた。
「ほお、不二は読心術が使えるようになったのか。益々人外魔境に磨きがかかってるな」
 さらりと言う手塚に、不二の目が眇められる。両脇の深く静かに潜行する戦いに、リョーマは溜息を付いて目の前のケーキを睨み付けた。
「ああ、ごめん」
 パチンと不二が指を鳴らすと、開けられた扉から次々にワゴンを押して給仕の人が入ってきた。テーブルに並べられた料理は、どれも中華のようである。みんなは漸くほっとして、箸を取った。
「クリスマスに中華って珍しいな」
「和食テイストを取り入れた、シェフご自慢の新作中華だよ」
 リョーマの更に、色々料理を取ってやりながら大石の言葉に答えた不二は、ついでにやりと笑うと言った。
「そうそう、中には『アタリ』があるから、楽しみにね」
 その途端、春巻きを口にした堀尾が蛙の潰れたような悲鳴を上げ、喉を押さえて悶絶し、テーブルに突っ伏した。半分食べられた春巻きの中から、どろりと黄色いものが流れ出している。
「リョーマくんのは、アタリ無しのを選んであげるから、大丈夫」
 どんどん残さず食べてね、と笑顔で言う不二に、戦々恐々としながら箸を料理に付け始めたみんなを見て、リョーマは大きく溜息を付いた。
「まだまだだね」
 そんなリョーマを横目で見た不二の、上着のポケットにこのビルに入っているホテルのカギが入っていることを、彼は知らなかった。

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