秋の陽翳る


 夏の暑い戦いも、その後の選抜神奈川合宿やらも終わった二学期、あっと言う間に学校ぐるみで一番の行事、学園祭の季節がやってきた。
 クラス単位で出し物もあるのだが、クラブ活動での物の方が人気もあるし熱が上がる。当然バスケ部もここ数年来無い盛り上がりを迎えていた。
 といっても、盛り上がっているのは約1名、バスケ部では誰も逆らうことができないと言わしめている彩子であったが。
 「さーて、そろそろ実行委員会に出し物提出しなけりゃいけないのよねえ。何がいーかな、何かない?」
 いつもの練習を30分早めて終わらせ、緊急ミーティングだというから一体何事かと思っていた一同は、部室で大真面目な顔をして聞く彩子に一斉に溜息を付いた。
 元々、そういう行事、とか団体行動、とかが嫌いな連中ばかりであるから練習も出来ない学園祭などフケるに限る、と思っていた所だったのに。
 「ほらアヤちゃんがこー言ってるんだ、誰か案だせよ」
 一応宮城がハッパをかける。
 「やっぱ模擬店なんかかなぁ」
 宮城に睨まれて石井が恐る恐る提案する。続いて桑田も案を出した。
 「展覧試合とかはやんないんですか?」
 おお、それならいいぞ、と流川と花道の目がきらりと光る。だが、他の二年生はふるふると頭を横に振った。
 「体育館は、演劇部やブラバンが使うんで使用出来ないんだ。まあ、部で演劇なんかやるってんなら貸してくれるだろうけど」
 代表して安田が答える。その応えにぶーっと膨れて花道は罪もない安田を睨み付けた。
 「そんなもん蹴散らして試合やろーぜ、試合」
 「どあほう……」
 「何っ、てめーはやりたくないってのかよ」
 すかさず流川の突っ込みが入り、花道は牙を剥いてその襟首を掴みあげようとした。
 「はいはい、その辺で止めとけ。仲が良いのは判ってっから」
 いつものことに宮城が合いの手を入れ、花道は真っ赤になって流川から手を離した。
 「な、仲なんかよかねーぞ!リョーちん変なことゆーな」
 「何なら、お前達で劇やるか?ロミオとジュリエットなんて定番過ぎるがおもしれーかも知れないぜ」
 一瞬みんなそれを想像して寒気と震えが背筋を走ってしまう。言った宮城も力無い笑いを浮かべ、前言撤回をした。
 「ろみおとじゅりえっとって何だ?」
 「…し、知らんのか……」
 がたがたとみんな力を失ってこける。一人判らない花道は、隣の桑田に、何の事だ、と聞いたのだがここで答えて怒りの標的になるのはごめんだと、ただ首を横に振ってそそくさと逃げ出されてしまった。
 「ロミオは王子様で、ジュリエットはお姫さまだ。敵同士で好き合って最後は心中する」
 随分アバウトな説明であるが、大筋では合っている(のだろうか?) 内容の説明を流川は花道を見つめながら淡々と話す。もしかしたら、やってみたいのか、と一同は固唾を呑んで花道と流川を見つめていた。
 「何で男同士で王子様は判るけどお姫さまやんなきゃなんねーんだよ。アヤコさんがいるじゃねーか」
 「あ、そうか。アヤちゃんがジュリエットやってくれるなら、俺ロミオやる。絶対やる!」
 花道のもっともな意見に、いち早く反応したのは宮城だった。だが、期待を込めて彩子を見つめる宮城に、彼女はにっこり笑って首を横に振った。
 「あたしは今回運営委員もやらされるのよ。だから裏方に徹するつもり。でも、劇はやっばり無理なんじゃないのかなあ、台詞覚えらんないでしょう、あんたたち」
 がっかりする宮城を後目に、彩子は一同を見渡した。多分、主役に流川あたりを持ってくればお客は来るだろう。だが、肝心の主役がなーんも喋らん&ぼそぼそ声では劇にならない。パントマイムという訳にもいかないだろうし。
 「とすると、やっぱり妥当な所で喫茶店かな」
 「部屋どこか空いてるか?」
 角田が考えながら言うと、頷きながら潮崎が彩子に向かって訊ねた。
 「俺んとこが空くぜ。体育館の方で何かやることになったらしいからな」
 「三井先輩」
 ガラリと扉を開けて入りながら三井は手を挙げて挨拶をする。他の三年生はみな受験体制に入り、部活は引退したのだが、三井だけは今も現役でやっている。今日は進路指導とかで部活には出てきていなかった。
 「部屋の飾り付けやなんか面倒だってことらしい。今の内なら予約しといてやるぜ。あの部屋は元科学室だから外に行かなくても水道施設もあるし、茶店やるには便利だろう」
 「本当ですか?それなら、喫茶店ってことで、決まりね。でも、もう一工夫したいな。そうだ……」
 ノートに書き込みながら、彩子は一人でにやにやと笑っている。何かよからぬ事を思いついたのだろうか。
 「あ、アヤコさん、まさかとは思うけど、全員女装して…なんてこと考えてませんよね?」
 恐る恐る花道が、前に聞いた海南の文化祭の事を思い出して訊ねた。アヤコはちらりとノートから目を上げると、にやりと含みのある笑みを向け花道を見やる。
 「あ、アヤちゃん……」
 「しないしない。第一、洋服揃えたり作ったりするの、大変でしょうが。でもまあ、それは後のお楽しみ。さあて、これ報告して、計画たてよーっと」
 ぱたんとノートを閉じ、今日はこれで解散して、とさっさと部屋を出ていってしまう。残された一同はお互いを見ながら、一体何を考えついたんだろうと不安にかられつつも、帰り支度を始めた。
 「ミッチー、今来たばかりなのに帰るのか?」
 「いや、少しやっていく。これから何かと祭事が多くて身体なまっちまうからな」
 「そうか、んじゃ俺も居残りやる」
 着替え始める三井に言って花道は、先に行くからと体育館に向かった。その後から当然流川も着いていく。出ていくときにちらりと振り返って流川が向けた視線に三井は、動きを止めそれがなくなると漸くほっと息を吐いて舌打ちした。
 「ったく、何で俺が」
 「最近、流川と二人きりになるの避けてますからねえ、居残りも俺や三井さんが居ないとしなくなっちまったし」
 「勿論、おめーも残ってやるんだろうな。俺一人であいつらのお守りさせんじゃねーぞ」
 「はいはい」
 ぶつぶつと言う三井に、宮城は領きながらも出ていこうとはしない。何故だ、という風に見る三井に、宮城は横目で体育館の方向を見ながらにやりと笑った。
 「たまに、ひやりとした方がいいんじゃないかと思って」
 「知らねーぞ。行ったら修羅場なんて事になってても」
 「濡れ場だったら、もっと怖いかも」
 へらへら笑いながら言う宮城に、何のこっちゃ、と三井は不思議そうな顔で見ていた。一方花道は、流川とは反対側のゴール下で、三井達がなかなか来ない事にも気付かず、黙々とシュート練習を続けていた。
 以前とは比べ物にならないくらい綺麗になったフォームに、シュートが決まる数も増えてくる。決まれば嬉しくて、もっともっと続けたくなる。
 「よし、今の調子で……な、何だ、流川」
 ゴールに入って落ちてきたボールを流川に拾われ、花道は戸惑いながら怒鳴った。
 「パス出してやる」
 「いらねーよ!もうすぐミッチーが来るから、そっちに頼む。てめーは邪魔すんな」
 低く唸って威嚇しながらボールを取ろうとした花道をひょいと躱し、流川はドリブルしながら自分の方のゴールに向かいシュートする。見事なダンクシュートに一瞬目を奪われた花道は、未だ流川が自分のボールを持っていることに気付くと、取り戻そうと駆け出した。
 「俺のポール返せ!」
 「取れるか」
 ふふん、と鼻で煽り、流川は飛びかかってくる花道を簡単に避けて再びシュートする。こうなったらファールしてでも、と突っかかっていった花道は、思いきり流川にぶつかり、もつれ合って床に転がってしまった。
 気付いたときには組み敷かれ、唇を奪われてしまう。容赦のない口付けに、花道は翻弄されいつしか抵抗する気力も無くして流川の腕を握りしめていた。
 「…ジュリエットでも良かったのに」
 ぼそりと呟き、花道の身体をぎゅっと抱き締める。確かに、花道のドレス姿などと言う物はちょっと怖い気もするが、正々堂々と恋人同士をやれるのだから、それくらい何でもない。それにかこつけて、上手く行けば……と、不埒な考えに耽っていた流川は、漸く我を取り戻した花道に蹴りを入れられて、横に転がった。
 「また、てめーはっ」
 顔を赤くしながら花道は、流川に殴りかかっていく。丁度その時、漸く三井と宮城が姿を現した。 「ほらみろ」
 「修羅場で良かったっすね」
 宮城の言葉に、三井はますます不審そうな表情を浮かべたが、殴り合いを続けている花道達の側に近付いていくと、その襟首を捕まえて引き剥がした。
 「おらおら、いつまでもやってっと時間がなくなるぞ」
 「ミッチー」
 ほっとしたように花道は、大人しく離れ練習に戻っていく。少々あっけなさすぎる花道に、三井はどうしたんだか、と流川の方を見た。
 だが、すぐに視線を外して流川もさっさと自分が使っていたゴールの方に戻っていく。考え込む三井を促して、宮城は練習を始めた。
 さて、そんなこんなで部活の後の学園祭準備も着々と進んでいったのだが、傍目には普通の学園祭でやるどこにでもある喫茶店のような感じである。
 なのに、日に日に彩子の口元の笑みは凄みを増し、部員達に知られないところでこそこそとなにか作っているようだった。
 学園祭のプログラム及び催し物一覧が発表されるのは、一週間前で、同時に他校へもそれが配られる。各教室に置かれたそれを見たバスケ部一同は、悲鳴とも叫びともつかない声を上げて仰け反っていた。
 「あ、アヤちゃん、これは」
 「ただの喫茶店じゃ面白くないし、お客もあまり来ないかと思ったの。これならばっちりでしょ。ワイシャツと蝶ネクタイは借りてくる手筈ができてるし、チケットも順調に捌けてるわ」
 ふふふ、とノートを叩いて彩子は宮城に向かってほくそえんだ。
 「おい、花道、これ本当にやるのか?」
 目敏くちらしを見つけた大楠がにやにや笑いながら、花道に指でその部分を示してみせる。何の事か判らず、どれどれ、と近づいてきてそれを見た花道は、眉根を寄せてちらしをひっ掴み叫んだ。
 「ぬぁにー、ホスト喫茶だと!……ホスト?手紙出すのか」
 「それはポスト。ぼけてんじゃねーよ。花道、お客に指名されたらサービスしなきゃいけないんだぜ」
 「さ、サービス?」
 一緒にいた高宮にすかさず突っ込まれ、花道はむっとしながらも訊ねた。
 「片膝立てて飲み物作ったり、煙草に火をつけたり、つまり男版ホステスだな」
 一番そーいうことに詳しそうな野間がわかりやすく説明すると、花道は漸く理解して怒鳴った。
 「げーっ、なんてことを」
 「いくらなんでも、そこまではしないだろ、学校なんだし。ま、指名制度はあるだろうけどな。流川なんかきっと一番人気で女の子が群がるんだろうぜ」
 取りなすように洋平は言ったが、流川に女の子が群がる、というところを聞いて花道は益々むっとして唇を尖らせた。
 「なんでえ、結局流川が主役だってのか。バスケ部一いい男、の俺を差し置いて、みんな騙されてるんだ。いや、もしかすっと、俺の事をハルコさんが指名してくれるかも……」
 突然きらきら、と目を輝かせて花道はそのパターンをシミュレーションし始める。だが、周りのみんなは手を横に振り、ないない、と花道の夢を打ち砕いた。
 そして当日を明日に控え、バスケ部一同は夜遅くまで飾り付けと下準備をしていた。黒を基調としたシンプルな飾り付けに、蛍光塗料で窓ガラスに英文字を書いて雰囲気を出し、色付きセロファンで明かりに仕上げを施す。
 「あっ…と、セロテープなくなっちゃったわ。コンビニで買ってきて」
 芯を指に引っかけてくるくる回しながら、彩子が丁度隣にいた花道に頼む。頷いて出ていこうとする花道の後を何故か流川も着いていった。
 「流川、ついでにみんなの分の飲み物買ってきてね」
 彩子の投げた財布を受け取り、流川は僅かに振り向いて領き出ていった。
 コンビニに行くには小さな公園の中を突っ切っていくのが近道なので、当然花道はそこへ足を踏み入れる。しかし、後から続いてやってきた流川に、ちょっとまずったかな、と不安を感じ足を早めて抜けようとした。
 「どあほう、財布も持たねーで買い物する気か」
 「お、そうか」
 始めてそれに気付いた花道は、渋々流川の方に財布をよこせと手を出した。
 「おわっ!」
 その手を取られて引っ張られ、花道は流川の胸の中に収まってしまう。そのまま身体を反転させられ、近くの木に押しっけられた。
 「な、何しやがるっ、離せっ…う……」
 顎を取られ、流川の冷たい唇が重なってきて花道は言葉を封じられた。冷たい唇に反した熱い舌先が中に潜り込み、縦横に蠢いて花道を翻弄していく。
 逃げまどう舌を捕らえられ、絡ませられた花道は、息も出来ずにその感覚に酔ってしまった。
 「……ふ…んっ……」
 がくりと膝が崩折れそうになる。それをしっかり支え、流川は唇を離すと首筋にそれを這わせ始めた。
 「馬鹿っ、こ、こんなとこで何考えてんだっ」
 「あんまり騒ぐと誰か来るぞ」
 ぼそりと言われ、花道は思わず自分の口を手で覆ってしまった。これでは流川の思うつぼである。さっさと殴って止めさせて逃げればいいのに。
 幸い?なことにこの公園は夜になると全く人が通らなくなる。明かりも少ない薄暗いここを通り抜けるまでもなく、コンビニへは明るい道があるので普通の生徒はそっちを通るのだ。
 ベルトが外され、ジッパーも降ろされてから漸く、そうだ逃げればいいんだ、と気付いた花道であったが、時既に遅く大事な部分はしっかり流川の手の中に捕らえられてしまっていた。
 やんわりと握りしめられ、びくりと身体が震える。流川の手がそれを高めようと動き始めると、花道は片手で口を押さえつつもう片方の手で動きを止めようと握りしめた。
 「ば、かやろ……ル…カワの…バカ…キツネ……」
 「……桜木…」
 掌の下から睦言とはとても言えない花道の声が漏れる。だが、流川を煽るには充分なのだろう、囁く声にも熱が龍もっている。
 動きが激しくなり花道は流川の肩に噛み付いたと同時に果てていた。
 「……て…めーは……」
 「文句は後だ。さっさと支度して戻らねーと、先輩に怪しまれる」
 「なら、んなことすんじゃねーっ!」
 衣服を直しながらがーがーと文句を言う花道を残して、流川はさっさと公園の向こうのコンビニに向かっていく。花道はまだ火照る身体を持て余し、行くまでもねーか、と側のベンチで待つことにした。

 文化祭当日、怒りの雷雲を纏付かせた花道の周り以外は見事な快晴である。バスケ部のホスト喫茶は彩子の予想通り大盛況で並びまで出る程だった。
 「はい、どうぞ、次の方」
 外で列の整理をしていた彩子がチケットを受け取り待機しているウエイター……ホストか……に渡した。白いワイシャツに蝶ネクタイ、下は学生服なのだが、それだけでも結構様になっている。もっとも一番様になっているのは、何故か三井だったりするが。
 「まーた流川か。俺達はマネキンか何かか?」
 チケットには指名者の名前と飲み物などが書かれている。朝から来るのは女の子ばかり、しかも流川目当てで一杯だった。
 ぶつくさと宮城は言っているのだが、隣に突っ立っている花道の天気が不安で、そっちの方が気になった。これで晴子が姿を現し流川を指名すれば、一体どうなるか。
 「花道、俺達きっと指名はねーだろうから、遊びにいかねーか」
 三井にはあの男ばかりの親衛隊がやってきて指名しているし、結構女子にも人気が在るようでちらほら指名が来ている。一応レギュラーと桑田がホストをやり、他の連中は裏の方で作る係に回っているのだが、今まで一人も指名が来ないのは花道くらいである。
 「うぬぅっ……」
 こればかりは待っている人々を睨み付けても逆効果で、怖そう、とか、やだ、とかいうひそひそ声に花道は苛付き益々暗雲立ちこめていく。
 「ちっ、流川がもてんのはわかってっけど……フン…そのうち俺が勝てば俺だって」
 きっとバラ色の未来が待っているに違いないと、一瞬ぼーっと夢見状態になって雲が晴れた花道だったが、直ぐ目の前を晴子が頬を染め通り過ぎるのを見て、どーんと落ち込んでしまった。
 「は、晴子さん」
 当然、晴子は流川を指名し、アイスコーヒーを運んで貰う。どんなに無愛想で乱暴に置かれてもうっとり幸せー、な晴子だった。
 「ほら、桜木花道、お待ちかねのご指名よ」
 彩子にほら、とチケットを渡され、花道は驚いてまじまじそれを見つめた。直ぐに裏方に回し、その番号の席へとコーヒーを運んでいく。慣れないのでこぼさないようにカップを見ながらゆっくり歩いていったので、その席に座っているのが誰か近付くまで判らなかった。
 「お、お待ちどうさまでした…」
 「サンキュー、結構似合うじゃん。桜木可愛いなー」
 「へ、せ、センドーっ!てめーどうしてここにっ?」
 「ちらし貰ったからね。ホスト喫茶なんて面白い企画だよなあ、流石湘北のマネージャーだよ」
 にっこり笑って応えたのは陵南の仙道だった。私服姿を見るのは始めてだったので一瞬見とれてしまった花道は、強く頭を振って我を取り戻し、くるりと踵を返そうとした。
 「ちょい待って」
 「な、何だっ」
 「せっかくのホストなんだからさあ、もっと色々サービスしてくれてもいーんじゃない」
 花道の腕をやんわりと掴んで仙道は、ね、とウインクした。一体何をサービスしろと言うんだ、と眉根を寄せる花道の腕を引っ張り、仙道は自分の膝の上にのっけてしまった。
 「おわーお」
 「ぶっきー」
 口を押さえそれを見ない振りをして感想を言い合う宮城と三井に比べ、他のみんなは一体何事が起こったのかと瞬間硬直していた。
 「ふざけんなっ!」
 ばき、と持っていたお盆で仙道の頭を殴り、花道はかくかくしながらも立ち上がって元の位置に駆け戻った。仙道は殴られた頭を痛そうに撫でながらもにこにこと笑って手を振っている。
 「駄目よー、お客さんに手を上げちゃ」
 はい、ともう一度チケットを渡しながら彩子は花道に言う。花道は今度こそは、と張り切って運んでいったが、そこに待っていたのは海南の牧と神だった。
 「よお、久しぶりだな」
 「……今度はてめーらか。何で俺ばっか」
 がっくりしながら花道は飲み物を置くと、そそくさと戻ろうとする。
 「桜木、お前にいいこと教えてやろう」
 「な、何だよ…」
 にやにや笑いながらちょいちょいと指で招く牧に、花道は顔を近付けていく。
 「どあほう」
 ぐいと腕を掴まれ引き戻された花道は、その腕を掴んでいる流川に顔を向けると、何だよっ、と怒鳴った。
 「おめーはほんとに……」
 ずっと指名を受けて働き回っていた流川の機嫌は急下降、しかもこんなに無防備に相手に近付いていく花道を見て、流川は不機嫌の絶頂にいた。
 更に突っかかっていこうとした花道にもそれは伝わり、怒鳴る声も小さくなっていく。固唾を呑んで周囲が見守る中、流川は首を締め付けている蝶ネクタイを外すと放り投げ、花道の腕を取ってずんずんと歩き始めた。
 「ち、ちょっと流川、どこに行くの」
 「休憩」
 ぼそりと告げ、花道の腕を取ったままずるずる引きずるようにして流川は外に出ていってしまった。
 「ま、しよーがないか」
 もう元は取ってしまって、部費に上乗せ出来る分までたっぷりかせいでもらっている。これ以上煽って目茶苦茶にされるよりいいかも、と彩子は溜息を付き、流川目当てに来た女の子達をどうやって断ろうかと考えつつ列に向き直った。
 ざわめきが微かに聞こえてくる屋上で、花道は漸く流川の手を振り払った。
 「何だよ、流川っ」
 「ほんとにおめーはサルだな。いやサルでも学習能力は持ってるぞ」
 呆れたように言う流川に、花道は頭に血を昇らせて殴り掛かっていく。だが、避けずにそれを受けとめ、ついでに抱き締めてきた流川に、花道はじたばたと焦って暴れた。
 「こーなるってわかんねーのか」
 「し、しまった」
 流川と二人切りになってしまうという己の迂闊さに、花道は抱き締められたまま動きを止めた。
 「どあほう……」
 「うるせー」
 顔を上げさせ、流川は花道に口付けた。
 一瞬花道の腕が上がったが、それは力無く流川の肩に掛かる。花道の周りの暗雲は、いつの間にかなくなって、頭の上の空と同じように晴れ渡っていた。

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