affection -1-
 


  ちらりと見上げた視線の先、時計の針はさっきから何分も進んでいない。リョーマは僅かに眉を上げ軽く吐息を付いた。
「そんなに睨んでいても時間が早く進む訳じゃないでしょ」
  呆れたように司書の先生に言われ、リョーマは時計から視線を外し眉を顰めた。暇を持て余すほどじゃないけど退屈な図書委員の仕事。関東大会の決勝まで後少ししか時間がないというのに、こんな所でやってられないとリョーマは焦る気持ちを抱え苛ついていた。
  部活以外にも練習は出来る。日が長くなった今なら夕飯まで家のコートでテニスは出来るけど、やはり力の拮抗した相手が欲しい。父親は当てにならないし。
「ああ、もういいよ、今日は。その代わり夏休み一回手伝いに来て」
  大きく溜息を付いてそう言う先生にリョーマは目を見開いた。そして彼女の気が変わらない内にと勢いよく立ち上がり、頭を軽く下げて図書室から飛び出す。
  途中、走るなと注意されたのも無視して部室に駆け込んだリョーマは、大急ぎで着替え、出ようとした時、丁度入ろうとしていた人影に思い切りぶつかってしまった。
「ってーっ! 何だよ」
「あれ、リョーマくん、委員終わったの」
  扉口で跳ね飛ばされ地面に転がった堀尾に、カチローが慌てて手を差し出す。その隣で驚いたようにカツオがリョーマを見詰めていた。
「ああ」
「そっか、あ、でももう終わりだよ、今日は」
  リョーマは僅かに目を瞠り、カツオを見る。漸く起きあがった堀尾が文句を言おうと詰め寄るのを押さえ、カチローはリョーマに事の次第を伝えた。
「竜崎先生が居なくて、あと台風が来てるから早めに切り上げるって大石副部長が」
「あっ、おい、越前。どうする気だよ」
  カチローの説明を聞いた筈なのに帽子を被り直して歩き始めるリョーマに、堀尾が怒鳴る。それを無視してリョーマはコートへ向かった。
  彼らが最後だったのだろう。コートは閑散としていて既にネットも片づけれている。フェンスの扉を閉め出てきた大石はリョーマに気付くと、困ったように見た。
「今日はもう終わりだ」
「まだ雨も降ってないッスよ」
  不満げに見上げるリョーマに、大石は溜息を付いて肩を竦めると、仕方なさそうに頷いた。だが大石は嬉しそうに笑みを見せ早速中へ入ろうとするリョーマに、一言釘を差すのを忘れなかった。
「少しだけだぞ。試合前で怪我したり、風邪引いたら大変だからな」
「ういーっす」
  生返事に苦笑いを浮かべ大石は手を上げて部室へ向かっていく。嫌にあっさりお許しが出たなと不思議に思いながらリョーマはコートに入っていった。
  複数あるコートのうち一つだけまだネットが張られている。何故だろうと頭を巡らせると、誰かがフェンス際でボールを拾い集めていた。
「不二先輩?」
  立ち上がって汗を拭う姿に、リョーマは少し驚いて名前を呟く。呼ばれた事に反応した不二は、入り口に立っているリョーマを見て笑顔を向けた。
「あれ、委員の仕事終わったの」
「何で居るんスか」
「何でって、練習だよ。見ての通り」
「ふぅん」
  それは解るが、不二のキャラクター上一人で黙々と練習している、しかも球拾いまでしているなんてあまりに意外だ。天才という評判は努力をあまり見せずに凄い技を繰り出すからだと思うし。
「一人だとボール集めるのも大変だったんだ。越前が来てくれて良かった」
  にっこり笑って向かいのコートを指差す不二に、リョーマは頷いて歩いていく。始めに暫く柔軟をしているリョーマを横目に、不二は集めたボールでサーブの練習を始めた。
「白鯨なら取りに行かなくてもいいんじゃない」
「あれは風向きが結構重要だからね」
  コートに入ったリョーマの言葉に小さく笑い、不二は再びサーブを打ち込んだ。
  練習とはいえ、徐々に打ち合いは白熱していった。以前一度不二と試合をした時は途中で止められてしまい、あれからやっていない。あの時、今まで見ていた不二周助という者の本当の姿が僅かに垣間見え、リョーマを昂揚させた。
  あんなに胸を躍らせる試合は手塚とやって以来だった。もっと、もっと深く潜んでいる彼の真実を、本気を引っ張り出して自分をわくわくさせてくれとリョーマは思っていたのに、雨のせいで叶わなかった。
  それから薄皮一枚被った不二の実態を意識している。いや、薄皮一枚だと思っていた不二の障壁は対芥川戦で間近に彼の試合を見た後は、幾重にも張り巡らされているようで何処に真実があるのか余計に分からなくなった。
  もしかしたら本人ですら底が見えないのかもしれない。それを探ろうと手を出せば、引き込まれるのは自分の方かもしれなかったが、リョーマは怖れより興味と興奮を感じていた。
  もっと知りたい、涼しい顔の裏に隠された熱く激しい情を。本気を暴き出して自分に向かわせたい。それが出来たのは多分手塚と裕太だけなのが悔しいと、リョーマはテンションを上げていった。
「ストップ。そろそろ拙いかも」
  ドライブBをあっさりリターンされ、悔しげに睨むリョーマに、不二は片手を上げて止めた。試合形式で練習をしていた訳ではなかったが、自分が負けているのは確実で、リョーマは不満そうに鼻を鳴らしボールを手に取った。
「まだまだっスよ」
「風が強くなってきた。大石に無理言って残らせて貰ったんだ。そろそろ上がろう」
「んじゃあ、一人でやるからいい」
  困ったなと不二は腕を組み、そっぽを向いているリョーマを見詰めた。リョーマは不二に構わずサーブを打とうとして、その手に落ちた冷たい感触に空を見上げた。
  どんよりとした重そうな色の雲からぽつりぽつりと水滴が落ち、あっという間に地面を強く叩くほどの雨となる。
  風もかなり強く、ほぼ横殴りの雨にリョーマは唖然としてサーブを打つ動きを止めたまま立ちつくしていた。
  ぐいと腕を引かれ、リョーマは我に返ってその手の持ち主を見る。同じように濡れ鼠となっている不二は、リョーマの腕を掴んだままコートから走り出て部室へ向かった。
  途中稲妻が光り、どこかへ落ちた音が聞こえる。一度だけでなく立て続けに鳴る雷に、流石のリョーマも不二に並んで走り出した。
  部室に駆け込むとリョーマは大きく息を吐き、片手で帽子を取り汗と雨の滴を拭った。ふと、まだ不二に腕を取られていることに気付き、リョーマは慌ててそれを振り払う。
「あーあ、越前が駄々捏ねるからびしょ濡れだ」
「別に」
  さっさと一人で戻っていれば良かったじゃないかと、リョーマは小さく口の中で呟きそっぽを向いた。小さく笑いながらそうだね、と肯定する不二を無視してリョーマはバッグの中からタオルを取りだし、頭を拭き始めた。
「風が強い。随分早く雲が流れてるよ。これなら暫く待ってれば雨も上がりそうだね」
  リョーマはタオルから顔を覗かせて不二を見た。髪から滴を落としたまま、不二は窓の外を眺めている。外の天気を反映して部室の中は薄暗く、時折光る稲妻が不二の横顔を照らし出した。
  いつもは穏やかに微笑んでいる口元は、今は真っ直ぐ引き結ばれ、開いた目は空の一点を見つめている。試合以外でそんな表情を見たことが無かったリョーマは暫く見惚れていたが、謂われなく胸を騒がせる何かに、急かされるように視線を外した。
  身体が微かに震えたのは濡れて冷えた所為だと、リョーマは乱暴に髪をタオルで擦る。
「あんたも早く拭かないと風邪引くんじゃない」
「そうだね。ちょっと冷えてきたし、手っ取り早く暖まれることしようか」
  何の事を言ってるのかと聞き返す間もなく、リョーマはタオルごと両手首を掴まれた。驚愕して目を見開くリョーマをそのまま抱き寄せ、不二は掴んだ両腕を背中側へと回す。
  何をしているのか解らず動けないでいるリョーマの腕を、不二はタオルで手早く拘束した。漸く我に返って抗い始めるリョーマを片腕で抱き寄せ、不二はもう片方の手で顎を取り上向かせた。
「何すんっ…」
  冷たい何かが唇に触れ、覆い尽くしてリョーマの言葉を封じる。キスされているのだと知ってリョーマは呆然と目を見開き、ついで反撃した。
「痛っ!」
  不二は顔を離し、リョーマの顎を掴んでいた手で自分の唇を撫でた。僅かに血が付いた指をぺろりと舐め、不二は改めてリョーマを見詰めた。
「ふざけんな」
「ふざけてないよ。ただ暖め合おうと思っただけ。タオル一枚で拭いただけじゃ足りないだろ」
  不二の言葉と瞳に、リョーマは震撼した。冗談やおふざけではなく、真剣な妖しい光を帯びた瞳で淡々と言う不二に背筋に冷たい物が走る。
  不二はそんなリョーマにふわりと微笑みかけた。その普段通りの笑みに、リョーマはやはり冗談だったのかと一瞬力を抜く。
  途端にベンチに押しつけるように座らされ、驚きの声を上げたリョーマの唇は再び不二に塞がれていた。
  自由の利く両足で不二に抵抗しようにも、間に入られベンチに押しつけられた格好では宙を掻くだけとなってしまう。
  不二はリョーマの開いた唇から舌を差し入れ、縦横に愛撫し吸い上げる。顎を引いて逃れようとする頭を押さえ、口が痺れる程になるまで口付けた。
「はぁ…は…」
  不二の口付けの激しさと息苦しさに頭が酸欠でぼんやりとしてきたリョーマは、漸く唇が離れると大きく息を継いだ。
  波を打つリョーマの胸元を楽しそうに見ていた不二は、濡れたユニフォームの裾をするすると捲り上げ、素肌を露わにする。ゆっくり胸を撫で、突起を指で転がすと、リョーマは肌を粟立て肩を竦めた。
「やめろっ」
「大丈夫だよ。直ぐ熱くなるから」
  宥めるように不二はリョーマの頬にキスをして耳朶を甘噛みする。不二の髪からしたたり落ちる滴がリョーマの首元を流れ、ぞくりとする感覚に狼狽えた。
  執拗に胸の突起を指先で弄り刺激する不二の行為に、始めは嫌悪感しか抱かなかったリョーマだったが、次第にぴりぴりとした感覚を覚え始めた。
「や、やだ」
「こういうこと、興味あるんじゃない。……僕にも」
  一段低い声で囁かれ、リョーマは身を強張らせた。不二に興味があったのは確かだが、こんなことにではない。テニスで本気を引き出したいだけで。
「ちが…」
「そう?」
  喉の奥で笑いながら、不二はリョーマの下腹部に手を当てた。そこは自分でも気付かぬうちに熱を持ち脈打ち始めている。
  火が走ったように熱くなった顔を背け、リョーマは唇を噛み締めた。
「変態…」
「暖かくなってきたでしょ。ほら、僕も熱い」
  確かに不二の身体もリョーマと変わらぬほど熱かった。再び唇にキスをして、首筋から胸へと確認するように不二は唇を移動させていく。
  丁度リョーマの心臓の位置に辿り着いた不二は、強くその部分を吸い上げた。痛みに思わず目を開き、顔を僅かに上げて見ると、その部分にうっすら紅い鬱血の跡が出来ていた。
「離せってば」
「僕は君に興味があるよ。何故だろうね、見てて面白い」
  不二の言い様にリョーマは目を丸くして見た。そんな理由でこんな事をするのだろうか。
「何言って」
「見てるだけじゃつまらなくなって、触れたくなった」
  不二は手でリョーマの脇腹を撫で下ろし、再び下腹部に触れる。リョーマは、びくりと反応し、そのことに腹を立てて不二を睨み付けた。
「やめろって、そんな自己中な理由でこんな馬鹿なことすんのかよ」
「自己中?かなあ、少なくとも君の身体は触れてもいいよって言ってるみたい」
  小さく笑う不二に、リョーマは頭に血が上って敵わぬまでもと両足を動かして蹴り飛ばそうとする。そんな抵抗を軽く躱し、不二は獲物をいたぶるようにゆっくりとリョーマにのし掛かっていった。
  声にならない悲鳴を上げ、リョーマは無我夢中で逃れようと身体を捩った。身藻掻いた拍子に両手を拘束していたタオルが解け自由になる。リョーマは痺れる腕で目の前の身体を引き剥がそうと掴みかかった。
  力一杯抵抗している筈なのに、不二には効いていない。
「熱い…ね…」
  確かに熱い。その熱に煽られ翻弄され何も考えられなくなる。
  永遠にも感じられた時間が過ぎ、リョーマは意識を闇に落としていった。

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