love token


 なんだか敦子の様子がちょっと変だと気付いた我夢は、今までの経験を生かしてなるべく近付かない話しかけない目を合わせないを実行していた。
「なーんか、アッコこの頃浮かれ気味じゃナイ?何かあるの?」
 自分に被害が及ばないと判っているジョジーが不思議そうに、にこにこ笑顔の敦子に訊いた。思わず聞き耳を立ててしまった我夢は、ちらりとこちらを見る敦子に慌てて仕事に専念している振りをしてごまかした。
「うん…もうすぐ十四日だから、ちょっとね」
「十四日? 誕生日だっけ?」
「違う違う…二月の十四日って言ったら、わかんないかなあ」
 敦子の言葉にジョジーは首を傾げて見た。あ、と小さく呟く我夢に振り返ると、その日付にどういう意味があるのかという目でジョジーは見つめてくる。
「バレンタインデー…だっけ」
「ばれんたいんでー? 何それ」
「え、とキリスト教の聖バレンタインって人の亡くなった日で」
 ああ、と漸く納得したようにジョジーは頷いた。だが、それで何故敦子が嬉しそうなのかと更に不思議そうな表情で見る。クリスチャンだと聞いた覚えはないし、もしそうだとしても意味が繋がらない。
「元は確かにそうだけど、日本では女の子がチョコレートを男の子に渡して好きだって告白してもいい日なの。年に一度のチャンス到来ってこと」
 敦子が我夢の答えに不満そうに睨んでから、詳しい説明をジョジーに加えた。それでもジョジーは解らないというように首を傾げている。
「何でチョコレートなワケ? そういえば、その日は好きあった人同士で贈り物をし合うって風習もアルけど、告白ってなんでその日じゃなきゃイケナイの」
「チョコレート会社が独自に仕掛けたイベントだよ。それがいつのまにか広まって風物詩になってるんだ。クリスチャンじゃなくてもクリスマスを祝うってのとあんまり変わらない、ちょっと馬鹿馬鹿しいよな」
 じろりと敦子に睨まれて我夢は説明を途中で切ると、気まずげに仕事に戻った。小中学校の頃に周りでかなり騒いでいたのだが、そんなことには興味なかったし、それが態度や顔にも現れていたのか、義理チョコとかいうものすら貰ったことはなかった。
 高校は行かずアルケミースターズとしての活動に専念していたため、周りにはそういう習慣を持った人間も少なくて、つまり我夢には根っから関係ないイベントだったのだ。
「でもね、女の子にとってはやっぱり重要なイベントなの。好きな人に思い切って堂々と告白出来るってこと、なかなか無いんだから」
 最後の方はジョジーにではなく、自分に言い聞かせるようにモニターに向かってしみじみ言う敦子に、我夢は微かに溜息を付いた。敦子が梶尾のことを密かに慕っていたのはジョジーも知っているので、なるほどという表情で見ている。
 そんな日やイベントなどなくても、いつでも好きになったら告白すればいいのにとは思うけれど、それは人それぞれの問題だからジョジーはそれ以上突っ込まずに仕事に戻った。
「で、どうして僕がアッコに付き合わなきゃいけないんだよ」
「君、甘いもの好きでしょ。でも、ふつーの男の人ってあんまりチョコとか食べないよね。だから、だから、男の子代表として嫌いな人でも食べられるようなチョコ、教えてほしいの」
「確かに、梶尾さんは甘いもの好きそうじゃないよなあ」
 ダヴライナーの中で我夢がそう言うと、敦子は唇を人差し指で押さえて辺りを見回した。
「あんまり大きな声で言わないで。それに渡す相手は梶尾さんじゃないわ、もうお姉ちゃんが居るんだから」
 むっとして小声で言う敦子の頬が微かに赤みを帯びている。こういうとこは、女の子らしくて可愛いんだけどな、と我夢は心の中でこっそり思った。
「梶尾さんじゃなくて? 普通の男が喜ぶチョコねえ…」
 と言われても、自分は甘いもの大好き人間だから、チョコならほとんど何でもOKだ。ただ、あまり強い酒が入ってるものは、喉が痛くなってしまうので苦手だったが。
「そう言うチョコって…好きかな」
 ぼそりと呟いた言葉は敦子には聞こえなかったらしい。我夢は慌てて口を押さえると今頭に思い浮かべた面影を消し去ろうとした。が、一度浮かんだ影はなかなか消えてくれない。ならば、とことん考えてみようと我夢は、溜息を付いて目を閉じた。



 デパートを巡りに巡って我夢はかなり疲れてしまった。最初はショップに並ぶチョコレートやケーキの山に、目を輝かせていたのだが、敦子に引き回され女の子の大群の中に放されて次第にふらふらになってしまった。
 まるで鵜飼いの鵜になったようだと思いながら、大人の男に贈るチョコなどという文句の売場に連れて行かれ、試食させられたのだ。
「で、どう、これっていうのあった?」
「どれも美味しかったよ。もう口の中甘くてべたべた」
 何か飲みたいと近くの喫茶室に入った我夢は、珍しく紅茶を頼み、砂糖を一袋だけ入れて飲んだ。ほんとなら三つくらい入れないと紅茶でも渋くて飲めないというのに。
「そんなんじゃリサーチにならないでしょ。今日買ってかないと、もう十四日まで休暇無いんだから」
 女の子の恋するパワーはほんとに強いと我夢は感心して敦子を見た。今まであちこち廻ってみたけど、みんな楽しんではいるようだったが、目は真剣だった。やっぱり特別なイベントなのだろう女の子にとっては。
「あ、あの人」
 敦子が店の壁に掛かっているテレビに目を向け、呟いた。ニュースなのかワイドショーなのか、見知った顔がマイクを持って街を歩いている。
「玲子さん」
 バレンタインのインタビューのようで、道行く女性に次々とマイクを向け、聞いている。なんとなく見ていると、途中でスタジオの様子に切り替わり、司会のアナウンサーが玲子に逆に訊ねた。それは、玲子には渡す相手がいるのかという他愛もない突っ込みだったのだが、我夢は心臓の鼓動が一拍跳ね上がってしまい、胸を押さえながら答えを待った。
「え、私ですか…居ますよ、もちろん。必ず渡します、待っててください」
 一瞬戸惑ったような表情を見せた玲子だったが、次の瞬間にはにっこり笑顔でスタジオに応える。その笑顔の向こうにそこはかとない色気を見いだして、我夢は今度は心臓を掴まれたような感覚に眉を顰めた。
「どうしたの?」
「いや、なんかチョコ食べ過ぎてちょっと気持ち悪い」
 訝しげに見る敦子に言い訳をすると、我夢はトイレに行って来ると席を立った。鏡の中の自分を見つめて我夢は大きく溜息を付く。玲子の言ったのは多分、藤宮のことだろう。あの二人は今も付き合っているのだろうか。
 あの最後の戦いから半年が過ぎて、大学の単位も取り、今は再建されたエリアルベースと地上を行ったり来たりの毎日だった。あの後、いつのまにか藤宮は一通のメールを残して姿を消していた。もっとも我夢もマスコミの攻撃を避けて、一時僻地にあるアルケミースターズの研究所に避難していたので、藤宮が居なくなったことに暫く疑問を持たなかったのだ。
 けれど、連絡を取ろうと思ったら、メールは戻ってくるし元々携帯など持ってない、住所不定だから普通の手紙も出せない、と全くの行方を掴むことが出来なかった。
「藤宮…」
 さっきの玲子の答えから考えると、彼女にだけは居所を教えているのだろう。そのことを考えると何故か胸が痛む。この痛みの原因は、自分が藤宮の居所を知らないせいだと我夢は答えを弾き出し、玲子に連絡を取って教えて貰うという結論を得た。
 でも、そういう筋道たてて出した理論的な結論の影に、計算では割り切れない苦い思いが残っている。それを無理矢理切り捨てて我夢は息を大きく吐くと、席に戻った。
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「え、うん。大丈夫だよ」
 珍しく敦子が我夢を心配そうに見て声を掛ける。我夢は軽く首を振って応え、そろそろ出ようかと伝票を手にして立ち上がった。
「結局本人に、どういう物がいいのか聞いた方が早いと思うけど。チョコじゃなきゃ駄目なの」
 敦子が目を付けていた最後の店に立ち寄った後、我夢は恐る恐る言った。敦子は、我夢を睨み付け、それが出来れば苦労はしないというように溜息を付く。
「チョコがダメなら、お酒…もダメよね。ネクタイしないし、ライターは煙草吸わないでしょ。ゴルフ用品は論外。うーん、こうして考えると、無いものねえ」
 確かにエリアルベースでの生活にあまり趣味の物が入るスペースはない、我夢は自分の部屋に趣味と実益をかねていろんな工具やICチップやなんやら置いているけど。
 藤宮の部屋もそう言えば、コンピュータ以外にはトレーニングマシンくらいしかなかったなと我夢は、思い出した。藤宮にチョコレート、これも考えにくい。
「あのさ…我夢だったら、何が欲しい? チョコでも一番好きな物でもいいから」
 俯いて歩道を見つめ呟く敦子に、我夢は僅かに驚きながらも答えた。
「僕はチョコレートも大好きだから、どんなのでもいいけど」
 言いかけた我夢は敦子の非難するような眼差しに、口を押さえて周りを見回した。
「あ、あれなんかいいな」
 我夢が指さした方を見た敦子は、目を見開いてそれを見つめた。ウインドウのガラスの向こう側には、ディスプレイ用に作られた大きな可愛いウサギ型のチョコがでーんと置いてあったのだ。
「真面目に言ってる?」
「……えーと、じゃ、あれ」
 ほんとは大真面目に指さしたのだが、更に非難の目で見られ、我夢は慌ててその隣を指さした。そこには小さな箱に綺麗に並べられた美味しそうなチョコレートが見本として展示されている。敦子は漸く顔を綻ばせ、ここで待っててと言うと店の中に入っていった。
 ほっとして我夢は力を抜き、敦子を待つ間別のウインドウを眺めていた。ふと、今まで見かけなかった種類のチョコレートに目が止まる。
 それは深い海のように青い布ばりの箱に詰められた、貝殻やイルカを模したチョコレートだった。
「こちらは、ビターとなっておりますので、甘い物があまりお好きでなくともお召し上がりになれますよ」
 ぼんやり見つめていた我夢は、いきなり店員に話しかけられて狼狽した。まさか自分が女の子に見えたわけではないだろうに、何故勧めたりするんだろうか。
 そう思ったが、周囲を見回すとバレンタインのコーナーからはかなり離れていて、他に売っている物もブランデーケーキや普通のクッキーで若い女の子の姿もない。
 我夢は財布を取り出すと、その青い箱入りチョコレートを買って、ついでにケーキも三つほど買ってしまった。
「我夢、何でこんなとこに居るの。あれ、何か買った?」
「あ、うん、美味しそうだったから、ここのケーキをちょっと」
 暫くすると敦子が沢山の袋を抱えて戻ってきた。敦子の問いに、焦って答えると、僅かに訝しむような視線を向けられたがさっさと荷物を持てと言われ、我夢は悲鳴を上げながら荷物の山に埋もれてしまった。
 ダヴライナーでエリアルベースに戻るアッコを見送った後、地上での自分の下宿先マンションへ戻った我夢は、買ってきたケーキの下から青い箱を取り出すとしみじみそれを眺めた。箱には赤いリボンが掛けられている。
「何でこんなの買っちゃったのかなあ」
 自分で食べるなら質より量の、おまけに安いスーパーでもコンビニでも買える普通のチョコレートで良いはずだ。こんな高級な物をふらっと買ってしまうなんてどうかしている。それにこの青い箱が誰かさんを連想させたとしたらば、恥ずかしすぎる。
「別に、藤宮にあげようって訳じゃないんだから」
 ふと思った自分の考えに、微かに赤くなって我夢はその箱を袋に放り込むと、我夢は買ってきたケーキにかぶりつく。二つ平らげた所で、玲子に連絡を取ることを思い出した。
 KCBに連絡を取ると玲子には繋げられず、田端が代わりに出た。懐かしむように会話を交わした後、玲子の連絡先を聞き出して我夢は再び電話を掛け、会う約束を取り付けた。



「久しぶりですね」
「ほんと、あの大騒ぎが在ってから半年ぶりかしら。元気そうね」
 久しぶりにあった玲子は、見違えるほど綺麗になっていた。それがアナウンサーとしての経験を積んできたせいなのか、それとも藤宮とのことがあるからなのか、我夢は再び僅かに胸に痛みを感じて目を伏せた。
「あの…ちょっと伺いたいことがあって」
「私も聞きたいことがあったから、丁度いいわ」
 玲子の言葉に我夢は目を上げて彼女の顔を見た。玲子は挑むようにテーブルの上に手を組み、我夢の方に身を乗り出すと口を開いた。
「藤宮くんの今居る場所」
「藤宮の居所を」
 二人が同時に言葉を発し、二人ともはっとして口を閉ざしお互いを見つめる。暫く驚いたように見ていたが、玲子はふっと力を抜いて身体を引き、イスに深く座り直した。
「なあんだ、XIGも知らないんだ」
「玲子さんも知らなかったんですか」
 なんだかほっとして我夢は肩の力を抜いた。けれど、ならば何故玲子はテレビであんな風に言ったのだろうか。
「もしかしてね、テレビ見ててくれないかなと思ってあんな大胆発言しちゃったの。だって、あの後全くなんにも連絡無いんだもの」
「そうだったんですか」
 玲子にも連絡を取ってないという事実に、我夢は安心している自分を見出して恥ずかしくなった。
「でもね、必ず会えるって信じてる。それまでに、会っても恥ずかしくない自分になりたいから、頑張ってるんだ…って、格好いいこと考えてたりね」
 くすりと笑う玲子に、我夢は益々自己嫌悪になって視線を逸らせた。
「私、貴方にだけは居場所教えてると思ってた。あなた達は特別な繋がりがあるし」
「そんなの、もうないです。僕らが最後に地球の光を貰ってウルトラマンになった後、光はまた消えてしまった…僕は普通の人間です」
 あの頃は同じウルトラマンとして確かな繋がりがあった。友達だとも思っていたのに、藤宮にとってはそうでなく、終わってしまえばその他大勢と変わりがない。その程度の付き合いだったのだ。
「貴方も、藤宮くんも、普通の人間。だから、決して一人じゃ生きられない。多分、藤宮くんには時間が必要なんだわ、今までの事を消化するのに」
「玲子さんは強いですね」
「強くないよ、私…」
 沈む声にはっとして我夢は玲子を見た。玲子は一瞬唇を噛み締め、泣きそうな表情に顔を歪めたが、次には元に戻っていた。
「今度会ったら、はっきり聞いて、玉砕してからじゃないと泣けないじゃない。こんな中途半端でほっとかれるのが一番嫌。だから、絶対会ってやるって決めてるだけ」
 ぐっと握り締めた拳を見せて玲子は我夢に笑い掛けた。その時、鞄から微かな携帯の着信を知らせる音が聞こえ、玲子はそれを取ると時間がないからと席を立った。
「玲子さん」
「え?」
「いえ、その…ありがとうございました」
 我夢も立ち上がり、にっこり笑うと深々とお辞儀をした。面食らったように玲子は我夢を見ていたが、頷くと手を振って去っていく。
 部屋に戻った我夢は、暫く部屋の中をうろうろと歩き回っていたが、やがてもう既に出ていた結論に再度辿り着いた。
「僕は藤宮に会いたい」
 会ってこの胸の痛みの意味を知りたい。玲子も言っていたように、中途半端で放っておくのは嫌だ。会ったからと行って答えが出るかどうかは解らなかったけれど。
 決心すると我夢は、あらゆる手を尽くして藤宮の居所を捜した。今まではそのうち連絡をくれるだろうと思って、ここまで徹底して捜しはしなかったのだ。あちこち訊ねた結果、一週間前最後に姿を現したのがクリシスの所で、それ以来の行方が知れないという。
 我夢はそれを聞いた後、礼を言って目頭を押さえ疲れた身体を伸ばした。
「信じてる…か」
 パソコンの前からベッドに移動し、横になって目を閉じると指を組んで胸の上に乗せた。そのままぎゅっと組んだ指に力を入れ、藤宮の姿を思い浮かべるとそれに向かって心の中で呼びかけた。こんなことでほんとに自分の呼びかけが届くなんて思わなかったけど、会いたいという想いを込めて会えると信じてもう一度呼びかける。
「藤宮…君に、会いたい」
 大きく息を吐いて指を解くと、我夢は額に浮かんだ汗を拭い目を開いた。明後日エリアルベースに戻る前に、もう一度藤宮の行方を捜してみようと決心しながら、我夢は着替えるために起きあがった。



 エリアルベースに戻るという日、朝から再びネットやその他の手段で藤宮の行方を捜していた我夢は、大学に行かなければならない用をすっかり忘れていて、慌ててマンションを飛び出し学校への道を走るようにして歩いていた。
 あの時初めてガイアになった公園を突っ切ろうとした我夢は、目の前にふらりと現れた影に足を止めた。邪魔な奴、と思って顔に目を向けた我夢は、驚いて目を見開いた。
「藤宮…なんで君、ここに」
「お前が必死に俺を捜しているらしかったから、何か起きたのかと思ったんだが」
 緊張感のない普通の声で応える藤宮に、我夢は口をぱくぱくさせていたが、息を整えてその顔を睨み付けた。
「何も起きてないよっ。でも連絡しようとしても、どこにいるか全然わかんないし、こっちに連絡もくれないし、捜しても足跡すら見つけられなくって凄い苦労してたら、何でこんなとこにひょっこり出てくるかなあ」
「何故、俺を捜してたんだ」
 一気に怒鳴って息を荒げている我夢に、僅かに眉を上げ藤宮は訊ねた。その声には微かに困惑が現れている。
 我夢は思わず言おうとした自分の答えがあまりに抽象的すぎ、かつ自分勝手なものであることに気付いて赤面し、口を閉じた。
「我夢」
「あ、あの、玲子さんが君に会いたがってるから。連絡入れてあげてよ」
「それだけか」
 不思議そうに見る藤宮に、我夢はますます赤面して頷くと、急いでいるからと言って歩き出そうとした。が、途中でリュックから自分の携帯を取り出し、藤宮の手に押しつけた。
「せめて日本に居る間はこれ持ってて。じゃ」
 藤宮の訝しげな視線を振り切って我夢は走り出していた。心構えも準備も出来ていないうちに、いきなり藤宮が目の前に現れて、心臓が破裂しそうに鼓動を打っている。
 大学の研究室に着いた我夢は、情けなさに頭を掻きむしった。会っても…あれは会ったうちに入るのだろうか…胸の痛みの理由は解らない。おまけに、前よりずっと痛くてどきどきしている。もしかしたら、ここまで藤宮が追って来はしないだろうかと、ちらりと扉の方を見たけれど、入ってきたのはいつもの友人達だけだった。
「どうした? なんか顔赤いぞ」
「何でもないよ。急いで走ってきたから。それより、今度のレポートなんだけど」
 マコトの怪訝そうな問いに応え、我夢は溜息を付くとてきぱきと仕事を始めた。
 大急ぎで大学での用事を済ませると、今度はジオベースに直行し、ダヴライナーに飛び乗った。漸くゆっくり息を付いて窓の外を見ると、そこに反射して情けない表情が映る。
「なんて顔してんだか」
 我夢は呟くと目を閉じて、窓に頭を持たせ掛けた。一眠りする間もなくエリアルベースに到着した我夢は、さっそく着替えるとコマンドルームへ向かった。
「ただいま戻りました」
「オカエリー。早かったネ」
 ここが家だとでも言うように、必ずただいまと言う我夢に、堤と石室が頷き、ジョジーがにこやかに挨拶を返す。もう一人の姿は今は見えない。
「あれ、アッコは?」
「今食事。それより、この前戻って来たときの荷物凄かったヨ。お土産に貰っちゃったけど、日本のオンナノコってみんなあんなに買うもんなの。告白するのに一つじゃいけないのカナ」
「ああそれは、義理チョコとか、それほど好きって訳じゃなくてもちょっといいなくらいで、上げたりするからだよ。で、本当に好きな人には本命チョコって言って気合い入った値段の高いチョコレート渡したりするらしいよ」
 我夢がその疑問に答えると、ジョジーは眉を顰めて腕を組んだ。
「変だヨ、それ。何で? 一人にあげるんでいいじゃない」
「さあ、いつのまにかそういう習慣になってるみたいだから」
 自分に疑問をぶつけられても困る。確かに変な気はするが、でも一昨日見た女の子達はみんな楽しそうに真剣に選んでいたし。多分、玲子も今頃一所懸命選んでいるか、渡す時を待ちこがれていることだろう。
 我夢はバッグの中に入ったままの、青い箱のチョコレートを思い出して僅かに唇を噛み締めた。その時丁度敦子が戻ってきて我夢の顔を見ると、一瞬ぎくりとした表情を浮かべたがすぐに元に戻り席に着いた。
「戻ってたんだ」
「ネエ、アッコの本命って誰?」
 いきなりのジョジーの言葉に、敦子は眉を上げ我夢を睨み付けた。
「何か言ったでしょ」
 言おうにも、敦子が誰にどういうチョコレートを上げるのか全く知らない。謂われのない非難に、我夢が身を竦めるのを見ると、敦子はジョジーの好奇心一杯の目を無視して仕事に戻った。
 ジオベースと大学へ行くので朝一番のダヴライナーに乗るために、我夢は大欠伸をしながら発進口へ向かっていた。最近、週に一度は地上と空をこうして往復している。EXだったら時間も自由になるのだけれど、非常時でもないのにやたらそれで行く訳にもいかなかった。
「我夢、ちょっと待って」
 乗り込もうとした時に、後ろから声を掛けられて我夢は振り返った。途端に胸先に袋を押しつけられて、目を瞬かせそれを押しつけた相手を見た。
「何、これ」
「いいから、後で開けて。じゃ」
 敦子はそれを我夢に渡すと駆け去っていく。驚きながらも発進時間が迫っていたため、我夢は後で中味を確認しようとバッグに仕舞い、中に入っていった。



 大学の研究室に行くと、うきうきした様子でサトウが出てくる。最近またまた懲りずにアタックした彼女からの呼び出しで出かけるというサトウに、我夢は一応頑張れとエールを送ると、中へ入った。いつも居る筈のマコトやナカジの姿が見えない。もしや、二人ともデートなのかと呆れながら我夢は一人でレポートを纏め始めた。
 それも終わり、マンションへ戻る途中で公衆電話の前に立ち止まる。まだ藤宮は日本に居るだろうか、玲子には会ったのだろうか。チョコを渡されて告白されたら、藤宮はそれに応えるのだろうか。
 別に玲子が藤宮と会っていようと、チョコレートを渡そうと、自分には関係ない話なのに、何故考えるとこんなに胸が痛むのだろう。
 再び訳の解らない胸の痛みを解決しようと、我夢は小銭を取り出し受話器を持ち上げた。
「我夢」
「うわあっ」
 がちゃんと受話器を取り落とし、小銭を地面にばらまいて我夢は振り返った。そこには今電話を掛けようとした相手が呆れたように自分を見つめている。
「び、びっくりするだろ。いきなり声掛けてきたら」
 鼓動が速まり、顔が赤くなるのが判る。我夢はそれを隠すように下を向きながら小銭を拾い受話器を元に戻した。いきなり後ろから声を掛けてくる藤宮のくせは、直らないようだ。
「それは済まなかったな」
 感情の籠もらない声で謝られ、我夢は俯いたままちらっと上目遣いで藤宮を見つめた。気配が以前に比べてかなり穏やかになっている。前は研ぎ澄まされた刃のようだったのに。
「これを返しにきた」
 差し出された自分の携帯を我夢は僅かに躊躇した後受け取り、ポケットに仕舞った。
「もし、時間あるなら、僕の家すぐそこだから、お茶でも飲んでって」
 なんて陳腐な、まるでナンパの文句のようだと思いながら我夢は藤宮に言うと、踵を返した。これで着いて来なくても仕方ないと、後ろを見ると藤宮はゆっくりとした足取りで自分に着いてくる。
 ほっとしながらマンションに着いた我夢は、扉を開けて藤宮を招き入れた。
「そのへん座ってて」
 あまりここに長く居ないため、我夢にしては片付いている部屋のテーブルの側に、藤宮は腰を下ろした。バッグを床に置くと、コーヒーを淹れにキッチンへ向かう。
「インスタントしかないけど」
 自分はミルクと砂糖をたっぷり入れるため、インスタントでも本格的なものでも味は同じようになってしまうからと、銘柄にも何も拘らず買ってきているが、藤宮は煩そうだ。言い訳しながらキッチンから出てきた我夢は、テーブルの上にカップを置くと自分も腰を下ろした。
 気まずい沈黙が辺りに漂う。でも、今は不思議と胸の痛みは感じない。やっぱり考えてないで早くこうして会っていれば良かったんだと、我夢はうっすら笑みを浮かべてコーヒーを一口飲んだ。
「今日、玲子に会った」
 低く呟くように言った藤宮の言葉に、我夢は目を見開きカップを置いた。微かに手が震えたのか、カップを置く時にカチカチと僅かな音がする。
「あ、そうなんだ。で、チョコレート受け取ったんだろ。今日バレンタインデーだもんね」
 努めて明るく平静な声で藤宮に訊ねる。さっきまで何ともなかった胸が掴まれるように痛い。多分嬉しそうな表情になっているだろう藤宮の顔を見るのが辛くて、顔を上げることが出来なかった。何故なのかは判らなかったけれど。
「受け取らなかった」
「えっ?! 何で」
 藤宮の意外な応えに我夢は驚いて顔を上げ見つめた。不機嫌そうな表情で藤宮はじっと我夢を見つめている。
「日本のそういう風習は良く知らんが、意味は玲子に聞いた。だから断った」
 受け取らなかったということは、玲子の告白も断ったということなのか。
「我夢、何故俺に会いたかったんだ」
「何故…だろ。ただ、会いたかったんだ。きっと胸が痛いのは、君の居場所を知らないからだと思って。会えば痛みもなくなるって」
 片眉を上げ、藤宮は訝しげに我夢を見た。
「胸が痛いのか」
「うん、玲子さんが君の居所を知ってるんじゃないかって思った時とか、会って話をしてるんじゃないかって考えたら、ここがね」
 我夢は心臓の辺りを押さえて言った。藤宮はそれを見て、大きく溜息を付き片手で顔を覆っている。何か変なことを言っただろうかと、我夢は窺うようにその顔を覗き込んだ。
「藤宮? わっ」
 いきなり腕を引かれ、肩を抱き寄せられた我夢は、すっぽりと藤宮の胸の中に埋まってしまった。びっくりして見上げると、藤宮の瞳が戸惑うような揺らめきを浮かべて我夢を見つめている。
 その瞳に見つめられるうちに、痛みではなく鼓動が速まってきて、我夢は腕を振りほどこうとした。が、強く抱き締められ逃れられない。
「今、痛むか」
 ぼそりと耳元で囁かれる藤宮の声に、くすぐったくて肩を竦めると我夢は微かに首を横に振った。「痛くはないよ…どきどきする」
「俺もだ」
 藤宮は身体を離すと、顔を近づけていく。ぼんやり藤宮の顔を見ていた我夢は、触れ合った唇に呆然と目を見開いていたが、やがて深くなる口付けに目を閉じた。
 いつのまにかしっかり藤宮の背中に腕を回していた我夢は、床の上に押し倒され背中に感じる堅い感触に僅かに眉を顰めた。
 ふわりと身体が持ち上げられ、我夢はベッドの上に乗せられた。上に覆い被さるように乗ってきた藤宮は、片手で我夢の額に掛かる前髪を梳き上げると再び口付けた。
 藤宮とキスしているという認識が漸く我夢の脳に廻ったが、男とキスしていてそれが日本ではあまり常識的ではないという認識までは浮かばなかった。
 藤宮は我夢の髪を撫でていた手を頬から顎へ落とし、続いてシャツのボタンに手を掛ける。全て外され胸に冷たい藤宮の掌が当たると、我夢はびくりと身を竦ませた。
「…なに」
 藤宮の手はゆっくりと我夢の胸を撫で、心臓の辺りで一旦止まる。唇を離し、藤宮は頭をずらせると我夢の鼓動を聞くようにその部分へ耳を当てた。
「凄く速いな」
 感心したように言う藤宮に、我夢は顔を赤くしてその頭を押し退けようと手を当てた。だが、藤宮は耳を離すと今度は唇を押し当て吸い上げる。ちりっとした痛みに我夢は手を握り締めた。
 唇や舌を胸に這わせながら、藤宮は我夢の身体から衣服を剥がしていく。胸の突起を指先で転がされて、我夢はぞくりと身体を震わせた。
 片方の手は胸から腰の線をなぞりながら下腹部へ降りていく。口付けと胸への愛撫で高まっていた我夢自身をやんわり握り締めると、藤宮はゆっくり上下に扱き始めた。
「やだ…何してんだよ。そんなの」
 驚いて我夢は藤宮の行為を止めさせようと身を起こそうとした。だが、片手で胸を押さえられ、自身を強く握られて痛みに身を竦める。宥めるように再び愛撫を施すと、我夢の口から苦しげな吐息が漏れた。
「あ…」
 他人の手で施される愛撫に、我夢自身はあっという間に育ち、藤宮の手の中で熱く脈打っている。このまま藤宮の手に放つのは嫌だと、我夢は再び手を伸ばして外そうとした。
「離せ、汚しちゃうよ」
 胸への愛撫を繰り返していた藤宮が微かに笑みを浮かべた気配がして、我夢は顔に朱を走らせた。何とか外そうと身を捩るが、藤宮は意地悪くそれをやんわりと刺激しながら離そうとはしない。我夢に手首を掴まれたまま、藤宮は今度は強く扱き親指で先端を抉るように刺激した。
「あっ! あぁ…」
 我夢は掠れた悲鳴を上げると、微かに身体を痙攣させ藤宮の掌に自身を放つ。ぐったりと身体をベッドに伸ばした我夢の両足を抱え上げ、藤宮は掌に受け止めた液体を奥に秘められた部分に塗り込め始めた。
「えっ…なに…」
 いきなり自分でもあまり触れたことのない部分に指を挿入され、痛みと異物感に我夢は目を見開いた。力を込めて押し退けようとすると、藤宮は再び萎えた我夢自身をもう一方の手で握り締め愛撫し始める。
「なっ」
 前への快楽で力が抜けたのを見計らい、藤宮は指を増やして入り口を押し広げるように指を蠢かせた。何度かそれを繰り返すうちに、我夢の意識はぼんやりとしてくる。
 突然異物感がなくなり、ほっと息を吐いた瞬間、もっと熱く激しい痛みが我夢を襲った。息が出来ず、喉が掠れたような音を立てる。
「力を抜け…」
 藤宮の声が聞こえたが、身体は自分の言うことを聞こうとしない。ぎゅっとしがみつき、がちがちに強張っている我夢の苦しげな表情を見ると、藤宮は眉を顰め焦らずゆっくり愛撫を再開した。
 異物感は消えないが、徐々に快楽が痛みを覆い隠していく。我夢は藤宮の指で唇を開かれ、やっと詰めていた息を大きく吐き出した。
「あっ…う…くっ」
 僅かに強張りが溶けたのを見ると、藤宮は途中までで止めていた自身を、一気に奥まで挿入した。我夢の口から悲鳴が漏れるが、その顰められた眉根や表情に藤宮の我慢も限界に達し、本能の導くままに突き上げていく。
「…あっ…ふじ…み…や」
 痛みと快感に我夢の意識は飛び、ただ藤宮の背中にしがみつくしか出来なかった。藤宮が一際大きく動き中に自身を解放すると、我夢も愛撫に導かれるように果てる。
 大きく息を荒げぐったりと身を投げ出す我夢の上から退くと、藤宮は自分も服を脱ぎ捨て再び覆い被さっていった。



 藤宮に支えられてバスルームへ行き、シャワーで汗やその他の汚れを落とした我夢は、パジャマに着替えて再びベッドに潜り込んだ。藤宮も当然のように隣に潜り込んでくる。腕を伸ばし、抱き込んでくる藤宮に、我夢は訊ねた。
「何故、こんなことしたんだ」
「今日は好きな人間に告白していい日と聞いた。告白された方はちゃんと食べないと受けた事にはならないってな。だから、頂いた」
 我夢はぽかんと藤宮を見ていたが、にやりと笑うその表情に、からかわれたと知ってむっとする。
「それはチョコレートだろ。それに、いつ僕が君に告白したんだよ」
 藤宮はその言葉に溜息を付いて呆れたような表情を浮かべた。ここまで自覚がないというのも珍しい。 「何故、玲子が俺の居場所を知ってると思ったら胸が痛んだんだ? 何故、俺に会いたかった」
「…それは……あ…」
 今気付いたように、我夢は口を開いた。そうだ、あの痛みは…
「僕は君が好きだったのか」
 そうそう、と言うように藤宮は頷く。じゃあ、と我夢は藤宮の目を覗き込んで訊いた。
「こうなったってことは…君は僕を」
「好きだ。会えば無理にでもこうなるだろうと思っていたから、会わなかった」
 ふっと笑みを浮かべ、藤宮は我夢に口付ける。うっとりとそれを受けていた我夢は、はっと思い出して藤宮を押し退け、ベッドの下に放ってあったバッグを拾い上げた。
 中からいつか自分で食べようと思って、入れっぱなしだった青い箱を取り出すと、もう一つ今朝敦子から渡された包みも一緒に転がり出てきた。
「あ、そうだ、これ何なんだろう」
 包みを開けてみると中から出てきたのは、あの時自分がこれがいいと選んだチョコレートの赤い箱だった。
「何でアッコが…」
 驚いて我夢は赤い箱を見つめた。すっと藤宮の手が伸ばされ、赤い箱と青い箱を我夢の手から取り上げる。驚いて見た我夢の目に、不機嫌な藤宮の表情が映った。
「あ…それは」
「お前は受け取ったのか」
「いや、義理チョコだよ、赤いのは。そっちの青い箱は…」
 自分が藤宮を思いだして買ったのだとは言いにくくて、我夢は口ごもった。それをどう受け止めたのか、藤宮は二つの箱を床に放り投げると我夢の腕を強く引き、体勢を入れ替えて下に敷き込んでしまった。
「ふ、藤宮」
 言い訳をしようとする口を塞がれ、我夢は藤宮の愛撫に翻弄されていった。


                           ちゃんちゃん

ガイアトップへ