Little Hope1.5


  破滅招来体の恐らく最後の訪れだっただろう戦いが終わり、地球につかの間の平和が戻った。この戦いで我夢と藤宮がウルトラマンであるということが全世界に判ってしまい、二人はGUARDの厳重な保護を受け暫くマスコミから匿われた。
 その間も、事後処理や調査研究、それに被害の分析などさまざまな仕事が普通にあり、我夢はジオベースに籠もって忙しい日々を費やしていた。
 藤宮もジオベースから出る事が出来ないせいか、我夢や樋口を手伝って仕事をしていた。我夢はそんな藤宮の淡々とした横顔を見ながらそっと溜息を付いた。
 藤宮はもうすぐここを出ていくだろう。元々こういう組織に属するのが嫌いなようだし、今は仕方なく手伝っているだけなのだ。ほとぼりが冷めれば誰が止めようとも、さっさと出ていっていってしまうに違いない。
 引き留めることはできないが、せめて居るうちにちゃんと伝えておかなきゃと、我夢はそのチャンスを窺っていた。
 漸く仕事が一段落して世間の噂も治まってきた時、我夢は資料の束を抱えて廊下を歩いていく途中に藤宮の背中を見つけた。
 その肩にリュックが在ることを見ると、我夢は慌てて走り近付いていった。
「藤宮っ」
 振り返った藤宮は、悪戯を見とがめられたような少し困った表情を浮かべ立ち止まった。
「…行くんだね」
「ああ。もうここに俺の居る理由は無い」
 以前から予想していた言葉を投げつけられ、我夢は息を詰めた。戦いが終われば、藤宮との接点は無くなる。それは判っていたことだけれど。
「そっか…元気でね」
 我夢の言葉に小さく頷いて藤宮は再び歩き始める。
「藤宮! 僕は…君が好きだ!」
 小さくなりかけた背中に、我夢は大声を張り上げて言った。心臓が早鐘のように打ち、我夢は唾を飲み込んで藤宮をじっとみつめた。
 ピタリと藤宮の足が止まり、驚いたように振り返る。
「我夢」
 一歩足を戻した藤宮に、我夢も近付こうとして目の前を通り過ぎた台車に気を取られ、腕一杯に抱えていた資料をばらまいてしまった。
「大丈夫ですか、高山さん」
 それと藤宮とを交互に見て、どうしようかとおろおろしているうちに神山の助けが入り、我夢はその場にしゃがんで資料を焦って拾い集めた。
「だ、大丈夫です。あ、どうも…」
「ここは私がやりますから、行った方がいいのでは」
 にこりと笑って神山は我夢に言った。我夢はもしかしてさっきの告白を聞かれたかと、冷や汗を浮かべながらも立ち上がりぺこりとお辞儀をして駆けだした。
 だが、既に藤宮の姿はどこにも見えない。出口へも行ってみたが、誰も居なかった。
 がっくりと肩を落として戻ろうとした我夢の足下に紙切れが落ちている。なんだろうと拾ってみると、どこかの住所が書かれていた。慌てて部屋に戻り、その住所を検索してみた我夢は、その場所が海辺の別荘の一つだと知って暫し思案に暮れた。
「これって、藤宮が落としていった?」
 でも、わざわざ書いて落としていくなんてことするだろうか、全然違う人のものじゃないかと、さっきから考えがいったりきたりしている。
「考えてないで行ってみたらどうですか」
「わっ、神山さん」
 いきなり背中から覗き込まれた我夢は、息が止まりそうになって振り返った。神山は微笑みながらさっき我夢がばらまいた資料を手渡した。
「ノックしても返事がなかったものですから。これ必要なものでしょう」
「すみません。わざわざ」
 拾わせて運ばせてしまったことに青くなりながら我夢はそれを受け取って、深々と頭を下げた。
「嫌がるかも…しれないです」
 資料を置いて再び紙切れを見ながら我夢は呟いた。ドアの所で神山は振り返り、再びにっこりと笑い掛ける。
「そんなものを落とすような迂闊な人に、嫌がる権利はありません」
 閉まるドアを呆然と見つめ、我夢はそういうもんかなと感心した。これが藤宮でないのならそれでいいし、もしそうなら何故これを置いていったのか知りたい。
 我夢はそう決心すると、休暇を取るための申請を出すためにメインルームへ向かった。

 一週間後にやっと休暇の取れた我夢は大きな別荘の扉の前でチャイムを押すのを躊躇っていた。決心して来た筈なのに、後一歩が踏み出せない。ぐるぐると考え込んでいた我夢はいきなり内側から開かれた扉にびっくりして一歩後退った。
「入れ」
 気を取り直す間もなく、腕を掴まれて中に引っ張り込まれてしまう。藤宮はそのまま我夢の腕を引き、リビングルームへ通すと腕を離した。
「やっぱり君だったんだ、これ」
「ああ」
 立ったまま話しかけるとそっけない応えが返ってきた。やっぱり自分が来るのは嫌だったんだろうかと、我夢は僅かに落ち込んで俯く。
「この間のあれは、本当か」
「え?」
 顔を向けずに藤宮はぽつりと訊ねた。我夢は一瞬何のことか解らずに、顔を上げ藤宮を見る。
「お前が、俺を…」
「あっ、う、うん。本当だ。…僕は君が好きだ」
 藤宮は暫く黙ったままでいたが、やがて顔を上げると我夢を見た。
「俺は、嫌われていると思っていた」
「嫌って何かないよ」
 強く言いきる我夢を、藤宮は目を眇めるようにして見つめる。怒ったのかと我夢は藤宮から視線を外した。
「暫くここから海洋研究所に通うことにした」
 唐突に藤宮はそう我夢に告げた。
「そうなんだ。漸く君の夢が叶うんだね」
 ああ、と頷いた藤宮は薄く笑って我夢を見た。
「居場所をはっきりさせておかないといけないらしいからな」
 アグルとして地球を救った英雄であっても、テロリストだった頃の所行は消えていない。既にその力がなくてもGUARDの監視下に置かれるのは仕方ないと、藤宮は苦笑いを浮かべて言った。
「僕にも君を手伝えること、あるかな」
「別に無い」
 そっけなく言われて我夢は肩を落とした。海洋研究は範囲外だけど、他のことなら何か手伝えるかと思ったのだ。手伝いと称してたまにここに来られれば良かったのに。
「そう…」
「俺がお前を手伝えることなら、あるかもしれないな」
「え?」
「ジオベースからも依頼が来ている。どうやらとことん使える内は使うらしい」
 好きな研究ができる代わりに、別に好きでもないことでもやらなければならないのは、仕方ないことだがな、と藤宮は再び薄く我夢に笑い掛けた。
 我夢は申し訳ないような、嬉しいような複雑な気分で藤宮を見た。藤宮は好きな研究にのめり込んでいくタイプなのだろうに、それ以外の煩わしいことまでしなくてはならないのがほんとは凄く嫌なんだろう。
「僕なら…一人でも平気だよ。なるべく君に手伝って貰わなくてもいいように、頑張るから」
 我夢がすまなそうに言う言葉に、藤宮は眉を顰めて見た。
「無理をするな。大学にも行くんだろ」
「うん、復学するつもり…ってどうして知ってるんだ」
「お前のことなら何でも解る」
 不思議な瞳で見つめられ、我夢は赤くなって俯いた。
「我夢」
「あ、あの、また遊びに来てもいいかな。迷惑だったら絶対来ないけど」
「迷惑じゃない」
 藤宮の言葉が真実かどうか解らなかったが、我夢はその言葉に縋ることにした。にこりと笑って我夢は頷くとその場を後にした。
 それ以来、我夢は大学とジオベースを行き来しながら、たまにこの別荘へ来るようになった。いつ来ても藤宮が居るという訳ではなく、三度に一度くらいしか会えないがそれでも会えればラッキーと思って我夢は忙しい合間を縫ってやっくる。
 藤宮の方はああ言ったもののジオベースに来ることはまれで、我夢と顔を合わせずに帰っていくことも多かった。
 その日もやっとジオベースで一仕事を終えた我夢は藤宮の所へ来た。玄関の扉が開いていたので、今日は居るのかと思ったが、我夢は居間のテーブルの上に書き置きを見つけて溜息を付いた。
「いつ書いたんだろ、これ」
 暫くの間海へ調査に出るから、ここに来たら好きに過ごせばいいと書いてあるのだが、藤宮が居なくて何をしろというのだろう。居たところで、研究の話とか他愛のない話をするだけに終わってしまうのだけど。
 我夢はどさりとソファに座り込み、頬杖を付いてその書き置きを見つめた。やっぱり一つ所に居て監視されながら研究を続けるのは嫌なのだろうと、我夢は藤宮のことを考えた。このまま戻ってこないかもしれない。我夢が来ているのは監視のためだと、藤宮は鬱陶しく思っていたのかもしれない。
 そんなことを鬱々と考えていた我夢は、行儀悪くソファに横になると書き置きをテーブルの上に放って目を閉じた。
 髪を優しく梳かれる感触に、我夢はうとうととしていた意識を浮上させた。ぼんやりと開いた目に細くて綺麗な指が映る。その指が鼻筋を通り唇に触れると、我夢は触れられた部分にじんわりと痺れるような熱を感じて慌てて起きあがった。
「藤宮、戻って来たんだ」
「…暫く調査に出ると書いてあっただろう。ずっとじゃない」
「そうだけど…もしかしたら、もうここには戻って来ないんじゃないかと思って」
 驚いたように声を上げる我夢に、藤宮は冷ややかな表情で応えた。その視線に気圧されるように我夢は俯いて、もごもごと呟いた。
「俺はお前が望むなら、いつでも側に居る」
「藤宮」
 藤宮の言葉に我夢は呆然として目を見開いた。
「ごめん…もう大丈夫だ。いつまでも独り立ちできないなんて情けないよ」
「何を言ってる」
「ほんとに、ごめん。もう僕もここへは来ないから。だから、君は君の好きな道を行ったらいい」
 我夢は出そうになる涙を堪えて言った。同じウルトラマンだったから、命を懸けて共に地球を守ったから、そして藤宮は破滅招来体に踊らされてしまったという負い目があるから望まないのにそんなことを言うのだろう。
 そんな事を言わせてしまったことに我夢は自分を嫌悪して、ソファから立ち上がるとその場を去ろうと一歩踏み出した。
「我夢」
 藤宮は逃げ去ろうとする我夢の腕を取り、そのままソファに押し倒した。
 熱い視線が近付いてきて、我夢の目に藤宮の端整な顔が映る。その表情は苦しげで、切ないようでもある。
 咄嗟のことに硬直していた我夢は、藤宮の唇が自分のそれに触れ吸い上げて来ると、何度か瞬きをして今起きている事を確認した。
 藤宮の唇は逃れようとする我夢の唇を追って覆い、合わせをこじ開けて中に侵入してくる。舌を絡められ弄ばれて我夢はぞくりとする悪寒に身を竦めた。
 藤宮の手が我夢のシャツを潜って素肌に触れてくる。粟立つ肌を掠めるように手を滑らせた藤宮は、ついで我夢のベルトに手を掛けボタンを外した。
「嫌だっ!」
 我夢は力を振り絞って藤宮を突き飛ばしソファから転がり降ちた。首を横に振りながら、ずるずると尻で後退る。
 あの時の恐怖と痛みはもう忘れたけれど、そうさせた経緯は覚えている。我夢はまだ藤宮に嫌われているのかと、震える唇を噛み締めた。
「すまない、もう…しないから、ここへ来ないなんて言わないでくれ」
 俯いて嗚咽を堪えるために震えている我夢の肩に、藤宮はそっと触れた。びくりと身を竦ませ我夢は恐る恐る藤宮の顔を見上げた。
 藤宮の顔は辛そうに歪められ、我夢をじっと見つめている。その瞳には熱い情欲の滾りが窺え、我夢は再び視線を逸らせた。
「君は僕が嫌いなんだろ。顔も見たくないんじゃ」
「そんなことはないって言っただろ」
 藤宮は我夢の肩を引き寄せ、強く抱き締めた。最初は身を堅くしていた我夢も、暖かい腕の中に包まれて次第に力を抜いていく。
「お前がここに来ないなら、俺がジオベースに行く」
「無理しなくていいよ」
 漸く笑みを浮かべることが出来た我夢は、僅かに身を離して藤宮を見上げた。
「無理じゃない」
 むっとした表情で藤宮は我夢を離し、手を貸して立ち上がらせた。我夢は藤宮の言葉を信じていいものか迷ったが、強く見つめてくる視線にこくりと頷いた。
「送っていく」
 身支度を整えた我夢にそう言うと藤宮はさっさと先に立って歩き出した。車を運転している途中も藤宮は無言で、不機嫌そうに前を見ていた。
 ジオベースに着くと、戻るかと思っていた藤宮は我夢の後に続き中に入っていく。僅かに驚きながらも一緒に歩き出した我夢は、途中で神山と擦れ違った。
「高山さん、何かありました?」
「え?」
「これは…」
 黙礼をして行こうとした我夢を引き留め、神山はその手首を取って見る。うっすらと赤い痣のようなものが出来ているのは、さっき藤宮に力一杯握り締められたせいだろうか。
 我夢は焦って腕を引くと、何でもありませんと小さく言った。神山は我夢の腕を離さず、じっと顔を見つめている。すっと指を我夢の頬に伸ばすと、目尻を撫でた。
「こっちも赤いですね。彼に苛められたんですか」
 神山の言葉に我夢はびっくりして目を見開いた。神山の指は目尻から頬に流れ、そっと包み込むように撫でる。安心させるような掌の感触に、我夢はぼうっと神山を見つめていた。
「我夢、行くぞ」
 苛立ったように声を荒げ、藤宮は神山が取っている我夢の腕を引き寄せた。我夢は我に返ると、ぼーっとしていた自分に顔を赤く染めた。
「あの、苛められたって訳じゃないんです。僕が勝手にちょっと…」
「言い訳するような事じゃない」
「では、苛められたらすぐに言って下さい。私だけじゃなく、ジオベースのみんなは貴方を苛めた人間に仕返しをしますから」
 藤宮の引きつったような表情と逆に、にっこり笑顔で神山はそう言った。
「あんたにそんな権利があるのか」
「あります。私たちはみな高山さんのことが好きですから」
 言い切る神山に我夢は更に顔を赤く染めた。好きだと自分から言うことはあっても、言われることは稀なのだ。もっとも、神山の言う「好き」は同僚として、仲間としての「スキ」なのだろうけど。
「あっさり言うんだな」
「言葉にしなければ伝わらないこともあります。失ってからでは遅いですよ」
 暫く神山を睨み付けていた藤宮は、我夢の腕を握ったまま歩き出した。我夢は引きずられるようにして行きながら、にこにこと笑っている神山にぺこりとお辞儀をする。
「藤宮、腕痛いよ、離してくれ」
 研究室まで来ると藤宮は漸く手を離した。今度はきっと二の腕辺りが赤くなっているに違いない。服に隠れて見えないけれど。
「そんなに怒るなら、やっぱり来なくても良かったのに」
 何が藤宮の神経を逆撫でしたのか解らないが、神山の言葉一つにぴりぴりと反応する程嫌なら来て貰わない方がいいと我夢は溜息を付いた。
「いや、これからは出来る限り来る」
 我夢は驚いて藤宮を見つめた。きっぱりと言い切った藤宮は、我夢の反論を一切受け付けないというように睨み付けてくる。
 我夢は再び溜息を付いて、訳が判らないなりに、それでも会えるのは嬉しいからいいかと藤宮に微笑みかけた。


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