Holiday

cup

 うららかな昼下がり、破滅招来体の影もなく落ち着いたエリアルベースの中で、もっとも落ち着いているだろう部屋に二人は静かに座っていた。
 BGMは獅子脅しが似合いそうな場面ではあるが、お茶道具はテーブルの上に出ており、正座ではなくイスに二人は座っている。機能的な部屋の一角には家族写真などもあって、冷たい感触は緩和されていた。
「…で、お話というのは?」
「うむ…」
 まずはお茶を一服と石室は前に座っている千葉に茶碗を差し出した。作法通りにお茶を啜り、静かにそれを置いた千葉は、伏せていた顔を上げるときらりと眼鏡を光らせて石室を見つめた。
「見合いをね…勧めてみようかと思うんだが……」
 一瞬石室は何を言われたのか理解できず、目を見張った。
「………見合い…ですか?…それは…誰の」
 やがて言葉が頭を巡り、理解に及ぶと石室は困惑したように訊ねた。自分は結婚して子供も居るからまさか違うだろうし、現在の状況下で見合いなど一体誰にさせるつもりなのか、と石室は千葉を探るように見つめる。
「もちろん、我夢だよ」
「我夢……に?…それは一体…」
 ずずっ、ともう一服茶を啜り、千葉はさも当然のように言った。石室は思ってもみなかった名前を出されてますます困惑し、眉を上げる。
「私はね、彼のことは自分の息子のように思っているんだ。あんなに若くして、戦いの先頭に立って飛び出していく…生きて戻れぬかもしれないというのに。それが辛いんだ」
「はあ…確かに…」
 それと見合いとどう関係するんだ、と訊きたくて堪らなかったが石室は無表情のまま頷いた。千葉は茶碗を置くと、小皿で添えられている干菓子を摘み、口の中に放り込んでぽりぽりと食べ始めた。
「だから必ず戻らなきゃならない理由を作ってやったらどうかと思ってね」
 そこで漸く石室は千葉の話に納得した。つまり恋人の一人でもできれば生きて戻ろうという気にもなるだろうし、無理もしなくなるだろうということか。でも、既に居るということは考えなかったのだろうか。
「それにだね、最近どうも我夢の周りにうろちょろしてちょっかいかける人間が居るようだな」
 がりっ、と堅い干菓子を噛みしめる音が響く。
「藤宮…博也ですか」
「ああ。全く、どういうつもりか知らんが、まるでストーカーではないか。あれのお陰で白髪が増えたような気がするよ」
 白髪より、髪の毛の量を心配した方がいいんじゃないかと心の中で思ったが、石室は賢明にも言葉にしなかった。それに、我夢の周りにうろちょろしているのは、藤宮だけではないということも。
「それで、見合いをさせようと。しかし…我夢が了解するでしょうか」
「させるんだよ、コマンダー。それが君の腕の見せ所だ。期待してるよ」
 そんなことを期待されても…と石室は微かに眉を顰めたが、断固として我夢にまっとうな恋人を作ってやろうと思いこんでいる千葉に何か言っても無駄だと、軽く溜息を付いて頷いた。
「解りました…できるかぎりやりましょう。しかし、最後は本人次第ですから」
「わっはっは、そうか、理解してくれたか。いやあ、大丈夫大丈夫。私の見立ては絶対だ、美人で気だてが良くて可愛い娘だぞ。私がもっと若くて独身だったら…いやいや、これはちょっと言い過ぎだな。とにかく、頼むぞ、コマンダー」
 豪快に笑って千葉は三度ごくりとお茶を飲んだ。
 ぞくりと背筋に悪寒が走り、我夢は身震いして肩を両手で掴んだ。空調の具合でも悪いのかと、振り返ってみても、後ろはラウンジの壁になっていて空調の出口はない。
「気のせい…かな」
 首を傾げながら再び手元の資料に目を移し、我夢は片手に持ったスプーンでカレーを掬って口に運び始めた。
「食事しながら物読むのお行儀悪いよ、我夢」
「時間が惜しいんだよ。これすっごく面白い論文なんだ」
 ちらりと目を上げて非難したジョジーを見た我夢は、再び資料に目を向けて言った。ジョジーは呆れて肩を竦め、隣に座り何の論文を読んでいるのかと覗き込んだ。
「ふうん…そうしてると、結構マシなのにね」
「…え?何?」
 ちらりと見ただけでは全く何の論文か解らなかったジョジーは、身を引くとしみじみ我夢を見て言った。真剣に、だが目をきらきらさせて論文を食い入るように見ている我夢は、いつもの頼りない若者像よりは素敵に見える。
「そうやって、論文読んでる顔は良いって言ったの。でも、片手にスプーンはカッコワルイよ、やっぱ」
 にっと笑って応えたジョジーに、我夢はじろりと見返すと、ほっとけというようにがつがつカレーを食べ始めた。
「あーあ、それだから女の子にもてないんだよ」
「煩いってば。ああもう、ほっといてくれよ」
 いつまでもにやにやしながら側にいるジョジーに、文句を言い、我夢はカレーを食べ終えるとスプーンを置いた。
「あ、そか。もう居るんだっけ、恋人が」
「だ、誰のことだよっ、居るわけないだろ」
 からかうように言うジョジーの言葉に、思わず力を込めて反論してしまい、我夢は空しくなってしまう。こんなこと力一杯反論しても寂しいだけだ。
「居るじゃん、格好いい彼氏が」
 我夢は誰のことを言ってるのか一瞬理解できず、きょとんとジョジーを見た。彼女ではなくて、彼氏…?
「……それって…」
「黒ずくめの美形でさ、なんか危うい魅力持った人だよねー。頭も良いし、お似合いじゃない」
 それはもしかして…
「我夢!お前まだあいつと付き合ってるのか!」
 突然後ろから声を掛けられて我夢は飛び上がった。恐る恐る振り返ると、梶尾がお供二人を連れて険悪な表情で睨み付けている。
「つ、付き合ってるって…そういう意味じゃ」
「わあ、やっぱり付き合ってるんだ」
 きゃらきゃらとジョジーが笑いながら言うと、梶尾の眉がぴくりと上がった。
「ジョジー、黙ってろってぱ、もう…。梶尾さん、大丈夫ですよ。藤宮はもう僕らの敵じゃありませんから」
 ジョジーを睨み付け、我夢は梶尾に冷や汗を浮かべながら笑って言った。アグルの力を取り戻した藤宮とは理解しあえたのだ。もう人類の敵ではない。彼と戦う事もない。
 梶尾はつかつかと足音も高く我夢に近づくと、その肩をがしっと掴んだ。
「付き合ってる訳じゃないんだな」
「……えと…どういう意味で…」
「どうもこうもあるか。あいつにお前を渡す訳にはいかない」
「か、梶尾さーん」
 真剣な表情で言う梶尾の言葉の意味が、今いち不明な我夢は助けを求めて辺りを見回した。だが、興味津々という顔で見ているジョジーと、やや悲しそうな表情で首を振っている北田に大河原、そして遠巻きにしてひそひそ会話している他の隊員達では助けにならない。
「無理強いは良くありませんよ」
 ぽん、と梶尾は軽く肩を叩かれてはっと離した。いつのまに現れたのか、穏やかに微笑みを浮かべた神山が立っている。
 さすがレスキュー、と訳の分からない納得の仕方をしながら我夢はほっとして梶尾から離れた。
「じ、じゃ、僕は調査があるんで、失礼しますっ」
 脱兎のごとくその場から走り去る我夢を、舌打ちして梶尾は見送った。
「あんな風に迫っても脅えるだけです。もっときちんと話した方がいいと思いますよ」
「……助言、感謝する」
 ふっと息を吐いて、梶尾は笑みを浮かべ神山に礼を言うと北田と大河原を連れてラウンジから出ていった。せっかく面白くなりかけたのに、というように見ていたジョジーは神山に微笑まれて、焦りながらラウンジを出ていく。
 ラウンジに平和な空気が流れた所を見ると、やっぱり神山はレスキューの第一人者なのかも知れない。




 我夢はせっかくラウンジに休憩しに行ったのに、返って疲れながらコマンドルームに戻った。
「我夢、ちょっと話があるんだが、忙しいか」
 次の調査のために資料を取り出そうとパソコンのキーに手を掛けた我夢に、別室から出てきた石室が声を掛けた。いつもなら忙しかろうがなんだろうが、話す時は話すのに、何故わざわざ聞いてくるのか訝しく思いながらも我夢はパソコンから顔を上げ、石室を見た。
「いえ、忙しくはないです。何ですか?」
 取り込んだ話なら私室に呼ぶだろうし、今度の敵か調査のことだろうと我夢は気軽に応えた。
「次の休暇に地上に降りて、舞浜のヒルトン東京ベイに行くように」
「ヒルトン…?調査ですか?」
 いきなりあまり関係なさそうな場所を指定され、我夢は面食らって訊ねた。それに、休暇を潰していくような何かがあるのだろうか。
「いや……そのホテルの売りはケーキバイキングだそうだ。その予約をある人の代わりに取ったんだが、その人が都合悪くなったので、お前なら喜びそうだなと」
 何となく内容の割に重い口調の石室を不思議に思ったが、我夢はケーキバイキングと聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「わあ、ホントですか?…あ、でも僕が行ってもいいんですか?もっと他に譲る人がいるんじゃ」
「いや、我夢に行って欲しいんだ」
 ほんとに喜んで良いのか、ちょっと躊躇いつつ我夢は訊ねた。しかし、石室は再び重い口調できっぱりと言う。
「…なんか怪しい……かも」
「うん。コマンダーが何で予約なんかするかな。…ホテルってのがちょー妖しいよね」
 単純に喜んでいる我夢と、それを複雑そうに見ている石室を見ながら、敦子とジョジーはぼそぼそと会話していた。
「ホテル…ってゆーと、デート、密会、不倫」
 舞浜といえば、家族連れで賑わう明るい行楽地である。なのにその発想は少々外れてないか。
「ケーキバイキングだったら、まず普通は女の子に勧めるよね。我夢にってのは、やっぱ他に目的があるな、絶対」
 敦子の時折妙に鋭い指摘に、ジョジーもうんうんと頷いた。石室は時間と詳しい場所を書いたメモを我夢に渡すと、そそくさと再び別室へ入っていく。その後ろ姿を見送っていた我夢の手から、敦子はさっとメモを取り上げた。
「あ、何だよ」
「…丁度我夢の休暇に当てたってのが、不思議だし」
「うーん、残念。この日は勤務だ」
 二人が頭を付き合わせてメモを見ているのを、我夢はやれやれと肩を竦めて眺めていた。もっとも、彼女らの言い分にも頷ける。何故自分に振ったのか、気にならないと言えばウソになる。だけど、きっとガイアとして頑張ってる自分へのご褒美なんだよなー、などとのんびり我夢は思っていた。
 我夢が資料を調べに研究室へ行くと、コマンドルームは女子二人だけになる。暫くさっきのメモのことであれやこれやと推理していた二人だったが、交代要員の彩香が入ってきたので一旦話を止めた。
「何です、これ?」
「あ、…それ我夢の」
 敦子と交代するために、座席に座った彩香はそこに置かれていたメモに目を留めてジョジーに訊ねた。我夢に当てたメモだと聞いた彩香は何かを得心したように、こっくりと頷いて微笑んだ。
「ああ、お見合いの話ですね」
「お見合いぃ?!」
 素っ頓狂な声を上げるジョジーに、部屋を出ようとしていた敦子が飛んで戻ってくる。彩香の後ろに付き、まじまじとメモを見つめた敦子は拳を握りしめた。
「…その手があったか…」
「ホントなの?それ」
「多分…千葉参謀とコマンダーが廊下で立ち話してましたから。必ずこの見合いを成功させるんだ…って」
 二人が何故そんなに驚いているのか判らないように彩香は首を傾げながら肯定する。敦子はぽん、とジョジーの肩を叩くと、知らせてくると言ってコマンドルームから走り出ていった。
「敦子さん…どこ行ったんですか?…あの…ジョジー?」
「こうしちゃいられないわ…そうだ、ネットにもこっそり流しちゃおー」
 彩香の声も聞いてない状態のジョジーは、にっこり笑うとコンソールを操作し始める。私事にそんなの使っていいのかと彩香は思ったが、嬉々としてやっているジョジーに、ま、いいかと軽く頷いて仕事に就いたのだった。
 そんなことも知らずに我夢は資料を取り出すと、自室で続きをしようとそれらを抱えて歩き始めた。エリアルベースの廊下は機能優先のため狭苦しい。資料を抱えて歩いていると前が見えないこともある。
 丁度角を曲がってもうすぐ自室というところで、我夢は前方を塞ぐものに突き当たり、資料の束をばらばらと落としてしまった。
「わわっ…ご、ごめんなさい」
 前に現れたのは梶尾で、我夢は謝りながら資料をかき集め始める。床にしゃがみ込んだ目の前に梶尾もしゃがみ込むのを見て、資料を拾うのを手伝ってくれるのかと顔を上げた我夢は、真剣に見つめてくる目にはっとして動きを止めた。
「我夢…」
 資料を掴もうとしていた手を梶尾に取られる。ぎゅっと握りしめられ、我夢はぎょっとして目を見張った。
「あ…あの…梶尾さん…?」
 さっきのこともあるし、今度はなんだろうと焦りながら手を引こうとする。が、強く引っ張られてバランスを崩し、梶尾の胸の中へ抱き込まれてしまった。
「俺は…」
「あー、いたいた!よおっ、我夢、お前今度見合いするんだってなあ」
「こーんな子供のくせに、生意気すぎるぞ、こいつ」
 何かを告げようとした梶尾は、いきなり後ろからどつかれ、跳ね飛ばされて廊下の壁に懐いてしまう。梶尾の腕からひょいとばかりに我夢を拉致したのは、チームハーキュリーズの濃い面々だった。
「し、志摩さん…見合いって?」
 吉田の小脇に抱えられ、頭をぐりぐりされながら我夢は必死で腕を突っ張り逃げ出そうとする。その後ろでにやにやとしている志摩に、我夢は今聞いた信じられないことを聞き返した。
「今度の休暇に見合いするんだろ。今ベース中の話題になってるぞ」
「ほんとにまあ、俺達に無断でそんなことを決めるなんて、コマンダーも酷いことするよ」
「まあ、コマンダーの決めた事だ。万が一にもこいつが相手から断られないように、しっかり鍛えておかないとな」
 訳が分からず目を白黒させている我夢を拉致したまま、吉田はトレーニングルームへ歩き始めた。呆然としている梶尾に、後よろしく、と軽く言って志摩と桑原もさっさと歩き去ってしまう。
「……見合い…だと…」
 廊下に散らばった資料の中で、梶尾は拳を握り締めて低く呟いた。




 吉田達にさんざん絞られた我夢は、疲れ切った身体を引きずって自室へ戻った。結局彼らは見合いがどーたらということではなく、自分を構いたかっただけらしく、一通りトレーニングを済ませると次には女の子のコマシ方だーなどと言ってからかってくるのをなんとかかわして来たのだ。
「それにしても、見合いだなんて…」
 そんな馬鹿なと首を振る。自分はまだ二十歳だし、破滅招来体がいつ襲ってくるかもしれないこの時期に見合いなど悠長にやってられるものか。
 きっと何かの間違いが噂に尾ひれを付けて広まってしまったに違いない。第一、ケーキバイキングで見合いなんてふつーしないだろ…多分。
 と我夢はなんとか自分を納得させて着替えもせずにそのままベッドに沈み込んでいった。
 休暇当日までの間、我夢の近辺では窺うような視線や会話がなされていたのだが、本人は全く気付かず仕事をこなしていた。最初こそホントかなと思っていたのだが、そんな話があれば敦子やジョジーが黙っている訳がないのにいつもと変わらぬ態度だったので、すっかり頭から消え去ってしまった。
 もちろん、その裏で噂は広まりながら変化していき、我夢が結婚式をヒルトンで挙げる、などというところまで行ってしまっていたのだが、敦子とジョジーはそれを我夢の耳に入れないように最大限の努力をしていたのだ。
 やっぱりこういうものは、本人あずかり知らぬ所でこっそり見ているのが面白い。というわけで、敦子ははずせない勤務だったが、ジョジーの方は休暇を取り、我夢に気付かれぬよう着いていこうと計画を立てていた。
 石室も梶尾も不気味に沈黙を守り、我夢だけがのほほんと休暇を楽しみにしていた。
「それじゃ、行って来ます」
「ああ…気を付けてな」
 石室の表情が僅かに強ばったことに気付かず、我夢はにこにこと嬉しそうにダヴライナーに乗り込んだ。ジョジーも一緒に乗り込んでいたのだが、いつものように隣に押し掛けて座るということもせず、離れた席でサングラス越しに我夢を観察していた。
「あの格好じゃ、失敗するねきっと。もうちょっとセンスよくなんないかなー。制服だったらマシなのに」
「まったく、何で俺がこんなこそこそしなきゃならないんだ…」
 ジョジーの隣には、やはりサングラスを掛けて席に埋まるようにして座っている梶尾の姿があった。
「こそこそしないで、我夢の隣に行きます?きっと喜んでくれると思いますヨ」
 にっこり笑って言うジョジーに、梶尾は言葉を詰まらせて腕を組み目を閉じた。それができれば、米田に無理を言って勤務シフトを代えて貰ったりしない。
「オモシロクなりそー」
 ふふふと笑うジョジーの隣で、梶尾はむっすりと沈黙する。三人を乗せたダヴライナーはそれぞれの思惑も乗せながら地上へと向かっていった。
 ジオベースを経由して我夢はヒルトンへ向かった。湾岸沿いの道路は平日なせいかそれほど混んではいない。時間通りに着いた我夢はホテルの中に入り、目指す店へと入っていく。
 周り中ほとんど女の子達という中で、我夢は目の前に広がるケーキやプリンやサンドイッチの山にパラダイスを見いだしてうっとりとしていたが、皿を手に取ると猛然と選んで乗せ始めた。
「……我夢ってホント、甘いもん好きなんだ…」
 自分も決して嫌いじゃないけど、あそこまで食べられないとジョジーは感心したような呆れたような呟きを漏らした。ちなみに我夢と離れた席で梶尾とカップルの振りをして様子を窺っている。
 梶尾はコーヒーだけを頼み、クリームやバニラなどの甘い匂いに辟易しながらじっと我夢を見つめていた。
「あ……っ」
 大声を上げそうになった梶尾は、ジョジーに肘鉄を食らわされて口を手で塞いだ。皿にケーキを山盛りにした我夢が席に座るのを見計らったように、清楚なワンピース姿の女性が現れたのだ。ショートの黒い髪を軽やかに流し、薄化粧の彼女はかなりの美人である。
 目の前に座った彼女に、我夢はびっくりしてまじまじと見つめた。
「あ…あの…」
「高山…我夢さんですね?初めまして、私吉本多香美といいます」
「はあ…」
 にっこり笑って挨拶する多香美に、我夢は慌ててぺこりと頭を下げた。
「あの…僕に何かご用ですか?」
 我夢の当惑した声に、多香美はくすりと笑みを漏らすと、食べながらどうぞとケーキを指し示した。と言われても、なにがどうなってるのか判らないままでは、我夢だとていつものようにがつがつと食べるわけにはいかない。
「千葉さんのご紹介で…一度会ってみてくれとおっしゃるので、来たんです。XIGの隊員の方だって伺っていましたから、どんな方かと…」
 ということはつまり、吉田達が言っていた見合いという話は本当だったのか、と我夢は漸く理解して顔を赤らめた。
「あ…そう…ですか。えーと、僕何も聞いてなくて…でも、あの、お見合いとかって、ほんとですか?」
 そう聞かされて来たのだろう彼女に向かってそんな質問してもしょうがないだろう、と影から見守っているジョジーと梶尾は心の中で突っ込みを入れる。
「千葉さんはそのおつもりみたいですけれど…」
 もしかしたら多香美の方が我夢より何歳か年上なのだろうか、にこやかに笑って応える彼女はかなりの余裕でゆったりと座っていた。
 逆に我夢は微笑まれる度にどぎまぎしているのが丸判りで、見ててかなり歯がゆい…というより、赤くなって照れてる様子を見ると蹴りの一つでも入れてやりたいと梶尾は拳を握り締めた。
「梶尾リーダー、落ち着いて。こんなとこで暴れたら我夢がカワイソーですよ」
「解ってる」
 言葉の割に、楽しそうなジョジーに短く応え、梶尾はサングラスを指で押し上げる。
 我夢は漸く落ち着いてきて、勧められるままにケーキに手を付けた。見合いなんて古くさいと思っていたけれど、相手にもよるもんだなあ、などと我夢はのんびりケーキを食べる。多香美は幸せそうにケーキを食べている我夢を、不可思議な笑みで見つめていた。
 その様子は恋人同士のようであるが、我夢の前の山盛りケーキと、彼女の前にはコーヒーだけという景色はちょっと違和感を感じさせる。なにごともなく、このまま終われば次のコースはホテルの隣にある某遊園地でのデートということになるのだろうが。
「待たせたな、我夢」
 割と淡い色が多い中、ぽつりと黒一点が我夢の隣に現れた。丁度クリームたっぷりのショートケーキを口に運んでいた我夢は、ぎょっと飛び上がってフォークを落とした。
「ふ、藤宮っ…なんでここに?」
「約束していただろう、忘れたのか」
 真っ黒のライダースーツをしなやかに着こなした藤宮は、涼しい笑みを浮かべてしれっと言った。呆然としていた我夢は、慌てて記憶の中を探り、そんな約束してたかと思い出そうとする。しかし、そんな約束ってどんな約束だ?
「約束…してたっけ?何か…」
 忘れていたとしたらかなり馬鹿にされると思いながら、我夢は恐る恐る藤宮に訊いてみる。藤宮はすっと身を屈めて我夢の耳元に囁くように言った。
「休暇になったら、一緒に過ごそう…」
 ざわりと我夢の背筋が総毛立つ。耳元は感じやすいからそんな側で言って欲しくない。手で囁かれた耳を押さえながら我夢は冷や汗を掻いて藤宮を見上げた。
「………えーと…確かに、言ったような…でも、その言い方、誤解されそう」
 確かに休暇になったら色々話をしたいから、とは言った覚えがある。藤宮の言葉では世間に誤解を生みそうだ。
「そうか?…別に誤解されるとは思わないが」
「あの…こちらは?」
 すっかり二人に取り残された多香美が一瞬の沈黙を縫って我夢に問いかけた。我夢は、はっと気付いて彼女に向き直り、どう説明していいものかと思案する。
「ずっと共に……と誓った仲だ」
 我夢が躊躇している間に藤宮は、ぼそりと多香美に応えた。その……に込められた言葉は、もちろん「地球と人類を守る」である。
 が、世間にそうは受け取られなかった模様で、さっきからしーんと三人を窺っていた周りがざわめいている。
「貴様あっ、いつどこでそんなことを誓ったとゆーんだ!」
「か、梶尾さん!? なんでここに」
 ばたばたと走ってきたサングラス男に、もしやヤの付く職業の方か?と思ったが、それを取った顔にびっくりして我夢は立ち上がった。
「我夢っ、お前こんな奴とそんなことをっ」
「そんな事ってなんですか〜、落ち着いて下さいよ、梶尾さん」
「こっそり覗いていたのか?良い趣味だな」
 自分のことを棚に上げ、ふっと嘲るように笑みを浮かべる藤宮に、梶尾はぷっつり切れて襟首を締め上げようとする。それを慌てて我夢は止めた。
「梶尾さん、やめて下さいって!藤宮も煽んないでよ。ああもう、こんなとこで何だってもう〜」
 もうもうと牛のように嘆く我夢と睨み合う二人をこっそり無視して、ジョジーは後ろから多香美に近づいていった。
「アノー、大丈夫ですか?避難した方がいいかも」
「大丈夫です。二人とも素敵な方ですね」
「は?」
 このやりとりに全く動じた様子もなく、彼女はにっこり笑うと心持ちうっとりした様子で三人を見た。ジョジーは額に汗とはてなマークを浮かべて彼女を見つめる。
「可愛い男の子を取り合って二人の素敵な殿方が争う…ロマンです」
「………はぁ……」
 確かに自分も面白がってる方だとは思うが、彼女程ではない、とジョジーは引きつった笑みを浮かべた。ふと周りを見渡せば、彼女と同じような目つきをした何人もの女性が目に入る。もしかして、これは世間の流行なのだろうかと、ジョジーは改めて三人を見返した。
「あのぅ…でも、これって確かお見合い…でしょ」
「ええ、そうです。ほんと、高山さんて思った通りの可愛い方で、嬉しいです」
 可愛い?格好いいとか素敵とか頼りになるとかの表現なら解るが、可愛いってのは見合い相手に使う言葉だろうか。もっとも、日本語ぺらぺらなジョジーでも日本の習慣はまだちょっと不慣れな所もあるし、そういうもんなのかもしれないと納得してしまった。
「吉本さん、ごめんなさい。ここ出ましょう」
 二人の睨み合いを制止するのに疲れたのか呆れたのか、我夢はげっそりして身を低くすると多香美に囁いた。
「あれ、ジョジーまで来てたのか…まったく」
「ほ、ほら、我夢、早くしないと二人に気付かれるって。私が後は何とかするから、さっさと逃げなよ」
 むぅと膨れる我夢に焦ってジョジーは言い、二人をその場から追い出した。人々の好奇の視線を感じつつ、ケーキの山に未練を残しながら我夢はホテルから出ていった。
「済みませんでした。まさか藤宮や梶尾さんたちが来てるとは思わなかったんで」
「藤宮さんに梶尾さんと言うんですね。お二人とも、高山さんの恋人なんですか?」
 てくてくとロビーを歩きながら謝った我夢に、彼女は無邪気に問いかけた。途端、我夢はぴしっと凍り付いてしまう。
「こここ、恋人!? ど、どーして、そんな…」
「隠さなくてもいいですよ。あの二人に挟まれて苦しんでらっしゃるのね…それで千葉さんが見るに見かねて、私を紹介して二人に諦めさせようとしたんでしょう」
 にっこりと言う彼女に、我夢は呆然として口をぱくぱくするだけだった。
「でも、実は私ちゃんと恋人が居るんです。だから、今日はお断りしようと思ってきたんですけど、高山さんにあんな素敵な方たちが居るなら、安心ですね」
 どこが安心なんだーっ、と我夢は心の中で叫んだが、もちろん言葉にはできない。千葉のお節介にも呆れるが、コマンダーも知ってて自分をここに寄越したのか。
「それじゃ、私ここで失礼します。頑張って下さいね、高山さん」
 彼女は言うだけ言うと、手を振りさっさとロビーから出ていってしまった。一人残された我夢は、がっくりと肩を落とし溜息を付いた。
「…戻るってのも…なあ…」
 ここで戻ってあの二人の面倒を見るのは嫌だったし、仕方ない、このまま戻るかと我夢は決心してロビーの玄関を潜った。
 来るときはジオベースの樋口に送って貰ったのだが、帰りの足がない。ちょっと遠くになるがJRの駅に出ようかと我夢はあまり人が居ない道をとぼとぼと歩き始めた。タクシーを使えばよさそうなものだが、あくまで庶民派の我夢としては少ない給料をそんなことで使うわけにはいかない。
 洋服はあんまり買わないし、食事は最近エリアルベースも充実してきて安いのでそんなにかからない。一番使うのはやっぱり研究のための書籍と部品代だったりする。それもほとんど経費として認めて貰っているのだが、趣味の分野ではそれで落とすのも気が引けるのだ。
「母さんへの仕送り削る訳にはいかないし…」
 ジオベースまでの運賃くらいはあるよな、と財布の中身を見ていた我夢はしみじみと溜息を付いてしまった。働いている一人前の身としては、大学を中退したたこともあるし家への仕送りはかかさない。多分、貯金しちゃってるだろうけど、と我夢は久しぶりに母親の顔を思い出した。




「我夢!」
 突然爆音と共に歩道に横付けされたバイクから声を掛けられて、我夢はぎくりと立ち止まった。
「藤宮?…」
「乗れ」
 短く一言言って藤宮はヘルメットを放って寄越す。え?と渡されたヘルメットと藤宮を交互に見ていた我夢は、送ってくれるのかと笑みを浮かべて後ろに座った。
「待てえっ!我夢っ」
「ええ?…わっ!」
 後ろから再び別の声を掛けられて我夢は振り向こうとした。が、藤宮は勢い良くバイクを走らせ始めた。慌てて我夢は後ろから手を回し、藤宮の腰をしっかりと抱えるように掴んだ。
「あれ…梶尾さんじゃ…」
「しっかり掴まってろ、飛ばすぞ」
「ちょ、ちょっと藤宮…危ないって…」
 エンジンを吹かし、藤宮はスピードを上げる。ちらりと我夢が後ろを振り返ると、ベルマンが後を追ってきていた。
 梶尾さんてば、私用にベルマン使ってんのか?と我夢はちょっとむっとする。自分だって運転したいのに、いつも瀬沼か梶尾が運転する立場で自分は助手席にしか乗ったことがないのだ。マコトの車でいつかお見舞いに行った時くらいだ、自分が運転したのは。あの時も梶尾はさんざん文句言ってたっけと我夢は思いだした。
「どこ行くんだよ」
「どこへでも…お前となら…」
 スピードに負けないように声を張り上げて訊く我夢に、藤宮は嬉しそうに応えた。
「どこにも行かせるかぁっ!止まれ、止まらないと」
 会話が聞こえたのだろうか。もしかして梶尾もテレパシー使えるのか?と我夢はびっくりして隣を見た。いつのまにかベルマンは追いついて隣を走っている。窓から梶尾の形相が見え、うわ、と我夢は目を見開いた。
「と、止まらないと?」
 どうするのだろう、と余計な好奇心を持ってしまった我夢は、ちょっと後悔した。それに応えるように梶尾は更にスピードを上げ前に回り込んで捨て身で止めようと計ったのだ。
「うわわわーーっっ!」
 ぶつかる、と思った我夢はぎゅっと目を閉じて藤宮にしがみついた。だが、ふわりと身体が浮く感覚がして次にどすんと音を立てて地面に降り立つ音に、恐る恐る我夢は目を開いた。
「……あ」
 バイクはどうやらベルマンを飛び越して地に降りたらしい。またアグルの力を使ったのかと非難して良いやら、ほっとするやらで我夢は止まったバイクから、よろよろと降りた。
「大丈夫か、我夢」
「…梶尾さーん…無茶しすぎ…」
 がくりと膝を付く我夢に手を差し出して立たせようとした梶尾は、ぬっと前に立ちふさがった藤宮を睨み付けた。
「貴様…我夢を誘拐って何をしようと思ったんだ」
「何をしようと?くくく…何を考えているのやら」
 低く笑う藤宮に、梶尾の顔が怒りに真っ赤に染まった。今にも殴りかかりそうな気配に、我夢は必死で梶尾の腕にしがみつき止める。
「止めて下さいってば。どうしてそう仲が悪いんです。もう僕たちには戦う理由なんかないのに」
 もう勘弁して〜というように我夢の瞳がうるうると湿り始める。梶尾はそれを見ると、深く息を吐いてぽんぽんと我夢の頭を叩いた。
「すまん…ちょっと熱くなりすぎた」
「梶尾さん…」
「話がしたかった」
「藤宮…」
 泣く子と地頭には勝てない。いつの時代もそれは当てはまる…二十歳にもなって泣いて止めようとするのが恥ずかしくないのかと言えばアレだが。
「……あるのよねえ、これが」
 梶尾の隣で生きた心地がしなかったジョジーは、ほっと息を吐いた。彼らが戦う理由にほんとに思い当たることがないとしたら、我夢ってば本物の鈍感だわと頭を振ってジョジーは両手を上げた。
「我夢、せっかくだから、ケーキバイキング戻って食べようよ。そこでお話もできるでしょ」
 窓から顔を覗かせてジョジーがにっこりと提案する。今にも涙が零れ落ちそうだった我夢の瞳は、それを聞いて嬉しそうに煌めいた。
「梶尾さん、藤宮と来て下さい。僕はこっちでいきますから」
「なっ…」
 ぽんとヘルメットを梶尾に渡し、我夢はさっさとベルマンに乗り込むと車をスタートさせた。残された梶尾と藤宮は呆然と道路に突っ立っていたが、いつまでもそうしている訳にはいかない。
「………」
 嫌そうにヘルメットを被り、無言で促す梶尾に、藤宮もまた表情を引きつらせながらバイクに乗って今来た道を戻っていった。
「……鈍感でも、最強なんだよねえ…」
「何か言った?」
 るんるんと嬉しそうな我夢に、ジョジーはううんと首を振る。この子なら地球を救えるかもね、とジョジーは溜息を付きながらこっそりと思うのだった。


                                     ちゃんちゃん


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