interval

cup

「あ、いたいた、梶尾さーん」
 今日の当番を終え、チームファルコンと交代して部屋へ戻る前にラウンジでコーヒーでも飲もうかとやってきた梶尾は、突然明るい声に呼び止められた。
「何だ我夢、俺に用か?」
 我夢に突然呼び出されたり、呼び止めれたりした時は何かたくらんでいる事が多いので、梶尾は僅かに警戒しながら訊ねた。といっても、我夢に声を掛けたり掛けられたりするのは梶尾にとって辛いことではない、むしろ積極的に嬉しい方だ。
「明日、非番ですよね?地上に降りるんで付き合って貰えませんか?」
 にこにこと無邪気な笑顔で我夢は梶尾に言った。途端に梶尾は表情が緩みそうになって慌てて咳でごまかし、わざと眉を寄せて詰問するように言った。
「何だ?調査か?…また藤宮絡みじゃないだろうな」
「違いますよ、僕も明日休みなんです。で、友達からチケット貰ったんですけど、一緒に行ってくれないかなと思って」
 ぶんぶんと手と顔を振って我夢は梶尾に応えた。
「もちろん、何か他に用事があるとか、疲れてるから行きたくないとかなら諦めますけど…」
 多少残念そうに言う我夢に、梶尾は少しもったいぶって考えるような態度をとっていたが、期待を込めて見ている目にすぐに堪えきれなくなって重々しく頷いた。
「…まあ、いいか。明日は別に用事はないし…久しぶりに地上で休暇を過ごしても」
「ほんとですか?良かったあ〜。もし梶尾さんが無理ならジョジーかアッコを誘おうかと思ってたんです…でも…あはは、良かった」
 女の子を誘わずに自分を誘って、良かったなどと呟く我夢に、梶尾の胸は高鳴った。我夢が言葉の途中で言いずらそうにしていたのを笑いでごまかした事にも気付かず、梶尾は明日のタヴライナーの時間を確認すると、内心喜び勇んでラウンジへ向かった。
 ラウンジでは訓練の中休みか、クロウの三人組もコーヒーを飲みながらテキストを広げていた。
「どしたの…顔がずーっとにやけてるよ…彼氏」
 暫くして面白がりの慧が梶尾の斜め前に座っている北田に、後ろからこっそり訊ねた。ちらりと視線で梶尾が、と言っている慧に、北田は僅かに眉を寄せて掌で声が聞こえないように応えた。
「デートなんですよ…明日」
「デ!」
 ート、とびっくりして大声で言おうとした慧は、慌てて自分の口を塞ぎ、残りの言葉を噛み殺した。
 ウソ、と目配せで大河原の方にも訊ねる慧は、きっぱり大きく頷かれて目を丸くする。
「……誰と?」
「誰だと思います?」
 こそこそと聞く慧に、北田はにやりと笑って訊ね返した。慧は暫く考えていたが、再び目を丸くしてまさかという表情になる。
「……我夢?」
「当たり」
「なーんだ、そんなのデートでもなんでもないじゃない。また調査かなんかでしょ。びっくりしたあ」
 北田の耳元にかがんでいた慧は身を起こして呆れたように言った。途端にきつい梶尾の視線に合ってぺろりと舌を出す。
「それが、我夢からのお誘いで、ほんとにデートみたいなんですよ」
 梶尾の前に座っていた大河原が酷く残念そうに言った。うんうんと頷く北田に、クロウの他のメンバーもやってくる。
「へえ、我夢からお誘いねえ…どうりで嬉しそうな訳だ」
「よっ、男前!」
 稲城と三島のからかうような言葉に、梶尾はむっと睨み付ける。だがすぐに、いつもの癖で顎に手を当て、梶尾は余裕の笑みで応えた。
「…まあな」
「あ、余裕だ、この人。いいのかなあ…誰かさんが黙って見てる訳ないと思うけど」
 にっこり笑って慧が言うと、梶尾は再び渋面を浮かべ、コーヒーを飲み干すと立ち上がった。その後ろ姿には、何者にも邪魔はさせないという気迫がオーラとなって燃え上がっているように見える。残された一同は呆れたように梶尾を見送った。
「…うまくいくかな」
「賭ける?」
 ちゃっかり梶尾の座っていた席に座り込んだ慧が、両肘をテーブルについて顎を乗せ、むっすりとしている北田と大河原に呟くように言うと、後ろから完全に面白がってるように三島が応えて言った。
「……梶尾さん…」
「大河原…」
 がっくり項垂れて呟く大河原に、北田は慰めるよう名前を呼んだ。しょうがないなあと言うように稲城は慧と三島の肩を叩き、もう行くよと促す。
 残された二人はいつまでもくよくよしてはいられないぞと、明日に向かってエールを上げるのだった。



 次の日、浮かれ気分で我夢とタヴライナーに乗り込み、地上に降りた梶尾は現れた車にぎょっと目を見張った。
「マコト!サンキュ、わざわざごめんな」
「いやいや、我夢のためなら…」
にっこり笑って車から降りたマコトに我夢は嬉しそうに飛びついて礼を言った。それをまんざらでもなく受け取っていたマコトは、驚いて見ている梶尾にちらりと目を向けると、にこりと笑って言った。
「いつも、僕らの我夢がお世話になってます。今日はどうしても我夢が車を貸せって言うもんですから、持って来たんですけど。戦闘機とは違いますからあんまり荒っぽく運転しないで下さいね」
 僕らの、という部分にカチンと来て、更に残りもカチカチと梶尾の逆毛を立たせるような言葉をマコトは発する。どうやらわざと言ってるらしいその言動に、梶尾は頬をひくりとつり上げて、もちろん、と言いかけた。
「梶尾さんじゃないよ。僕が運転するに決まってるだろ、マコト。大丈夫、丁寧に使うから」
「我夢」
「いつもハードに仕事してるんですから、今日くらいは僕がやります。梶尾さんは安心して乗ってて下さい」
 ね、とにっこり言われては自分が運転するとは言いにくい。梶尾は人任せの運転はだいっ嫌いなのだが、今回ばかりはしょうがないかと諦めた。
「気を付けろよ…狼が出るかもしれないからな」
「狼?……うーんと…気を付けるよ」
 ちろりと梶尾を見て言うマコトに、我夢は何でウルフガスやウルフファイアーのことを彼が知ってるのかと訝しみながらも頷いた。そういえば、それらは何かと梶尾に縁があるみたいだし、前回も休暇の時に出てきたし。
「大学に居る時は、狼の群の中に居たって訳か…」
「僕らは番犬役ですよ…」
 我夢に聞こえないほどの小さな声で梶尾はマコトに呟いた。マコトはしれっとしながらさっさと運転席に座ってしまった我夢に手を振って同じく小さな声で応えた。
「アルケミースターズの方がもっと大変だったみたいだけど。ああいう奴だから…」
「梶尾さん、何やってるんですか。早く乗って下さい」
 窓から身を乗り出して梶尾をせかす我夢に、溜息を付いてマコトは呟く。さもありなん、と梶尾は頷き渋々助手席へと乗り込んだ。
「随分マコトと気があってたみたいですね、話し込んだりして」
「え…いや、まあ…な」
 そう言うなり我夢は車を急発進させる。心の準備ができていなかった梶尾は、我夢の無茶な運転に冷や汗を浮かべた。
「もうちょっと丁寧に運転しろっ…我夢っ」
「丁寧ですよー。マコトの奴、お坊ちゃんなのにこのガタの来た車、すっごく大事にしてんですよね。買い換えればって言っても聞かないし、誰にも貸さないんですよ」
 お前には貸してるじゃないか、と心に出さずに梶尾は突っ込む。それだけあいつが我夢に甘いということか。
 そんなやつが大学に居る間に何人居たのやら、と梶尾はむかむかと心に苛立ちが沸き起こって、腕を組み前方をじっと睨んだ。
「そういや、どこへ行くんだ?」
「えっ……と…もうすぐ着きますから…」
 言葉を濁して答えない我夢に、僅かに梶尾の眉があがる。一体どこに行こうというのか、梶尾は暫くして見えてきた建物の影に、まさか、と目を見張った。
「おい…我夢…」
「あっ、あ、あの、すぐっ着きます、掴まってて下さい」
 我夢は梶尾の言葉を遮るようにスピードを上げ、目的地まで脇目もふらずに車を飛ばした。
 ゲートを潜り、半分ほど埋まった駐車場に車を止める。我夢は嬉しそうに車から降りると、梶尾にも早く降りてと促した。
「……なるほど…」
 道理でさっき車まで用意しながらマコト自身が我夢に付き合わなかった訳が分かる。そういえば、車に乗り込む自分に、微かに笑みを浮かべていたっけ、と梶尾は目の前に堂々とそびえ立つ観覧車に吐息を付いた。
「…怒っちゃいました?」
 恐る恐る我夢は梶尾を見て言った。ここは新しくできたドリームパークで、ハイテクやパーチャルを使用した最新の遊具が揃っている、が、結局は遊園地なのだ。
「アッコに言ったら子供じゃあるまいし遊園地なんて、って怒られそうだし。ジョジーはどっちかというと、もっと荒っぽいものの方が好みらしいし、だから」
「俺か?……」
 いい大人の男二人で遊園地など不毛もいいところだ。デートならもっと艶っぽい所へ、と思いかけて、我夢にそんなことを期待する方が間違ってるなと思い直す。
「僕…こういうとこ、来たことないんです。一度来たいと思ってたんですけど、誰も付き合ってくれなくて…あの…やっぱり嫌ですか?」
 がっかりしたように肩を落として俯く我夢に、梶尾は軽く溜息を付くとぽんとその肩を叩いた。
「約束は約束だ。付き合うって言ったんだからな」
「良かった〜、じゃ行きましょ、ほら早くっ」
 途端に、顔を上げにっこり笑ってさっさと手をひっぱり入り口に向かう我夢に、梶尾はなんだか騙されたような気分になって複雑な表情を浮かべた。
「何に乗ります?やっぱりあの観覧車かなー」
「……何でもいいが、手を離せ」
 未だに繋いでいる手に、衆目を集めている気がして梶尾は呟いた。それでも自分から外さないのは男にしては柔らかい手の感触が心地いいからだ。
「迷子になったら困るじゃないですか」
「誰がなるかっ!」
 怒鳴って梶尾は手を振り払う。あたた、と痛みに顔をしかめた我夢に、ちょっとだけ残念だったかなと梶尾は思った。
「もー、梶尾さん乱暴なんだから。あ、じゃあジェットコースター乗りましょう」
 文句を言いながらも我夢は怯まずに近くにあるループがきつそうなコースター乗り場へ向かった。どんな遊園地でもこの手の乗り物は一番人気なので、結構人が並んでいる。
「どんなかなあ…」
 わくわくしている我夢をちらりと見て、梶尾は溜息を付いた。普段から戦闘機などというものに乗ってる自分にとって、このくらいのGはへでもない。それは我夢にしたって同じ事だろう。かなり乱暴にEXを乗り回しているのだから。
「どきどきしてきた…」
「お前なあ…これくらいで…」
 呆れて言いかけた梶尾の手を取り、我夢は自分の胸に当てた。途端に梶尾の身体はピシッと音を立てて硬直する。
「ね、どきどきしてるでしょ。やっぱりEX乗ってても、こういうのって初めてだから緊張するんですよ……、梶尾さん?どうかしました?」
 目を開いたまま身動きもしない梶尾の顔を、我夢は不思議そうに覗き込んだ。カーっと赤くなりぎくしゃくしながら我夢の胸から手をどけ、梶尾は背を向けると片手で口元を押さえた。
「??…あ、次乗れるみたいですよ」
 まだ背を向けている梶尾の上着をつんつんと引っ張り、我夢はゲートに向かっていく。仕方なく梶尾は後に続いたが、今度は狭い座席で密着するような座り方に、更に血圧が上がっていくようだった。
「うわーおっ…風が気持ちいいですねー」
「…ああ」
 途中のスピードが緩まる場所で、我夢は嬉しそうに叫ぶ。梶尾はたったの3分間が酷く長く感じられて、早く終わってくれと心の中で叫んでいた。
「面白かったですね、梶尾さん」
「……」
 コースターから降りた梶尾は近くの木陰にあったベンチにへたり込んだ。嬉しそうにはしゃぐ我夢に、力無く笑いかけ溜息を付く。
「何か買ってきます。喉乾いたでしょ」
 ぐったりしている梶尾に気を遣ったのか、我夢は立ち上がると売店まで走っていった。初めて戦闘機に乗った時より、怪獣と戦った時より緊張して疲れているような気がして、梶尾は嬉しがるどころではない。
「駄目だわ、こりゃ…」
「賭にならないわね」
 そんな二人の様子を遠くからこっそり窺っていたチームクロウの三島と稲城は、呆れたように呟いた。面白そうな見物にせっかくの休暇を潰して後を追っかけてきたというのに、これでは張り合いがない。慧は次の休暇の時に米田とデートするんだと言ってリサーチに余念がなく、別行動を取っていた。
「あの二人でどうにかなるなんて、考えたのがいけなかったかなあ」
 稲城の言葉に、三島もうーんと腕を組んで考え込んだ。奥手で初同士ということもあるが、それより二人は男同士なのだ。どうにかなるなんて考えるのはそもそも違うのではないだろうか。
「今のとこ、邪魔は入ってないから、万が一でも何かはあるかも…」
「…あったら困ります」
「きゃっ…」
 突然隣にぬっと現れた北田と大河原に、稲城と三島は驚いて飛び上がる。隠れていた茂みから飛び出した頭に、目のいい梶尾が訝しげにこちらを見た。
「わっ…」
 慌てて頭を引っ込め、三島はじろりと二人を睨み付けた。
「なんだよ、あんたたち来てたのかい」
「休暇ですから、どこへ行こうと自分たちの自由です」
「……梶尾さん…」
 負けずに言い返す北田の隣で、大河原は悲しそうに梶尾の方を窺っている。
「邪魔しにきた訳?」
 くすりと笑って稲城が問うと、北田は複雑な表情を浮かべて茂みの影から梶尾を見つめた。
「リーダーが幸せなら……俺達はいいんです。せっかくのデートを邪魔なんかしたら、一生恨まれます」
 そこまではいかないだろうと稲城と三島は思ったが、真面目な表情で語る北田に、引きつった笑みを見せて頷いた。
「でも、あんまり嬉しそうじゃないみたいだけどね」
 再び茂みの影から梶尾の方を窺いながら稲城が言うと、他の三人の目も梶尾に注がれる。我夢はまだ戻って来ず、梶尾は何かを真剣に考えているような表情で指を組み、じっとその手を見つめていた。
「こういうことは、考えて段取り踏んだってしょうがないのに。梶尾リーダーってばほんとマジなんだねえ」
 感心したように呟く三島に、北田と大河原は複雑な表情を浮かべ顔を見合わせた。こういう時、応援するのが本当の仲間なのだろうか。
「あ…」
「ええっ…!」
 稲城と三島の口から同時に驚きの声が漏れる。何事かと、北田と大河原も覗くと、ベンチに我夢がソフトクリーム2本にジュースのカップを持って帰ってきた所だった。
 だが、それに続くおまけの存在に、顔を上げた梶尾の眉がきりきりと吊り上がる。
「お待たせしました。ちょっと持ちきれなくて」
「バイトでも雇ったってのか」
「あいにく、金には困ったことなどないからな、バイトなぞしたことはない」
 我夢の後ろには相変わらずの黒ずくめな格好に、両手にポップコーンのカップというミスマッチな姿の藤宮が皮肉っぽい笑みを浮かべて立っていた。
「ありがと、藤宮。梶尾さん、ポップコーン食べます?キャラメル味なんですよ〜ここの、面白いから買ってきちゃいました」
 二人の間に散る火花にまったく気付いていないのか、我夢はソフトクリームを梶尾に手渡すと、藤宮の手からポップコーンを受け取り、ベンチに座り込んで食べ始めた。
 当然のように我夢を挟んだ梶尾の反対隣に藤宮が腰を下ろす。
「……うっわぁ…異様…」
「我夢ってば…すごいわ、あの子」
 三島と稲城が感嘆の声を上げる。あの三人の半径5メートルほどに、家族連れや普通のカップルで賑わう空間とは異質な空間が突如現れたようだった。
 それにまったく気付かず、美味しそうにポップコーンとソフトクリームとジュースを飲食している我夢に呆れたような感心したような目を向ける。
「早く食べないと溶けちゃいますよ」
「あ…ああ」
 ぱくぱくと食べている我夢に言われ、梶尾は観念したようにソフトクリームに口を付けた。あまり甘い物は得意じゃない梶尾は、噎せそうになりながらもそれを食べ始める。ちらりと我夢の向こうを見ると、藤宮は無表情にコーラのカップに口を付けていた。
「…我夢…付いてるぞ」
「え?」
 ぼそりと呟いた藤宮は、我夢の顎を指先でひょいと自分の方に向けると、その唇の脇に付いたクリームをぺろりと舐めた。途端に梶尾の手に力が入り、握られていたソフトクリームのコーン部分が潰れてたらたらとクリームが滴り落ちた。
「何すんだよ、藤宮。子供じゃないんだから…わっ、梶尾さん、手!」
 藤宮の顔を押しやり、文句を言いかけた我夢は、隣の梶尾を見て慌ててハンカチを探しだす。が、慌てているためかなかなか見つからず、焦れた我夢はぱっと梶尾の手を取ると、流れ落ちているクリームを舐め始めた。
「ばっ…き、汚いだろっ」
「でも、服汚れちゃう…」
 一瞬硬直していた梶尾は、真っ赤になると我夢の手を振りほどきポケットからハンカチを取り出して拭いた。
「うあ〜、なかなか壮絶な…」
「我夢って…解っててやってんのかな」
 顔を見合わせ、引きつりながら稲城と三島は感想を漏らす。
「がんばれ…リーダー…」
「梶尾さん…」
「あれ、あんたたち、反対なんじゃないの?二人の事」
 ぼそりと呟き、拳を握りしめている北田と大河原に、三島は不思議そうに訊ねた。
「あいつにだけは負けて欲しくないんです」
「梶尾さんは何でも一番が似合う人だ…」
 こいつらも結構危ないんじゃないかと稲城は頬を引きつらせて苦笑を浮かべた。三島は二人を呆れたように見ていたが、我夢の方に目を転じてぽんぽんと稲城の肩を叩く。
「どっか移動するみたい」
「うーん…ま、こうなったらとことん成り行きを見守ろっか」
 最初はちょっとだけ様子を見て、後は遊ぼうと思っていた稲城だったが、藤宮が出てきたことで先行きがとっても気になる。まさか喧嘩沙汰にはならないと思うが、万が一そんなことになったら、天下のXIGが男を取り合って喧嘩したなどみっともなさすぎる。




 我夢は二人があまり口を付けなかったポップコーンも全て平らげると、ゴミを捨てて次へ行こうと梶尾を促した。
「…何で着いてくるんだ」
 次は何に乗ろうか〜などときょろきょろ辺りを見ている我夢の後ろで、梶尾は当然のように着いてきた藤宮に低く恫喝するように言った。
「別に、着いて歩いてる訳じゃない。俺がどこに行こうと俺の勝手だ」
 見下したように薄笑いを浮かべながら平然と言う藤宮に、梶尾は思わず腰に手を伸ばしそうになった。いつもの制服ならそこにはジェクターガンが装備されているのだが、私服でそんなものを着けてる訳はない。
「短絡的な思考は己の身を滅ぼす元だ…少し頭を冷やした方がいいな」
「…お前にだけは言われたくないね」
 自分の作ったコンピュータに騙されて危うく人類を抹殺しようとした奴に言われたくないと、梶尾は苦々しく呟いた。藤宮は僅かに怯んだように目を伏せたが、次には不敵な表情で梶尾を見据える。
「二人とも、見つめ合ったりして仲いいなあ。早く行かないんなら僕一人で乗っちゃいますよ」
 いつのまにか足を止めて睨み合っていたらしい。先の方まで進んでいた我夢が走って戻ると、二人に向かって拗ねたように言った。
「な…何を」
「どうやったらそう見えるんだ…」
 二人はその言葉に力を失い、睨み合うのも馬鹿馬鹿しくなって、早くと促す我夢に向かって歩き始めた。
 次に乗る物を決めて走っていった我夢は、近道を通ろうとして道ばたの茂みの間を抜けようとする。
「わっ…」
「えっ?あ、あれ…瀬沼さん…」
 ばき、と低い音がして我夢はぎょっとし飛び退いた。足を押さえながら茂みの中から現れたのは地上秘密部隊?のチーフ瀬沼で、気まずそうに我夢を見つめている。
「どうしたんですか?こんなとこで。あ、もしかして何か事件ですか?」
「い、いや、そうじゃない…」
 何事かと近寄ってきた梶尾と藤宮にも囲まれて、瀬沼は冷や汗を浮かべながら両手を肩まで挙げて答えた。
「あー、その…つまり…コマンダーの依頼で…」
「コマンダー?…何で」
「休暇の時まで見張られてるってのは、やりすぎだと思うな」
「……」
 瀬沼は三人の非難の視線にたじたじとして、脱兎のごとく駆け去ってしまった。
「ったく…私ら素人が見つからないのに、なんでプロがあんな簡単に見つかるんだよ」
「んー…何でも油断は禁物ってことじゃない」
 舌打ちして三島が言うのに、稲城は微笑みながら応えた。このリーダーもやっぱりよくわかんない性格してるよ、と三島は声に出さずに思ったが、あの梶尾やあの米田よりはちょっとはましなのかもしれないと思い直した。
「あーあ、まったく、コマンダーってば、いつまでも僕を一人前として見てくれないんだから…そんなに頼りなく見えるかなあ」
 我夢のぼやきに梶尾と藤宮はたらりと冷や汗を流した。石室の心配はそんなことではなく、梶尾とのデートの成り行きや、こうして藤宮が出てくるのではないかということだったのだろう。…それは確かに鋭い洞察で、自分たちはこうして我夢の周りでうだうだやってたりするわけだし、と梶尾は石室の推察に感心した。
「…どうする?戻るか?」
 あんなのに見張られていると知られてまで、デートを続ける気があるのかと梶尾は我夢に訊ねた。我夢は暫く考えていたが、やがて首を横に振るとにっこり笑って梶尾と藤宮を見つめた。
「今日一日は休暇です。藤宮も来てくれたんだし、遊ばなきゃ損ですよ。瀬沼さんのことは気にしないで遊びましょう」
 いつも怪獣や得体の知れない事件等で走り回ってる昨今、こうして何も考えずに楽しく遊べる日はもう無いかもしれないのだ。
 我夢はそういうと、二人の手を取り次の乗り物へと向かっていく。あくまでタフで現実認識が高い我夢の行動に、梶尾と藤宮は苦笑すると後に付いていった。
「やっぱ凄いよ…あの子」
「うう…」
 感心する稲城に北田と大河原は複雑な表情を浮かべて、隠れながら後に付いていく。応援したい気持ちと破綻して欲しい気持ちとがせめぎ合っているのだろう。
「あ、あんなとこ入ってく…大丈夫なのかなあ」
 こそこそと後を着けていた四人だったが、あまり人気のない建物に入っていく三人に、三島は面白そうな声を上げた。
「ここは…?」
「ミラーハウス、迷宮のリリア…ですって。なんか聞いたことある名前ですね。入ってみましょうよ」
「……なんか、やばそうな名前なんだが…」
「怖いのか」
「何!んなわけないだろ」
 覚えのある名前に、梶尾は一瞬躊躇する。だが、間髪入れずに呟かれた藤宮の一言に、かっとなって先頭を切って中に入っていった。
「あ、待って下さいよ、梶尾さん」
 慌てて梶尾の後に続き、我夢も入っていく。残された藤宮は、ふっと溜息を付くとちらりと建物を見上げ入っていった。
「…どうする?出てくるまで待つ?」
「それしかないでしょうね」
「んー…ミラーハウスってチープな割に妖しげだから、中で何かありそうなんだけどなー」
 残念そうに三島は拳を握りしめて言った。最初は単なる物見遊山だったはずなのに、かなり入れ込んでいるらしい。でも、中にこの人数が入ってしまえば、絶対見つかってしまうだろう。
「…いや、大丈夫です」
「げっ…!」
「わぁっ…」
 建物の前に佇む四人の間に、ぬっと瀬沼が割り込んできた。突然の出来事に四人はぎょっとして瀬沼を見つめる。
「こんなこともあろうかと…さっき小型マイクを高山さんの服に付けておきました」
「…さすが秘密部隊…」
「ってゆーか…それっていいのかなあ」
 苦笑しながら見る稲城に、瀬沼は自信たっぷりに頷くと、小型マイクのスイッチを入れ、イヤホンを耳に押し込んだ。
 ミラーハウスの中は、短い通路が鏡とガラスで区切られ、どこが通路でどこが行き止まりか解らない仕掛けになっている。もっとも、小さな建物の中なのだから、それなりにちゃんと手を壁に付けながら歩いていけば程なく出口に辿る付ける筈だ。
 途中途中に簡単な仕掛けがしてあり、どんでん返しや光の暗明で普通のミラーハウスよりは手が込んでいるようだったが、子供だましには違いない。
「へえ…結構綺麗ですね…」
「我夢、あんまりうろうろするな。こういうのは、右なら右をずっと手で辿っていけば、出口に着くんだからな」
「そうですけど…あ、こんなとこが開いてるのか」
「お、おい、我夢」
 子供のようにあちこち触りまくり、うろうろしている我夢の後から着いていった梶尾は、突然その姿を見失って狼狽えた。
 周りは自分の姿ばかりで、そういえば藤宮の姿も見えない。
 梶尾は焦ってしゃにむに突き進む。当然、前が素通しだと思っていたガラスにぶち当たったり、人影だと思っていくと自分だったりで、しまいには切れて全部ぶち壊してやりたいとすら思ってしまった。
 我夢の姿が見えないことに不安が増大する。あの時…律子と一緒に敦子を捜しに行った時のように、失うかもしれないという得体の知れない不安。最近…でもないが、我夢は無茶をし過ぎる。まるで自分の命など小石よりも軽いものだというように、危険に自ら飛び込んでいって。
「わっ!」
 突然後ろから大きな声を掛けられて、梶尾は数十センチ飛び上がった。振り向くと、悪戯が成功して満足そうな子供の表情の我夢がにっこり笑って立っていた。
「あは、驚きました?」
「我夢…」
 梶尾は我夢の両手を掴むと引っ張った。胸に抱き込まれ、強く抱きしめられて我夢は驚愕に目を見開いた。
「か、梶尾さん…?」
「どこへも行くな…俺の前から消えるな…」
 ぎゅっと強く抱いてないと、また消えてしまいそうで梶尾はそのまま我夢を抱きしめていた。だが、じっとしていた我夢が僅かに身じろぎをするのに、漸く自分がしていることに気付いてぱっと身体を離す。
「す…すまん……俺は…」
「僕は、どこにも行きませんよ…」
 ふっと笑って我夢は自分から梶尾に抱きついていった。確かめるように背中に手を回し、ぽんぽんと宥めるように叩かれて、梶尾はほっとすると同時に今更気恥ずかしさに顔を赤く染めた。
「我夢……」
 何ですか?というように我夢が顔を上げて梶尾を見た。未だに腕の中にいる我夢に、梶尾の期待値が高まっていく。
 そっと顔を近づけ、きょとんと見ている我夢に口付けた。
 かさついてはいるが柔らかい唇の感触に、梶尾の理性は崩壊寸前で、腕にきつく力がこもる。
「う…いた…い…梶尾…さん」
 吐息と共に唇が離れると、我夢の口から小さく非難の声が漏れる。梶尾ははっとして腕の力を緩めた。でも、まだ腕の中から逃がそうとはしない。
「随分見せつけてくれるな」
 今まで自分たちの影だと思っていた黒い物体が動き、二人の隣にぬっと現れた。
 藤宮はまだ抱きしめている梶尾の腕を我夢から引き剥がし、自分の方に抱き寄せようとする。それをさせまいと、梶尾は我夢の腕を掴み引っ張った。
「いたっ…痛いっ…引っ張んないで」
 狭いガラスの器の中で暴れ回っているような感じになり、引っ張られては鏡にぶつかったり、なんだりで我夢は悲鳴を上げた。
「もうっ…いい加減にして下さい」
 ぱっと我夢は二人から離れ、鏡の間をするりと抜けて見えなくなってしまった。残された二人は、狭い空間の中で睨み合う。
「これくらいで手に入れたと思うなよ」
「何っ!お前こそ、単なる我夢の昔の知り合いなだけだろうが。ちょろちょろストーカーみたいに我夢の周りにうろつくのはやめて貰おうか」
「ふっ……」
 余裕の薄笑みを浮かべ、藤宮は鏡の中に消える。梶尾は後を追おうとしたが、ガラスにぶち当たり、鼻先を押さえて涙目になりながら、出口を探して迷宮の中をうろうろと彷徨った。
「我夢」
 漸く出口を見つけて抜け出した梶尾は、建物の隣にある池の側に佇む我夢に走り寄っていく。藤宮は側に居ないようだ。
「………」
 黙って見つめてくる我夢に、自分のした事を思い出して梶尾は僅かに狼狽えた。
「……あ…と…何か喰うか?」
「…」
「いけいけ、そこっ」
「しっかり」
「…リーダー」
 ぼそぼそと茂みに隠れている四人が応援する中、梶尾と我夢は黙ったまま暫く見つめ合っていた。
「…事故ですか?」
「え?」
「さっきの…あれ」
 我夢の問いに梶尾はぶんぶんと首を横に振った。我夢は指を唇に持っていき、僅かに噛みしめてちらりと梶尾を見上げた。
「なら…いいです。お腹空いたあっ、あ、あっちにレストランありますよ、梶尾さんのおごりぃっ」
「おいっ、我夢、ちょっと待て…今の…こらっ…」
 走っていく我夢を追いかけて梶尾も走り出す。残された四人…と、いつのまにかその後ろにいた瀬沼は、大きく溜息を付いて隠れていた場所から出ていった。
「なんだかなあ…」
「幸せそうでいいんじゃないですか」
 瀬沼の一言に、ほんとかそれ?とみんなは思ったが、これ以上追っかけるのも馬鹿馬鹿しいかと、打ち上げするか〜という稲城の言葉に同意して歩き去った。
「いつか…必ず…」
 明るい昼間の日差しの中に、ぽつんと黒い影が落ちている。隣を不審げな目で通り過ぎる家族連れの視線にもめげず、藤宮は不敵に呟いて笑みを浮かべた。


                                ちゃんちゃん


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