Hold on Baby
 風に流れる緑の香りが濃くなり始め、木々の緑も青々と彩を増していく季節がやってきていた。新入生達の浮かれようも落ち着き、そろそろ人間関係も出来てきて学校の中は明暗躁鬱それぞれに生徒達が行き交っている。
 私立山海高校は一昨年の暮れに大打撃を受け、一時は廃校ということも考えられたが、見事に復興し現在はぴかぴかの新校舎が建てられている。だが、彼らが時を過ごした超常現象研究会部室のような古い建物はなくなってしまっていた。
 「リュウ、美奈子ちゃんのとこに行くのか?」
 珍しく正門前から外へ出ていこうとしている竜に炎は自転車で隣に付け、話しかけた。竜は僅かに頷くと再び歩き出そうとする。
 「そっか…じゃこれ、見舞いだって渡してくれ」
 ぽんと炎が放った物を受け取った竜は、それを見た。小さな包み紙は女の子っぽい模様が描かれているが、中身がなんなのかは判らなかった。
 「これは…」
 「ちょっと実家に帰ったら出てきたんだ。俺には必要ないもんだし、貰ってくれると嬉しい」
 な、と笑って炎は言い、ペダルを踏んで竜の先に外に出ていった。
 不審そうに見ている竜を残して坂を下った炎は、そのまま馴染みのゲーセンへと向かう。受験生となってもそうそう生活態度が変わる訳ではないし、今は煩い風紀委員長は居ないのだ。
 翼はアメリカに留学し、海と森は山海大学にそのまま合格して入学した。高校と大学は背中合わせのようにキャンパスが別れていて、入り口も別だしその間には広大な敷地と山林が広がっているためあまり交流が無い。
 おかげで、二ヶ月前に彼らが卒業してから、一度も会っては居なかった。生真面目な海は単位をきちんと取るため、森はナンパで、きっとそれぞれが忙しい毎日を過ごしているのだろう。
 「…にしても、いい加減会いに来たってよさそうなもんだろ」
 ぽつりと呟いて炎は海岸線に自転車を停めた。目の前には海が広がり、振り返ると山の中腹に大学の建物の一部が見える。  むっとそれを睨み付け、炎は再びペダルを踏んで自転車を走らせた。
 海は卒業の日、炎に想いを告げ、炎もそれを受け入れた。男同士がどうとか、モラルがどうとか、そんなものは丸めて捨てて、お互いだけを見つめて愛し合った。
 以来、海は炎の前に現れない。すれ違ってばかりのスケジュールのうちに、新学期は始まり、あっと言う間にこんなに時間が経ってしまっていた。
 意地を張って自分からは絶対訪ねて行くことはしないと思っていた炎だったが、はたと気付いたことに呆然とする。炎は海の自宅を知らなかったし、学部も時間も何も知らないのだ。会いたいと思っても、どこに行けば海に会えるのやら。
 在学中は向こうからやってきたし、ダグベースのあった跡地やら学校帰りのゲーセンやらで会っていたのだ。
 初めての場所は炎のアパートだったし…三年になってからマンションに引っ越した。当然引っ越し通知などというものを出したりはしてないから、海の方も炎の家を知らないだろう。もっとも、海ならばその気になれば調べることなど容易だ。信用されている海は名簿など簡単に見せてもらえるだろうが、炎の方はそうはいかない。
 という訳で、会うにはあの大学に行くしかなく…だが、高校の三倍は広いと言われているあの場に行って探し回るのもなんだかしゃくに障るので、未だに会えないまま現在に至っているのだった。
 もしかしたら、抱き合ってしまったことで幻滅しているのかもしれない。潔癖性の海だから、自己嫌悪に落ちて会いたくないのかもしれない…もしかしたら…嫌になってしまったのかもしれない。
 いくつもの『もしかしたら』がここ数日頭の中に渦巻いて、炎は溜息付いてばかりを繰り返していた。こんな自分はすっごく嫌だし、はっきりしないのは身体にも悪い。
 こうなったら、校長に掛け合って海の自宅を教えて貰おうかと考えつつ、炎は校内を歩いていた。
 「エン」
 「よお、何だ?」
 三年になっても違うクラスだった竜に廊下で声を掛けられ、炎は足を止めた。こんな時間に竜がちゃんとこの場に居るなどと珍しいことだと炎は思って次の言葉を待った。
 「明日、暇か?」
 「あした?…ああ、まあ暇っちゃ暇だけど…」
 明日は土曜日であり、炎は取りあえずやっぱり大学に行ってみようかと考えていたのだ。
 「付き合ってくれないか」
 「いいけど…で、どこに?」
 またもや珍しいと思いつつ、炎は訊ねた。
 「美奈子と出かけるんだが、あいつはお前と会いたいと言ってきかないんだ」
 「出られるのか?美奈子ちゃん」
 「ああ。だいぶ具合がいいから久しぶりに街へ連れていってやることにした」
 驚いて訊く炎に、竜は微かに嬉しそうな笑みを浮かべて応える。身体が弱く入院し続けている竜の妹に、炎はちょくちょく見舞いに行っていたが、外で会ったのは初めて出会った時だけだった。
 「そうかあ…そりゃ嬉しいだろうな。あ、でも、せっかくの兄妹水入らずに俺がいちゃマズイんじゃねーの」
 竜は炎の言葉に首を振る。
 「いや、エンお兄ちゃんと、リュウお兄ちゃんとデートしたい…そう言っている」
 「はぁ…そう。判った、いいぜ」
 「感謝する…」
 「ばーか、いいって」
 僅かに目を伏せて礼を言い、自分の教室に入っていった竜を見送り、炎も海のことは次の機会にするかと考えつつ、自分の教室に入っていった。


 「ねえねえ、今度はあそこに入りたいっ」
 「美奈子!」
 「よし、行くぞ」
 手を引っ張り、ファンシーショップへ入りたいと駄々をこねる美奈子に、竜は難しい顔をして窘めた。さっきからこの手の店ばかりに入っては、可愛い小物を自分ではなく竜に付けさせて遊ぶ妹と炎にほとほと手を焼いていたのだ。
 だが、隣で炎も竜の腕を取り、中へ連れ込もうとする。まるで、傍目には彼女と彼氏、おまけの子供という風に見える光景だ。
 「あれれ…どこかで見たようなと思ったら…久しぶりだな、二人とも」
 「シン!」
 連れ込まれまいと足を踏ん張る竜と、引っ張る炎は同時に声のした方を見た。そこには懐かしい人間が立っていた。
 「…カイ……」
 驚いたようにこちらを見ているのは確かに海で、炎は目を見開いて彼を見つめた。見慣れた制服ではなく、しゃれた服を着こなし、同じようにおしゃれに決めた森の隣で立っている様は、若者向けの雑誌の1ページのようである。
 「デートか?」
 にやにやとしながら森が炎に訊いてくる。
 「んな訳ねーだろ!」
 「シン、行くぞ」
 舌を出して否定する炎に、そりゃそーだと頷いた森は、苛ついた海の声に振り返った。
 「何だよ、久しぶりに会ったんだから、お茶でも飲んで行こうぜ」
 「お前はナンパしにきたのではないのか」
 「…そ、そうだけど……」
 びっくりして見る森に、海は踵を返し行こうと促した。
 「待てよ、カイ…カイっ!」
 慌てて二人の方と海の交互を見ながら森は引き留めようとした。だが、海は振り返りもせずにスタスタと歩いていってしまう。仕方なく森は二人の方に困惑した笑みを見せると、海の後を追った。
 「…………」
 「どうしたの、エン?」
 ぎゅっと拳を握りしめ、海の背中を睨み付けている炎に不安そうに美奈子が声を掛ける。はっと気付いた炎は、無理に笑みを浮かべると竜に店に入ろうと促した。
 「カイと何かあったのか?」
 美奈子を病院に送った後、歩きながら竜は炎に訊ねた。ぴくりと炎の頬が動き、否定しようとしたが、竜をごまかせる訳がないかと思い返し、通り道の公園へ誘った。
 「なーんにも無いから…わかんねえ」
 ブランコに乗り、炎は投げやりに応える。竜は僅かに眉を潜め、隣のブランコに乗ると黙ったままゆっくり揺らし始めた。
 「なんか嫌われるようなことしたかなあ、俺」
 「するもなにも、卒業してから会っていないだろう」
 「……だよな。会ってないんだよな………」
 炎は溜息を付いて天を見上げた。さっきの海の態度は頭に来るのを通り越して、不安が黒い雲のように湧き起こってくる。  会えないのではなく、会いたくなかったのか、海は。森のナンパは判るけど、信じられないが海も女の子を誘いに来たのだろうか。
 「あーっ!わっかんねえっ!」
 ぱりばりと頭を掻きむしり、炎は大きな声で喚いた。こんなもやもやした最悪気分はもーう嫌だ。何で海一人のためにこんなに悩まなければならないんだ、と炎は顔を上げて立ち上がった。
 「エン?」
 「決めた!俺、月曜日学校ふけっから」
 にやりと笑って炎はまだブランコに座っている竜を見た。竜は溜息を付き、立ち上がると頷いて炎の肩を叩く。
 「法学部の教養課程、第十五教室だ」
 「へ?」
 「カイの…月曜日一時限目の講義」
 竜の言葉に、炎は目を見開きむっとして言った。
 「知ってんなら早く教えてくれりゃあいいのに」
 「俺に訊いたことがあるか?それに、カイが受験するときにお前も居る前でそう言っていたぞ」
 そうだっけ、と冷や汗を浮かべながら炎は竜に笑い掛ける。それにしても、教室の番号まで知っているのはさすがに竜というところだろうか。
 「きっちり決着を付けて来い……そうしたら俺も…」
 そこまで言って口を閉じた竜に、炎は怪訝そうな視線を向けた。だが、竜は続きを言うことは無く、顔を逸らして歩き出してしまう。
 「決着か…」
 炎はぽつりと呟くと竜の後を追った。
 私服の男女の群は高校でもおなじみの筈なのに、炎は大学の構内に一歩入って茫然と立ち止まってしまった。綺麗に着飾ったお姉さんから、一体いくつなんだこいつは、と思うようなおっさんじみた者も居る。
 「…と…いつまでもこんなとこでぼーっとしてる訳にはいかないな」
 校内に一般人は出入り自由であるからして、炎も堂々と中へ入っていく。ただ、校舎の中に入る時は僅かに躊躇いを覚えたが、意を決して入っていった。
 十五教室を探し歩いているうちに、チャイムが鳴りざわめいていた校内が静かになる。だが、高校のようにみんなが皆講義を受けている訳ではないから、それなりに人は歩いていた。
 「やっべー、始まっちまった」
 「そこの君、ちょっと」
 ぎく、と炎は後ろから声を掛けられて身を縮めた。恐る恐る振り返ってみると、美人のお姉さんがにっこり笑って自分を見ている。俺?と自分の顔を指で指し示す炎に、その美女は軽く頷いて手で招いた。
 「な、何か?」
 「見学?君高校生でしょ。今日は授業は無し?」
 畳みかけられるように訊かれ、炎はたじたじと下がった。
 「見学もいいけど、授業をさぼるのは感心しないわねえ、そんなことしてるとここに入れないわよ」
 「し、仕方ないだろ。どうしても会わなきゃなんねー奴が居るんだから」
 反論する炎に、彼女は興味深そうな表情を浮かべた。
 「そう。それじゃ仕方ないわね。で、誰なのかしら?」
 「広瀬 海」
 山海高校では誰でも知ってる名前だったが、大学ではどうだろうかと思いつつ炎はその名を口にした。途端に彼女は目を見張り、くすりと笑って炎の腕を取った。
 「何…」
 「広瀬くんなら、まだ講義受けてるから、終わるまでお茶でも付き合って」
 「カイを知ってんのか?」
 炎の問いに彼女は何も言わず、そのまま構内にある喫茶室まで連れてきてしまった。椅子に座らせ、自分も向かい側に座ると、彼女は白くて長い指を組み、顎の下に当ててじっと炎を見つめた。
 「カイは…」
 「心配しなくても、講義が終わる時に連れていってあげるわよ。……君、大堂寺 炎くんでしょ」
 「何でそれ!」
 名前を当てられて炎は驚いて彼女を見つめた。
 「よく広瀬くんの口から出てるもの、その名前。高校時代の後輩でどうしようもない問題児だった…って」
 その言葉に、炎はむっすりと口を曲げ、そっぽを向いた。一体大学に来てまで何を言いふらしているのやら、全然思い出しもしないよりはましかも知れないけれど。
 結局海は炎をそういう認識でしか見てなかったのか。海が嘘や冗談を言ったりしないと思うから、あの告白は本気だったのだろうけど、あの時だけのことで、もう好きでもなくて…こんな綺麗な女の人に迷惑めいた顔で自分のことを話していて……
 どんどん暗くなっていく自分の考えに炎は考えを放り出した。
 大体向こうから告白してきて、初めての時だってあんな痛い思いして…海は気持ちよさそうだったのに…自分も海が好きだから受け入れたのに……あったまきた!もう知らん、と炎は無意識のうちに立ち上がっていた。
 「どこ行くの?」
 「……え?…」
 彼女のことなど頭から消していた炎は、声を掛けられて再び視線を戻した。彼女の瞳にはまだ面白がっている光が見えている。
 「…カイに、大馬鹿野郎!って言っといて下さい。じゃ…」
 言い捨てて歩いていこうとする炎の腕を、また彼女はがしっと掴んで離さない。
 「そういうことは、自分で言わないとね。そろそろ講義も終わるから、行きましょうか」
 見かけに見合わぬ強い力で炎の腕を引っ張り、彼女は講義室に向かうと終わったばかりの室内に声を掛けた。
 「広瀬くーん、お友達が来てるわよ」
 じたばたと逃げようとしていた炎は、室内に押し込められ一斉に視線を浴びてしまった。
 「エン…何しにきた」
 最前列に居た海が眉を潜め、ゆっくりと近付いてくる。制服も着ていず竹刀も持っていない海は、まるで違う人間のようで、炎は目を瞬かせた。
 「今は授業中の筈。またさぼったのか、お前は!全く、受験生だというのにその調子では、到底大学になど受からないぞ」
 「受からなくて結構!誰がお前の居る大学なんか受けっかよっ!もう二度と来ねーから、安心しろよ、邪魔したなっ」
 頭ごなしに叱られ、炎はカーッと頭に血が上ってそう怒鳴ると踵を返し走り出した。彼女が後ろから何か声を掛けていたようだが、そんなことを気にしてられない。ただ、久しぶりに聞いた海の言葉があれだったのがショックで、ショックを受けている自分にまたショックを受け、炎は走り続けた。
 最悪のケリの付け方に、炎は溜息を付いて学校へ戻った。もう授業に出る気は全然しなくて、裏山に入っていく。昔より木々が少なくなり、地形が変わってもまだまだ広く人の入ってこない空間は炎には嬉しかった。
 森の奥に入り、昼寝用に確保してある一本の木の根本に座り込む。
 「決着付けてきたのか」
 ふいに竜が現れ、隣に座り込んだ。炎は膝を抱えて大げさに溜息を付いてみせ、あっさりと言った。 「とっくに付いてたらしい…あっちは」
 不審そうに見る竜に、笑い掛け炎はことの次第を話した。
 「…ってことで、カイはもう彼女も出来てるし、俺のことは忘れたいんじゃねーの。恥ずかしい青春の思い出ってやつかな」
 まあ誰にでも過ちの一つや二つはあるし、海にもそれがあったってことは画期的なことだな、と炎はにやりと笑って言った。
 「……エン」
 竜の手が伸び、炎の頭を抱え込むように抱きしめる。炎は驚き抵抗しようとしたが、ただ、そのまま自分の胸に頭を抱き寄せる竜に、目を閉じた。
 「今日だけ…だからな…こんな俺」
 「判ってる……」
 優しい沈黙が二人を包み込んで流れていった。


 次の日炎は竜と話しながら学校を出ようと歩いていたが、前方の校門前に人だかりが出来ているのを見て首を傾げ近付いていった。
 「何でこんなとこに人が溜まって…げっ」
 校門の外に、海が厳しい表情で立っていた。この界隈で海のことを知らない者は居なかったが、それも制服姿に竹刀という格好ならではである。今の私服をびしりと決めて立っている様は、雑誌のモデルかとも思うほどで、みんなは遠巻きに憧れの視線を海に向けているのだった。
 そんな視線をまるで気にせず、ただじっと出てくる者を見つめていた海は、竜と共に歩いてきた炎を見出すと柳眉を上げ、ゆっくりと近付いてきた。
 「に…逃げてもいいかな……」
 「お前の性には合わないだろう」
 こそこそと冷や汗を浮かべながら小声で隣の竜に呟くと、そう返される。確かに逃げるなんて性分ではないが、何だかすごーく嫌な予感がするのだ。
 「エン、話がある」
 「…俺は無い!この前ケリは付いたんだ」
 堅い声音で言われ、炎はびくりとしたものの否定して歩きだそうとした。
 「決着…だと?」
 不審そうに眉を潜め、海は炎を睨み付けた。負けずに睨み返す炎に、周囲の者は固唾を飲んで見守っている。
 「カイ…こんな所で修羅場をする気か。迷惑だ、別の場所でやれ」
 「り、リュウ…」
 ぶっきらぼうに言って踵を返す竜に、味方してくれると思っていた炎は驚いて声を掛けた。だが、竜はそのまま振り返りもしないで去っていく。
 「確かに…行くぞ、エン」
 「行かねーよ……って、オイ、何すんだよっ!」
 ふん、と顔を背けて歩き始めようとした炎の腕を取り、海は強引に引いた。抵抗しようとする炎をものともせず、車通りの多い道路まで行くとタクシーを停めて乗り込ませる。
 乗り込んで黙ったまま怖い顔で座っている海に、炎はむすっとしながら外を同じく黙って見ていた。ただ、窓に映る海の顔を見ていると、ちょっと胸が痛む。何にそれほど怒っているのか、怒りたいのは自分の方だ。
 タクシーが停まった所は炎の住んでいるマンションだった。驚いて見上げる炎の腕を取り、海は迷わずに炎の部屋へと向かっていく。
 玄関の前まで来ると、びたりと足を止め、海は炎の方を見た。
 「鍵は」
 開けるのが当然、といった顔で促され炎はむっとしながらも鍵を取り出し、扉を開けた。そのまま自分だけ入って閉め出してしまおうかとも一瞬考えた炎だったが、先に海に入られてしまい断念する。 内心舌打ちしながら炎も中に入り、扉を閉めた所でいきなり両肩を押され、その扉にぶつけるように押しつけられてしまった。
 「いてっ…何す…」
 背中を打ち付けた痛みに文句を言いかけた口を海の唇が塞ぐ。強く押しつけられ、貪るように口付けられて、炎は目を見開き海の肩口を握りしめた。
 海は炎の堅く結ばれた唇をこじ開け舌先を滑り込ませていく。激しく蠢き、炎の口腔を探っていた海の舌は目的の物を見つけると絡ませ吸い上げた。
 「…んっ……く…」
 息が続かなくなり、炎は喉を詰まらせたような声を上げて海の身体を押し戻そうと腕を突っ張った。
 「はっ…はあ…はあ…」
 漸く海の口が離れ、その舌先は炎の口から飲みきれずこぼれ落ちた唾液の流れを追いながら首筋へと移っていく。空気を欲して喉を鳴らし、喘いでいた炎は海の手がベルトとジッパーに掛かるのに気付くのが遅れた。
 「あっ…?」
 海の手は素早く中へ滑り込み、直に炎自身を握り締める。その手を引き離そうとしても、海の身体に遮られ、肩に掛かったままの手には力が入らなかった。
 首筋や鎖骨の辺りに舌先を這わせながら、海は性急に炎自身を高めていく。愛撫を続けながら、もう一方の手で背中を撫で、腰に手を這わせて邪魔なジーンズと下着を引き下ろした。
 頼りなくなった下半身に、炎はカッと赤くなり、身じろいだ。何とか海を退けようとしても、今度は膝あたりに絡まった自分のジーンズのせいで動きようが無い。
 「か…カイ…」
 海はゆっくり身を沈め、炎の前に跪くと手で愛撫していた炎自身を口に含んだ。十分に育ちきっているものを舐め上げ、唇で扱いていく。
 炎は身を屈め、下半身で動いている海の頭に手を掛けると何とか引き剥がそうとした。だが、その手は添えられているだけになり、いつしか海の口の動きに合わせて炎の腰が揺らめく。
 「はあぁっ…あ……」
 先端を舌先で割られ、炎は堪えきれず果ててしまった。
 がっくりと力を抜き、寄りかかる炎の腰を支え、海はごくりとそれを飲み込む。まだ炎の放ったものが残る自分の口に指を入れたっぷりと濡らすと海は、受け入れてくれる場所へ挿入していった。
 「…い…痛……」
 解すように動く海の長い指が、炎を翻弄していく。海は指を引き抜くと、炎の身体を返し背後から貫いていった。
 冷たい扉しかすがりつける物が無く、炎はそれに爪を立てた。凶暴に動く海のものは、炎の中を傷つけ血を流させる。
 ぐちゃぐちゃという濡れた淫猥な音と、微かな炎の悲鳴、海の熱く荒い息だけが玄関先の狭いスペースに響き、外の健康的な世界と隔絶している。
 「ひっ…あ……!」
 一際大きく突き上げると、海は炎の中に果てた。
 それが引き抜かれ、身を支える物がなくなった炎はずるずると扉に凭れて崩れていく。床に膝を着き掛けた時、海の両腕が炎を抱え上げ、そのまま中へ運んでいった。
 炎をベッドに横たえ、ぐったりとした身体から全ての衣服を剥ぎ取ると、海も服を脱いで重なっていく。
 「エン…」
 苦しげに呼ばれた名前に、炎はぼんやりと目を開いた。
 「……カイ」
 炎をじっと見下ろしている海の目には苛立ちと苦痛の光がある。何がそんなに苦しいのかと、炎は自分のことよりその方を感じ取って胸が痛んだ。
 傷ついたその部分に再び海の猛ったものが触れ、ゆっくりと侵入してくる。びくりと仰け反り、それを受け入れた炎は海の背中に両腕を回し、強く抱き締めた。
 「エン…エン……」
 懇願するように海は炎の名を呼び続け、腰を突き動かす。息を吐き、痛みを少しでも和らげようと炎は身体の力を抜いて応えた。
 「あ……んっ……」
 海のものが炎の内部を擦ると、ある一点で身体全体に快感が走る。身体を上気させ、喘ぐ炎の姿に、海はなお一層その部分を集中的に攻めていった。
 「くっ…」
 「んんっ!あっ…」
 海が炎の内部に自身を放つと、炎もまた触れられてもいないのに果ててしまう。息を荒げ汗で張り付く炎の前髪を掻き上げると、海はそっと口付けた。
 「離さない…お前がどう言おうと、離れることは許さない」
 暗い声で言う海に、炎はぎょっとして重い瞼を上げた。苦しそうな、痛みを堪えているような表情で海は炎を見つめていた。
 「…離れてったのは、お前の方だろー…が。……あんな彼女まで作って……」
 掠れた声で反論する炎に、海は驚いたように目を見開いた。
 「何を…言っている?誰が彼女なのだ」
 「この前…大学で……俺のことすげー問題児で苦労したなんて話までしてて」
 言っているうちに自分が嫉妬なぞしているのかと気が付いて、炎はむかついてしまった。ぷいと顔を逸らす炎の頬を捕らえ、自分の方を向かせると難しい表情で海は見つめる。
 「確かにそう言ったかもしれない。だがそれとこれと何の関係がある?私は…そんなお前が好きだ。自分でもどうしようもないくらい…」
 「じゃあ何で俺に会っても知らんぷりするんだよ。俺が嫌いになったんだと思うだろ」
 これではまるで、女の子の愚痴のようだと思いつつ、炎は言葉をつづることを止められなかった。
 「お前は仮にも受験生だ。色恋で受験に失敗したとあれば、ご両親にも申し訳ない。会えば、こうして触れずには居られなくなる。お前の勉強の妨げになってはならないと自制していたのだ……辛かった」
 海の言い訳に唖然としていた炎だったが、最後の言葉でぼっと赤くなった。海は炎を深く懐に抱き締め、額に口付ける。
 「…愛している…エン。お前が竜と楽しそうに歩いていたのを見た時、自制もこれまでだと思った。自分の知らない所で誰かと逢い、話しているのかと考えると…夜も眠れない」
 「も…もういいっ!恥ずかしいだろ」
 うわーっ、と炎は海の恥ずかしい台詞を止めさせる。海はにっこりと笑って言った。
 「私は考えた」
 「な…何を?」
 「一緒に暮らせばこんな不安などなくなるし、お前の受験勉強の面倒も見ることが出来る」
 怖々訊いた炎にそう告げると、海は口付けた。炎はその口付けを受けながら、深みにはまってしまった自分を嘆きつつ、嬉しい気持ちも持ってることを認めないわけにはいかなかった。

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