初日の出


   クリスマスは何故かサトウのバイト助っ人として忙殺され、いつの間にか次の世紀は目の前に迫っている。我夢はジオベースで生欠伸を堪えつつ、カレンダーを見てしみじみとしていた。
「高山さん、実家へは戻らないんですか?」
 いつも穏やかな樋口が笑いを噛み殺すようにして我夢に訊ねた。我夢は微かに顔を赤く染め、苦笑を浮かべる。
「親戚とか、近所の人とか見に来るんですよ、年始の挨拶とか言って。ちょっとそれは勘弁してほしいなーって。去年は帰る暇無かったですけど」
「でも、ご両親は戻って欲しいと思ってますよ、きっと」
 樋口の言葉通り、きっと両親は口に出さなくてもそう思っているだろう。けれど先日ちょっと帰った時の大騒ぎを思うと、この時期には帰りたくないと考えてしまう。
「松の内を過ぎて、ほとぼりが冷めたら戻ります」
 それじゃまるで悪い人みたいじゃないですかと、樋口が笑って言うと、我夢はある意味そうかもしれないと溜息を付いた。
「えーと、僕大晦日の泊まりもできますから、樋口さん家に帰ってあげてください」
 樋口は殆どこのジオベースから動かない。あまり詳しくは知らないが、多分家族も居るだろうに残ることが多いのを気遣って我夢は言った。
「そうですね…でも、きっと君はここに居られないと思いますよ」
 謎の言葉と笑みを残し、樋口は研究室から出ていった。何、何のこと?と呆然としていた我夢は、きっと冗談だろうと決めつけて仕事に戻る。幾ばくか不安はあったが、仕事を続けるうちに、そのことを綺麗サッパリ我夢は忘れてしまった。
 そして更に年も押し詰まった大晦日、半分くらいの人が自宅に戻っていて、ジオベースの中はがらんとした感じになっている。勿論何かあれば直ぐに召集されるのだろうが、破滅招来体の危機が取り敢えず去った今は、非常態勢が解かれているため皆のんびり実家で過ごしているだろう。
 なんとなく寂しいなと思いながら廊下を歩いていた我夢は、角を曲がった途端目の前に立っていた人影にぶつかりそうになった。
「わっ、あれ、梶尾さん。どうしたんですか」
 その人影は梶尾で、真剣な表情で我夢を見つめていた。小首を傾げ見上げる我夢の両肩を、梶尾は強く掴んだ。
「我夢…一緒に来てくれ」
「いたたた。ど、どこへです?」
 痛みに顔を蹙め、我夢は梶尾に訊ねた。梶尾は漸く気が付いたように手を離し、すまんと謝ると、我夢の腕を取って引っ張り歩き出す。訳も分からず付いていった我夢は、自分の部屋まで連れてこられると手を離された。
「梶尾さん?」
「着替えて5分後に駐車場まで来てくれ。いいな」
 そう言って梶尾は踵を返し去っていく。?で頭を埋め尽くしながらも我夢は、ま、いいかと中に入って着替えた。
 時計を確認すると既に11時をまわっている。こんな時間にどこへ行くのかと思いながら、我夢は駐車場へ向かった。
「お待たせしました」
 エンジンを掛けて待っていた梶尾の車に我夢は挨拶して乗り込んだ。梶尾は頷くと車をスタートさせる。以前はちゃんと外出届とか発進願いとか出していた我夢だったが、ジオベースをアパート代わりにしだしてからは、フリーパスで出入りしている。今回も、警備の係りは二人の顔を見ると敬礼をして通してくれた。
「ところで、どこへ行くんですか。こんな夜中に」
「初詣だ」
 なるほど、と我夢は納得した。都心では夜通し電車が動き、人々は華やかに装って鐘の音を聞きながら思い思いの神社へ行くのだろう。高校時代はアルケミースターズの活動でそれどころではなく、大学に入ったら忘年会&新年会で飲んで寝てしまうことが多かった。
「久しぶりだなあ、子供の頃以来ですよ。で、どこへ行くんですか? 明治神宮は超混みだろうな。川崎大師とか、昔は成田まで行ったこともあったんですけど」
 我夢ははしゃいで梶尾に話しかけた。だが、梶尾は生真面目な表情のまま、車を走らせている。怒っている訳でもなさそうだし、どうしたんだろうと思いながら我夢は口を閉じて窓の外に目を移した。
 最近忙しくてあまり眠っていなかった我夢は、いつしかうつらうつらとし始め、目を閉じてしまう。車の停まった気配に目を開けると、そこはどこかの駐車場らしかった。
「ここから少し歩くぞ」
「はい」
 車から降りると冷気が身に染みる。まさかそんなに外を歩くとは思わなかったので、コートも着てこなかった我夢は、肩を両手で包み震えてしまう。
 ふわりと首にマフラーが掛けられ、我夢は顔を上げ驚いて梶尾を見た。梶尾は僅かに照れたような表情を浮かべ、歩き始める。慌てて後を着いて歩き出した我夢は、にっこり笑って梶尾に言った。
「梶尾さんは寒くないんですか」
「これくらいなら別に平気だ。それより、大丈夫か」
「はい、これのおかげで暖かいです」
 マフラーを指し、我夢は頷いた。身体はそれほど寒くはないが、両手がかなり冷えてくる。両手を摺り合わせながら我夢は、梶尾に付いていった。
 次第に人が多くなってくる。真夜中なせいか、ここがどの辺りなのか検討も付かず、周りをきょろきょろと見回していた我夢は、手を握り締められてぎくりと立ち止まった。
「はぐれるぞ」
「子供じゃないですよ、僕」
 梶尾の言葉に文句を言いつつも、我夢は暖かい手に握り締められたまま、くすぐったいような嬉しいような気持ちで歩き始めた。
 なるほど人はどんどん多くなり、夜店も道の方々に出てきている。なんとなくカップルが多いような気がしたが、人気のある神社なのだろうか。
 我夢は人にぶつからないようにと、梶尾に寄り添うように歩いていった。鳥居が見えてきて、神社の敷地内に入っていく。遠くの方で除夜の鐘が鳴っているのが聞こえ、時計を見ると針がそろそろ真夜中を回ろうとしていた。
 それにしても、ここは一体何神社なんだろうと、我夢は鳥居を潜る時に名前を見ようとした。けれど、人が多くて判らず断念する。人が多いせいかさっきまであんなに寒かったのに、今はちょっと暑い。
「ほら、賽銭だ」
 やっと人を掻き分けて建物の前に来た我夢は、梶尾に小銭を渡された。そういえば、財布も持って来なかった。
「五円玉?」
 賽銭にいくら使ってもそれはその人の気持ちだろうが、これは少なすぎないかと、我夢はちらと梶尾を見つめた。梶尾は黙ったまま顔を赤くして、そっぽを向いている。
「ご縁があるようにってか、験を担ぐなんてなトップガンにしちゃ随分弱きだな、梶尾」
 突然背後からのし掛かられて我夢は小さく悲鳴を上げた。途端に梶尾に引っ張られ、救い出される。驚いて後ろを見ると、よく見知った顔が三つにやにやと我夢と梶尾を見ていた。
「吉田さん、志摩さんに桑原さんも。どうしたんですか、こんなところで」
「初詣に決まってるだろーが。ここでじーっくり願いを掛けて、今年こそはゲットしてみせる」
 ぐっと拳を握り締め、志摩は天を見上げ宣言した。吉田と桑原は、それを苦笑しながら見ている。我夢は目を白黒させて見ていた。
「で、お前さんたちも、その口だろ。けどなあ、願わなくたってそのルックスなら選り取りなんだろうから、神様の御利益は俺に回すよう願ってくれよ、な」
 志摩の訳の分からない話に、我夢は首を傾げた。
「はあ」
「吉田さん、あなたもまさか…」
 梶尾が憮然として言うと、吉田はにやりと笑って手を横に振った。
「俺らは付き合いだ。後見物だな」
 その言葉に梶尾は眉を上げる。鋭い気配を纏った梶尾に、吉田はおいおいと両手を上げた。
「お前らが来るなんて思わなかったぞ。俺達は柊准将が彼女連れで来るって情報を得たから、見に来たんだ」
 ほれ、と吉田は別の方を指さした。人混みの中でも凄く目立つカップルがゆっくりと歩いてくる。夜中なのにサングラスを掛けた柊と、流行という言葉からかけ離れた服装の黒田恵が仲睦まじく談笑していた。
「あ、あの人…」
 壬の龍と戦った時に鎮めてくれ、ティグリスの鎮魂を願った女性と判って、我夢は柊とのカップルに意外に思った。もっとも、柊もあの戦いの後ちゃんと解ってくれたようだから、意外でもないのかもしれない。
「な、驚いただろ。おまけにここが密かにネットでも有名なスポットだって聞いたから、まあついでに初詣というわけだ」
「よーし、聖徳太子を張るぞ」
「今は諭吉でしょ。えっ、ほんとに出すんすか」
 吉田の話を聞いてるうちに、志摩は財布の中から万札を出していた。我夢はその桑原とのやりとりを驚いて見ていたが、志摩はなかなか札から手を離そうとしない。ふんぎりが付かないのか、やっぱり惜しいのか、賽銭箱の上で志摩の手は右往左往していた。
「うわわーっ、俺の札がぁ」
 万札は志摩の指先を離れ、ひらひらと賽銭箱の中に消えていった。愕然として志摩は自分の指先と、札の行方を目で追っている。
「早く祈った方がいいですよ。後ろ支えてます」
 志摩の手をつついた指を顎に当て、梶尾は無情に言った。慌てて志摩は柏手を打ち、必死で何かを願っている。ぶつぶつといつまでも両手を合わせている志摩の両腕を、吉田と桑原は抱えずるずると引き離した。
「ま、まだ一万円分願ってないぞ」
「量より質だろ。さあ、朝まで飲むぞ。お前らもよかったら後で来いや」
 文句を言う志摩に言い、吉田は梶尾にも言うと去っていった。呆然と三人を見送った我夢は、手の中で暖められた五円玉に目を移した。さっきの志摩の万札と比べ、願い事に差は出るのか。
「やっと静かになったな。さ、早く祈るぞ」
「あ、はい。…そうだ、ここって何の神様なんですか? 商売繁盛、疫病息災、えーと志摩さんがあれだけ祈ってたってことは、頭に関係するとか」
 それは随分失礼な、と自分でも思いながら我夢は梶尾に訊ねた。いや、頭の中身ではなく、髪の方なのだが、それでも結構失礼だろう。
「俺達の商売が繁盛しても世の中のためにはならんだろう。病気でも頭の具合でもないぞ」
 じゃあ何なんだ、と我夢は梶尾の続きを待った。だが、梶尾は再び顔を僅かに赤らめて、口ごもっている。
「梶尾さん?」
 怪訝に思って我夢は梶尾を覗き込んだ。それでも答えない梶尾に、我夢は溜息を付いて五円を賽銭箱に投げ入れようとした。きっと交通安全とかで、梶尾はパイロットのくせに恥ずかしいなんて思っているのだろうと我夢は見当を付ける。
 投げ入れた五円玉が途中でキャッチされ、我夢はびっくりして目を見開いた。
「えっ」
 キャッチした手は我夢の手を包み、五円の替わりに五十円を握らせると、その手を取ってそれを投げ入れる。そのまままるで二人羽織のように後ろから両手を捕まれ、柏手を打って礼を取らされた。「な、何!?」
「二人の縁が五重にも結びつくように、願います」
 ぽそりと耳元で言われ、我夢は慌てて振り返った。そこには闇に紛れるようないつもの黒い服を着た藤宮が立っていた。
「何で君が」
「貴様っ、何をするっ」
 呆然と見ていた梶尾は、藤宮の胸ぐらを掴んで締め上げた。藤宮は平然と梶尾を睨め付けている。険悪な空気に周りの視線が集まり、我夢は焦って二人の間に入った。
「ちょ、ちょっと待って。こんなとこで喧嘩しないで下さい」
「こいつがあんな真似をするからだ」
「トロイのがいけないんだろうが」
「なにいっ」
 うわー、と我夢は声にならない叫びを上げ、取り敢えずそこから引き離そうと二人の手を取って引っ張った。
 漸く端の方まで二人を引っ張り、我夢は荒く息を付く。まだギャラリーの衆目を集める中、藤宮と梶尾は一触即発の雰囲気で睨み合った。
「なんだなんだ、男同士で揉めてるって我夢じゃん」
 おろおろしていた我夢は、その声に振り返った。サトウが赤い顔をして笑いながら手を振っている。なら他の連中も、と見ると、関わり合うなと言うようにサトウの服を引っ張るナカジとマコトの姿があった。
「みんな、ここに初詣に来たのか」
「新世紀こそ、絶対必ずなんとしても、可愛い女の子とらぶらぶになりたーい」
 どうやらサトウは程良く酔っぱらっているらしく、言葉尻の呂律が怪しい。赤いのもそのせいかと我夢は納得してサトウを見た。
「我夢…お前、あの二人と初詣に来たのか」
 まだ睨み合ってる梶尾達から少し離れた場所に居るみんなの所へ我夢が行くと、マコトは眉を顰めて確認した。
「うん、というか、梶尾さんと来たんだけど。いつの間にか藤宮が居てびっくりだよ」
「さすがウルトラマン。見逃さないな」
 マコトの呟きに、我夢は首を傾げる。その様子を見て、マコトは恐る恐る訊ねた。
「ここ、何の神様か知ってて来たのか」
「ううん、知らない。聞いても答えてくれないんだ、梶尾さん。あ、そういやさっき志摩さんも来て祈願してたなあ。何をなんだろ」
 両手を組み、不思議がる我夢に、マコトとナカジは溜息を付いた。ふらりとサトウは我夢の肩に手を回し、びしと指を突き付けると酒臭い息で話し始めた。
「おまえらがぁ、男どーしでくっついちまえば、それだけ女の子がこっちに回ってくるってことだ。けど、やっぱ友人として、それはどーかと思う。んでも我夢の幸せのため、世界の平和のために、あいつとくっつくのもヨシとしよう」
「…何言ってんの」
 ぐだぐだと訳の分からない事を言うサトウに、我夢は眉を顰めた。
「あ、馬鹿サトウ」
「こらこら」
 慌ててマコトとナカジがサトウを我夢から引き離す。サトウはいやいやするように我夢に抱きついていたが、突然固まり赤かった顔色が青くなって手を離した。
 視線の先には藤宮と梶尾のオーラを纏った姿がある。
「こわ…」
「はいはい、世界の平和のために、我夢にちょっかい出さない方がいいってね」
 固まっているサトウを引っ張って、ナカジとマコトはブリザードが吹き荒れるような冷たい視線を避けるために逃げ出した。
「あ、ねえ、ここの御利益…なんだよ、もう」
 あっという間に姿を消した友人達に、文句を呟きつつ我夢は二人のことを思い出して振り返った。藤宮も梶尾もまだむっつりしたまま、さっきとは違って背を向け合っている。睨み合いには飽きたらしい。
「梶尾さん、ちゃんとお参りしましょう。さっきのは藤宮が勝手にやっちゃったから」
「我夢の気持ちは解っている」
 ふっと笑みを浮かべて藤宮は我夢の肩に腕を回し、引き寄せた。梶尾の目が吊り上がり、さっきの二の舞にならないうちに、我夢は藤宮の手を軽く叩いて引き剥がした。
「そういうストーカー気質は変わらないな」
 勝手に恋人と思い込み、付け回し、嫌われてもそうは感じず自分のことを好きなのだと勘違いして挙げ句に殺したりする、そんなストーカーと同じだと言われ、藤宮は梶尾を目を眇めて見た。周囲の空気が冷え冷えとして、せっかく人混みで暖かかったのが震えが来るほど寒くなる。
「梶尾さん、そんなこと言わないでください。藤宮だって考えがあってしていたことなんですから。今はそんな必要ないのに…連絡くれれば直ぐに会うのに、どうしていつも突然出てくるのさ」
 始めは梶尾を諫めるように言い、ついで藤宮に向けて非難するように我夢は言った。だが、それは聞いてる者にとっては甘えとも惚気とも聞き取れる。
 藤宮は梶尾に向けているのとはまったく違う優しい笑みを我夢に向けた。
「だったら、俺と暮らせばいい」
「え…」
「そうはいくか。我夢はジオベースの大事な一員だ」
 梶尾は我夢を守るように抱き締める。バチバチと火花散る勢いの、見た目良い男二人の争いは、端から見るととっても面白い光景なのだが、争ってる原因が我夢ということに一般人はもやもやとしているようだ。もっとも、一部婦女子は黄色い悲鳴を上げているようだが。
「いい加減にXIGの恥を曝すのは止めてもらいたいな」
 低く呆れたような苛立ったような声を掛けられ、三人はその声の主を見た。無表情でサングラスの柊が腰に手を当て三人を見つめている。その横で、恵がにっこり笑い深くお辞儀をした。
「あ、どうも…」
 梶尾の手が離れると、我夢と共にぺこりとお辞儀を返す。
「やはり、大地と海と空は定めによって結びつくんですね」
 恵の不思議な言葉に、我夢と梶尾の目が点になった。にこにこと恵は同意を求めるように、柊を見上げた。
「全て地球という星の命の導きのまま…。この結びの神の前で誓うなんて、素敵なことだわ。そう思いません? 柊さん」
「…素敵なこと…ですか」
 サングラスに隠された柊の表情は窺えないが、困惑しているのが気配で判る。うっとりと三人を見ている恵の言葉に、我夢は引っかかりを感じて訊ねた。
「あの…結びの神って」
「我夢、あっちにおみくじがあるぞ、引いてみよう。それでは失礼します」
 強引に梶尾は我夢の腕を取り、再び柊と恵に一礼すると駆け出した。お金を払い、梶尾は筒から一本の棒を取るとその番号を見た。我夢にも渡し、番号を確認するとおみくじを出す箱の前に行く。
「こんなの迷信ですよ。だいたい大吉とか吉以外入ってないんですから」
 くすりと笑って箱から取り出したおみくじを開いた我夢は、ほら、と梶尾に小吉の文字を見せた。梶尾も開こうとして、後ろから肩を叩かれぎくりと手を止める。今度は一体誰が邪魔をしに、と振り返った梶尾は、着物姿の米田と慧に目を見開いた。
「わあ、お似合いですね。二人とも凄く素敵だ」
「ありがと、我夢。あんたも恋人と来たの? 縁結びの神頼みなんてアルケミ天才児なのに随分迷信深いわね」
 慧の言葉に我夢は、ぽかんとする。縁結びの神様とは、ここの神様のこと?
「梶尾、お前も恋愛祈願か。そういうことに興味があるとは思わなかったが…相手は」
 米田の視線が梶尾から我夢に向けられる。慧の視線も二人を交互に見つめ、含み笑いを浮かべて米田の袖を引っ張った。
「邪魔しちゃってごめんね。また明日ね」
「まあ、恋愛は自由だしな…」
 二人が去った後、我夢は無言のまま梶尾をじっと見つめた。
 梶尾の手には『大凶』と書かれたおみくじが握り締められ、冷たい風に揺れていた。ひらひらとなびくそれを我夢は梶尾の手から取り、近くの小枝に結びつける。
 ぽんと背中を叩かれて、梶尾は硬直から解けた。
「元気出して下さい。大凶だからって、失恋すると決まった訳じゃないでしょ」
「が、我夢」
 それはもしやOKということか、と梶尾は一瞬浮き足だった。我夢はにこりと笑うと、再び境内の方へ入っていく。
 真夜中はとうに過ぎ、人波も一段落したのかさっきよりは少なくなっていた。我夢は拝殿の前へ行き、梶尾を手招きすると鈴を鳴らした。
「えーと、さっきの五円は藤宮に捕られちゃったから、後でちゃんと奉納しますね」
 ぱんぱん、と柏手を打って我夢は目を閉じた。その横顔に見惚れながら梶尾も賽銭を投げ入れて、手を合わせる。
「…何を祈ったんだ?」
 今度は邪魔されず無事に祈り終えた二人は、周りの屋台を冷やかしながら歩いていた。我夢はたこ焼きが焼ける様をじーっと、それこそ指を銜えるような感じで見つめていて、梶尾の問いに生返事を返す。
「地球の平和です。あと、彼女出来たらいいなーって」
 たこ焼きから目を離さずに答える我夢に、梶尾はがっくりと肩を落とした。結局何も解ってないのかと、梶尾は溜息を付く。それでもまだ物欲しそうに見ている我夢に呆れ、梶尾は財布を取り出した。
「食うか? 夜中にあまり食べると胃がもたれるぞ」
「大丈夫ですよ。徹夜も慣れてるし、あ、ちゃんとお金はお返しします」
 ぱっと明るい笑顔で振り向かれ、梶尾はますますがっくりしながらも、こういう笑顔が見られるならいいかと千円札を取り出して渡した。
「おいしーです。梶尾さんお腹空かないんですか」
「ああ」
 リンゴ飴とクレープを両手に持って言う我夢に、見てるだけで胸焼けがしそうで、梶尾は横を向いた。
「これから…お、お前もう食っちまったのか」
「え? あ、やっぱり梶尾さんも食べたかったですか」
 確かにさっきまで両手に持っていたと思ったのに、ちょっと横を向いてる間にそれらは我夢の胃の中に収まってしまったらしい。
 梶尾は驚いて我夢のけろっとした表情を見ていたが、やれやれと頭を振ると参道から表通りへ歩き出した。
「寒くないか」
「そうですね、ちょっと冷えてきたかな。人が居なくなったから」
 さっきまで人いきれの中でかえって暑いくらいだったのが、今は汗をかいたせいもあって寒くなってきている。我夢は両手で腕を擦り、抱えた。
「汗をかいたままじゃ風邪を引くかもしれないな。このままジオベースに戻るのも面倒だと思って部屋を取っておいたんだが…泊まるか?」
 我夢が車から降りたときは気が付かなかったが、梶尾が車を停めていたのは近くのホテルの駐車場である。さすが、健康管理に気を遣うパイロット、と我夢は梶尾を尊敬の眼差しで見た。
「はい」
 梶尾の顔が赤く見えるのは、ホテルの照明のせいだろうかと我夢は首を傾げたが、回転扉を潜り抜け、きらびやかなロビーへ入っていった。
 同じように初詣を済ませた人々で、深夜過ぎだというのにロビーは混雑していた。梶尾はキーを受け取り、案内を断ってエレベーターで上へ向かう。向かった部屋はスタンダードツインで、かなり広い部屋だった。
「って、何でお前が居る!」
 扉を開き、部屋の中まで行った途端、梶尾の目に飛び込んできたのは、すっかりくつろいだ様子の藤宮だった。
「さっきの祈願が効いたんだろ」
 しれっとして言った藤宮は、立ち上がると我夢の腕を取った。
「こんな狭い部屋じゃなくて、最上階のスイートを予約してある。シャンパンも冷えてるし、ルームサービスで食事も取り放題だ。行こうか」
 さっきの祈願とは、五重に縁があるようにとかいって、五十円を賽銭箱に入れたことかと我夢は、その駄洒落っぽい験担ぎに力が抜けてしまった。さっきはそれどころではなくて、思いつかなかったのだ。
「ごめん、藤宮。せっかくだけど、今晩は梶尾さんと泊まるよ」
 藤宮の手から我夢を取り戻し、睨み付けていた梶尾はその言葉に嬉しくてつい涙してしまう。眉を上げ、何故というように我夢を見ていた藤宮は、決心が変えられないと知ると額を押さえた。
「ジャグジーもサウナもあるのに。一人じゃ広すぎてつまらん」
「い、一緒に入る気か!」
 想像して神経がぶち切れそうになった梶尾は、藤宮に飛びかかっていった。
「静かにしてください! 梶尾さん、騒ぐなら僕帰ります」
 ベッドに藤宮を押し倒し、拳を振り上げた梶尾はその言葉にぴたりと動きを止めた。そろそろと後ろを見ると、我夢は両手を腰に当て、滅多にないことだが怒っている。
「藤宮も、寂しいならスイートなんて取るなよ。それに、電話でもすれば、女の人よりどりみどりで一緒に泊まってくれるんじゃない」
 さらりと凄いことを言う我夢に、藤宮の顔色も青くなった。
「が、我夢」
「二人とも縁結びの神様に祈らなくったって、ぜんっぜん困らないじゃないか。そういうことするから、僕とかサトウとか彼女が出来ないんだ」
 それは違うと梶尾と藤宮は心の中で思った。サトウとやらは知らないが、我夢に彼女が出来ないのは周りの人間が火花を散らしているからだろう。
「いや、それは」
「ああ、もう、ばっかみたい」
 我夢はもう一つのベッドに乱暴に座って肘を突いた。むくれた顔も可愛いが、夜明けまでこの状況は辛すぎると、梶尾は藤宮の上から退き枕元の電話を取った。
 藤宮の部屋からシャンパンを持って来させ、ついでにルームサービスでオードブルだのなんだのを取り寄せて、梶尾の部屋で我夢のご機嫌を取るよう響する。藤宮も背に腹は代えられないと、その場に残ってそれに付き合った。
 シャンパンを飲み、出されたものを綺麗に平らげ、いい気分になった我夢はお約束で二人の間で眠りにつく。その幸せそうな笑顔を見ながら、梶尾は、やっぱりおみくじって当たるのかもしれないと、大きく吐息を付いた。

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