薄暗い道を我夢は走っていた。周りは微かに見えているのに、ここがどこだか全く判らない。この道もどこへ通じているのか判らない。けれど、何かが追ってくる気配に我夢はひたすら走り続けた。 唐突に道は終わり、行き止まりになる。壁を叩いても扉はなく、叫ぼうとして声が出ないのに気付いた我夢は、喉を押さえ振り向いた。 自分は荒く息を付いているのに、前に居る男は影のように静かに佇んでいる。その存在感の禍々しさに、我夢は息をのんだ。 その影から腕が伸び、我夢の肩を掴む。冷たい手の感触に我夢は身震いし逃れようと身を捩った。それを許さないように影は我夢をきつく抱き締めた。 顔は見えない。が、息が頬にかかり、男は我夢の唇を捉え貪るように口付けた。 『思い出せ…俺を』 「誰なんだ、君は」 『思い出せ』 気持ち悪さに必死に顔を背け、我夢は訊ねた。男の声は聞こえず、頭に直接訴えかけてくるようだった。その想いは、怒りと苛立ちに満ちていて、我夢を追いつめる。 「何を、思い出せって…」 我夢はなおも口付けて来ようとする男を必死に避ていたが、訳が分からず顔を上げた。見えないのに、男の視線に束縛される。 「誰…?」 「…我夢」 我夢は飛び起きて胸を押さえた。息を整え、慌てて周りを見ると、自分のベッドの上でカーテンからは薄日が差し込んでいた。 「夢…か?」 我夢はぽつりと呟いた。手にも背中にもびっしょり汗をかいている。夢にしては酷くリアルで、我夢は自分の唇を指でなぞってみた。ぞくりとする感触に慌てて指を離し、ベッドから降りると顔を洗いに洗面所に入る。 顔を洗ってさっぱりした我夢は、ふと鏡の中の自分の首筋に赤い点のような跡を見つけて首を捻った。痒くもなければ痛くもない。無視に刺された跡なのだろうか。不思議に思いつつ、我夢は大学へ向かった。 「それって、ドラキュラじゃないん? こないだ映画でやってたからさ、それが深層意識に残ってたとか」 「そうかなあ」 定食屋で昼食を採っていた我夢は、夢の話を一緒に食べていたマコトに話した。マコトは笑ってそう分析したが、我夢は納得出来ず首を捻る。そんな我夢に呆れた目を向けたマコトは、時計を確認すると時間が無いと慌てて食事を平らげた。 我夢は学生とはいえ、殆どの単位は最初の二年で取ってしまった。所謂天才と呼ばれ、数々の研究論文を発表している我夢は、本当なら院に入るべきなのだろうが、普通の大学生として暮らしたいと願って自分の得意分野ではない講義を受けたりしている。 マコトとは別の講義で、次は休講になっているから研究室に行こうかと我夢は、一緒に歩いていった。 背中に視線を感じて我夢は立ち止まる。ぞくりとするような悪寒に、我夢は周りをきょろきょろと見回した。 「どうした」 「なんか…見られてる気がして」 「おいおい、夢の続きか? 気のせいだよ」 そうだよな、と我夢は再び歩き出した。さっきまで執拗に感じていた視線は無くなり、やはり気のせいだったかとほっとした我夢は、マコトと別れる分岐点に見慣れぬ人影を見つけてぎくりと足を止めた。 それはモデルといっても通じそうなほどの美貌の持ち主で、怜悧な顔に黒っぽい服をきちんと着こなしている。他にも沢山人が居るのに、彼だけが我夢の目に飛び込んできて、視線が合ってしまった。我夢はその視線に鼓動を跳ね上げ、顔が熱くなっていく。 「なんだよ、急に立ち止まって」 「あ、あの人誰?」 訝しげに立ち止まるマコトに、我夢はそっと彼を指さした。マコトはちらりと彼を見ると、片眉を上げて我夢に言った。 「藤宮博也。確か量子力学の臨時講師。それがどうかしたのか」 「うん、別に」 我夢は首を振ってマコトに手を挙げると、自分の研究室へ向かっていった。 「ふじみや…ふじみや、うーん」 聞いた事のない名前なのは確かなのに、どうにも背中辺りがむずがゆいような感じで気分が悪い。臨時講師としては若い気がするが、格好がそうなのと美貌のせいで若く見えるのかもと思い直した。「…思い出したか」 「わっ」 突然目の前に現れた藤宮に、我夢は驚いて一歩身を引いた。 「藤宮…先生」 確かめるように呟く我夢に、藤宮の眉が上がる。我夢はぺこりと頭を下げ、その脇をすり抜けようとした。が、途中で腕を捕まれ、引き留められる。 「何ですか」 「思い出してないのか」 「何をですか。思い出すも何も、僕は貴方のこと知らない」 答えた途端に強く腕を握り締められる。痛みに顔を蹙め藤宮を見た我夢は、その視線の鋭さに、恐怖を感じて腕を振り解いた。 「なっ」 文句を言おうとした我夢は、足下から這い上るような冷たい恐怖に、くるりと身を返すと駆け出した。逃げている自分が夢の中の自分と重なる。何故逃げなければならないのか、解らないのはどっちも同じだ。 講義も何もすっ飛ばしてアパートへ逃げ帰った我夢は、息を吐いて荷物を投げ出しキッチンで水を一息に飲んだ。 「…ぁっ!」 背後に感じる気配に、我夢は指が震えグラスを流しに落とす。乾いた音を立ててグラスは割れ、その破片の一つが我夢の指を傷付けた。咄嗟に指を押さえながら我夢は、ゆっくり後ろを振り返る。 「痛いか」 「ふじ…みや」 藤宮は目を眇め我夢を見つめると、手を伸ばし小さな傷が付いた指を取って口に含んだ。口内の熱さとねっとりとした舌の動きに、我夢は顔を赤く染めて指を引こうとした。 「…痛いか」 藤宮に再度訊かれ、我夢は取り戻した指先を見た。血はまだ滲み出しているが、痛みは無い。そういえば、さっき訊かれた時も驚いただけで痛みが無かったような気がする。 不思議そうに自分の指を見つめる我夢に、藤宮は音もなく近付きあっという間に横抱きに抱き上げた。驚きのあまり呆然としている我夢をそのまま部屋の中に運び、ベッドに落とす。 我夢の目の前が暗くなったかと思うと、唇を塞がれていた。驚きのあまり声を上げようと口を開いたところへ熱く滑る舌が入り込んでくる。 それは我夢の舌に絡み付き、貪るように吸い上げた。逃げる我夢の顔を片手で押さえ、藤宮は飽くことなく深い口付けを送る。 「…ふっ…ぁ…」 漸く解放された口で我夢は大きく息を継いだ。藤宮は唇を我夢の頬から耳元に、軽く啄むように滑らせていった。何も考えられず、ただ息を整えるだけだった我夢は、顎を押さえていた藤宮の手が鎖骨から胸元に移動して行くのに気付かなかった。 シャツの下を潜り、藤宮の手は我夢の乳首を探り当てると、指先で転がすよう愛撫し始めた。ひくりと我夢の身体が震え、漸く気が付いたようにのろのろと目を下に向ける。 「な…に」 その頃には既に我夢はズボンと下着を取り去られていた。捏ねられ、摘まれて敏感になってきた乳首の痛みとも快感ともつかぬものに、我夢は眉を顰める。自分の上に覆い被さっている藤宮の身体を押し戻そうと、力の出ない腕で肩を押した。 「あっ」 藤宮の手が我夢自身を捉え、擦り上げ始めた。自分の意志に関係なく、それは我夢を裏切ってどんどん成長していく。 何故力が入らないのだろうと、悔しくて我夢は藤宮の肩を拳で殴り出した。藤宮はその腕を取り、肘の内側に舌を這わせると、涙目で睨み付ける我夢にうっすらと笑みを見せた。 「快感はあるのか」 我夢がその言葉を不思議に思って聞き返そうとした時、藤宮は我夢の首筋に顔を埋めた。首筋にぬるりとしたものが流れ落ちる感触を感じ、我夢は藤宮が顔を上げるとその部分に手を当てた。 目の前に持ってきたその手には、赤い鮮血が付いている。呆然とそれを見ている我夢に、藤宮は再び訊ねた。 「痛いか?」 こんなに血が流れているというのに、全く痛みは感じない。ただ、首筋を流れる汗よりもねっとりとした物が気持ち悪い感じなだけだ。 何故、どうして感じないんだとパニックになる我夢の手を取り、藤宮は指先に付いた鮮血を舌で一つずつ綺麗に舐め取っていった。 藤宮が口端に付いた血も舌で舐め取る淫靡な様に、我夢はぞくりとする。 「な…なんで」 藤宮は答えず、再び我夢を組み敷いた。乳首を口に含み、舌で転がしていく。さんざん舌と唇で煽り、藤宮は唇を下腹へと降ろしていった。 胸への愛撫で既に勃ち上がっていた我夢自身を、藤宮は口中に含んだ。舌先で先端をくすぐるように愛撫しながら、指で幹を擦る。藤宮の唾液と我夢自身の先端から滲み出る先走りの液が、滑る音を狭いアパートに響かせていた。 「やっ…ぁ…いやだ…」 弾けそうになる我夢自身を放り出し、藤宮は両足を大きく開かせ奥に秘められた部分に舌を這わせる。解すように舌と指で拓かれた我夢は、藤宮の熱いものをその部分に感じて、身を竦ませた。 それに構わず藤宮は我夢の腰を掴み、身を進ませる。熱さは感じたもののやはり痛みは無く、我夢は藤宮に揺さぶられるまま翻弄されていった。 藤宮は一旦動きを止め、まだ果てていない我夢自身を握るとそれを扱きながら腰を突き上げ始める。我夢は中を抉る藤宮自身と、手でなされる愛撫に訳も分からず腕を上げしがみついた。 「…これは……だ。…思い出せ、我夢」 「あっ、あぁっ…んっ」 藤宮は身体を倒し、我夢を抱き締めると囁いた。我夢は僅かに目を開け、藤宮の顔を見た。汗を滲ませ、熱く真摯な目で我夢を見つめている。その瞳が語りかけてくる言葉に、我夢は身体と共に意識の底を揺すぶられた。 「……なのか」 「そうだ…」 「起き…な…きゃ」 「我夢」 意識が快楽の底に一旦沈み込み、再び名を呼ばれたのに応じるように浮上した。 ぽっかりと開いた目に藤宮の不安そうな表情が映り、我夢は目を瞬いてその顔を見つめた。 「大丈夫か」 「うん…僕、どうしたのかな」 我夢はゆっくり起きあがった。夕べはクラウスが精神寄生体に囚われたルーン文字がある場所を調査していた。それから精神寄生体に操られたと思しき村人達に追いかけられ、ここへ来て藤宮と話して、それから。 我夢は一つずつ昨日の出来事を思い出していった。 「ありがとう」 いきなり礼を言う我夢に、藤宮は不審そうな目を向ける。 「夢の中で君に助けられたから」 あの夢は精神寄生体が見せた物だったのか、それとも自分自身の心がそれに触発されて見たものなのか。自分の知る藤宮の居ない世界を作っても、結局彼がそれを壊し助けてくれた。藤宮の居ない、破滅招来体も居ない世界と、今の世界。 あの恐怖は藤宮に依存し過ぎる今の自分を恐れていたものかもしれない。 我夢は吐息を付いてベッドから降りた。 |